2021.7.1(木) ひと手間
朝のお膳の納豆には、家内は不要と言うから自分の器にだけ自分で刻んだ長葱を添える。農業協同組合の直売所や道の駅では、長葱は束で売っている。しかし家でそれだけの量は消費できない。だから長葱は大抵、スーパーマーケットで1本だけ買う。
目黒の権之助坂を下り、目黒川に沿うようにして左手に折れると「仁平」という鮨屋がある。ここで秋刀魚を食べれば当然のことながら「目黒の秋刀魚」を思い出す。「目黒の秋刀魚」は、伯楽と名を改める前の金原亭桂太のそれが良かった。今ならもっと良いかも知れない。
いつか北千住の成城石井で買った長葱は良かった。それは「後生大事」というような感じで1本ずつ袋に収められていた。「ああいう長葱が、家のちかくでも買いたいよな」と思うけれど、地元ではとんと、そのようなものは見かけない。やはり葱は千住に限るのだろうか。
妊娠をすると、食べものに特殊な好みの出てくることがあると聞く。しかし男にも、そのようなことはある。
子供のころは、オフクロの実家に長く逗留することが楽しかった。ある年、僕がいた2週間か20日のあいだ、オフクロの父親は毎夜、湯豆腐を肴にした。オヤジの父親は、オフクロによれば半年ほども、毎日、蕎麦を食べ続けたことがあったという。
よそからいただいたときくらいしか口にしなかった蒲鉾を、このところは自分で買って、自分ひとりで食べることがたびたびある。何がどう関係して蒲鉾を欲しがるようになったかは自分でも分からない。蒲鉾には生山葵を添える。山葵は道の駅に置いてあり、その道の駅は目と鼻の先にあるから、ことは簡単だ。
長葱を添えた納豆や、生山葵を添えた蒲鉾を口にするたび、薬味の偉大さに思いを致さないわけにはいかない。「たったのひと手間」である。その「ひと手間」が、フェラーリのエンジンに取り付けられたIHI製の過給機のように効くのだ。使わない手は無いではないか。
朝飯 牛肉と舞茸のすき焼き風、ひじきとパプリカの炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生の胡瓜、蓮根の梅肉和え、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、ブロッコリーとグリーンアスパラガスの味噌汁、桜桃
昼飯 「やぶ定」のカレー南蛮蕎麦、ライス
晩飯 トマトのすり流し、めかぶの酢の物、胡瓜のぬか漬け、蒲鉾、生のトマトと刻みキャベツとマカロニサラダ、薄切り肉の豚カツ、「菊姫」の「山廃仕込吟醸」(冷や)、マンゴー