2022.7.18(月) 常夏の国
朝、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品を済ませてから、如来寺の、大きな桜の木の下にホンダフィットを駐める。そして6日前の、妹の五十回忌に供えた花を片付ける。同時にお墓の、花立てと線香立ての周囲を水とタワシで洗う。
クルマへ戻りながら、手拭いで濡れた手を拭く。「そういえば」と、右の人差し指にアカギレの無いことに気づく。
僕の手や足は常に乾燥している。手は、新型コロナウイルスが世に出現する何十年も前から、アルコールで頻繁に消毒している。そのふたつにより、僕の手指には1年の過半どころかほとんどのあいだにおいてアカギレがある。
今年、もっともしつこく治らなかったのは、右人差し指の先のアカギレだった。これが、6月に琉球で過ごした3日のあいだに消えた。しかし日光へ戻るとふたたび切れた。そしてこの日記によれば今月5日に、その切れた個所に軟膏を詰め込み、バンドエイドを巻いた。
そのバンドエイドをいつ外したかは覚えていない。しかしその後、アカギレの切れていないところからして、季節は完全に夏になったものと思われる。
これから何十日後かに指先が切れれば、夏はそこで終了、ということだろう。齢を重ねるに従って、夏にしか生きられないからだになってきている。更に年をとれば、常夏の国で生きるしかないのではないか、という気もする。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ミズの炒り煮、冬瓜と豚肉の淡味炊き、椎茸と筍と春雨の中華風炒め、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 ジーマミー豆腐、隠元豆の胡麻和え、茄子の揚げびたし、油淋鶏、胡瓜と蕪のぬか漬け、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.7.17(日) 暑さと涼しさ
久しぶりに晴れて、日が差している。朝の天気予報は、高い気温と強雨の可能性を伝えていた。午前のいまだ早い時間に隠居へ行く。「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様に涼しさを感じていただく仕掛けは、風鈴、よしず、打ち水、扇風機、そして床の間の緑色の絵、のみ。そのうち葦簀については、このところの長雨により、東に面した軒先から外してあった。隠居へ行ったのは、この葦簀をふたたび立てかけた方が良かろうかと考えたことによる。
隠居の庭にはいくらかの風が吹いていた。調理場の家内、帳場のタカハシリツコさんとすこし話して、今日のところは葦簀は必要なかろうということになる。
隠居の、推定築150年の建物は、上から見ればほぼ正方形で、東側と南側は庭に面して開放されている。中へ入れば書院づくりではあるものの、外観は琉球の伝統家屋に似る。個人としては、暑い夏を望んでいる。しかし隠居だけは、涼しくあって欲しいと思う。
すべての社員が去った18時20分のころより強い雨が降ってくる。10分ほどしてその勢いが収まると、東の空はふたたび明るくなって、得も言われない美しさに変わった。そして傘を持ち、家内とホンダフィットに乗り、日光の、なにかとお世話になっているビストロの、開店一周年記念の食事会へと向かう。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生玉子、納豆、めかぶ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、トマトと揚げ茄子の味噌汁
昼飯 納豆で食べる素麺
晩飯 “Girouette”のあれや、これや、それや、他あれこれ、2種の白ワイン、MARC de CHAMPAGNE JEAN GOYARD(生)
2022.7.16(土) ひさかたの
食堂の南東に面した窓から、ひさかたの朝の光が見える。その光は天球全体の面積からすれば、いかにも小さい。しかし光は光である。それを有り難く感じて屋上へ上がる。そしてニコンの一眼レフのレンズを東へ向けてシャッターを切る。
羽田からバンコクを経由してウドンタニー、ウドンタニーからチェンライへは夜行バス、チェンライからバンコクに戻ったらそこで2、3日を過ごし、深夜便で羽田へ戻る。この10日間ほどの旅を来春のはじめに行うこととして、航空券はいつ注文できるかを、先週より懇意の旅行代理店に問い合わせていた。そして今朝は、その返事がようやく戻った。提案された往路は以下。
NH877 羽田(00:50)―バンコク(05:55)
WE002 バンコク(07:10)―ウドンタニ(08:15)
しかしバンコクに着いてから次の便が出るまでの時間は僅々75分。スワンナプーム空港のMCTつまり最低乗り継ぎ時間の75分には収まるとはいえ、いかにも綱渡りだ。更に、チェンマイ、チェンライ、プーケット、クラビ、サイム、ハジャイとは異なって、ウドンタニーへ飛ぶにはバンコクで一旦、タイに入国する必要がある。荷物を極端に減らして機内持込にしなければ、この乗り継ぎはかなり危うい。
それにしても旅行社の手配係はなぜ、往路にNH877を選んだのだろう、TG6106つまりNH849なら羽田を00:05に発ってバンコクには04:35に着くのだ。こちらなら乗り継ぎに2時間35分を使える。それでも、いずれ半年も先のことだ。あれこれ摺り合わせてみることにしよう。谷口正彦が「冒険準備学入門」に書いたとおり、旅の楽しみのかなりの部分は事前の準備にあることだし。
朝飯 椎茸と筍と春雨の中華風炒め、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、揚げ茄子、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豚もつと玉葱の味噌汁
昼飯 しょうがのたまり漬の牛しぐれ煮のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”
晩飯 もつ煮、ソーミンチャンプルー、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2022.7.15(金) それどころではなかった。
広尾の駅から徒歩数分のところで開かれる勉強会に、長男は申込みをしていた。ところが身辺が急に慌ただしくなったことにより、どうやら参加できないと、数日前に言ってきた。「だったらオレが代わりに出るか」と答えてハタと思い当たった。7月15日は、何十年も前から賞与の支給日だった。長男は即、代理の者も含めて参加できない旨を先方へ知らせた。先方からはこれまた即「新型コロナウイルス感染者の急増を受けて、勉強会の中止を検討中。欠席については気にしないで欲しい」旨の返事が戻った。
現在の「第7波」により、夏休みの旅行を全国的に支援しようとしていた政府の予定も「今はその時期ではない」と、延期が決まった。ただし一昨年の春から今春までたびたび発せられた緊急事態宣言やまん延防止等重点措置は、見送られそうだ。いずれにしても、国民としては国の決めたことに従うのみ、県民としては県の決めたことに従うのみ、である。
さて社員への賞与の支給は、ひとりずつ面談をしながら、になる。本日、午前から午後にかけて面談できたのは4名。すべてを完了するまでには数日を要するだろう。
朝飯 ミズの炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、温泉卵、納豆、じゃこ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と豚もつと若布の味噌汁
昼飯 五目おこわ、冷や素麺、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
晩飯 トマトとレタスとブラックオリーブのサラダ、きのことグリーンアスパラガスのソテーとたまり漬によるソースを添えたビーフステーキ、Chateau Tour Haut-Caussan 1993、ケーキ、Old Parr(生)
2022.7.14(木) 夏空の
このところ梅雨の戻ってきたような天気が続いている。その鬱陶しさに促されてか「梅雨は本当に上がったのか」とか「梅雨明け宣言など、しなかった方が良かったのでないか」と言う人まで出てきた。ウェザーニュースの予報を見ると、今日から10日後の24日まで、雨や曇りの日が続いている。26日と27日は埼玉と東京へ行く。雨の日に外で行動するに当たって困ることを挙げていけば、十指にも余るかも知れない。
血圧や血中の脂質について定期的に調べてもらっているオカムラ外科に、10時前に出かける。今日の血圧は、上は110台、下は60台だった。「良いですね」と先生は言ったものの、降圧剤を飲んでいれば、まぁ、こんなものだろう。
午後は、いつの間にか胃腸に関してはかかりつけとなった、宇都宮のサクライ消化器内科を訪ねる。おとといに覚えた胃痛を気にしてのことだ。胃カメラによる検査を受けたのはいつだったかと訊ねると、先生はコンピュータのカルテを覗き込んだまま「令和元年は平成何年でしたっけ」と僕に確かめた。僕は子供の生まれ年さえ元号では覚えていない。先生は僕に2、3の指示を与え、それでしばらくは様子を見ることとして、薬は処方しなかった。
飛行機で空を飛んでいると、雲に出たり入ったりしながら、時には揺れの大きなることがある。宇都宮と日光の上空にも、そのような雲の濃淡があるのだろう。クルマで走るあいだも、雨は強くなったり弱くなったりを繰り返した。夏空の、できるだけ早く戻ってくれることを、僕は望んでいる。
朝飯 水の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と豚もつとレタスの味噌汁
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦
晩飯 トウモロコシのすり流し、トマトと胡瓜とレタスのサラダ、冬瓜と豚三枚肉の炊き合わせ、もつ煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、揚げ春巻き、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.7.13(水) 1972年7月13日
起きて食堂に来て時計を見ると時刻は3時56分。鳥の啼きはじめようとする時間である。本日は、妹が14歳で病没してから50年目の日にあたる。以下は今日の、ではなく、きのうの日記になる。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品を済ませて、9時前に家内と如来寺のお墓へ行く。霧雨よりも弱い雨が降っている。家内は草を抜く。僕は濡れた墓石を乾いたタオルで拭く。花立てと線香立てを水場で洗い、花のみを供える。
10時40分に如来寺の、今度は玄関を上がって声をかける。係の人はすぐに出てきてくれた。そして11時より本堂にて、クワカドシューコー僧正に五十回忌の法要を執り行っていただく。クワカドさんは墓前でもお経を上げてくださり、また線香も供えてくださった。回忌は今回でひと区切りとなる。しかし僕が妹のことを思い出さない日は、これからも絶えることはないだろう。
15時を過ぎて、小倉町の年金事務所を訪ねる。日本年金機構から数日前に届いた調査用紙の、記入方法を教えてもらうためだ。その結果、この書類は僕においては提出の必要のないことが分かった。ついでに、そろそろ入り始めるだろう年金についても確認をする。
年金を65歳から受け取るべきか、それとも繰り下げ受給を選ぶべきかは、社会保険労務士の中でも意見は異なる。繰り下げ受給は、年金による支出を抑えるべく、国が苦しまぎれに編み出した仕組みと僕は理解をしている。
もうひとつ。「今の若い人は大変だね、自分の世代はたっぷりもらえるからね」と気持ちよさそうに言い放った人が、年金の受給開始からいくらも経たずに頓死した例を知っている。
「年金などもらわず、一生、働くべし」と僕に勧めた人もいるけれど、自分の労働の対価の中から営々と積み上げてきたお金を国にくれてやるつもりは無い。65歳より満額の年金を得るべく、昨秋よりいろいろなことをしてきた。
年金事務所の人は、僕の昨年の誕生日から現在までの未払い金額、そしてこれからの年金額について、丁寧に説明をしてくれた。いよいよ夢の隠居生活である。もっとも隠居とはいえ、雑用はこれからもしていくつもりである。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、納豆、紅白なます、水茄子のぬか漬け、長芋のたまり浅漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、もつ煮汁
昼飯 メシ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、もつ煮
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、もつ煮、枝豆、水餃子、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.7.12(火) ソウルフード
目を覚ましてしばらくのあいだ、からだを休める。「目を覚ましたなら、からだは充分に休まっているだろう」と問われれば、僕は朝、目覚めたときが一番、疲れを感じているのだ。そしてその疲れは起きてしまえば一掃される。この疲れとは一体全体、何だろう。
スマートフォンで時刻を確かめたりしては、ついウェブニュースなどに見入って時を無駄にする。よって今朝は枕の下のそれに手を触れないまま起床する。着替えて洗面を済ませて食堂に来ると、時刻は2時21分だった。「早すぎた」と気づいても、後もどりはできない。
「マイルス・デイビス自叙伝」は面白い。分厚い文庫本2冊と、文章の量もたっぷりあるから、その分、長く楽しめる。ここにはマイルス・デイビスの子供時代の思い出や、当時の黒人の食べものなどの記述もある。彼らは豚の周辺部をよく食べていた。周辺部とは肉や主だった内臓以外の部分である。
「肉や主だった内臓以外の部分」でもないけれど、豚の腸を煮たもつ煮は栃木県民のソウルフードだと思う。しかしウチではこれを作らないし食べない。食べたければ自分で作るのみだ。作り方は自己流である。
おととい買っておいた豚の腸1キロは、二度煮してある旨が袋に書いてある。よって煮こぼすことはせず、網のボウルに出して、大量の熱湯をかけてほぐす。それを大きめの鍋の、1.6リットルの水に入れる。
玉葱は1個まるごと、缶詰のトマトの水煮400グラム、北野谷商店のデコボコンニャク400グラム、松葉屋の木綿豆腐1丁は、適当な大きさに切って加える。ここまでの所要時間は30分。鍋が沸騰したら、火を弱くする。豚の腸からもトマトからもコンニャクからも盛んにアクが出る。それを何度もすくう。アクのあらかた無くなったところで日本酒1合を加える。
味付けは、大さじ2杯の塩と、直径8センチのお玉にすり切り1杯の味噌。味噌は、味噌汁に使う「日光味噌梅太郎白味噌」では勿体ない気がしたから「日光味噌粒味噌」にしておく。火を落として冷ました後は、家の中でも涼しい玄関の棚に夕刻まで置く。
もつ煮は、これから数日のあいだは食べ続けることができるだろう。
朝飯 茄子の揚げびたし、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、納豆、ミズの炒り煮、水茄子のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、茗荷の天ぷらと豆腐の味噌汁
昼飯 トースト、ミルク番茶
晩飯 もつ煮、長芋のたまり浅漬け、鶏そぼろと香り野菜の冷や素麺、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2022.7.11(月) どうということもない。
6月も前半には、寝室に床暖房をかけていた。早朝の食堂では、足元に温風暖房機を引き寄せる日もあった。そのいずれも今は昔の物語だ。梅雨明け以降、テレビは電力の逼迫を伝えている。それと同時に、クーラーのスイッチは躊躇なく入れるべし、とも伝えている。部屋にいながら熱中症で死ぬ人がいるのだ。
オフクロは暖房を嫌った。最後の1年は、暖は電気毛布のみで取っていた。冷房も嫌った。仕方なく扇風機を買ってきたら、扇風機も嫌いだと言って、南に向いた部屋で平然としていた。その扇風機は現在、店で使っている。
先日、定期的に来社する東京電力の人と言葉をやり取りした。「クーラーのスイッチは躊躇なく入れろなんて言われても、僕のオフクロは『冷房は嫌いだ』でしたからね」と世間話の中で言うと「うちの母も同じです」と、制服姿のその人は苦笑した。
「クーラーは、冷房ではなく除湿で使っても部屋は冷える。そして電気代は安い」と何年も前に、先輩のクスヤマモッちゃんがSNSに書いていた。それからはウチも、天井に埋め込んだ空気調整器は除湿で動かすことが多くなった。
もっとも、一番きもちが良いのは早朝に窓を開け放つことだ。現在、鳥は4時ころから啼く。「蒼天翔ける日輪の」のはるか前の時間、である。そういえば先日、読売巨人軍が不調と聞いた。調べてみると、セントラルリーグでの順位は2位だった。「なんだ、2位なら騒ぐほどのことでもねぇじゃねぇか」と考えつつ更に目を凝らすと、首位のヤクルトスワローズとの差は13.0。「なるほど」と思う。とはいえ野球のチームに贔屓はないから、どうということもない。
朝飯 焼き鮭、納豆、揚げ玉、塩もみ胡瓜の「みょうがのたまり漬」和え、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 日光味噌のフリーズドライ味噌汁”with LOVE”を汁にしたざる素麺(汁のオリーブオイルは後から追加)
晩飯 玉蜀黍のすり流し、胡瓜とレタスを添えた豚の冷しゃぶ、茄子の揚げびたし、ミズの炒り煮、オールドイングランド(オンザロックス)
2022.7.10(日) 盛りだくさん
朝礼の後は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と納品。次は第26回参議院議員通常選挙の投票のため今市小学校へ。戻ってほとんど間を置かず、八坂祭により、瀧尾神社の宮司と当番町朝日町の方々が渡御で立ち寄ってくださる町内の公民館に顔出し。
「隠居」は昨日に引き続いて満席。10時30分に、ご予約のお客様をご案内しながら、10リットルの如雨露で4回、打ち水をする。昼は会計係として、町内の役員と蕎麦屋で食事。
町内の子供みこしは2019年の夏以来、3年ぶりの復活。祝儀を用意し、午後、笛の音のいよいよ近づいてきたところで外へ出る。担いでくれているのは、ベトナムから日光の工場へ働きに来ている方々。町内には、おみこしを担げるだけの子供がいないのだ。地域は国の縮図。2018年6月にハノイのイオンへ行ったときには、子供の数の多さに文字通り仰天した。「がんばれ!ニッポン!」などと声高に叫んでも、子供を欠いてはどうにもならない。
閉店の17時30分を前に雨が降ってくる。3台のキャッシュレジスターの精算を手早く済ませる。店内では同時に掃除が行われていて、シャッターは降ろしていない。よって閉店時間をすぎてもお客様は入っていらっしゃる。当然、僕は喜んで商売をさせていただく。
「自転車なら5分だ」と考えていたものの、雨のため傘を差して外へ出る。ツツミタイヨーさんとの約束は、ツツミさんが滞在中の旅館「熱海館」に18時30分に迎えに行く、というものだった。しかし数分、遅刻をしてしまった。ツツミさんは外で待っていてくれた。
九州に会社を持つツツミさんは勉強仲間である。そしてタイが好き、という共通点がある。もっとも、タイに滞在している日が重なっていても、ツツミさんは首都の少し南、僕は最北部か東北部の国境付近にいることが多く、大抵は顔を合わせない。広島のタナカタカシさんが講師を務めるバンコクMGでは、ツツミさんは前夜祭に出ず、僕は1日目夜の交流会に出ず、だから夕食を共にするのは2日目夕方の打ち上げくらいのものだ。そのツツミさんが今回は日光に来てくださって、ようよう二人飲みを果たす。
朝飯 焼き鮭、ピーマンの網焼きオリーブオイルかけ、納豆、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦(大盛り)
晩飯 「和光」のあれや、これや、それや、他あれこれ。麦焼酎「吉四六」(ソーダ割り)
2022.7.9(土) 予約と制約
東の空には、その低いところに長く雲が伸びている。南の空も同じく。西の空に雲はなく、北の空には高いところに綿のような雲がある。しかしそれらの雲の量は、天球の面積にくらべれば、ほんの2、3パーセントに過ぎない。だからあたりには朝の日の光がふんだんにあって、万物の輪郭を浮き立たせている。
芭蕉が「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠んだとき、日光の天気は実は雨だったと、曽良の日記にはあるという。僕の、今朝の空についてのことに嘘は無い。
本日、最初のお客様は、ご自身がお勤めのお店でお使いになる日光味噌と上一醤油をお求めの若い女性だった。お買い上げ品を両手にお持ちでは、クルマのドアは開けづらい。よってふたつの紙袋は、僕がお車までお持ちする。
次のお客様は、若い、それも体格の良い男性ばかり5名様。らっきょうのたまり漬の試食をお勧めすると「いや、あの、食事」とおっしゃるので「あぁ、ご予約の…」とお応えをすると「えっ、予約、要るんですか」と、まさに、きのう日記に書いたばかりの応答となった。これまたきのうの日記に書いたように、今日の隠居は開店の8時30分からオーダーストップの13時まで満席である。5名様のうち幹事役らしい方には隠居の名刺をお渡しし、次の機会にはかならずご予約くださるよう、お願いをする。
もっとも、いくら予約をお勧めしても、予約は絶対にしない、という性分の方が、世の中には一定の割合で存在している。予約は、自分の行動に制約を与えることになるからだ。あるいは特に、日本のむかしの男に多かったような気がするけれど「メシ屋の予約などするな」という、ある種の美学の持ち主もいる。そして「オレの場合は、どうだろう」と考える。
僕は、ひとりで軽く昼食を摂る店には予約は入れない。しかし昼でも人を伴う場合には、店の種類によっては予約を入れる。夜はほとんど予約を入れる。あるいはその店が営業しているかどうか確認の電話を入れる。「難民」は、避けたいではないか。
そして夕食の後、行きつけの店に明日の夜の予約を入れる。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、生玉子、納豆、紅白なます、塩もみ胡瓜の「みょうがのたまり漬」和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布とレタスの味噌汁
昼飯 しょうがのたまり漬の牛しぐれ煮のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
晩飯 らっきょうのたまり漬と鶏と胡瓜とレタスとトマトのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、GILBEY’S VODKA(ソーダ割り)、エクレア、Old Parr(生)