2024.7.13(土) 夏のお祭
起きて食堂へ行くと、4階の、あちらこちらの窓は既に開け放たれていた。その窓から窓へと風が抜けて、とても気持ちが良い。梅雨どきとは思えない冷涼さは、どのような気圧の具合によるものだろう。
本日は中学2年生で病没した妹の祥月命日。家内は朝の6時より「汁飯香の店 隠居うわさわ」の厨房に入っているため、9時すぎにひとりで如来寺へ向かう。
お墓の土には、上手い具合に雑草は皆無。墓石は固く絞った濡れタオルで拭く。花は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」で直前に手に入れた小菊を一対。「献仏不假香多」により線香は短い3本を一対。
太陽は照っても湿度が低いため、気になるほどの汗はかかない。夏の花はすぐにしおれ、水もすぐに腐る。これからしばらくは毎朝、お墓に通うこととしよう。
今日も含めれば三連休にて、店は中々に賑わう。キャッシュレジスターには渋沢栄一と津田梅子が入り始めた。新しい紙幣は徐々に、市中に浸透しつつあるらしい。ということは、来週の釣銭の両替では、今月5日の日記に書いた紙幣よりまともなものが手に入るかも知れない。
夕刻、春日町1丁目の青年みこしと子供みこしが町内を回って、上澤梅太郎商店の前まで来てくれる。担ぎ手のほとんどは市内で働くベトナムの人。とても有り難い。そして我が家からは3人の子供が参加。こちらもとても、有り難い。
朝飯 生玉子、揚げだし茄子、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 椎茸のつゆの素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ、家に帰ってからのシュークリーム、Old Parr(生)
2024.7.12(金) 異なる素麺
きのうの日記はおろか今日の日記、時には明日の日記まで書いてしまうことがある。更には書いたものの、同日のものとして別の日記も書けてしまったため、一方はエディタに保存したまま何年かが過ぎることもある。「日記を何年ものあいだ溜め置いて不良在庫にならないか」と問われれば、たとえば夏に書いたものは秋には使えない。しかし次の夏に公開をすれば、読む人は一向に違和感を覚えないだろう。
今朝の起床は5時の直前で、僕としては遅い方だ。しかし日記は昨日のそれまで書けているから、気分は大余裕である。
数ヶ月のあいだ使い続けた素麺が底を突いた。今朝は新たに届いた別の素麺の箱を開けた。素麺の適量は100グラムを1人前とする例が多い。汁のあるにゅうめんなら100グラムで充分な僕も、ザルに盛った素麺となると130グラムは欲しい。素麺は大抵、50グラムか100グラムでひと束になっている。従ってざる盛りの素麺を作るたび、半端が出る。
きのうまでの太めの素麺は、調理台の隅に40グラムが残っている。今日からの素麺は細い。よって今日の昼食がにゅうめんでも素麺でも、今日のそれだけは、太いものと細いものが混ざることになるだろう。それぞれの茹で時間さえ守れば、どうということもないと思う。
朝飯 ピーマンと夏葱の油炒め、トマトサラダ、納豆、鮭の焼きほぐし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ、ブロッコリーのソテーとたまり漬によるソースを添えたビーフステーキ、Chateau Tour Haut-Caussan 1993、マドレーヌ、Old Parr(生)
2024.7.11(木) 田舎で本読み
毎年この時期になると、家内はウインブルドンのテニスの試合をテレビで観る。放映は深夜だから、家内の寝るころに僕は起きる。そして仏壇に花と水とお茶と線香を供える。
線香を上げ、リンを鳴らしつつこんなことを考えるのはいかがなものかと思いつつ「祈りが通じるということは果たしてあるのだろうか」ということが頭に浮かぶ。結論から言えば「エルサレムやベツレヘムを見てみろ」だ。何千年ものあいだ天文学的数字の人々が祈りを捧げつつ、同時に天文学的数字の人々が今も殺され続けているのだ。
きのうの日記を書くため本棚の前へ行き、伊集院静と西原理恵子による続きものの本の、最初の1冊を取って食堂に戻る。とうに忘れていたことではあるが、そこには伊集院静、西原理恵子、鴨志田穣による鼎談が納められていた。僕は本は読むそばから忘れる。鴨志田穣がサラエボで石川文洋に「ベトナムより怖いよ」と言われたことも勿論、忘れていた。だから僕は、おなじ本を何度でも読める。
昨月、タイにはドナルド・キーン編の「昨日の戦地から」と、それを読み終えてしまえば焦燥は必定により、おなじドナルド・キーンによる「百代の過客」の上編を持参した。活字は舐めるように大切に追う。全474ページの「昨日の戦地から」は結局294ページまでしか進まなかった。残りの180ページを日本で読むなどは勿体なくてできない。次のタイ行きに際しては、ふたたび上記の2冊を荷物に含めることになるだろう。
昨月はスコータイで3日を過ごした後、バンコクに1週間の滞在をしながら「やっぱり田舎が良いな」と感じた。秋にタイへ行けるとすれば、チェンライで本を読んで過ごしたいと思う。
朝飯 きのうの夜の残りの麻婆豆腐、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 揚げだし茄子と椎茸のつゆの素麺
晩飯 レタスとベビーリーフとビーツのサラダ、ポテトフライ、ズッキーニのソテーとたまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」を添えた和風ハンバーグステーキ、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)、マドレーヌ、Old Parr(生)
2024.7.10(水) 古典派
「静と理恵子の血みどろ絵日誌」という、伊集院静と西原理恵子による続きものの本がある。2013年に本を800冊ちかく処分した、そのときにもこれは残した。伊集院は真面目に文章を書いている。西原理恵子の挿絵には、その伊集院や自分を揶揄するものが多い。
この全6冊のどこに納められているかは今となっては探しようもない絵がある。それは伊集院が小料理屋の席に着くなり「なにか柔らかいものと強いお酒をください」と注文をするものだ。「なにか柔らかいもの」とは、柔らかければ何でも構わない、ということだろう。「強いお酒をください」についてはまぁ、苦笑いをするしかない。
その1枚の絵に、僕のこのところの夕食は近づきつつあるような気がする。僕の歯は歯科医も太鼓判を押す強さであるし、食感に特色のある食べものを好むため柔らかいものにはこだわらないものの、風邪で発熱でもしていない限り、アルコールは必須だからだ。
家内や長男に訊くと「そのようなことは決して無い」と真顔で答えるけれど、僕の場合、酒は食べものを美味くする過給機のようなもので、酒を欠いては料理に失礼、という気さえする。伊集院の求めた「強いお酒」が「なにか柔らかいもの」をより美味く食べるためのものだったかどうかは分からないけれど、僕にとって料理と酒は「手を携えて行く」ものに他ならない。
もっとも喫煙者がここ数十年のあいだに激減したように、僕も消えゆく古典派なのかも知れない。禁煙を掲げる飲食店が増えたことは、僕にとっては朗報である。しかしこれから数十年を経れば、禁酒を客に義務づける飲食店がほとんどになる可能性も否定はできない。時代は急に変わるのだ。
朝飯 グリーンアスパラガスのソテーを添えたトマトのスクランブルドエッグ、ウインナーソーセージのソテー、ミズの甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と夏葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 春雨サラダ、水茄子のぬか漬け、2種の焼売、麻婆豆腐、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2024.7.9(火) 夏の野菜
おとといの朝とは異なって、南東と北西の窓を開けても風は通り抜けてくれない。日光の山々から吹き下ろす風が、今朝は停まっているのだろうか。
僕のからだが気圧の変化に敏感かどうかは、人とくらべたことが無いから分からない。ただし気圧が低くなるに伴って、気管支の細くなったような感を覚えることがある。子供のころの運動性喘息の名残かも知れない。「鈍い」ということばには良くない印象がつきまとうものの、実際には利点の方が多いような気がする。
夏の賞与の支給を前にして、社員との面談を10時より始める。面談は、何十年か前に僕の意思によりその機会を作った。おととしまでは時間に区切りを設けず行っていたものの、それではいつ終わるとも知れず、前後の予定の立たないきらいがあった。よって昨年からはひとり20分の時間割を作り、1週間ほどで完了させることとした。そのころには梅雨も上がっているのではないだろうか。
それはさておき6月はじめとは状況が一転して、現在は野菜が大きく育ち、収穫が間に合わない畑もあると、テレビのニュースが伝えている。降雨と日照の具合が絶妙に良いことが、その理由だという。夏が好きなだけに、野菜も夏のものが一番、好きなような気がする。
「田舎に住んで美味いのは野菜くらい」と言った「食通」がむかし東京にいた。「野菜が美味けりゃ充分じゃねぇか」と、僕などは感じる。いまでは年間を通じて食べられる夏野菜ではあるけれど、秋が来る前にできるだけ食べておきたい。
朝飯 葱のオムレツ、茄子の揚げびたし、納豆、大根おろし、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、大根とズッキーニの味噌汁
昼飯 椎茸のつゆの素麺
晩飯 油揚げと小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、茄子の揚げびたし、蕪と胡瓜のぬか漬け、鰯の塩焼き、メシ、「朝日酒造」の「久保田百壽」(冷や)
2024.7.8(月) 新しい紙幣ふたたび
釣銭のうち千円札は、これまで新券と並券を交互に重ねて使っていた。ところが銀行の人によれば、新紙幣の発行に伴って、銀行に入ってくる新券が極端に減っているという。
先週の金曜日は150万円を、釣銭用として5千円札140枚、千円札800枚に両替した。千円札の新券は、800枚のうち210枚で、残りの590枚は並券だった。その並券のほぼ6割は「こんなお札は、お客様にはお渡ししたくない」と感じられる使い古されたものだった。ということは、釣銭のための両替がこれまでより頻繁になり、銀行に支払う手数料もそれだけ増す、ということになる。
「新紙幣の発行に伴って、綺麗なお札が銀行から供給されづらくなっています。使い古されたお札が釣銭に混じることをご容赦ください」とでもキャッシュレジスターの前に掲示すべきだろうか。しかしそのような長い文章を支払いの際にお読み下さる方がどれほどいらっしゃるかは疑問である。
前回の新紙幣の発行は2004年、前々回は1884年。ということは、20年後の2044年にも、新しい紙幣は発行されるのだろうか。「しかし物理的な通貨は今や…」という気もする。
朝飯 ピーマンと夏葱の油炒め、揚げだし茄子の胡麻和え、トマトサラダ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 揚げだし茄子のつゆの素麺
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダ、隠元豆のバターソテーとたまり漬によるソースを添えたビーフステーキ、Chateau Tour Haut-Caussan 1993、エクレア、Old Parr(生)
2024.7.7(日) レッテルの意匠
洗面所の時計は3時59分。顔と手を洗い、食堂に出ると棚の電波時計は4時を30秒だけ過ぎていた。「3時台に間に合わなくて残念」という気持ちにより、思わず「うー」と声が漏れる。空は既にして朝の気配を帯びている。南東に面した窓を開け、応接間を横断して廊下を歩いて北西に面した脱衣所の窓も開ける。その途端、北西から南東へと涼しい風が通り始める。
ここしばらくは、6月はじめからの「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様の情報をコンピュータに入力してきた。タイへ行っていたあいだに滞っていた仕事である。早く起きられたことを奇貨として、今朝は遂に先週までのお客様の入力を完了した。ここで時刻は5時40分。
6月30日に作った麺つゆが、早くも底を突くばかりになっている。僕の昼食だけでなく、今月4日に家族全員で蕎麦を食べたことが、使用量を多くしたのだ。そういう次第にて、きのうの夕刻よりその仕込みを始めていた。今朝は5時45分より鍋の水から昆布を引き上げ、干し椎茸は石づきの下端を切り落としてザルに上げる。厚削りの鰹節と宗田節は前回の5分から30分に時間を延ばして煮る。
味醂はきのう家内に買っておくよう頼んであった。しかし今朝になってその瓶を見てみれば、それは料理用の日本酒だった。レッテルのデザインに凝るあまり、内容が分かりづらくなっている。看板やレッテルの意匠はすべからく、金沢の「俵屋」ののれんのように一目瞭然であって欲しい。
「味醂の足りない分は、味をみながら砂糖を足していけばよい」と家内は言うものの、僕は設計図の通りに作らなければ気が済まない。即、小倉町のセブンイレブンへ行き、プライベートブランドのそれを買って戻る。時刻は6時05分。早く起きればそれだけたくさんのことができて嬉しい。麺つゆの作成は6時25分に完了した。
本日は日曜日。売り上げ高は閉店の直前になってようやく、きのうのそれを超えた。不思議な現象だと思う。なお、今日の東京都知事選挙において、石丸伸二の得票が蓮舫のそれを3割ちかくも超えたことについては、不思議な現象かどうかは分からない。
朝飯 焼きおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、若布と夏葱の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り・胡瓜の浅漬けは町内役員ツカハラノリコさんの差し入れ)
晩飯 チーズ、TIO PEPE、スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018
2024.7.6(土) 夏葱
新型コロナウイルスの蔓延により、2020年の春を境として、全国的に移動がままならなくなった。そのようなときに考えたのが「味噌汁セット」だ。上澤梅太郎商店の味噌やたまり漬をはじめ、日光産のお米、野菜、湯波などにより「せめてご自宅で日光・鬼怒川を味わっていただければ…」という願いが、この詰め合わせには込められている。
新型コロナウイルスが5類感染症に移行した今でも、このセットはお承りを続けている。そして今日もひとつ出荷が控えていることは、おとといのうちに事務係のツブクユキさんから伝えられていた。
その野菜を道の駅「日光街道ニコニコ本陣」が開店した直後の9時に手に入れる。今朝は珍しくズッキーニの出品が無かった。よって朝どれの胡瓜、トマトに加えて夏の葱も買い物カゴに入れ、いちどキャッシュレジスターに通した後で、葱については自分でも一把を買う。
葱の泥は農家の人により落とされていたものの、自宅へ戻っていまいちど水洗いをする。そしてザルに上げ、しばしその青さを眺める。夏の葱は、油で炒めて食べるのが最上かも知れない。
朝飯 トマトサラダ、焼きおむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、若布と大根の味噌汁
昼飯 夏葱のつゆによる素麺
晩飯 「魚登久」の胆焼き、鰻重、「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」(生)
2024.7.5(金) 夏の庭
午前、厨房で仕込み中の家内に伝えることがあって、隠居の柴折り戸を押す。そこから一歩を踏み出したとたん、夏の庭の心地よさに陶然となって、勝手口ではなく、玄関の方に回り込んで、しばし立ちつくす。「汁飯香の店 隠居うわさわ」は朝食の専門店。午前の日の当たる南東の側には、既にして葦簀が立てかけられていた。
きのうの日記に書いたように、これから10日ほどのあいだの釣銭を確保するため銀行へ行く。5千円札を140枚、千円札は800枚を必要とする旨の申込用紙を確かめた女子行員は、1,000札の新券は10枚しか用意できない旨を説明した。釣銭であれば、これを欠かすわけにはいかない。残りの790枚は並券でも構わないことを伝えて一旦、銀行を去る。
店内にはお客様がお休みになる場所、およびキャッシュレジスターの真上に空気調整器がある。2台は現在、冷房に設定をされている。キャッシュレジスターの前に出ると、頭上から吹き下ろす風の温度はいささか低すぎ、勢いは強すぎる。しかし店の全体を冷やすには、それくらいの設定が必要なのだろう。寒さを感じるたび僕は外へ出て、今年最高とテレビのニュースが朝から騒ぎ立てている気温の中でひと息をつく。
午後、銀行から引き取ってきた釣銭には、北里柴三郎の千円札10枚が含まれていた。新券の不足は、しばらく続くと思われる。並券はまともなもののみをより分け、それを釣銭として使おうと考えている。
朝飯 トマトサラダ、ピーマンのソテー、「なめこのたまり炊」のなめこおろし、納豆、ほぐし塩鮭、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「こつぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 きのうの天ぷらを具にした素麺
晩飯 じゃがいもと夏野菜とウインナーソーセージのソテー、パン、チーズ、Chablis Billaud Simon 2018
2024.7.4(木) 新しい紙幣
新しい紙幣が発行されるとのことで、テレビのニュースがかしましい。現在の紙幣にある肖像は、1万円札が福澤諭吉。これは1万円を「1ユキチ」などと書く例がインターネット上に散見されることもあって、忘れることはない。ところが5千円札になると、もう思い出せない。千円札は夏目漱石。
「さて、5千円札の肖像は誰だっただろう」と検索エンジンに当たると、1984年に発行されたものは新渡戸稲造、2004年に発行されたものは樋口一葉と出た。貧困と病苦の中で亡くなった樋口一葉が紙幣の肖像とは「皮肉もここに極まれり」で、僕としては気の毒でならない。そして現在の千円札は「新聞屋が商売ならば、大学屋も商売」の先生ではなく野口英世だった。
商売をし、毎日店に立っている僕の、紙幣を目にする、手にする頻度は、一般の人の数十倍だろう。その僕にしても、上記の通り、各々の紙幣の肖像は曖昧である。僕の注意力が散漫なのか、あるいは誰しも同じようなものなのかは知らない。
さて釣り銭用の金庫の中味がそろそろ減ってきた。明日には銀行へ、両替に行く必要がある。地方の銀行であれば、新しい紙幣は、いまだ届いていないのではないか。そして新しい紙幣にある肖像も、いずれは記憶の中で誰が誰やら分からなくなってしまうのだ、多分。
朝飯 トマトサラダ、春雨と木耳とキャベツの炒め、茄子と夏野菜の香辛料炒め、鶏挽き肉の餡かけ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 揚げ湯波のつゆの素麺
晩飯 「なめこのたまり炊」のなめこおろし、天ぷら其の一、天ぷら其の二、盛り蕎麦、「朝日酒造」の「久保田百壽」(冷や)、どら焼き、Old Parr(生)