2021.7.31(土) 味の違い
夜の明ける何時間も前からヒグラシが鳴いている。「やだなー、もう秋かよ」と、残念な気持ちが心に広がる。稲畑汀子の「季寄せ」はヒグラシを秋8月の季語としている。「秋はいまだ、はるか先にある」ということを確かめたくて、検索エンジンに「ヒグラシ」と入れてみる。
行き当たったウィキペディアのページには「晩夏に鳴くセミのイメージがあるが、実際には(地域にもよるが)成虫は梅雨の最中の6月下旬頃から7月にかけて発生し、ニイニイゼミと同じく、他のセミより早く鳴き始める」とあったから、大いに胸をなでおろす。
空気はまことに爽やかではあるけれど、秋は好きでない。夏の気温や湿気は大いに不快だ。不快ではあるけれど、夏はもっとも好きな季節だ。野菜はトマト、茄子、ピーマンなど夏のものが、自分にとっては最高だ。いつかは常夏の国で暮らしたい。
理科の授業として、小学校の裏の浄水場にイナゴを獲りに行ったのは、何年生の夏だっただろう。獲ったイナゴを家で佃煮にした記憶は無い。社員の誰かに譲ったか、家の庭に放したかの、どちらかだったかも知れない。
日本では舌ざわりが良くないと、イナゴは調理前に後ろ足を除く。しかし南の国では、そのような細かいことはしない。調理法は「煮る」ではなく「揚げる」だから、コオロギの棘の生えた後肢さえ、まったく気にならないのだ。
あるときチェンライの夜市でコオロギの素揚げを食べていたら、そこにセミも混じっていた。構わず口に入れたものの、なにしろ調理法が”deep fried”であれば、味の違いはまったく分からなかった。
朝飯 納豆、生玉子、めかぶ、生のトマト、らっきょうのたまり漬、メシ、トマトとブロッコリーと「鶴一家」のチャーシューの味噌汁
昼飯 ごぼうのたまり漬、揚げ玉、梅干、すぐきのお茶漬け
晩飯 ポテトと隠元豆のサラダ、豚のしょうが焼き、胡瓜と茄子と人参のぬか漬け、豆腐と若布と大根の味噌汁、キンミヤ焼酎(ソーダ割り)、ところてんとスモモの甘味
2021.7.30(金) 無為のとき
今月27日の日記に書いた粗相を昨夜もやらかして、二度寝をしたのは1時半のころだった。目を覚ますと外は既にして明るい。枕の下から取り出したiPhoneには4:54の数字。即、飛び起きて、床の籠に用意済みの服を着る。顔を洗って食堂に出ると、食器棚の電波時計は4時47分。5時台からの行動開始は僕に著しい「損した感」をもたらす。それゆえの、今朝は大急ぎの起床だった。
それだけ急いで起きて何をするかといえば、仏壇に花と水とお茶と線香を供える以外は、ほとんど何もしない。僕の時間管理は、無為のときを作り出すためにあるような気がする。
きのうの夕刻には強い雨が降った。テレビのニュースは、日光に出された洪水注意報を伝えていた。雨は明け方に上がった。そしてまた降り始めた。
豪雨に際して心配なのは、蔵の大屋根の雨水を集める直径30センチの排水管だ。これがどこかで割れたり外れたりすれば、屋内は水浸しになるだろう。そろそろ本職に点検を頼もうと思う。
朝飯 納豆、油揚げと小松菜の炊き合わせ、枝豆のスクランブルドエッグ、ゴーヤの醤油炒め、鰻の佃煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ブロッコリーとツナのサラダ、春雨サラダ、水餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2021.7.29(木) ほとんど誰も追随しない
目を覚ましたのは2時台。起きて食堂に来たのは3時35分。必要な道具を調えて、4時より仕事にかかる。
直近の高島屋での出張販売は、8月18日から24日まで日本橋で1週間、9月15日から27日まで新宿で2週間。その案内ハガキのお送り先を顧客名簿から抽出するのが今朝の仕事である。精密さの求められる作業であれば、人が来たり、電話が鳴る日中の事務室ではできない。
ちなみに6月に出張した新宿高島屋では、ハガキのリピート率は30.2パーセントを記録した。上澤梅太郎商店は、お得意様に恵まれている。とても有り難い。
またコンピュータに目を転じれば、リピート率3割は、既製のソフトでは絶対に達成できない数字だと思う。僕の練り上げた方法は秘技ではなく、仲間うちには公開をしている。しかしその技術を習得するにはそれまでの自分を捨て、データベースの常識に自らを沿わせる必要がある。人口に膾炙する可能性は、これからも皆無だろう。
作業は5時22分に完了した。朝食までのあいだに、既に書けていたおとといの日記に画像を加えて「公開」ボタンをクリックする。
朝飯 菠薐草のおひたし、油揚げと小松菜の炊き合わせ、オクラと長葱を薬味にした納豆、ナスのソテー、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と若布の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 春雨サラダ、キムチのせ冷や奴、ごぼうのたまり漬、めかぶの酢の物、ゴーヤの醤油炒め、「鶴一家」のチャーシュー、胡麻焼酎「紅乙女」(生)
2021.7.28(水) モーバイル
朝、検索エンジンに”my favorite things jone coltrane”と入れ、youtubeでそれを聴く。聴きながら「いま、オーディオファンって、どれくらいいるのかな」と考える。1969年からしばらくのあいだ、僕はそのオーディオファンだった。雑誌”Stereo Sound”は毎月、読んでいた。「ステレオサウンド、まだあるのだろうか」とamazonに検索をかけると、季刊として続いていた。
現在、音楽を聴く道具としてもっとも多く使われているのはiPhoneだろう。源流は明らかに「ウォークマン」だ。「コンピュータはモーバイルであるべし」と日本でもっとも強く主張したのは西順一郎だと思う。西のこの考えには、かつてその中枢で働いたソニーの「ウォークマン」が大きく影響している気がする。
“mobile”が可能になった途端、その分野の歴史がひっくり返ってしまった例は枚挙にいとまがない。というか、人は元々”mobile”が好きなのだ。なぜならそれは人に自由をもたらすからだ。
ヨハネによる福音書8章32節の「真理は汝に自由を得さすべし」をそのまま当てはめれば、”mobile”もまた真理ということになる、かどうかについては分からない。そういう難しいことは、偉い人に訊いてください。
朝飯 刻みオクラ、納豆、油揚げと小松菜の炊き合わせ、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とブロッコリーの味噌汁
昼飯 「栃木軒」の中華そば
晩飯 「珍来軒」の呉冷麺、うずら豆、胡麻焼酎「紅乙女」(生)
2021.7.27(火) 睡眠
寝ることに失敗をすると、翌朝がつまらなくなる。寝ることに失敗をするとは、夕食後に食堂の椅子で寝てしまうとか、風呂に入る前に「ちょっと一瞬のつもり」で着の身着のまま寝台に横になり、そのまま寝てしまうなどの粗相を指す。
きのうの夜もその「ちょっと一瞬のつもり」で横になり、暗闇に目を覚ました。胸のあたりを触ると、感触はユナイテッドアスレのポロシャツのそれだったから「あー、また」と悔やんだ。時刻は0時21分だった。
それから入浴をし、寝室に戻って二度寝をする。最初の中途半端な睡眠によるものか、この二度寝からはなかなか覚めない。結果として1日の中で自分がもっとも好きな、夜と朝のあいだを楽しめなくなる、という寸法である。
きのうの夜もそれをやらかした。そして二度寝の最中に夢を見た。熱海で夜、空を見上げている。星がやたらに出ている。「熱海ってのは星の綺麗なところだな」と感嘆するも、気づけばそれらは星ではなく、無数のドローンだった。
今朝、起きて洗面所に行くと、時計は4時18分を指していた。前夜、寝ることに失敗をした割には早く目を覚ますことができた。空は薄く曇り、雨がすこし降っている。台風は今、どのあたりにいるのだろう。
朝飯 茄子とピーマンの素揚げ、納豆、隠元豆とオクラの天ぷら、菠薐草の胡麻和え、ひじきとパプリカの炒り煮、蕪と胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と缶詰の鯖とトマトの味噌汁
昼飯 胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、塩鰹のふりかけ、鰻の佃煮のお茶漬け
晩飯 めかぶの酢の物、冷やしトマト、マカロニサラダ、枝豆、ふかした玉蜀黍、串揚げあれこれ、芋焼酎「志比田工場原酒」(水割り)、バナナの杏仁豆腐
2021.7.26(月) 在庫
「おとといの日記が白紙の状態にあると焦燥する」と書いたことがある。先週、日記はもっとも多い日で6日分の在庫があった。それでも更に書こうとする性癖は、貧乏性とでも呼ぶべきだろうか。むかしJR西日暮里駅駅の自動販売機に見かけた「お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人」という本を思い出す。
総資本回転率という言葉がある。自己資本利益率という言葉もある。そのような「率」を上げるより銀行の残高を増やして安心したい、という人は少なくないだろう。
「借金してまで商売なんて、するもんじゃないって、女房に言われたよ。まったくその通りだ」と先日、ある人が言っていた。ちなみにその人の奥さんは元銀行員である。
会社の固定費はヒト、モノ、カネから成る。固定費を下げれば経常利益が上がるかといえば、それほど単純なものではない。「メシの量を減らして金を貯めようとしたら、腹が減って仕事ができず、家計は却って苦しくなりました」ということもあるのだ。税理士だって自分の事務所を開くときには借金くらいするだろう。
と、今朝もよしなしごとを連ねるうち500文字が書けてしまった。日記の現在在庫は4日分。先週の最大数より2日分が減っている。またまた増やさなければ、安心はできない。
朝飯 生のトマト、納豆、干し海老と擂り胡麻を薬味にした冷や奴、玉子焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、缶詰の鯖と長葱の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 トマトとレタスのサラダ、缶詰のツナとピーマンのソテー、カレーライス、らっきょうのたまり漬「浅太郎」、Old Parr(ソーダ割り)
2021.7.25(日) 長葱
目玉焼きもハムのソテーも嫌いではないが、ハムエッグは苦手、という人がいる。どうにも理解に苦しむ人だ。しかし考えてみれば、自分にもおなじようなところはある。
子供のころ、味噌汁の長葱は幅1センチほどの筒切りにされていた。これが僕はイヤだった。半世紀以上を経た今でも苦手だ。長葱は小口切り、白髪葱、縦切り、また筒切りでも長さがあれば、楽に食べられる。よくある太い部分の斜め切りは、なぜかそれほど美味く感じない。
こうして並べてみると、冒頭の「ハムエッグの人」よりよほど「理解に苦しむ」嗜好かも知れない。嬉しいのは上出来の蕎麦屋で出てくる薬味の葱だ。信じられないほど薄い小口切りは、練達の人が、よほど切れる包丁で刻んでいるのだろう。
今朝の味噌汁の長葱は、青い部分を5センチほどの細い縦切りにした。やたらに具が多ければ、味噌汁というよりは鍋と呼んだ方がふさわしいかも知れない。そのお椀を含む一汁三菜の朝食を腹に詰め込んで、四連休4日目の仕事へと向かう。
朝飯 大根おろしを薬味にした納豆、トマトとポテトのサラダ、山葵漬けを添えた蒲鉾、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐とトウモロコシの天ぷらと長葱の味噌汁
昼飯 冷やし中華
晩飯 トマトとポテトのサラダ、TIO PEPE、コーンポタージュスープ、ブロッコリーのソテーと人参のなますを添えたハンバーグステーキ、Chateau Lalande Borie 1985
2021.7.24(土) ウクレレ
このところ、孫のリコが僕のウクレレをいじくり回して仕方がなかった。果物を食べ、その汁に汚れた手を洗わずに触ったりするから始末が悪かった。どうにかして彼女を僕のウクレレから遠ざけなくてはならない。しかしウクレレを隠すなどはしたくない。
何が目的だったかは思い出せない。あるとき浅草の外れを歩いていて、ウクレレを並べた飾り窓の前を通りかかった。「へー、浅草にウクレレ屋かぁ」と、何となくもの珍しい気持ちになって、それは記憶の底に残った。
検索エンジンに「浅草 ウクレレ」と入れると、果たしてその店はキワヤ商会と知れた。ウェブショップもある。子供用のウクレレも売っている。それほど高いものでもない。即、注文をした。
キワヤ商会ではまた、ウクレレの教室もしていた。講師はキヨシ小林。僕には未知の人だ。これまた検索エンジンに頼るとCDも複数、出していた。amazonの中を行ったり来たりしながら、もっともレビューの多い”ukulele swing”を注文した。そして届いたそれを、今朝は夜明けの気配さえ訪れない時間からBOSEのプレイヤーに入れた。
1曲目は、聴けばほとんどの人が知っている”Love”。これが出だしからまるでジャンゴ・ラインハルトで、思わず目を見張る。途中に”Salt Peanuts”から遊びで2小節を引用。「へー、いいじゃんか」と気分が上がる。
「秋になったら教室、行くかなぁ」などと考える。楽器の習得は外国語の習得と同じく、陰々滅々とした無限の反復練習を必要とする。しかしその楽器もウクレレならば、気の滅入ることもないのではないか。
ところで孫は小さなウクレレが届いた日から、僕のウクレレには見向きもしなくなった。「助かった-」である。
朝飯 トマト、納豆、ポテトサラダ、昆布の佃煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菠薐草の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 トマト、南瓜の煮付け、胡瓜と人参のぬか漬け、カジキマグロのソテー「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」かけ、豚汁、芋焼酎「志比田工場原酒」(生)
2021.7.23(金) 忙中の閑
「最も好きな時間って、どんなときですか」と訊かれて「尻のポケットに文庫本を突っ込んで『さぁ、今日はどこへ飲みに行こうか』と街を歩いているときですね」と答えたことがある。1988年7月23日の会話と覚えているのは、自衛隊の潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」の事故を、赤坂から西麻布へ向かうタクシーのラジオが伝えていたからだ。
いま「もっとも好きな時間は」と訊かれれば、それが日常のことなら「夜と朝のあいだに自宅の食堂で日記を書くか本を読むかしているとき」であり、非日常のことなら「南の国のプールサイドで本を読んでいるとき」となるだろう。
午前、それまで会話をしていた電話の受話器を置いて「金谷ホテルさんがいつもの品を、どうにか急ぎで間に合わせられないか、とのことです」と、事務係のカワタユキさんが僕の方を振り向いて言った。
20年ちかく前に、日光金谷ホテルさんの蔵の中から大正時代のカレーのレシピが発見された。それが再現をされて、今は「百年ライスカレー」として同ホテルの名物になっている。それに付け合わされるのは上澤梅太郎商店のらっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」と、たまり漬「ホロホロふりかけ」だ。今年限りの変則的な四連休に、想定外の数のお客様が訪れているのだろう。
即、包装の部署に走る。そして夕刻までにはご用意できる旨を確かめて事務室に戻る。と、そこに今度は中禅寺金谷ホテルさんから電話が入り、こちらにも取り急ぎ欲しいと、ご注文をいただく。またまた現場へ走り、またまた事務室に戻る。そして折り返し担当者様に、承れる旨をご連絡する。緊急の仕事を意気に感じてくれる社員は有り難い。
毎年、梅雨の前と梅雨の明けたころを見計らって、店の4台のショーケースからすべての商品を取りだし、底板の更に下まで掃除をする。今年は今日が「梅雨の明けたころ」の掃除日に当たっていた。17時30分の閉店時間より、先ずは販売係、そこに製造係と隠居係も加わって、黙々と作業をこなす。約50分を経てすべてのショーケースは拭き上げられ、商品も元に戻された。他の部署の仕事を当然のこととして手伝ってくれる社員は有り難い。
今日は時宜を逸して昼食を抜いた。夕食を済ませて20時10分より入浴。20時30分に寝室に入って即、就寝する。夜の朝のあいだに起きるための、早寝である。
朝飯 大根おろしを薬味にした納豆、茄子とピーマンの味噌炒り、鰹節を薬味にした冷や奴、ひじきとパプリカの炒り煮、揚げ湯波の甘辛煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とオクラの味噌汁
晩飯 チーズ、TIO PEPE、ポテトサラダ、茹でたブロッコリーを添えた豚肉のソテートマトソース、Chablis Billaud Simon 2015、スモモ
2021.7.22(木) 風鈴
毎年、梅雨が明けるなり、店の犬走りに風鈴を提げる。ところが隠居のことは、うっかり忘れていた。9時を回ったところで風鈴と3段の脚立を手に隠居へ向かう。
3段の脚立に乗って届くのは、玄関の軒先までだ。その垂木を下から観察し、もっとも良さそうな場所を探す。そしてそこに先ずは紐で輪を作ろうと考えて「待てよ」と手を止める。脚立から降りて、ポケットからiPhoneを取り出す。そしてgoogleに「玄関 風鈴 位置」と入れてみる。
「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、昨年の3月28日に開業をした。ごはんを炊いたり味噌汁を作ったりおかずを整えたりについては、数十年の蓄積が家内にはある。しかし室礼となると、我々はいまだ素人の域を出ない。その教養の不足に対し、お客様からご指摘を承ることもある。「この場所に風鈴とはいかがなものか」などと、お客様の不興を買ってもいけない。
最初に目に留まったページには「光や音は気を乱します。風鈴のように常に音を発するものは、玄関には置かないようにしましょう」とあった。玄関がダメとなれば、風鈴の行き先は屋根の軒先しかない。しかしそこは隨分と高い。
隠居から百数十メートルを戻り、事務室の裏手に立てかけた、6段1.92メートルの脚立を隠居に運ぶ。そして屋根の軒先のうち、南東に面した角の垂木に紐を結ぶ。その輪から提げた風鈴は折からの風を受けて、涼しげな音を立て始めた。
3段の脚立を元に戻し、6段の脚立も元に戻し、つまり隠居と店のあいだを何度も往復する。そうして事務机に着いて、念のためもう一度、今度はコンピュータで「玄関、風鈴、位置」と検索してみる。
「玄関に出入りをするたび美しい音色に接すると、気分は自然と爽やかになり、悪い運気を中和させます」の太文字が、ページの最上部に現れる。
「冗談じゃねぇよ」と思う。「もう、誰の言うことも信じねぇぞ」と心に決める。滝のような汗は、いつまでも引かない。
朝飯 鯖鮨、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、トマトと若布と揚げ湯波の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」
晩飯 冷やしトマト、めかぶの酢の物、蒲鉾、ごぼうのたまり漬、焼き餃子、冷やし中華、芋焼酎「志比田工場原酒」(生)、桃