2022.9.7(水) 朝の蜘蛛
「シュバイツァーは、あらゆる命を大切にした。部屋に迷い込んだ虫はコップに移して外へ放った。更には抗生物質さえ嫌った」と、子供のころ何かの本で読んだ。半世紀以上も前のことであれば、あるいはこの記憶にもあやふやなところがあるやも知れない。
朝、食堂に来てお湯を沸かそうとしながら、小さな蜘蛛の、レンジフードから垂れ下がっているのが見えた。蜘蛛は僕の姿に気づくと糸を腹の中に吸い込みつつ自らを吊り上げ、レンジフードにしがみついた。逃げられないとみるや今度は糸を延ばして数十センチほども下降し、また上昇してレンジフードに戻った。僕はその蜘蛛を手でやわらかくつかみ、先ほど開けたばかりの窓から外へ放つ、というよりは放り投げた。
「朝の蜘蛛は殺すな」だっただろうか、あるいは「夜の蜘蛛は殺すな」だっただろうか。そんなことを聞き覚えている。蜘蛛は地上にフワリと落ちて、これからもしばらくは生き続けるだろう。
蜘蛛といえば思い出すのは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で、これは中学校だか高等学校の国語の教科書にあったような気がする。もうひとつは内田百閒の「サラサーテの盤」。こちらも読んだことはある。百鬼園は三島由紀夫がみずからの「文章読本」で激賞するほどの文章家である。しかし幻想小説は残念ながら苦手の分野で、その内容はよく覚えていない。鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」は、開いた襖の向こうの大谷直子だけが脳裏に鮮やかだ。
朝飯 蓮根のきんぴら、茄子とピーマンの炒りつけ、生のトマト、納豆、しらすおろし、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 生のトマト、ピーマンとオイルサーディンの油蒸し、Old England、トースト、Chablis Billaud Simon 2018
2022.9.6(火) 言語の習得
先月30日の日記に書いた、2日分の「いつでも使える日記」には賞味期限があった。夏のあいだに公開すべきが、次々と書かれる日記により下へと追いやられるうち、季節はいつの間にか秋になってしまった。よってその文章は来夏に使うこととして、ワードブレスから秀丸に移した。「いつでも使える日記」はいずれまた、新たに増えていくことだろう。
ところで言葉について。
1歳9ヶ月になる孫のシンの日本語が、このところ僕のタイ語を追い越しつつある。先日は「ペン、ちょうだい」と言った。ペンはタイでもペンで通じるものの「ちょうだい」を意味するタイ語については、僕はそれを知らない。
「タイに来て1年、それとも2年」と、タクシーの運転手に訊かれたことがある。そうではない。僕のタイ語はメシを食うことと移動をすること、そのふたつにおける最低限が身についているだけだ。「私にペンを貸してください」は、そのどちらにも当てはまらないから話せないのだ。
タイ人の教師によるタイ語の学校は東京にもある。しかし先月28日の日記に書いたように、僕は「練習しなくては上達しないことの、ほとんどすべてが嫌い」な人間である。「行っても気力が保たねぇだろう」とは思う。
朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、小松菜のおひたし、納豆、オクラのおひたし、胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 炒り豆腐、夏太郎らっきょう、トマトと刻みキャベツとマッシュドポテトを添えた串カツ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.9.5(月) しその実
「しその実」は秋9月の季語。現在の季節感に一致しているところからすれば、それは新暦になってから定められたものと思われる。僕の9月の日程も「今年はいつからいつまでしその実を買い入れようか」というところから立てはじめる。
現在の商品のうち、しその実を使うものは「しその実のたまり漬」、「七種きざみあわせ・だんらん」、「ホロホロふりかけ」、「ひしお」の4種。このうち「だんらん」は特に人気の商品である。しその実の在庫を切らせるわけにはいかない。
しその実を近隣の農家から買い入れる期間は、様々な条件により伸び縮みする。今年は9月5日から10日までの6日間とし、製造係はそのための設備をおととい、蔵の中に組み立てた。設備とは3つの大きな水槽と、その各々に大量の水を供給するパイプ、スクリューコンベア、ミキサーである。
買い入れたしその実は製造係が蔵へ運び、この水槽を次々と移動させながら計3度、洗う。脱水機で水を切ったらミキサーで塩をまぶし、スクリューコンベアの下の口に入れる。そのしその実はそのコンベアにより高いところへ運ばれ、1,000リットルのプラスティック製の桶に溜められていく。
今年の初日の買い入れ量は、昨年のそれの4倍に上った。さて明日はどうなるか。計量と検品にあたる僕はせいぜい早寝早起きを心がけ、3度のメシをしっかり食べるのみである。
朝飯 ピーマンと茄子の炒りつけ、しらすおろし、めぬけの粕漬け、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、獅子唐の天ぷらと若布の味噌汁
昼飯 大根おろしのつゆによる素麺
晩飯 茄子とピーマンの揚げびたし、オクラのおひたし、トマトの甘酢煮、薩摩芋のレモン煮、お多福豆、鮭の漬け焼き、胡瓜のぬか漬け、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)、豆乳のババロア
2022.9.4(日) 初秋
掛け軸にはとんと興味を持たなかった。しかし2020年の春に「汁飯香の店 隠居うわさわ」を開業してすこし変わった。それについては2021年11月15日、および2022年2月26日の日記に書いた。家に遺された80余のうち「まぁまぁ」と感じられたものは30余。これらには四季の別およびABCの評価を付けてコンピュータに記録した。評価はもっぱら僕と長男の好みに拠る。
その30余のうち秋のもの、更にAの評価を付けたものは僅々2軸。すなわち高久隆古の「秋景山水之図」および田崎草雲の「厳菊之図」を朝のうちに隠居へ運ぶ。菊の節句が目前に控えている。しかしそれは新暦によるのだから、季節感は伴わない。よって今日のところは菊を避け、高久隆古の作を掛ける。
隠居の床の間には、きのうまでは夏に似合いの、家では「緑の絵」と呼び習わす油絵が飾られていた。その景色を「秋景山水之図」は一変させた。まぁ、当たり前といえば当たり前である。
旧暦による菊の節句は10月4日。これにより田崎草雲の「厳菊之図」は10月1日の朝より掛けることとして、カレンダーに覚え書きを記す。
朝飯 蓮根のきんぴら、納豆、トマトとズッキーニとウインナーソーセージの油蒸し、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 なめこのたまり炊、納豆、蛍烏賊の沖漬け、梅干によるお茶漬け
晩飯 茄子の炒りつけ、薩摩芋のきんぴら、烏賊とじゃがいもの煮付け、鱈と鶏としめじの鍋、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)
2022.9.3(土) 今年はこれが最後、でもない
伊豆へ出かけようとしている8月31日の朝は、食欲に優れなかった。それでも習慣として、朝食を抜くことは考えなかった。素麺を茹で、それを食べてから駅へ向かった。
素麺のつゆは、今年から自分で作っている。その量は1度に1リットル。あれこれの配合はそのつど変え、もちろん記録をしている。そして今朝は4回目のつゆ作りをする。
7月25日に作った1回目のつゆは、浅草や神田の「藪」のそれのように醤油っ気が強かった。江戸前の蕎麦なら良かろうけれど、ウチの素麺には塩辛すぎる。8月6日の2回目は、そのあたりを勘案したものの、いまだ塩気が強すぎた。8月22日の3回目は、調合をガラリと変えてみた。塩辛さは消えたものの、輪郭の明確さも失われた。
昼は、朝に作ったばかりの4回目のつゆにより、素麺を食べる。「かえし」の量は、初回より4割も減らしている。それとは逆に、甘味は数倍に増やしている。今日のそれは、流石に甘すぎる。しかし「これはこれで、あり」という気もする。「かえし」は3回目と変わらない量にて、味の彩度は相変わらず低い。
「素麺のつゆ作りも、今年はこの4回目が最後か」と、漠然と考える。冷たい素麺は、今月でおしまいかも知れない。しかしそのつゆは、にゅうめんにも天ぷらにも転用できる。「かえし」はいまだ、450ccほどが残っている。「だったら、また作ってみようか」と、先ほどの考えをあらためる。
朝飯 蓮根のきんぴら、ピーマンの炒りつけ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンの肉詰め、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 玉葱のつゆの素麺
晩飯 シメジとじゃがいもと水菜のサラダ、茄子とピーマンの味噌炒り、豆腐と浅蜊と万能葱の味噌汁、豚の冷ししゃぶしゃぶ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)、与那国島の黒糖、Old Parr(生)
2022.9.2(金) 風鈴下ぐ
伊豆およびその行き帰りに使ったお金を家内と折半すべく、卓上にレシートや領収書を広げる。レンタカーのそれには他と異なって明細が印刷されている。そのうちの、今回の走行距離は「20KM」だった。24時間を借りて、走る距離はたかだか20キロ。しかしこれにはわけがある。
伊豆での1日目の移動は以下。
伊豆高原駅
↓
伊豆高原痛みの専門整体院
↓
ホテル
↓
夕食(外食)
↓
ホテル
同じく2日目の移動は以下。
ホテル
↓
朝食(外食)
↓
伊豆高原痛みの専門整体院
↓
伊豆高原駅
上記の各々は、徒歩ではこなせない位置関係にある。しかし都度タクシーを呼んだり返したりを繰り返せば、手間は勿論のこと、費用も嵩むに違いない。24時間に20キロしか乗らなくても、レンタカーはやはり必要なのだ。
さて今日は、先月末より気になっていた風鈴を、店の犬走りと隠居の軒先から外した。犬走りの小屋梁はそれほど高くない。対して隠居の庇に手を延ばすには高い脚立を要し、それを現場に運ぶだけで汗をかく。
外した5つ6つの風鈴を専用の箱に収めつつ「風鈴下ぐ、なんて季語はねぇかな」と考える。事務室に戻って早速、稲畑汀子の「ホトトギス季寄せ」を取り出す。調べてみれば、風鈴はしかし、夏七月のところにしか見あたらなかった。
朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、炒り豆腐、ピーマンの炒りつけ、蓮根のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 レタスとセロリとチーズのサラダ、4種のパン、クリームシチュー、Chablis Billaud Simon 2018、メロン
2022.9.1(木) 伊豆治療紀行(7回目の2日目)
原宿竹下通りの「ビッグスポーツ」でラグビージャージーを買う。次はパンツだ。すると「ひとつふたつサイズを落とした方が…」と、かたわらに立つカタヤマタカユキさんは口を添えてくれた。夢である。カタヤマさんは一昨年の春に亡くなったのだ。
それはさておき、僕は学生時代、実際にその店でラグビージャージーとパンツを買ったことがある。僕のラグビーは「授業で仕方なく」だったが、カタヤマさんは國學院久我山高等学校ラグビー部の選手だった。更に、実際のカタヤマさんは、人の買い物に横から口を出すような人ではなかった。惜しい人を亡くしたものである。
膝に当てられる電子ペンは、膝の皿の真ん中に打たれるものがもっとも痛い。悲鳴を上げるどころではない。痛さに声も出ないのだ。もうひとつ、打たれる場所によっては妙に神経に障る。その、激痛と共に感じる気持ちの悪さには耐えがたいものがある。
伊豆高原13:20発の上りに乗り、新橋には15時37分に着く。いつもの大衆床屋で散髪をし、おなじビルにある時計屋で電池を交換する。家内との待ち合わせにはいまだ時間があるため、喫茶店に入って本を読む。
8丁目の和食屋の、我々はその日、最初の客だった。「びしょ濡れだよ」と、次の客が駆け込んでくる。一瞬「へー」と思うが、そんなことより僕は、自分の飲み食いの方が忙しい。小さな蕎麦猪口で4杯をこなして外へ出る。雨は首尾良く上がっていた。
朝飯 「ガスト伊豆高原店」のハンバーグモーニングセット(パンとスープをごはんと味噌汁に変更)
晩飯 「す多ち」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「黒龍酒造」の「龍」(冷や)
2022.8.31(水) 伊豆治療紀行(7回目の1日目)
我が人生最高の治し屋であるワタナベマサヤス先生が「寒いところはイヤだよ」と、宇都宮から伊豆に移ってしまったのは2020年の夏。以降は仕方なく、伊豆に通うこととなった。その初回は2021年4月6日と7日で、2回目は今年1月の25日と26日。前年末からの疲れを腰に溜め、それをどうにか誤魔化しながら受けた2回目の治療は辛かった。
怪我や病気を除いては、からだの痛みはすべて姿勢の悪さに起因する。その、知らず知らず身についた姿勢の癖は第4頸椎をずらす。その「ずれ」が、その人の、そのときの弱いところに痛みとなって現れる。というのが先生の持論である。
伊豆へ行くときには、下今市から7時45分発の上り特急に乗る。北千住で常磐線に乗り換えれば東京駅には10時前に着く。買う切符は10時27分発の名古屋行き自由席。今日はその車両に、家内が品川から乗り込んできた。熱海でJR伊東線に乗り換え12時17分に伊豆高原に着く。
姿勢をいくら正そうとしても、長年の癖は、そう簡単には正せない。「伊豆高原痛みの専門整体院」には、先生に言われた頻度で通うことが肝要だ。前回の治療は7月5日と6日。次回は当初、今月の2日と3日に予約を入れたものの、繁忙により取り消さざるを得なかった。こうなると、次の治療が怖い。間を空けることにより患部の悪化が進むからだ。
否、患部の悪化はそれほど怖くない。その、より悪化した部分を9,000ボルトの電子ペンで直撃される、その痛さが怖いのだ。電子ペンによる痛みは症状の重さに比例する。昨年より僕が集中的に治療されているのは膝。膝のように、肉のないところに当てられる電子ペンは特に痛い。その痛みに耐えて治療室から解放されたときの気分には、何ともいえないものがある。
燈刻よりなじみの焼鳥屋で焼酎のソーダ割りを飲む。部屋まで引かれた温泉には夕食の前に浸かっていた。よって宿に戻っては即、寝台に上がり、即、寝に就く。
朝飯 生玉子と玉葱のつゆの素麺
昼飯 「崎陽軒」の「シウマイ御弁当」
晩飯 「和居」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「いいちこSUPER」(ソーダ割り)
2022.8.30(火) いつでも使える日記
現在、日記の在庫は5日分がある。おとといの日記もきのうの日記も今日の日記も書き終えている。そのほか、いつでも使える日記が2日分ある。
未来の日記まで書いて楽なのは、日記を書くことに追われない、ということだ。「惜しかったな」と感じるのは、既に日記の書けている日に特筆すべきことが起きた場合だ。しかしそれも、近未来の日記に過去のこととして書こうと思えば書ける。つまりウェブ上に日記を公開している者にとって、先々の分まで日記を書いてしまう行いには利点の方が多い。
ところでいま在庫をしている「いつでも使える」2日分の日記には賞味期限がある。季節感としては夏のものだから、秋になる前に使う必要がある。それまでに日々の記録、また他にも「いつでも使える日記」がいくらでも書けてしまい、その2日分の日記が後まわしにされる可能性はある。しかし問題は無い。来年の夏まで在庫をしておけば良いだけのことだ。
みっともないのは、続けられずに放置されたままのウェブ日記だ。「他に面白いことを見つけたから」とか「電波の及ばない山中に閑居をするから」とか「体力、気力の衰えにより」など理由を記して、それを終止符とすべきと思う。
何十年と書き続けた日記をウェブ上から消し去ってしまう潔い人もいる。その人の日記であれば、どう処理しようが勝手ではある。しかしそこにある情報を頼りとして新しいことを始めようとする人もいる。窮地から脱する人も、またいるかも知れない。中断させた日記でも、しばらくはウェブ上に留め置くべしと、僕は考えている。
朝飯 焼きおむすび、大根と胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、トマトと揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 冷やしトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、夏野菜とコンビーフの油蒸し、ピーマンの炒りつけ、夏太郎らっきょう、「新政酒造」の「エクリュク2020」(冷や)
2022.8.29(月) 自分でも分からない
毎週、土日月は朝食専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日にて、家内は早くからそちらに入る。よってその3日間の朝食は自分ひとりで準備する。
朝食の動画は、おととしより2日に1度ずつTikTokへ上げてきた。それに加えて今年の7月17日からは、これまでの数十秒より格段に長い10分ちかくの動画を週に1度ずつ上げることとした。題名は「10分で準備できる頑張らなくても美味しい朝食」である。
この長い動画は、家内のいない朝に撮る。おなじおかずが続かないよう、内容は欠かさず記録する。そのノートを7日ぶりに開く。食堂の明かりは、紙の文字を読むにはいささか暗い。よって卓上に携帯用の照明を置く。
6時30分より今日の朝食の「おかず盛りつけ編」、「味噌汁つくる編」、「食べる編」の3本を撮る。それぞれの長さは5分35秒、5分25秒、3分7秒だったから「10分で準備できる」は嘘でない。
「10分で準備できる頑張らなくても美味しい朝食」の、特に7月31日に撮った分は、今朝までの再生数が80万4千200回。増えたフォロワーは5,000人。バズれば大きい世界である。
「で、動画を上げてフォロワーを増やして、何をどうするつもりか」と問われれば「今はいろいろとやってます」としか説明のしようは無い。自分でも、何がどうなるかは分からないのだ。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根のきんぴら、ピーマンとコンビーフの油蒸し、炒り豆腐、茗荷の酢漬け、胡瓜と大根のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、トマトと若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 カプレーゼ、ハヤシライス、Old Parr(ソーダ割り)、「福砂屋」のカステラ、Old Parr(生)