朝6時に起床して事務室へ降りる。
「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝」 プレゼント は1月8日に開始され、その後、順調に応募者数を伸ばしてきた。高島屋でのイヴェント中も、僕のコンピュータはこの応募を受け入れ続けたが、そのひとつひとつを開いて確認することはしなかった。1,400通を超える未読分については、今日の午前中に、すべて目を通すことと決める。
メイラーを回し、メイルと ウェブショップ の受注を確認する。
朝飯は、厚揚げ豆腐の煮びたし、アゴの丸干し、メンタイコ、ピーマンの油炒め、塩引き、豆モヤシの油炒め、納豆、メシ、ユキナの味噌汁。
小学校1年生の次男を登校班の集合場所まで連れて行ったとき、となりのユザワクニヒロさんが、昨夜、もらい火をして全焼した 「ラーメンどんべい」 の店主ババさんの家の片づけを、10時までしていたことを知る。誰の家が焼けたかの確認もせず、早々と帰宅して、食べかけのヨーグルトを胃に収めていた自分を、恥ずかしく思う。
始業後、近火見舞いということで、ふたつの銀行の行員が、タオルを持って来社する。僕も、火事現場ちかくのお得意さん宅へ、お見舞いに行く。
黄色い立ち入り禁止のテイプが張られた先に、ババさんと奥さん、それにふたりの女の子が立っている。思わずテイプをまたぎ、近寄る。
「ババさん、このたびはとんでもないことで。子どもさんの洋服は、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
ババさんは笑っている。僕は奥さんを見る。
「命や体にはなにも無くて、良かったですね」
「えぇ、ホントに」
ババさんの一家は、しばらく、店舗の2階で暮らすという。そういう場所があって良かったと、心から思う。
午後、次男とキャッチボールをするためのグローブがなかったことを思い出す。次男はこれから学校で、どのクラブに入るのだろうか? サッカー部が人気だろうけれど、僕は野球部へ行って欲しい。サッカーは英語以上の国際語という言葉もあるが、野球は第一、ロマンティックだ。
検索エンジンに 「ローリングス」 と 「グラブ」 のふたつの語句を入れて回す。何番目かに、「イチカワスポーツ」 がヒットする。商品一覧から、僕のためにローリングスのレジースミスモデルと、次男のためにゼットのSSサイズを選び、メイルにて在庫の問い合わせをする。
15分後に、係のイチカワナオユキさんから返信がある。ふたつのグローブは、3月7日に必着するという。僕はこのところほとんど、インターネットでのみ買物をしている気がする。
夕刻、本酒会のコバヤシハルオ会員に電話をし、「今夜、一緒に飲もう」 と伝える。
夕刻7時に、「市之蔵」 へ行く。冷酒を頼む。本日の 「頼まなくても出てくるもの」 は、ウナギの柳川風と、ヒジキとダイズの炊き物、僕が店主のナガミネユミコさんに、高島屋のおみやげとして渡したばかりの、つまみあご だった。
持ち込んだわさび漬けにて、水ダコの刺身を食べる。イワシのフライを経て、ミニグラタンにて締める。
国立劇場の裏手、隼町にむかし、
綿引
自動車という塗装工場があった。ここのナカオキミツルさんは顔見知りだが、彼の書いた本に、「力道山のロールスロイス」 というものがある。
おしゃれな力道山は、ジムから帰ってスーツへ着替えるとき、それまでのロレックスを、パテックフィリプに巻き替えた。ロードワーク用の自転車は、チネリだった。ビジネスの場へおもむくときはロールスロイスに収まったが、操縦を楽しみたいときはマセラティに乗った。
その、クーペと4ドアの2台のマセラティについて、後からカウンターに座ったキシさんと話す。
なんだか知らないが、2皿のおからと大量のサラダが出る。おからを食べ、サラダをコバヤシハルオ会員と分けて平らげて時計を見ると、10時30分になっている。
飲み食いする速度の高い僕は、普段、小一時間ほどしか飲み屋には滞在しない。今日は3時間30分も、飲酒を続けていたことになる。あわてて勘定を頼み、外へ出る。
帰宅して入浴し、枕元の本を少し読んで、11時30分に就寝する。
朝6時に起床する。
事務室へ降り、メイルを受信する。patioに1本の返信を書いて送る。きのうの画像をカメラからコンピュータへ取り込んだところで居間へ戻る。
朝飯は、ノリの佃煮、アジの干物、メンタイコ、厚揚げ豆腐の煮びたし、納豆、メシ、ユキナとお麩の味噌汁。
午前中、高島屋での7日間の期間損益計算書を作成し、これを社員用通路に掲示する。午後おそくに、ようやくきのうの日記を完成させて、サーヴァーへ転送する。
先週の水曜日から8日のあいだ飲酒を続けたため、今夕はカスピ海ヨーグルトとイチゴのみを摂取する。その最中に、火事を知らせるサイレンが鳴る。
どうせ見えるところに火はないだろうと思いつつ、窓の既に綴じられたカーテンを開き、左から右へ視線を移動させると、すぐ近くに、勢い良く焼ける家がある。思わず 「うわーっ」 という声が出る。
家内を呼び寄せる。7歳の次男を窓辺の椅子に立たせ、「よく見ろ、あれが火事だ。火遊びをすると、家が燃えちゃうんだ、分かったか?」 と言う。
野次馬根性は希薄だが、同じ町内の火事とあっては、いろいろと確かめなくてはいけないことがある。また、遠くから見て、僕の家が火事ではないかと、問い合わせをしてくる人も、いるだろう。
「これだけじゃ、ちと寒いな」 と認識しつつ、シェラデザインのマウンテンパーカを着る。携帯電話と家の鍵をポケットに入れ、外へ出て駆け出す。
知った顔が、たくさん道に出ている。消防車は来ない。否、消防車も懸命に出動はしているのだろうけれど、火事場でその到着を待つ身にとっては、1秒1秒が、とても長く感じられる。
近所の奥さんが、「救急車、救急車」 と叫びながら、燃えさかる家に近づいたり離れたりしている。携帯電話で119番を回す。「春日町の火事現場ですが、救急車はまだですか?」 と、係官に伝える。「いま、現場へ向かっているところです」 という、至極当然の答えが返る。
一般市民による消防車が、真っ先に駆けつける。桜木町の消防車だ。大谷向の消防車も来る。住吉町の消防車も来る。消火栓を探して何人かが右往左往している。普段水量の多い川はなぜか今の季節、上流で流れを絞っている。ようやく放水が始まる。
クルマで火事の見物に来る馬鹿がいる。狭い交差点に立って、「入ってくるな」 「バックしろ」 「あそこでUターンして帰れ」 と、大きな声で伝える。「親戚がこの近所に住んでいるんですけど、火事はどこですか?」 と訊く人に、道案内をする。
燃えたのは木造の家屋にて、放水による鎮火は早かった。現場も落ち着いてきたため、家へ戻る。
食べかけのカスピ海ヨーグルトを、すべて胃に収める。入浴して本を読み、10時に就寝する。
またまた素っ裸で目を覚ます。点けっぱなしになっていた枕頭の明かりを、明け方に落としたような気もするが、定かではない。シーツの上にタオルが敷いてあるところをみると、風呂上がりの汗ばんだ体に、いきなりパジャマを着ることを厭い、しばしのつもりで、裸のまま横になったのかも知れない。
起きて冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して飲む。7時になっている。洗面し、会社のpatioに5本の返信を書いて送る。
昨夜、八重洲の 「昌月苑」 にて焼肉パーティをしたにもかかわらず、とても腹が減っている。新橋第一ホテルの明るくて広いコーフィーショップにて、ゆっくり朝飯を食べようかとも考えたが、その時間は無い。ちかくの 「松屋」 へ行く。「ハムと目玉焼き定食、選べる小鉢は麦とろ」 を食べて部屋へ戻る。
持ち物を整理し、棚に重ね置いた8日分の衣類をトランクへ格納する。コンピュータやモバイル道具は、別途、プラスティックのカゴにまとめる。これをフロントに預け、チェックアウトをする。
烏森神社の参道を抜け、新橋から地下鉄にて日本橋へ出る。高島屋へ入り、6階の 「たくみ」 へ行く。
係のフシミさんがいる。きのう目をつけた小鹿田焼の水瓶に、売約済みの赤い札が貼ってある。約束通りに裏を返す僕も律儀なら、しっかり赤札を貼ったフシミさんも律儀だ。ヴィエトナム製のザル5枚と共に、これの送りを頼む。
地下1階へ降り、必要な食料品を購う。イヴェントを管理した味百選売場へ挨拶をし、係のノノミヤフミさんと共に屋上駐車場へ上がる。ノノミヤフミさんが、駐車場係に何ごとかを伝える。巨大なエレヴェイターにて地上へ降り、中央通りを北上する。
室町まで進んだところで、いまだ新橋のホテルに、荷物の預けてあったことを思い出す。
江戸通りを走り、新常磐橋の交差点から外堀通りに入る。このあたりには今でも、東京オリンピック以前の東京の景色が、うっすらと残っている。呉服橋、鍛冶橋、馬場先門、内幸町と辿って、新橋に至る。
三菱デリカの鼻先を、縦列駐車の隙間へ強引に突っ込んで停める。荷物を積み、急いでクルマを発進させる。
ふたたび内幸町の交差点に出る。同級生の、コモトリケイ君の勤める会社が見える。クレイジーキャッツ主演の名作 「ニッポン無責任時代」 が撮影されたのは、このあたりではなかっただろうか。
和田倉門から神田橋まで来ると、いつの間にか道の名前は本郷通りとなる。小川町から駿河台、聖橋の先を右折して昌平橋通りへ入る。神田明神下、三組坂下、嬬恋坂下、湯島中坂下、湯島天神下と、ずっと下、下、下と来て、不忍通りを抜ける。
僕が学生のころラヴホテルだった場所に、今は堅い金属会社が建っている。横山大観美術館前から団子坂下、道灌山下、西日暮里と順調に走り、扇大橋から首都高速道路へ上がる。
午後の早い時間に、無事に帰社する。社員の手を借りて荷物を降ろし、各々を仕分けする。会社の各部署へ足を運んで短い報告をし、礼を述べる。
夜7時30分より、本酒会 2月例会のため、「やぶ定」 へおもむく。
初っぱなの酒は、この時期に毎月届く喜久水酒造の 「
一時
」 だ。例によって、コバヤシハルオ会員が、慎重に抜栓をする。慎重に扱っても、一時は油断のならない酒だ。およそ60CCほどを、噴出により失う。
その一時を、コップになみなみと2杯、飲む。続いて8種のお酒を少しずつたしなみ、「蕎麦屋のラーメン」 にて締める。
9時に帰宅し、入浴して9時30分に就寝する。
朝5時30分に、素っ裸で目を覚ます。風呂場も含めて、部屋の明かりはすべて点灯している。まぶしくないようそれらを絞り、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して飲む。
風呂の湯を満たしている最中に眠ってしまった昨夜においても、当日の日記はほとんど書いてあった。それを完成させ、なお、今月18日以降の日記を彫琢する。
日の昇るころになったため、カーテンを開く。汐留のビルの窓に、オレンジ色の光が反射している。「よーし、晴れた」 という言葉が、思わず口をついて出る。
新橋の雑踏を、朝日に向かって歩く。9時前に日本橋へ達する。「小諸蕎麦」 にて、肉うどんと山かけごはんのセットを食べる。9時10分に高島屋の通用門を入り、開店前の仕事をする。
早い時間から、今日は来店客が多い。レジスターから吐き出される数字が、見る間に増えていく。
午後1時30分に、新館6階のお好み食堂を目指す途中、「たくみ」 の売り場に、小鹿田焼の大きな水瓶を見つける。焦げ茶の肌に薄緑と飴色の太い刷毛を走らせた上出来のものにて、思わず足を止める。
「あら、たまり漬のウワサワさんでいらっしゃいますか?」 と、女店員から声をかけられる。その瞬間、複雑な気持ちが心をよぎる。女店員は、先ほど、地下1階の当方のブースにて、買物をしてくださった方だった。
「どうですか? なにかおひとつ」 と話しかけながら、女店員が片口のような意匠のジョッキを僕に見せる。
「えぇ、それも悪くはありませんが、この水瓶、良いじゃないですか」 と、つい口走ってしまう。カードでなくては購えない金額のものにて、しかも目の前の女店員は、僕の正体を知っているときている。
女店員の胸のネイムプレイトに目を走らせて、またまた余計なことに、「フシミさん、明日の午前中、いらっしゃいますか?」 などと言ってしまう。
「はい、参っております。この瓶、良いでしょう? 売約済みの赤札、お貼りしておきましょうか?」
こうして僕は、銀行の現金残高を、どんどんと減らしていく。
「おこのみ食堂」 にて、「おけい寿司」 の 「ちらし並の方」 を食べる。30分後に本館1階から外へ出て、ビルの谷間の "VELOCE" へ入る。150円のコーフィーを飲んで、売り場へ戻る。
友人の、ヨシダゲンゾウさんが来る。友人の来訪は嬉しい。
「いやぁ、有り難う。どうしたの、今日は?」
「いや、ちょっとお忍びで」
「お忍びで」 という割には、高島屋の地下1階で、最も目立っている。
午後から夕刻にかけてはショウケイスの前に断続して人だかりができ、売場から一歩も離れることができなくなる。全17アイテム中の4つに売り切れが発生する。売り切れた商品のスペイスには、ただちに他の商品を広げて、機会損失のキズを、できるだけ軽くする。
結局のところ、この7日間で4番目の売上高を上げ、最終日の商売を終える。
昨年は夜7時の閉店にて、8時30分に撤収を完了した。今年は7時30分の閉店にもかかわらず、流れるような手順を経て、8時40分には、すべての持ち帰り品を、屋上駐車場の三菱デリカに積み終える。
味百選売場の3名に送られて、1階の社員通用門を出る。少し歩いて振り返ると、我々の後ろ姿に向かって、担当のオカダシゲキさんが頭を下げている。オカダシゲキさんにも、その上司のエノモトトシヤスさんにも、教えられることは多い。
8時50分に、八重洲の 「昌月苑」 へ入る。
「焼酎、ビンのまま1本、レヴァ刺し2、タン塩2、カルビ5、グリーンサラダ2、トマトサラダ2、キムチ2、オイキムチ2」 と、立て続けの注文をオバサンに伝え、「あとは、これから考えます」 と締めつつ、紙製のエプロンをつける。
大量の肉と大量の野菜、程々の焼酎と少しの麺にて、最終日の打ち上げを終える。
地下鉄の日本橋駅構内にて、みなと別れる。きのうの雪を経て、すっかり春の気配の濃くなった新橋の街を歩く。
ホテルへ戻ってこの1週間の数字を整理し、明朝、会社のpatioにそれらをアップする準備をする。
それ以降のことは、よく憶えていない。
日記を書く手間がかかりすぎることを不審に思い、昨年と一昨年の2月の日記を調べると、それらより今年のものの方が、極端に文章が長くなっている。また、昨年の東京出張中の日記と今年のものをくらべると、昨年の文体の方が、はるかに雰囲気のあることに気づく。
というわけで、本日の日記より、文章を簡潔にすることと決める。
昨夜、酔って立てた強気の販売予想を、今朝はしらふの頭にて、少しばかり下方修正する。
ホテルを出て、小雨の中を、シェラデザインのマウンテンパーカのフードをかぶって歩く。新橋烏森の
吉野家
にて並盛りと生卵と味噌汁の朝食をとり、9時20分に高島屋へ入る。
地下2階の社員食堂入口にある公衆電話から、おとといの日記をサーヴァーへ転送する。きのうの日記もほとんど書けてはいるが、もちろん、未完成の部分は見えないように、タグでコメントアウトをしておく。
開店後、三菱デリカに残置した用度品を出すため、おととい、「鳥ぎん本店」 にて、砂肝だけで6本も食べたサイトウエリコさんと、屋上の駐車場へおもむく。日本橋上空の氷雨が、ミゾレに変わっている。
「天気のせいにするな、すべては自分の責任だ」 という考え方がある。しかしながらやはり、短期決戦中の降雪は痛い。
売り場へ戻って即、今朝、修正したばかりの本日と明日の販売予想数量を、更に低いものにする。
午後2時30分に出されたレジスターの金額を見て、ついに、本日、イヴェント最終日のために出荷される商品の個数を減らすこととし、これを会社へ連絡する。そうして、僕は重要な任務から解放される。
外では氷雨やミゾレが断続する中を、尺取り虫が100メートルの道を行くような努力を続け、夕刻までに少しずつ売上げを伸ばす。しかしこれは苦しい戦いにて、きのうの6割程度の数字を上げたところで閉店の時間を迎える。
みなで、高島屋南入口はす向かいにある 「高田屋」 の階段を降りる。席へ着き、めいめいが最初のお酒を注文する。僕は、少しは頭が良くなるような気がして、「船中八策」 という名の日本酒を選ぶ。
近くのカウンターから、「日光のたまり漬ってね」 という声が聞こえる。思わず当方5名の耳が、そちらへ向く。「とってもコクがあってね」 までを確認して、みなでニコリとする。
若向きの料理と、くつろいだ会話を楽しみ、本日の打ち上げを、90分後に終える。
外へ出て空を見上げる。ビルとビルとの間に、白と黒のまだら模様がある。「あの黒いとこは雲の穴だろう? あそこは晴れているんだよ、きっと」 などと言いながら、乾き始めたアスファルトの道を歩く。
ホテルへ帰り、昼間、チーズ売り場で購ったカマンベールを食べながら、本日の結果を会社のpatioへアップする。ThinkPadの赤いトラックポイントに、チーズを付着させる。
残された仕事は、明日の販売と撤収、最終の晩飯、そして三菱デリカを運転しての帰社のみとなった。
バスタブへお湯を満たしている最中、風邪をひかないように素っ裸でベッドへもぐりこみ、そのまま推定で1時に就寝する。
朝7時前に目が覚める。額に汗をかいている。多分、寝る前にバスタブへ熱湯を満たすため、部屋の湿度が高く保たれるのだろう。
買い置いたお茶を、冷蔵庫から取り出して飲む。洗面をして、コンピュータを起動する。
目覚まし時計を、7時30分にセットする。会社のpatioにある、いくつかの発言に返信を書く。また、高島屋における曜日ごとのアイテム別売れ数量や、レジの金額の推移をアップする。2、3通のメイルを書き、メイラーを回す。
新しいメイルが入ってくる。それに対しても、返信を書く。7時30分に、時計のアラームが鳴る。今度はそれを8時にセットする。メイルの返信に続いて、おとといの日記の、最後の部分を書きはじめる。更に8時30分のアラームが鳴ったところで、ようやくコンピュータの電源を落とす。
身支度を整え、9時前に部屋を出る。いつもは混み合ってなかなか最上階までは上がってこないエレヴェイターが、今日は即、軽い音と共に扉を開く。
優れた鮨屋を見つけるには、朝の街を歩けば良い。優れた鮨屋は、おしなべて朝が早い。烏森神社ちかくの 「しみづ」 も、既にして朝の掃除を始めている。
銀座口の角の立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 の自動販売機に1,000円札を差し込み、「カレーライス」 「大盛り」 「生玉子」 の、3つのボタンを押す。カウンターに3枚の食券と50円玉を出しながら、オバサンに 「スープ」 と伝える。またウドンの丼でスープが出てきては飲みきれないので、「お椀でね」 とも、ひとこと加える。
地下鉄銀座線の日本橋駅から地上へ出ると、きのうに引き続いて、「ポケットモンスター 『むげん』 のチケットプレゼント」 のための行列が、早くもできている。「子どもってのは元気だなぁ」 と、心の底から思う。
ターミナル駅に接する百貨店は日曜日にも賑わうが、日本橋のようなオフィス街の百貨店は、得てして週末は客の数を減らす。ところが本日は、いまにも雨の降り出しそうな寒空にもかかわらず、なぜか早い時間から客足が多い。
結局のところ、きのうよりも更に高い売上高を上げて、閉店の7時30分を迎える。
初日からずっと売上高が上がり続けるとは、今までにないパターンだ。製造現場から発送する商品の数量は、過去3年間の会期中に描いた、曜日ごとのグラフを元に予測する。しかし、今年はその手が使えない。今夜は、大いに頭を悩ませることになるだろう。
出かけた先で、どこで晩飯を食うか決まらず、徘徊することには我慢がならない。夕刻に予約した、銀座の 「紅虎餃子房」 へ行く。途中、家内に、今日の売上高が、きのうのそれを抜いたことを、電話にて知らせる。
社員は銘々の軽いお酒、僕は扮酒にて、クラゲの冷製や、青菜と湯葉の炒め物を食べる。
聞くところによれば、僕も含めた前半組の5人が 「鳥ぎん」 にて食べた38本の串数を、きのう、家内を含めた後半組の5人は、45本にて抜いたという。フラフラになるまで仕事をしているのだから、焼鳥くらいは、しっかり食べた方が良い。ただし、サイトウエリコさんの、ひとりで砂肝6本というのは、ちと多すぎる気もする。
それぞれのお酒をお代わりしながら、肉付きの北京ダックや、鉄鍋の餃子を食べる。坦坦麺と高菜入りの炒飯にて締め、今日の打ち上げを完了する。
4丁目の路上でみなと別れる。大きくてまっすぐな道は避け、ビルの細い谷間ばかりを選んで歩く。
新橋駅ちかくの、日曜日でも営業しているカジュアルなバーへ入る。既にして酔っているらしく、ホットバタードラムを2杯飲むあいだに、内田百閒の 「立腹帖」 が、たったの4ペイジしか読めない。ブラッディマリーにて、今夜の酒を締めくくる。
部屋へ帰り、コンピュータを起動して、明日、製造現場から高島屋へ直送する商品の数につき、少し強めの予測を立てる。これを会社のpatioへ送るべく、送信箱に保存する。
入浴して、明かりを枕頭のもののみに絞る。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を、数ペイジのみ読む。
推定で、午前2時ころに就寝する。
7時に起きて洗面し、コンピュータの電源ボタンを押す。金曜日の午前中に届けられた薬を、なかなか規則正しく飲むことができない。食後の薬を、朝飯の前に飲む。
2、3のメイルに返信を書く。そのうちの1通は、かなり真剣に書かなくてはいけない種類のものにて、出勤前のほとんどの時間を、キーボードを叩きつつ過ごす。きのうの日記の作成が、手つかずのままに残る。
日本橋の上空は寒々と曇り、いまにも雨が降り出しそうだ。きのうと同じく、「小諸蕎麦」 にて 「かき揚げ蕎麦定食、あったかいの」 と、レジのオバサンに伝える。
中央通りを南へ歩いていくと、「ポケットモンスター 『むげん』 のチケットプレゼント」 なる企画につめかけた親子連れが、高島屋のブロックをほとんど3分の2ほども取り巻いて、行列を作っている。
「みな、風邪などひかなければ良いけれど」 と、心配をする。「ここにいる親にくらべたら、オレなんて、大いに子煩悩さには、欠けるわなぁ」 とも思う。
今日よりメンバーは、後半組のヤマダカオリさんとイシオカミワさん、クロサワセイコさんとサイトウエリコさんの4人に替わる。家内は、日曜日の夕方までいて帰宅する。
9時30分から11時まで、あれやこれやと、必要な仕事に忙殺される。「忙しさを感じるということは、自分が未熟ということだ」 という思いを、いつのころからか持つようになった。ただしこのような考えは、あまり世間に受け入れられるものではない。
ポケットモンスター関係の親子連れが、イヴェント会場から徐々に地下へ降りてくる。また、今日の低い気温にもかかわらず、一般の来店客も多い。ウチのブースも有り難いことに、大いに混雑する時間が何度も押し寄せる。
僕のここでの仕事は、強いて言えば
兵站
だ。1月からの段取りが功を奏し、ルーティンから外れるご注文への対応も、遅滞なく進む。冷蔵庫から現場への品出しも、係のオカダシゲキさんの科学的な指導にて、混乱することなく運んでいる。
「主計衛生が兵隊ならば、蝶やトンボも鳥のうち」 などという戯れ歌を歌っているうちに、日本は戦争に負けた。兵站については、アメリカの主計将校が書いた 「山、動く」 という、とても面白い本があるが、いまここで詳細を検索することはできない。
中央通りと昭和通りとのあいだにひっそりとある、少しうらぶれた風情の中華料理屋 「新華飯店」 が好きだ。きのうの昼は、ここで玉子キクラゲ炒め定食を食べた。今日の昼は、またこの店へ来て、味噌ラーメン半チャーハンセットを食べる。
高島屋の裏手を回り、壺中居の前を抜けて、「丸善」 へ行く。途中、つい最近できたポケモンセンターへの入場を待つ親子連れが、三菱信託銀行のブロックをひと巻きしているところに出くわす。いずれにしても、人が集まり、街が賑わい、物が売れることは素晴らしい。
午後の休憩のあいだに、友人のナカムラマサミさんが売り場へ来てくれたことを、家内から知らされる。「買ったたまり漬は、今夜、友人宅にて飲酒を為す際の肴にする」 との、彼女の書き置きを読む。不在にして申し訳なかったと思う。
水曜日、木曜日、金曜日と売上高は漸増して、本日は金曜日の数字をも抜いて閉店する。本来、高島屋での売上高は、初日の木曜日が最も高く、金曜に落ちて土曜日に上がり、あとは漸減するグラフを描くが、今回のような変則的な日程では、アイテム別売れ数量の予想が、極端に難しくなる。
在庫を切らせれば機会損失となり、しかし最終日に大量の売れ残りを出せば、わざわざ送料をかけて、それを本店に返送するハメになる。会期中、最も頭を絞るのは、最後に送る商品数を決める、日曜日の夜になるだろう。
僕が最も好きな佃煮を作る 「小松屋」 の若主人に、きのうから食事へ誘われていた。誘われてはいたが、「場所はお任せします」 ということで、大いに悩んでいた。小松屋の若主人は、飲酒を為さない。
男ふたりが、週末の晩に食事をする。しかしその片方は酒を飲まない。場所は、高島屋から徒歩あるいはクルマで行くことのできる、そう遠くないところ。こういう検索条件式を与えられると、なかなかその答えが出ない。
最後まで決められず、売り場の後かたづけをしながら困っていたところに、当の若主人が現れる。「知り合いの焼鳥屋と連絡がついたから、そこへ行こう」 と言う。「これで助かった」 と、ひと安心をする。
「小松屋」 のクルマにて、昭和通りから東日本橋へ入り、間もなく両国橋を渡る。若主人は、すっかり浅草の方が有名になってしまったが、どうにかして、両国にもう1度、花火を復活させたいと語る。
僕は知らなかったが、小松屋の若主人アキモトオサムさんによれば、両国橋はほとんど、4つの区に接しているという。役所関係への働きかけも、なかなかに複雑で大変らしい。
2年ほど前にアキモトオサムさんから聞いた、「柳橋の花街がすたれたのは、墨田川の堤防が原因だ」 という、鋭く磨いた鉄棒の先のような批判を思い出す。
錦糸堀公園を丸く囲む道にクルマを停め、懐かしい感じの道を少し歩くと、少し先で男の人が手を挙げている。それが、焼鳥 「小川」 の主人だった。
いまだ新しい、清潔な店のカウンターに着く。メニュをざっと見渡す。「僕、こういう店、大好きですよ」 と、アキモトオサムさんに伝える。アキモトオサムさんはウーロン茶、僕はチューハイグラスの口まで、氷と焼酎を満たしてもらう。
お任せにて、備長炭の薫り高い鶏の首や尻の肉が、次から次へと運ばれてくる。どこかの海の塩を振ったらしい 「塩」 を食べ、上品に甘く、粘度の高すぎない 「たれ」 を食べる。
アキモトオサムさんは酒を飲まない分、食べる速度が高い。僕も必至に追随する。
4年、あるいは5年ぶりに訪れた錦糸町の焼鳥を堪能し、席を立つ。勘定は、アキモトオサムさんが払った。
ふたたび両国橋を渡り、日本橋へ戻る。高島屋前でアキモトオサムさんに別れを告げ、車を降りる。歩道から階段を降りて、渋谷行きの地下鉄銀座線に乗る。
コンピュータを起動する。繁忙と夜遊びの双方にて、おとといの日記も書けていない。これを作成しつつ、眠ってしまう。気がつくと、車両は外苑前に達している。このようなことをしていれば、そのうちに必ず、コンピュータを紛失するだろう。
山手線の少し東側から西端の少し手前までを横断し、表参道駅にて地上へ出る。感じられるか感じられないかの、霧よりも弱い雨が降っている。
"Brooks Brothers" 裏手の "Prassa Onze" に入る。カイピリーニャを注文し、内田百閒の 「立腹帖」 を読む。20分ほどしてから、3名のブラジル人と、ソウルフードというか賄い飯を食べている、友人のツツミチエコさんのテイブルに近づく。
「きゃー、ウワサワさん、どうしたんですか? 自分が一瞬、どこにいるのかの記憶を失いましたよ」
「東京で1週間、仕事をしているんだよ」
「だったら連絡してくださいよー」
「だって君、忙しいでしょ? 電話なんかしたら、迷惑だと思って」
僕の体を引き裂けば、「含羞」 と 「遠慮」 というふたつの言の葉が、1000個ほどは噴出するだろう。
程なくして、電子ピアノとパーカッション、ドラムスにサックスという編成の、ブラジル音楽が始まる。僕の両方の足は自然に動き出し、顔にはほほえみ浮かぶ。ブラジルの音楽とは、そういうものだ。
僕が間に合ったのは、本日最後の第3ステイジだった。ツツミチエコさんに、僕の持っていないCD
目が覚めると7時になっている。なんとか5時間は眠れたことになる。気管支の調子も、きのうの朝にくらべれば格段に良い。起きて洗面し、コンピュータが起動するあいだに、冷たいお茶を飲む。
きのうの日記を作成し、数本のメイルを書く。携帯電話と連結された通信速度の低いカードにて、アクセスを開始する。
実に57KBという、重いファイルの添付されたメイルが届いている。届いてはいるが、それを取り込もうとして、4分、5分と時間が過ぎていく。このメイルの後に送られた、何十通あるかわからないメイルは、もちろん、僕のメイラーに入ってくることはできない。
サーヴァーからこれを削除しようとして、それも上手く運ばない。メイルの送受信を諦め、コンピュータの電源を落とす。
9時にホテルを出て日本橋へ移動する。丸善の屋上が、青い空をギザギザに切り取っている。「小諸蕎麦」 にて、「かき揚げ蕎麦定食、あったかいの」 と、レジのオバサンに伝える。
9時30分からの数時間は、出張販売につきものの仕事に忙殺される。ときおり売り場の棚に置いてある携帯電話を覗くと、不在着信や伝言が、ゴッソリと溜まっている。社員用通路まで出ていちいちリダイヤルをする。「それは、僕の仕事でもないよねぇ」 というようなことについても、とりあえずは話を聞いたりする。
ひっきりなしに携帯電話を取り出して諸方へ連絡をし、汗を拭き、部下に指示を与え、つばを飛ばしている経営者がいる。自分の忙しいことを、周囲に誇示しているらしい気配が漂っている。
本当に優れた経営者は、そのようなことはしない。本当に優れた経営者は、競艇場にいる。耳に100円玉を入れ、サンダルを履き、のどかに魚粉のオニギリを食べている。と、ここまで書いて、「そんなことも、ねぇだろう」 と、思う。
気温も割合に高くなったせいか、きのうやおとといとは較べものにならないほどの来客数がある。全く売り場を離れられない時間が、何度も訪れる。
午後2時すぎに、ようやく公衆電話にコンピュータを繋ぐ。今朝、取り込めなかった57KBのメイルを、1分もかかってようやくダウンロードする。続いて一気に、それ以降に届いたメイルが、漁船の網から船倉へ落とされるイワシのように、大量に流れ込んでくる。オンラインのまま、重要と思われる何通かのメイルに、急いで返信を送る。
「高島屋では、これこれの商品券は使えるか? できれば2時前に伺いたい」 という、今朝7時に発進された、顧客からの問い合わせがある。いまの時間は午後2時30分だ。馬鹿馬鹿しく重たいメイルにより、ひとりの顧客に不義理をしたことになる。
「今後は、ある一定以上のサイズのメイルは、取り込まないような設定をメイラーに施そうか」 と、考える。
売り場へ戻ると、"Computer Lib" のナカジママヒマヒ社長が、買物をしてくれている。礼を言い、ついでに 「大滝、来てるよ」 と伝える。「大滝」 とは、桜エビを扱う名店だ。ナカジママヒマヒ社長が、「大滝」 のブースにいるオバサンに声をかけ、しばし歓談を為す。
僕がナカジママヒマヒさんと初めて会ったころ、彼はコンピュータ屋ではなく、カツオブシ屋だった。彼は今でも、魚の業界には顔が広い。
6時に、「後半組の先発」 になった、イシオカミワさんとクロサワセイコさんが来る。それと入れ替わりに、前半組の4人が売り場を離れる。彼女たち4名は、浅草駅19:00発の、下り特急スペーシアにて帰宅する。
7時に、「後半組の先発」 よりも1時間遅い列車に乗った家内が到着する。
閉店時間を過ぎて携帯電話を見ると、コモトリケイ君からの不在着信があったため、リダイヤルをする。「いま、なんとかかんとかを飲んでるけど、オマエのために、1杯だけ残しておいてやる」 というようなことを言っている。「なんとかかんとか」 の部分が、よく聞き取れない。そのまま曖昧な返事をして、電話を切る。
社員との夕食は家内に任せ、僕は銀座線と日比谷線を乗り継いで、六本木に出る。
「チンコチエンテ」 あるいは 「シンコシエンテ」 または他の呼び名を持つバーへ行く。既にして席に着いているコモトリケイ君の前に、ブルネロのワインが置いてある。それが 「なんとかかんとか」 だったのかと、はじめて合点がいく。
マルゴー村のワインに顕著な、まるで純金製の細い糸のような香りを、僕はそのブルネロのモンタルチーノに聞いた。
昨年のクリスマス、あるいはもっと後の時期だったか、この店の若い主に話して、「今度、持ってきてあげる」 と約束をしていた、Solomon Burke の "DON'T GIVE UP ME" を取り出す。店主がこれを、CDドライヴへ入れる。
それほど長くない前奏に続いて、Solomon Burke の歌が始まる。その歌の4小節が過ぎる前に、店主が感に堪えたように、僕の顔を見る。
「まるで、この店のためにあるような曲です」
「いいよ、しばらく貸しとくよ」
黒くて渋くて枯れたリズム&ブルースを聴きながら、イタリアの重いワインを飲む。僕は、重いメイルは嫌いだが、重いワインは好きだ。
飲み物を、フラスカーティに替える。若筍のオリーブオイル焼きを、シャキシャキと噛む。ウナギとトマトとピーマンの、色鮮やかな煮こごりが口の中で溶けていく。羊とキャベツにて膨満したラビオリのスープ煮に噛みついて、噴出した肉汁にシャツを汚す。
気が付くと、店に入ってから3時間が経っている。Solomon Burke のCDばかりが、2度も3度も回っている。他の客の迷惑にはならないのだろうかと、心配をする。
着信音を消している携帯電話のディスプレイを見ると、年長の友人ハラダシュンタロウさんからの着信記録がある。
彼が今夜、この近くの "All of me club" にてセッションをすることは、以前から知っていた。ただしその始まる時間は午前0時30分、終わるのは朝の4時だ。極端に早寝早起きの僕には、到底、つきあえるものではない。それでもとりあえずは、リダイヤルをしてみる。
結局のところ、ハラダシュンタロウさんと飲酒を為すことになる。別の友人を待つコモトリケイ君に別れを告げ、冬の雑踏に足を踏み出す。
旧防衛庁前の道を北へ歩いていくと、向こうからハラダシュンタロウさんが手を振る。一緒に "All of me club" のあるビルへ入る。店のカウンターに着き、ふたりでジンアンドトニックを飲む。
ハラダシュンタロウさんが、ドラムスをセットするため、ステイジに去る。僕はいつの間にか隣に座っていたオバサンとヨタ話を始める。「この人は、『北回帰線』を書いた小説家の奥さんに似ているな」 と思う。酔っているため、小説家の名前も、その奥さんの名前も、脳の中から見つけだすことができない。
やがて深夜のセッションが始まる。1曲目は、"The days of wine and roses" だった。そして、第1ステイジ最後の曲は、"Mack the knife" だった。最初も最後も、大いに洒落ている。
音楽に恵まれた夜が、終わりつつある。
俳優座の前でつかまえたタクシーを日比谷通りにて降り、部屋へ戻る。入浴して、午前2時に就寝する。
数字から数字を引き算するのではなく、人間から人間を引き算すると、ズニューッと筒から粘度の高い土のようなものが押し出されるようにして、円筒形のグラフがディスプレイ上に伸びていく。この妙な夢の中でセキをすると、ゼーッという、喘息のような不快感が気管支を圧迫して目が覚める。時刻は朝の4時だ。
10日ほど前からひいている風邪が、関根耳鼻科で処方してもらった薬を毎日飲んでいるにもかかわらず、悪くなっている。
高島屋東京店でのイヴェントに参加するようになってから今年で19回目になるが、最初の3回ほどは、いつも会期中に高熱を発して、他の誰かと監督を交代していた。その悪い記憶がよみがえる。
始発の下り特急スペーシアで帰宅し、病院で強い注射を打って、昼前に戻るという計画を頭に思い描く。しかしながら、現場で朝、しなくてはいけない仕事は多すぎる。
幸いにして体温はいまだ平熱のため、また眠気もないため、とりあえずはきのうの日記を作成する。また、2、3のメイルを書き、ウェブショップ の注文を確認する。
8時に目覚まし時計をセットし、7時から1時間だけ横になる。
ホテルのレストランにてヴァイキングによる朝飯を食べる。ヴァイキングとはいえ、選べる品数は少ない。すべての皿が温められている。温かい皿にサラダを盛る気にはなれない。コーフィーカップの皿をとり、これに大量のレタスを載せる。炭水化物系の諸々とスクランブルドエッグを食べ、野菜とソーセージのスープ2杯にて締める。
気管支の具合は、いくらか良くなってきた。なにやかやと取り集めた9粒の薬を飲む。また、家内に電話をし、関根耳鼻科に連絡をして、もっと強力な薬をもらって宅急便で送るよう頼む。
ホテルを出て路地を辿る。お茶漬屋の
「鹿火矢」
が更地になっている。立て札には、この店の、創業から44年目の移転が伝えられている。頻繁に来る店ではなかったが、その存続に、ひと安心をする。
地下鉄銀座線に乗り、9時25分に、高島屋地下1階の現場へ行く。ほどなくして4名の社員も到着する。体力の温存を図るため、トチギチカさんを伴って1階の入荷場へ行く。届いている大量の商品の中から本日の試食に用いる箱のみを取り出し、彼女にこれを持たせる。
染太郎染之助の 「あちらは肉体労働、こちらは頭脳労働」 ではないが、学生アルバイトの2名にメモを渡し、大量の体力を費消する仕事の手順を伝える。
9粒の薬の効力か、徐々に体調が持ち直してくる。いきなり混み合って売り場の商品が払底しないよう、気を配る。
午後1時30分の昼食時には、「どうにかこのまま仕事がし続けられるだろう」 との感触を得る。きのうと同じ "VINO VITA" にて、キッシュやコロッケ、サラダやペンネが1枚の皿に乗った昼食をとる。学校給食のような味にてあまり感心できるものではないが、とにかく今は、あまり歩き回らず、無理をしないことが肝要だ。
売り場へ戻り、夕刻までにすべきことを考えながら、販売にあたる。ときおり物陰にて携帯電話のディスプレイを見ると、不在着信やら伝言やらメイルがごっそりと溜まっている。普通の電話で会話をしている人は、しっかりと仕事をしているように見えるが、携帯電話をいじくり回している人は、なぜか仕事をサボタージュしているように見える。
社員用通路まで移動して、着信記録に残っている番号をリダイヤルしたり、メイルを確認しては削除したりする。
僕の午後の休みは4時からの30分間だが、5時ちかくになってようやく現場を抜け出す。ちかくの喫茶店にて、グレイプフルーツジュースを飲む。
携帯電話に、またまた家内からの着信記録が見える。電話をすると、「給与計算に使っていた マイツール によるマクロの上に、僕が別のマクロを上書きしたために、使えなくなっている」 と言う。
即、そのマクロを共同開発した 「クラブあゆみ」 と "The cycle" というふたつのpatioを検索し、コードを会社のpatioへアップする。その直後に、売り場のトチギチカさんから電話が入る。
「コモトリさんという方が、お見えになっています」
「分かった、すぐ行く」
自由学園の同級生コモトリケイ君は、最も高価な 「なめこのたまり漬」 を含む数点の買物を、既にして済ませていた。20年以上も前に、コモトリケイ君は自由学園の東天寮に僕が持ち込んだ 「ナメコのたまり漬」 のビンをメシ椀の上で逆さにし、その半分ほどを一気にメシの上にぶちまけ、結果として、それをすべて食ってしまったことがある。
「ハム、買ってやるよ。友達が来たら、なにか買ってやることにしてるんだよ」
"PECK" にて僕の好きなパロマ産の生ハムを購い、コモトリケイ君に手渡す。
「ウワサワにもらったと言って奥さんに渡せば、今後はオレと遊んでも、イヤな顔はされねぇだろう」
「フン」
"PECK" の女店員が、その会話を聞いて笑っている。
「オマエ、今晩はどうするんだよ?」
「泊まりがけの研修がある。家には帰らない」
「明日の晩は?」
「多分、六本木にいる」
「じゃぁ明日、一緒にメシ、食おうぜ。六本木に着いたら電話するよ」
「分かった」
体調が少し良くなると、もう遊びの算段だ。
すこし遅れて、家内の友人モモイシンタロウさんも来る。
「アナゴの佃煮で、美味いのがあるんですよ」
「いえいえ、以前もいただきましたし、本当に、遠慮しませんから」
家内の友人とあれば、僕も少しは、同級生に対するよりも、言葉には気をつけようというものだ。
無事に、閉店の7時30分を迎える。冷蔵庫の在庫は、30分前に僕が数えておいた。社員と学生アルバイトが総出で、ショウケイスのアイテム別残数をメモしていく。レジ係から、きのうの数字を少し上回る、今日の売上げ金額を知らされる。それをメモにホッチキスで留め、社員通用門から外へ出る。
銀座へ移動して、5丁目の 「鳥ぎん」 への階段を降りる。
ハーフ&ハーフにて乾杯をする。みなで、本日の労をねぎらう。男の店員の指先が端末の上で泳ぐほど、矢継ぎ早の注文をする。ホッと一息をつき、にぎやかな会話が始まる。
5人が食べ終えた焼鳥の串を、トクラガワスミコさんが数える。その数は38本だった。「意外と少なかったな」 との感想を憶える。ただし、このうちの11本は、ケンモクマリさんの胃袋に消えたものだ。
3種の釜飯を食べる。カキ釜飯の初期設定を、僕が仕切る。僕が人に誇れる唯一は、釜飯のメシを、1粒残らず食えるということだ。シロウトはとかく、釜の内壁に大量の飯粒を付着させてしまう。
鳥スープにて締め、店を出る。
西五番街へ出たところで、トチギチカさんが家内に電話を入れる。後半担当のひとりサイトウエリコさんが 、「前半組が鳥ぎんで食べた串の数は、絶対に超えてやる」 と、言っているという。食べた焼鳥の数ではなく、期間損益の数字で勝負して欲しいものだと、経営者としては思う。
地下鉄銀座線を新橋で降り、ことさらに路地ばかりを選んでホテルへ戻る。
着替える前に、本日閉店時のアイテム別在庫をマイツールに入力する。マクロを走らせ、本日のアイテム別売れ数量を算出する。ディスプレイを睨み、今後の売れ筋を予測する。
明日、製造現場から高島屋へ向けて出荷する商品の数と諸注意を会社のpatioへアップすると、既にして0時もちかい。入浴して、冷たいお茶を飲む。
どういうわけか、なにか神経が高ぶっていることと、空気が乾燥しすぎてふたたび気管支の調子がおかしくなり始めたことのふたつの理由から、眠ることができない。バスタブに熱湯を満たし、部屋の湿度を上げる。
午前2時ごろに、ようやく就寝する。
目を開くと、カーテンの隙間から光が漏れている。寝過ごしたのだろうかと思ってベッドのヘッドボードに埋め込まれた時計を見ると、6時30分だった。
洗面をしてコンピュータを起動する。天気が崩れることを懸念したが、汐留の巨大なビルの背後から、朝日が昇りつつある。きのうの日記を作成し、2、3のメイルを書く。会社のpatioには、本日の高島屋への商品発送数量をアップする。
鮨の名店 「しみづ」 のある路地を辿り、新橋駅に出る。銀座口の角の立ち食い蕎麦屋 「ポンヌッフ」 の前を通りかかると、「カレーフェア実施中・カレーライス300円」 との張り紙が見える。立ち食い蕎麦屋に 「フェア」 という言葉は目立つ。
自動販売機にて、カレーと生卵の食券を買う。カウンターに50円を置き、「スープ」 と頼むのが僕の裏技だ。
ひとりのオジサンは 「えっ?」 と不思議そうな顔をしたが、もうひとりのオジサンが 「あ、スープね」 と答える。
通常、この注文では、お椀にウドンの汁とワカメと長ネギを入れてくれるが、今日のオジサンは、ウドンのドンブリになみなみと、そのスープを作ってくれた。
カレーフェア実施中のカレーライスは、普段のものよりも1割ほど量が少ないように感じられた。丼のスープを必死で飲み干し、店を出る。
約束の9時に遅れて社員に叱られてはいけないと、早めにホテルを出たが、8時35分には、日本橋へ到着してしまった。明日はもう少しゆっくりしようと考えつつ青い空を見上げると、東急百貨店の跡地に、巨大なビルが建ちつつある。
試食の準備をし、4名の社員が整列して、10時の開店を迎える。早朝に家を出た家内も、仕事に加わる。
本日は、むかしの定休日にあたる水曜日のため、8階の催事場では、きのうまでの 「大近江展」 と、明日からの 「東西名匠老舗の会」 の狭間として、何のイヴェントも組まれてはいない。そのため地下1階もそれほど混雑はしていないが、それでもDMをお送りしたお得意様は、初日にお出でになることが多い。
友人のセイケリサさんが、昼ごろに顔を見せる。「なんだ、この時間に来るなら、昼飯、一緒に食えたじゃん」 と言うと同時に、彼女の後ろにお母さんの姿を発見する。「黙っていれば良かった」 と、後悔をする。
アルバイトの大学生や社員が交代で休憩をとった後、1時30分より、ひとりで昼飯に出る。コンピュータと共に分厚い 「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を持つ気にはならなかっため、昼時に読む本が無い。「丸善」 に入る。
おびただしい数の経済書が、店のあちらこちらに平積みになっている。国の経済がうまくいっているときよりも、今のような深刻な状況下においての方が、この手の本は売れるようだ。お金を増やすためか、あるいはお金を減らさないために、これらの本は読まれるのだろう。
僕には、「なになにのためにする」 という本が、どういうわけか読めない。予期しないまま非常な美人と寝ることになった男は、しばしばそのせっかくの機会に、性的不能に陥ることがあるという。僕が 「なになにのためにする」 というような種類の本を読もうとして頓挫するのも、これに似た精神の綾によるものかも知れない。
僕には、屁の足しにもならない本しか、読むことができない。
目が覚めて30分ほどのあいだ、静かにしている。いよいよ眠れないと悟って起床する。居間の電波時計が、3時を示している。着替えて事務室へ降りる。
自分のコンピュータは、きのうカトーノさんに預けてしまった。事務係のタカハシアツコさんの ThinkPad1459 にディスケットを差し込み、明日からのイヴェントについて、さきほどベッドの中で思いついたことを記録する。また、本日の準備に必要な情報を、デイタベイスから抜き出してプリントアウトする。
3時40分に、火災報知器が鳴る。コントロールパネルの店舗1階を示すところに、赤いランプが点滅している。僕のいまいるところが店舗1階だから、これは明らかな誤作動だ。
けたたましく鳴り続けるベルを止める。次々と灯をつけながら製造現場へ行くと、消火栓の揚水ポンプが動いている。これの電源を切る。
念のため警備保障会社へ電話を入れ、来てもらう事にする。間もなく到着したふたりの警備員が、火災報知器などを点検する。誤作動の原因は不明にて、9時を廻ったら、契約している防災会社に調査を依頼することとする。
きのうの日記は、カトーノさんがコンピュータを取りに来る前に、夕方までの分を完成させておいた。それから寝るまでのことを、エディタで書いてディスケットに保存する。また、今朝3時前に目覚めてから朝食までの日記を書き、これも保存する。
なにかし残していることがあるのではないかと、気にかかる。ここへきて、やたらにいろいろなことを思いつく。それらのすべてをメモへ残そうとするが、文字にする以前に忘れてしまうことも少なくない。
Diana Krall の "THE LOOK OF LOVE" を聴く。6時前に事務室のシャッターを上げる。いまだ空は夜のままだ。
7時に自宅へ上がる。朝飯は、玉子とミツバの雑炊、ハクサイキムチ、カキのコンブとシイタケ風味だき、塩引き。
10時を過ぎて、カトーノさんがきのう預かっていった僕のコンピュータを返却に来る。携帯電話でのファイル転送が不可能になっていた原因を、カトーノさんはきのう一晩かかってつきとめた。その内容をここへ書けばかなり長くなるため割愛する。
カトーノさんはデイタをバックアップする時間に、これまた預かった携帯電話のディスプレイに、硬質の防護シールまで貼ってくれている。非常に有り難く、また申し訳なく思う。いずれにしても、僕のコンピュータは、OSをWindows XPにしてから、ろくな事がない。
保健所の職員2名の訪問を受けたこともあって、11時30分に予定していた出発時間が50分も遅れる。ただし渋滞も事故もなく、途中で休憩をとったにもかかわらず、ちょうど2時間にて文京区の甘木庵へ到着する。
下今市駅11:36発の上り特急スペーシアにて先発していた4名の社員が僕を待ち受け、次々に私物その他を降ろして甘木庵へ運ぶ。僕は自室へ入って必要なものをかき集め、ふたたび三菱デリカに乗る。
本郷、御茶ノ水、駿河台下。錦町河岸、気象庁前、大手門。二重橋前、祝田橋、霞門。西幸門前を左折し、内幸町を右折する。
志ん生が得意とした 「黄金餅」 を、江戸の町ではなく、首都高速道路版で語った三木助が、自分で自分を殺したとは情けない。
西新橋を過ぎて左折する。縦列駐車の多い通りへクルマの鼻先を斜めに突っ込んで停める。
ホテルに荷物を運び込み、即、クルマを発進させる。新橋から銀座1丁目へ抜けるトンネルは使わずに、8丁目、4丁目、1丁目と進むが、この中央通りがひどく混んでいる。ようやく八重洲から昭和通りへ出て、高島屋の裏手に停車する。
係のオカダシゲキさんの携帯電話を鳴らし、落ち合って、いまだに荷物のたくさん載った三菱デリカを、エレヴェイターにて屋上の駐車場まで上げる。夜7時すぎからの準備について、短い打ち合わせをする。
日本橋から地下鉄銀座線にて新橋へ戻り、ホテルのチェックインを済ませる。部屋へ入り、机上の 「ご案内」 や 「安全の手引き」 やレターセットをすべて片づけ、テレビも隅に寄せて、自分好みの環境を作る。
5時にホテルを出て、銀座線で新橋から日本橋へ移動する。5時30分に、4人の社員と落ち合う。弱い雨の中を歩き、「たいめいけん」 へ、晩飯を食べに行く。
僕とトクラガワスミコさんが ビフカツ、トチギチカさんが芝エビのオムライス、ケンモクマリさんが牛肉のオムライスで、コマバカナエさんはマカロニグラタンだった。ぬかりなく、50円のコールスローもしっかりと食べる。
スターバックスコーヒーにて時間調整をし、7時10分に高島屋の屋上駐車場へ上がる。雨が強くなっている。
オカダシゲキさんも含めた6人にて、2台のコンビネットと台車を使って、クルマの荷物を地下1階まで降ろす。今日まで催し物をしていた業者が撤収を完了するまで、持参した商品を冷蔵庫へ運び入れたり、あるいは本日の昼にヤマト運輸の手により届けられた商品を、冷蔵庫から売り場近くまで運び出したりする。
8時30分を回って、ようやく冷蔵ショウケイスが我々の管轄下に入る。10時を過ぎると 「早く帰れ」 ということなのだろう、地下1階の照明が殆ど落とされる。弱い停電灯の明かりを頼りに、更に設営作業を進める。
「早く帰れ」 とはいえ、担当に頼めば再び、明かりは点けてもらえる。10時15分に、ようやく会場準備が完了する。
「トチギ君、腹へったな。ラーメン、食いてぇな。食いに行こうか?」
「いや、食うよりも、早く帰って休みたいっす」
「でも、明日の疲れにくらべれば、今日の疲れなんて、屁でもねぇよな」
「はい、屁でもねぇっす」
ケンモクマリさんが、「そうだよね」 という顔をして笑う。高島屋での販売を経験したことのないコマバカナエさんが、何も分からないまま、とりあえず回りに合わせて自分も笑う。
4名の社員たちは、銀座線で上野広小路へ向かった。僕は同じ銀座線にて、反対の新橋を目指す。
日比谷口から北へ繁華街を歩きながら、「さっぱりした東京ラーメンが食いてぇなぁ」 と思う。そうは思うが、目につくのは九州や北海道のラーメンばかりだ。「どうでもいいけど、普通のラーメンが食いてぇなぁ」 と思う。
ペットボトルのお茶を買い、10時30分に部屋へ戻る。行き交う人の顔まで紅く染めるネオンの街で、酒も飲まずに眠る自分を褒めてやりたい。
今日の日記をあらかた作成し、入浴して、午前1時に就寝する。
朝6時に起床する。
事務室へ降り、コンピュータを起動する。きのうの日記を書く時間は無い。ウェブショップ の注文を確認した後、いままで冬のレシピを載せていた 「四季のお味噌汁」 を、デフォールトにて春のものに変更する。
店舗駐車場の地面が凍っている。電話ボックスも凍っている。朝の光を受けて、日光の山が紅く染まっている。
朝飯は、塩引き、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、ハクサイキムチ、納豆、カキのコンブとシイタケ風味だき、ジャコと大根おろし、ヒジキとニンジンとダイズの炊き物、メシ、豚肉とダイコンとミツバの味噌汁。
公衆電話と携帯電話による、日記のファイル転送や重いメイルの送受信が、数ヶ月前から不能になっている。最悪の場合には、これから1週間以上にもわたる出張中に、コンピュータによる通信が途絶する恐れもある。
この現状について、外注SEのカトーノさんはひどく心配し、どうにかして復旧できないものかと、このところ知恵を絞ってくれている。関根耳鼻科や薬局、銀行を回ってから、「日光わんわんの森」 へ、カトーノさんを訪なう。
ハードの不調も疑い、僕が昨年まで使っていた、コマバカナエさんの ThinkPad s30 も並べて、種々の試験を行う。原因はなかなか特定できず、ついには僕の携帯電話の不調をも疑い、これをカトーノさんのものに換えて、再び試験をする。
その間、シロウトの僕は、薪ストーヴの火などをいたずらして、時を過ごす。
2時間30分を経過して、いまだ原因はつかめない。施設に併設された食堂にてピラフとコーフィーをごちそうになり、今夜、コンピュータをカトーノさんに預けることとして、帰路に着く。
夕刻4時30分よりチェックリストに従って、出張販売用の荷物を三菱デリカに満載する。
5時ちょうどにカトーノさんが来社する。僕とコマバカナエさんのThinkPad s30、僕の携帯電話、その他諸々を、手提げかごに入れて渡す。
「カトーノさん、電話がかかってきたら、出ちゃってかまいません」
「えっ? それって、まずいんじゃないですか?」
「ヘーキです。どうせ、大したとこからかかってくるわけじゃないんだから」
「いやぁ、そのときには、ブチッと切っときますね」
明日の荷物は、5時30分にすべて積み終わった。
7時すこし前に、"COSSENTINO" Cadi alcamo bianco classico 2001 を抜栓する。サケとトマトのスパゲティ、鶏とレタスとブロッコリーのサラダ、ポテトとホウレンソウのグラタンを食べる。
リストに従い、ゼロハリバートンの大きなケイスへ、8泊9日分の衣類その他を詰め合わせる。
8時30分に入浴し、9時に就寝する。
朝6時に、セットしておいたアラームの音で目が覚める。
起床して洗面する。お茶を飲み、メイルをダウンロードし、patioに自動巡回をかける。
6時40分に甘木庵を出る。いまだ明けきらない湯島の切り通し坂にクルマの数は少なく、御徒町の駅までが見通せる。
7時15分に品川駅へ達する。京浜急行の電光掲示板に、7:24発の下り特急があることを確かめる。カレーショップにて、ホットドッグとコーフィーの朝食を取り急ぎ済ませる。
空を覆っている雲が、徐々に厚くなる。久里浜の先では、小雨が降っている。品川を出て1時間と少しで、三浦海岸に着く。駅の貸し傘を開き、目の前の丘に建つマホロバマインズを目指して細い坂を上る。
MGフェスティヴァルは 西研究所 が主催する、年に1度の大きな勉強会だ。これはきのうの朝から行われているが、僕は明日館での用事があったため、1日のみの出席となった。
目が覚めて小一時間、布団の中でじっとしている。いつまで経っても再度の眠気が訪れないため、起床する。居間の時計が、朝の3時を指している。
事務室へ降り、ウェブショップの注文を確認する 。2、3のメイルを書き、きのうの日記を作成する。スケデュール管理を見て、本日なすべきことを一覧する。
7:03発の上り特急スペーシアに乗る家内を、下今市駅まで送る。ついでに、公衆電話からの、日記のサーヴァーへの転送実験をする。
電話ボックスへ入って、ThinkPad s30 を起動する。電話とコンピュータとを、モデュラーケイブルで連結する。端末からアクセスポイントを呼び出す。繋がる直前、ゼロコンマ何秒かのあいだ英文のエラーメッセイジが出て、コンピュータが再立ち上げされる。寒空の下、この不毛の行為を数回繰り返して止める。
帰社して、こんどは、携帯電話に繋いだ DATA/FAX CARD 9600 によるアクセスを試みる。こちらについては2週間ほども前から、10KB 以上のファイル転送が不能になっている。専門家に相談をしたところ、「それは理論上あり得ない」 とのことだったが、これは 「ありえない」 のではなく、「起こりうることに対して無知」 なだけではないか?
最後に、普段の無線LANではなく、アナログ回線を使ったところ、こちらは問題なく作動した。
来週の火曜日に新橋のホテルへ着いて真っ先にすべきは、部屋の電話線から通信が可能かどうかを試すことだろう。これがうまくいかない場合、僕は7泊8日の出張中、コンピュータによるコミュニケイション抜きで仕事をすることになる。
下今市駅13:36発の、上り特急スペーシアに乗る。3時40分より、来週の水曜日から高島屋東京店で行われるイヴェントについて、係のオカダシゲキさんと最後の打ち合わせをする。
仕事の話を終え、地下の事務室から1階に上がって正面へ回ると、ついこの前までヴァレンタインデイのチョコレイトを売っていた場所に、アストンマーティンが飾ってある。映画 "007" の封切りが近いのだろうか。
アストンマーティンというシュラスコがあったとしよう。1950年代から2000年代までのアストンマーティンは、形や性能に違いはあっても、そのすべてが思想という金串に貫かれて、きちんと並んでいる。
昔も今も、アストンマーティンはアストンマーティンだ。昔も今も、アルファロメオはアルファロメオで、昔も今も、シトローエンはシトローエンだ。日本ではホンダのクルマだけが、かろうじてその範疇に入るだろうか。
丸善の1階と地下1階を巡回しても、いまだ家内との待ち合わせまでには時間がある。日本橋の裏通りを散歩する。予期しないところで、最近できたポケモンセンターに出くわす。大変な人気にて、入場制限を行っている。
4時30分に、高島屋地下1階にあるフルーツパーラー 「レモン」 にて、家内と落ち合う。とても単価の高いこの店に、行列ができている。景気が悪くても、売れるものは売れる。
池袋へ移動し、6時前に自由学園の明日館へ達する。
先月の10日、自由学園の同学会総会において、9年先輩のフジオカタカミチさんに勧められて鑑賞券を買った、16年先輩のモトハシセイイチさんが監督を務めた映画 「アレクセイと泉」 が、今夜は上映される。
会場の講堂前には、既にして人の波が溢れていた。
冬の夜とあって、決められた時間よりも早く、建物の中に請じ入れられる。入口に、モトハシセイイチさんが座っている。その隣に、フジオカタカミチさんが立っている。
「ウワサワ、パンフレット、モトハシさんのサイン入り、買って、悪いけど」
「フジオカさんに言われちゃ、しょうがねぇ」 という感じで、そのパンフレットを買う。それにしても、せっせと表紙にサインをし続けている本人の横で 「悪いけど」 とは、すこしまずくはないか? まぁこれも、「フジオカさんじゃぁしょうがねぇ」 ということだ。
静かで雄弁な映画に続いて、モトハシセイイチさんの熱くて素朴な講演があり、8時50分に散会する。
銀座へ移動し、"MIKE AMRTA" で、いくつかの料理とアルザスのワインによる遅い夕食をとる。焼いたプリンとバナナ、エスプレッソにて締める。
11時に甘木庵へ帰着する。シャワーを浴びて、0時に就寝する。
朝5時30分に起床する。
事務室へ降り、コンピュータを起動する。季節限定商品の 「なめこのたまり漬」 が完成したため、この紹介を ウェブショップのトップへ掲載する 。
きのうの日記を作成し、数本の短いメイルを送信する。
朝飯は、塩引き、焼いた厚揚げ豆腐と大根おろし、納豆、ハクサイキムチ、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、カキのコンブとシイタケ風味だき、メシ、ユキナとマイタケの味噌汁。
「なめこのたまり漬」 が完成する前から、これを注文してくれていた知り合いがいる。その荷物へ同封するため、朝8時前に同じ町内にあるタシロケンボウの家へ行き、お徳用湯波を購入する。
日中、金もないのに、またまたウェブショップで買物をする。
「なとりや」 は、鄙には希な、洒落た靴を売る店だ。僕はここで、"trippen" の SHEET-PULL BLACK という靴を買うこととし、自分の足のサイズや特徴を、メイルにて送る。ほどなくして、係のナイトウノブキさんから、丁寧な返事が戻る。
10通ちかくのメイルの往復を経て、目当ての靴は、北陸の港町から無事に出荷された。
ウェブショップで買物をする自分の手順を振り返れば、いつも必ず、検索エンジンで目標を定めてねらい打ちにしている。決して、ショッピングモールのトップから、たとえば 「ファッション」 「靴」 「メンズ」 と降りていくことはしない。インターネット上に存在するショッピングモールの意義とは、何だろう?
来週から再来週にかけては、1週間以上も酒飲みが続く。別段、飲み続ける必要もないが、毎日、飲みたい気分にはなるだろう。本日も飲酒は控えることとして、牛乳とカスピ海ヨーグルトを摂取する。
酒を飲まなくても眠くなる体質を、有り難く思う。8時すぎに入浴し、9時すぎに就寝する。
暗闇の中で目が覚める。それほどたくさんの酒を飲んだわけではないので、ここが山峡の小さな宿であることは、すぐに認識できた。問題は、現在の時刻が何時で、あと何時間、このままじっとしていたらよいのかが分からないところだ。
しかしその疑問は杞憂に終わった。いつの間にかふたたび寝入り、ふたたび気がついて、既にして部屋の中を歩いているユザワツネオ育成会長に時間を訊くと、6時15分とのことだった。
ユザワツネオさんに窓際の冷たいお茶の存在を知らせる。ついでに僕の分を1本、寝床まで持ってきてもらう。
部屋の中の活字は、きのう読み尽くした。テレビを見るわけではないので、間がもたない。暇つぶしに朝風呂を浴びる。
浴場からの帰りにフロントの前を通ると、無人のカウンターに下野新聞とニッカンスポーツが置いてある。これを無断借用し、部屋へ持ちかえる。
8時ちょうどに館内放送があり、昨夜、宴会をした部屋に朝食の用意ができていることを知らされる。
固形燃料を仕込んだ鉄板に、2枚のハムが乗っている。ここに生玉子を落とし、目玉焼きを作る。僕がこの宿へ来るのは、コンパニオンたちと乱痴気騒ぎをするためではない。ひとえに、このハムエッグが食べたいがために、僕はここへ来る。
マグロの中落ちやわさび漬け、塩鮭や納豆にて、3杯の飯を食べる。
「60歳になっても、こんな遊び、してたりしてな」
「いいじゃないの、年は関係ないんだから」
仲居さんが、小さな茶碗に飯を盛りながら答える。僕は甘やかされれば、ヘラヘラとしてどこまででも堕ちていく。
ふたたび温泉に入る。
ユザワクニヒロ会計が、みなに遊び代の請求をする。各自がそれを支払い、クルマのエンジンを暖めて、山を下る。
9時30分に帰社する。なにやかやと仕事をする。
夕刻、家内に、今日と明日は酒を抜くことを伝える。晩飯の代わりに、カスピ海ヨーグルトとイチゴを摂取する。
8時に入浴し、8時30分に就寝する。
朝3時30分に起床する。即、事務室へ降り、朝のよしなしごとをする。
先の日曜日から月曜日にかけてはずいぶんと温かさを感じたが、今日は空も深く晴れ、その分、気温も低い。
朝飯は、ポテトサラダ、ダイズとヒジキとニンジンとコンニャクの炊き物、ハクサイキムチ、モヤシと豚肉のカレー風味、納豆、メシ、厚揚げ豆腐とユキナの味噌汁。
事務係のコマバカナエさんは、昨年の初夏に販売係から急に配置転換を受けたため、マイツールの基本操作を知らないまま、既にして完成された定型業務のみをしてきた。基本を知らずにその先のことを行うのは良くない。これを放置したのは、僕の責任だ。
午前中はマイツールの基本操作とその意味、午後はそれを使ったスケデュール管理の考え方と使用法を教える。
春日町1丁目青年会の 「新年会のお知らせ」 には、鬼怒川と川治の間にある竜王峡の宿に、本日の午後6時までに集合せよと書いてある。冬の山道に対しては時間の余裕を十分に取り、5時5分、ホンダフィットにて北の山峡を目指す。
案に相違して、5時25分に竜王峡の 「竜王苑」 に着いてしまう。フロントのオカミが、「7時から、ご宴会ですね」 と言う。7時からの宴会なら、7時の集合として欲しかった。もっとも僕が幹事であれば、やはり同じように集合時間を大幅に前倒しして、会員各位には伝えただろう。
指定された部屋の中に活字を探す。宿のパンフレットや鬼怒川の観光案内を読んでヒマをつぶす。30分後、それにも飽きて、温泉へ入る。
新年会は初更7時より、予定通りに始まった。それにしても、自分だけ見識の高いふりをして、この会に参加しない青年会員が複数いることは残念だ。
宴会は、途中、にぎやかになる場面もあり、また風船細工など、静かな室内遊戯に興じるときもあって、午前0時に無事、終了した。
明朝の風呂上がり用として、窓ガラスと障子とのあいだの寒いところにウーロン茶の缶を置く。0時30分に就寝する。
朝5時30分に起床する。
事務室へ降り、先日 "amazon" から届いた2枚のアルバムのうち
6時30分に起床する。
事務室へ降り、コンピュータを起動する。僕が "BANYAN BAR" に書いたマイツールについての文章と、「IT研究会」 へ出席した日の日記を検索し、きのうの東京MGにおいて、これが読みたいと言った人たちにメイルでその場所を知らせる。また、諸方のpatioにいくつかの返信を送る。
朝飯は、玉子と万能ネギの雑炊、しその実のたまり漬、塩鮭、車麩のすき焼き。
会社を留守にしているあいだに、京都の 「モリカゲシャツ」 から、シャツが1枚、届いている。異なる色や模様の布をつなぎ合わせたシャツが、僕はなぜか、何十年も前から好きだ。
午後3時を過ぎて、「そこにあって当たり前」 という感じで僕の目の前に置かれていたハガキの山に目をやる。はたと、今月19日から高島屋東京店で行われるイヴェントのお知らせは、本日朝の投函だったことに気づく。
今市郵便局へ電話をし、「これからハガキを持参すると、いつの配達になるか?」 について訊く。「あさって」 との答えがあり、それなら予定通りと安心して、事務係のコマバカナエさんに、DMの入った箱を郵便局まで運んでもらう。
夕刻 "UNIQLO" へ行き、高島屋での販売に使うコットンパンツを選ぶ。女の店員が 「2本お買いあげになると・・・」 と言う。これを2本買えば割安になり、3本買うともっと 「得な感じ」 になることは知っているが、まとめ買いをして、結局は使わないという経験を、僕はこれまでイヤというほどしてきている。コットンパンツを1本と、ほかに靴下なども選び、精算を済ませる。
初更、塩ブリの粕汁 を食べる。ここが吹雪の砂浜であれば更に美味かろうとも思われるが、吹雪の砂浜までこの鍋を運ぶのは大変だ。家内の母親が送ってくれたカキによるカキ飯を肴に、焼酎 「鬼火」 を飲む。
入浴して牛乳を飲み、9時30分に就寝する。
朝4時30分に起床する。わずか4時間の睡眠ながら、眠くないのだから仕方がない。
きのうほとんど作り終えていた日記を完成させ、サーヴァーへ転送する。patio 「MGルーム」 に、きのうの成績がアップされている。それに対して1本の返信をつける。
今月19日からの高島屋東京店でのイヴェントは、前日の夜8時に会場の設営が始まる。その日のスケデュールを、コンピュータのディスプレイを睨みつつ再検討する。
大崎へ9時30分までに行けばよいのに、なんだか気が急いて、早く家を出たい気分だ。7時50分に、甘木庵の玄関を開ける。昨夜は小糠雨がシェラデザインのマウンテンパーカを濡らしたが、今朝の湯島上空には、いかにも冬らしい晴天が広がっている。
大崎駅にて、きのうと同じ蕎麦屋 「あずみ」 へ入り、かき揚げ蕎麦と昆布のおにぎりを食べる。また、はす向かいの "BECK'S" にて、きのうと同じ 「エスプレッソの大きい方」 を飲みながら、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。
9時15分、僕はMG会場にて、昨夕に立てた第4期の経営計画を練り直した。固定費を下げ、商品の平均単価を落とし、しかし販売数量はそこそこに保つ経営を、盤上に展開しようと考える。
9時45分に、第4期のゲイムが始まる。僕はこの期、いくつかの幸運に恵まれ、目標には達しないものの、なんとか利益を確保することができた。それにしても、会社の体制を整えつつ適正なキャッシュフロウを保ち、着実に利益を上げていくことは難しい。
全員の決算が終えないまま昼になる。「マダム石島」 の弁当を食べる。「マダム石島」 の弁当は美味い。
第4期において、僕は参加者中で最高の売上高を記録した。ルールに沿って、第5期の市場動向を決定するサイコロ振りが、僕の手にゆだねられる。春の椿事が、きのうに続いて2度も起きたことになる。「西野ファーム」 のウメハラショウイチさんに、記念撮影をお願いする。
第4期末、僕はキャッシュの不足に悩まされた。それゆえ商品販売ばかりに腐心し、次期への対策がおろそかになった。これはゲイム下手な僕の、毎回の姿でもある。第5期は、ふたたび赤字に転落した。
僕はゲイムの展開は下手だが、決算だけは速い。いち早く決算を終えて会場内を回遊しているところを、ハラダシュンタロウさんに呼び止められる。
「ウワサワさん、ちょっとここにいて、ずっとここにいて、よそに行っちゃダメ」
「ハラダさん、もうひとりでできますよ、大丈夫ですよ」
「ダメダメダメダメダメ、ずっとここにいてくれなきゃダメ」
ハラダシュンタロウさんは、人に甘えて生きているという点において、僕と同じものを持っている。とはいえ、僕が今回の出席者の中で最も感心をするのは、ハラダシュンタロウさんと、税理士のフカツアキヒロさんだ。
高度に専門的な仕事をしている人は、自分の世界から外へ出ていくことを怖がり、MGのようなものには来ない。また、その逆の意味での専門家である税理士は、「なにをいまさら」 と嗤って、やはりMGには来ない。
ハラダシュンタロウさんとフカツアキヒロさんをひとことで表現すれば、それは 「素直な人」 だ。
結局のところ僕は、4期連続で最も売上高の高いA卓を確保し続けた 「4A」、第2期と第4期において最高の売上高を記録した 「PQ区間賞」、それに、これはいつものことながら、第5期の決算順位第1位の 「計数力」 にて、ことがら表彰を受けた。
それでも僕は、きのうのMG開始時に与えられた300の自己資本を、最終的には21にまで落とした。まさしく、売上高はアテにはならない。
第5期の最終場面にて、僕はウメハラショウイチさんに、商品を売るよううながした。ところがなぜか、本人はそれを渋り、必ずしも必要ではない戦略チップの次期繰り越しへ走った。その結果が、彼の 到達自己資本263につながった。
いくつかの要件が満たされても、自己資本が300を超えなければ、「最優秀経営者賞」 の表彰状はもらえない。2月の東京MGは、「最優秀経営者賞」 不在という、珍しい結果に終わった。
ちなみに、ハラダシュンタロウさんと、商業簿記第2級の資格を持つハットリキョウコさんは、共に倒産をした。税理士のフカツアキヒロさんも倒産しているので、どうということはない。
大崎から浅草までは、山手線を新橋で地下鉄銀座線に乗り換えるのが、最も合理的だ。しかし気がつくと、有楽町まで乗り過ごしている。神田にて銀座線に乗り換え、6時10分に浅草へ達する。
"Au Vieux Paris" にて、白のグラスワインを頼む。「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。鶏レヴァのムースと南フランス風の焼きトマトにて、更に2杯の白ワインを飲む。
締めに 「本日のパスタ」 を注文したら、これがアサリとキャベツを具にした細麺で熱々なのは良いけれど、かなり量が多い。赤のグラスワインを追加し、必死で平らげる。
20:00発の下り特急スペーシアに乗り、10時前に帰宅する。
入浴して牛乳を飲み、枕元の本を読み散らかしながら、0時ごろに就寝する。
目を覚まし、枕元の時計を見る。4時30分になっている。起きて洗面をし、コンピュータを起動する。
顧客からのメイルに返信を書く。学校の先輩からのメイルに返信を書く。きのうのうちにほとんど作り終えていた日記を完成させ、サーヴァーへ転送する。
ウェブペイジからの注文の備考欄に、こう言っては何だが、舌足らずな要望が記されている。それをすべてコピーし、会社のpatioへ 「電話確認の後に発送伝票を作成すること」 というただし書きと共にアップする。
ふたたびベッドへ横になり、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。眠気を憶えたため、二度寝に入る。7時に気がつき、服を着る。
甘木庵を出て7時40分に東京大学の龍岡門へ達すると、ふたりの制服警官が立っている。普段は車道を斜め横断するところ、今日はそのまま歩道を歩く。春日通りの方を見ると、やはりふたりの、しかし私服の警官が立っている。僕の特技のひとつは、遠くからでも雑踏に私服の警官を認識できることだ。
僕の目の前を、黒塗りのクルマが4台、ゆっくりと曲がっていく。3台目のクルマに、ミチコ皇后とノリノミヤが認められた。前立腺ガンで東大病院に入院中の、アキヒト天皇の見舞いだろう。すべての病人には、早く良くなって欲しい。
本郷三丁目から大手町を経由して、九段富士見坂の下から地上へ出る。あたりを少し散歩して、具合の良さそうなビストロや鮨屋を見つける。その後、新宿を経由して大崎へ至る。
最近、大規模に改修されてすっかり綺麗になった駅構内を歩き、蕎麦屋 「あずみ」にて、カレーライスの大盛りに生玉子を落としたものを食べる。また、"BECK'S" で 「エスプレッソの大きい方」 を飲みながら、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。
北側の改札口に、友人のハラダシュンタロウさんとハットリキョウコさんのふたりが来る。一緒にMG(マネジメントゲーム)の会場まで歩く。
午前10時に、MGの第1日目が始まる。12時40分に第1期の演習を終え、「マダム石島」 の弁当を食べる。
午後、第2期のゲイムが始まり、そして決算になる。
ハラダシュンタロウさんは、洒落たジャズドラマーだ。MGをするジャズドラマーとは、およそ史上初の存在ではないか?
「ウワサワさん、これ、難しいわ」
「ヘーキですよ、リズムです。ブルースだって、12小節を指を折って数えるヤツは、いないでしょう?」
「ブルースと決算書じゃぁ、ワケが違うだろう?」
「どっちも、体が覚えるじゃないですか」
ハットリキョウコさんは、とても頭の良い人だ。本日の彼女の3大名言は
「すごいなぁ、資金繰り表を完成させたら、簿記2級と同じだよ」
「MGは、左脳の仕事を右脳にさせるものだね」
「私が20代最後の日々とウン十万円をかけて学んだ商業簿記と工業簿記のすべてが、このマトリックス表1枚に入ってる。悔しいなぁ」
だろうか。ちなみに、彼女は頭は良いけれど、ゲイムは僕と同じく、さっぱり上手ではない。
第2期において、僕は参加者中で最高の売上高を記録した。ルールに沿って、第3期の市場動向を決定するサイコロ振りが、僕の手にゆだねられる。これは春の椿事にて、「西野ファーム」 のウメハラショウイチさんに、記念撮影をお願いする。
そのサイコロによって制約を加えられた市場にて、結局のところ僕は、自己資本を倒産すれすれの15まで落としてゲイムを終えた。第3期初に一瞬かいま見た 「最優秀経営者賞」 の夢から、たちまち現実へと引き戻される。
決算終了後、「茶月」 の鮨を食べる。7時より西順一郎先生の "strategy accounting" の講義があり、明日の第4期に向けた経営計画を練る。僕の立てる計画は、いつも 「こんなの、無理に決まっているじゃねぇか」 というような、現実味のない数字から成り立っている。
そうでもしないかぎり、第3期までの累積損が一掃できないのだから、仕方がない。
8時から会場にて、交流会を持つ。10時間、ほとんど休むことなく数字と格闘するMGの第1日目は、酒を抜くには絶好の機会だ。既にして夜ではあるが、ペットボトルの 「午後の紅茶」 を飲む。
大崎駅にて参加者の面々と別れ、山手線を御徒町にて降りる。上野広小路、湯島と歩いて、10時に甘木庵へ帰着する。
本日の日記を整え、シャワーを浴びる。冷たいお茶を飲んで、0時30分に就寝する。
目が覚めたため、ベッドから降りる。闇の中をヴィデオデッキの前まで歩くと、そのデジタル時計が2時30分を示している。「ちょっと早いな」 と感じたが、本酒会 の1月会報を、紙の形ではいまだ作成していなかったことに気づく。即、服を着る。
事務室へ降り、ディスケットに保存してある本酒会報を印刷する。それを綴じ、折り、封筒に入れて、タックシールを貼る。郵便局の料金別納用紙をコピーして必要事項を記入し、すべてを輪ゴムでまとめる。
きのうの日記を作成し、2、3の短いメイルを書く。また、諸方のpatioにいくつかの返信を送る。
早く目が覚めるとは良いことずくめで、ここまで済ませても、いまだ5時には至らない。金もないのに、"amazon" へ、2枚のCDを発注する。また、今週末に参加をする、MG(マネジメントゲーム) の道具を揃える。
朝飯は、納豆、しもつかり、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、スペイン風目玉焼き、煮奴、メシ、ワタリガニと万能ネギの味噌汁。
始業後、大急ぎにて、今月19日から日本橋高島屋へ出張する社員のための資料を10部、印刷する。これをファイルにする仕事は、事務係のタカハシアツコさんに任せる。
あしたに予約してある内科健診は受けられない旨を、岡村医院まで出向いて受け付けに伝える。血圧降下剤のみを受け取って帰る。
11時前、昨年の2月に亡くなった叔母の一周忌へ出るため、黒い服を着てメレルの黒っぽいブーツを履き、クワカドシュウコウ本酒会員が住職を務める如来寺へ行く。
本堂での読経を終えて、親類の面々と、墓前に参ずる。幸いにして今日は暖かい。石の上に固く積もった雪は、きのう僕と家内が掃除をした後に、更にお寺のキムラさんの手によって、かなりのところまで綺麗になっていた。
昼を少し過ぎる。"Fin Bec Naoto" にて、会食を持つ。レイスのカーテンを通して、床や椅子やテイブルに、冬の日が差し込んでいる。
裏ごしをしたソーセージのシュークリーム、焼きたての胡麻パン、鶏笹身のクネルサラダ仕立て、カキとホタテ貝のポアレ。セロリの芽の香りが効いた黒鯛のグリルに、まるでタイ料理のような爽やかさを感じる。
チョコレイトケイキとアイスクリーム、エスプレッソ にて締める。
2時すぎに家内の運転で帰宅する。着替えて荷物を持ち、いまだ親類の残る "Fin Bec Naoto" へ立ち寄った後に、下今市駅へ行く。14:58発の、上り特急スペーシアに乗る。北千住から西日暮里を経由して、5時に池袋へ達する。
オヤヂ連中で汗牛充棟の 「豊田屋」 にて、1時間ほどの小酌を為す。
本郷三丁目から徒歩数分を経て、甘木庵に入る。本日の日記をあらかた整え、シャワーを浴びて10時30分に就寝する。
目覚めて時計を見ると、いまだ夜中の0時だ。いくら何でも、この時間の起床は早すぎるだろう。薄暗い中を、居間に置いた小さな冷蔵庫まで歩く。1リットルの紙パックに直接口をつけ、ゴクリゴクリを10回繰り返して牛乳を飲む。
1時間ほど眠れずにいたが、いつのまにか二度寝に入り、次に気がつくと6時になっている。今度は眠りすぎだ。
着替えて事務室へ降りる。コンピュータを起動し、ウェブショップ の注文を確認する。懸賞ペイジの応募フォーマットを利用して、問い合わせや感想を送ってくる方が複数、いらっしゃる。それらの方々に、短いメイルを送付する。
2月に入ってから、新春の懸賞企画 「厳冬期特別仕込み・漬け上がり感謝プレゼント」 への応募者数が極端に増えた。これは、登録した懸賞サイトが、新たに 「今月締め切りを迎える懸賞」 というような告知を行ったためと思われる。
きのうの日記を作成する時間はない。そのまま居間へ戻る。
朝飯は、ホウレンソウのおひたし、ハムとレタスとポテトのサラダ、スクランブルドエッグ、納豆、笹かまぼこ、塩鮭、しもつかり、メシ、お麩とミツバの味噌汁。
会社を留守にしていたあいだに、日光街道を隔てた向かい側にある 「岩本染物店」 から、ウチの
印半纏
が届いている。
これは、大正期に作られたもののレプリカで、僕は特に、上澤の 「澤」 をモティーフにした裾の模様が気に入っている。オリジナルの持つすがれた木綿の風合いや、触れば今なお手を青く染める伝統的な藍の染料までをも再現することはできなかったが、最上の生地を選んだため、頑丈さにおいてはオリジナルを遙かに凌くだろう。
今回は、「大」 を10着と 「特大」 を10着だけ作ったが、男の社員に配れば、その半数ちかくは消化される。会社のロゴ入りジャンパーなどが大好きなイチモトケンイチ本酒会長には、これを見せないでおこうと考える。
日中、金もないのに、なじみのワイン屋へシチリア島のワインを赤白各6本ずつ、注文してしまう。また、「モリカゲシャツ」 のウェブペイジから、シャツを1枚、注文してしまう。
今月の下旬から、夜遊びの1週間が続く。キャッシュの不足は、頭の痛い問題だ。
初更、"Chablis Premier Cru Les Vaillons BILLAUD-SIMON 1999" を抜栓する。
トマトとアンディーブとルッコラのサラダ、サバの薫製、ポトフ を食べながら、この上出来の白ワインを半分ほども飲む。そこでやめておけば良いものを、カマンベールチーズを食べながら、更にそれを飲み進む。
8時30分に入浴し、紙パックから牛乳を5口飲んで、9時に就寝する。
目覚めて枕元の時計を見ると、6時になっている。床暖房の上に設置したベッドで眠るとはまことに不具合なもので、布団全体が暖かく、なかなかここから這い出す気にならない。
10分ほどぐずぐずした後に、起きて顔を洗う。コンピュータを起動し、ウェブショップ の注文を確認する。顧客からの問い合わせに返信を送り、昨日の日記を作成する。
築地に本社のある、知る人も多い会社の営業係が、2月5日にウチを訪問すると約束しながら来なかった。自社ドメインまで持つ取引先の役員にメイルを送っても、返事がない。納期遅れに対して、頭をかけば事が済みと思っている業者がいる。
どんなに景気が悪くても、こういうだらしのない人間がいる限り、仕事は、そこここに転がっている。もっとも、几帳面ということと金儲けの才能とは、また別のものだ。
甘木庵に残置してあったクリーム色のシャツを着て、赤と緑のネルのネクタイを締める。コットンパンツを履いて頑丈な茶色い皮ベルトを締め、紺色のティロリアンジャケットを身につける。赤茶色のブーツを履いて、黒いザックを背負う。赤いスカーフを巻き、緑色のフリースの帽子をかぶる。
ちらほらと雪の舞う中を、定食の 「たつみ屋」 へおもむく。温泉玉子、モヤシとハムとキュウリのサラダ、ポテトサラダ、ハクサイの浅漬け、それに普通盛りの飯と 「本日の味噌汁」 を選ぶ。代金は690円だった。
「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読みながらゆっくりと朝飯を食べ終えると、8時25分になっている。"Computer Lib" のイノウエタケシさんとの待ち合わせは、日本橋高島屋の正面に8時45分だ。気分としてはあわてて、しかし身のこなしとしては急がずに店を出て、近づいてきたタクシーに手を上げる。
上野広小路から地下鉄銀座線に乗る。大変な混雑にて乗客がドアから押し出され、列車がなかなか出発しない。これをいくつかの駅で繰り返し、待ち合わせに5分も遅れてしまう。
八重洲通りと昭和通りとの交差点という絶好の場所にあるシステム開発会社へ行く。通信販売における、新しい受注システムについて、プレゼンテイションを受ける。
机上にThinkPad s30を置き、僕が自分で作った、マイツール による受注システムを見せつつ、現在の状況を先方へ説明する。開発担当者がディスプレイを見ながら矢継ぎ早に質問を発し、僕の説明を聞きながら、素早くメモを取る。
シロウトの手作りシステムからも、学ぶべきところはしっかり吸収しようとの、クロウトの素直さに感心する。
「僕が求める範囲内で」 ということを前提とすれば、推定で数百万円のシステムと僕の自作のシステムとのあいだには、わずかな機能の差しかないことが分かる。また、別途、僕が求めているものに対しては、「現在、作成中」 との答えが戻る。
僕の力だけでは、どうしようもない部分も、もちろんある。先方の開発が成熟してくる2、3ヶ月後の再会を約して、八重洲通りへ出る。今朝の雪が信じられないほどの春めいた光が、ビルの壁に反射している。
昭和通りと中央通りにはさまれて南北に走る裏道を歩く。吉野寿司、瀬津雅陶堂、壺中居を過ぎ、高島屋の横手を歩く。
「やっぱりマイツールって、すごいですね」 と、イノウエタケシさんが笑顔を浮かべる。
「たいていの人は、高けぇ金を払って、使いづれぇシステムに、自分をむりやり合わせているんです」 と答えながら僕は、いくつかの顔を思い浮かべる。
丸善へ寄るイノウエタケシさんと別れ、高島屋地下1階の味百選売り場まで挨拶に出向く。
浅草駅16:00発の、下り特急スペーシアに乗る。17:40に、下今市へ着く。家内が運転するホンダフィットに乗り、"Casa Lingo" へ直行する。
フォカッチャ、デキャンタの白ワイン、薫製にしたタラのサラダ、ミートソースと半熟玉子のピッツァ。カキとキノコのグラタン、ニンニクとトウガラシのスパゲティ。
今日は肉や魚は食べないこととし、デザートに進む。
家内はチーズケイキとイチゴのアイスクリーム。次男は バニラアイスクリーム。僕は チョコレイトケイキ を肴に、残った白ワインを飲む。
帰宅して入浴し、9時に就寝する。
朝3時に起床する。事務室へ降り、湯沸かしと暖房のスイッチを入れる。
きのうの夜に、次の朝すべきこととして何かひとつ思いついたが、今朝になったら、それが何だったのか、思い出すことができない。「思い出せないようなことは、どうせ大したものではないに違いない」 と自分に言い聞かせようとして、しかし、それが些末なことではなかったような気もする。
携帯電話に、夜中の内になされた ウェブショップ への注文が、いくつも転送されている。メイラーを回し、それらの内容を確認する。また、きのうの日記を作成する。
昨月28日に行われた本酒会の会報を完成させ、会員や懇意にしている酒屋へメイルマガジンの形で送る。また、少し文章を増やして、ウェブペイジを更新する。紙の会報を整えるのは最も面倒な作業にて、これは数日後の仕事として棚上げにする。
朝飯は、ヒジキとニンジンとタシロケンボウんちのお徳用湯波の炊き物、しもつかり、茹でた厚揚げ豆腐のだしがけ、ホウレンソウの油炒め黒酢がけ、メシ、ユキナと豆腐の味噌汁。
空は良く晴れているが、男体山の中腹に、小さな雲がかかっている。この写真を撮ろうと、"Olympus Camedia C-700 Ultra Zoom" を窓枠へ水平に置き、ズームレンズを限界の10倍まで伸ばす。こうすると、男体山は肉眼で観察するときにくらべて、幾分、右に傾いで見える。あるいは、目の錯覚かも知れない。
小学校1年生の次男と、登校班の集合場所まで歩く。いつもは6人のグループだが、きのうはインフルエンザのため、これが3人に減ってしまった。今日はひとりが復帰し、4人に増えている。
聞くところによれば、我が町に、インフルエンザの薬はもう残っていないらしい。しかし患者は、これからも発生するだろう。病院は、どのように対処をするのだろうか。
商工会議所へ行き、銀行へ行き、電気屋へ行く。
家内の運転するクルマで駅まで送ってもらい、下今市16:03発の、上り特急スペーシアに乗る。都合により、17:08に春日部で下車する。17:32発の下り特急スペーシアに乗り、18:38に下今市へ帰着する。
自宅へ戻り、ふたたび家内のクルマにて下今市駅へ行く。19:52発の上り特急スペーシアへ乗り、21:21に北千住へ着く。千代田線に乗り換え湯島から地上に出て腕の電波時計を見ると、赤く細い針が9時41分を指している。
午後、「今夕はシンスケで口開けをし、藪の盛り2枚を経由して "Pen" で締めようか」 と考えもしたが、今夜はもう遅い。ちょうど良い機会にて、今月2回目の断酒と晩飯抜きを決める。
既にして店内の光量を落とした 「シンスケ」 を道向こうに見ながら、切り通し坂を上がる、
9時50分に、甘木庵の玄関にて靴を脱ぐ。暖房のスイッチを入れ、冷蔵庫のお茶を飲む。シャワーを浴びて、11時すぎに就寝する。
目が覚めると同時に、遠くで青く光っているヴィデオデッキのデジタル時計を、見えもしないのに凝視する。起きて隣室へ行き、電波時計を確かめると1時30分だった。着替えて事務室へ降りる。
いまからすれば一昨年のことになるだろうか、「澤野工房」 のなにかのCDを買った際にもらったサンプル盤を、プレイヤーに入れて回す。
このサンプル盤が、非常に良い。澤野工房のねらいは、18枚のCDから名演奏を1曲ずつ集めたこれを配ることにより自社の製品を広報し、できるだけ多くの販売高を上げることだろう。
ところが僕は、すべての演奏が3分ほどでフェイドアウトするこのサンプル盤そのものに、かなり満足をしてしまっている。特に好きなのが、ドラムスの GEORGES PACZYNSKI をリーダーとしたピアノトリオによるアルバム "8 Years Old" の中の "THE DRIVE" だ。
澤野工房のコピーでは、Jean-Christophe LEVINSON のピアノを最大の聴き物としているが、グラスの中で鋭い角が溶け始め、中の層がうかがえるほどなめらかになった氷のような曲 "THE DRIVE" では、圧倒的に、ドラムスが上手い。
このサンプル盤の欠点は、「これは! と思った曲を含むアルバムを買っても、その中で最も優れた演奏は、既にしてサンプル盤に納められているではないか」 と、聴き手に思わせてしまうところだろうか。
コンピュータを起動し、メイラーを回す。"Computer Lib" からのメイルマガジンに、先月23日に行われた 「第1回CPLユーザーカンファレンス2003 ・ ホームページを活かし事業を継続発展させよう!」 を総括するペイジのURLが記されている。僕の事例報告にも、多くの感想が寄せられたことに感謝したい。
会場風景のペイジから自分の画像をコピーし、2月1日に "BANYAN BAR" へアップした文章に貼り付ける。
高島屋でのイヴェントに際してDMを送るべき先を特定する作業に、2時間を費やす。この仕事は、電話や不意の来客がある日中には行えない種類のものだ。
ウェブショップ の受注を確認し、きのうの日記を作成する。
朝飯は、塩鮭、豆腐の卵とじ、レタスとハムのサラダ、納豆、しもつかり、メシ、ダイコンと万能ネギの味噌汁。
始業と同時に、未明に抽出したDMの宛先を、タックシールへ印刷する。
先月末の新潟旅行では、携帯電話を使っても公衆電話を使っても、ウェブペイジのファイル転送が利かなかった。これをそのまま放置すれば、2月下旬の長い出張時に立ち往生することは必定だ。
この問題については、ここ数日のあいだ、外注SEのカトーノさんとメイルのやりとりをしながら原因を探ってきたが、夕刻、カトーノさんが来社してこれまでよりも詳しい試験をした結果、サーヴァーを置く "Computer Lib" がセキュリティ対策のため、あらかじめ登録した REMOTE HOST 以外からのアクセスを制限していることが分かった。
きのうから不具合の相談をメイルにてしていた "Computer Lib" へ、原因が判明したことを報せる。
残る心配は、携帯電話からのファイル転送において、1キロバイト程度のものならやすやすとこれを送ることができるが、10キロバイトになると途中で接続が落ちてしまうもので、これについても今月なかばまでには解決をしたいところだ。
午後3時すぎに、瀧尾と二宮の二社からもらってきた豆を、次男とまく。味噌蔵裏手の隠居から店舗までを歩き、次は自宅の玄関から2階、3階、4階と進む。
包装中の製品に豆が混入してはいけないと、袋詰め部門には豆をまかずにいたが、夕刻になって 「来てくれなかった」 と文句が出る。余った豆を持って、次男と現場へおもむく。
「福は内! 鬼は外!」 を繰り返した後で次男は、コンピュータへ今日の作業内容を打ち込んでいるツカグチミツエさんに質問をする。
「何歳?」 「3歳!」
次男がツカグチミツエさんに、一升桝から3粒の豆を渡す。ツカグチミツエさんが、それを口へ運ぶ。
サイトウヨシコさんの齢も、次男は訊ねる。
「何歳?」 「5歳!」
次男がサイトウヨシコさんに、5粒の豆を渡す。サイトウヨシコさんは、極端な甘い物好き、かつ極端な歯医者嫌いのため、歯があまり無い。固い大豆を噛みつぶせるかどうかについては、疑問の残るところだ。
どこへ行くかは定まっていないが、明日の夜はひとり遊びをする。今夜は酒を避けることとし、カスピ海ヨーグルトとイチゴ、それにバナナを摂取する。
8時に入浴し、9時前に就寝する。
朝6時に起床する。9時に就寝して6時に起きるとは、いかにも寝過ぎだ。疲れているのだろうか。事務室へ降りて、ウェブショップ の受注を確認する。
事務室のシャッターは、夏以外、早くから開けることはしない。朝食のために自宅へ戻り、北西の窓を開けて天気を確かめる。日曜日に空が晴れると、ことのほかほっとする。
朝飯は、玉子とミツバの雑炊。しその実のたまり漬、カキの佃煮、塩鮭、釘煮。
日中、年度末に公の機関へ提出するいくつかの書類を完成させる。客足が繁くなってきたため、駐車場の営業車を他の場所へ移す。ときおり外へ出て、店の前を掃除する。
終業後、販売係の社員たちと、対前年度週間ミックス表を検討する。このところ雪が多かったにもかかわらず、昨年よりも良い数字が残せたのは意外だ。
引き続き、2月19日から始まる日本橋高島屋での販売について、昨年の、このイヴェントの期間損益計算書を配布し、みなで検討する。損益分岐点比率を見て、ニヤニヤ笑っている社員がいる。僕もニヤニヤと笑う。極力、夜の飲み食いを減らす方向にて意見がまとまる。
初更、キャベツとジャガイモのサラダ、タイの干物、カキの佃煮、鴨肉団子とマイタケとネギの炊き物、しもつかり にて、焼酎 「鬼火」 を飲む。
しもつかりとは栃木県の郷土料理にて、鬼おろしで荒削りにしたダイコンとニンジン、ダイズとサケの頭を煮て、塩や酒粕で味を調えたものだ。僕はその見た目の悪さから食わず嫌いを通してきたが、27歳のとき、「並木蕎麦」 のオヤジから無理矢理に食べさせられて以来、これが好物になった。
料理が無くなり、しかし2杯目の鬼火はまだコップに残っているため、今市市沢又地区のサイトウトシコさんちのコシヒカリと湯島丸赤の極辛塩鮭 を肴として、これを飲む。
8時30分に入浴し、牛乳を飲んで、9時に就寝する。
枕元で、耳障りな音が鳴っている。昨夜は酔いながらも、翌朝の寝すごしを警戒したのだろう、目覚まし時計は午前7時にセットされていた。
うつらうつらしながら8時を迎える。これ以上、ぐずぐずしていることはできない。起床して洗面し、メイラーを回す。顧客からの問い合わせが無いことを確認し、ザックにコンピュータを格納する。
8時15分に甘木庵を出る。上野広小路から銀座線に乗り、8時35分に東武日光線浅草駅へ着く。浅草と下今市間の回数券と、9:00発の下り特急スペーシアの特急券を買う。
「ここまで汚いのは日本の奇跡だ」 と思われるような地下道へ戻り、とんかつ 「会津」 にて、400円の納豆定食生玉子付きを食べる。この地下道が臭く汚いままに放置されている裏には、常人にはうかがい知れない理由があるのだろう。
良く晴れた空の下、列車は隅田川の鉄橋を渡る。きのうの日記を作成し、「新聞王 ウイリアム・ランドルフ・ハーストの生涯」 を読む。
11時前に帰社する。きのうやりかけ、コンピュータに保存した仕事の続きを行う。
終業後に家内と、今市市根室地区のスポーツセンターへ行く。北からの風に、巨大な広葉樹の枝がこすれあって、不気味な音を立てている。所属するスポーツクラブの、スケート練習に参加している次男の様子を見る。
晩飯については、次男が 「ニク!」 と言うので、焼肉の 「大昌園」 へ行く。
窓際から、僕の名の書かれた焼酎 「田苑」 を取る。これを、オンザロックスにて飲む。モヤシナムル、オイキムチ、レヴァ刺し。タン塩、カルビ、コブクロとホルモン。石焼きビビンバと テグタンラーメンにて締める。
8時すぎに帰宅し、入浴して9時に就寝する。