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清閑 PERSONAL DIARY

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2024.10.21(月) 「外す」は必須

朝のテレビの天気予報は、竜頭の滝からの中継だった。

今月2日、いまだタイにいたときに僕は「彼らはまず、先人の歌によってすでに知られた場所へ行く。そして彼らがそこで褒めほそやすのは、桜かもみじにかぎられ、名もない丘に咲く名もない花の美しさには、一言一句も費やすことがない」という「百代の過客」におけるドナルド・キーンの筆の一部を日記に引用した。それはなにも、中世日本の旅人に限られた特徴ではない。それから千年以上を経た今も、世界中の旅人は、まるで巡礼のようにして、名所ばかりを目指すではないか。

竜頭の滝の茶屋から紅葉の様子を眺めたければ、週末、特に連休に来てはいけない。渋滞に阻まれて、いずれたどり着けないからだ。有名どころへ行きたければ、週末は外す。週末にしか来られなければ、有名どころは外す。観光の季節に観光地で観光を楽しみたいなら、この「外す」は必須中の必須、である。

午後より東武線の上り特急に乗って、先ずは大宮市のオーミヤナナサト眼科へ行く。2018年の秋に白内障の手術を受けた。以降は半年に1度の検診を欠かしていない。夕刻からは東京に移動をして、飲酒喫飯を成す。


朝飯 菠薐草のナムル風、生のトマト、胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、豆腐と茸の味噌汁
昼飯 「日光鱒鮨本舗」の「鶏めし」、特急スペーシアXの車内販売の「日光みそと湯波のお味噌汁」
晩飯 “Pizzeria Trattoria Vomero”の有機ベビーリーフと季節の野菜のサラダ旬の貝類のワイン蒸し、2種のパン、Casalforte CHARDONNAY VENTO


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2024.10.20(日) 遺影考

オフクロの祥月命日は10月15日。お墓へは家内と早朝に出かけた。供えた花は5日を経てどうなっているか。それが気になって、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達のついでに如来寺に立ち寄る。菊と百合によるそれは、捨てるには忍びないほど生き生きとしていた。よって今日は水を換え、線香立てと、その周りを水で洗うのみとした。帰りには寺務所に立ち寄り、お十夜の回向料を置いた。

先般、妹の同級生のお父さんのお通夜に伺った。焼香をしようとして近づいた祭壇の遺影には、大いに驚かされた。青いポロシャツの胸元には白いTシャツが覗いている。帽子は農業協同組合か農機具会社のノベルティにでもありそうなもの。そして青空の下で完爾と微笑んでいた。教育者でありながら、その農夫然とした様子に僕は心を打たれた。このような良い遺影は、滅多にあるものではない。

これまで見てきた遺影のうち印象に残るのは2点。ひとつは黒い礼服に勲章を帯びた、明らかに写真館によるもので「これは立派だ」と、しげしげと見入った。もうひとつは鬱金色の着流し姿で、僕は故人と椅子を並べて飲んだ夜を思い出し「随分と粋ではないですか」と嬉しかった。

一朝有事の際には使うようにと、僕の遺影用の画像は既にして長男に渡してある。それは今月16日の日記に書いたムスタン・タカリ・チュロで知らないうちに撮られたものだ。しかし前出の3葉には遠く及ばない気がする。それもまぁ、仕方のないことではある。

ところでウチのお墓はまめな手入れを必要とする。お墓は毎年、お盆までは何とか保つものの、その後の強雨により乱れる。それを晩秋に復旧させるための見積もり書に夕刻「OKです。」と書き添えて、お墓の会社にファクシミリで送信する。


朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、蓮根のきんぴら、納豆、生玉子、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、菠薐草のナムル風、夏太郎らっきょう、3種の焼売、紹興酒「曲渓」(燗)


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2024.10.19(土) 昼は快晴、夜は雨

2時台の目覚めを奇貨として「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様が残してくださった感想カードの、コンピュータへの入力を未明より始める。今朝は、タイから戻った10月5日の分から。直近の分までは、朝食の準備にとりかかる6時30分に到っても処理しきれなかった。しかし残りも少なければ、もう30分もあれば完了するだろう。

今朝は9時と9時20分にバスの予約をいただいていた。朝のバスは大抵、ホテルや旅館の多い鬼怒川方面から来る。すると必然的に、バスは店舗とは国道121号線を隔てた向かい側の駐車場に駐まる。そこまで横断歩道を渡ってご案内に向かうのは僕の役目だ。

9時20分のお客様を誘導している最中に、それらの方々とは別に、長身の外国人女性が店に入っていらっしゃる後ろ姿が見えた。店に戻ると、スマートフォンのディスプレイを示された販売係のサイトーミホコさんは僕の方に向き直って「隠居でのお食事をご希望だそうです」と告げた。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」は土日月の週に3日の営業で、今日から明後日までは既にして満席をいただいている。「一人でも無理でしょうか」と、その女性は静かにお訊きになった。店内は混み合っていたものの、人員も充分なため「庭だけでもご覧になりますか」と外へ出て、蔵の塀に沿って南へ歩く。途中、隠居の建物は150年ほど前の小さなもので、だからすぐに席が埋まってしまうことなどをご説明する。

紅葉狩りの季節、とはいえ隠居にはいまだ緑が濃い。その庭に面した座敷の大小4客あるテーブルのうち3客は、お客様により占められていた。のこり1客にもいずれお客様がお着きになるだろう。帳場に上がって隠居も含めた上澤梅太郎商店の案内をひとつ取る。そして玄関前に戻り、それを女性に手渡す。

「それにしても気持ちの良い日だ」と、女性は緑の葉越しに快晴の空を仰いだ。女性はフランス人で、現在は東京のホテルに滞在中。日本は好きで毎年のように訪れているとのことだったため、次の機会にはできるだけ早くご予約をくださるよう、お願いをする。

If you wish to have breakfast at Inkyo Uwasawa, please make sure to make a reservation,as soon as early.

終業後は「今市屋台まつり」の様子を見るため、雨の降る外へ出る。傘を差し、洋食の「金長」のある通りから小来川街道を横断して鰻の「魚登久」の角を曲がる。早くも太鼓の音が聞こえ始める。そこから数百メートルほども下ってJR通りに出る。各町内の彫刻屋台の中に「春日壹」の提灯を探す。我が町内の屋台はJR通りから日光街道へ左折をしようとしているところだった。

僕は会計係にて、また週末の繁忙により現場には出ない。雨の中で屋台を曳く面々、また食事を用意してくれた婦人会、それを休憩所まで運んでくれた大膳には感謝に堪えない。そうして頭のユザワツネオさんに挨拶をしてから家へと戻る。


朝飯 胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、トマトと菠薐草の味噌汁
昼飯 焼きおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、若布と長葱のスープ
晩飯 3種のパンベビーリーフを添えた鶏のトマト煮VOSNE-ROMANEE Jean GROS 1985Chablis Billaud Simon 2018


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2024.10.18(金) 普段の倍

終業後は羽田空港へ向かう、という先月25日の朝に銀行へ赴き、釣銭のための紙幣と硬貨を作ってもらった。帰国するまでの10日のあいだには、また両替の必要が起きるだろうと考えていた。ところが帰って通帳を確かめてみると、その跡は無かった。紙幣と硬貨はその後も、漸減はするものの、どうにか今日まで保った。お客様の数が予想したより少なかった、ということではない。いわゆる「キャッシュレス」の進捗によるものだろう。

釣銭を得るためには相手の手間も考えて、銀行には朝一番で行く。今日は時間を確かめないまま会社を出たところ、銀行はいまだ開いていなかった。ATMは8時45分から使えるため、とりあえずは小口現金のための幾ばくかを払い戻す。

午後、本日2度目の納品のため道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ行くと、売場の冷蔵ショーケースと裏手の冷蔵庫の2個所に充分に置いたつもりだった、らっきょうのたまり漬「ピリ太郎」が売り切れていた。即、持参したそれを売場に並べる。今日は普段の倍の量を包装係に頼んでおいて良かった。明日もまた、製造係には倍の量を頼むことにしよう。

一年中、ではあるものの、特に秋には、油断は大敵なのだ。


朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、長葱のソテーを添えた目玉焼き、納豆、蓮根のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 レタスとソムタムを添えたビーフステーキマッシュドポテト3種のパンチーズチョコレートケーキVOSNE-ROMANEE Jean GROS 1985


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2024.10.17(木) 満月

今月9日の日記に書いた事務机の上の整理整頓がいまだ効いているため、気分は良い。いますべき楽しい仕事としては、来年のカレンダーに予定を記入していくことだ。

「毎年、おなじ時期におなじ仕事が巡ってくる」という人もいれば「年ごとにすべきことは違ってくるから、先々の予定は立たない」という人もいる。「目標は高く掲げ、予定は嘘でも入れろ」という人もいる。僕はカレンダーには「既にして決まっていること」と「みずから勝手に決めたこと」のふたつを記す。後者については、有り体に言えば、まぁ、遊びのたぐいである。

嘘でも構わず入れた予定が現実味を帯びてきたときには、大抵、日時に多少のズレが生じる。紙に書いたそれをズラすには、インク消しとペンが必要になる。日程管理をコンピュータで行えば、インク消しとペンは必要なくなる。しかし僕の場合、いじくり回して楽しいのはやはり、紙にペンで書く予定である。目に訴える力が強いからだろう。

ところで今日はスーパームーンとのことにて、初更、外へ出たところでそれを画像に残す。残したところでそれはスマートフォンの小さなレンズによるものだから、普段の月との違いは分からない。そして「今年の満月も、あと2回か」と思う。


朝飯 2種のおむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、若布と長葱の味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆのざるうどん
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリの辛子和えピータンエビマヨ鶏の唐揚げ麦焼酎「二階堂」(お湯割り)家に帰ってからのエクレア、Old Parr(生)


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2024.10.16(水) 伊豆治療紀行(29回目の2日目)

このホテルにはロビーの奥に展望のためのデッキがあり、寝椅子が置いてある。早朝、そこに寝そべって、伊豆の空の明ける様子を眺める。半袖半ズボンの館内着でも、寒さは感じない。

家内は8時50分に予約したタクシーで、ひとり富戸の漁港に去った。「伊豆高原痛みの専門整体院」での治療による痛みは、きのうのそれよりも随分と楽になって助かった。来月、再来月は繁忙ではあるものの、休まず伊豆を訪ねるべきだろう。

熱海駅の新幹線のプラットフォームから、新橋の大衆床屋に予約を入れる。品川を経由して新橋に出て、先ずは昼食を摂る。雑居ビルの中を進んで床屋に近づいていくと、通路に出した椅子にまで待ち客は溢れていた。

あれやこれやして、夕刻いまだ早い時間に北千住に到る。ここしばらく持ち歩いていた高野秀行の「辺境メシ」の「おわりに」に続く「謝辞」を読みながら、髙野をバクタプールの水牛づくしの店に案内をしたのはカトマンドゥの料理屋「ムスタン・タカリ・チュロ」のあるじだったことを知る。この店では僕も2013年7月13日に会食をした。僕はダルバーツを肴に、その名も”GORKHA”というビールを飲んだのだった。

さて活字が枯渇してはひとりで飲み食いができないたちにより、駅ビル8階のブックファーストで迷いに迷いつつ、ようよう文庫本1冊を選ぶ。

本の購入には迷ったものの、飲み屋から戻った駅ビルでは酔った勢いにてかなり高いチーズを迷わず買う。そして18時33分発の下り特急に乗る。


朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 「ドトール」のチーズインミラノサンド、コーヒー
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれやこれやそれや、チューハイ、それを濃くするためのナカ


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2024.10.15(火) 伊豆治療紀行(29回目の1日目)

下今市09:34発の上り特急に乗ると、北千住を経由して東京駅には11時30分に着く。新幹線を使った移動には、いつまでも慣れない。東京と伊豆高原のあいだの往復の切符を買うときにはいつも、その経路を記した、カードケースに入れた紙を係に見せることにしてる。係はそれを左手に持ち、右手でスタイラスペンを操作して、僕と家内の切符を発券した。

熱海を経由して伊豆高原には13時57分に着く。間もなくホテルのバスが駅前のロータリーに現れる。車内での30分ほどの待ち時間は、本を開きさすればすぐに過ぎる。ホテルに着いた時間は記録していなかったが多分、14時50分にはなっていなかったように思う。

いまだチェンライにいた今月はじめのこと、ベッドの上に置いた衣類を取ろうとしたときに「あわやギックリ腰」という一瞬があった。「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生は診察台にうつぶせた僕の腰から背中までを観察して「そのようなことが起きた形跡は見られない」と言い、しかし「そうか」と、今度は起き上がって診察台に腰かけるよう促した。そして「やっぱり」となにやら納得をした。とても珍しい例ながら、直立した背中にはありありと、筋肉の緊張が浮き出たという。

その背中に9,000ボルトを発する電子ペンを押し当てられる。更にはその電子ペンに体重を預けるようにして背中を後ろに倒すよう先生は命じた。電子ペンは患部の状態が悪ければ悪いほど痛みを感じさせる。しかしその痛みはすぐに引いていった。背中から腰にかけての張りは、それほど頑固なものではなかったらしい。膝の治療は前回9月はじめよりは痛みを感じたものの、身を固くし、ひと言も発せられないまま冷や汗を垂らし続ける、というところまでは達しなかったから助かった。

チェンライの客室の椅子は化粧台のスツールのようなもので、そこに座って日に数時間もコンピュータに向かっていたことが「あわやギックリ腰」の原因ではなかったかと、僕は推理を開陳した。「それだ」と先生は断じ「次は日に1,000円とかでビジネス用の椅子を借りたらいいよ」と提案した。「その半額で足りるでしょう」と僕は答えつつ「あるいはタダでイケるかも」と、フロントのオネーサンの顔を思い浮かべつつそろばんを弾いた。

ホテルは今春から3回目になる宿泊を勘案してか、部屋を露天風呂付きのそれにアップグレードしてくれた。これなら大風呂に行く必要はなく、しごく便利だ。ホテルでの夕食は19時30分からと、みずから時間帯を選んでおいた。そして21時より前に就寝する。


朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、目玉焼き、納豆、蓮根のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、ごぼうのたまり漬、メシ、おとといの鍋を流用した味噌汁
昼飯 「紀伊國屋」の2種のおむすび、JAVA TEA
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一其の二其の三其の四其の五其の六「澤乃井」の特別純米(冷や)


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2024.10.14(月) 「だから」

とにかく僕の生活は、いまだ暗いうちに起きないことには成り立たない。

「汁飯香の店 隠居うわさわ」にはインターネットを経由して今月、来月はおろか、12月と1月のご予約も入っていた。それらに逐一、ご返事をお送りする。

隠居の床には現在、高久隆古の「秋景山水の図」が掛けられている。次は何にしようかと考え、コンピュータの中の一覧表を開く。恵比寿講もちかければ、羅漢山人による「大黒天の図」など、どうだろう。保存が悪くて皺だらけではあるものの、ウチに掛け軸の優品はほとんど皆無、である。

昼食のための素麺の在庫が切れている。長男に教えてもらった店は商売っ気がなく、昨秋はダイレクトメールが届いても、ウェブショップは夏に売り切れたままだった。電話で問い合わせたところ、お店の人はそのことに気づいていなかった。今年は数日前まで売り切れの表示が出ていたため、メールで問い合わせてみた。お店の人は「そろそろ在庫も溜まってきた」とのことで、売り切れの表示を解除してくれた。

素麺は200日分を一気に注文した。これが枯渇するのは4月か5月。とすれば、素麺屋は夏の繁忙期には入っていないから、そこでまた秋までの分を買えば良いだろう。

夕食はビーフステーキと「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ出かける前の家内から聞く。時刻は5時55分。となれば、朝のうちから赤ワインを立てて置く必要があると、それをメモに残す。

日中、今日もまた自由学園男子部の後輩が店に来てくれる。日光彫の店を探しているとのことだったので、それなら日光街道を6キロメートルほど遡上する必要があると答えると、今しがたそこから降りてきたところで、その周辺は大渋滞により駐車はおろか停車をする場所すら見あたらなかったという。「だから」という言葉を僕は飲み込んだ。日光で何かがしたければ、行楽シーズンの連休を外して来れば良いのだ。僕からすれば極々簡単に思われることの、できない人のあまりに多いのはなぜだろう。


朝飯 焼きおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、きのうの鍋を流用した味噌汁
昼飯 きのうの鍋を流用したうどん
晩飯 南瓜のすり流しトマトとレタスとベビーリーフのサラダ隠元のバターソテーを添えたビーフステーキBOURGOGNE HAUTES COTES DE NUITS Jean GROS 1985


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2024.10.13(日) 極楽

南の国にいると、1日に一体全体、何度シャワーを浴びたかを指折り数えても、否、指を折ることなどはとてもできずに思い出せない。秋の行楽シーズンにおける、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達も、また同じ。何かを納めに行けば別の何かが減っている。よってそれを持っていく。すると「まだそれほど減っていないに違いない」と高を括っていた商品が案に相違して売り切れ寸前になっている。よってまたまたそれをホンダフィットに積んで、ということが続くのだ。

道の駅への本日最初の配達は8時05分。会社に戻ってくると、いまだ開店前にもかかわらず、駐車場には既にして10台のクルマがあり、キャッシュレジスターには長い列が見られた。連休中は、渋滞をするより前に目的地へ向かおうとされる方がいらっしゃるため、今朝のようなことが起きやすい。それはまた、とても有り難いことだ。

道の駅へ商品を納め、戻ってくると、店の駐車場はお客様のクルマで満杯。よってすこし離れた別の駐車場にホンダフィットを回さざるを得なかった、ということが今日は2度も起きた。このような賑わいぶりが、勤労感謝の日のからむ11月24日まで続くと考えれば、とても嬉しい。

夕刻、自由学園男子部の後輩がふたり、ほとんど間をおかず顔を見せてくれる。店内はとても忙しく、ゆっくり相手をしていられないのももどかしい。ふたりとも大変な渋滞に巻き込まれたあげく、ようよう辿り着いたという。

地元に住む者としては、日光には真夏か真冬に来るのが吉と断言する。名所旧跡より青い空に積乱雲。滝に紅葉より雪の露天風呂。渋滞も喧噪も皆無の極楽が、そこにはあるのだ。


朝飯 茄子の味噌炒り、納豆、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、じゃがいもと若布の味噌汁
昼飯 ざるうどん
晩飯 豆腐と鶏肉と長葱の鍋、焼きおむすび、ごぼうのたまり漬、夏太郎らっきょう、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)


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2024.10.12(土) 食事会

長男が新宿高島屋に出張をしていた先月下旬には僕が、以降は長男が取材に対応してきたものが今朝はNHKの「おはよう日本」で放送されると聞いていた。番組が始まるのは6時30分でも、上澤梅太郎商店が紹介されるのは7時40分ころとのことで、その時間には出勤をしてくる社員のために事務室のシャッターを上げている。なかなかの綱渡りである。

毎日一番に出勤してくる包装主任のヤマダカオリさんを社内に招じ入れると同時に4階へ戻り、テレビの電源を入れ直す。特集は「東照宮から広がる日光の職人技」というもので、僕が1階へ降りていた時間帯を除いて紹介されたものは、東照宮、輪王寺、二荒山神社などを案内する堂者引き、修学旅行で陽明門の彫刻を見て日光彫りの職人を目指した若い女性、そして上澤梅太郎商店のたまり漬だった。放送された内容は取材の丁寧さを裏付けるもので、多いにありがたく感じた。

午前の早い時間から道の駅「日光街道ニコニコ本陣」で、上澤梅太郎商店の商品の一部に売り切れが発生する。普段はそれほど動かない品物にて、明らかに今朝のテレビの影響だろう。以降もなにやかやと忙しく、昼食は道の駅で買ったものを事務室でそそくさと摂った。

閉店後は隠居に移動し、社員と食事会を持つ。今年は春から秋にかけて社員が増えた。それらの人たちに、上澤梅太郎商店の商品を用いた料理のあれこれを知ってもらうことが今夜の食事会の目的だった。会は和やかに有意義に進み、20時にお開き。社員の協力もあって20時30分には家内や長男と共に母屋に戻ることができた。降り始めた雨は、明日の朝には上がっていることだろう。


朝飯 牛丼、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと玉葱と若布の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、牛乳
晩飯 「しょうがのたまり漬」と「にんにくのたまり漬」を薬味にした鰹のたたき「らっきょうのたまり漬」とツナのマヨネーズ和えじゃがいもの素揚げの「日光味噌梅太郎赤味噌」和えグリーンサラダ鶏肉の「日光味噌梅太郎白味噌」漬け焼き「なめこのたまり炊」の玉子とじ胡瓜のぬか漬けごはん大根と揚げ湯波と万能葱の味噌汁「京生麩大野」の麩まんじゅう「湯沢屋」の酒饅頭リンゴのパウンドケーキ、他あれこれ、「くらむぼん」の「樽甲州」


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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