2025.1.31(金) 菜の花
「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という言葉がある。正月から三月にかけてはなにかと行事が多く、それにかまけるうち、アッという間に過ぎてしまうことを言う慣用句だという。
「アッという間」といえば、子供のころの時の移り変わりはゆっくりだった。学生になっても、たとえば「25歳までは好きなことをしろ」と親に言われた先輩のことを同級生から聞き及び「ほとんど無限の遊び時間じゃねぇか」と驚いた記憶がある。しかしそのとき22歳だった先輩が25歳までなら持ち時間は3年間で、今ならそれほど長くも感じない。
とはいえ僕がこの齢から「3年間は好きなことをしろ」と言われれば、それは嬉しいに違いない。そして「その先は仕事に戻らなくて構わない」と言われれば、嬉しさも2倍、3倍になるだろう。
午前、ホンダフィットに給油を施す。きのうおとといにこなした距離に照らしてみると、1リットルあたり20.9キロメートルも走っていた。普段の半分の燃費とは、恐れ入るばかりだ。
昼は隠居に赴いて床の間の、河合寛次郎の「喜者開扉」を野村素軒の「筑後途上五絶」に掛けかえる。
行尽連山険
如看平野長
天鵯聲不絶
十里菜花黄
2月に菜の花は早すぎるだろうか。しかし3月では遅いような気がするのだ。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ウインナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、白菜漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、水菜の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、サントリー「角」(お湯割り)
2025.1.30(木) 伊豆治療紀行(32回目の2日目)
目を覚ましたのは1時台。ぞれでもスマートフォンさえあれば、何とか凌げる。朝までに眠れたのか眠れなかったのかは、よく分からない。やがて海から朝日が昇る。
宇都宮から伊豆に移った「伊豆高原痛みの専門整体院」で治療を受ける際には、はじめは伊豆高原駅前でレンタカーを借り、多くは赤沢温泉の宿に泊まっていた。この宿の夕食と朝食は僕と家内の感覚からすればいささか高価だったため、2回目以降は素泊まりとし、夕食はやがて馴染みとなった焼鳥屋「和居」、朝食は「ガスト」で摂ることが常態となった。
ところが昨年、その「和居」が都合により長い休みに入った。一方、整体院のちかくにあって、外から見た限りではかなり高級そうな「亀の井ホテル伊豆高原」が、調べてみればそれほど高くないことが分かった。伊豆高原の駅前からは送迎バスが出ている。整体院までは歩いて行ける。つまりレンタカーの必要も無い。夕食およびブッフェの朝食は宿泊料に含まれている。それらを勘定に入れれば赤沢温泉のホテルを使うより対費用効果はよほど高い。その「亀の井ホテル伊豆高原」から8時50分にホンダフィットを発進させる。
2日間の荒療治の甲斐があって、人の肩を借りなければ歩けなかった家内は、杖さえ使えば歩けるところまで回復をした。僕の治療はきのうに引き続いて、電子ペンの先端は、小さなお灸ほどの熱さしか感じさせなかった。症状の重い家内は2週間後、2月末にタイ行きの迫っている僕は3週間後の予約を入れて治療院を去る。
11:09 「伊豆高原痛みの専門整体院」を出発。
12:40 「鈴廣かまぼこの里」に着。
13:54 昼食を摂り、自宅と社員へのお土産を買って「鈴廣かまぼこの里」を出発。
13:55 西湘バイパスから小田原厚木道路に入る。
14:23 圏央道に入る。
圏央道は、首都を経由することなく関東の東西や南北を行き来することができ、移動時間を短縮させるには非常に有り難い。しかし断続するトンネルの中を、密集するトラックに挟まれて走らなければならず、そのあいだの緊張感や重圧にはただならないものがある。たった一人の運転手が居眠りをしただけで、重大な事故が起きるだろう。できれば二度と走りたくない道である。
15:06 きのう昼食を摂った狭山S.A.で小休止。
15:17 狭山S.A.を出発。
ふたたび圏央道に戻り、自動販売機で買ったコーヒーを飲みつつ「たった11分間の休憩が人間にこれほどの開放感をもたらすとは」と大いに驚きつつ、以降は楽な気持ちで北上を続ける。
15:43 久喜白岡JCT.から東北道に入る。トンネルは二度と現れず、頭上には青い空が広がっている。「ここまで来くればオレのもの」という気分になる。
16:31 宇都宮I.C.から日光宇都宮道路に入る。
16:48 上澤梅太郎商店に帰着。距離計の数字は576.6km。
排気量の大きなクルマがあれば、今回の往復も、それほど苦にはならなかっただろう。しかし僕はそのようなクルマは好まず、更に個人のクルマは一生、持つつもりはない。
夜は、買ってきたばかりの蒲鉾にて燗酒を飲む。
朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「美蔵」の玉子焼き、「かまぼこかき揚げの温そば」
晩飯 「鈴廣」の蒲鉾「古今」、豆腐と水菜と豚薄切り肉の鍋、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)
2025.1.29(水) 伊豆治療紀行(32回目の1日目)
今月の21日より家内は左の膝痛を訴えていた。しばらくは湿布と、何かの折に処方された鎮痛剤で痛みを抑えていた。しかし1週間後の27日に「汁飯香の店 隠居うわさわ」の後片付けを終えたところでいきなり患部に激痛が走り、以降は人の肩に掴まらなければ歩けなくなった。
翌28日、街の整形外科に出かけて診察を受けるも、レントゲンでは物理的な故障が見つからず、膝に鎮痛剤を打たれ、別途、鎮痛の錠剤を処方されて帰宅した。折良く29日と30日は、月に一度の、伊豆での治療が予約済みだった。しかしいつもの公共交通機関は利用できない。
そういう次第にて家内は助手席、僕は運転席に着いて、ホンダフィットを発信させる。行程は以下。
10:00 会社を出発。距離計の数字は2.1km。
10:18 日光宇都宮道路を終点の徳次郎で降りて宇都宮I.C.から東北道に入る。
11:06 昼食は蓮田S.A.で「翁の郷」の肉汁うどんを食べる予定にしていたものの、その手前の久喜白岡JCT.から圏央道鶴ヶ島方面へ進むようGoogleマップに指示される。
11:35 狭山S.A.で昼食。
12:01 狭山S.A.を出る。
12:50 厚木I.C.を出て小田原厚木道路に入る。
13:16 西湘バイパスに入る。西湘バイパスと真鶴道路の関係は不明。
13:20 西湘バイパスから一般道へ降りる。
13:43 熱海ビーチラインに入る。
13:50 熱海ビーチラインから国道135号に降りる。
14:46 「亀の井ホテル伊豆高原」に到着。距離計の数字は288.9km。
「伊豆高原痛みの専門整体院」に入れておいた予約は16時30分。家内はホテルが貸してくれた四つ足の杖を使って館内の温泉へ行く。僕は部屋にコンピュータを開き、きのうの日記のあらかたを書く。
「伊豆高原痛みの専門整体院」の治療には5,000ボルトを発する電子ペンが使われる。患部の状態が悪いほど、ペン先を突き立てられたときの痛みは強くなる。膝のように肉の薄いところでは、その痛みは更に増す。
家内の治療には1時間ほども要した。僕の状態は悪くなく、膝に押し当てられた電子ペンは、痛みをまったく感じさせなかった。治療時間も20分ほどのものではなかったか。
ホテルでの夕食は19時30分から。僕の就寝時間は多分、21時より前だったと思う。
朝飯 里芋の淡味炊き、切り昆布の炒り煮、スペイン風玉子焼き、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参と牛蒡と椎茸と油揚げの味噌汁
昼飯 圏央道狭山S.A.の「粗挽きポーク & エッグサンドおにぎり」、「新井園本店」のペットボトルの狭山茶
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、「澤乃井」の特別純米(冷や)、其の九、其の十
2025.1.28(火) 第369回にて
上澤梅太郎商店や「汁飯香の店 隠居うわさわ」の植木の面倒を見てくれているカシワギさんが8時30分に来る。先ずは店舗駐車場の北側の、生け垣と呼ぶにはいささか大きなエレガンテシマによる壁を、2月19日の店休日に剪定するよう頼む。次は隠居に移動をして、枯れた木の伐採と撤去について相談をする。
カシワギさんによれば芝崎歩道橋ちかくの松、および蔵の冷蔵庫にちかい松の2本は経費をかけるまでもない駄木にて、こちらも伐ってしまってはどうかと言う。歩道橋にちかい松は塀の外まで枯れ葉を散らして、その掃除に手がかかっていた。冷蔵庫にちかい松の落ち葉は雨樋に溜まり、また室外機のプロペラにも容赦なく落ちる。大きな松ではあるものの、僕は前々から伐りたいと考えていた。この木を残すべしとしていた長男には、カシワギさんの意見を伝えることにしよう。
カシワギさんはまた、庭木の世話について年間計画を立てることを提案してきた。それは長男の意向とも一致することにて、今週の土曜日にまた話し合うことを決める。
昼食を摂り終えて休んでいた午後に館内電話が入る。事務室に降りると、来客は今月22日の日記に書いた、新たなハンドリフターの注文契約書を持ったトヨタフォークリフトの営業担当だった。即、指定をされるまま会社の横判と丸判を3枚綴りの用紙に捺していく。納期は3ヶ月から4ヶ月とのことにて、早くに買うことを決めて良かった。
こちらは今月13日の日記に書いた「本酒会」に臨むため、19時15分に会社の通用口を出る。この、日本酒に特化した飲み会の設立は1992年。会長のイチモトケンイチさんに誘われて僕が加わったのは1995年。以降に飲んだ日本酒はすべて僕のコンピュータにデータベース化されている。ちなみに1995年4月24日から本日までに出されたお酒をあらためて数えてみると、実に2,472本に達していた。
その本酒会も諸般の事情から、本日の第369回例会を以て解散をされる。ヤマコシシンヤ会計係からは、今日までの残金が会員の頭割りで返された。広報と酒の取り寄せ係を兼任していた僕も、しばらくはのんびり、である。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、里芋の淡味炊き、菠薐草のおひたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参と牛蒡と椎茸と油揚げの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「魚登久」の酒肴あれこれ、茶碗蒸し、鰻丼、お新香、味噌汁、7種の日本酒(冷や)
2025.1.27(月) 新しい喪服
お通夜やお葬式に伺うと、ダブダブのスーツを着た老人をよく目にする。加齢と共に痩せたに違いない。この11年間で13キログラムちかくも体重を減らした僕も、その一員である。そういう次第にて、下今市09:05発の上り特急に乗る。
有楽町の仕立屋には11時30分の予約を入れておいた。テーラーメイドにしては随分と安いスーツを売るその店のことは、SNSにときおり現れる広告で知った。行って分かったことだが、採寸されたのは胴回りのみだった。
その胴回りに合ったパンツを穿かされ、右脚の裾を上げる。裾の長さは右脚でしか計ってもらえなかったため、左脚でも計るよう頼む。裾幅は自分では決められない。多分、現在の標準に照らして無難な設計になっているのだろう。裾は黙っていればシングルになる。
上着はカタログのいくつかから選ぶ仕組みで、礼服としてもっともふさわしいものを指定した。その上着を係が僕に着せる。袖には7ミリメートルほどの間隔で白い線が入っている。それを目安にして裄丈を決める。こちらについても僕は、左右で別々に計るよう頼む。着丈は見本のそれでちょうど良かった。
上着は、ふたつボタンの上ひとつがけなら下のボタンは不要と僕は考えるけれど、それはできないと係は言う。襟穴も僕は不要としているが、それも客の要望は容れられないという。襟の高さ、ゴージの位置は無論のこと、襟幅も自分では決められない。しかし見たところ8.5センチメートルの襟幅は、僕の好みに沿っている。襟かた前裾にかけてのステッチは不要とした。
ベンツはサイドベンツを選ぶ。ベンツの長さは指定できない。袖の本切羽は不要。袖のボタンは3個で重ねは無し。両脇のポケットはフラップ付き。フラップの高さは選べない。ポケットに英国風のスラントは不要。チェンジポケットも不要。胸ポケットはボックスがデフォールト。ボタンは黒の2種からひとつを選ぶ。左右の内ポケットは右にのみフラップとボタンが付き、左は無しという僕の希望が見本にあって、それを選ぶ。左の内ポケットちかくに入れられるネームは不要。仮縫いは無し。できあがりは3ヶ月後で、佐川急便により届くという。縫製工場がどこにあるかは訊かなかった。
有楽町から新橋までは、JRの高架下を往く。コンクリートがむき出して薄暗く、いささか不気味だったそのトンネルは、いつの間にか、きらびやかなアーケードになっていた。
新橋で散髪。そこから山手線で原宿に到る。山手線を原宿で降りるなどは多分、40数年ぶりのことではなかったか。竹下口改札から竹下通り、それが山手通りと交わる竹下口までに溢れているのは、外国人とお上りさんと未成年者。更に直進をすれば人通りはめっきり少なくなり、雰囲気も落ち着いてくる。
目指すジーンズ屋には外国人の客が目立った。手持ちのジーンズのウエストは33インチで、今やからだに合わない。ウェブ上で選んでおいた型番のウエスト32インチを店員から受け取って更衣室に入る。しかしいかにも緩い。次は30インチを手渡してもらい、これも緩い。次は28インチ。これはちょうどよく感じたものの、穿いているうち緩くなるからきつめを選んだ方が良いと店員は言う。しかし27インチとなれば僕の16歳のときのサイズで、とてもではないけれど行きすぎの感じがする。「メシを食って腹が膨れたときに心配だから」と、28インチを包んでもらう。価格はスーツの七掛け。スーツが安いのか、はたまたジーンズが高いのか。
原宿駅の手前、明治神宮前まで戻って千代田線に乗る。湯島天神下の「シンスケ」の開店時間はコロナ以降の引けの早さによるものか、今は16時30分になっている。上出来の肴と共に「タルの熱燗」を正一合の徳利で3本こなす。この店の熱燗は熱すぎないところがいかにも良い。
ふたたび千代田線に乗って北千住に着けば時刻は18時08分。頭上の電光掲示板は18:13発の下り特急を案内している。通路を歩きつつスマートフォンで座席を確保し、20時前に帰宅を果たす。
朝飯 揚げ玉、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
昼飯 「ドトール」のチーズ in ミラノサンド、コーヒー
晩飯 「シンスケ」のあれこれ、「両関」の樽酒(燗)
2025.1.26(日) 月の軌道
今月18日の朝の月は西に出ていた。しかし今朝の月は南に出ている。ほぼおなじ時刻にもかかわらず、その位置の大きな違いはどのような理由によるものか。太陽暦が採られる以前に生きていた人、たとえば「月は東に日は西に」の芭蕉に訊けば、多分、教えてくれるだろう。しかし芭蕉はもう、この世にはいない。そして今月11日の日記にも書いたように「天文に詳しい人」には、僕は天文については絶対に訊かないことにしている。
ところで芭蕉といえば「月日は百代の過客にして…」であるが、昨秋のタイ行きにはドナルド・キーン編「昨日の戦地から」に加えておなじ著者による「百代の過客」の上巻を持参し、旅の9日目にバンコクで読み終えた。来月のタイ行きに際しては「百代の過客」の下巻および「続百代の過客」の上巻を読む予定にしている。しかし今回の滞在は11日間だから、ことによると「続百代の過客」の下巻もスーツケースに入れた方が良いかも知れない。
とすれば僕の、機内持込サイズの”RIMOWA SALSA AIR”がいくら軽量とはいえ、8キログラム台に納めるのは難しそうだ。そのときにはこれまでの持ち物から乾いた布巾を絞るようにして、何かを省こうと思う。
朝飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、なめこと長葱と油揚げとズッキーニと白菜キムチと玉子の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018、「ヨックモック」のチョコレート
2025.1.25(土) はやおき
きのうは19時台に入浴し、20時台のはじめに就寝した。その甲斐あって、今朝、起きて着替えて食堂に来たときの時刻は1時57分だった。なぜそのような極端な早起きをするかといえば、音の無い時間、静かな時間をなるべく長く確保したいからに他ならない。
その時間に何をするかといえば、先ずは興味の赴くまま調べごとをする。次にこの日記を書く。その次は仕事をする。今朝の仕事は直近の営業日に「汁飯香の店 隠居うわさわ」をご利用くださったお客様の感想カードの内容の、コンピュータへの入力だった。「そんなことは昼でもできるではないか」と言われれば、電話が鳴ったり人と話をしたりする営業時間中に「そんなこと」はしたくない。そうして上記のすべてを終えても時刻はいまだ4時20分なのだから「早起きは三文の得」どころではないのだ。
そういう朝型の人間は、夜にはからきし弱い。外へ出たときの夕食は、開いた直後の店の席に着いて、いわゆるハシゴはほとんどしない。
終業後、今月30日の夕食の予約をすべく店に電話を入れると「ご予約は9時より17時のあいだで承っています」の自動音声が流れた。「なるほどー」である。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、揚げ玉、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、擂り胡麻のお茶漬け
昼飯 にゅうめん
晩飯 鱈鍋、なめこのたまり炊、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、「柏露酒造」の「越の四季超特選大吟醸」(燗)
2025.1.24(金) 更新つまり発信
昇給は1月。だから今月の給与明細には新しい給与辞令を添える。家内にはそれを23日までに作るよう言われていたものの、果たせなかった。よってきのうの終業後はコンピュータと共に10キーも自宅へ持ち帰り、今日の早朝に作成しようと考えていた。ところが僕の優先順位は常にこの日記にある。きのうのそれを書くうち朝食の時間が来て、しなくてはならない仕事はまたまた後まわしになった。
その給与辞令には9時30分に取りかかった。そして10時までに完成をさせて、無事に家内に手渡せた。ここで取りあえずの義務からは開放されて、スマートフォンを手に取る。
僕の朝食を数日おきに上げているTikTokのアカウント「梅太郎」のフォロワーは4万8千700人。対して僕がフォローしているアカウントは50と少々。自分のフォロワーを増やそうとしながらこんなことを言うのは何だけれど、フォローしたからといって、その動画を頻繁に視聴する、ということはない。興味のあるアカウントであれば、フォローなどしなくても、いつでも検索をして観ることができる。
そういう次第にて、その、フォローしているアカウントを数分のあいだに半減させた。悩ましいのは相互フォローの関係にある「友達」で、これを切ることには後ろめたさが伴う。しかし出かけるときの手荷物とおなじく減らしたいものは減らしたい。よってこの1年以内に更新つまり発信のない「友達」はフォローを切ることにした。「恨みっこなしでヨロシク」である。
朝飯 三つ葉のおひたし、スクランブルドエッグ、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、なめこのたまり炊、白菜漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 フエ、レタスとベビーリーフのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、Old Parr(お湯割り)、「ヨックモック」のチョコレート、Old Parr(生)
2025.1.23(木) 冬の空
「いよいよ暖かくなって参りました」という時候の挨拶が、今日、どこかから届いた営業メールにあった。いよいよ暖かくなってきたとは、本当のことだろうか。
神棚と稲荷社の掃除は毎年、師走の28日に行う。稲荷社は僕の長年の経験から、濡れ布巾などは使わず、中のものをすべて出して、ホースの水で丸洗いをするのがもっとも合理的だ。ホースは中の水と共に凍っているから、桶のお湯に丸ごと沈めて解かす。しかし昨年末には、ホースの水は凍っていなかった。
さきおとといの夜は雨が降っていた。その雨の中にホンダフィットを北上させて鬼怒川温泉へ行った。雨が雪に変わることを懸念したものの、それは遂になかった。温泉旅館「一心舘」に着いたときの、ホンダフィットのメーターパネルには外気温を示す「5℃」の数字があった。
つまり今年の冬は、いわば暖冬なのではないか。それでもたとえばダウンベストに守られていない二の腕は時に薄ら寒く、帽子を欠いては玄関を出る気もしないから、やはり冬は冬なのだ。
きのうは北陸から首都圏に転居をした人と話をした。「やはり暖かいですか」と訊けば「いやぁ、空は晴れているし、雪は降らないし」と、その人は完爾として笑った。僕の見たところからすれば、その人は気温の高さより冬の空の青いことを喜んでいるようだった。
金沢の料理の甘さと塩辛さをこぼした魯山人は「これだけ暗い冬に閉じ込められていれば、そういう味も欲しくなる、というものだ」と細野燕台に言われて取りあえずは矛を収めた、という話をどこかで読んだことがある。
とにかく、半袖のシャツ1枚で過ごせる季節、青い空に白い積乱雲の高く立ちのぼる季節を僕は待ち望んでいる。春も悪くはないけれど、夏の良さには到底、敵わないのだ。
朝飯 玉子焼き、大根おろし、白菜のソテー、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、油揚げと若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 玉子焼き、牛蒡と人参のきんぴら、刻みキャベツを添えた豚カツ、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2025.1.22(水) ものいり
製造現場の自動ひもかけ機と荷物用エレベータの不具合を治すため、群馬と東京から技術者が派遣されてきたとは、先週金曜日の日記に書いたことだ。同日には味噌漉し機にも不具合が発生し、こちらについてはその後、製造元に問題の個所の画像を送ったりして折衝を続けてきた。本日はその会社の社長から電話が入り、来週の金曜日に引き取り、再来週の金曜日に納品という日程が決まった。よってそのことを会社の電子会議室に上げ、更に、機械のトラックへの積み込みは先方の技術者に任せるよう、言葉を添えた。
やれやれという気分でいたところ、重なるときには重なるもので、今度はハンドリフターが経年劣化により修理を重ねていることを製造係のタカハシアキヒコ君より知らされる。こちらについてはしばらく考えてから、新機に交換する旨を先方の営業係に電話で伝える。経費としては減価償却。とはいえ購入は現金の一括払いで行うから、今月と来月は結構な物入りになるだろう。
さてきのうの日記に書いた、2月5日から日本橋高島屋S.C.で開かれる「冬の味覚市」の案内状は午後に無事、投函をされた。「ニッパチ」の2月ではあるけれど、天気に恵まれ、たくさんのお越しを戴ければ幸いである。
朝飯 納豆、目玉焼き、小松菜のソテー、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとレタスとベビーリーフのサラダ、フエ、2種のパン、そのパンに載せるためのあれこれ、クリームシチュー、Chablis Billaud Simon 2018