2020.10.11(日) 普遍的に好まれる何か
「汁飯香の店 隠居うわさわ」には3つの客間がある。ひと月ほど前までは扇風機の回されていたそこに、きのうは長男と隠居係のタカハシリツコさんが暖房絨毯を運び入れ、それぞれの部屋に敷いた。
その「隠居」は本日、14名の団体様により、満席貸切となった。台風14号が太平洋上に早々と去ってくれたことは幸いだった。11時、挨拶のため裏の柴折り戸から庭に入る。玄関の戸を引くと、玄関にはストーブが焚かれていた。
昨年10月の日記を見る限り、隠居の紅葉は、これから1週間ほどもすれば始まるものと思われる。しかし池水のほとりには、梅雨どきに咲いた紫陽花のうち、いまだ紫色に命脈を保つ数輪がある。気温はあるいは明日あたりから、急に下がるのかも知れない。
夕刻は事務室にいて、今朝の日本経済新聞の、弁当についての特集を読む。全世界的に、かどうかは知らないけれど、人は指先で摘めるほどの、あるいは楊枝に刺して口元まで運べるほどの、小さな食べ物を好む。もうひとつ、串に刺され、これまた口元まで運べる食べ物を好む。そして日本の弁当もまた、そのような、文化の異なる地域においても普遍的に好まれる何かを持ち合わせた食べ物の形態と、僕は思う。
ところで僕がもっとも食欲を刺激された弁当は、いつか全日本空輸の機内誌で目にした、房州の海女の、まるで荒磯に砕ける白浪のようなそれだった。僕はどうも、美麗とか「かわいい」ものには、それほど惹かれない質らしい。
朝飯 秋刀魚の梅煮、すぐきを薬味にした納豆、焼き鮭、蓮根の梅肉和え、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐とレタスの味噌汁
昼飯 納豆、なめこのたまり炊、昆布の佃煮、鰹の佃煮、秋刀魚の梅煮によるお茶漬け
晩飯 「大しま」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、日本酒(燗)
2020.10.10(土) 秋映
浅草07:30発の下り特急は、定刻にすこし遅れて下今市に着いた。いまだ残る雨の中を、傘を差し、歩いて帰宅をする。着替えて事務室に降りると、壁の電波時計は9時40分を指していた。
きのうのテシマヨーちゃんは、浅草08:00の下り特急に乗ると言っていた。この下今市着は9時39分。それを口にすると「えっ」と長男は驚いて、即、ホンダフィットの鍵を握って外へ出て行った。
僕は10時5分前から傘を持ち、犬走りの庇の下に立つ。今朝は「汁飯香の店 隠居うわさわ」に、普段より親しくさせていただいている3名様が、何週間も前から予約を入れてくださっていたのだ。やがて現れたその3名様を先導して「隠居」の暖簾をくぐる。先ほどのテシマヨーちゃんは、既にして六畳間の席に着いていた。
1時間ほどが経ったところで「隠居」の家内から事務室に電話が入る。僕はそそくさと席を立ち、蔵に沿って100メートルほどを南に歩く。4名のお客様には、それぞれ食後のお菓子が出されたところだった。先ずは3名様と、それからヨーちゃんと、しばらく話をさせていただく。
ヨーちゃんの今日の目的のひとつは、4月30日に亡くなった、やはり勉強仲間だったカタヤマタカユキさんのお墓参りだ。僕はヨーちゃんを、お墓のある回向庵に案内した。そこからカタヤマさんが社長を務めていた片山酒造に回り、お母さんに挨拶をさせていただく。
中学校では柔道に、高等学校からはラグビーに打ち込んだ頑強なカタヤマさんが、どうということもない風邪により突然、世を去ったときには、その報に接した多くの人が驚愕、呆然とした。以降、一体全体、どれほどの人がカタヤマさんのお墓に参ったことだろう。
ヨーちゃんを、やはり勉強仲間であるヌマオ歯科先生の元に送り届けて以降は仕事に復帰をして夕刻に至る。
朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 ラーメン
晩飯 らっきょうのたまり漬、キムチ鍋、栗焼酎「十三天狗の伝説」(お湯割り)、林檎「秋映」、林檎「シナノスイート」
2020.10.9(金) 伝道
「稀代のデータベースソフト・マイツールが世に広まらない理由を、適切な比喩を用いて分かりやすく説明せよ」と問われたら、何と答えて良いか分からない。「それを諸々の役に立てている人の様子を見てください」としか、言い様は無いかも知れない。
勉強仲間のテシマヨーちゃんは、そのマイツールを無私の奉仕により伝道して、もう何年になるだろう。その集まり「やじOA」に本日、僕は発表者として呼ばれている。内容はきのうA4の紙1枚に要約をして、複写は10枚ほどを荷物に含めた。
ここ数日の天気予報は台風14号の接近をかまびすしく伝えている。しかし神田に降る雨は意外や大人しい。会場は鍛冶町のビルの4階。僕は定刻の15時より5分ほど前に到着をした。
先ずはこの場所に事務所を持つ税理士ワダノリコさんの事例発表。次は僕の発表。最後に経営コンサルタントシオザワタカヨシさんの、決算書の仕分けを見させていただいて、会は20時に完了した。
人見知りの僕でも、勉強仲間となら何時間でも話していられる。神田の居酒屋には何時ころまでいただろう。
外へ出て傘は開いたものの、雨はやはり静かで、風はそよとも吹いていない。スマートフォンが伝えるニュースは、半日ほども目にしていない。あるいは台風は、どこかへ去ってしまったのかも知れない。
朝飯 蓮根の梅肉和え、茄子とピーマンのソテー、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、納豆、生のトマト、なめこのたまり炊、秋刀魚の梅煮、メシ、サニーレタスの味噌汁
昼飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦
晩飯 「やきとんうまか市場まるし」のあれや、これや、それや。チューハイ、それを濃くするための「ナカ」
2020.10.8(木) コロモガヘ
「着ぶくれるくらいなら、薄着で寒さに震えていた方がマシ」という、僕とおなじ性向を持つのが販売主任のハセガワタツヤ君だ。その彼が、きのうは半袖ポロシャツの上に長袖Tシャツを重ね、更には保温と防風の機能を持つベストまで着込んでいたから大いに驚いた。
おなじきのうの夕刻、店内の温度計は20℃を指していた。僕は盛夏と変わらない半袖ポロシャツ1枚の姿で「ちょっと涼しいかなぁ」くらいのところだった。道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の在庫を見に行く際にも、自転車で風を切りながら、何の痛痒も感じなかった。
しかし朝の天気予報によれば、本日、東京の気温は11月下旬のそれと等しいところまで下がるという。東京がそれなら日光は更に寒かろう、そう考えて、今朝はようやく半袖ポロシャツの上に長袖のTシャツを重ねた。
秋、とくれば真っ先に頭に浮かぶのは紅葉だ。しかしSNSに上がった複数の画像を見る限り、それはおなじ日光にありながら、ウチより1,000メートルも高い戦場ヶ原のあたりでようやく始まったばかりだ。
夏と秋の気温の差が大きいほど、紅葉は美しいという。日光の山々は、今年、その定説を実証することができるだろうか。
朝飯 茄子とピーマンのソテー、納豆、目玉焼き、蓮根の梅肉和え、秋刀魚の梅煮、ごぼうのたまり漬、メシ、きのうの鍋の残りによる味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 トマトとレタスと黒オリーブのサラダ、スパゲティミートソース、Petit Chablis Billaud Simon 2016、バナナと泡クリームを添えたチョコレートケーキ、Old Parr(生)
2020.10.7(水) 小学生の会社見学
日光市立今市第二小学校の、会社見学の予定が今日は入っている。このようなときの対応は、ここ数年は長男に任せてきた。しかし彼はこのところ諸事繁忙にて、今回は久しぶりに、僕がその仕事を受け持つことにした。
約束の9時30分がちかくなるころ、子供たちの声が聞こえてくる。それに気づいて事務室から外へ出る。
挨拶、畑の野菜がたまり漬になるまでの図上説明、そこから蔵に入って水神の碑の説明、更に進んだ最奥部で「たまり」の観察、廃水処理施設の説明、蔵の中を店のちかくまで戻ったところで質疑応答、最後に店に入って商品の説明と、ひととおりを見ていただいての所要時間は45分ほどだっただろうか。最後に資料とお土産を手渡すと、彼らは挨拶をして元気に去った。
それにしても、小学生も3年生ともなれば、見聞きしたばかりのことを、整った字で理路整然と紙に書く、そのことには大いに驚かされた。生まれて10年も経てば、子供はここまで成長をするのだ。今日の会社見学が、彼らの心の糧になってくれれば幸いである。
朝飯 菠薐草のおひたし、納豆、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、蓮根の梅肉和え、秋刀魚の梅煮、胡瓜のぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 菠薐草の酢の物、胡瓜のぬか漬け、鮭の日光味噌漬け焼き、豆腐と肉だんごと白菜の鍋、2種の佃煮を散らしたごはん、「明利酒類」の栗焼酎「十三天狗の伝説」(お湯割り)
2020.10.6(火) 経路としては不合理ながら
東武日光線の下今市から上りの特急に乗れば、ほぼ2時間で東京の中心部に達する。大井町は東京の真ん中より西に位置していること、京浜東北線が複数の駅で時間調整を繰り返したことにより、今朝は2時間24分をかけて10時09分に大井町に着いた。そして10時21分にソーマ歯科室の扉を押す。
先月24日の夜に硬い物を噛みつぶして、左下の奥歯の詰め物が一部、欠けた。それを今日は、これまでの金属ではなくレジンで埋めた。次に、こちらはその事故の起きる前から取りかかっていた、右下の奥歯にジルコニアの冠をかぶせるための調整を行う。
治療室に流れる歌の歌詞がいきなり未知の言語に変わったのは、それが、ビル・エバンスの伴奏で歌うモニカ・ゼッタルンドの”Waltz for Debby”だからだ。
ソーマ先生と助手の女の人は、とても丁寧に、時間をかけて、2本の奥歯の治療を行ってくれた。噛み合わせは今日も完璧。そして11時40分に外へ出る。
帰りの経路としては不合理ながら、所用にて本郷三丁目に寄る。そして北千住14:42発の下り特急に乗り、16時すぎに帰社する。
朝飯 冷や奴、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、菠薐草と榎茸のおひたし、ごぼうのたまり漬、胡瓜のぬか漬け、メシ、トマトと小松菜の味噌汁、薩摩芋の練り切り
昼飯 「日乃屋カレー」の日乃屋カレー生玉子(七分盛)、ツナサラダ
晩飯 長芋のサラダ、大根と人参と胡瓜のぬか漬け、菠薐草のおひたし、焼き秋刀魚、大根おろし、揚げ湯波と3種の茸の味噌汁、酒粕焼酎「日高見」(お湯割り)
2020.10.5(月) 続・それを好む理由
「家飲みを好む」と、きのうの日記に書いた。しかしてまた、僕は外で飲んだり食べたりすることも好きだ。人の作ったものが食べたくなれば、そのときには外へ出る。もうひとつ、世間には未知の楽しい人たちがたくさんいる。そのような方々の謦咳に接するには、やはり外へ出ていかなくてはならない。
「むかしナガサキの街の真ん中に競輪場があったの、知ってる?」と、長崎から遠く隔たった池袋の飲み屋で、いきなり話しかけてきた人がいる。「いえ、知りません」と答えて以降の会話は覚えていない。
「可愛いねぇ、新人?」と、北千住の飲み屋でお運びの女の子に声をかけた人がいる。「ケータイ、教えてよ」と食い下がるその常連を横から引き取って「いいですか、1回しか言いませんよ、しっかり覚えてくださいよ」と店長は念を押しつつ「ゼロキューゼロ、以下、省略」と、半笑いで突き放した。
「沖縄には、スモールってのは、ないんですか」
「そりゃ、スコールのことだんべよ」
「あぁ、スモールは煙か」
「煙はスモークだぁ」
とは、我が街の飲み屋で交わされた、常連同士のやりとりである。
明日は東京へ行く。外飲みの予定は今のところ、無い。
朝飯 ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、納豆、生のトマト、すぐき、焼き鮭、メシ、豚モツと玉葱の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 マカロニサラダ、カレーライス、らっきょうのたまり漬、Old Parr(お湯割り)
2020.10.4(日) それを好む理由
2時台に目を覚まし、3時すぎに食堂の灯りを点ける。お茶のためのお湯を沸かし、それを冷ましながら、朝倉さやの「日本漬け」をBOSEの小さなプレイヤーに差し込む。
「へー、16ビートできたか。いや、えっ? やっぱり8ビート?」と、リズムが融通無碍に揺れ動く「やさしさに包まれたなら」を聴けば、このたぐいまれな歌姫が、更に、とても優れた人たちの力を得られていることがわかる。それにしても、自作のサンバを歌う民謡歌手の素晴らしさはどうだ、ただ聴き惚れるばかりだ。
しばしばあることではあるけれど、今日は特に店の混み具合にムラが大きい。忙しいのはたいてい昼どきで、その時間帯は当然、社員の昼食の時間にもかかっているから、更に忙しくなる。今日の昼どき、僕が店に立っていたのは90分間ほどだっただろうか。
それと前後して、ふた組のお客様を蔵見学にご案内する。以降の蔵見学は長男に任せた。午後の食卓には、14時過ぎに隠居から戻る家内のために、小さなおかずふたつを食卓に用意する。
夜、長男の焼いた肉を前に、自分が家飲みを好む理由をつらつら考えてみる。第一は「メシが安くて美味い」、第二は「酒が安くて美味い」。しかし「それを言ってはオシマイ」だろうか。第三の理由は「タバコを吸う人がいない」かも知れない。
朝飯 すぐき、胡瓜と茗荷の酢の物、牛肉のすき焼き風、生玉子、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、ピーマンの味噌汁
昼飯 焼き鮭、梅干、納豆、2種の佃煮、ごぼうのたまり漬によるお茶漬け
晩飯 トマトと人参とレタスのサラダ、玉葱のスープ、マッシュドポテトとブロッコリーのソテーを添えたローストポーク、TIO PEPE、”Bourgogne Aligote Jayer-Gilles 2014″、チョコレートケーキ、Old Parr(生)
2020.10.3(土) どこにいても
昼すぎ、店に張り出した庇の下にいて、いま隠居で食事ができるかと、3人連れのお客様に訊かれる。即、厨房にいる家内に電話を入れる。果たして「汁飯香の店 隠居うわさわ」は満席だった。
13時30分、昼休みのため本店に戻った隠居係のタカハシリツコさんに、店の駐車場で行き会う。彼女によればその時間にはまた、10名の若い方々がいきなりいらっしゃって、大慌てをしていた頃とのことだった。折角のご来店ながら、その10名様にも、お帰りを願うしかなかったことは言うまでもない。
夜、同報メッセンジャーで、11月3日夜の宴会を打診される。宴会は、遠方に住む仲間の来訪予定を受けてのものだった。僕は即、その席に連なる旨の返信をした。更には往復の列車の席の確保、また特に宿の確保は明日にも行うべく本人に伝えるよう、幹事役に頼む。コロナ禍の最中とはいえ、紅葉の時期の連休ともなれば、日光は人で溢れるに違いない。
どれほど前のことだろう、ある秋、チェンマイにいて「行ってみたい料理屋はありますか」と地元の人に訊かれた。僕は「クルアペッ、ドイ、ンガーン」と、慎重に口にしてみた。相手はそれをどうにか聞き取って、スマートフォンに打ち込んだ。そうして予約は完了した。どこにいても、席の確保は必須と僕は考える。
上澤梅太郎商店が運営する朝食専門店「汁飯香の店 隠居うわさわ」は毎週、土、日、月の営業。開店は8時30分、オーダーストップは12時30分、閉店は14時。電話番号は0288-25-5844(日光ごはん良し)。本店の電話番号0288-21-0002(08:30~17:30)なら毎日、ぐるなびなら24時間、ご予約を承れます。
朝飯 モツ煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、冷や奴、細切り沢庵、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 茹で落花生、大根の煮付け、厚焼き玉子、小松菜のおひたし、焼き鮭、豆腐となめこと万能葱の味噌汁、「平孝酒造」の酒粕焼酎「日高見」(お湯割り)
2020.10.2(金) 時間の配分
水もお湯も沁みるようになった右下の奥歯は、10月の6日と13日の、ソーマ歯科室への通院を以て、治療が完了する予定だった。ところが先月24日の夜に、なにか硬いものを噛みつぶして、今度は左下の奥歯に欠損が生じた。よってソーマ歯科室には、本日の14時30分にも予約を入れさせてもらった。
新橋で床屋にかかり、大井町に着くと、時刻は13時15分だった。床屋が予想外に空いていたことが、時間の読みを狂わせたのだ。思いがけず空いた小一時間は、駅ビルの中の喫茶店で本を読むことに充てた。
ソーマ先生によれば、左下の奥歯は詰め物が外れただけで、治療は簡単とのことだった。それよりも、かねてより治療中の右下の奥歯を今日は優先させることとして、先ずは消毒液で口をゆすぐ。
あれやこれやに引き続いて、棒状のカメラで口の中の右下をなぞられていく。するとディスプレイには、次第にその部分の、精巧な立体映像が組み立てられていった。最新の歯科技術では、石膏で型を取るなどは、もはやしないらしい。この映像を歯科技工士に電送すれば、精巧な冠ができてしまうのだ、多分。
ソーマ歯科を出たのは16時02分。京浜東北線は、川崎で発生した事故により不通になっていた。大井町から山手線の各駅へは臨海線で大崎を経由するよう、臨時の案内板に書かれている。それに従って神田、そこから末広町に至る。
午後の時間の読みは、ほぼ正確だった。次男と待ち合わせての夕食は、18時すぎに完了した。そして浅草18時59分の下り特急に乗って、21時前に帰宅をする。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、豆腐の茸と挽き肉の餡かけ、茄子とパプリカの素揚げ、ごぼうのたまり漬、細切り沢庵、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「じゅらく」の秋刀魚の塩焼き定食
晩飯 「鳥陣」のあれや、これや、それや。チューハイ、それを濃くするための「ナカ」