高速道路を使うことなく仙台へ行く道を教えてくれと、閉店間際にお客様から言われて一瞬、絶句する。「紅葉」「渋滞」「夜間」「山道」というような言葉が頭の中を駆け巡る。日光から途中会津までの行程は、そのままイザベラ・バードの「日本奥地紀行」に重なるのではないか。
以前、やはりお客様から中央自動車道への乗り入れ方を訊かれ、だから「東北道でいったん東京へ出てですね」と答え始めたら「それじゃ距離が無駄だろう、群馬を西に突っ切って甲府へ抜ける道が知りたいんだよ」と言われても、昭和30年代の長距離トラックの運転手でもない僕が、そのような道を知る道理がない。
「富山まで、どうやって帰ったらいいんですかね」と訊かれたこともあり、お客様の質問に的確に答えられない当方がいけないのかも知れないが、しかし日光から富山までの道のりは、僕の感覚からすれば西安からローマほどにも遠い。
これらの方々に共通していたのは、皆さんカーナビも地図をお持ちでなかったということで、そういう経験から「難しい道を走りたがる人ほど地図は持っていない」というマーフィーの法則に、僕は気づいた次第である。
きのうのステーキ肉についてはOGビーフではなく国産牛にしてくれと家内に頼んだが、200グラムの3分の1ほどしか食べられなかった。からだが欲しないものは、無理をして腹へ収めない方が良い。その残りは本日の昼にステーキ丼にして食べた。
日光労働基準協会が主催する「第29回 日光地区産業安全衛生大会」へ出席をするため、午後一番に日光市今市文化会館へ行く。ウチは衛生優良事業場の部門で表彰を受け、その流れとして僕が受賞者を代表して謝辞を述べることは、ほぼ1ヶ月前から決まっていた。
会も終わりに近づくころ壇上へ上がり、縦書きの原稿に目を走らせつつその謝辞を述べていくと「アメリカを始めとする世界的な金融不安の中、日本経済においても原油高や原材料高が続き」という文字が目に入って「アチャー、原油はもう一時の半値以下まで下落しちゃったぜ」とあせるが、ここを即興で変更するにはいかにも時間が足りない。数週間前の原稿を直前に見直し、朱を入れなかった僕の手落ちである。
夜はキノコ汁と赤飯にて飲酒を避け、今月8回目の断酒を達成する。
日経平均株価が12,000円台に落ちた数週間前の新聞や週刊誌を社内の資源ゴミ置き場から集め、そこにある株式評論家やらアナリストやらの近未来予想を拾い読みしてみると、すべて噴飯ものの大外しである。
それを生業としている人たちでさえ見当を外しているのだから、これだけ株が下がっているにもかかわらず、これだけ紅葉見物の観光客が多いのはいかなる理由によるものだろうか、と考えても自分に分かるわけがない。
ほとんど1日中を店で過ごす。昼食も、忙しさが度を超したら直ぐ手伝いに行けるよう、店の様子をガラス越しに見ながら事務室で摂る。
中禅寺金谷ホテルと日光金谷ホテルにそれぞれ1泊したというお客様が、蕎麦と湯波にはもう飽きた、それ以外のものが食べたいとおっしゃるので、僕もきのう行った鰻の「魚登久」を、ウチが作成した市内地図を差し上げてご紹介する。そのお客様が店を出られてしばらく後に外へ出てみると、案の定あさっての方向を目指していらっしゃるので100メートルを走って正しい場所をお教えしたりする。
昨年の記録に照らしてみれば、この繁忙は11月の半ばまで続くものと思われるが、今年もそうなるかどうかは分からない。
ユミテマサミさんからリーガースベコニアが届き、今市菊花会からは種々の菊が届き、店舗の入り口は一気に華やかになった。毎日つづく晴天が有り難い。
"BUGATTI 35T"のシャーシーの塗装が上がったから見に来て欲しい、確認され次第ボディを組み始める、とのメイルがきのうの夜、"EB-ENGINEERING"のタシロジュンイチさんから入っていた。よって日光市平ヶ崎地区から同瀬川地区へ引っ越したばかりの、タシロさんの工房へ午後になってから行く。
元々がレーシングカーなのだから美術品まがいにはせず、しかるべきところにはしかるべき傷や汚れがあって当たり前ではないか、という仕上がりにしようとは、僕とタシロさんとの、このクルマに対する共通の認識である。ボディの外皮以外の部分には今回、フレンチブルーの塗料がこってりと厚塗りされた。
「第185回本酒会」に出席をするため、初更7時30分より会場の「魚登久」へ行く。
初更に飲み屋の「和光」へ行き、カウンターに座って「おとこくらべ」を開くと「本なんか読んでたら酔えないんじゃないですか」と、左隣に座ったオネーサンが言う。
ペンは剣よりも強しという言葉がある。しかし実際にはペンよりも剣の方がずっと強い。それと同じく、いや同じかどうかは知らないが、活字とお酒をくらべれば活字よりもお酒の方がずっと強いから、本を読みながら飲酒を為せば、酔えないよりも先に、酔って本の内容が分からなくなる。
そうするうち外に雷鳴が聞こえ始める。ハタハタは鰰とも書けば雷魚とも書く。海に雷の鳴る季節に多く獲れることがその理由らしい。だから「日本海の方はともかくとして、ここいらへんでこの季節に雷は珍しいな」と考えていると「ワタシ、カミナリと花火は大好き」と、右隣に座ったオネーサンが言う。
すると「カミナリは、おしりの割れるほどの凄いのが良いわよね」と、他の場所から相づちを打つ声がしたから、僕は「尻の割れるほどの雷とは、どのようなものなのだろうか」と、徐々に酔いの回ってきた頭で考える。
そろそろ切り上げ時だろうか、というところで菊の花の酢の物がカウンターの向こうから差し出される。それをひと箸つまんで口へ入れると「菊、食べるんだ」と、常連の言う声がする。「訊くだけ野暮だよ」と茶化す他の声がする。
「キクたべるんだ、キクだけやぼ、ちょっと紙と鉛筆ください」と、オジャジギャク、オバンギャグのまったくこなせない僕は大いに感心して、この駄洒落をメモに残して店を出る。雷は既にして遠くへと去ったらしい。
日光はさぞかし寒かろうとダウンのコートを着てきたら地元の人は半袖のTシャツだったので驚いたと、きのう原田俊太郎と一緒に来た麻倉美稀が歌の合間に話していた。
そういう次第にて僕も日中は長袖のTシャツを脱ぎ捨て、半袖のポロシャツで店に立つ。紅葉見物の人たちは、その初っぱなのところでドッと出だし、しかしその後は昨年よりもすこし少なくなっているような気もする。
働けば夕刻にはアルコールを含んだ液体の1杯も飲みたくなるが、今月はあと2回の断酒ノルマがあり、明日と明後日の両日は夜間の飲酒が決まっている。よって本日はお酒を遠ざけることとし、杏仁豆腐など食べて早めに寝る。
明け方に目を覚まし
を読む。この人の「文人悪食」があまりの名文、あまりの面白さだったため、同じく明治期の文士をあつかった他の著作は色あせて見えるが、それは仕方のないことだ。
おなじ時間に重複して用事を入れてしまうという、自分が得意とする悪癖のひとつを本日は犯し、町内の役員会があるにも関わらずコンサートの切符も手に入れてしまった。
サイトーマサヒロ本酒会員がテナーサックスを務めるビッグバンド"Albatross"に原田俊太郎トリオが客演となれば、これは聴きに行かないわけにはいかない。会場の日光市今市文化会館へは家内に先乗りをしてもらい、当方は役員会をこなして第2部から席に着く。
仲間との演奏活動を趣味にする人たちの中には、落語の「寝床」を地で行くような例も少なくない。しかし"Albatross"の技術の高さについては聴くたび感心をする。コンサートは予定よりもすこし長引いて9時すぎに終わった。
"Pauillac De Latour "がウェブ上の酒屋に見当たらないのは、それが店頭に置かれ次第、リュビドオルの原材料として僕が買ってしまうからかも知れない。このところユーロが対円で安くなってきたとはいえ、酒屋がこのワインを仕入れたのはそれ以前のことだし、ボルドーワインの高騰はかなりのものだから、当方も必死の買い上がりである。
本日の午後に購入した"Pauillac De Latour"は、750ccビン1本が14,000円だった。
自分のワインのデータベースを見ると、手持ちの"Chateau Latour"のうち、たとえば1989年に購入した1985年物は750ccビン1本が14,000円と記録されている。つまり同じ蔵のトップとサードのワインが23年を経て同じ値段になってしまった、ということだ。
また、2006年に購入した"Les Forts De Latour"の2003年物は750ccビン1本が9,450円だったが、いまやこの価格にも隔世の感がある。
午後6時50分よりフランス料理の"Finbec Naoto"へ行く。ここのあれこれは本当に美味い。しかも安い。デザートのメニュにイチジクのワイン煮があったので注文して食べてみて「きのうウチで煮たのも、結構いい線いってたじゃん」と思う。
言葉の、気になる用法を数え上げたらきりがない。まともな印刷物ではいまだ見ることはないが、ウェブ上や話し言葉では毎日のように見聞きせざるを得ないもののひとつに"reasonable"と「安価」を同義とするものがある。"reasonable"が「安価」に通じることはない、読んで字のごとくそれは「理に適った」という意味だ。
麻生首相がホテルオークラの"Orchid Bar"でお酒を飲んだら新聞記者がこれを「夜の豪遊」と書き立て、それに対して首相は「ホテルのバーは安い」と答えた。この場合の「安い」は"reasonable"の意味で、別段、僕は麻生太郎の心情的同調者ではないが、ことこれに限っては彼の言葉遣いは間違っていない。
夕刻、自分の山を丹精している人からイチジクをいただく。これはワイン煮にすると家内が言うため、会社の研究開発室でスパイスの調合をする。ワインは何を用いようかとしばらく考え、結局"reasonable"よりも遙かに価格の低い、つまり対費用効果の飛び抜けて高い"merlot"に決める。
紅葉を観ようとして日光を訪れる人の数が頂点に達するのは来月の1、2、3日と思われる。この連休中には販売係トチギチカさんの結婚式があり、また同時期に「日光そばまつり」が開催されて、そこにはウチも店を出すから社内的な配置転換だけでは済まない人員不足が予想される。
そのため長男を手伝いに呼び寄せるべく、きのう下今市駅で11月1日の下りの切符を買おうとしたところ、その日の特急券はほとんど売り切れていた。当方は何とか1枚を確保したが、ただ漫然と始発駅の浅草まで行き、「満席」の赤文字がびっしり並んだ電光掲示板を見上げて呆然と立ち尽くす人も多く出てくるのではないか。
「行けば何とかなる」旅行や行楽もある。しかし5月の連休と紅葉時期の日光だけは「行けば何とかなる」で出かけると、移動もできなければ食事もできないなど、とんでもないことになる。
僕が地元の人間として推奨する「日光そばまつりを10倍たのしむ法」はズバリ、以下である。
1.何ヶ月か前に「朝食のみ」のプランで日光市今市地区の旅館を予約しておく。
2.クルマは渋滞で役に立たないため、往復の鉄道切符を確保しておく。
3.日光市今市地区にある好みの料理屋や飲み屋を、何日か前に予約しておく。
4.「日光そばまつり」の資料や日光市今市地区中心部の地図を手に入れておく。
5.早朝と夕刻は気温が下がるため、ひとりあて2個のホカロンを用意しておく。
6.旅館に着いたら夕刻になるのを待ち、予約しておいた料理屋や飲み屋へ行く。
7.翌朝は、食事を済ませたら即「日光そばまつり」の会場へ向かう。
8.シャトルバスは渋滞に巻き込まれるため、早めに帰路に就く。
長男がちょっとした国家試験に合格したため、銀座で一夕おごってやると提案をしたところ、11日も「おぐ羅」でメシを食わせてもらったからそれで充分だという。長男は小さなころからことほど左様に張り合いのない子供だった。ところがしばらくして「しかし岡田であれば」というようなことを言ってきたので「だったら」と、銀座で4時40分に待ち合わす。
晩飯の前に「島村達彦追想展」の開かれている、数寄屋通りの「柳画廊」へ行く。島村さんの絵は、それが「明日の友」の表紙に採用される以前から好きで、版画であればウチにも何点かはある。
30年ほども前に何度かお会いしたことのある、島村さんの奥様とも親しく話をさせていただいて後、夜の街へ出る。
税理士スズキトール先生に求められていた書類を、期限より10日も遅れて提出する。事務係コマバカナエさんから「17日までに」と頼まれていた資料はいまだできていない。
ラーメンとおむすびの昼飯を食べるあいだに僕を呼び出す館内電話を数えていたら、先週の金曜日にはこれが6本にも及んだ。みずからを煩わす諸々がそれほど多いなら電話のかかってこない夜中か早朝に時間を割けば良いようなものだが、そのころには生憎と当方は眠っている。
ところが今朝は首尾良く午前3時30分に目が覚めた。よって即刻起床して事務室へ降り、コマバさんに手渡すためのものを作ってしまう。
五穀豊穣と商売繁盛を祈る恵比須講を、終業後に居間で行う。
日光の紅葉は中禅寺湖畔のそれがいよいよ盛りを過ぎ、現在はいろは坂の上部から徐々に高度を下げているらしい。紅葉見物のツウがこれらの場所に昼日中に行くことは決してない。彼らはいまだ暗いうちに出発し、朝飯までに帰宅する。
本日は開店前から駐車場にお客様がいらっしゃったため、掃除をしながらそのうちのおひとりと言葉を交わすと、今朝は朝6時台から渋滞が始まっていたため、馬返しつまりいろは坂の手前で引き返したという。
いろは坂の上りは9.5キロで下りは6.3キロと地図にはあるが、数日前の日中にはこの上りに最大で4時間を要し、きのうは朝の8時でも1時間を要したとは、タクシーの運転手さんからの情報である。
学生のころ湯元のスキー場へひとりで行き、帰りに湯滝の上のあたりで、早稲田大学に留学しているというハワイの学生ふたりをクルマに乗せたことがある。冬枯れの林と凍結した地面から解放された彼らのうちのひとりに、日光はどの季節が推奨されるかと訊かれた僕は、即座に「夏と冬」と答えた。
するともうひとりが「ガイドブックには紅葉の秋こそ日光の最もすぐれた季節と書いてある」と言うので「夏の草いきれや冬の寂しさが良いんだ」と答えたが、その英語が相手に通じたかどうかは知らない。
とにかく僕は、会社の繁忙と重なるため日光にいても奥日光の紅葉を見ることは少ない。もっとも、その山で採れたキノコを食べることは秋のあいだに何度もする。
店舗駐車場の坪庭に包装係のアオキマチコさんの植えた朝顔が、忘れたころになってまた花を開く。これは一体全体、いつごろまで咲き続けるものだろうか。
太陰暦から太陽暦に変わった当初、俳句を詠む人たちは季語の扱いに随分と戸惑ったという。植物の改造により冬にも元気な夏の草花、冬にも成る夏野菜などが出てきてしまうと、そこでまた季節感は薄れていく。
神道の五十日祭を仏教における四十九日のようなものと解釈して良いものかどうかは知らない、とにかくその席へ列するため午前11時に瀧尾神社へ行く。神道とお酒とは切っても切れない縁があり、しかも供養とあれば余計にお酒の出番ではあるが、場所を変えての直会が終了するまで飲酒は避ける。
帰社すれば案の定、矢継ぎ早に電話が入り、酔っていてはそういうものへの対応が鈍るから、お酒を遠慮したことは間違いでなかった。
夕食においては今月5度目の断酒をして早めに就寝する。
夕刻に店へ行くと「社長、らっきょう、ギリです」と、販売係のトチギチカさんが言う。この場合の「ギリ」とは決して「義理」のことではない。
むかしフィリピンのセブ島に社員旅行を決行した会社がある。布のどういう構造によるものか、あるいは本人の体型のせいもあるのか、ギリギリの水着を着た女子社員がいて、この人の愛称はその日から「ギリギリガール」になったという。
トチギチカさんの言った「ギリです」とは、ニュアンスとしてはこのギリギリガールの「ギリ」に近い。
ウチではできるだけ新鮮な味をお客様にご提供するため、その日に売れる個数を予測し、売り切れに至るギリギリのところを狙って商品を作る。本当に売り切れてはお客様にご迷惑をおかけするから、実際のところは売り切れないギリギリのところを狙って商品を作る。
ところがきのう立てた販売計画はギリギリ過ぎて、特にらっきょうについては売り切れるかも知れない、というギリギリのところまで本日は行ってしまったわけだ。
一方、日本橋高島屋にきのうから出品している「リュビドオル」の様子を見に行った家内からは「明日は売り切れ必至」の電話が入る。よって「あちらの方もギリギリ過ぎたか」と、すこし後悔をする。
今夜は14年前の安い赤ワインを飲んで捲土重来である。
初更に飲み屋の「和光」へ行き、カウンターのもっとも奥のひとつだけ空いた席に着いたとたん、常連客のひとりが「ウワサワさんにぴったりの肴があるんだよ、イワシメンタイ。食べる?」と口を開く。
イワシの腹にはイワシの卵の入っていることが順当であるにもかかわらず、そこにスケソウダラの卵を詰め込んだものがいわゆるイワシメンタイで、つまりイワシメンタイとは、火星人の子を宿した地球人のようなおもむきのものである。
これを食べたことは多分、人生の中で一度あったか無かったかで、とにかくみずから進んでこれを食べた記憶はないが「ウワサワさんにぴったりの肴」と言われて断るわけにはいかない。
「和光」のオヤジさんの魚の焼き方はそれはそれは丁寧で時間がかかる。「結局、イワシメンタイは出てこないのかも知れない」と考え始めた矢先、いきなりそれは目の前に届いた。そしてその、火星人の子を宿した地球人のようなおもむきの焼き魚を食べてみれば予想外の美味さで、聞くところによればこれは常連客の奧さんが作り、それを亭主である常連客が持ち込んだものらしい。
ひとりふたりと客の去った後には"ISUKA"の信玄袋から吉行淳之介の「やややのはなし」を取り出し、これを読む。残りページの少ないところから「これを読み終えたら活字が枯渇してしまう。どうしよう」と心配したが、最後の「川端康成その円弧と直線」は僕にとって、あるいは酔った頭には難しい内容だったため、ゆっくりと咀嚼するようにペイジを繰り、「あとがき」に至ったところで今夜の飲酒を締める。
初更に4階へ上がると、東京の古い飲み屋の匂いがする。飲み屋と言っては語弊があるかも知れないが、それはたとえば銀座の「三州屋」や浅草の「志婦や」の匂いで、その匂いをよくよく思い出してみれば、魚を甘辛く煮る匂いである。
よって今夜のおかずは魚の煮つけと予想しつつ食卓に着いたところ、そのようなものは一切なくて狐につままれた気分になる。
もっとも飲み屋の匂いは飲み屋の匂いなので、夕刻までは今夜の断酒を決めていたが急遽その決定を覆し、窓の外の丸い月を観ながら飲酒を為す。
おととし平成18年度の瀧尾神社当番町会計を僕は務めた。この関係書類すべては僕の事務机の脇に保管してきたが、いつまでそこへ置くわけにもいかない。だったらどこかにしまえば良さそうなものだが、大切にしまい込んで後にその場所を忘れるという悪癖が僕にはある。
よってこれら金銭出納帳、請求書、支出証拠書、入金帳、小切手帳、決算書など一切をウチのトートバッグへ入れ、イワモトミツトシ春日町1丁目自治会長の家へ運ぶ。
これにて僕の当番町会計の仕事はすべて完了した。次に我が町内に当番町が巡ってきたときにはだれが会計を務めるか。その更に次の当番町における引き継ぎを考えれば、できるだけ若い人がその任を担うべきと僕は思う。
自由学園の体操会の日には、普段づかいの、そして光学ズームの機能を備えていない"RICOH GR DIGITAL"は家に残置し、予備機の"RICOH R8"を持参した。そしてここで、メシの画像を撮るなら、そしてISO感度を上げたときのノイズを無視することさえできれば"GRD"よりも"R8"の方が断然すぐれている、ということに気づいた。
というわけでこれからしばらくのあいだ、日常のメシは"GRD"ではなく"R8"で撮ることとする。
閉店後、長男およびその同級生3人に家内を加えて店の外でバーベキューをする。
「ハチミツ色で目のぱっちりした女? あー、それはまた僕の好みでもあります、欲を言わせていただければ、更に歯が目立っていたら良いなぁ」
「マチャミみたいのですか?」
「あれはガチャパでしょ、そうじゃなくてメイボーコーシってのがあるじゃないですか」
と、この程度のヨタ話しかできない自分が情けない。僕よりもずっと頭の良くなってしまった彼らは下今市駅19:52発の上り特急スペーシアに乗って去った。この2日間の連休が晴天に恵まれたことを喜びたい。
7時30分より店舗駐車場にちらほらとクルマが停まり始めたため、お急ぎであれば店舗ではなく事務室から入店していただいてのお買い物もできる旨を、それらの一台一台にお伝えする。
そうするうち事務室からのお客様の出入りが繁くなった。よって混乱を避けるべく定時の15分前に店を開ける。きのうの不安定な天気とは打って変わり、本日の空には早朝から雲ひとつない。
長男の同級生3人が昼ごろ東京から遊びに来て一旦、隠居へ去る。
夜7時より彼らと晩飯を始めるが、ふと気づくと僕の正面に座った家内が目を閉じている。「眠そうですね」と、とりあえず声をかけると長男が「だってもう1時だよ」と言う。お酒を飲みながら時を忘れて6時間も話し続けるとは、僕の体内にアドレナリンが噴出していたのだろうか。
というわけで深夜の1時30分に就寝する。
子供を持つということは、ある種の"risk taking"だ。リスクのあるところにはまた"return"もある。
長男は自由学園に10年を学んで今年の春に卒業し、それと入れ替わりに今度は次男が入学をした。というわけで本日はその次男の参加する体操会を観るため、下今市駅7:04発の上り特急スペーシアに乗る。
ここ数日の天気予報は二転三転して大いに気をもんだ。午前中は小雨がぱらつく程度、午後からは晴れとの直前の予報だったが、それに反して弱くない降りになるひとときもあり、その間隙を突く形で午前11時にようやく体操会は開会された。
各学年の体操、演技の開始が雨により中断される一幕もあったが、昼を過ぎるころより空はいきなり晴れ渡り、午後は一転して日差しが暑さを感じさせるほどになった。当方は次男の姿を探すほかに男子部の他の面々も確認しようとして、大芝生のまわりを行ったり来たりする。
「成長の過程を日々見ることができない、という意味において、子供を寮に入れることへの踏ん切りがつかなかった」という人が、自由学園の卒業生の中にさえいるのは残念なことだ。離れていた方が子供の成長の明確に伝わることは、落語の「藪入り」を聴くまでもない。
男子部の組み立ては大一番の「俵」も何とか成功し、ウィンドオーケストラの「掲げよ旗を」に送られての退場までを存分に愉しんで帰宅の途に就く。
結婚前の家内が家族と住んでいたマンションに、野菜や果物をトラックに乗せて売りに来る八百屋がいた。八百屋のオヤジさんは時として、ドアを開けて対応するお得意さんに「今日は良いもの無いから買わない方がいいよ」と言って、次の家に同じことを伝えるために去った。
「買わない方がいいなら、わざわざブザー鳴らすことないのに」と家内の母は笑ったが、住民はこのオヤジさんのそういう律儀さを知っていたから、却ってこの八百屋は繁盛していた。
昨年の正月、アメリカの不動産投資信託を買ってくれと、僕に強く薦めた銀行の人がいる。やはり昨年の初冬、北京オリンピックが終わっても上海万博が終わっても中国の社会基盤整備はまだまだ足りていず、だから中国の株高は長く続くと、中国株の投資信託を僕に熱く薦めた証券会社のオニーチャンがいる。
銀行の人は商品を客に薦めるだけでなく、自分でも勝負をする見上げたばくち打ちだっただけに、今ごろはどれほどの損を抱えているだろうかと、陰ながら心配をしている。あるいは客を尻目に自分だけは空売りで逃げ切ったかも知れない。中国株の投資信託を薦めまくっていたオニーチャンについては、どうだろう。
「買わない方がいいですよ」と言う銀行や証券会社の営業係がいれば、お客は却ってその人からものを買うと僕は思う。
"My Favorite Things"という曲がある。多くの歌手や音楽家たちがこれを歌い、あるいは演奏をしている。その中で自分のもっとも好きな1曲を選ぶとしたら、という議論があったとする。
「ジュリー・アンドリュースに決まってるでしょ、それ以外はゲテモノよ」
「コルトレーンしかねぇだろう、当たり前ぇじゃねぇか」
その場に集まる面々がうるさければうるさいほど、この争議は長引くに違いない。
ジュリー・アンドリュース、ジョン・コルトレーンは無論のことサラ・ヴォーン、ラリー・カールトンなどなど、幾人もの音楽家たちによるこの曲を聴いてきた僕がもっとも推す"My Favorite Things"は、"Tha Supremes"が1965年に録音したクリスマス・アルバムにおけるそれである。
明るく可憐でメリハリのあるダイアナ・ロスの発音、しかしどこか寂しさを感じさせる歌詞と歌声。バックはニューヨーク ・スタイルのゴージャスなビッグバンド、ひたすらかっこいいドラムスとベース。
その"My Favorite Things"を含むクリスマスソング全12曲を収めた、この記念すべきCDを年末までに100枚そろえようと目論んだのは先月のことだ。早速に知り合いのレコード屋イワハシトシアキさんに探してもらったところ、国内には37枚しかなく、残りの63枚は英国で手当をするしかないとの答えが戻った。
東芝、ソニー、ビクター、コロンビア。レコード会社の知名度は一般に高い。だからCDの100枚などはすぐに手に入ると楽観していたが、一部の流行歌を除いてそのプレスされる枚数は極端に少なく、クリスマスソングのように季節性のあるものは特に、年末が近くならなければ再版はされないという。
ところで今月2日の日記にも書いた通り、国内からの37枚は既にして届いた。残りの63枚については海外からの出荷ということもあり、内心ハラハラするものがあった。その、英国からの小包が本日の午前に突然、配達された。案ずるよりも産むが易し、とはこのことだろうか。
というわけで遂に集まった100枚はまとめて箱に入れ、これを会社の奥の奥へと安置する。
地下鉄に乗って吉行淳之介の「やややのはなし」を読む。吉行はこの中の「色川武大追悼」で「これ(怪しい来客簿)は、私の最も好きな作品である」と書いている。色川の同じ小説について山口瞳は「一読して文字通り驚倒した」と、どこかで言っていた。「怪しい来客簿」は僕にとっても、忘れがたい文章のひとつだ。
気楽な街歩きであれば間違いなくTシャツ1枚の季候だが、そうはいかない事情が本日はある。ネクタイを締めたシャツの内側にじっとりと汗をかきながら池袋、湾岸、日本橋と移動をする。
初更に人形町へ行き、昼間はおかずパンを売っている「たかはし」で小酌を為す。巨人と阪神の首位争いを、店のテレビが伝えている。時間の関係から急いで食べ急いで飲み、8時45分に日比谷線に乗る。
店舗入り口に掲げる季節の文字は、いつの間にか「鬼灯」から「秋惜」に変わった。
どこから飛んできて吹き寄せられるのかは知らないが、歩道の端には結構な量の砂が溜まる。砂をそのままにすればやがて雑草が生え、その景色は目に美しくない。というわけでこの掃除を朝一番から社員たちとする。
夕刻より日本橋へ出て、そこから銀座へ移動する。
「これだけ頑丈に作れば絶対にぶっ壊れません」と仕立屋のキタハラシンタローさんが太鼓判を押したカツラギ地のコートを着て、更にギリシャの漁民の愛用する帽子をかぶっていたため初めのうちは気づかなかったが、どうやら時刻が遅くなるにつれて雨が強くなっているらしい。
深更に及んで遂に傘を差し、甘木庵への道を辿る。
自由学園の同級生コモトリケー君の語った本の名前で今でも覚えているのは「俺様の宝石さ」と「酒飲みの詭弁」のふたつだ。前者は高等科のときに聞き、後者はコモトリ君が慶應義塾大学へ行ってから聞いた。
浮谷東次郎による「俺様の宝石さ」は当時、幻の著作だったがその後に復刻され、今ではどこでも買うことができる。高橋義孝による「酒飲みの詭弁」については決して忘れることはなかったが、30年ちかくも縁なく来てしまった。
本を探す場合Yahoo!オークションを頼る手もあるが、"amazon"で検索をかけると意外やオークションよりも安く出ていることが多い。と、そういうことを知りながら「酒飲みの詭弁」についてはなぜこれまでそれをしなかったのだろう。というわけで"amazon"に出品をしていた個人から本日、この本が届く。
内田百閒とその弟子の高橋義孝に共通するところのひとつに「頭のネジが一本、ゆるんでるんじゃねぇか」と感じさせるボケっぷりがある。夕食の前にこれをパラパラとめくれば勿体なくて読めない文章の集積にて、しばらくは枕頭に置いたままとする。
日本経済新聞に広告を出すほどの研修会社が、2005年11月に亡くなったオヤジの名前でダイレクトメールを寄こしたため、本人は既にして死亡した旨をファクシミリで知らせた。ところがこの会社は更にオヤジの名前で資料を送り続けてきた。よって研修申し込みの電話番号を回し、名簿管理もできない会社がどの面を下げて人を教育するのか、と強く注意をした。
地元選出の代議士の後援会事務所から数日前に、オヤジの名前でA4サイズの封筒が届いた。ここにも前回、本人は既にして死亡した旨をファクシミリで知らせてある。名簿管理もできない事務所に有権者のためのまともな仕事ができるか、と強く注意をする手もあるが、こちらについては地元ということもあり、死んだ人の名前でいつまで手紙を送り続けるか、黙って見ていようと思う。
10年ものあいだ買い物をしていない漬物屋から、いまだに季節の挨拶が届く。この店の顧客名簿は、いわば死んだ名簿ではないのか。1980年代に、この漬物屋を取材したテレビ番組を見たことがある。奥の和室には"PC-9801"が5台も並べられ、それらのすべてには電源が入っていた。
しかしこの漬物屋については、前述の研修会社や後援会事務所に対してのように「バカタレ」と腹の中で言うことを僕はしない。いくらコンピュータの記憶容量の低い時代だったとはいえ、会社の規模からしてそれを5台も並べるのは明らかに変人の所行であり、変人とはまた希な人の代名詞でもあるからだ。
午前1時40分に目が覚め、一向に眠くならないため、顔を洗って服を着る。何かしようとしても、こういうときに限ってコンピュータもメガネも持ち帰ってはいない。よって深夜のうちから事務室へ降りる。
きのうの日記はきのうのうちにテンプレートへ収めてしまった。したがって今朝は9月30日に行われた「第184回本酒会」の会報を書き、そのウェブペイジ版も作成してサーヴァーへ送る。
暗くなってからいよいよあれこれの能率が上がり始まる、という人がいる。僕はその逆である。話し合いの席から流れた夕食では飲酒を避け、帰宅して10時に就寝する。
「シティカードジャパンと"amazon"が提携してカードができたけど、これは便利だよ」と、"amazon"で買い物をするたび宣伝されたのは昨年初夏のことだった。どこで利用をしても、そのポイントが"amazon"での買い物に使えるところから、僕はこのカードを同年7月7日に作った。
そうしたところ今朝10時にシティカードジャパンからメイルが届き、このカードはたとえ有効期限が残っていたとしても「諸般の事情により」本年12月15日を以て使えなくなるという。クレジットカードの寿命が僅々1年半とは、えらく生き急いだものだ。
現在これを携行して海外を放浪中であり、いざ12月16日になっていきなり航空会社のカウンターやホテルのフロントで「どうやらサービス終了のようですね」と言われて路頭に迷う人も出てくるのではないか。
というわけで僕はこのカードの裏に赤いフェルトペンで「2008.1215マデ」と大書した。
夕刻、「結庵」のおむすびのための新米が日光市内から届いたため、終業後にこれを精米所で精米する。その足で会席料理の「ばん」へ行き、5,000円のコースを食べる。
先日ヤフーオークションで落札した、荒木経惟の「食事」が届く。1993年1月21日の第一刷が瑕疵のない形で1万円とは上出来の取引だった。普段であれば3万円から3万5千円はしてしまうこの写真集に今回、僕以外ひとりの入札者もいなかったとは、一体どのような理由によるものだろうか。
今日はまた「イワキインフォテインメント」のイワハシトシアキさんから、"The Supremes"のCD"Merry Christmas"が大量に届いた。僕は先月、クリスマスソングの中から気になるものばかり200曲ちかくを選んで聴いた。それだけ聴いてもなお、20年来ウチで愛聴してきたこのアルバムは頭抜けて素晴らしい。
今年も残すところ、あと3ヶ月である。
白洲次郎の英雄伝、正子の非常に広範な骨董趣味をすべて思惑の外に追いやったとしても、次郎が英国留学中に使ったクルマが"BUGATTI 35"であり、正子との結婚に際して父から贈られたクルマが"LANCIA LAMBDA"だった事実のみを以て、彼らの目利きぶりの尋常ひととおりでないことが理解できる。いや、クルマの選択眼のみを採りあげれば、この場合の美意識は次郎ひとりに該当するものであって正子は関係ないか。
9月23日まで銀座松屋で開かれていた「白洲次郎正子展」の入場券2枚を叔母にもらったけれど、そのときの僕に空いた時間はなかったから、これは長男に送付した。長男からは数日後にメイルがあって、そこには「ブガッティとベントレーは写真パネルで紹介されていたものの、ランチアラムダについては一言もありませんでした」との報告が含まれていた。
とにかく、白洲次郎と正子についての展示を行うなら、"BUGATTI 35"と共に"LANCIA LAMBDA"への言及は欠かせない。「キュレーター君、そういうときにはひとこと僕に相談をしてくれたまえ」と言いたいところだが、僕のことなど誰も知らないから声はかからない。
ところで「旧いクルマを所有し、それをより良く直したいという気持ちがあり、しかし大したお金はなく、待つことだけは厭わない」という人があれば、日光市のタシロジュンイチさんにそのクルマを預けるべきだ。ランチアラムダのボディに応力をかけ、そのたわみ具合にいたく感心した経験のある自動車のメカニックは、そうはいない。ランチアラムダは史上初の、モノコックボディを持つクルマである。