2020.10.1(木) 数百キロが
朝、facebookを開くと、バンコクに住む同級生コモトリケー君からメッセージが入っていた。この3月に僕が持参した辛ひしおは少しずつ大切に食べてきたが、遂に底をつきかけた。よってその最後のところは瓶にマヨネーズをひねり出し、それと混ぜて残すことなくすくい上げたと、空になった瓶の画像も添えられていた。
大豆、米、大麦、小麦による4種の麹を低温で長期にわたり熟成させた「ひしお」を初めてタイに持ち込んだのは、2018年3月のことだ。それには、ある理由があった。
あるとき店に中華系と思われるお客様が大勢でいらっしゃった。たまり漬も買ってくださったが、特に「ひしお」は大人気で、冷蔵ショーケースはたちまち空になった。蔵の冷蔵庫に在庫があったのは幸いだった。急遽、これを店に運び、お客様の需要にお応えをした。
お訊ねをしたところ、お客様はシンガポールからの旅の途上にあって、「ひしお」は魚の清蒸に添えるとのことだった。
それから数ヶ月を経た2008年3月、僕はタイへの荷物に「ひしお」を加えた。そしてその旅の最終日、チャオプラヤ河畔の料理屋に、それを持ち込んだ。タイでは魚の清蒸をプラーヌンマナオと呼ぶ。プラーは魚、ヌンは蒸す、マナオはライム。広東からインドシナを南下するうち香草と果実を加えられ、遂にはむせかえるほどの香りを放つに至った海鮮料理である。
その日の魚はスズキだった。その横腹に「ひしお」を匙でひとすくい、ふたすくいすると「もったいねぇから、そんなに載せるな」とコモトリ君は僕の手を止めさせた。残りはバンコクへ置いていけ、ということだ。
「ひしお」は、プラーヌンマナオよりも、香りの大人しい広東の清蒸に、より似合うと僕は感じた。しかし良い経験をした。
コロナ騒ぎさえなければ、この秋はウドンタニー、夜行バスに10時間ほど揺られてチェンライ、そしてバンコクに戻る、9泊10日の旅をするはずだった。これが実現していれば、そのときには「ひしお」に唐辛子を加えた「辛ひしお」をたずさえていたに違いない。
次の旅はいつになるか。「ひしお」は蔵の、隠居の庭に張りだした最深部で、数百キロが熟成中である。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、茄子とパプリカの素揚げ、細切り沢庵、らっきょうのたまり漬、ごぼうのたまり漬、メシ、鶏笹身肉と隠元豆の天麩羅の味噌汁
昼飯 モツ煮、ごぼうのたまり漬、メシ
晩飯 胡瓜と茗荷の酢の物、豆腐と茸と挽き肉の餡かけ、いわし明太の網焼き、薩摩芋の練り切り、「黒木本店」の麦焼酎「百年の孤独」(お湯割り)、月見饅頭、Old Parr(生)