2022.8.31(水) 伊豆治療紀行(7回目の1日目)
我が人生最高の治し屋であるワタナベマサヤス先生が「寒いところはイヤだよ」と、宇都宮から伊豆に移ってしまったのは2020年の夏。以降は仕方なく、伊豆に通うこととなった。その初回は2021年4月6日と7日で、2回目は今年1月の25日と26日。前年末からの疲れを腰に溜め、それをどうにか誤魔化しながら受けた2回目の治療は辛かった。
怪我や病気を除いては、からだの痛みはすべて姿勢の悪さに起因する。その、知らず知らず身についた姿勢の癖は第4頸椎をずらす。その「ずれ」が、その人の、そのときの弱いところに痛みとなって現れる。というのが先生の持論である。
伊豆へ行くときには、下今市から7時45分発の上り特急に乗る。北千住で常磐線に乗り換えれば東京駅には10時前に着く。買う切符は10時27分発の名古屋行き自由席。今日はその車両に、家内が品川から乗り込んできた。熱海でJR伊東線に乗り換え12時17分に伊豆高原に着く。
姿勢をいくら正そうとしても、長年の癖は、そう簡単には正せない。「伊豆高原痛みの専門整体院」には、先生に言われた頻度で通うことが肝要だ。前回の治療は7月5日と6日。次回は当初、今月の2日と3日に予約を入れたものの、繁忙により取り消さざるを得なかった。こうなると、次の治療が怖い。間を空けることにより患部の悪化が進むからだ。
否、患部の悪化はそれほど怖くない。その、より悪化した部分を9,000ボルトの電子ペンで直撃される、その痛さが怖いのだ。電子ペンによる痛みは症状の重さに比例する。昨年より僕が集中的に治療されているのは膝。膝のように、肉のないところに当てられる電子ペンは特に痛い。その痛みに耐えて治療室から解放されたときの気分には、何ともいえないものがある。
燈刻よりなじみの焼鳥屋で焼酎のソーダ割りを飲む。部屋まで引かれた温泉には夕食の前に浸かっていた。よって宿に戻っては即、寝台に上がり、即、寝に就く。
朝飯 生玉子と玉葱のつゆの素麺
昼飯 「崎陽軒」の「シウマイ御弁当」
晩飯 「和居」のあれや、これや、それや、他あれこれ、麦焼酎「いいちこSUPER」(ソーダ割り)
2022.8.30(火) いつでも使える日記
現在、日記の在庫は5日分がある。おとといの日記もきのうの日記も今日の日記も書き終えている。そのほか、いつでも使える日記が2日分ある。
未来の日記まで書いて楽なのは、日記を書くことに追われない、ということだ。「惜しかったな」と感じるのは、既に日記の書けている日に特筆すべきことが起きた場合だ。しかしそれも、近未来の日記に過去のこととして書こうと思えば書ける。つまりウェブ上に日記を公開している者にとって、先々の分まで日記を書いてしまう行いには利点の方が多い。
ところでいま在庫をしている「いつでも使える」2日分の日記には賞味期限がある。季節感としては夏のものだから、秋になる前に使う必要がある。それまでに日々の記録、また他にも「いつでも使える日記」がいくらでも書けてしまい、その2日分の日記が後まわしにされる可能性はある。しかし問題は無い。来年の夏まで在庫をしておけば良いだけのことだ。
みっともないのは、続けられずに放置されたままのウェブ日記だ。「他に面白いことを見つけたから」とか「電波の及ばない山中に閑居をするから」とか「体力、気力の衰えにより」など理由を記して、それを終止符とすべきと思う。
何十年と書き続けた日記をウェブ上から消し去ってしまう潔い人もいる。その人の日記であれば、どう処理しようが勝手ではある。しかしそこにある情報を頼りとして新しいことを始めようとする人もいる。窮地から脱する人も、またいるかも知れない。中断させた日記でも、しばらくはウェブ上に留め置くべしと、僕は考えている。
朝飯 焼きおむすび、大根と胡瓜のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、トマトと揚げ湯波とピーマンの味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 冷やしトマト、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、夏野菜とコンビーフの油蒸し、ピーマンの炒りつけ、夏太郎らっきょう、「新政酒造」の「エクリュク2020」(冷や)
2022.8.29(月) 自分でも分からない
毎週、土日月は朝食専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日にて、家内は早くからそちらに入る。よってその3日間の朝食は自分ひとりで準備する。
朝食の動画は、おととしより2日に1度ずつTikTokへ上げてきた。それに加えて今年の7月17日からは、これまでの数十秒より格段に長い10分ちかくの動画を週に1度ずつ上げることとした。題名は「10分で準備できる頑張らなくても美味しい朝食」である。
この長い動画は、家内のいない朝に撮る。おなじおかずが続かないよう、内容は欠かさず記録する。そのノートを7日ぶりに開く。食堂の明かりは、紙の文字を読むにはいささか暗い。よって卓上に携帯用の照明を置く。
6時30分より今日の朝食の「おかず盛りつけ編」、「味噌汁つくる編」、「食べる編」の3本を撮る。それぞれの長さは5分35秒、5分25秒、3分7秒だったから「10分で準備できる」は嘘でない。
「10分で準備できる頑張らなくても美味しい朝食」の、特に7月31日に撮った分は、今朝までの再生数が80万4千200回。増えたフォロワーは5,000人。バズれば大きい世界である。
「で、動画を上げてフォロワーを増やして、何をどうするつもりか」と問われれば「今はいろいろとやってます」としか説明のしようは無い。自分でも、何がどうなるかは分からないのだ。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根のきんぴら、ピーマンとコンビーフの油蒸し、炒り豆腐、茗荷の酢漬け、胡瓜と大根のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、トマトと若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 カプレーゼ、ハヤシライス、Old Parr(ソーダ割り)、「福砂屋」のカステラ、Old Parr(生)
2022.8.28(日) 練習
きのうの日記は夜明け前に書き終えた。そして2杯目のお茶を脇へ置いて「霧 身捨つるほどの」と検索エンジンに入れてみた。あらわれたページを2、3行ほども読み進んだところで「コイツ、文章、上手めぇなー」と舌を巻いた。読み終えて最上部まで戻ってはじめて、それが中央公論社の編集部の人によるものと知った。「なんだー」である。そしてもういちど読んで、この感じを自分の文章にも採り入れようと思った。
「ゴルフをしないのは、それが純粋な遊びではなくて、仕事の絡むことが多いからでしょ」と長男に訊かれたことがある。「いや、オレは、練習しなくては上達しないことの、ほとんどすべてが嫌いなんだよ」と答えた。「それじゃぁ、世の中のほとんどすべてがダメじゃん」と長男は笑った。
そういう僕でも練習をすることはある。苦手な食べものは、それが好きになるまで食べる。もうひとつは文章。このふたつだけは苦にならない。古いクルマによるツインリンもてぎの第1コーナーの走り方も、毎年、練習する。しかしこちらは結構、苦しい。苦しくてもできるのは、それが嫌いではないからだろう。
朝飯 トマトサラダ、蓮根のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、人参の天ぷらと小松菜の味噌汁
昼飯 2種の天ぷらの熱いつゆの素麺
晩飯 TIO PEPE、レタスと林檎とキウイのサラダ、マッシュドポテトと「日光味噌のたまり漬」によるソースを添えたビーフステーキ、CHATEAU BARATEAU HAUT-MEDOC 1993、「久埜」の麩まんじゅう、Old Parr(生)
2022.8.27(土) 身捨つるほどの
朝、街に霧が深い。視界は150メートルほどだろうか。その霧の流れ込んでくるような気がして、というか、それよりも先に高い湿度に辟易して窓を閉める。そして空気調整器を除湿で運転する。
ここ数日は朝焼けがあり、西には雲が厚かった。その景色を見ただけで、しばらくは好天には恵まれそうにないと分かった。雨がちの毎日である。「まさかこのまま秋になるなんてことはねぇだろうな」と、心配をしてみたりする。
新型コロナウイルスの流行るまでは、毎年9月になると、ゆく夏を追いかけるようにしてタイへ出かけた。3月にも出かけ、6月にも出かけた。いまその記録を調べてみると、コロナ前の2019年は3月にスコータイ、6月にバンコク、9月にはチェンライと、計22日を現地で過ごしていた。2020年3月にはウドンタニーへ行けた。国境は、僕が日本に帰って数日後に閉じられた。
以降、自分の「夏日」がどれだけ損したかを数えてみた。3月に7日、6月に6日、9日に9日の2019年に照らしてみれば、今年の9月までに、およそ59日間の損である。
「来年のはじめあたりには、さすがに行きてぇな」と考える。
朝飯 炒り豆腐、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、ピーマンの肉詰め、茗荷の酢漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、2種の天ぷらと三つ葉の味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 ポテトフライ、トマトとレタスのサラダ、「ミラノミザ」のピザ(其の一)、同ピザ(其の二)、Chablis Billaud Simon 2018、葡萄
2022.8.26(金) 新しいに越したことのないもの
上澤梅太郎商店では作業場を蔵と呼ぶ。屋根には瓦の部分もあれば、平らなところもある。平らなところにはポンプ室が設けられ、その上には給水槽が置かれている。昨年、その水槽の一部に漏水が認められた。取りあえずは応急処置で凌いだものの、いつ何時、とんでもないことが起きるや分からない。
そういう次第にておとといは足場の設置、きのうは古い水槽の撤去、そして今日は新しい水槽の設置が行われた。古い水槽はクレーンで吊って撤去されるものとばかり考えていた。しかし実際には電動ノコギリで板状に切られて階段から地上に降ろされた。これまたクレーンで吊り上げられるとばかり考えていた新しい水槽は組み立て式だった。水槽は午後の中ごろには組み上がった。
設備の修理や交換には多大の経費がかかる。頭の痛い問題である。しかし避けて通れない問題でもある。とにかく明日の午後になれば、蔵には新しい水槽からの水がほとばしるだろう。新しいに越したことのないものは、畳だけではないのだ。
朝飯 胡瓜と茗荷の塩もみ、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り豆腐、トマトのスクランブルドエッグ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小粒ちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 しょうがのたまり漬の豚しぐれにぎり、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」
晩飯 天ぷらの盛り合わせ(其の一)、(其の二)、素麺、夏太郎らっきょう、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)、梨
2022.8.25(木) 秋の庭には
「あれはいつのことだったか」と、検索エンジンに「日本 米不足 1990年代」と入れてみた。すると「1993年米騒動」という青い文字が現れたから「そう、そのころだよ」と、そのリンクをクリックし、開いたページをしばし読みふけった。
今は「汁飯香の店 隠居うわさわ」になっている隠居には、1970年代の後半に建てられた、作業場と冷蔵庫を併設した蔵がある。この冷蔵庫は漬物の熟成に使うものだったが、僕は前述の米不足を契機として、穀物を保管するための冷蔵庫も必要と考えた。そして多分、1994年のことと思われるが、この漬物用の冷蔵庫の奥に、穀物用の冷蔵庫を増設した。
この増設部分の雨樋を修理すべく、先月、イナバ塗装のイナバ社長を呼んだ。イナバさんは屋根に上がり、あちらこちらを検分した。その結果、傷みは雨樋だけでなく、広い範囲に及んでいることが分かった。
提出された4つの見積もりから、僕はもっとも大がかりな修理案、つまりもっとも工事費用の高いものを選んだ。経費の逐次投入では、それほど経ないうちにまた、どこかに支障が出るからだ。
その工事のための足場が今日は組まれた。作業は「汁飯香の店 隠居うわさわ」の営業日を避けながらのもので、工期は1か月。秋の庭にはどんな花が咲くだろう。
朝飯 「食堂ニジコ」の豆腐とエビの塩煮かけごはん、茗荷の酢漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 「ユタの店」の冷やし担々麺
晩飯 「食堂ニジコ」のあれや、これや、他あれこれ、6種の日本酒(冷や)
2022.8.24(水) 不慣れな人のように
目を覚まして枕の下を手探りし、iPhoneを取り出す。時刻は3時41分。「随分と寝たなー」と驚く。昨夜の就寝は20時30分のころだった。7時間も眠り続けるとは、まるで高校生ではないか。もっとも自分が高校生のころには10時間でも眠れたような気がする。
昨朝は仏壇に水とお茶を供える際に、お茶の茶碗を傾けて仏壇を濡らし、その後始末にしばらくを要した。よって今日はまるで不慣れな人のように慎重に、水とお茶のお盆を決められた場所へ置く。
クルマの外に立ち、開いた窓から車内に手を入れエンジンをかける。シートベルトを締めずにクルマを発進させ、車道へ出てから片手でシートベルトを締める。そういう行いを僕は嫌う。
「もっとも書くのが難しい文章、それは正確な文章だ」と、ホーキング青山の「七転八転」の解説で中森明夫は書いている。クルマを競走させることを職業としている人たちの、公道での運転ぶりは異常なほど慎重だ。いまだ建て替えられる前の歌舞伎座で「弁天娘女男白浪」を観たことがある。極楽寺の屋根の上の菊五郎は、慎重に慎重を重ねつつ、正確な芝居を心がけていた。
明朝もまた「不慣れな人」のように仏壇にお茶を供えることができるかどうか。僕も並以下であれば、既にして「喉元過ぎれば」になっているかも知れない。
朝飯 胡瓜の油醤油漬け、すき焼き、納豆、菠薐草の胡麻和え、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 焼売、「食堂ニジコ」の豆腐と海老の塩煮、ちまき、蒸し玉蜀黍、胡瓜と茗荷の塩もみ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(ソーダ割り)
2022.8.23(火) つゆのあとさき
早朝、というより丑三つ時というか、午前2時というか、そのころに作った素麺のつゆを、5時を過ぎてより鍋から容器に移す。その際に、調理台につゆの数滴をこぼした。それを拭いた布巾を洗濯籠へ入れるべく風呂の脱衣所へ行く。
家では食堂と呼んでいるダイニングキッチンに戻り、席に着くと、コンピュータのデータベースに”CHF”と、ファイルを切り替えるためのコマンドが打ち込んであり、エンターキーが叩かれるのを待つばかりになっていた。
「さて自分は、鍋のつゆを容器に移す直前には、何をしようとしていたのだろう」と考える。考えても思い出せないから、先ほどの調理台の前に立ってみる。それでも思い出せずに、ふたたび席に戻る。そこでようやく、本日届く予定になっている日本酒12本を、僕が書記を務める飲み会「本酒会」のファイルに入力しようとしていたことに気づく。即、エンターキーを打ち、それを開く。そこには1995年4月から昨月までに飲んだ2,324本が記録されているのだ。
宇都宮の酒問屋「横倉本店」のサガラテツオさんからきのうメールで送られたエクセルファイルは、鍋のつゆを容器に移す前にコピーしておいた。それを本酒会のファイルに貼りつけ、形を整え、保存する。
本酒会の例会場は月ごとに変わる。来月は「汁飯香の店 隠居うわさわ」にて、これについては本日、家内と打ち合わせようと思う。
朝飯 小松菜のおひたし、揚げ湯波と蕪の葉の炒り煮、なめこのたまり炊のなめこおろし、茄子の揚げびたし、蕪と大根と胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波とズッキーニの味噌汁
昼飯 素麺
晩飯 鮭とシメジの味噌アルミフォイル焼き、玉蜀黍のスープ、コーンビーフと菠薐草のソテー、胡瓜の油醤油漬け、「京都蒸留所」のジン「季の美」(ソーダ割り)、メロン、「村上改新堂」のマドレーヌ、Old Parr(生)
2022.8.22(月) 不思議なこと
目を覚ましてしばらくは、暗闇の中にからだを休めている。1日の中で、朝、目を覚ましたときが僕は一番、疲れている。疲れを感じるのは、ふくらはぎであることが多い。
タイではマッサージ屋に不自由をしない。僕が行ったうちの例外はプレーとナラティワートとチェンコーン。プレーでは人に訊ねながらようやく1軒を見つけた。ナラティワートには大きなホテルにさえマッサージルームは無かった。チェンコーンは昼の人通りさえまばらで、すたれゆくばかりの街に思われた。
タイでゆっくりマッサージにかかろうとすれば、古式マッサージかオイルマッサージのどちらかを選ぶことになる。基本は2時間。「足だけ」とか「肩と背中だけ」というものもあって、こちらであれば、最短で30分から受けられる。
朝、目を覚ましたばかりの寝ぼけた状態から正気になっていく過程では「タイで足マッサージが受けてぇな」と感じることが多い。
「タイでマッサージを受けたら靴がバクバクになった」とは、同級生ヤマモトタカアキ君の体験談だ。それを聞いた僕は眉に唾した。しかし後に深く得心をした。それは、バンコクのマッサージ屋でのことだった。マッサージにより足のむくみが解消され、それまで履いていた靴が急に大きくなったように感じるのだ。
闇の中に横たわっていると、数分で起きる気になるから服を着替えて洗面所へ行く。そこから食堂に来てあれやこれやするうち、先ほどまでの疲れはいつの間にか消えている。不思議なことと言わざるを得ない。
朝飯 トマトサラダ、すき焼き、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と大根の葉の味噌汁
昼飯 しょうがのたまり漬の牛しぐれにぎり
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しの韓国海苔、胡瓜の辛子和え、皮蛋、海老と豆腐の塩煮、天津丼の頭だけ(甘くないの)、冷やし中華、麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)