2022.9.10(土) ニコッペ
きのうTikTokに公開した、8月29日に撮影した「10分で準備できる頑張らなくても美味しい朝食」に、今朝は100以上のコメントの付いていることに気づく。それらのうちまともな90超には即、返信を付ける。ボンヤリさせたら日本一の僕にも、マメなところはあるのだ。
メーラーを回と、8時30分からの朝食の予約が5時37分に入っている。返信をお送りしたのは5時53分。どちらのどなたかは存じ上げないけれど「お互い、早起きですねー」と、声をおかけしたい気分になる。「汁飯香の店 隠居うわさわ」は本日、朝のうちは空いている。このお客様にはせいぜい、ゆっくりしていただきたい。
さて今日明日と開催される、日光市内の様々なお店が工夫を凝らしたコッペパンを売る「ニコッペ」には、上澤梅太郎商店も、2020年の初回から参加をさせていただいている。今回ウチがお出しするコッペパンは「らっきょうとプルドポークのサンド」。幸いにも今日は予定数を超えてご予約をいただいている。よって僕は、明日に買って食べようと思う。
朝飯 蓮根のきんぴら、生玉子、炒り豆腐、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 「日光金谷ホテル」の「那須三元豚の粗挽きソーセージ&金谷カレー」ニコッペパン、牛乳
晩飯 ポテトサラダ、菠薐草のおひたし、ピーマンの肉詰め、獅子唐としその実の天ぷら、夏太郎らっきょう、お多福豆、Old England、Chablis Billaud Simon 2018
2022.9.9(金) しその実のその後
「注意力散漫」と、小学何年生のときのことだったか、通信簿に書かれたことがあったらしい。その性向は今でも治らない。今朝も、既にして書けているおとといの日記を公開すべくワードプレスにひとつめのパスワードを入れ、しかし次のパスワードを入れる前に別のブラウザを立ち上げて「しぶえちゅうさい」などと検索エンジンに入れてしまうのだ。僕の生産性が低いのも、むべなるかな、である。
そういう僕には、春から紫蘇を育て、秋にその穂先から実を指先でしごき取り、それを米袋に満たして納品する、というような根気の要る仕事はできない。
納められたしその実は即、3つの水槽により3度洗いをし、脱水機で水を切り、塩をまぶして桶に移す。その、今週月曜日から買い入れを始めたしその実が、夕刻にいたって1,000リットルの桶の上の方まで溜まってきた。1,000リットルの桶がどれほどの大きさかといえば、リトルブラックドレスなら10人くらいは立って入れるほどのものだ。明日は別の桶を用意する必要があるだろう。
上澤梅太郎商店の商品は、農家の方々の勤勉さに支えられている。とても有り難いことと思う。
朝飯 「食堂ニジコ」の「海老と豆腐の塩煮」をかけたごはん、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、若布と小松菜の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツアレラチーズのサラダ、カツレツ、ドライマーティニ、TIO PEPE、家に帰ってからのロールケーキ、Old Parr(生)
2022.9.8(木) 秋晴れ
「朝の蜘蛛は殺すな、とは蜘蛛が巣を張れば天気は晴れ。朝の蜘蛛を殺せば晴天が失われるから、これを殺してはいけないとする迷信」という意味のことがウェブ上にあった。全然、当たっていない。きのうも今日も曇りがち、雨がちである。
街が異常に暗い。雰囲気が暗いのではない、光の量が極端に少ないのだ。午前にもかかわらず、行き交うクルマはおしなべて、安全のためにスモールランプを点けている。雲が異常に厚いのだろうか。その暗さの中にホンダフィットを走らせて、3軒の銀行を回る。
1軒目の銀行では、しその実を買い入れるための追加の資金を引き落とす。2軒目と3軒目の銀行間で行ったのは、いわゆる移し替えである。
銀行から会社に戻り、クルマから降りると雷鳴が聞こえた。午後の雷なら慣れている。しかし午前、それも雨が降ったり止んだりしているときの雷は珍しい。冬の夕刻に看板を照らすための自動式照明が、空の暗さに騙されて昼の日なかに点いている。
「まるで梅雨どきみたいだ」と、しその実を持ち来た農家の人が空を見る。「この湿気は何とかならないか」と、別のやはり農家の人は首の手拭いに触れつつ嘆息する。今日の時候の挨拶は大抵、奇妙な天気についてのものだ。秋晴れは、いつのことになるだろう。
朝飯 めぬけの粕漬け、納豆、炒り豆腐、蓮根のきんぴら、ピーマンの炒りつけ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとポテトのサラダ、鶏のトマト煮、Old England、ハムのロールパン、Chablis Billaud Simon 2018
2022.9.7(水) 朝の蜘蛛
「シュバイツァーは、あらゆる命を大切にした。部屋に迷い込んだ虫はコップに移して外へ放った。更には抗生物質さえ嫌った」と、子供のころ何かの本で読んだ。半世紀以上も前のことであれば、あるいはこの記憶にもあやふやなところがあるやも知れない。
朝、食堂に来てお湯を沸かそうとしながら、小さな蜘蛛の、レンジフードから垂れ下がっているのが見えた。蜘蛛は僕の姿に気づくと糸を腹の中に吸い込みつつ自らを吊り上げ、レンジフードにしがみついた。逃げられないとみるや今度は糸を延ばして数十センチほども下降し、また上昇してレンジフードに戻った。僕はその蜘蛛を手でやわらかくつかみ、先ほど開けたばかりの窓から外へ放つ、というよりは放り投げた。
「朝の蜘蛛は殺すな」だっただろうか、あるいは「夜の蜘蛛は殺すな」だっただろうか。そんなことを聞き覚えている。蜘蛛は地上にフワリと落ちて、これからもしばらくは生き続けるだろう。
蜘蛛といえば思い出すのは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で、これは中学校だか高等学校の国語の教科書にあったような気がする。もうひとつは内田百閒の「サラサーテの盤」。こちらも読んだことはある。百鬼園は三島由紀夫がみずからの「文章読本」で激賞するほどの文章家である。しかし幻想小説は残念ながら苦手の分野で、その内容はよく覚えていない。鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」は、開いた襖の向こうの大谷直子だけが脳裏に鮮やかだ。
朝飯 蓮根のきんぴら、茄子とピーマンの炒りつけ、生のトマト、納豆、しらすおろし、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 生のトマト、ピーマンとオイルサーディンの油蒸し、Old England、トースト、Chablis Billaud Simon 2018
2022.9.6(火) 言語の習得
先月30日の日記に書いた、2日分の「いつでも使える日記」には賞味期限があった。夏のあいだに公開すべきが、次々と書かれる日記により下へと追いやられるうち、季節はいつの間にか秋になってしまった。よってその文章は来夏に使うこととして、ワードブレスから秀丸に移した。「いつでも使える日記」はいずれまた、新たに増えていくことだろう。
ところで言葉について。
1歳9ヶ月になる孫のシンの日本語が、このところ僕のタイ語を追い越しつつある。先日は「ペン、ちょうだい」と言った。ペンはタイでもペンで通じるものの「ちょうだい」を意味するタイ語については、僕はそれを知らない。
「タイに来て1年、それとも2年」と、タクシーの運転手に訊かれたことがある。そうではない。僕のタイ語はメシを食うことと移動をすること、そのふたつにおける最低限が身についているだけだ。「私にペンを貸してください」は、そのどちらにも当てはまらないから話せないのだ。
タイ人の教師によるタイ語の学校は東京にもある。しかし先月28日の日記に書いたように、僕は「練習しなくては上達しないことの、ほとんどすべてが嫌い」な人間である。「行っても気力が保たねぇだろう」とは思う。
朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、小松菜のおひたし、納豆、オクラのおひたし、胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 炒り豆腐、夏太郎らっきょう、トマトと刻みキャベツとマッシュドポテトを添えた串カツ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.9.5(月) しその実
「しその実」は秋9月の季語。現在の季節感に一致しているところからすれば、それは新暦になってから定められたものと思われる。僕の9月の日程も「今年はいつからいつまでしその実を買い入れようか」というところから立てはじめる。
現在の商品のうち、しその実を使うものは「しその実のたまり漬」、「七種きざみあわせ・だんらん」、「ホロホロふりかけ」、「ひしお」の4種。このうち「だんらん」は特に人気の商品である。しその実の在庫を切らせるわけにはいかない。
しその実を近隣の農家から買い入れる期間は、様々な条件により伸び縮みする。今年は9月5日から10日までの6日間とし、製造係はそのための設備をおととい、蔵の中に組み立てた。設備とは3つの大きな水槽と、その各々に大量の水を供給するパイプ、スクリューコンベア、ミキサーである。
買い入れたしその実は製造係が蔵へ運び、この水槽を次々と移動させながら計3度、洗う。脱水機で水を切ったらミキサーで塩をまぶし、スクリューコンベアの下の口に入れる。そのしその実はそのコンベアにより高いところへ運ばれ、1,000リットルのプラスティック製の桶に溜められていく。
今年の初日の買い入れ量は、昨年のそれの4倍に上った。さて明日はどうなるか。計量と検品にあたる僕はせいぜい早寝早起きを心がけ、3度のメシをしっかり食べるのみである。
朝飯 ピーマンと茄子の炒りつけ、しらすおろし、めぬけの粕漬け、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、獅子唐の天ぷらと若布の味噌汁
昼飯 大根おろしのつゆによる素麺
晩飯 茄子とピーマンの揚げびたし、オクラのおひたし、トマトの甘酢煮、薩摩芋のレモン煮、お多福豆、鮭の漬け焼き、胡瓜のぬか漬け、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)、豆乳のババロア
2022.9.4(日) 初秋
掛け軸にはとんと興味を持たなかった。しかし2020年の春に「汁飯香の店 隠居うわさわ」を開業してすこし変わった。それについては2021年11月15日、および2022年2月26日の日記に書いた。家に遺された80余のうち「まぁまぁ」と感じられたものは30余。これらには四季の別およびABCの評価を付けてコンピュータに記録した。評価はもっぱら僕と長男の好みに拠る。
その30余のうち秋のもの、更にAの評価を付けたものは僅々2軸。すなわち高久隆古の「秋景山水之図」および田崎草雲の「厳菊之図」を朝のうちに隠居へ運ぶ。菊の節句が目前に控えている。しかしそれは新暦によるのだから、季節感は伴わない。よって今日のところは菊を避け、高久隆古の作を掛ける。
隠居の床の間には、きのうまでは夏に似合いの、家では「緑の絵」と呼び習わす油絵が飾られていた。その景色を「秋景山水之図」は一変させた。まぁ、当たり前といえば当たり前である。
旧暦による菊の節句は10月4日。これにより田崎草雲の「厳菊之図」は10月1日の朝より掛けることとして、カレンダーに覚え書きを記す。
朝飯 蓮根のきんぴら、納豆、トマトとズッキーニとウインナーソーセージの油蒸し、めかぶの酢の物、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 なめこのたまり炊、納豆、蛍烏賊の沖漬け、梅干によるお茶漬け
晩飯 茄子の炒りつけ、薩摩芋のきんぴら、烏賊とじゃがいもの煮付け、鱈と鶏としめじの鍋、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)
2022.9.3(土) 今年はこれが最後、でもない
伊豆へ出かけようとしている8月31日の朝は、食欲に優れなかった。それでも習慣として、朝食を抜くことは考えなかった。素麺を茹で、それを食べてから駅へ向かった。
素麺のつゆは、今年から自分で作っている。その量は1度に1リットル。あれこれの配合はそのつど変え、もちろん記録をしている。そして今朝は4回目のつゆ作りをする。
7月25日に作った1回目のつゆは、浅草や神田の「藪」のそれのように醤油っ気が強かった。江戸前の蕎麦なら良かろうけれど、ウチの素麺には塩辛すぎる。8月6日の2回目は、そのあたりを勘案したものの、いまだ塩気が強すぎた。8月22日の3回目は、調合をガラリと変えてみた。塩辛さは消えたものの、輪郭の明確さも失われた。
昼は、朝に作ったばかりの4回目のつゆにより、素麺を食べる。「かえし」の量は、初回より4割も減らしている。それとは逆に、甘味は数倍に増やしている。今日のそれは、流石に甘すぎる。しかし「これはこれで、あり」という気もする。「かえし」は3回目と変わらない量にて、味の彩度は相変わらず低い。
「素麺のつゆ作りも、今年はこの4回目が最後か」と、漠然と考える。冷たい素麺は、今月でおしまいかも知れない。しかしそのつゆは、にゅうめんにも天ぷらにも転用できる。「かえし」はいまだ、450ccほどが残っている。「だったら、また作ってみようか」と、先ほどの考えをあらためる。
朝飯 蓮根のきんぴら、ピーマンの炒りつけ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ピーマンの肉詰め、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 玉葱のつゆの素麺
晩飯 シメジとじゃがいもと水菜のサラダ、茄子とピーマンの味噌炒り、豆腐と浅蜊と万能葱の味噌汁、豚の冷ししゃぶしゃぶ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)、与那国島の黒糖、Old Parr(生)
2022.9.2(金) 風鈴下ぐ
伊豆およびその行き帰りに使ったお金を家内と折半すべく、卓上にレシートや領収書を広げる。レンタカーのそれには他と異なって明細が印刷されている。そのうちの、今回の走行距離は「20KM」だった。24時間を借りて、走る距離はたかだか20キロ。しかしこれにはわけがある。
伊豆での1日目の移動は以下。
伊豆高原駅
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伊豆高原痛みの専門整体院
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ホテル
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夕食(外食)
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ホテル
同じく2日目の移動は以下。
ホテル
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朝食(外食)
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伊豆高原痛みの専門整体院
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伊豆高原駅
上記の各々は、徒歩ではこなせない位置関係にある。しかし都度タクシーを呼んだり返したりを繰り返せば、手間は勿論のこと、費用も嵩むに違いない。24時間に20キロしか乗らなくても、レンタカーはやはり必要なのだ。
さて今日は、先月末より気になっていた風鈴を、店の犬走りと隠居の軒先から外した。犬走りの小屋梁はそれほど高くない。対して隠居の庇に手を延ばすには高い脚立を要し、それを現場に運ぶだけで汗をかく。
外した5つ6つの風鈴を専用の箱に収めつつ「風鈴下ぐ、なんて季語はねぇかな」と考える。事務室に戻って早速、稲畑汀子の「ホトトギス季寄せ」を取り出す。調べてみれば、風鈴はしかし、夏七月のところにしか見あたらなかった。
朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、炒り豆腐、ピーマンの炒りつけ、蓮根のきんぴら、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 レタスとセロリとチーズのサラダ、4種のパン、クリームシチュー、Chablis Billaud Simon 2018、メロン
2022.9.1(木) 伊豆治療紀行(7回目の2日目)
原宿竹下通りの「ビッグスポーツ」でラグビージャージーを買う。次はパンツだ。すると「ひとつふたつサイズを落とした方が…」と、かたわらに立つカタヤマタカユキさんは口を添えてくれた。夢である。カタヤマさんは一昨年の春に亡くなったのだ。
それはさておき、僕は学生時代、実際にその店でラグビージャージーとパンツを買ったことがある。僕のラグビーは「授業で仕方なく」だったが、カタヤマさんは國學院久我山高等学校ラグビー部の選手だった。更に、実際のカタヤマさんは、人の買い物に横から口を出すような人ではなかった。惜しい人を亡くしたものである。
膝に当てられる電子ペンは、膝の皿の真ん中に打たれるものがもっとも痛い。悲鳴を上げるどころではない。痛さに声も出ないのだ。もうひとつ、打たれる場所によっては妙に神経に障る。その、激痛と共に感じる気持ちの悪さには耐えがたいものがある。
伊豆高原13:20発の上りに乗り、新橋には15時37分に着く。いつもの大衆床屋で散髪をし、おなじビルにある時計屋で電池を交換する。家内との待ち合わせにはいまだ時間があるため、喫茶店に入って本を読む。
8丁目の和食屋の、我々はその日、最初の客だった。「びしょ濡れだよ」と、次の客が駆け込んでくる。一瞬「へー」と思うが、そんなことより僕は、自分の飲み食いの方が忙しい。小さな蕎麦猪口で4杯をこなして外へ出る。雨は首尾良く上がっていた。
朝飯 「ガスト伊豆高原店」のハンバーグモーニングセット(パンとスープをごはんと味噌汁に変更)
晩飯 「す多ち」のあれや、これや、それや、他あれこれ、「黒龍酒造」の「龍」(冷や)