2020.1.21(火) 新聞を取りに行く
年の末の迫りつつある昨月23日、下野新聞政経部のイトーカツユキ記者による取材を受けた。対象は、味噌蔵のある庭に建つ隠居を用い、3月下旬に開業する「汁飯香の店 いんきょ上澤」について、だった。それがいよいよ紙面に載ると、きのう電話で知らされた。
今朝は5時前に目が覚めた。真っ先に頭に浮かんだのは、きのう受けた連絡のことだった。即、着替えて食堂に出て湯を沸かす。沸いた湯を湯飲みで冷ますあいだに1階へ降りる。通用口を開くと、漆黒の空は晴れているものの、強く風が吹いていた。新聞は既にして配達をされていた。それを新聞受けから抜き取り、4階の食堂へと戻る。
その新聞を、第1面から開いていく。第9面にあった、カラー写真を伴った記事は、主に長男が説明させていただいたことを正確に伝えるものだった。とても有り難い。そう感謝すると共に、この事業はかならず成功させなければならないと、心を引き締める。
閉店後は鬼怒川温泉の旅館へ移動し、第39回日光MGの前夜祭に連なる。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、納豆、茹でたブロッコリー、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、なめこのたまり炊によるフワトロ玉子、白菜漬け、ふきのたまり漬、メシ、大根とパセリの味噌汁
昼飯 長葱の熱い汁で食べるざるうどん
晩飯 「湯けむりまごころの宿一心舘」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、他あれこれ、「片山酒造」の純米大吟醸「久太郎」(冷や)
2020.1.20(月) 安すぎて買えない
栃木県味噌工業協同組合の新年会は、毎年、茨城県の海沿いに一泊して開かれる。茨城県の海沿いということは決まっているものの、泊まる場所はいつも変わる。今回の宿は那珂湊に近かった。そういう次第にて、帰りは参加者全員で「那珂湊おさかな市場」に立ち寄る。
いまだ時間が早いゆえか、最初の4時間までは100円の駐車場に、観光客のクルマはほとんど無かった。フォークリフトが、ディーゼルエンジンの轟音と共に、大量の氷を運んでいる。市場の人たちは、店の前に商品を並べる仕事に専念をしている。その、並べられた品を見ていく。
魚は刺身よりも、煮たり焼いたり締めたり漬けたりしたものが好きだ。金目鯛やキンキ、鯵や鯖や鰯に目がいく。金目鯛は大きくて、今夜のウチの人員では食べきれない。キンキは小さなものに1尾2,000円の値が付いていて、僕の懐具合には似合わない。鯵や鯖や鰯は、ひと盛りが400円とか500円で、値段は魅力的ながら、量が多すぎる。結局は大きな蛤12個を1,800円で求めて帰路に着く。
その蛤を、僕はグラタンにしたかったものの、孫は何が何でもスパゲティだ。孫の意見に従ったことは、言うまでもない。
朝飯 「リゾート大洗まつもと」の朝のお膳
昼飯 ラーメン
晩飯 茹でたブロッコリー、3種のキノコのにんにく炒め、レタスとハムと黒オリーブのサラダ、蛤のスパゲティ、TIO PEPE、Petit Chablis Billaud Simon 2016、チーズスティック、チョコレート、チーズ、Old Parr(生)
2020.1.19(日) 鮟鱇鍋も人間も
幻想小説、というものが苦手だ。内田百閒のそれは、最後まで読み通せた試しがない。稲垣足穂は開いてすぐに閉じた。ガルシア・マルケスの「エレンディラ」は、どうにか読めた。とはいえ耐えに耐えつつようやく最後のページに至っただけで、正確には、読めたの範疇には入らない。
もうひとつ、どうにも読めないのが、地中海の海沿いに展開する物語だ。書き手がル・カレであれ池田満寿夫であれ、それは変わらない。そして、その理由については分からない。
栃木県味噌工業協同組合の新年会は、毎年、茨城県の海沿いに一泊して開かれる。地中海の海沿いを舞台にした小説は読めなくても、茨城県の海沿いで食べる鮟鱇鍋、特に肝を溶かし込んだどぶ汁は美味い。鮟鱇は、肝や胃袋、卵巣や皮、ヒレの付け根のあたりが好きだ。
そのどぶ汁の、肉などには目もくれず、好きな部分のみ拾いつつ燗酒を飲む。ふと「鮟鱇鍋も人間も、グロテスクな部分が面白い」という、箴言めいたことが頭に浮かぶ。しかし即「人間については、面白いじゃ済まねぇわな」と、考えを改める。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、納豆、油揚げと蕪の葉とじゃこの炒り煮、茹でたブロッコリー、白菜漬け、らっきょうのたまり漬、メシ、トマトと榎茸と茎若布の味噌汁
昼飯 蕎麦
晩飯 「リゾート大洗まつもと」の鮟鱇のフライ、鮟鱇のどぶ汁、他あれこれ、日本酒(燗)
2020.1.18(土) 高等遊民でもないかぎり
むかし、海外ではじめての街に入った晩は、からだは疲れているものの、そして寝不足ではあるものの、神経が高ぶっているらしく、なかなか眠れなかった。あの身の置きどころの無さや焦燥感は、いまでもありありと思い出すことができる。
きのうの夜からずっと眠れずにいるのは、神経の興奮によるものではない。よって不快感は皆無だ。それでも、いつまで眠れなくては困る。「眠れなくてもいいじゃない、そのうち眠れるんだから」とオフクロは言った。しかし高等遊民でもないかぎり、睡眠時間の規則性は、ある程度は保たれるべきだ。
明け方にようやく1、2時間ほども眠って6時に起床する。
年末にくらべて時はゆっくりと流れている。とはいえ事務机の左手にかけたカレンダーは、ほぼ毎日、予定で埋まっている。あちらこちらに電話を入れる。複数の社員とあれこれについてすり合わせをする。この春から移動をする社員には辞令を手渡す。そして夜はほどほどに飲酒活動をして、早々に寝る。
朝飯 油揚げと蕪の葉とじゃこの炒り煮、納豆、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、白菜漬け、らっきょうのたまり漬、ふきのたまり漬、メシ、榎茸と長葱の味噌汁
昼飯 蕎麦
晩飯 トマトとレタスとチーズのサラダ、3種のパン、人参のなますとブロッコリーの鉄板焼きを添えた鶏肉とマカロニのグラタン、Petit Chablis Billaud Simon 2016、“Mr.CHEESECAKE”のチーズケーキ、Old Parr(生)
2020.1.17(金) 急ぐ旅でもない
所用にて新橋へ行く。床屋にかかり、人と会う。用事はそれくらいだから、急ぐ旅でもない。案の定、すべきことはすぐに済んでしまった。
オヤジは酒を飲まかった。よって夕刻に東京に出て、夕食も摂らずに帰宅して平気だった。僕は、そういうわけにはいかない。夜までの時間はどうしようか。
僕が時間をつぶせるのは、本屋か登山用品屋くらいしかない。桜田小学校の跡地の向こうにTSUTAYAがある。そちらへ向かいかけて、足を止める。TUTAYAなら、北千住の駅の中にもあるではないか。iPhoneを取り出し、もっとも合理的な経路を探す。その乗り換え案内に促されてJR新橋駅の、2番線プラットフォームに立つ。そこではじめて、北千住のTSUTAYAは、JRではなく東武線の構内にあったことに気づく。
新橋から乗った上野東京ラインを、乗り換えのため上野で降りる。コンコースに上がると、幸いなことにbook expressがあった。ここであれこれと本を眺め、時には書架から引き出して、開いてみたりする。その本屋のちかくにANGERS bureauという洒落た文房具屋のあることに気づき、ここでもあれやこれや手に取って見る。KAILIという会社のポーチが目に留まる。質感も意匠も、とても良い。物欲が勃興する。しかし買わない。僕はこの手のものを持ちすぎている。
頃合いを見計らって、常磐線のプラットフォームに降りる。北千住に着くころ、空はようやく暮れかかる。飲み屋横丁を行き来する人は、それほど多くない。金曜日ではあるものの、時間が早すぎるせいかも知れない。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、油揚げと蕪の葉とじゃこの炒り煮、生玉子、たぐり湯波の淡味炊き、らっきょうのたまり漬、しその実のたまり漬、メシ、菠薐草の味噌汁
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれや、これや、それや、チューハイ
2020.1.16(木) それが義務になると
「日記、よく続きますね」と人に感心をされることがしばしばある。そのたび「趣味ですから」と答えている。「それにしても、20年も…」と更に問われれば、続く秘訣のようなものがないわけでもないことを伝える。それはすなわち針小棒大であり、牽強付会であり、我田引水である。
日記を書こうと強く決意して、しかし続かない人がいる。「儲かるウェブログ教室」というようなセミナーを受けても、その研修仲間と励まし合っても、書くことが義務になると、日記は続かない。
吉田兼好は、それで利を得ようとするでもなく、人の役に立てば幸いなどと考えるでもなく、ただの暇つぶしとして、身辺雑記、見聞きしたこと、また当時の逸話を書いた。アレン・ギンズバーグの「インド日記」は、ほとんど散文だ。
暇つぶしであれば、そこに義務の生ずる隙はない。散文も、義務に襟首を引きずられて書くものではない。「食べていくすべ」以外のことは特に、それが義務になった瞬間から、続きづらいものになるのだ。
朝飯 煮卵、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、たぐり湯波の淡味炊き、白菜漬け、らっきょうのたまり漬、ふきのたまり漬、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「やぶ定」のあれや、これや、他あれこれ、5種の日本酒(冷や)
2020.1.15(水) 水神祭
蔵には水神が祀られている。その石の碑がいつからあるのかは知らない。昭和30年代、つまり僕が子供のころ、それは蔵を横断する西裏用水の西20メートルほどのところに安置をされ、ちかくには醤油瓶の洗浄機があった。日光街道と日光宇都宮道路を繋ぐ道路の開削により蔵が新築をされた1976年には、そこから南に20メートルほどのところに移され、現在に至っている。
戦前の写真によれば、この水神のお祭の、多分、夜のことと思われる、隠居の6畳間におじいちゃんや主だった社員が集まり、芸者を呼んで宴会をしている。また、十数年前までの、瀧尾神社の先代タナカキヨシ宮司の時代には、水神祭は1月15日に行われ、その晩は会社の新年会と決まっていた。
オヤジが亡くなり、タナカキヨシ宮司も亡くなって以降は、現在のタナカノリフミ宮司の案により、水神祭は多く、1月の「みずのえ」とか「みずのと」の日に行われるようになった。今は新年会と日を合わせることもない。その水神祭が、今年はどのような理由によるものか、ふたたび旧に復して本日15日に催行されることになった。
水神の碑およびそのまわりは昨月28日に製造係の面々が水で洗ってくれた。供物を置く台も、早々と用意をしてくれた。供物は長男が用意をしてくれた。僕が現場に整えたのは、ロウソクとマッチのみである。
タカナノリフミ宮司は8時20分に来てくれた。そして僕、長男、嫁、孫、社内各部署からひとりずつの社員が参加をして、今年も無事に、水神祭の催行に至る。
朝飯 油揚げと蕪の葉とじゃこの炒り煮、たぐり湯波の淡味炊き、揚げ玉を薬味にした冷や奴、納豆、切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、ふきのたまり漬、メシ、トマトと若布と長葱の味噌汁
昼飯 長葱の熱い汁で食べるざるうどん
晩飯 厚焼き玉子、巻湯波の炊き物、なめこと長葱と豚三枚肉の鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、「鶴屋安芸」の利休饅頭、Old Parr(生)
2020.1.14(火) 面白いといえば面白い
ウチから数十メートルほども南東にあるカトー床屋の前には、むかし「標高400メートル」の看板があった。ウチから数百メートルほども北西にある今市小学校の校庭は、むかし「標高405メートル」と教えられた記憶がある。日光市今市の旧市街をつらぬく日光街道は、目には見えないながらも、実は結構な坂になっている。数百メートルを隔てた両者の標高差がわずか5メートルとは信じがたい。
それはさておき、とにかく標高400メートル内外にある街に、きのう雪は降らなかった。ところが今朝になって外を見てみれば、それほど遠くない里山はほとんど、白いものに覆われていた。山や海、谷や川にちかいところでは、ほんの目と鼻の先にもかかわらず天気の異なることがある。ときにはその激変ぶりに戸惑いを覚えたりする。しかし面白いといえば面白い。
日曜日の夜に家内を駅まで送った。大体の行き先は聞いていたものの、使う飛行機の便名やホテルの名は知らない。終業後は4階に上がり、肴の準備をする。ひとりの夜というものも、なかなかに楽しい。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、納豆、たぐり湯波の淡味炊き、塩鮭、油揚げと蕪の葉とじゃこの炒り煮、白菜漬け、らっきょうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 切り昆布と豚三枚肉の炒り煮、たぐり湯波の淡味炊き、冷やしトマト、煮卵、白菜漬け、煮込み、麦焼酎「安心院蔵」(お湯割り)
2020.1.13(月) 空は晴れている
年末にくらべれば「ひねもすのたりのたり」の気分だ。昼を過ぎてものんびりしていたところに「らっきょうが売り切れそうです」と、販売主任のハセガワタツヤ君が言いに来る。
お客様には常に新鮮な商品のみをご提供するため、作り置きはしない。製造計画が針の穴を通すように決まると、とても気持ちが良い。一方、今日のようなことも、たまには起きる。
ハセガワタツヤ君を伴って製造現場へ行く。そして部署の皆と共に什器を洗っていた包装主任のヤマダカオリさんに、らっきょうのたまり漬の、これからの袋詰めを要請する。「きれいにしちゃおうって、きのう言ったじゃないですか」とヤマダさんには軽く責められた。しかし「きれいにしちゃおう」と売り切れとは、また話が別である。
明日の製造計画のこともあって、16時前に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」まで在庫を見に行く。ホンダフィットを降りながら、雨のまばらに降り始めたことを知る。雪の少ない冬だという。
夕刻、道は雨に濡れているものの、空は晴れている。冬の雨は好きだ。
朝飯 モツ煮、巻湯波の淡味炊き、白菜漬け、らっきょうのたまり漬、メシ
昼飯 芹の熱いつゆで食べる冷たいざるうどん
晩飯 大豆とにんにくとブロッコリーのスープ、レタスと揚げ牛蒡のサラダ、ジャガイモのオムレツ、鮪のステーキ、浅蜊とトマトのスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、洋梨のクランブル、Old Parr(生)
2020.1.12(日) 夕刻からは
目覚ましに促されて目を覚ますことは、1年のうちでも数えるほどしかない。しかし非常時に備えて設定だけはしておく。今朝は6時に、その音により目を覚ました。大酒を飲めば眠りは深くなって睡眠時間は短くて済む、ということでもないらしい。
それにしても、3時に起きると6時に目を覚ますとでは、その差は大きい。3時に起きれば、きのうの日記を書き今日の日記を書き、その勢いに乗じて明日の日記の途中までも書き、更には製造現場に降りて仕事までできる。やはり酒の量は、ほどほどにしなければならない。
朝の白粥は美味かった。ところが昼が近づくに連れて二日酔いの症状が強まり、何かを食べようとする意欲が湧かない。食欲が無いとは「食べない方が身のため」というからだからの信号と思っているから昼食は抜く。問題は夕食である。
夕食は穴子のちらし鮨だという。鮨なら日本酒、ではないか。幸いにも夕刻からは体調が回復をしてきた。そういう次第にて、夜は冷えた日本酒を1合半ほども飲む。
朝飯 白粥、白菜漬け、胡瓜と人参のぬか漬け、たまり漬「七種刻み合わせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬、塩鮭
晩飯 田作り、巻湯波の淡味炊き、白菜のたまり浅漬け、穴子のちらし鮨、「片山酒造」の純米大吟醸「初代久太郎」(冷や)