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清閑 PERSONAL DIARY

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2024.6.4(火) タイ日記(2日目)

素っ裸で目を覚ます。部屋の灯りは点いたままだったものの、クーラーは幸い切ってあった。時刻は1時。きのうの夜のことは、食堂でお金を払ったまでのことしか覚えていない。部屋へ戻り、シャワーを浴びるなり、ベッドカバーの上で眠ってしまったのだろう。

取りあえずは起きて、きのうの日記の続きを書く。旅の初日の日記はどうしても長くなる。「こんなものを誰が読むか」とは思うものの、これを書き上げないことには先へ進めないのだ。

4時15分に至って明かりを落とし、布団に潜ってみる。外からは鳥、ヤモリ、トッケー、また虫か爬虫類か鳥類かは分かりかねる、様々な声が聞こえてくる。そして眠れないまま6時にふたたび起床する。

きのうの日記を「公開」して、8時に食堂へ行く。きのう洗濯について訊ねたオネーサンが、タイシルクなのか化学繊維なのかは分かりかねるパジャマ姿で僕を待ち受ける。「パジャマで接客っ」などと驚いているようでは、タイを旅することはできない。そのオネーサンにきのう着たものを入れたプラスティック袋を手渡す。

オネーサンはスマートフォンにタイ語で何ごとかを呟く。ディスプレイには洗濯物の数を問う英文があった。「シャツとアンダーパンツと靴下の3点」と英語で答える僕の口元にオネーサンはスマートフォンを近づける。オネーサンはそのスマートフォンのディスプレイを見て頷いた。部屋の掃除についてもオネーサンは同様にスマートフォンを近づけた。僕は「ミネラルウォーターを2本とロールペーパーが欲しい」と英語で答える。オネーサンはディスプレイのタイ語を読んで、またまた頷いた。

「りざべーしょんふぉーかとーぷりーず」と、日本のビジネスマンがアメリカのホテルマンに話しかける、アメリカン・エクスプレスのテレビコマーシャルがむかしあった。「オー、ミスタカロー」と答えたアメリカ人は、テキサスの人だったのだろうか。テキサス人の英語だろうが日本人の英語だろうが、それを瞬時にタイ語に翻訳してしまう人工知能の優秀さには、舌を巻くばかりである。

今回、シサッチャナーライに来た目的は、ヨム川に沿った中世からの街道を自転車で遡り、42番窯と123番窯による博物館の周辺を散策することだった。ホテルからの距離は8キロメートル。今朝の天気予報によれば、最低気温と最高気温はそれぞれ27℃と33℃。降水確率は6パーセント。僕は目的を果たすことができるだろうか。

08:50 きのうの自転車でホテルを出発。街道はほぼ平坦。
09:00 “Tao-Mor Gate”を通過。疎林の作る日陰が心地よい。
09:05 “Ban Pa Yang Kiln Site”を通過。右手には日干し煉瓦による防塁、左手には環濠の跡が続く。
09:10 林を抜けて広い道に出る。右手の低いところにヨム川が望める。
09:23 大木の陰でひと休みをする。

09:29 博物館”Center for Study & Preservation of Sancalok Kilns”前を通過。
09:30 ふたたび疎林の中に入る。
09:35 “Ban Koh Noi Kiln Site”に入る
09:37 本日の目的地である、42番窯と123番窯を屋根で覆った博物館に到着。

ところで自転車による往復16キロメートルの走行を前にして、気になったのは水と手洗いについてだった。ホテルが部屋に置くミネラルウォーターはガラス瓶によるもので、フタの形状からして持ち歩きはできない。ナムパオ、つまりペットボトル入りの水を持参べきだろうけれど「欲しくなったら途中で買えば良い」と、高を括った。手洗いについては出たとこ勝負とした。

訪れる客は日に数名と思われる博物館の観覧料は100バーツ。入場券を手渡してくれたオバチャンは僕に屋内に入るよう促したが、その前にホンナム、つまり便所へ行きたい。その場所を訊くとオバチャンは数十メートルほども離れた、あずまやのような建物を指した。即、早足で近づいて用を足し、そのついでに顔を洗って汗を流す。その国へ行くとき、もっとも必要な言葉は挨拶などではなく「トイレはどこですか」だと、僕は確信をしている。

すっかりさっぱりして博物館に戻り、地中のかなり深いところから発掘をされた、ふたつの窯跡を見ていく。2019年の3月にも来たところではあるけれど、裏を返せば、また違った発見もあるものだ

と、そのとき少し離れたところから掃除のオバチャンが僕に声をかけつつ右の人差し指1本を立てた。「ひとりか」と訊かれているものと理解をして、僕も返事をしつつ右の人差し指1本を立てる。オバチャンは僕に近づきメガネを見せる。それは先ほど、便所で顔を洗う際に脇に置いた僕のものだった。メガネはデンマークの”LINDBERG”に紫外線防止用のレンズを取り付けた、安くないものだ。いと有り難し。僕は固辞するオバチャンの手に50バーツ紙幣を握らせた。

帰り道は、10時08分に現地を出発し、途中、巨大な菩提樹の下で涼みたい気持ちは起きたものの、結局は休むことなくペダルを漕ぎつつけて10時42分にホテルに帰り着いた。これで僕の「街道をゆく」は完了した。今日の午後と明日は休養に充てよう

昼食は抜く。僕は旅に出ると、空腹はそれほど覚えない。体内で最もエネルギーを必要とする器官は脳だという。腹が減らないのは、脳が雑事に煩わされないことによるのではないか。

南の国では、シャワーの後、素っ裸でベッドに大の字になり外を眺める、という日本にいてはできない贅沢ができる。汗は、シャワーを浴びてから40分ほどしてようやく引いた。

15時をすこし過ぎるころ、雨粒の、コテイジの屋根に落ちる音がした。やがて数分もしないうちに、雨は恐ろしいほどの勢いになった。風も強く、間近に見える椰子の葉は薙ぎ倒されんばかりに揺れる。いつまでも続くと思われたその雨は、小一時間ほども暴れると、いきなり、上がった。

17時30分に部屋を出て、きのうの夜とおなじ食堂へ行く。きのうは見なかった女の子が、何も言わないうちにグラスとバケツの氷を持って来る。料理はチャーハンと空心菜炒めを注文した。そしてそれを肴にして、持参したラオカーオのソーダ割りを飲む。

部屋には19時に戻った。シャワーを浴び、パジャマを着る。クーラーには1時間後に電源の切れる設定をし、今日こそはすべての明かりを落として就寝する。


朝飯 “Sisatchanalai Heritage Resort”の朝の定食
晩飯 「プリィアオ」のカオパットクンパットパックブンファイデーン豚挽き肉とパクチーのスープラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2024.6.3(月) タイ日記(1日目)

周囲が騒がしい。スチュワードが僕の前にテーブルを引き出し、朝食のお膳を載せようとしている。時刻は4時30分。これまでは3時ごろ、羽田を発った深夜便が台湾と海南島のあいだを飛んでいるときに目を覚ましていた。今回は随分とまぁ、よく眠れたものだ。

05:10 洗面所で歯を磨く。
05:42 「スワンナプーム空港まで25分」のアナウンスが流れる。
06:00 地上の灯りが近づいてくる
06:12 “Airbus A350-900″を機材とする”TG661″は定刻より38分はやい日本時間06:12、タイ時間04:12にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

04:33 昨秋に開業した、新しいターミナルビルとこれまでのターミナルビルを結ぶシャトルトレインが発車する。
04:46 入国審査場を通過。
05:05 回転台からスーツケースを引き上げる際に転び、ちかくの男の人に助けられる。筋力が落ちているのだろうか。
05:20 到着階の3階から出発階の4階へ上がってバンコクエアラインのチェックインを完了

荷物がグレゴリーのデイパックひとつになったところで地下1階へ降りる。エアポートレイルリンクの乗り場ちかくに並ぶ両替屋のレートはどこもかしこも変わらないようだが、米ドルの小額紙幣に他店より良い数字を出していたスーパーリッチの列に並ぶ。今回は日本円ではなく、2010年に1ドルあたり91円で買った米ドルの、いまだ残っていた1,034ドルを両替する。結果は以下の通り。

USD100(RATE36.55)×6=21.930THB
USD50(RATE36.55)×2=3,655THB
USD20(RATE36.45)×3=2,187THB
USD10(RATE36.45)×25=9112.5THB
USD1(RATE36.20)×24=868.8THB
TOTAL 37,753THB

これに手持ちのタイバーツ6,057バーツを加えれば総額は43,810タイバーツ。田舎で細々と過ごせば、ひと月くらいは保つ金額である。空港内では薬屋の”BOOTS”でビタミンCの錠剤を84バーツで買った。

さてスコータイ行きのバンコクエアライン”PG211″の搭乗口はA8。延々と歩いて保安検査を受け、更に行くと、そこはA6が行き止まりだった。係に搭乗券を見せて、保安検査場の脇から通路に戻る。そして来た道を延々と戻ってひとつ下の階に降りる。いまいちど保安検査を受けてA6のベンチに着く。時刻は6時35分。

そのまま座っていると、僕の名が呼ばれる。「搭乗券に記されたボーディングタイムは6時30分だが、さて…」と思案しつつちかくの係に声をかける。その女の人は即、外に停車中のワゴン車に僕を案内した。車内には運転手のほかに数人の女の人が乗っていた。これすなわち遅れ組、なのだろうか。最後の乗客として6時45分に機のタラップを上がる

搭乗券に示された席は窓際の6Aだったものの、通路側6Bの乗客が窓際に移っていたため、スチュワーデスはその前の5Aに僕を座らせてくれた。振り向いて数えたところ、全62席に乗客は27名しか乗っていない。”ATR72-660″を機材とする”PG211″は、定刻より1分はやい6時59分に離陸をした。

やがてサンドイッチとクッキー、それにコーヒーが運ばれる。タイの国内線で供される軽食が好きだ。それらはおしなべて程が良い。「美味いものが食べたければ、地上に降りてから食べれば良いではないか」と僕などは考えるけれど、どうだろう。

離陸して数十分が経つと「水に魚あり、田に米あり、王は民に税を課すことなく…」とかつて謳われたスコータイが眼下に見えてくる。機は定刻より21分も早い7時39分にスコータイ空港に着陸。沖に駐められた機から、乗客はまるで遊園地の遊覧車のようなもので空港の建物まで運ばれる。荷物は別途、ピックアップのトラックにて同時に届いた

さて僕が今回の旅でもっとも懸念したのは、スコータイの空港とホテルとのあいだの交通についてだった。ホテルは人里はなれた遺跡のちかくにあり、空港のシャトルバスのコースには入っていないことが予想されたからだ。しかし案ずるより産むが易し。シャトルバスのオネーサンに声をかけると、オネーサンは上役に、その上役はおなじ会社のタクシー係に声をかけ、話はすぐにまとまった。料金は片道1,000バーツ。いささか高いとは感じたものの、空港からホテルまでは22キロメートルもあり、四の五の言ってはいられない。

太った女性の運転手は、18キログラムのスーツケースを難なくトランクルームに納めてくれた。また運転席に乗り込むや後席の僕に振り向き、よく冷えたペプシコーラの缶を手渡してくれた。タクシーが空港の駐車場から走り出した時刻は8時22分。雨が上がったばかりなのか、道路はほどよく湿り、車載の室外気温計は27℃を示している。

僕が読んだ本によれば、インドシナのドミノ倒し的な共産化を懸念したアメリカが、タイには1960年代に徹底的な宣撫工作をした、そのひとつの結果が全国に張り巡らされた広い道路だという。嘘か誠かは知らないけれど、その道路を飛ばしてタクシーは8時50分にホテルの門をくぐった。驚くべき早さである。

林の中にコテージの点在する道を「アゴダー」と確かめつつ黄色いポロシャツのオネーサンが近づいてくる。「アゴダー」と僕はオウム返しに答えてホテルの予約票を出す。母屋の脇の守衛小屋のようなところでオネーサンはその紙を確認する。このホテルがコテージの形式であることは”agoda”のサイトで確認をしていた。中央棟にはタイシルクなどを売る設備もあったようだが、実際には機能していないらしい。

庭内には細く舗装した道が整備されているものの、それ以外のところは砂利または草のため、スーツケースの車輪が傷みはしないかと心配になる。案内されたNO.2のコテージは幅50メートルほどのヨム川に面して、居心地はなかなか良さそうだ

シャワーは南の国ではおなじみの、電気湯沸かし式だが、温度も水量も申し分ない。荷物を整理し、きのうの日記を完成させる。

11時30分、小径を伝って河床のような食堂へ行く。オネーサンやオバチャンなど3人が端の席で何やらしている。このホテルの社員は、基本的にはいつも、ここにいるらしい。スイカのジュースを注文し、オネーサンにはコンピュータをwifiに繋げてもらう。そして1時間とすこしを、今日の日記を書きつつ過ごす。ジュースは街の茶店で飲むより高い100バーツ。別途、チップの20バーツを置いた。

このホテルの客は、どうやら僕ひとりらしい。ひとつひとつのコテージに車止めが付いているところからして、モーテルのように使われることが多いのかも知れない。南の国ではよくあることだが、何をしているのか分からない男たちも数人ほどはいる。管理についてはそれほどうるさくないらしく、はじめに受付をした場所の脇にある自転車は、自由に乗ってかまわないらしい。

午後、6、7台ほども並ぶ自転車の中から1台を引き出して街道に出てみる。ペダルが馬鹿に重い。すれ違った地元の人が後輪を指さしている。パンクではないものの、タイヤの潰れ具合は限りなくパンクに近い。即、ホテルに戻って他の自転車に乗り換える。あたりは世界遺産の遺跡ではあるけれど、人の姿はまったく見えない

夕刻、昨年の4月にタイから持ち帰って冷蔵しておいたラオカーオのペットボトルと本、財布、iPhoneをセブンイレブンのエコバッグに入れて外へ出る。そして15世紀に建てられた仏教寺院のひとつ”Wat Khok Singkharam”の前の食堂に入る。オジサンの差し出したメニュを入念に眺めつつ、鶏肉のガパオ炒めにごはんと目玉焼きを付けてもらう。ソーダとバケツの氷も追加する。鮨を肴に日本酒を飲む。マカロニグラタンを肴に白ワインを飲む。それと変わらずタイのメシを肴にラオカーオを飲むことも、また静かに楽しい。

食堂の客は僕ひとり。街道にはたまに、荷物のための台を脇に作り付けたオートバイが通るのみ。気温は日本の夏の夕方とおなじくらい。テーブルに開いているのはドナルド・キーンの若いころの書簡集「昨日の戦地から」。何もかもが、僕にとっては素晴らしい。


朝飯 “TG661″の機内食
昼飯 “PG211″の機内食
晩飯 「プリィアオ」のパッガパオガイカイダーオ、豚挽き肉とパクチーのスープ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2024.6.2(日) リンゴの国

お湯で湿らせた頭にシャンプーを垂らす。そして指で髪の毛をかき回す。しかし一向に泡立たない。シャンプーを追加しても、髪の毛が泡立たないことは先ほどと変わらない。「おかしいな」といぶかしみつつ夢から覚める。

外はいまだ明るみを帯びていない。iPhoneは銀座のアップルストアに預けたままだから起きて洗面所へ行き、低い棚の時計に目を遣る。時刻は3時23分だった。

仏壇のことを済ませてから荷作りの仕上げにかかる。細かい説明は省くが、今回は持ち物が多い。割れ物を持ち帰るためのエアキャップ、通称プチプチの、60センチメートル角のものを2枚入れると、いつもの機内持込用リモアより6リットルだけ容量の大きなPROTEX FP-32Nは酒蒸しにされたハマグリのように口を開けたまま閉まらなくなった。仕方なく、エアキャップはグレゴリーのデイパックに移す。

ようよう閉めたスーツケースを持ち上げると、その重さは僕の旅行史上、かつてないほど重くなった。重量はスコータイで更に増すかも知れない。とにかくバンコクまでは我慢の一途だ。

それにしても、荷作りにこれほどの日数がかかるとは予想しなかった。繁忙により昼は働きづめだった。自由になる時間は早朝に限られた。それが荷作りの遅れたもっとも大きな理由である。

町内を掃除する勤労奉仕「クリーン大作戦」のため、7時に町内の公民館前に集まる。僕は店の前、国道121号線の真ん中の、クルマから投げ捨てたらしい空き缶その他の食べかすを公民館へ運び、分別をする。街の中心部には、ゴミは大して見あたらない。奉仕の作業はすぐに終わった。

17:30 数時間前に17時35分の迎えを予約したタクシーが事務室の前に停まる。普段なら後部座席に置くスーツケースを、今回はトランクルームに入れる。弱くない雨の降る中、運転手は外に出てトランクルームのドアを開けてくれた。

17:33 下今市駅着。運転手には50バーツ、もとい釣銭の200円を心付けとする。
17:38 「東急線内で発生したホームドア点検の影響により、東武スカイツリー線は押上と曳舟のあいだで不通」とのアナウンスがプラットフォームに流れる。

17:52 スペーシアX12号が下今市駅を発車。先代のスペーシアでは遅くて使い物にならなかったwifiだが、スペーシアXでは随分と早くなっていた。よってそれを使って今日の日記のここまでを書く。
19:35 スペーシアX12号が無事、浅草に定刻に着く。スーツケースが重いため、浅草では松屋のエレベータを使って地下に降りる。

19:48 地下鉄銀座線の車両が浅草を発車。
20:02 新橋に到着
20:15 傘を必要としないほどの雨の中を歩いてアップルストアに入る。

「きのうお見積もりをしたディスプレイの交換では、今回の不調は治らないことが分かりました。本体まで手を入れますと修理代は見積もり高くなりますため、今回はこのままお返しします」と、今日の緑のシャツの人は信じがたいことを口にしたから「いや、それは困る」と強く抗議をする。僕は今夜のうちに海外へ行こうとしているのだ。

ガラケーという言葉がある。iPhoneも実は「リンゴの国」というガラパゴスの中に存在しているのではないか。我々は、顧客と連絡を取ろうとすれば、携帯電話、固定電話、メール、手紙など、様々な通信手段を確保している。アップルストアの場合、iPhoneで連絡がつかなければ肩をすくめて両手を広げ、それでお終い、というところがありはしないか。

「お客様、そうなりますと、本体を交換するしか方法は無くなりますが」と言う相手に「そうしてください」と、間髪を入れず答える。いくらお金がかかろうが、iPhoneを欠いてはいかにも旅はしづらい。僕のようにコンピュータとiPhoneの二本立ならともかく、iPhone一丁の人ならその場で「頓死」だろう。

真新しいiPhoneは機種がSEの第二世代ということもあり、意外や安い37,400円。ガラスの強固な液晶カバーは6,800円だったから、双方を合わせても44,200円で済んだ。「やれやれ」である。

20:49 アップルストアを出る。雨が強くなっている。
21:04 快特羽田空港行きの車両が新橋を発車。車内にてとりあえず、使い慣れたカメラのアプリケーションをiPhoneにダウンロードする。
21:28 羽田空港第三ターミナルに到着。

21:33 タイ航空のチェックインの列に並ぶ。
21:45 チェックインを完了。スーツケースの重さは18.0キログラムだった。
21:52 保安検査場を通過。
21:55 出国審査場を通過。

今回の搭乗場所は、いつもとは反対側の105番ゲートだった。しかしそちらの方に飲食店は少ない。よって逆の、出国審査場を出て左側へ向かう。昨年の4月はいまだ「コロナ」の余波が残っていたから22時で閉店してしまった鮨の「魚がし日本一」に近づく。そして握り鮨を注文すると、いまの時間にそれは作れず、すべて丼になると言われた。それでは食べる気がしない。目と鼻の先のバーへ移動し、ホットドッグを今夜の食事とする。

来た道を戻って、とはいえ羽田空港も結構、広い。もうすぐ105番ゲートというところの右側にプライオリティパスのラウンジを見つけて大いに驚く。自分のカードと搭乗券を示して中に入り、料理や飲物を検分する。「だったら先ほどのホットドッグ代は使わずに済んだわな」と、損をした気になる。なおシャワーは1時間以上の待ちとのことだった

その更に先の、ビタミンCを買うため当てにしていたコンビニエンスストア”BOOKS & DRUGS”には残念ながらシャッターが降りていた。張り紙には「新型コロナウイルス蔓延防止のため」などと数年前の決まり文句があったから、長く閉まったままなのかも知れない。

22:55 105番ゲートに達する。乗客の数は意外や少ない。昨年の4月に目立った、タイから日本に遊びに来た人たちが帰る姿も見えない。彼らの旅は、桜の季節に集中するのかも知れない。
23:30 「間もなく搭乗」のアナウンスが肉声で伝えられる。
23:35 搭乗開始
23:41 窓際3列の通路側55Cの席に着く。窓際に人はいるものの、真ん中は空席らしい。すこし嬉しい。


朝飯 2 種5個のおむすび、らっきょうのたまり漬、サラダ菜と長葱とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “BAR RAGE”のチェダーチーズペッパーソーセージドッグ、コカコーラ(カロリーゼロ)


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2024.6.1(土) 銀座、新橋、秋葉原

きょう、ママンが死んだ。否、オフクロは2014年10月15日に亡くなっている。死んだのはiPhoneのディスプレイである。朝一番からGUI、つまりGraphical User Interface、簡単にいえば指によるタッチに画面がまったく反応しなくなった。

4階にはwifiの電波が飛んでいない。普段はiPhoneを介してインターネットに繋いでいる。今朝はそれができないため、コンピュータを手に事務室へ降りる。そして日記の更新、「汁飯香の店 隠居うわさわ」の予約の対応、その他を行う。

6時を過ぎたところで次男に声をかけ、助けを求める。iPhoneのディスプレイが死んだ状態で、一体全体、どのようにしてアップルストアに修理の予約ができようか。次男は試行錯誤の末に自分の名前で12時45分の予約を入れ、QRコードの入った予約票をプリンターから出力してくれた。「助かった」である。

今日は元々、東京へ行く用事があった。銀座8丁目のアップルストアの入口で、ちかくにいた緑のTシャツの店員、否、スペシャリストに予約票を見せると、3階へ行くよう教えてくれた。

「いま何時ですか」と、3階でやはり緑のTシャツの人に訊く。iPhoneは使えず、腕時計の電池は切れている。「12時27分です」の返事に「予約は12時45分ですが」と伝えると「大丈夫です」と、その大きくいかつい人は優しく頭を下げた。

窓際の椅子で待つ僕に別の係が近づいて、手際よく問題を処理していく。ディスプレイを交換すべきiPhoneは15時30分に仕上がるとのことだったが、手渡しには顔写真の入った身分証明書が必要とのことだった。僕の悪い癖にて、そのようなものは携帯していない。明日にまた来ることを約して外へ出る。

新橋で腕時計の電池を入れ替え、自由学園男子部35回生の同窓会が開かれる秋葉原へ移動する。秋葉原とはいえJRの駅の中を上がり下りはしたくないので、新橋からは銀座線を使う。

15時からの同窓会は、今年の3月に亡くなった同級生イトーイクオ君を偲ぶためのものだった。人数は15名が集まった。会場の予約はセキグチヒロシ君が骨を折ってくれた。皆から集められたイトー君の在りし日の画像はアカギシンジ君がまとめ、次から次へと会場のディスプレイに大写しにしてくれた。会はしめやかに、また賑やかに続いて18時にお開きになった。

後は尻に帆かけて、ではあるけれど、末広町から乗った銀座線を次の上野広小路で降りて、数十分ほどのひとり飲みをする。そして浅草19時19分発の下り特急に乗り、21時すぎに雨の中を帰宅する。


朝飯 ジャコと山椒の実の炒り煮、コールスロー、ジーマミー豆腐、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、サラダ菜と揚げ玉の味噌汁
昼飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
晩飯 「もつ焼でんアメ横店」の牛煮込みお新香シロのたれ焼き、梅割り焼酎


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2024.5.31(金) すべて捨てるつもり

目を覚まして枕頭のiPhoneに手を伸ばすと時刻は3時38分。即、起床する。

おとといの日記、きのうの日記、「汁飯香の店 隠居うわさわ」へのご予約への対応、社内の電子会議室への返信、私信への返信、朝の空の撮影などをするうち時刻は5時38分。ここから日曜日の夜に出発する旅の荷物の、服の準備に取りかかる。まとまった時間が確保できなければ、ジグソーパズルを完成させるように、毎日、すこしずつ作業を進めるのみだ。

長男と9時に銀行へ行くことは、きのうのうちから決めたあった。それが諸般の事情により1時間30分も遅れてしまう。行員と面談の約束をしていたわけではないから迷惑はかけていないものの、まこと時間の管理とは思うようにいかないものだ。

銀行の用事を終えたところで長男と別れ、今月20日の次は27日に治療を受けたセキネ耳鼻科へ移動する。鼻炎の具合は前回より更に良くなっていたものの、飲み薬と点鼻薬は、いましばらく続けることとなった。

ところで今回の鼻炎の原因となった、多分、10年以上も使い続けた市販の点鼻薬とは完全に切れた。どのような方法で縁を切ったかといえば、鼻が詰まっても我慢をしただけだ。「マイルス・デイヴィス自伝」で語られるところの”cold turkey”である。

市販の点鼻薬は、今年のはじめに買い溜めた残りがいまだ7本もある。使ったお金は惜しいけれど、すべて捨てるつもりである。


朝飯 グリーンアスパラガスのソテーを添えた目玉焼きのパルミジャーノレッジャーノがけ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蕪のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」。らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 グリーンアスパラガスのソテーと刻みキャベツと生のトマトを添えた豚の生姜焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、メシ、「朝日酒造」の「久保田百寿」(冷や)、葡萄


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2024.5.30(木) 何とかならないものか

昼の休憩により人手の薄くなるころ、ひとりで店番をしているところに電話が入ったことを、事務係のツブクユキさんが教えに来てくれる。電話は取引先からのもので、ツブクさんはそのまま店に居残ってくれた。受話器を手に外へ目を遣ると、店の庇の下を、ふたりの男の人が左から右へ歩いていく。服装は白いシャツに暗い色のズボン。首から名札を提げている。ふたりはそのまま事務室に入り、しかしすぐに出て、先ほどとは逆に右から左へと歩いて去った。

その場をツブクさんに任せて事務室へ行き、今しがたのことの経緯を訊く。嫁のモモ君によれば、ふたりの男の人は日本人なら誰もが知る会社の社員で「今は人がいませんので」と、次は事前に連絡の上、来社するよう頼んだという。

「自営業の経営者はいつでも会社にいて、いつでも自由な時間を過ごしている」と、世間はおろか、今日の例によれば一部上場企業の社員も認識をしてるところがある。実際には、自営業の経営者はいつでも会社にいるわけではなく、松の枝ぶりを眺めつつ日がなコーヒーを飲んでいるわけでもない。

スタジオジブリがアメリカから助っ人外国人を招聘した。そのアメリカ人は、人は訪ねて来放題、電話はかかり放題の日本の仕事場を見て「この環境で、一体全体、、日本人は、どうやって仕事をしているのか」と驚いたという。

「なんとかならないものか」と僕も、心底、思う。


朝飯 スペイン風目玉焼き、ジャコと山椒の実の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、蕪のぬか漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と揚げ湯波とレタスの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 椎茸の肉詰め春雨と豚バラ肉の中華風炒め「食堂ニジコ」の豆腐とエビの塩煮天津丼の頭だけ、メシ、「紹興酒有限公司」の「紹興貴酒」(生)


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2024.5.29(水) 追い抜かれるばかり

きのうは一日中、雨が降り続いた。湿度計は見なかったものの、空気はかなり湿気ていた。店の犬走りに置いた花の6鉢は夕刻になっても、朝に遣った水が受け皿に残っていた。そのため鉢は店の外へ置き放つこととし、それを事務係のツブクユキさんに伝えた。

しばらくするとお客様用のトイレを施錠したツブクさんが来て、夜は大荒れになる予報が出ているから、鉢は自分が仕舞うと言ってくれた。僕は朝のテレビのニュースを思い出し「そう言われてみれば…」と、鉢は自分で店の中に納めた。

結局のところ、夜の雨と風は大したこともなく、今朝はいかにも5月らしい青空が広がった。「これで梅雨さえ無ければなぁ」と、要らない心配をする。梅雨が必要不可欠のものであれば、雨は夜に降って昼は晴れて欲しい。

溜め込むと後々とんでもなく面倒になる入力仕事を日中に済ませる。製造現場では明日に行う、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」を作るための機械が組み立てられた。1週間のあいだ柏高島屋に出張していた長男が夕刻に戻る。

夕食の席には7人が集って賑やかになる。1歳半のカコは「ちょうだい」という日本語を覚えた。僕はその意味を持つタイ語を知らない。孫には追い抜かれるばかりである。


朝飯 ズッキーニとウインナーソーセージのソテー、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、春雨と豚バラ肉の中華風炒め、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、椎茸と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ミズの甘辛煮、菠薐草の胡麻和え、ジャコと山椒の実の炒り煮、焼き葱を添えた焼き鮭、蕪のぬか漬け、薩摩芋の蜜煮、焼きおむすび、「朝日酒造」の「久保田百寿」(冷や)


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2024.5.28(火) 今や毎年のように

目が覚めれば枕頭のスマートフォンに手を伸ばす。時刻は4時を過ぎたばかりだった。「よし」と腹の中で誰にともなく声をかけて即、起床する。

ウェブショップの複数ページに亘る文章の修正を1週間以内に終わらせると外注SEに約束したのは数日前のことだった。その数日のあいだは早く起きられる幸運を待っていた。「昼間にしたら良いではないか」と問われれば、日中は来客、接客、電話への対応など「人対人」で時間が埋め尽くされる。静かに落ち着いて頭を使う仕事は僕の場合、未明や早朝を措いてはできないのだ。

フィリピンの近海から台風が近づいている。それが関係しているのどうなのか、東海、四国、九州南部の各地に線状降水帯の発生する可能性を朝のテレビが伝えている。

宮崎県は農業王国で、農産物や畜産物の一大生産地だ。上澤梅太郎商店の「らっきょうのたまり漬」にも一部、宮崎県産が使われている。「今年のらっきょうは豊作傾向」などと伝えられていても、ひとたび大雨が降れば一気に不作になり、価格は高騰する。収穫が完了する6月の末までは、雨にはどうか穏やかに降って欲しいと祈るばかりである。


朝飯 山葵の葉のおひたし、ミズの甘辛煮、牛蒡と人参のきんぴら、玉子焼き、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、蕪と胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、もり蕎麦、4種の日本酒(冷や)


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2024.5.27(月) 分きざみ

まったくもって忙しい。乗ろうとしている宇都宮行きのJR今市駅の発車時刻は16時26分。その18分前に至ってようやく、白いシャツに袖を通す。今のことだから、秘書の機能を持つアプリケーションのひとつやふたつはあるだろう。その電子秘書に逐一、あれこれ知らせてもらいたい気分だ。とにかく来る日も来る日も分刻みで動いている。決められた時刻に1分でも遅れれば様々な人に迷惑が及ぶ、そういう毎日を送っている。

宇都宮で夜の会議があるときには、タクシー代や代行車代よりホテル代の方が安いから泊まってしまう。昨年はそうした。しかし今回は長男が柏高島屋に出張中であり、他にもいろいろと事情があるため、栃木県味噌工業協同組合の通常総会には電車で向かい、夜のうちにタクシーあるいは電車で帰宅することを決めた。

JR日光線の乗客のほとんどは外国からの観光客だった。この季節に日本を訪れることのできた彼らは幸運である。宇都宮駅では帰りの時刻表をスマートフォンに納めておく。

JR宇都宮駅から総会の会場までの距離は2キロメートル。歩けない距離ではないものの、歩く気はしない。駅前のロータリーにタクシー乗り場を探すも見つからない。しかしバスは頻繁に発着をしている。そのうちのめぼしい1台に目をつけてタラップを上がる。小銭は持ち合わせていない。宇都宮の市バスは幸いPASMOに対応していた。

総会は滞りなく完了し、その後の食事会は楽しかった。帰りは幸い、代行車を頼んだ方のクルマに同乗をさせていただいた。そして予想したより随分と早く、21時25分に帰宅をすることができた。明日も今日とおなじ忙しい日になるだろう、多分。


朝飯 豆腐の玉子とじ、納豆、レタスのサラダ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「こつぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「月山」の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七其の八其の九其の十2種の日本酒(燗)


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2024.5.26(日) 地震と本の関係

朝、寝室から廊下に出ると、その廊下の両側に作り付けた本棚から本が一冊、落ちていた。それを見て、きのうの夜に、すこし大きめの地震のあったことを思い出す。

本は、4階のすべてを改装しようとしていた2013年10月19日に205冊を、また改装を終えた同年12月10日に393冊を、ブックオフを通じて処分した。受け取った代金は、それぞれ5,860円と6,860円だった。「値が付けられない」と言われつつ引き取ってもらった本は何冊くらいあっただろう。最後に残った台車1台分の数百冊は、資源ゴミとして捨てた。

そうして使い始めた現在の本棚は、はじめのころこそ巨大な空間を持っていたものの、10年以上を経た現在は満杯を超え、ハードカバーも文庫本も奥と手前に置いているため、手前に置いたものは、地震でもあれば簡単に落ちるのだ。

今朝、落ちていたのは若林正恭による「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」だった。特定のイデオロギーを持たない人の透徹した目による素晴らしい紀行文だから、旅の好きな人には一読をお勧めしたい。


朝飯 鶏挽き肉と万能葱の玉子焼き、冷や奴、納豆、香港橄欖菜、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトとズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダカツレツドライマーティニ、TIO PEPE、家に帰ってからのパイナップルケーキ、Old Parr(生)


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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