2020.5.1(金) 物々交換
過去に、もっとも異国情緒を感じた場所は香港だ。ハン・スーインの”romanticism”と、全体主義という枷の嵌められていない中国人の、肉体的、精神的活発さの混淆に酔った。
昨年、お客様にいただいた百德食品有限公司の豆板醤が、いよいよ残り少なくなってきた。これを売る九龍醤園は、香港島の中環と上環のあいだ、皇后通り(Queen’s Road)と平行して走る威霊頓街(Wellington St.)から嘉咸街(Graham St.)の急坂を上った右側にある。百德食品有限公司の豆板醤が本物中の本物かどうかは知らない。しかし僕にとっての「最高」は、これしかない。
この「掌中の玉」のような豆板醤を思いがけず落手していくらも経たないある日、先輩のヤナセヨシヒコさんが旺角のホテルに滞在していることをfacebookで知った。コメントを送ると「香港で買うべき土産は何か」と訊かれた。すかさず僕は「利工民のシャツと百德食品有限公司の豆板醤」と答えた。
ねだったわけではなかったけれど、ヤナセさんは九龍半島の南端からフェリーボートで香港島に渡り、その豆板醤と辣油を買った。そしてそれをザックに入れ、空港へ向かった。
ヤナセさんは若いころ、台湾東岸の海でサーフィンをしていて官憲に捕まったことがある。1980年代はじめの台湾には、至るところに「スパイがいたら報せましょう」というポスターが貼られていた。「スパイ」は中国語で「萬惡的匪諜」と書かれていた。
ヤナセさんはまた、タイから急に思い立ってシエムリアップへ飛び、カンボジアの担当官に「ビザはどうした」と訊かれて「それが必要とは知りませんでした」と、やらかしたこともある。「今回ばかりは見逃すが、出国の際には絶対に陸路は選ぶな」と言われながら、ポイペトからアランヤプラテートにバスで戻った。それで無事に済むところがヤナセさんの不思議である。
ヤナセさんは、東京と香港の往復にLCCを用いていた。荷物は機内持込のザックのみ。そして豆板醤は、香港国際空港の保安検査場で没収をされてしまった。
「なぜ自分で買いに行かないか」と問われれば、豆板醤を手に入れるためだけに香港へは行けない。「オマエが美味いと言うラオカーオ”BANGYIKHAN”と百德食品有限公司の豆板醤を交換しようではないか」という奇特な人はいないだろうか。いれば何本でも、僕は”BANGYIKHAN”をタイから日本に運ぶ。もちろん、世界がコロナ危機を脱してからのことになるけれど。
朝飯 鰹節を薬味にした納豆、茄子の炒りつけ、ハムエッグ、牛蒡と人参のきんぴら、トマトとベイジルのサラダ、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツとズッキーニと若布の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当
晩飯 三品盆、冷や奴、水餃子、紅星二鍋酒(生)