2023.1.11(水) 伊豆治療紀行(11回目の1日目)
「ほぼ年中無休」で働こうとすれば、からだの手入れは欠かせない。「宇都宮痛みの専門整体院」のワタナベマサヤス先生が「寒いところはイヤだよ」と本拠を静岡県へ移し「伊豆高原痛みの専門整体院」を開いて以降、2021年は4月の1回、しかし昨年は9回、通った。そのほとんどは家内と共にだが、昨年11月は、都合により僕ひとりでの行動となった。そして今回も、突発的な出来ごとにより単独での伊豆行きが決まった。
ホテルのキャンセル料は6,300円。バカバカしい出費である。そしてあらためて、ひとり用の安宿を予約した。場所は、いつもの伊豆高原ではなく、その手前の伊東である。詳細は省くが、その方が安く済むのだ。
それはさておき一昨年4月から膝に受けている荒療治は、昨月までにくらべて劇的に楽になった。9,000ボルトの電子ペンを患部に突き立てる施術は、症状が重いほど痛い。それが今日は、ほとんど痛みを感じない個所もあれば、感じたとしても拷問まがいのそれではない。突き立てられる場所も昨月までの両膝あわせて約40個所から大きく減って、今日はせいぜい14個所くらいのものだった。
「ウワサワさんは自分のからだと会話のできない人」と、先生は言う。おっしゃる通り、膝が悪いという自覚は僕には皆無だ。しかしこれを放っておくと、そのうち極端なことが起きる。それを僕に初めて知らしめたのは、2018年の晩秋に突発した右の背筋痛である。ワタナベ先生とは、それ以来のつきあいになる。
治療後は、海へ向かって1,100メートルの坂を下る。城ヶ崎海岸の無人駅には棚に本があるから、30分に1本の列車を待つあいだに退屈はしない。伊東では首尾良く刺身の美味い店を見つけた。そして20時に就寝をする。
朝飯 切り昆布の炒り煮、油揚げと小松菜の炊き合わせ、マカロニサラダ、納豆、広島菜、らっきょうのたまり漬、メシ、大根の味噌汁
昼飯 「笹八」の爆弾おむすび、お茶
晩飯 「かっぽれ」の刺身盛り合わせ、若布の酢の物、海の幸のグラタン、「仁井田本家」の「田村純米吟醸」(燗)
2023.1.10(火) 喜者開扉
朝、販売係のサイトーミホコさんが事務室に僕を呼びに来る。外国のお客様なので助けて欲しいという。
欧米系の男性1名、女性3名のうち、もっとも積極的な女性は僕に、二つ折りにした紙を開いてみせた。そこには「奈良漬」の漢字があった。旅の途上で入った鮨屋の漬物に感動し、板前に頼んで書いてもらったのだという。
上澤梅太郎商店はたまり漬の店で、奈良漬けは扱っていない。東京の百貨店で求めるのが最上の方法とお答えをすると、自分たちはこれから千葉へまっすぐ帰るのだと、困惑の表情である。
彼らにはらっきょうのたまり漬の試食をお渡しし、お茶を飲んでお待ちいただくようお願いをする。そして事務室へ戻って家内にことの次第を話す。すると、奈良漬けなら数十年前に酒蔵の渡邉佐平商店で求め、これを好物とする母親に送ったという。即、電話をすると上手い具合に社長が出てくれた。果たして奈良漬けは、今も扱っているとのことだ。
給茶器のある客だまりへ速歩で戻り「この街でも奈良漬けは買えます」と、女性にお伝えをする。そして市中心部の地図の当該部分を赤いマジックインキで囲み、その脇に”WATANABE SAKE-BREWERY”と大きく書いてお渡しをした。一行はらっきょうのたまり漬、たまり「朝露」、そしてフリーズドライ味噌汁などをお求めになって後、成田ナンバーのレンタカーで日光街道を下っていかれた。
今度は10時に販売係のササキユータ君が呼びに来る。店の前の門松を片付ける、その手伝いを僕がするのだ。
「正月 飾り いつまで」と検索エンジンに入れると、それを下げる日についての解説がいくつも出てくる。僕は、それらの情報を参考にはしても、従うわけではない。地方によってまちまちなら、家によってまちまちでも構わないではないか。そして今年は今日をその日と定めた経緯があった。
店の次は隠居へ移動し、店のそれとは異なる小さな門松を庭へ引き入れる。後は隠居係のタカハシリツコさんがどうにかしてくれるだろう。店の裏手に戻ったササキ君は、そこで大きな方の門松の解体を始めた。
僕が不在にしているあいだにワタナベさんが下さった電話によれば、一行は奈良漬けと日本酒を手に入れ、お帰りになったという。マカオから来たという彼らは、今夜はらっきょうのたまり漬と奈良漬けで新酒を楽しむに違いない。まさに喜者開扉。記憶に残るのは、そういう旅だけ、である。
朝飯 筑前煮、菠薐草と榎茸のおひたし、納豆、紅白なます、しその実のたまり漬、らっきょうのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、メシ、トマトとズッキーニと長葱の味噌汁
昼飯 2種のパン、ホットミルク
晩飯 刺身湯波、筑前煮、マカロニサラダ、切り昆布の炒り煮、らっきょうのたまり漬、キャベツの千切りを添えた豚の「しょうがのたまり漬」焼き、冷蔵庫にあった謎の日本酒(冷や)
2023.1.9(月) 老人だけの家
「去年の11月に大けがをした話、しましたっけ」と先日、年始の挨拶に来た電気工事会社の社長がその顛末について語ってくれた。
11月に日光市の農村部で仕事をしていた際に、脚立から落ちた。脚立は人の背より低かったものの、落ちる途中で最上部の蝶つがいに顔をぶつけ、頬に深い切り傷を負った。落ちた場所には様々な構築物があって、肋骨3本と肩の骨を折った。幸いだったのは周囲に仲間がいたこと。胸の傷が肺に達していることを懸念した仲間は医療用のヘリコプターを呼んだ。それにより運ばれた大病院での手術の結果、今は何の後遺症も残っていないとのことだった。
風呂桶の真上にある換気扇の、フィルターの掃除をする時期が来たことを報せる赤ランプがきのう点灯した。この作業をするときにはいつも、僕は丸みを帯びた風呂桶の縁に立って、天井へ手を延ばしていた。そしてそのたび「いつかは足を踏み外すに違いない」と考えていた。しかし今日は先日の社長の話を思い出して、床に脚立をしっかり立て、その2段目に乗って作業をした。これからはこの方式を採ろうと思う。
呼吸器の不調により処方された薬は現在、5種類。それらは「朝晩2回」とか「毎食前の1日3回」とか「毎食後の1日3回」とか「朝夕食後の1日2回」など、それぞれ服用の時間、回数、個数が異なっている。それらをこなすことは、今の僕にはさして難しくない。しかし頭に霞のただよう齢になれば、これは中々に難儀だ。
先に書いた換気扇のフィルター交換についても同じく「老人だけの家は大変だろうなぁ」と、人ごとながら心配をする。僕も凡人であれば、心配をするだけで、何かを始めるわけでもないけれど。
朝飯 油揚げと菠薐草のおひたし、牛肉と牛蒡のすき焼き風、納豆、ひじきと梅干のふりかけ、広島菜、らっきょうのたまり漬、しその実のたまり漬、メシ、トマトと大根の味噌汁
昼飯 揚げ玉、海苔と鰹のふりかけ、鮭のハラス焼き、しその実のたまり漬のお茶漬け
晩飯 ナッツとドライフルーツのたまり漬「山のにぎわい」、TIO PEPE、スパゲティミートソース、Chablis Billaud Simon 2018、レーズンウィッチ、Old Parr(生)
2023.1.8(日) そういうときに欲するもの
子供のころ、発熱を伴う風邪から復活した朝には、光輝燦然とした爽快さをかならず感じた。大人になってからは、その感覚は失われたものの、ごくうすく感じることは、たまにある。そして今朝も、その懐かしい爽快さをすこしは覚えた。熱は去ったらしい。
三連休の中日にて、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」には、普段よりも多めの納品をする。戻って犬走りの萬両に水を遣っているところにカワムラコーセン先生が来る。正月用の花をできるだけ長く保たせるべく、手入れをしてくれるのだ。そのまま店の前を通り過ぎ、坪庭の、枯れた秋海棠を引き抜く。そこに、事務係のツブクユキさんが僕を呼びにくる。
事務室には、イマムラステンレスのイマムラさんがいた。イマムラさんは休日にもかかわらず朝一番で来て、味噌の充填機の、破断した部品を溶接してくれたのだ。その出来映えを確認し、請求書は早めに出してくれるよう頼む。
熱は下がったものの、昼のあいだは静養をさせてもらう。そして夕刻よりふたたび仕事場に降りる。昨年12月から溜まっていた、電話、ファクシミリ、インターネットによりいただいた注文のデータベース化をすべて完了したと、事務係のカワタユキさんより報告を受ける。
今回はじめて気づいたことだが、体力が十全でないときには体が和食を欲する。そういう次第にて、夜のおかずは油や脂の少ないものにしてもらう。
朝飯 焼き鮭、納豆、煮奴、「なめこのたまり炊」の大根おろし和え、広島菜、らっきょうのたまり漬、しその実のたまり漬、メシ、トマトと長葱の味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク、バナナ
晩飯 蛸のマリネ、油揚げと小松菜のおひたし、鮪の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、蒸し焼売、広島菜、納豆巻き、稲荷寿司、冷蔵庫にあった謎の日本酒(冷や)
2023.1.7(土) 劇的に
闇の中に目を覚ます。咳き込みのまったくないことに、いささか驚く。きのうセキネ耳鼻咽喉科で処方された薬が劇的に効いたのだ。しかしからだはだるい。起きる気力が湧かない。頑張って食堂の棚のひきだしから体温計を取り出し、寝室へ戻る。体温は37.6℃だった。
7時40分に事務室のシャッターを上げる。8時からの朝礼では、社員に発熱のことを伝え、今日の仕事のほとんどは休む旨を伝える。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への配達は、朝一番のみ僕が行い、2回目、3回目のそれについては販売係のササキユータ君に任せることにする。
20代のなかばから10年ほどは、ほぼ2か月に1度の割合で高熱を発し、3、4日は寝込んだ。以降はすっかり元気になり、高い熱に襲われることはほとんどなくなった。「オレも随分と丈夫になったものだ」と感じ続けたここ数十年ではあるものの、きのうの日記に書いた皮膚などは、衰えが続いている。今回の、昨年の12月はじめから続く呼吸器の不調も初めて経験をすることだ。人のからだは日々、変わり続けているに違いない。
ひと眠りをして気づくと14時を過ぎていた。食欲は無かったものの、食後と指定されている薬を服用するため、また栄養を摂取するために摂る。19時の体温は37.7℃。夕食は七草粥。家内の言う様々な風味を、僕はまったく感じられない。もちろん、酒を欲する気持ちはみじんも無い。
昼に眠ったにもかかわらず、夕食後は吸い込まれるようにして、早い時間から眠りに就く。
朝飯 納豆、温泉玉子、牛肉と牛蒡のすき焼き風、ひじきと梅干のふりかけ、広島菜、らっきょうのたまり漬、しその実のたまり漬、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 肉まん、広島菜、らっきょうのたまり漬、いちご
晩飯 七草粥、なめこのたまり炊をはじめとするあれこれ
2023.1.6(金) ここ何年も
激しく咳き込んで目を覚ます。時刻は3時10分。就寝は僕としては遅い0時30分だった。たかだか2時間40分の睡眠時間では、それこそ商売にならない。しかしとてもではないけれど、眠れるものでもない。そのまま咳き込み続け、ようよう起きて洗面所の時計を見ると5時を過ぎていた。
昨月の小遣い帳によれば、12月6日、12月17日、12月26日と、3回もセキネ耳鼻咽喉科へ通っていた。最初の症状は、発熱はなく声が枯れるというもの。2回目と3回目のそれは、おなじく発熱はなく、しかし空咳が止まらない症状による。
咳は、薬のあるうちは治まっていた。しかし12月26日に処方された1週間分が切れた1月2日からは、またぶり返した。「病院の正月休みが明けるまでは」と、このような症状に効くとウェブ上で知った麦門冬湯を郊外のドラッグストアで手に入れ、服用を続けたものの、3日半を経ても効き目は現れない。
9時を過ぎたところでホンダフィットに乗り込み、今日が仕事はじめのセキネ耳鼻咽喉科を訪ねる。症状を訴えたところ、今回からは薬を変えることとなった。それは何と、喘息用の吸入薬と錠剤だった。
ほぼ年間を通してアカギレが途切れないなど、皮膚についてはここ何年も衰えが続いている。それが今度は気管支、である。「早く回復して欲しいものだ」と思う。
朝飯 菠薐草のソテーを添えたベーコンエッグ、紅白なます、納豆、広島菜、しその実のたまり漬、メシ、豆腐と焼き葱の味噌汁
昼飯 広島菜、なめこのたまり炊、塩鰹のふりかけ、ひじきと梅干のふりかけのお茶漬け
晩飯 蛸のマリネ、広島菜、鴨鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、苺を添えたロールケーキ、Old Parr(生)
2023.1.5(木) 信用
昨12月30日にカワムラコーセン先生が下準備をし、初売りの1月2日朝に仕上げた活花の、はじめはつぼみだった梅が開いた。それに気づいて「東風ふかば、かー」と、腹の中で呟く。実際には、この花は春の風によってではなく、日立製作所製の暖房機の温風で開いたのだ。それでも何となく良い心地がするのは、自分が春を待ち望んでいるからだろう。
「そういえば、隠居の花はいつごろ咲いただろうか」と、この日記を遡ってみる。すると昨年3月5日の日記の題名が「梅一輪」だった。とすれば、あと2か月の辛抱である。そしてその「汁飯香の店 隠居うわさわ」には、今年の初営業日である1月7日からの週末に、今日は立て続けにご予約をいただいた。明日は長男の整えた室礼を確かめに行こう。
夕食後にテレビを観ていると、近畿大学水産研究所の奄美実験場を訪れたさかなクンが、施設長の許可を得た上で、配合飼料のかなり大きな固まりを口へ放り込み、咀嚼し「美味し-」と叫ぶ場面が映し出された。かなり驚いたけれど、僕はこういう人は信用をする。
一方、堀田善衛は「インドで考えたこと」を著しながら、インドのメシは食べなかった。横尾忠則は「インドへ」を書きながら、やはり現地食は口にしなかった。彼らを信用しないわけではないものの「何だかなー」と感じることは確かである。
朝飯 青椒肉絲丼、生玉子、しその実のたまり漬、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 トースト、ホットミルク
晩飯 紅白なます、菠薐草の胡麻和え、蛸のマリネ、鮪の刺身、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、牛丼、冷蔵庫にあった謎の日本酒(冷や)、エクレア、Old Parr(生)
2023.1.4(水) ここ15年ほどは
小口現金の残高が少なくなってきた。クリスマスのころに充分な量を準備したものの、それらのほとんどは12月30日の「日光の美味七選」の仕入れに費やされた。年があらたまってしばらくは、大口の出金は予定されていない。それでも小切手を持ち、銀行へ行き、数週間は保つほどの払い戻しを受ける。
50枚つづりの小切手帳は、昨年の11月に2,200円から11,000円へと、いきなり5倍に値上げをされた。「小切手 成長戦略実行計画」と検索エンジンに入れてみれば、その理由が分かる。上澤梅太郎商店が当座の口座を持つ銀行は複数あるものの、そして小切手帳の残り枚数はいまだ充分にあるものの、今後は無利息型普通預金口座の開設など考えていく必要があるだろう。
10時に社会保険労務士のオカザワセキヤさんが来て、昇給についての話し合いをする。リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルス、ロシアのウクライナ侵攻と、ここ15年ほどは学者ですら予見できなかったことに次々と襲われている。社会の変化ももちろん急である。あれこれ勘案しながら今年の昇給額を決める。
さて今日の売上金額は、面白いことにきのうより高くなった。曜日や祝日による売上げの高低が、コロナ前とは明らかに異なってきている。いずれにしても成人の日までは、少なくないお客様のご来店を期待している。
朝飯 きのうの昼の弁当から流用したひじきの甘辛煮、鶏の照り焼き、竹輪の天ぷら、納豆、紅白なます、しその実のたまり漬、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、水菜の味噌汁
昼飯 揚げ玉、ひじきと梅干のふりかけ、しその実のたまり漬、梅干のお茶漬け
晩飯 松前漬け、紅白なます、蛸のマリネ、菠薐草のナムル、らっきょうのたまり漬、焼売、青椒肉絲、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、シュークリーム、Old Parr(生)
2023.1.3(火) 年賀状
「年賀状の配達は、いつを希望するか」と問うハガキが以前は郵便局から年末に届いていたような気がする。今年の年賀状は本日の昼にまとめて届いた。それを仕分けしたのは誰だろう。店から事務机に戻ると、会社宛と僕宛の年賀状が、それぞれ輪ゴムで留められていた。
会社宛のそれは、ほぼすべてが印刷屋が作成し、コンピュータか専用機で宛先を印刷しただけのもの。しかし友人、知り合い、同級生から届いたそれには、いくらかの手書きの文字が添えられている。このようなものには、僕はいつか返信を書く。それは多く、旅の空からである。
2016年2月、僕はバンコクで、1通あたり200から300の文字を連ねたハガキ計24通を書いた。そしてその投函を、切手代と共にホテルのフロントに託した。後に調べたところ、それらは日本に届いていなかった。誰かが切手代を懐に入れ、ハガキは捨ててしまったのだろう。以降、タイからのハガキは空港に併設の郵便局から出すことにしている。
さて僕あての年賀状のうち数通には「今年で年賀状は仕舞うことにいたします。以降の不義理はお許しください」というような説明があった。「良いことではないですか」と思う。
朝飯 お雑煮、栗きんとん、黒豆
昼飯 会社支給の「カルフールキッチン」の新春弁当
晩飯 “Finbec Naoto”の生ハムとレタスのサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬、きゅうりのたまり漬、チーズの盛り合わせ、ハウスワインの白と赤
2023.1.2(月) 初売り
新年ひとりめの出勤は包装係のヤマダカオリさん。そのヤマダさんに「お花の先生が見えてます」と教えられる。社員は事務室の扉からだが、カワムラコーセン先生にはシャッターを上げ、店の入口から入っていただく。
次々と出勤する社員と新年の挨拶を交わす。朝礼でもあらためて、新年の挨拶をする。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に納品に出かけながら、自分が帰る前にことし最初のお客様がいらっしゃったらよろしく頼むと、家内に言い残す。
道の駅からは幸い、開店の8時30分より前に戻れた。間もなく2023年の最初のお客様がご来店になる。毎年、年初ひとり目のお客様には地酒を進呈することにしているのだ。そのお客様はしばらくするとふたたびいらっしゃって「申し訳ないから」と、買い増しをしてくださった。
客足は昼から急に繁くなった。包装係は完成品を冷蔵庫に納めていく。販売係のササキユータ君はそこから何度も店に商品を運ぶ。僕も夕方までに、道の駅には計8回の納品をした。それはたくさん売れたから、というよりも「新鮮な商品を小まめに補充すべし」という当方の主義による。そして本日最後のお客様は、閉店時間を30分まわってからの、掃除中のお買い上げだった。
さて今年の正月のにぎわいは、いつまで続くだろう。三が日でお終いか、あるいは成人の日が区切りとなるか。それから春のお彼岸までは、こと店舗においては静かな日々が続くはずである。
朝飯 お雑煮
昼飯 会社支給の「コスモス」のハンバーグデミグラスソース弁当
晩飯 おせちあれこれ、自製のソースを添えた牛肉のしゃぶしゃぶ