2023.12.11(月) 寒いというよりは
真夏は最高気温28℃の日光でも、最高気温36℃の東京でも、上半身は半袖のシャツ1枚だから、悩むことはない。問題は冬、である。12月もなかばに差しかかろうというのに、最高気温が16℃などと聞くと「冬の格好では行けないな」と思う。しかしその16℃に合わせると、駅から自宅までの帰り道に凍えることになる。
「夕方からは、いよいよ冬のコートが必要になるでしょう」などと気象予報士が東京の天気を伝えても、信じるわけにはいかない。東京の人の冬の服装は、僕からすれば、異様なほどの厚着である。
結局のところ素肌にイタリア製の木綿の下着、これは下着に見えないから重宝するわけだけれど、これを着て、それにNERDYのトラックトップを重ねた。つまり上半身は2枚。下半身は仕事着のズボンである。靴も気軽さに負けて普段のジャングルモックを履く。そして下今市駅まで歩き、7時45分発の上り特急に乗る。
上半身は2枚、とはいえIKEAのトートバッグにはモンベルの薄いダウンベストを納めていた。夜はトラックジャケットの下にこれを着て築地の場外へ行く。外気は適度な湿気を帯びて、寒いというよりは涼しかった。
朝飯 4種のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、若布と長葱の味噌汁
昼飯 “ESPERANCE RESTAURANT”のサンドイッチ、スープ
晩飯 「多け乃」の小鰭の酢締め、生牡蠣、胡瓜と蕪のぬか漬け、メバルの煮付け、「北川本家」の「富翁上撰赤牡丹」(燗)
2023.12.10(日) 南天
「いつまで紅葉もいかがなものか」と考えつつも、秋のあいだ店に飾り続けたその造花を、僕は師走に入ってもそのままにしていた。それをきのう遂に、家内が片づけた。事務室の裏手に下げられたそれは、僕が今朝、2階の倉庫へ運んだ。2階の倉庫は日にひとりかふたりくらいしか人の出入りの無いところだから、埃をかぶる心配はない。
それにしても暖かい。午前、ホンダフィットの車載の外気温計は20℃を示した。誤差はあるにしても、12月の気温とは思われない。夏ならともかく冬に汗をかくことはとても苦手なことだから、Patagoniaのフリースのセーターを脱ぎ、しばらくは長袖のシャツ1枚で仕事に当たる。
9月なかばから店に置かれ始めた益子の大壺は、70年ほど前の「たまり漬」の黎明期に、おじいちゃんが漬け込みに使っていたものだ。ありふれたものではあるけれど、胴に垂れる白い釉の淡い感じは、今ではなかなか見られないように思う。
その大壺には、先日オダニ建具店のおかあさんからいただいた南天が投げ入れられている。「南天は難を転ずる」とは、オフクロがよく口にしていたことだ。南天は年末を越えて、新しい年まで保つだろう。
朝飯 ホウレンソウのソテー、ベーコンエッグ、炒り豆腐、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁、いちご
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとブロッコリーのサラダ、人参とじゃがいもとエリンギのソテーを添えたビーフステーキ、CROS DU MARQUIS 1986、エクレア、「久埜」のどら焼き、Old Parr(生)
2023.12.9(土) 2回で終了
このところ暁を覚えることができないと、4日前の日記に書いた。今朝は、目を覚ましてしばらくしてから充電中のiPhoneを床から拾い上げ、ディスプレイを見ると3時34分。即、起床する。
食堂の灯りを点けると時刻は3時39分。仏壇のお供えを済ませて後にコンピュータを起動する。iPhoneの画像をコンピュータに吸い上げ、そのiPhoneでコンピュータをインターネットに繋ぎ、更にはそのiPhoneをふたたび壁のコンセントで充電状態にする。
ライトニングケーブルは寝室の長いものものも食堂の短いもののANKERの製品である。長い方は昨年「ふじのくに旅行割引き&地域クーポン」を利用して、伊東駅前のセブンイレブンで手に入れた。僕が全国旅行支援の特典を使ったのは計4回。最後のそれは今年のはじめ、所属する団体の鬼怒川での一泊に利用したと記憶をしている。
紅葉狩りの観光客が去って以降、昨年より静かな日々が続いている。それは、旅行支援をいまだに続けている都道府県がめっきり減ったことが影響しているのかも知れない。
閉店後は3台のキャッシュレジスターを手早く締める。そして終業の10分前に、町内役員の忘年会場へと向かう。僕が関わる忘年会は、今週月曜日のそれと今日のこれの2回にて終了の予定である。
朝飯 炒り豆腐、スクランブルドエッグ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、根菜類と鶏肉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「一番札特撰」(お湯割り)
2023.12.8(金) 慣性
9月13日に改装した店舗の、書籍はこれまで2度の追加発注をしたものの、その在庫も随分と減ってきた。3度目の注文は昨月にした。しかしその数十冊はいまだ届いていない。本は注文をしてから届くまでに結構な時間がかかるということを、僕ははじめて知った。
在庫といえば、これまた新たに置くようになった生活工芸というか雑貨のそれも減ってきて、いくつかの販売台は寂しくなっている。こちらの方は、数日以内にはまた賑やかになる予定である。
慣性とは物理の上にのみ存在することではない。人にも慣性はある。過去から現在までの状態を、以降も維持させようとする癖がそれだ。慣れ親しんだものごとが変わると人は違和感を覚え、時には拒否しようとする。今般の改装においても、その拒否感がお客様にあらわれることを心配した。しかしそれはどうやら杞憂に終わったようだ。ただしそれが良いことなのか、そうでもないことなのかは分からない。
夕刻、閉店の前に、書籍の棚の模様替えをすこしする。
朝飯 菠薐草のおひたし、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、ブルゴーニュの高くない赤ワイン、其の十、其の十一
2023.12.7(木) 絵を観ている時間
所用により宇都宮地方合同庁舎へ行く。およそ30kmの移動には余裕を含めて60分をみた。Googleマップは僕の予想に反して環状線を使う遠回りの経路を示したものの、実際には35分で着いた。現地での諸々には2時間が予定されていた。しかしこれまた実際にはその半分で完了した。帰りはGoogleマップは使わず、滝谷町の交差点から桜通りに入った。
その桜通りの十文字を過ぎると「北斎と文晁」という文字が左手に見えた。栃木県立美術館の催しだろう。思わずブレーキペダルを踏み、左にハンドルを切ろうとして、それを思いとどまる。今日の僕に、絵を観ている時間のあろうはずもない。
15時がちかくなるころ荷作り場へ行くと、本来の仕事から駆り出されたらしい研究開発係のマキシマアキコさんがいた。作業台の上は片付きつつあったから、出荷すべき荷物が少ないのかと心配になった。訊けば今日の荷作りは、朝から取りかかって午後の早い時間にほぼすべてを終えたとのことだった。
事務係の残業は、きのうより早い19時に切り上げられた。師走の繁忙は今が胸突き八丁だろう。南アルプスの八丁坂とおなじく、登っている最中には、足元しか見えない坂である。
朝飯 オムレツ、菠薐草のソテー、納豆、壬生菜の塩漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 春雨サラダ、焼き餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、大学芋、「與兵衛桃林堂」の薯蕷饅頭、Old Parr(生)
2023.12.6(水) 意味は不明ながら
会社の通帳のうちの1冊が最終行まで印字されたため、新しい通帳に繰り越した。使い終えた方は会社に戻るなり専用の箱に納めた。その際、輪ゴムで留めた古い通帳を整頓すると、底の方から僕個人の古い通帳が出てきた。
今はなき富士銀行本郷支店のそれを開くと昭和57年、と書いても僕は元号では時代を思い出せないから西暦に直せば1982年1月8日に52万2千円の定期預金をしていた。年利は今昔の感のある5.50パーセントだった。
当時のパスポートを開いてみればその翌日、つまり1982年1月9日に僕は成田空港からバンコクのドンムアン空港へ飛んでいた。定期預金は、しばらく日本を留守にする故のものだったのだろう。
おなじ通帳の普通預金のページには、半年後の1982年7月8日に14,355円の利息が記されている。それは当然のことながら、522,000×0.055÷2に符合する。僕はその定期預金を継続した。年利は5.00パーセントに落ちていた。1983年1月8日に入った利息は13,050円。その数字はもちろん522,000×0.050÷2と一致する。
ところでその通帳を遡ると、1981年12月21日に「ガイタメ」として335,465円が引き落とされている。ちなみにその日、その金額でどれほどの米ドルが買えたのかの記録は残っていない。
1982年1月9日に手にしていた航空券は、成田からバンコクまでの片道のみだった。バンコクから先のことは、バンコクで決めることとしていた。33万5千円とは今でも少なくない金額だが、当時の航空券は安くなかったのだ。バンコクからは更に南を目指した。
19時35分まで事務室にいて4階へ戻ると、皆は夕食をほぼ終えていた。そのテーブルをひとり離れて孫のリコが近づいてくる。そして両手で僕の両手を取るや、その直後には両脚で僕の身体を蟹ばさみし、猿のように昇り始めた。そして僕の上半身まで達すると、今度は自分の胸を僕の胸にピッタリと貼りつけて止まった。意味は不明ながら、悪い気はしない。
朝飯 たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁とポトフの具による味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとベビーリーフのサラダ、ビーフシチュー、Alpaca PREMIUM CABERNET SAUVIGNON 2022、自由学園のクッキー、Chablis Billaud Simon 2018
2023.12.5(火) そのような場所
このところ暁を覚えることができないと、おとといの日記に書いた。実際には、空が晴れている限り、日の出は毎朝、眺めている。しかしその時刻は6時を過ぎているから「暁」という文字はふさわしくないように思う。今朝のそれも綺麗だった。しかし画像には残さなかった。
朝食を終えるなりテレビの電源を入れる。浅草に神戸牛を食べさせる店が林立。しかもすべておなじ会社の経営。お客は外国からの観光客が95パーセントと、ニュースが伝え始める。需要があれば、そこに供給が発生する。需要を予測して供給を整備する、ということもある。更には、みずから需要を創り出してしまう、という知的な力業もある。いずれにしても、この神戸牛の店の経営者は大したものだ。
もっとも僕が外国人として日本を訪ねたなら、そのような場所には近づかないだろう。なぜなら僕は、その国の人たちに混じって、彼らが普段、口にしているものを飲み食いするのが好きだからだ。
夕刻には店もすっかり静かになる。閉店は17時30分でも、18時までは掃除をしながら店は開けておく。以降は残業をする事務係のカワタユキさんにつきあって、19時30分まで事務室にいる。
朝飯 菠薐草のおひたし、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、大根おろしを添えた納豆、千枚漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ニース風サラダ、3種のパン、ポトフ、Chablis Billaud Simon 2018
2023.12.4(月) ことし初めての
「春眠暁を覚えず」というけれど、そしていまだ冬であるにもかかわらず、このところはどうも、早くから目を覚ますことができない。3時台に起床をすれば、時間は使い放題だ。しかし5時を過ぎてから食堂に来てお湯を沸かしお茶を淹れ、ということをしていると、朝食の準備を始める6時30分は、あっという間に来てしまう。早い時間から良い形で眠りに入れるよう、せいぜい務めてみよう。
勤労感謝の日が過ぎると店は静かになる。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」には、日に3回ほども通えば品切れの心配はほぼ無くなった。今日はその3回目の納品の後に如来寺へ行く。そして先月22日にお参りしたお墓を確かめる。12日前に供えた花は驚くべきことに、いまだ元気だった。それでもこれを処分し、花立てを洗い、線香立てのまわりも水で洗う。
16時20分に製造現場へ行くと、製造部長のマキシマトモカズ君が急ぐ様子で荷造りに当たっていた。訊けば朝から荷作りを続けて、いまだ2件の発送伝票が残っているという。店は静かでも、奥では年末の贈答品の出荷が忙しいのだ。そしてこの繁忙は、クリスマスが過ぎるころまでは続くだろう。
今日は特別に、17時30分の閉店の前よりキャッシュレジスターの精算を始める。3台のそれを完了したのは17時40分。売上金と伝票の突き合わせは明朝にすることとして、後は長男に任せる。そして外へ出て、今年はじめての忘年会へと向かう。
朝飯 小松菜のおひたし、生玉子、紅白なます、千枚漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、浅蜊の炊き込みごはん、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「幸楽」のあれや、これや、他あれこれ、ビール、日本酒(冷や)、日本酒(燗)
2023.12.3(日) 夏を思い出させるもの
制服を義務づけられていた中学校や高等学校には、衣替えがあった。三季用の服から夏服に替わるのは、6月1日ではなかったか。夏服から三季用の服に戻るのが、9月1日だったか10月1日だったかは忘れた。衣替えは美しい習慣と理解はするものの、かならずしも理にかなっているとは思わない。暑い5月もあれば、寒い6月もあるからだ。
現在、上半身にはユニクロのソフトタッチタートルTに木綿の長袖Tシャツを重ねている。「寒くないか」と問われれば、戸外では寒い。寒いけれども着ぶくれることは好まないから、いまだ秋の格好のままでいる。先日は「ヒートテックウルトラストレッチジーンズ」の知らせがユニクロからスマートフォンに届いた。よって実店舗まで確かめに行ったものの、見た目が気に入らず、購入には至らなかった。下半身は来春まで多分、いまのままで変わらないだろう。
15時30分、流石にウインドブレーカーを羽織って外へ出る。今日は朝から晴れていたものの、この時間には傘を差さなくても濡れないほどの雨が地面を濡らしつつあった。国道121号にホンダフィットを乗り出すと、北東の空には青空があり、夏のものと見まがうばかりの白い雲が眩しかった。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に、本日最後の納品をする。そこから目と鼻の先の如来寺へ歩き、丘の突端のようになった場所から、その雲の写真を撮る。夏を思い出させるものは、災害を除いては、ほとんど何でも好きなのだ。
朝飯 菠薐草のおひたし、紅白なます、納豆、メバチマグロの煮付け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 天ぷら其の一、天ぷら其の二、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、浅蜊の炊き込みごはん、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2023.12.2(土) 恵比寿講
町内の役員としては育成会長を2期4年のあいだ務め、現在は会計係を随分と長く続けている。その経験からすると、お祭や行事は春から夏にかけてが多く、秋からは楽になる。それとは異なって、家の中のお祭は冬に多い。
豊年満作や商売繁盛を願う恵比寿講は、新暦では10月20日がその日とされている。しかしウチではほとんど旧暦に従ってこれを執り行っている。この日程をうっかり忘れると、鏡餅などはどこにもなく、尾頭付きの鯛も探すに苦労をするから、秋になると決まって今年のその日を家内に訊き、カレンダーに書き入れる。
きのうは鏡餅の注文が済んでいたかどうかを長男が「久埜」に電話で確かめた。鯛についても魚屋のオーシマさんに確かめた。今日はそれらが届くたび、長男は4階に運び上げた。家内は午後より事務室を離れ、厨房に入った。僕は和室の床の間に恵比寿と大黒の軸を掛けた。
すべては19時を過ぎるころに整った。床の間の前には家族8人が揃った。そしてこの1年間に感謝をし、次の1年間も無事に過ごせるようお祈りをする。
朝飯 らっきょうのたまり漬、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、カレー南蛮汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 菠薐草のおひたし、紅白なます、メバチマグロの煮つけ、千枚漬け、けんちん汁、「立山酒造」の「立山純米吟醸」(冷や)、「久埜」の大福、Old Parr(生)