2024.9.10(火) 目標
町内の会計係を17年のあいだ続けていると、8月31日の日記に書いた。「もう、そんなになるのか」とも思うし、また「オレが突然死したら、町内の会計はどうなるのだろう」とも思う。コンピュータにはパスワードが設定してあるから、金銭の出し入れは僕にしか見ることはできないのだ。ひと月に1回ほどの頻度で、金銭出納帳と領収書の綴り、そして現金残高を副会計に確認してもらえば、万一のことが起きても、立て直しにはそれほどの時間はかからないだろう。そんなことを考えても実行には移していない。なるようにしかならないのが世の常である。
それはさておき敬老の日を6日後に控えた今日は、町内に住む70歳以上の人に配る祝儀を作った。数十年前に町内の育成会長を務めたときには、町内に住む子供と親の名簿を整えた。会計係になってからは、おなじく70歳以上の人の名簿を整えて今に至っている。今年の祝儀の数は71。用いるお札はすべて北里柴三郎の新紙幣とした。その新券が揃ったのは幸運だった。
祝儀袋の上方には赤で「寿」、下方には黒で「春日町一丁目自治会」の判を捺す。年齢によって入れる額は異なるから、お札は湿らせた指で慎重に数え、慎重に袋に納めていく。すべて入れ終えたら東、西、中央の地域ごとにまとめて輪ゴムで留めて一件落着。
僕がこれをもらえる歳になったら、祝儀袋のままポケットに入れて、蕎麦屋でコップ酒を飲んでみたい。目標を持つとは、良いことに違いない。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、納豆、生玉子、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と万能葱の味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆの素麺
晩飯 「和光」のお通し三点盛り、鰹の刺身のたたき風、秋刀魚の塩焼き、もつ煮、「二階堂酒造」の麦焼酎「吉四六」(オンザロックス)
2024.9.9(月) すこし前までは
きのうはひとり夕食を摂りながら、高野秀行の「イスラム飲酒紀行」の最後のところを読んだ。酒が歓迎されない地域を旅したことは僕にもある。1982年に滞在したインドのバラナシでは、大麻樹脂の黒い玉は屋台にピラミッド状に積まれて堂々と売られていたにもかかわらず、酒は手に入りづらかった。タイではラオカーオを提げて夕食の場所へ向かう楽しみがある。しかし2016年に訪ねたナラティワートの食堂にはヒジャブを着けた女の人が目立ち、流石の僕も酒は遠慮した。
「イスラム飲酒紀行」に話を戻せば、高野はイスラマバードの茶屋で大学生と知り合い、彼の自宅まで行く。そこでジョイントを勧められると首を横に振って「マリファナなんて子供のやるものだ。酒はマリファナとは比べものにならないほどいい」と断定する。
「腑に落ちないのは酒を売る人々のこと。 このよきものを売って何に替えようとか」と、オマル・ハイヤームは詠った。詩人はペルシャ、つまりイランの人である。高野はその禁酒国でようやくチョウザメのフライと発酵食品アシュバルを肴にビールを飲むことに成功する。金を出したのは高野でも、シャイロックに似た案内人は遠慮なく料理とビールに手を伸ばし「昔はよかったよ。お祈りも酒も両方あった。今(ホメイニ以降)はお祈りしかない」と嘆く。
ホメイニ以前のイランはパーレビ朝の独裁が国を覆っていたわけだから、その時代はその時代で民衆のあいだには不満が満ちていたに違いない。しかし酒は自由に飲めた。つまり大昔からすこし前までは、酒は自由に飲めた。「今」は難儀なことである。
朝飯 鮭の粕漬け、菠薐草のおひたし、大根と胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布と揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆの素麺
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリの辛子和え、ピータン、あんかけ焼きそば、「二階堂酒造」の麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)
2024.9.8(日) さえあれば
この秋、親戚の結婚式への参列を求められた。そうとなれば、それなりの格好を整える必要がある。長男の結婚式を前にして誂えたタキシードは、都合3回しか着ていない。以降は体重の減少が続いたため、修正が必要だろう。先日は有楽町を歩きながら、新しいリフォームの専門店を見つけた。しかし修正は、やはり仕立ててくれたところに頼むべきだろう。
「さて忙しくなったぞ」と考えていたところ、式の日取りが上澤梅太郎商店の繁忙期に重なるところから、僕はそれより早い時期に、個人宅での宴に呼ばれることとなった。とすれば、上着の着用すら必要ないかも知れない。しかし靴くらいは選びたい。
僕の持つそれなりの靴は、リーガルのストレートチップとオールデンのVチップ。リーガルのそれは、行き帰りの電車や駅では浮きそうなほどあらたまり過ぎている。オールデンのVチップは数十年前に現在の価格の4分の1ほどで手に入れたものだが、なぜかコバにカビが生える。専門の業者に処置を頼んでも、また生える。よって今度は自分の手でどうにかしてみようと思う。
夜はひとりにて、直前まで外へ出ようと考えていた。しかし紙に包まれたパンを台所に見つけた。パンとバターとワインさえあれば、僕は充分に凌げる。そういう次第にてこれを焼き、他に簡単なおかずを添えて、本日の夕食とする。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、生玉子、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦
晩飯 トマトサラダ、茹で玉子のマヨネーズかけ、SMIRNOFF VODKA(生)、パン、Chablis Billaud Simon 2018
2024.9.7(土) 虫の音
「汁飯香の店 隠居うわさわ」にご来店くださったお客様が、帰り際には感想を残してくださった、その内容をコンピュータに入力しようとして、きのうはそれを自宅へ持ち帰った。しかし今朝は早く起きることが能わず、用紙はふたたび事務室に戻った。幸いにも今日は、販売係、事務係とも出勤数が多い。それに助けられて、午前の20分ほどでその仕事を終える。タイへ向けて出発をするのは25日。よって23日までにいただいたご感想は、24日のうちにデータベース化する必要がある。タイの田舎で1週間以上を過ごすことを考えれば、入力への意欲も増そうというものだ。
今月2日から始めたしその実の買い入れは、今日に到って急にその数量が伸びた。しその実は、気温が一定のところまで下がらないと実が入らない。夏の去ることは寂しくても、しその実も欲しい。今日までに集まったそれは目標の4分の1。明日は今日に増して多く持ち込まれることを期待している。
夜、通用口から外へ出ると、虫の声がかまびすしかった。耳の向きを変えながら、その声の聞こえてくる場所を知ろうとする。それらは果たして坪庭と、駐車場の紅葉の根本から盛大に発せられていた。虫の大音声を聞くたび、もう何年前のことやら思い出せないけれど、勉強仲間の先輩と遊んだ夜のことを思い出す。銀座の真ん真ん中であったにもかかわらず、街路樹の根元の草陰からは、信じられないほどの大きさで虫の声が聞こえていた。その先輩も、今はもう亡い。虫は、いつまで鳴いてくれるだろう。
朝飯 鮭の粕漬け、めかぶの酢の物、大根のたまり漬、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 梅干と胡麻のつゆの素麺の素麺
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「田苑酒造」の麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)
2024.9.6(金) いまの動画
先月27日の朝食動画がTikTokに上がるなり、往年のそれには遠く及ばないものの、それでも再生数は5万を超えた。フォロワーはひと晩で100人以上が増えている。数年前までは、みずから会得した定石さえ守れば10万ビューは固かった。しかし近年は僥倖に恵まれないかぎり、1万ビューも難しい。
僕とおなじくTikTokで情報を発信しているひとりに「なぜあんなにフォロワーが多いんですか」と訊かれたことがある。「梅太郎」のフォロワーは、僕からすれば、そこまで多くない。それでも「始めた時期が早かったので」と答えると「私も早かったですよ」とのことだった。そこで更に考えてみれば、その人の動画は解説系。対して僕のそれは、例外を除けば言葉を持たない。つまり右脳のみで理解ができる。他にも理由は多々あるとは思うけれど、よくは分からない。TikTokのフォロワーの増やし方を伝えようとしているアカウントのフォロワーが「梅太郎」のそれより少なかったりすることからも「いまの動画」の難しさは分かるだろう。
それはさておき閲覧数が上がれば「アンチ」まがいのコメントも増えてくる。今朝は「よく米が手に入ったな」というものがあった。今回の米不足は、報道やSNSに煽られて危機感を覚えた人の買い占めをはじめとする、複合的な原因によるものだろう。そして少なくとも我が街においては、米穀店にもスーパーマーケットにも道の駅にも、米は整然と並べられている。
新聞やテレビでは更に、今秋の米価の上がることが伝えられている。上がるなら、そのうちの多くは農家の取り分となって欲しい。「誰がいちばん苦労をしているのか」である。
朝飯 小松菜のおひたし、茄子とピーマンの炒りつけ、納豆、生のトマトを添えた目玉焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 梅干と胡麻のつゆの素麺
晩飯 夏太郎らっきょう、たまり漬「プレミアムらっきょう」、SMIRNOFF VODKA(生)、2種のパン、ベビーリーフを添えた鶏のトマト煮、Chablis Billaud Simon 2018、梨
2024.9.5(木) 伊豆治療紀行(28回目の2日目)
スポーツ選手が遠征のたび寝具を持ち歩く気持ちはよく分かる。寝具が変わればからだのあちらこちらの調和が一夜、否、一瞬で変わってしまうからだ。だから僕は「常に」でなければ意味はないものの、少なくとも伊豆に治療に来るときは枕を持参する。稀代の荷物ぎらいであるにもかかわらず、だ。
今朝は腰の右側に違和感を覚えていたため「伊豆高原痛みの専門整体医院」では先ず、そのあたりを調べてもらった。「左は大丈夫だね」と先生は、僕の背中を見るなり言った。6月の訪タイの最にも、帰国の前日に到って痛んだのは腰の右側だった。僕の知る限りもっとも痛みを感じる膝への電子ペンは幸い、きのうとおなじく触れているだけ、あるいはごく小さなお灸を据えられたくらいの熱さしか感じなかった。具合の良い証拠である。
治療を済ませて後は、城ヶ崎海岸駅までの急坂1,100メートルを一気に下る。そして前回、待合室の本棚で借りた本を返す。この棚には本を寄付する人、借りる人、中には借りて返さない人もいるだろうけれど、ある種の特徴が色濃い。一定の周期を以て、僕が数十年前に読んだ本が現れるのだ。
東海道新幹線を東京駅で山手線に乗り換え、神田で降りる。家内とはそこで別れた。おとといの日記にも書いた銀行の場所は、住所は日本橋でも神田からは目と鼻の先にある。毎月この時期に行う仕事ではあるものの、今日は随分と時間がかかった。以降は新橋に移動をして、散髪その他の用を足す。
朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 もち麦入りおむすびおかずセット、伊右衛門
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、チューハイ
2024.9.4(水) 伊豆治療紀行(28回目の1日目)
「目をつぶっていても」と言えばいささか大げさになるけれど、タイとラオスの、あるいはタイとミャンマーの国境まで行く必要が生じれば、羽田から飛行機に乗り、最後はドアを開け放ったまま疾走するバスに乗り、鼻歌交じりで現地に達することができる。苦手なのは国内の、特にJRを使った移動である。僕は鉄道はほとんど、日光と浅草のあいだの東武線、それと東京都内のそれにしか慣れていない。
普段は家内の後を着いていく伊豆行きだが、家内は今日は、夕刻に遅れて来る。よってスマートフォンのYahoo!の乗り換え案内に頼り、前日から予習をした。
東武線の下今市から乗る上りの特急は下今市10:34発。北千住には12:02着。そこまでは理解できるものの、東京駅へ向かう、途中から上野東京ラインとなる常磐線は12:29発と出る。北千住で27分間の乗り換え待ちは、明らかにおかしい。
スマートフォンをコンピュータに換え、おなじYahoo!の乗り換え案内で、今度は北千住を起点として調べてみた。すると常磐線から上野東京ラインのダイヤに北千住12:09発が現れた。何とも不思議なアルゴリズムである。
よって今日はその北千住12:09発に3番線から乗る。車両は10両付近。そう決めているのは、東京駅のプラットフォームから「いつものエスカレーター」を降りるためだ。コンコースに降りる場所を誤れば、いつも弁当を買う紀伊國屋も見つけられず、いつも切符を買う券売所も見つけられず、右往左往することは必定だからだ。東京駅には12時30分に着いた。
いつもは新幹線で熱海まで行くところ、今日の行程では13:00発の「踊り子11号」がもっとも具合が良い。いつもの券売所で恐る恐る「ここで踊り子の切符は買えますか」と訊く。そんなことも僕は知らないのだ。「はい、買えます」の答えを待って、その11号の、伊豆高原までの切符を手に入れる。熱海での乗り換えおよび伊豆急行鉄道の各駅停車を含めれば、踊り子でも所要時間は変わらず、料金は1,000円ほども安くなる。踊り子11号の切符を無事に手に入れたのは12時36分。しかも発車する9番線へのエスカレーターは目の前にあった。すっかり気を良くして、弁当はいつものおむすびではなく、それよりすこし高いものを選ぶ。
「伊豆高原痛みの専門整体医院」のワタナベ先生は、診察台にうつぶせになった僕の背中に触り「ちょっと張ってる」と言ったから不安になった。具合が悪ければ、治療による痛みも幾何級数的に増すからだ。「はい、頑張って」と先生が腰に押し当てた9,000ボルトを発する電子ペンによる痛みは不快ではあったものの、頑張らなければ耐えられないほどのものでもなかった。もっとも恐ろしい膝への電子ペンも幸い、今日は「触れているくらい」の感触だった。
伊豆高原駅前からシャトルバスに乗り、チェックインを済ませておいたホテルは、治療院とは徒歩で往来できる距離にある。入浴を済ませ、頃合いを見計らって降りたロビーには、ちょうど家内が着いたところだった。そして夜は早々に寝る。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、小松菜の胡麻和え、納豆、スクランブルドエッグ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 「紀伊國屋」の「銀鮭塩焼海苔弁当」、JAVA TEA
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、「澤乃井」の特別純米(冷や)
2024.9.3(火) 秋茗荷
1990年代が終わるころまでは、9月といえば夏の繁忙も去り、しその実の買い入れを除けば比較的ヒマな月だった。社員旅行さえ行っていた。ところが徐々にすべきことが増え、今では普通の月と変わらなくなってしまった。その内容としては、市場から仕入れる茗荷の品質や価格が安定しないことにより、それを近隣の農家から直に買い入れることにしたこと。お誘いを承って、新宿高島屋で1週間の出張販売をするようになったこと。更には11月の日本橋高島屋での出張販売や年末ギフトへの準備を早めに始めることとしたこと、などが挙げられる。
長男は早くも9月からの新年度の日程を紙に出力した。これに調整を加えて社内の掲示板に張り出せば、社員も自分の予定が立てやすくなるだろう。
この時期に届く茗荷は丸々と太って、一般の人には見ることのできない立派さである。市場から仕入れていたころはトラックで一度に運ばれてきていたから、その下処理もごく短いあいだに行わざるを得ず、製造係は大変だった。 いまでは個々の農家さんが日々お持ちになるため、当方の作業も楽になった。大きな山は、小さくなだらかにすることが肝要である。
閉店後は決算期に必要な仕事のため、会社の横判と丸判と銀行通帳をそれぞれ小さな袋に入れ、それをまとめて中くらいの袋にまとめ、更に見失うことのないよう、赤いスタッフザックに納める。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、目玉焼き、納豆、山葵菜のおひたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とオクラと若布の味噌汁
昼飯 梅干と胡麻のつゆの素麺
晩飯 夏太郎らっきょう、春雨サラダ、焼き餃子、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)
2024.9.2(月) 気温は高くても
たとえ1分でも時間をおろそかにできないときには、左の手首にセイコーのソーラー電波時計を着ける。この時計に高級感は皆無ながら、正確さは無比である。
8時からの朝礼を済ませても、いつものように道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ掃除と納品のために赴くことはしない。国道121号線の歩道を辿って隠居の柴折り戸を押す。そして初夏より床に掛けてきた油彩による緑の絵を、高久隆古の「秋景山水之図」に換える。
8時40分、ホンダフィットに商品を積み、道の駅へ向かう。その足で銀行へ寄り、小口現金を多めに下ろす。近隣の農家からのしその実の買い入れが、今日からから始まるのだ。
9時30分に約束した金融機関の人は9時27分に来た。面談は予想したよりはやく十数分で完了した。11時30分にふたたびホンダフィットの運転席に着き、グレン・グールドによるヨハン・セバスチャン・バッハのパルティータ第一番を聴きつつ日光宇都宮道路を南下する。
「もっとも好きなクラシックの曲は」と訊かれれば、迷わずヨハン・セバスチャン・バッハによるイタリア協奏曲第三楽章と答えるだろう。ピアノには心得があるからそれを習得したい気持ちはあるものの、練習を必要とするものを、僕は極端に苦手としている。「だったら現在の知識や技術はどのようにして身につけたのか」と問われれば、赤ん坊が言葉を覚えることとおなじく、生まれつき持ち合わせた学習能力による。
宇都宮からは東北自動車道の上り線に乗る。途中、大谷P.A.でひと休みをする。アスファルトの照り返しにより、素晴らしく暑い。東北道からは鹿沼I.C.で降りて、iPhoneのGoogleマップを頼りに、あらかじめ調べておいたラーメン屋を目指す。値付けは通常の倍ちかいものの店内は満席で、食べ終えた人が出ていけば、すぐにまた人が入ってくる。
昼食を終えるとなぜか、iPhoneがインターネットに繋がらなくなっていた。2度も起動を繰り返して、なお症状は変わらない。記憶を頼りに目的の問屋を目指すうち、ようよう回線が回復する。同社には、僕の愛用品を見本とした、ユニバーサルデザインのお椀ができあがってきていた。外箱が整い次第、上澤梅太郎商店の雑貨部で販売をする予定である。
14時30分と告げて出た会社には、その10分前に帰り着いた。ただし疲れにより、冷房の効いた部屋で小一時間ほど横になって休む。そこから裏玄関に降りると、製造現場からは、届いたばかりのしその実を洗う鮮烈な香りが漂ってきた。
16時より店に立つ。キャッシュレジスター裏の棚には、本日、書籍部で売れた本の売上げスリップがまとめてあった。それらを1枚ずつめくってみれば、いずれ劣らず渋いものばかりだった。
今秋から年末にかけてのパンフレットのデザインがデザイナーから送られてきたらしく、それを紙に出力したものが夕刻、僕の事務机に置かれる。「表紙はどれにしますか」という長男のメモが添えられている。僕の答えは大抵「よきにはからえ」である。クルマのデザインからテレビのコマーシャルフィルムに到るまで、シャチョーや重役など、いわゆる声の大きな年長者が口を挟むと大抵、ろくな結果は得られないのだ。
夜は先ず、ウォッカのソーダ割りから始める。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と玉子と夏野菜の味噌汁
昼飯 “SOBA・SHO”の特製塩ラーメン
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、具だくさんのサラダ、ドリア、ウォッカ&ソーダ、ドライマーティニ
2024.9.1(日) 秋海棠
朝、坪庭に秋海棠を見る。なぜ荷風はこのような、語弊を恐れず言えば取るに足らない花を手ずから庭に植え、更には亭号にまでしたか。日陰に咲く小さな姿に惹かれるものがあったのだろうか。
昼、素麺を食べつつ今朝の日本経済新聞第28面の、長谷川眞理子による随筆「英国旅行雑感」を読む。それによれば、彼の国では幹線においても便は1時間に2、3本しかなく、しかも「スタッフが充分に集まれなかった」などの信じられない理由によりしばしば運休する。運休すればそれを待っていた乗客は次の便になだれ込むことになり、以降は駅に着くたび「これ以上人が乗ると危険なので運転できません。降りてください」とアナウンスがあるも、もちろん誰も降りない。車内は鮨詰めで、通路は立錐の余地も無いから車掌も検札に来ない、とある。
英国病ということばを耳にするようになってから数十年が経つ。上記のような体たらくでもいまだ先進国の一角に席を占めているのは、大英帝国時代からの、文化も含めた蓄積によるものだろうか。些細なことで激高する日本人は、到底、暮らしていけないだろう。
僕が来月の下旬に行こうとしているタイも、そのような性向の人には、とてもではないけれど、旅はできない。そんなところをなぜ好むかといえば、僕は日本人でも、些細なことでは激高しないたちだからである。
朝飯 マカロニサラダ、椎茸と豚肉のソテー、春雨の中華風炒め、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 梅干と胡麻のつゆの素麺
晩飯 トマトとレタスのサラダ、「ミラノピザ」のピザ其の一、其の二、Chablis Billaud Simon 2018