2023.1.21(土) 伊豆治療紀行(12回目)
火曜日の朝から腰が痛くてならない。症状はギックリ腰の一歩手前というもので、よくもまぁ、このからだでMGが務められたものだと思う。
経験をしたことのある人なら分かるだろうけれど、こうなると、腰をかがめることができない。洗顔に際しては、上半身は立てたまま両足を開き、両爪先も開き、膝をパンタグラフのように開いて顔の位置を低くし、手の平に受けた水で目のみを洗う。人にお辞儀をするときには、やはり脚をおなじように開いて姿勢を低くし、手は膝に置き、頭のみすこし下げる。その姿はまるで、東野英治郎が演じる江戸時代の老農民、といった風情である。
伊豆の、かかりつけの整体院に水曜日に電話を入れると、果たして本日15時30分の予約が取れた。
「それほど遠くまで出かけなくても、家のちかく、あるいは県内にも、治療するところはいくらでもあるだろう」と言われれば、それはその通りだ。注射により一発で痛みを消してくれる外科もある。鎮痛剤も処方してくれるだろう。しかし注射や薬に頼らず、しかも即効性のある治療となれば、伊豆のかかりつけ以外を僕は知らない。
そういう次第にて下今市10:05発の上り特急に乗る。荷物は小さなボディバッグのみ。手ぶらは何とも気持ちが良い。北千住11:48発の常磐線は途中から上野東京ラインに乗り入れ、東京駅には12時08分に着く。往路は北千住から伊豆高原、復路は城ヶ崎海岸から北千住。この切符を窓口で買うと、こだま725号の出る12時27分は目前に迫っている。昼食を買う余裕もなくプラットフォームに上がり、既にして停車中の車両に乗り込む。伊豆高原には14時37分に着いた。
「痛いよ」と「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生が電子ペンのスイッチを入れつつ宣言をしても、怖さはそれほど感じない。これまでの経験により、電子ペンの先端を押しつけられたときの痛みは膝がもっとも強く、それに比べれば、肉のある背中や腰へのそれは、そこまでは辛くないのだ。
電子ペンによる治療の後は、奥の部屋へ移り、膝と腰に強めの低周波を流される。その20分間を終えてベッドから起き上がりつつ「イタタタタ」と、思わず声を発する。それを聞き逃さなかったワタナベ先生はふたたび治療室へ僕を招き入れ、先ほどのうつぶせではなく、今度は僕を座らせたまま、腰の6個所に電子ペンを打ち込んだ。
この治療院へひとりで行くときには、行きは伊豆高原駅からタクシー、帰りは城ヶ崎海岸駅まで1,100メートルを徒歩で下る、というかたちができあがっている。
城ヶ崎海岸16:57発の伊豆急行は17:46に熱海着。熱海18:02発の新幹線は18:40に品川着。品川18:54発の上野東京ラインは19:20に北千住着。いつもの飲み屋では本も開かず大急ぎのカウンター活動を行い、20:13発の下り特急に乗る。そして22時前に帰宅を果たす。
朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、炒り豆腐、納豆、梅の実ひじき、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、大根とブナシメジの味噌汁
昼飯 もち麦入りおむすびおかずセット、お茶
晩飯 「加賀屋北千住店」のマカロニサラダ、2種の串焼き、日本酒(燗)
2023.1.20(金) 沸騰していた時代
朝のテレビのニュースなどは、聞き流すばかりで、観るそばから忘れる。しかし今朝は、それが週刊朝日の5月からの休刊を伝え始めたため、思わず見入った。事実上の廃刊だろう。一時は150万部を誇った発行数が、先月は7万5千部まで落ち込んでいたというから驚きである。
気がついたときには、ウチは週刊朝日を定期購読していた。新聞社系、出版社系の週刊誌の中で、週刊朝日は程よい品を保っていた。長年の購読を1990年代の終わりごろに止めたのは僕である。理由は、読むヒマが無くなったから、だ。
その後も書店、キヨスク、コンビニエンスストアでこの週刊誌を手に取ることはあった。最近は、そのあまりの薄さに「どうしたことだろう」と感じていた。思い出に残っている記事やコラムは、ふたつやみっつに留まらない。「そうですか、廃刊ですか」と、感慨もひとしおである。
今朝の日本経済新聞朝刊を昼に開いてみると、第1面の「春秋」も、週刊朝日の休刊に触れていた。その書き出しは、1963年に開高健が連載したルポルタージュ「日本人の遊び場」についてのことだった。開口はこの「日本人の遊び場」に続いて「ずばり東京」も連載し、大変な人気を博した。
その評判に気を良くした編集部は、開口に褒美をとらすことを決めた。開口が求めたものは、自分を朝日新聞の特派員としてベトナムへ送らせることだった。それを僕は小玉武の「洋酒天国とその時代」により知った。日本中が沸騰していた、60年ちかく前のはなしである。
朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、炒り豆腐、納豆、梅の実ひじき、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと菠薐草の味噌汁
昼飯 梅の実ひじき、昆布の佃煮、揚げ玉、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」のお茶漬け
晩飯 「やまだ宴楽」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「三岳酒造」の芋焼酎「三岳」(お湯割り)
2023.1.19(木) 第41回日光MG(2日目)
ひと月に1度か2度は、伊豆の国道135号線をクルマで走る。その街道筋には廃業した飲食店が、かなり目立つ。死屍累々といっても過言ではない。それらを車窓から眺めつつ思うのは「オレも新規の開業をしようとすれば、同じ結果になるに違いない」ということだ。僕は自分の商売下手をよく知っている。マネジメントゲームも異常に下手だ。MGに臨むたび考えるのは、何とか生き延びることのみ、である。
その僕が、第4期では40名中の最高の売上高を記録した。第5期初には、借金などしなくても会社を大型化できる現金が積み上がっていた。しかし会社の規模は、第4期と同じままとした。理由は前述のとおり、生き延びることのみを目標としてるからだ。
今回のMGでは初心者のような戦術を採り、第2期から第5期まで黒字を続けることができた。最終到達自己資本は395円で、次期への備えは++。僕としては上出来の結果である。
マネジメントゲームは、勝った人が偉いというわけではない。負けながら負けない方法を考える人もいる。それでもゲームであれば、表彰のあった方が参加者の意欲は高まる。
今回の最優秀経営者賞は、埼玉県川口市から参加のトクタケシュースケさんで、自己資本は547円。60期の経験でこの成績は立派のひとことに尽きる。優秀経営者賞は上澤梅太郎商店のウワサワユーキ。自己資本は440円。第4期の目立たない会社から、どのようにしてここまで業績を伸ばしたかは不明。もうひとりの優秀経営者賞は日光市のヌマオアキヒロさんで、こちらは表彰台の常連である。
原稿用紙2枚ほどの感想文を書いて今回の研修は終了。西順一郎先生、佳恵先生を鬼怒川温泉駅までお送りする。また一心舘のクルマで駅まで送られた社外参加者の方々も含めて、プラットフォームでお見送りをする。そこからホンダフィットを15キロ走らせていつもの洋食屋に至る。こちらでは社外参加者のうち、時間の余裕のある方々と夕食を摂る。今日の持ち時間は充分にて、ゆっくりできて良かった。
新型コロナウイルスの出現により、世界中で様々な行事が中止をされてきた。中止を重ねるうち廃止の決まった諸々も少なくない。中止や廃止は簡単だ。一方、途切れたそれらを再開させることは大変だ。昨年の日光MGは社内と市内の方々で運営をした。それが今回は、元の形に戻して開くことができた。西順一郎先生、佳恵先生はじめ、多くの方々に感謝をしたい。
朝飯 「一心舘」の朝食膳
昼飯 「一心舘」のゲーム用昼食膳
晩飯 「コスモス」のあれや、これや、それや、他あれこれ、”Cono Sur”の白ワイン、同赤ワイン
2023.1.18(水) 第41回日光MG(1日目)
MGつまりマネジメントゲームのことをここに書いてどれだけの人が理解しうるか。一握りを除いては興味もなく読み飛ばしておしまいなのではないか。そう考えること無きにしもあらずだ。たとえば先般の、藤井聡太と羽生善治による王将戦の内容は、僕などにはチンプンカンプンである。それを知っているから棋譜を読むなどはハナからしない。しかしとにかくマネジメントゲームのことを書かなければ今日と明日の日記は成立しない。だから簡単に期すこととする。次の日光MGまでには、より上手な書き方が見つけられているかも知れない。
マネジメントゲームは参加者の各自が2日間で5期分の経営を盤上に展開する。市場は6名で構成をされる。材料を仕入れ、商品に仕上げ、それを市場の中で競り合いつつ売る。販売の方法は入札による。価格が高すぎれば売れず、低すぎれば売れても利益は確保できない。
第1期はマネジメントゲームというものの説明、また決まりや方法の解説。実際の勝負は第2期からとなる。今回の参加者は、やむを得ない事情の者を除く社員全員に、社外から参加の方々を含めて40名。盛会はとても有り難い。
個人の成績としては、第2期は黒字でも第1期の損失を取り戻すまでは至らず、納税と配当はゼロ。第3期も黒字を確保しながら累積損は一掃できず、この期も納税と配当はゼロ。第4期の経営計画を立てる直前で本日の研修は終了。
夕食後は少々のワインを飲み、温泉に入って23時30分に就寝する。
朝飯 「一心舘」の朝食膳
昼飯 「一心舘」のゲーム用昼食膳
晩飯 「一心舘」のゲーム用夕食膳
2023.1.17(火) 歯の手入れ
奥歯1本の噛み合わせ部分が平滑さを失っている、それに気づいたのは昨年末のことだ。即、大井町にあるかかりつけのソーマ歯科室に予約を入れた。「三大好きなこと」のひとつが飲み食いであれば、歯の手入れは欠かせない。また歯は健康寿命に直結しているような気がする。できるだけ長持ちをさせなくてはならない。
奥歯1本の、平滑さの失われた原因は、先生によればエナメル質の摩耗と小さな欠け、剥離によるものだという。今日のところは気になる部分を研磨し、またすべての歯を特殊な道具で磨いてもらう。次の診察は半年後とのことだった。
ところで今日は忙しい。上澤梅太郎商店の社員研修「日光MG」が明日あさってに迫っているからだ。大井町から北千住までの、所要時間のもっとも短い経路をスマートフォンで調べ、それに従って京浜東北線に乗る。しかし本を読むうち乗り換えの駅を乗り過ごし、結局は次善の案内に頼ることとなる。
15時前に会社に戻り、留守にしていた2日間の情報を得る。また包装係が整えた2日分の商品を、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ運び込む。
家内と共にホンダフィットに乗り、16時に会社を出る。そして会場となる「湯けむりまごころの宿一心舘」に先ずは荷物を置く。以降は一心舘と鬼怒川温泉駅とのあいだを往復しながら、西順一郎先生、佳恵先生、また広島県から参加のタナカタカシさんをお迎えする。
18時30分より、前泊の6名にて夕食を摂る。そして早々に就寝する。
朝飯 「カフェパウリスタ」のオレンジジュース、ハムチーズトースト、コーヒー
昼飯 「ドトールコーヒー」の豆乳ラテ
晩飯 「一心舘」のあれや、これや、それや、他あれこれ、日本酒(燗)
2023.1.16(月) 目の手入れ
関節と白内障の手術について、これらを受けて後悔した人はいない、という話を耳にしたことがある。
2016年6月、ミャンマーの、まるで乗り合いバスのように離着陸を繰り返す国内線の、隣の席の女の人は、僕とおなじ歳だった。膝の関節に故障を抱えていたその人は、あるとき意を決して手術を受けたところ、ヒマラヤのトレッキングさえこなせる体になったと教えてくれた。確かに、関節の手術をし、それを後悔している人には、僕はこれまで出会ったことがない。
一方、白内障のそれについては「後悔してます」と僕に訴えた人が数ヶ月前にいた。たまたま入った店で一食、不味いメシに当たるくらいならどうということもないけれど、問題のありどころが眼球ともなれば、不運では済まされない。
2018年10月、僕は両目に白内障の手術を受けた。後悔どころか大満足。特に右目は、手術を受けていなければ早晩、見えなくなっていただろう。手術後の目薬の使用法は複雑を極める。頭に霞の差しはじめてからでは、とてもではないけれど、右目と左目の双方に、日々、種類の異なりゆく目薬を別々に注し続けるなどは不可能だ。白内障の手術を医師に勧められた人は、できるだけ早く、決心をすべきと思う。
さて今日は、その手術を4年前に受けたオーミヤナナサト眼科にて、半年に1度の検診を受ける。「三大好きなこと」のひとつが本読みであれば、目の手入れは欠かせないのだ。
朝飯 鰯の丸干しの網焼きオリーブオイルかけ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと小松菜の味噌汁
昼飯 パン、ホットミルク
晩飯 「加賀田北千住店」のあれや、これや、他あれこれ、チューハイ
2023.1.15(日) 蔵見学
正午を30分すぎるころに隠居の家内から電話が入る。「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様ふた組4名様が蔵見学をご希望になっているという。これから食後の甘味をお出しするところとのことにて、僕は13時に隠居へうかがうことを決めた。
上澤梅太郎商店の蔵見学は、現場での製造作業を考慮して、日曜日のみ承っている。その順路は、いきなり蔵へお入りいただくわけではない。先ずは隠居へご案内し、僕のおじいちゃんやおばあちゃんについてのことからお話しを始める。今日のお客様は店舗からの出発ではない、だからすこし特殊な例になる。
13時に「汁飯香の店 隠居うわさわ」の帳場から座敷へ回ると、当該の4名様のほか、3名の、これから食事をはじめようとされているお客様がいらっしゃった。その3名様にはすこしお騒がせすることをお詫びの上、寒い外ではなく座敷の中で、先ずはさわりのご説明を始めた。
4名様のうち2名様はアメリカの方でいらした。そのうちおひとりは日本語が堪能らしく、もう一人の方に僕の日本語を逐次、翻訳してくださったから、とても楽だった。そして僕もまた、意図して言葉を選び、いつもよりゆっくりとご説明をした。
蔵の中に入っていただければ、それまでの僕の解説を裏付ける諸々を、お客様はご自分の目で確かめることがおできになる。お客様のお気持ちとしては「なるほど、そうだったのか」の連続になること間違いなしである。
蔵見学は40分と少々で完了した。4名様のお顔は皆、晴れ晴れとしていた。蔵見学のご予約は電話0288-21-0002(08:30~17:30)のほか、ウェブページでも承っています。あらかじめご連絡の上、お出かけいただければ幸いに存じます。
朝飯 焼き鮭、牛肉と牛蒡のすき焼き風、切り昆布の炒り煮、焼売、炒り豆腐、らっきょうのたまり漬、なめこのたまり炊、メシ、トマトと長葱の味噌汁
昼飯 2種のパン、マンゴージャム、ホットミルク
晩飯 バンブー、めんたいこ、レタスとケールのサラダ、ロマネスコの酢油漬け、パン、鰯の丸干しの網焼きオリーブオイルかけ、トリッパのトマト煮、TIO PEPE
2023.1.14(土) 水神祭
上澤梅太郎商店の蔵には、いつごろ置かれたものかまったく分からない水神の碑がある。そしてまた、いつごろから続いているのかまったく分からない水神祭が、毎年1月に催行をされてきた。今年は、今日がその日である。
総鎮守瀧尾神社の先代タナカキヨシ宮司の時代には、日程は任意に決められていた。あるいは当時の成人の日、つまり15日に行われることも多かったように記憶する。現在のタナカノリフミ宮司の時代になってからは、十干の「みずのえ」または「みずのと」の日を当てることとなって今に至っている。
お祭は9時から。参列するのは僕、家内、長男に加えて各部の長。長が休みの場合にはその部におけるその日の最年長者が集団に加わる。お祭は修祓、祝詞の奏上、玉串奉奠を以て今年も無事に完了した。
「正月はなぜめでたいか」について、もう20年ちかく前になるだろうか、高橋義孝が元旦の新聞に堂々の論を披露した。「なぜお祭をするのか」についても、よく考える必要がある。そして水は特に、諸々の根源である。来年もつつがなく、この日を迎えたい。
朝飯 炒り豆腐、油揚げと小松菜の炊き合わせ、めかぶの酢の物、切り昆布の炒り煮、めんたいこ、広島菜、昆布の佃煮、らっきょうのたまり漬、しその実のたまり漬、メシ、小松菜と揚げ玉の味噌汁
昼飯 揚げ玉、梅の実ひじき、昆布の佃煮、なめこのたまり炊のお茶漬け
晩飯 湯豆腐、その鍋で食べる鳥鍋、更にその鍋で食べるにゅうめん、「宇都宮酒造」の「四季桜にごり生酒」(冷や)
2023.1.13(金) より単純に
2月1日(水)から7日(火)までの7日のあいだ、日本橋高島屋S.C.で開かれる「老舗名店味紀行」に、上澤梅太郎商店は出店をさせていただく。それをお得意様にお知らせするハガキの宛先は1月10日に特定すべきと、事務係のカワタユキさんには先月から言われていた。しかし諸般の事情により、その作業は今日に延びた。
この、何十年も続けてきた仕事が僕は相変わらず好きだ。そしてこの仕事に相対するたび進化をさせてきた。しかしいかんせん、手順が複雑すぎる。複雑さは誤りを発生させやすい。何とか単純化を図ろうとするものの、簡単ではない。
事務室の喧噪を避け、10時30分に4階の食堂へ上がる。そして90分をかけて結果を得る。午後はその結果を3人の事務係に配布し、これから数日をかけて、彼女たちの目により最終確認をしてもらう。投函は23日からの週になるだろう。
先月はじめからの、熱を伴わない、声や呼吸器の異常はようやく去りつつある。今月6日に処方された薬が効いたのだ。ただし完全に復調したわけではないことを、からだが訴えている。どのような訴えかといえば、夜は洋食を好む僕が、日本食を欲しているのだ。
ところが午後おそくに知らされた夕食は、ビーフステーキとのことだった。そうなったらそうなったで結構、嬉しい。そうしてそれを肴に赤ワインを飲み、21時前に就寝する。
朝飯 韓国風玉子焼き、炒り豆腐、大根おろしを薬味にした納豆、油揚げと小松菜の炊き合わせ、広島菜、らっきょうのたまり漬、しその実のたまり漬、メシ、トマトと長葱の味噌汁
昼飯 白身魚のフライのハンバーガー、ホットミルク
晩飯 トマトとモッツァレラチーズのサラダ、TIO PEPE、ブロッコリーとエリンギのソテー、マッシュドポテトを添えたビーフステーキ、Grand Vin de Leoville 1985、いちご
2023.1.12(木) 伊豆治療紀行(11回目の2日目)
「宿の枕が低いと1日目の施術が無駄になる」と「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生には昨年の11月、12月と続けて注意を受けた。「お金をドブに捨てることになるからね」と先生は言う。それよりも僕は、患部の悪化による治療の痛みの方が怖い。そういう次第にて、昨夜は脱いだセーターを折りたたんで枕の下に入れた。その甲斐あってか、今日の施術も楽だった。
きのうとおなじく長い坂を下って城ヶ崎海岸の駅に至る。空も海も、おだやかに晴れている。きのう待合室の棚にあった司馬遼太郎の「殉死」は、今日は見あたらなかった。
熱海から乗った東海道新幹線を品川で降りる。新橋の大衆床屋で28日ぶりに散髪をする。「どうでも良い」と僕が考えている随一は髪型で、毎回、3ミリの丸刈りである。ところが隣の席の人は僕の上を行く、1ミリの丸刈りだった。
さて今日の銀座には特に用がある。行きつけの鮨屋がコロナ下を生き延び、更には8丁目から4丁目へと、地理的にも堂々の中央進出を果たしたのだ。
教えられた住所にはビルの名があった。ビルと聞けば大きな建物とばかり考えて、しばしレンガ通りを京橋方面へ往く。ところがそれらしい看板は見あたらない。松屋通りに右折をして、レンガ通りとガス灯通りのあいだに目を遣る。その、いかにも銀座らしい路地には白木と土壁による粋な建物があって、何年か前までは話題を呼んだラーメン屋が入っていた。「あそこだとすればカッコ良いな」と好奇心を覚えつつ近づく。2階は親子丼屋、1階は和菓子屋、そして地下へ伸びる階段を覗き込むと、白い蘭の鉢と共に、いまだ外へ出される前の行灯が見えた。
全6席のその店は、機能性としては潜水艦の幹部用食堂。しかし雰囲気は、深海に沈めた水槽のようだった。英語で言えば”the hidden jem”か。繁盛を祈って止まない。
朝飯 「杉国商店」の室鯵定食
昼飯 玉子焼きと明太子のサンドおむすび、お茶
晩飯 「鮨良希」のあれや、これや、それや、他あれこれ。「吉田酒造店」の「手取川冬純米」(冷や)、「荻野酒造」の「萩の鶴純米吟醸」(冷や)、「梅津酒造」の「冨玲生酛仕込純米」(常温)