2021.12.11(土) 穴場
4階の、本棚のある細い廊下のどん詰まりからは、真正面に茶臼山が望める。その山肌に日が差して、葉が枯れ落ちる前の木々を鮮やかにしている。
「このあたりには何も無くて」が口癖の田舎の人も、その価値に気づいていないだけで、実はいくつもの「穴場」を知っている。「穴場」は大抵、静かだ。「穴場」は「隙間」でもあるから、誰にでも好まれるわけではない。しかし好む人には強烈に好まれる。「穴場」については検索エンジンより地元の人の方が、より頼りになるような気がする。
茶臼山のふもとには「長久の湯」という温泉があった。広い露天風呂からは、初夏には新緑、秋には紅葉が間近に望まれた。冬は、湯おもてに融け消える雪の風情に格別のものがあった。しかしその「長久の湯」は、2011年3月11日の大地震により、営業を止めてしまった。夏に自転車で行き、帰りに蕎麦屋の「河童」で酒を飲むという計画は、遂に実行されずじまいだった。自分としては「穴場がひとつ消えたな」という思いが強い。
「穴場」はiPhoneの新型とは異なって、次から次へとは出てこない。そこが何とも悩ましいところではある。
朝飯 納豆、冷や奴、生玉子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、トマトと揚げ湯波と蕪の葉の味噌汁
昼飯 長葱のつゆで食べるざるうどん
晩飯 蜜柑と人参とベビーリーフのサラダ、「パンいしづか」の食パン、南瓜のポタージュ、牡蠣とロマネスコのスパゲティ、TIO PEPE
2021.12.10(金) 在庫
服を作って売る会社の社長と話をしたことがある。10.26事件が起きた日、たまたま韓国にいたという古株である。その人によれば、服は生鮮食料品と同じく腐るのだという。「腐る、ですか」と訊いた僕の顔には怪訝な色が浮かんでいたらしい。「はやりがすたれば損をしても、それなりの市場に流す、ということです」と、社長はより詳しく教えてくれた。
キャンディット・フォトという写真の分野を確立したのはエーリッヒ・ザロモン。その時代から今に至るまで、こと服装に関しては、男より女を写したものの方が興味深い。世に連れての変化に、より富んでいるからだ。捨て値で処分される服も、タンスに死蔵される服も、また整理により捨てられる服も、男物よりは女物の方が、よほど多いことだろう。
現在の日記の在庫は6日分。在庫は安心の元だから、ひとつを使えば、またひとつやふたつは増やす。しかし在庫は腐る。
子供のころ、もらったチョコレートを缶の中に、後生大事に溜めていた。いくつかの季節を経ていざ食べようとしたら、すべてのチョコレートは表面に脂肪分が染みだして、蟻さえ顔をそむけそうな風味、歯ごたえになっていた。
日記の在庫は近いうちに、すっかり放出してしまうかも知れない。
朝飯 菠薐草の胡麻和え、納豆、巻湯波と人参と絹さやの炊き合わせ、牛肉のすき焼き風、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、水菜と揚げ玉の味噌汁
昼飯 長葱のつゆで食べるざるうどん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、ふたつあったサンセールの安い方、コーヒー
2021.12.9(木) 山が真っ白
「山が真っ白ですね-」と、出勤をするなり製造係のミヤタマユミさんは僕に笑いかけた。「そうですねー、おととい昨日と寒かったですからね」と僕は相槌を打った。しかし僕はいまだ、その山を見ていない。潤滑油としての会話とは、大抵、そんなものだ。
もっとも、そのまま済ませるのも気が引ける。4階に上がって西北西に面した窓を開ける。きのう雪雲に覆われていた山々は、なるほどミヤタさんのことばの通り、3日前とはまったく姿を変えていた。雪はここから更に、厚く積もるに違いない。
ところで今日は、10月24日に没した叔父の、いわゆる四十九日が営まれる。そういう次第にて、きのうのうちに用意しておいた白菊10本をたずさえて、朝のうちに如来寺のお墓へ行く。そして花立てを洗い、あらかじめその菊を供えておく。
9時30分をまわったところでスドー石材のオヤジさんに電話を入れる。納骨における石屋の役割は重要である。更には一周忌までにお墓に施すことも、確認をしておかなければならない。僕は3人の喪主をした経験から、このあたりについては詳しい。あるいは忘れても、訊けば的確に教えてもらえることを知っている。
法要は本堂にて11時に始まり、墓前にて12時20分に完了した。東京から来た従姉妹とその長男とは自宅で昼食を共にし、13時30分に解散をする。
朝飯 温泉玉子、菠薐草のおひたし、人参のスープ煮、納豆、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、揚げ湯波と蕪の葉の味噌汁
昼飯 薩摩芋の柚風味煮、鮭の「朝露」漬け焼き、揚げ湯波と人参と絹さやの炊き合わせ、菠薐草の胡麻和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、ミックスナッツの味噌和え、茸ごはん、揚げ湯波と蕪の味噌汁、苺
晩飯 うずら豆、薩摩芋の柚風味煮、揚げ湯波と人参と絹さやの炊き合わせ、厚揚げ豆腐と水菜と牛肉の鍋、茸ごはん、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なすのたまり漬のからし和え、「松の司」の生酛純米酒(冷や)
2021.12.8(水) 作れと言いながら自分は買わない
毎朝、起きて最初にする行為は、パジャマから服に着替えることだ。しかしまぁ、こういうところから書き始めては、小学生の日記になってしまう。それでも続けてみれば、洗面を済ませると、何よりも先に仏壇の前に進み出て、その扉を開く。
仏壇の花は、朝と夕に水を換える。冬の花は、室温の低さにより、夏より格段に日持ちがする。それにしても、いま供えてある、家内が森友地区の農業協同組合で買った花は、異常なほど保っている。1週間は楽々と越えて、そろそろ10日に達するのではないか。
その花の、今朝も水を換えて仏壇の向かって左手に置く。次に蝋燭に火を着ける。今朝のマッチは、その軸が右手の親指と人差し指に巻かれたバンドエイドに粘着し、その結果、火消し壺に入らず脇に落ちた。軸に燃え続ける火は、息を強く吹きかけて消した。
仏壇の火が元で火事になり、焼け死んでしまう人がいる。脳や体の動きが緩慢になって以降は、蝋燭や線香には触らない方が無難だろう。
東アジアから東南アジアにかけての仏壇には、蝋燭の代わりとしての赤い電飾が目立つ。一方、線香は、おなじ地域においても蝋燭の火がなければ供えることはできない。
緑色の細長い棒の先端のみが赤く光る電気式の線香を、誰か売り出してくれないか。そう言いながら、自分は買わないと思うけれど。
朝飯 トマトのオムレツ、筑前煮、納豆、菠薐草の胡麻和え、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 白菜キムチをのせた冷や奴、鮪の刺身の「朝露」漬け、めかぶの酢の物、蕪の浅漬け、3種のかまぼこ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なすのたまり漬のからし和え、鶏肉と椎茸とシメジの「梅太郎赤味噌」炒り、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2021.12.7(火) 星と月は天の穴
「雨が降ってるのに、空は晴れている」という詩が桑田佳祐にある。起きて洗面所のカーテンをずらすと、道は濡れているのに空には星が見えている。時刻は4時13分だった。
4時35分、先ほどの星を確かめようとして、食堂の窓に近づく。記憶した方角に、しかし星は見えない。「そんな馬鹿な」と窓を開け、空中に顔を突き出してみる。日光街道を疾走するトラックの、タイヤの水を切る音が聞こえてくる。雲が空一面に広がったらしい。
見つからないといえば、毎年、寄付を目的として社員の分も含めて買っているワカメの、車椅子の印のある袋が冷蔵庫から忽然と消えた。ワカメはいまだ、袋に3分の1は残っていたはずだ。これを欠くと、予備の乾燥ワカメを使うしかない。しかし乾燥ものは薄く、風味も生には遠く及ばない。あの肉厚の生ワカメは一体全体、どこに消えてしまったのだろう。
製造現場での、早朝の仕事が続いている。きのうは靴に水が染み込んで、靴下を濡らした。よって午前のうちにワークマンへ行く。そして手を使わなくても脱ぎ履きのできる、短いゴム靴を買う。英国製の洒落た品もあるにはあるが、僕には1,500円のもので充分だ。
夕食には何を食べたいかと訊く家内に、保育園へ出かけようとしていた孫は「お好み焼き」と答えた。お好み焼きを食事とする常識は、僕には無い。しかし孫がそう言うなら、僕は従うのみだ。夜はそのお好み焼きと焼きそばを肴にして焼酎のお湯割りを飲む。
朝飯 らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、茹でたブロッコリー、しいたけのたまり炊と里芋のすき焼き風、納豆、菠薐草の胡麻和え、2種の蒲鉾、メシ、人参とセロリの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 めかぶの酢の物、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、お好み焼き、焼きそば、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、孫の残した羊羹、Old Parr(生)
2021.12.6(月) ムラキダン
このところの好天が今日は一変して、どんよりと曇った。真昼間とはいえ、まるで早朝か夕刻のような薄暗さだ。英国ではこのような天気を「ラグビー日和」と呼ぶという。本当だろうか。その空の下を、船村徹記念館まで歩く。
船村先生には生前、ひとかたならずお世話になった。一緒に食事をさせていただいたことも1度や2度ではない。そのこともあって、先生の弟子5人が日光に集うコンサート「船村徹を歌い継ぐ 演歌巡礼」には、できるだけ行こうと決めてきた。
今年のそれは6月12日に開かれると知って、5月に入場券を手に入れた。いまだ早い時期で、席は最前列を選べた。その6月12日の予定は3回目の緊急事態宣言により10月8日に延期をされた。その10月8日の予定はまたまた延期をされて、師走の今日まで延びた。払い戻しは可能だったが、その気は一切、起きなかった。
先生の晩年、使いとして上澤梅太郎商店に来てくれていたのはダイモンダンさんだった。今日の5人には、そのダイモンさんも含まれている。歌を歌うときの名前は村木弾。そして13時より、定数の半分だけ客を入れた小さなホールで贅沢な時間を味わわせていただく。終了後は隣接の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売場をまわり、15時20分に会社に戻る。
朝飯 酢蓮、納豆、コールスロー、筑前煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、ブロッコリーの味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 トマトとレタスのサラダ、2種のポタージュ、浅蜊とトマトのスパゲティ、「パンいしづか」のパン、TIO PEPE、Chablis Billaud Simon 2015、「與兵衛桃林堂」の薯蕷饅頭、いのこ餅、Old Parr(生)
2021.12.5(日) 飢え
覚えていられるものではないから、エディタの奥底に残している、昨年から今年にかけて、首都に出された新型コロナウイルス関連の宣言や措置は以下である。
緊急事態宣言(1回目)2020年4月7日~5月25日(延長1回)
緊急事態宣言(2回目)2021年1月8日~3月21日(延長2回)
まん延防止等重点措置(1回目)4月12日~4月24日
緊急事態宣言(3回目)2021年4月25日~6月20日(延長2回)
まん延防止等重点措置(2回目)6月21日~7月11日
緊急事態宣言(4回目)2021年7月12日~8月22日(後に8月31日まで延長、更に9月12日まで再延長、更に9月30日まで再々延長)
おととし、春日町1丁目の役員忘年会は、小倉町の居酒屋「和光」にて12月22日に開かれた。このとき我が日本の一般国民には、いまだ新型コロナウイルスの噂は届いていなかった。
上記の宣言や措置の隙間にあった昨年12月の、東京における新型コロナウイルスの新規感染者は1日あたり数百名。翌夏の数千名にくらべれば少ないものの、当時としては、世間をおののかせるに充分な数字だった。忘年会は「他の人」との接触を避けるため「汁飯香の店 隠居うわさわ」に場所を移して行われた。
今月、東京の1日あたりの新規感染者は10数名から20名。栃木県のそれは0名から数名。「今年も隠居で」という声もいただかないではなかったが、家内はできるだけ休ませたい。忘年会の場所は、おととしと同じ「和光」に戻した。
「居酒屋に集まって皆で飲む」という経験に飢えていたのだろう、18時の約束が、その10分前には全員が揃った。そしてそれから2時間と少々を、飲食と歓談にて過ごす。
朝飯 筑前煮、納豆、茹でたブロッコリーとコールスロー、じゃこ、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、舞茸の天ぷらと長葱の味噌汁
昼飯 長葱のつゆで食べるざるうどん
晩飯 「和光」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2021.12.4(土) 雨落ち
隠居の建物は残されている写真から、築150年は経ているものと想像される。その屋根は、1980年代の初めまではトタンで葺かれていた。元は瓦屋根だったものが1949年の今市地震で壊れ、しかし戦後の物資不足により復旧できないまま後代まで至ってしまったものと想像している。
その屋根は、というより建物全体は、1980年代の前半から中ごろにかけて、ほぼ元の姿に戻された。その際、雨樋を廃して設けられたのが雨落ちである。
雨落ちは風情のあるものだけれど、殊に落ち葉の季節は管理が面倒だ。作るときにはそのようなことは考えもしなかったに違いない。秋に植木屋が入れば彼らは落ち葉をブロワーで吹き飛ばす。しかし葉は彼らのいないときにも落ち続ける。
隠居係のタカハシリツコさんの苦労はいかばかりか。しかし石の間に入り込んでいるように見える落ち葉も、熊手を使うと意外や簡単に取り除くことができると、タカハシさんは教えてくれた。
取り扱いの面倒な雨落ちではあるけれど、隠居の建物が長く保っている背景には、この雨落ちがかなり貢献しているはずと、古建築に詳しい人に言われたことがある。雨落ちは建物が湿ることを強力に防いでくれるらしい。「汁飯香の店 隠居うわさわ」を開業するに当たって厨房の面積を広げるべく床板を外した2019年12月には確かに、床下の土が乾ききっていることに本職は驚いていた。
さてその隠居は年が明ければ開業3年目を迎える。新年の店開きは1月8日。その土曜日から31日の月曜日までは「なめこのたまり炊」を使ったお雑煮も、品書きに加える。この雑煮はかなり美味い。これを肴に地酒をお楽しみくださるお客様がいらっしゃれば、とても嬉しい。
朝飯 コールスロー、納豆、筑前煮、温泉玉子、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、なすのたまり漬のからし和え、メシ、ブロッコリーの味噌汁
昼飯 長葱のつゆで食べるざるうどん
晩飯 ひじきと大豆の炊き合わせ、厚焼き玉子、豆腐と白菜の味噌汁、トマトとレタスのサラダ、鶏の唐揚げと揚げ餅、「なすのたまり漬」のからし和え、麦焼酎「こいむぎやわらか」(前割のお燗)
2021.12.3(金) 紙袋を長持ちさせる方法
紅葉狩りの観光客は毎年、旧体育の日つまり10月10日ちかくの週末から増え始めて、11月の勤労感謝の日を以て収束する。このことは今までに何度となく書いてきた。現在、日光や鬼怒川の景勝地や観光施設はまったく静かになっている、と思う。「思う」としか書けないのは、そこまで出かけて検証していないからだ。しかしまぁ、大体のことは想像できる。
観光のお客様がたくさんいらっしゃってくださっていた10日ほど前までは、釣り銭の両替は毎週のようにしていた。しかし以降、その頻度は極端に落ちた。それでもそろそろ特に5,000札と1円玉の在庫が減ってきた。よってこの日記に取りかかる前、今朝は5時すぎに両替のための種銭を銀行の紙袋に入れた。
銀行の紙袋はおなじものを2重にし、更に綿テープで全体を覆って補強してある。マジックインキで記した日付は「2021.0108」。ほぼ1年を経ても、びくともしていない。今朝はコンピュータ、デジタルカメラ、携帯電話と共にその袋も携えて事務室に降りた。
おとといの、早朝に窓を打つほど強かった雨は爆弾低気圧によるもので、屋根を飛ばされる被害もあったことを地元紙で知った。災害は年間を通じて皆無であって欲しい。これから正月にかけては特に、穏やかな日々の続いてくれることを願っている。
朝飯 スクランブルドエッグ、白菜のソテー、筑前煮、梅花はんぺん、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、「なすのたまり漬」のからし和え、メシ、豆腐と若布と玉葱の味噌汁
昼飯 サンドイッチ、ホットミルク
晩飯 ミックスナッツの味噌和えを添えたベビーリーフのサラダ、ロールキャベツ、じゃがいものグラタン、オリーブのパン、林檎のジャム、Chablis Billaud Simon 2015、エクレア、Old Parr(生)
2021.12.2(木) 着陸しない飛行機
2012年8月、バンコクのファランポーン駅から二等寝台列車でウボンラチャタニーを目指した。夜が明けると風は爽やかだった。朝日に向かって走る車両に右へ左へと激しく揺さぶられつつ「いつまでも着かなければいいのに」と思った。
美味いスパゲティは「いつまでも無くならなければ良いのに」と、ひと口ごとに惜しまれる。面白い本は「いつまでも終わらなければ良いのに」と、残りのページの減るのが恨めしい。
何について調べていたときかは忘れた。とにかく一昨年の暮から昨年の正月にかけて、外神田の”gallery bauhaus”で小瀧達郎の写真展が開かれていたことを知った。そこからどうネット上を渡り歩いたかは覚えていない、田中長徳の「佃日記」に行き着いた。
その限定250部の豪華本は、amazonに古書で4,580円で出ていた。買おうか買うまいか数日のあいだ逡巡して、結局は「カートに入れる」ボタンをクリックした。
「古書であれば、失われている可能性もなくはない」と考えていたオリジナルプリントには141/250の通し番号が付いて、箱に収まっていた。付属の、田中長徳と島尾伸三による対談は面白い。本文は全509ページ。
田中長徳の、経験値の異様な高さによる筆の饒舌さは、たとえば彼の「日本名作写真59+1」あたりを開けば一目瞭然だ。しかしこの「佃日記」の文体は、日によってはむしろ偏奇館主人のそれに似る。
いつまでも着陸しない飛行機があれば、この枕のように分厚い本は、その中でこそ開きたい。
朝飯 酢蓮、納豆、菠薐草と榎茸のおひたし、牛肉のすき焼き風、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、「なすのたまり漬」のからし和え、メシ、ポタージュスープ
昼飯 ラーメン
晩飯 鮨あれこれ、だし巻き玉子、梅花はんぺん、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、「なすのたまり漬」のからし和え、「外池酒造店」の「燦爛夢ささら純米大吟醸」(燗)、わらび餅