2019.12.21(土) 味噌汁は大抵、つねに美味い
3時台に目を覚まし、4時になりかかるころ起床する。この「得した感、満載」の朝の時間が維持されて何日になるだろう。僕はいわゆる目覚ましを使わないから、何時に目が覚めるかは運任せのところがある。
とにかく、早く目が覚めれば一昨日の日記の「公開」ボタンをクリックし、文字のみのきのうの日記に画像を加え、今日の日記も書き上げ、その余勢を駆って、明日の日記の途中までも、こうして書いている。それが一段落したところでいまだ真っ暗な製造現場へ降りて軽く仕事をし、その上、味噌汁の準備までできようというものだ。
冷蔵庫には地元産の菠薐草があった。袋から取り出すと、茎の付け根に泥が目立つ。それを水で軽く流してから根のちかくを切り落とし、更に入念に洗う。葉の一部は格好悪く縮れている。別のところには黒く紡錘形のヒルが貼り付いている。それを摘んで指先で潰そうとしても、まるで菓子のグミのように潰れない。その、エイリアンのような生物を相手に遊ぶことは遂に諦めて、流しの隅に捨てる。
「農薬の使用は、姿が良く【清潔】な野菜を求める消費者にも責任の一端はある」と書いたのは、誰だっただろう。
今朝の味噌汁も、いつに変わらず、大層、美味かった。
朝飯 コールスロー、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、秋刀魚の山椒煮、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と菠薐草の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、ポークカツレツ、ドライマーティニ、TIO PEPE
2019.12.20(金) 記憶に残る物語
アリは夏の暑い日にも、冬に備えて、せっせと仕事をしました。その横でキリギリスは、歌を歌って遊んでいました。やがて厳しい冬が来ました。アリは夏に蓄えたたくさんのごちそうを食べながら、楽しく暮らしていました。キリギリスはそのころ、ハワイで遊んでいました。
これは僕の好きな落語のまくらで、笑わせてくれたのは錦糸町の師匠こと三遊亭楽太郎あらため三遊亭圓楽だ。
「バブルのころ遊んでた社長、いまひとりも残ってませんからね」と、現在、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の「船村徹記念館」の建つあたりにあった優れた居酒屋「市之蔵」で、コバヤシハルオ元本酒会員は語った。「寂しいねー、バブルのころ遊んでて、今は更に盛ってる社長って、いないの」と、僕は答えたような気がする。
「破滅型で面白い芸人なんていない。いても長続きはしない。安定して面白いのはアスリート型の芸人だけ」とは長男の言うことだ。破滅型でありながら売れに売れた芸人は、今や永六輔や小沢昭一の著作の中にしか存在しないということか。これまた「寂しいねー」と嘆かざるを得ない。
僕に備わっているアスリート的性向といえば、早寝早起きくらいだろうか。まったく無いよりはマシだろうけれど。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、鰹節を薬味にした冷や奴の「朝露」がけ、納豆、ごぼうのたまり漬、ほぐし塩鮭、メシ、揚げ湯波と胡瓜の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 ビーツとキャベツのスープ、「進々堂」のパン、洋風総菜あれこれ、ウォッカマーティニ、TIO PEPE、Petit Chablis Billaud Simon 2016、チーズ、Old Parr(生)
2019.12.19(木) インフルエンザ
年に何度かご来店くださるお医者さんと、先月、立ち話をさせていただいた。その世間話の中で「私はインフルエンザの予防注射は一度も受けたことがない」と、先生はニコニコ笑いながらおっしゃった。専門からして、先生はインフルエンザのウイルスの濃く漂う環境で仕事をされているに違いない。注射より強力な予防法については聞き漏らした。
「インフルエンザ」で小遣い帳を検索すると、僕はその予防注射を、2007、2008、2010、2014、2015の各年に受けている。つまり毎年は受けていない。そしてインフルエンザに罹ったことは、生まれてこのかた一度も無い。早朝に起きて3、4杯ほども飲む緑茶、汁飯香の揃った朝食、手指への頻繁なアルコール消毒が効いているのだろうか。
「子供がインフルエンザに罹ったので休みます」とか「子供が熱を出しました。もしインフルエンザなら、会社には行けません」と連絡してくる社員が一昨日あたりから出てきた。
熱に苦しんでいる子供には、早く回復して欲しい。子供は笑いながら好きなものを食べているのが一番である。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、納豆、トマトのソテーを添えた目玉焼き、なめこのたまり炊、大根の千枚漬け風、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 きりたんぽ鍋、胡瓜のぬか漬けと大根の麹漬け、「福禄寿酒造」の「一白水成premium」(冷や)、2種の団子、豆大福、Old Parr(生)
2019.12.18(水) 門松
9時、宇都宮のイケダ竹店から門松が届く。「世間的におかしくない、できるだけ早い日」と頼んだのは僕だ。
「いかにも早すぎるよー、門松はクリスマス過ぎでしょう」と家内は僕に軽く抗議をした。「そんなの知らねぇ」である。本職が「おかしくない」と判断をしたのだから、それで良いのだ。第一、できるだけ長く飾った方が、1日あたりの単価が下がって嬉しいではないか。お客様の正月気分も盛り上がろうというものだ。
門松の支払いを済ませ、ホンダフィットで宇都宮へ向かう。そして今年のはじめから通い始めたカイロプラクティックで、41回目の治療を受ける。鎮痛剤の服用が欠かせなかった右の背筋痛は、ほぼ100パーセント消えた。左肩の痛みは「ほぼ」ではなく、100パーセント消えた。右膝に悪さをしているらしい、右太股のこわばりに対する荒療治は、今日も行われた。次の予約を来年の1月8日に入れて、会社に戻る。
年末には必ず調子を崩していた家内も、このカイロプラクティックのお陰で今年は元気にしている。多いにありがたい。
朝飯 切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、納豆、ほうれん草のソテーを添えた目玉焼き、ごぼうのたまり漬、大根の千枚漬け風、ほぐし塩鮭、メシ、長葱の味噌汁
昼飯 「CoCo壱番屋」のポークカレー、野菜サラダ
晩飯 “Parrot”のチキンカントリー、evodia
2019.12.17(火) 料理用の酒
晩に飲むためのワインをきのうワイン蔵に取りに行った。扉を開けると中は暖かかった。設定している10℃を気温が下まわってきたのだ。即、その電源を落とす。暑さ寒さも彼岸まで。とすれば改めて電源を入れるのは、来年の3月になるだろう。
ワインは白い方を飲むことが多い。それはとりもなおさず、ウチでは牛肉や羊肉をあまり食べないことによる。洋食は、炭水化物や豚肉や鶏肉によるそれが多くテーブルには並ぶ。いきおい、赤い方は棚に横たわったまま古くなっていく。
赤ワインを長く横にしておくと、やがて澱が溜まる。飲むときには、その澱を瓶の底に沈める必要がある。ところが夕食のおかずは大抵、急に決まる。「夜はステーキ」と聞いてから瓶を立てても、澱は底に沈まない。よってきのうは数本の赤ワインを棚から降ろして床に立てた。次の牛肉または羊肉はいつになるだろう。
夕刻、料理用の酒を切らしたから何か見つくろってくるよう、家内に言われる。ワイン蔵へ行くと、日本酒は飲みさしの1本があるのみで、しかもそれは、料理に使っては勿体ないものだった。その1本を提げて食堂に戻り、しかし家内には手渡さず、取りあえずはグラスに注ぐ。
朝飯 納豆、人参とピーマンのソテー、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、マカロニサラダ、ごぼうのたまり漬、メシ、小松菜の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 刺身湯波の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、薩摩芋の天ぷら、なめこおろし、豆腐と湯波と茸の鍋、大根と胡瓜のぬか漬け、「福禄寿酒造」の「一白水成premium」(冷や)、羊羹、Old Parr(生)
2019.12.16(月) うどんばかりを食べるわけ
このところ昼には家でうどんばかりを食べている。10月は昼に18回も外食をしたにもかかわらず、だ。
11月のはじめ、家の食料品置き場に乾麺を見つけた。以降、同月の8日より、先ずはラーメンの乾麺、続いてうどんの乾麺を煮て食べ続けている。10月の外食の多さに「流石にまずいだろう」と感じたからだ。とはいえ外食が多いとなぜ「流石にまずい」のか、についてはよく分からない。
「オレがヤクザとゴルフしたからって、誰が困るってんだよ」とは、吉田豪が小林旭から引き出した言葉だ。月に18回の昼の外食に後ろめたさを覚えるとは、いかにも小市民らしい。
ところで12月の中日は、ウチでは昔から賞与の支給日と決まっている。102歳まで生きたおばあちゃんには、その晩年に「今月は社員への支払いが2回、あるんだよ、大丈夫かい」と注意を喚起されたことがある。見上げた経営者ぶりである。
そういう次第にて4階の応接間に、先ずはフクダナオブミ製造顧問を呼ぶ。それを振り出しとして、ひとりひとりと面談をしながら賞与の明細を手渡していく。しかし師走には他の用事も少なくない。この仕事には、いまだ数日を要するだろう。
朝飯 人参とピーマンのソテー、マカロニサラダ、納豆、菠薐草のおひたし、なめこのたまり炊、メシ、豆腐と若布の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 マカロニサラダ、TIO PEPE、紅白なますと茹でたブロッコリーと2種のたまり漬によるソースを添えたビーフステーキ、Triennes Reserve 1996、煮林檎、Old Parr(生)
2019.12.15(日) 着たばかりのダウンベストを脱ぐ
冬至まで1週間に迫った現在、東の空が美しい色を帯びるのは、6時15分を過ぎたころだ。「ロクジジューゴフン」と頭の中で反芻しながら、その遅さにしばし信じられない思いを覚える。夏には、空は3時台から明るくなり始めるのだ。先日「一年中クリスマスなら良いのに」と、facebookにコメントを上げた人がいた。僕に言わせれば「一年中、夏至の前日なら良いのに」である。
ほぼ赤道の真下にあるシンガポールでは、一年中、日の出と日の入りの時間が一定している。便利で良かろうと思う。しかしある種の面白みは、その一定さにより失われているような気もする。いっそ白夜を持つ国へ行けば季節の差による面白みは日本のそれより増すかといえば、それは分からない。
「重ね着を嫌う僕も、来春までは、これが手放せなくなるだろう」と、きのうの日記に書いたばかりのダウンベストを事務室に脱ぎ捨てて、ふたたび店に急ぐ。日曜日にはお客様が多く来てくださること、販売係のタカハシリツコさんが今日は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の催しに試食販売員として出かけていること、家内は事務室で年末ギフトの伝票処理に追われていること、その他もろもろあって、大変に忙しいのだ。
特に11時から13時30分までは、キャッシュレジスターに溜まる「これをお釣りに使ったらお客様に失礼でしょう」と思われる傷んだ紙幣をまともなそれに交換することもままならない忙しさだった。
夜は、いつもよりすこし大きめのグラスでドライシェリーを飲む。
朝飯 人参とピーマンのソテー、油揚げと蕪の葉の炒り煮、納豆、油揚げと小松菜の炊き合わせ、切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、菠薐草のおひたし、しその実のたまり漬、メシ、揚げ湯波と大根の葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 刻みキャベツとマカロニサラダを添えた牡蠣フライ、TIO PEPE、Petit Chablis Billaud Simon 2016、羊羹、Old Parr(生)
2019.12.14(土) どうしても見つけられない歌
むかし同級生のヨネイテツロー君と、銀座のホテルで待ち合わせたことがある。エレベータを降りて廊下を歩いて行くと、やがて、はた迷惑な大音響が聞こえてきた。ヨネイ君が先に着いていることは、その音で分かった。ヨネイ君はホテルの便せんをロート状に巻いて簡易の拡声装置とし、それを、CDプレイヤーから延びたイヤフォンの先に取り付けていたのだ。ヨネイ君の息子は、泳ぐときもゴーグルのベルトにiPhoneをはさみ、音楽を聴いているという。
ヨネイ父子のように、のべつまくなしに音楽を聴く趣味は、僕には無い。しかしきのうの集まりの福引きで当たったスピーカーには興味を惹かれた。今朝は早速、それをコンピュータに繋いでみる。
「俺の話を聞け」と、横山剣が唸っている。「誰の言うことも聞くな」と、竹原ピストルが叫び、ささやいている。ウェブ上に見つけようとして、どうしても見つけられないのは、石井敦子の”Mas que nada”と青山テルマの”LA・LA・LA LOVE SONG”だ。
これまで我慢を続けて来たが、午後より遂に、ダウンベストを着る。流石に暖かい。重ね着を嫌う僕も、来春までは、これが手放せなくなるだろう。
朝飯 菠薐草のおひたし、納豆、切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、油揚げと蕪の葉の炒り煮、しその実のたまり漬、人参とピーマンのソテー、メシ、きのうの天ぷらの残りを具にした味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 蕪とキャベツのスープ、ウィンナーソーセージのパイ包み焼き、レタスと人参のサラダ、グリーンアスパラガスのソテー、鶏とマカロニのグラタン、TIO PEPE、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.12.13(金) イサーンを目指して
航空券はいつも、宇都宮の馴染みの旅行社にメールで注文する。早くに頼めば、格安航空券で有名な会社より安く買える。
羽田とバンコクを往復する深夜便は、最後尾にできるだけ近い通路側の席を指定する。バンコクと東北部を往復する朝の便は、窓側の席を指定する。誰にでも経済観念というものがある。僕は、エコノミー席以外は選ぶ気がしない。大幅な遅延や欠航は避けたいから、格安航空会社は使わない。
ホテルは、交通の便の良いこと、wifiが飛んでいること、スイミングプールがあること、この3つの条件を満たしていれば、他に多くは望まない。
東北部のホテルはagodaを通じて予約をした。1泊3,589円と表示のある部屋に4泊。注文確定ボタンをクリックすると、18,460円の合計金額が現れた。18,460円÷4泊=4,615円。最初の値段が決済時には3割ちかく高くなる、このあたりがagodaの不思議である。
バンコクのホテルは楽天トラベルから予約をした。表示は1泊5,702円。注文確定後の合計金額は23,074円。23,074円÷4泊=5,769円。4泊目がなぜかすこし高くなっていたが、agodaに較べれば限りなく正札に近い。
来年の3月1日までは、ほぼ無休で仕事、である。
朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、油揚げと蕪の葉の炒り煮、「しその実のたまり漬」と鰹節を薬味にした冷や奴、油揚げと小松菜の炊き合わせ、大根のぬか漬け、メシ、トマトと若布の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 「玄蕎麦河童」の酒肴盛り合わせ、だし巻き玉子、ポテトサラダを添えた豚のスペアリブ、天ぷらの盛り合わせ、鴨南蛮蕎麦、焼き林檎とアイスクリーム、7種の日本酒(冷や)
2019.12.12(木) 忘年会スルー
朝、テレビのニュースを見ながら「忘年会スルー」という言葉のあることを知る。自分が忘年会に出ないことを周囲、あるいは不特定多数に示すため、これにハッシュタグを付けてSNSに上げることさえ流行っているという。
気持ちは分かる。気持ちは分かるけれど、僕には忘年会を忌避する気持ちは無い。ひとつは、その忘年会を避けたくなるような組織にはハナから属さないからだ。もうひとつ、集まりに出たくなくなるような組織に属さざるを得なかった場合には、その組織を楽しく苦の無い方向に変えてきたからだ。
「忘年会スルー」にハッシュタグを付けてSNSに上げる人には、年末に限らず、気の進まない集まりはたくさんあるだろう。その組織は好きでも、本来の活動から離れた、例えば飲み会などは好まない、ということもある。更には、出たい、出たくないには、他の要素も絡む。
僕は、いわゆる二次会を好まない。集まりは早々に切り上げて早々に帰るべし。もうひとつ、海外にいるときには、日本料理屋で開かれる集まりには出ない。「集まりの意義は、人と顔を合わせ、言葉を交わすところにあって、何を飲み食いするかは関係ない」と家内は言う。ところが僕には「何が悲しくて」という気持ちが先に立ってしまうのだ。その気持ちに無理を強いて参加をして、体調を崩したこともある。
ことしの僕に、忘年会はふたつ。ひとつは5日に完了した。もうひとつは22日。どちらも好き好んで行く集まりである。
朝飯 生玉子、白菜漬け、ごぼうのたまり漬、きのう「炉心庵」から持ち帰った茸と秋刀魚の炊き込みごはん、小松菜の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 小松菜と油揚げの炊き合わせ、ポテトサラダ、筑前煮、うずら豆の蜜煮、ごぼうのたまり漬、豚の味噌漬けとトマトのソテー、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、アップルパイ、Old Parr(生)