2019.12.31(火) こぎ着けた
3時台に目の覚めたことを奇貨として、4時20分より仏壇の掃除に取りかかる。早寝早起きの習慣は、僕に大きな果実をもたらしてくれる。きのうの夜に段取りをしていたこともあって、掃除は20分ほどで完了した。
7時30分より道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場の掃除と検品、そこから戻って8時より朝礼。それが済んだところで霧降高原にある「グルマンズ和牛」まで正月用のすき焼き肉を取りに行くよう家内に頼まれる。同級生のサカイマサキ君は、この店のステーキを食べてみたいと言いながら亡くなってしまった。
「したいと考えていることは、すぐ実行に移すべし」というような格言を我々が飽きるほど目に、耳にするのは、言うほど簡単ではない現実があるからだと思う。
「日光の美味七選」をお買い上げくださったお客様の、おひとりおひとりへ向けて、午前のうちにメールをお送りする。その内容は「何かあったらご連絡ください」と、僕の携帯電話番号をお知らせするものだ。本日、ウェブ上で荷物の追跡をする係は事務係のツブクユキさん。昨年、大晦日にこれの配達されなかったお客様へは、今年の荷物は早々に到着していた。
年明けへ向けて、社員のひとりひとりが黙々と仕事をしている。本日の、お客様用手洗いの掃除は朝と夕方の2回。18時の終業時間が過ぎたところで、帰宅する社員たちと年末の挨拶を交わす。
18時15分、ホンダフィットに必要なものを積み込み、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ向かう。駐車場には既にして長男が乗り入れた三菱デリカが駐まっていた。それから小一時間ほどもかけて、正月用の売場の準備を行う。
夕食の席に着いたときには「今年もようやくここまでこぎ着けた」との思いを強くした。そして冷えた日本酒を飲む。
朝飯 細切り人参の炒り煮、納豆、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁、「グルマンズ和牛」のメンチカツドッグ、胡瓜のピクルス、コンソメスープ
昼飯 きのうのキムチ鍋の残りとバンコクで買った長寿麺の組み合わせ
晩飯 鴨鍋、千枚漬けの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」かけ、「太郎わさび苑」の生山葵を添えた「三たてそば長畑庵」の盛り蕎麦、「松瀬酒造」の「松の司特別純米酒」(冷や)、「久埜」の大福、TIO PEPE
2019.12.30(月) 「日光の美味七選」の出荷
正月の柱飾りや輪飾り、また総鎮守瀧尾神社から届いた幣束などは、主に社員の手により28日に諸方に掛けられた。今日は僕が銀行へ行くなどの雑事をこなしているあいだに、鏡餅が社内、家の中、更には隠居に至るまで飾られた。多いにありがたい。
昼食は、午前のうちに買っておいたおむすびで簡単に済ます。
荷造り場には、12月1日の朝9時から11時30分のあいだに予約の埋まった「日光の美味七選」を形づくる品々が並んでいる。そのうちの、たとえば蕎麦は、漏れても困らないようつゆの瓶を袋に入れ、更に蕎麦と共に袋に納める、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」は緩衝のための網で包んでレシピを付ける、らっきょうとごぼうの各たまり漬はまとめて袋に入れるなどの「下ごしらえ」に取りかかる。
「日光の美味七選」の荷造りは、これを始めたころより大幅に能率を上げて、2時間ほどで完了した。
昨年は、この「日光の美味七選」の40セットのうちの1セットが大晦日に届かず、そのお客様は年越し蕎麦を、年が明けてからお召し上がりになることになってしまった。今年はすべてが遅滞なくお客様にお手渡しされることを祈っている。
お客様は元より宅急便に携わる人たちにも、僕がとても感謝をしていることは、言うまでもない。
朝飯 納豆、細切り人参の炒り煮、大根おろしを添えた厚揚げ豆腐の網焼き、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、広島菜漬け、メシ、大根と大根の葉の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」の2種のおむすび
晩飯 キムチ鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、「久埜」の羊羹、TIO PEPE
2019.12.29(日) 阪納誠一メモリアル走行会
快晴。ドライバーズミーティングは8時30分から9時まで。外へ出たところで「ビンテージクラスの走行は9時から」とのアナウンスがツインリンクもてぎの第1パドックに響く。最初の走行時間は20分。“BUGATTI 35T”の置かれた19番ピットへ小走りで戻る。
紙の手提げ袋から取り出したレーシングシューズは、クリーニングから戻ったまま、紐を通していない状態だった。きのうのうちに気づくべきだった。あるいは今朝は、きのうの日記など書いている場合ではなかった。一刻も無駄にすまいとヘルメットと手袋を身につけ、靴は普段履きのまま操縦席に乗り込もうとする。
「引っかかりませんか」とタシロさんが懸念を示す。
「大丈夫です」と手短に答える。
僕はハンドブレーキを引き、クラッチペダルを踏む。タシロさんはスカットルの電気スイッチを入れ、前に回ってクランクを回す。エンジンは轟然と始動した。ここで問題に気づく。メレルのジャングルモックはやはり、狭い足元にはいかにも幅が広すぎた。僕はタシロさんに謝りつつ電気スイッチを切る。
浮谷東次郎は、シートベルトが取り外された状態のホンダS600で試走をしながら、コース上の人を避けようとして鈴鹿サーキットに散った。「急げば回れ」である。
レーシングシューズの、いくつあるか数えたこともないたくさんの穴に紐を通し、それを正しく履いて、ふたたび操縦席に乗り込む。そしてピットロードからコースへ出て行く。
冷え切ったタイヤとかけたばかりのエンジンを慮って、回転は2,500までに留めてゆっくり走る。どうもエンジンの調子が上がらない。8気筒のうちの1気筒が死んでいるような気もする。そのまま時間いっぱいまで西コースを周回してピットに戻る。
タシロさんがエンジンカバーを外す。そして8本の点火プラグすべてを抜いて点検する。もっとも前方のプラグが黒くすすけている。初回、僕はエンジンの点火時期を始動時のままで走っていた。不調の原因はそこにあるのではないかとタシロさんは推し量った。
1925年から1989年までのクルマ55台が集った今日の走行会で、ビンテージクラスのクルマが走れる時間は130分間。次の10時30分からの回では、ピットロードを出て第1コーナーに差しかかる前に、点火時期の調整レバーをもっとも速いところまで押し下げる。エンジンはそこから突然、軽く、力強く回り始めて車体を前に押し出した。
ホームストレッチでは3速4,000回転に達したら4速に上げる。第1コーナーの手前150メートルのところで4,000回転になりかかる。ここでブレーキを強力に効かせつつ3速に落とす。第1コーナーは3速3,000回転でも怖くない。3,250回転まで上げても第2コーナーのクリップは難なく取れる。
バックストレッチでも3速で3,000回転に達したら4速に上げ、しかしその先のシケインは難物だから、ここはその200メートル前から制動をかけつつ3速2,000回転でハンドルを右に切る。シケインを抜けるとすぐに左コーナー。息つくひまもなく最終コーナー。その上り坂を、3速2,250回転から2,500回転に速度を上げつつ右のクリップを取る。逆バンク気味の最終コーナーは、西コースではもっともタイヤの滑るところだ。
朝のドライバーズミーティングでは、追い越しは直線に限るよう釘を刺されていた。前のクルマを抜くときのみ、3速での速度を4,500回転まで上げる。絶好調を取り戻したエンジンは更に回ろうとするも、壊すわけにはいかない。
午後から計60分間の走行をこなし、16時からの30分間はいよいよ最後の時間帯だ。この同乗走行の際に、いつも来てくれるモモイシンタローさんを乗せての最高タイムは1分02秒だった。西コースの距離は1.49Km。ひとりのときには恐らく1分をすこし切るくらいのところだろう。
ふと気づくと、ゴールポストのデジタル時計が残り8分を示している。いつの間にそれほどの時間が経ったのだろう。あるいは懸命に周回を重ねるうち時を忘れてしまったのだろうか。最後は残り1秒のところでゴールラインを越える。
右足でブレーキペダルを強く踏み、左足はクラッチペダルを床まで踏み込む。同時に右足のかかとでアクセルペダルを押す。1926年製の、ギアボックスにシンクロメッシュを持たないレーシングカーの減速には「裂帛の気合い」のようなものが必要だ。
第1コーナー、第2コーナー、バックストレッチ。右のシケイン、下りのS字カーブ、上りの最終コーナー。姿勢を正しつつ最後の直線に駆け上がると、遥か彼方の右手にチェッカーフラッグが大きく振られていた。
朝飯 「ホテル若葉」の朝のお膳
昼飯 “GRAN TURISMO CAFE”のカレーライス、ミニサラダ
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、マカロニグラタン、ドライマーティニ、TIO PEPE、家へ戻ってからのシュークリーム、Old Parr(生)
2019.12.28(土) まざまざと
午前、蔵の中を歩いていて「いつごろ届きますかね」と、包装主任のヤマダカオリさんに声をかけられる。
10月31日、上澤梅太郎商店の商品である「おうちたまてばこ」が、関西テレビの人気番組「よ~いドン!」で紹介をされた。推薦してくださったのは、関西美食界の重鎮である門上武司さんである。注文が殺到したことは言うまでも無い。
この「おうちたまてばこ」はその後、番組の下半期に紹介された品の中で問合せの多さベスト3に入ったとのことで、4日前の24日の総集編でも採り上げられた。この日もまた反響はすさまじく、電話の鳴りっぱなしになることとなった。
僕は11月に、この「おうちたまてばこ」の包材を、ヤマダさんから頼まれていた。そして今日、彼女に声をかけられてはじめて、自分がその注文をし忘れていたことに気づいた。ヤマダさんによれば、在庫は年内にも尽きるという。今日は師走も押し詰まった28日。しかも土曜日。万事休すか。
「駄目で元々」の気持ちで問屋の社長に電話を入れる。社長は気の毒なことに、病院で診察待ちの最中だった。「なんとか連絡をとってみましょう」と社長は答えてくれた。返事は数十分後にあった、包材は船橋の倉庫にあるという。社長の会社は日本橋。しかし自宅は松戸とのことだから、病院も多分、そのちかくだろう。
「船橋で私のクルマに積んで、東北道を走ります。どこかのサービスエリアで落ち合いましょう」
「いえ、それは申し訳ないです、僕が船橋に向かいます」
「そんなことはお客様にさせられません、それならいっそ、会社の前で」
「了解しました」
携帯電話というものを、今日ほど有り難く感じたことは無い。
11:30 ホンダフィットにて会社を出る。
12:15 東北自動車道佐野P.A.で小休止。
13:20 首都高速道路南池袋P.A.で小休止。
13:28 江戸橋方面へ向かうべきところ分岐を誤り霞ヶ関から一般道に降りる。
ひとけのまばらな官庁街を抜け、新橋駅の高架下を西から東へと抜ける。「14時30分には着きます」と社長から着電。助手席に置いたiPhoneのgoogleマップが昭和通りに入るよう音声を発する。それには従わず、中央通りへと左に折れる。
尾張町の交差点がちかづくに連れて、人の数が見る間に増えていく。どこかで和服を着せてもらったらしい白人の女の子がとても綺麗だ。京橋を抜け、日本橋渡り、社長の会社が入るビルの前には13時45分に着いた。14時30分までは、いまだ45分もある。都心の一方通行の路上に留まっては迷惑だろう。コレド室町の駐車場にホンダフィットの鼻先を突っ込んだところで時刻は13時55分。
「あと10分で着きます」との電話が、思いがけず社長から入る。時刻は13時58分。即、地下2階に降りて係に駐車券を渡す。8分間の駐車料金は幸い無料だった。
先ほどの場所へ戻ると、社長が教えてくれたナンバーの白いトヨタクラウンが駐まっていた。そのトランクからふたつの段ボール箱をホンダフィットに載せ替える。
「今日のお礼は、いずれさせていただきます」
「いえいえ、とんでもありません」
今日の社長には、問屋魂、商売魂のようなものまざまざと見せつけられた。僕もまだまだ勉強である。
14:23 室町から首都高速道路に上がる。
15:30 東北自動車道佐野P.A.から会社に連絡を入れる。
16:22 帰社。即、ふたつの段ボール箱を蔵の包装現場に運ぶ。
EBエンジニアリングのタシロジュンイチさんには17時の待ち合わせを18時に延ばしてもらった。閉店後は3台のキャッシュレジスターを取り急ぎ締める。そして店の駐車場で待機していた、トレーラーを曳いた、タシロさんのホンダステップワゴンの助手席に慌ただしく収まる。
朝飯 納豆、細切り人参の炒り煮、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き合わせ、茹でたブロッコリー、ごぼうのたまり漬、広島菜漬け、メシ、若布とレタスの味噌汁
晩飯 「風之神」のお通しのメカブの酢の物、冷やしトマト、揚げ茄子、チキンカツ、「大分銘醸」の麦焼酎「安心院蔵」(お湯割り)
2019.12.27(金) 床まで踏み込む
育児休業などで長く休んでいる者を除けば、現在の社員数は19名。そのうちの2名が、インフルエンザによる休みから本日、揃って復帰した。年末の超繁忙に向けて強く踏んできたアクセルを、今日からは更に、床まで踏み込むことができる。とても有り難い。
午前、諸方から入金のある銀行に、通帳記入をするため行く。他にも用事はあったものの、窓口は忙しかろうと、通帳以外のものは敢えて持参しなかった。ATMに並ぶ人たちの最後尾に立ちながら、何気なく奥に目を遣る。待ち客の姿は案に相違して、ひとりも見えなかった。銀行は年末年始に6日間を休む。釣り銭は、どれほど準備をすべきだろう。
17時に蔵へ行くと、今日のうちに出さなければならない商品の荷造りが続いていた。宅急便の運転手は、パレットに積み上げられた荷物のバーコードを、端末をかざして懸命に読み込んでいる。彼が去る時間になっても荷造りが終わらなければ、荷物は我々が営業所まで運ばなくてはならない。即、三菱デリカを脇の駐車場から店の駐車場へと回す。
今日の日中は晴れながら突風が吹き、時雨がちらついた。夕刻には小雪も舞った。荷造りは幸いなことに17時30分に完了し、荷物はすべて、宅急便のトラックに積み込まれた。以降、製造現場は枯渇しかけている商品づくりのために残業。残業は、大晦日まで続くかも知れない。
朝飯 おむすび、ごぼうのたまり漬、若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 カレー南蛮鍋、麦焼酎「むぎっちょ」(お湯割り)、「たまき」の黄ぶな最中、Old Parr(生)
2019.12.26(木) 昨年に倍して
朝、事務係のカワタユキさんとマスブチサヤカさんが、何やら話し合っている。結論として、地方発送は本日の受注分から、新年の出荷にしたいという。発送伝票が作り間に合わないのだ。彼女たちの一存を以て事を決めるわけにはいかない。製造現場へ走り、フクダナオブミ製造顧問にそのことを諮る。「そうしてもらえれば蔵の方も…」と、彼は安堵の表情を浮かべた。
ご来店になるお客様や電話でご注文をくださるお客様には、そのことを口頭でご説明できる。僕はウェブショップのお客様へ向けて、取り急ぎメールマガジンを書き、10時30分の配信を予約する。別途、ウェブショップのトップページにも、同様のお知らせを掲載する。今年の末は昨年に倍して、諸々の動きが急に感じられる。
2ヶ月に1度の割合で血圧などの診察を受けている病院には、午前のうちに行く。夕方は終業を待つことなく、取引先の父上のお通夜に向かう。折からの小雨により傘を持参したものの、幸いクルマはホールの入口近くに誘導され、それを開く必要は無かった。
朝飯 らっきょうのたまり漬、納豆、オムレツ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、メシ、南瓜と若布の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 ジャガイモと人参とピーマンのサラダ、青梗菜のにんにく炒め、トマトの玉子炒め、「ハルピン」の餃子、同小籠包、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)、「松之助」のハミングバードケーキ
2019.12.25(水) さてどうするか
日光方面へお出かけの方に朝食をご提供する「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、来年3月下旬の開店を目指している。動態保存されている築150年ほどの建物は、これまでの台所を隣の茶の間まで広げて倍以上の広さとする。その厨房と座敷を隔てる壁は一部を抜いて、料理の受け渡しができるようにする。手洗いは、保健所の基準に合わせて改装をする。着工は今月の9日。その工事がいよいよ佳境に入ってきた。
今日は諸々についての、複数の業者とのすり合わせが予定されている。そのため10時30分より家内や長男と共に隠居へおもむく。僕と家内がもっとも気にしていた、茶の間の南東に面した窓の処理については、早々に結論が出た。よって現場には長男のみ残し、僕と家内は事務室に戻る。
地方発送の受注が限界を超えてきている。受注がそうであれば、商品の製造や荷造りもまたしかり、だ。しなければならないことが、次々と後ろへ延びていく。とはいえ大晦日は間近に迫っている。さてどうするか。
包装主任のヤマダカオリさんには今日も、明早朝の仕事を頼まれた。社員の働きを思えば、いまだ暗いうちに蔵へ降りるなどは、どうということもないことである。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、炒り卵、茹でたブロッコリー、ごぼうのたまり漬、広島菜漬け、メシ、若布とレタスの味噌汁
昼飯 ブルーベリーのパン、ヨーグルト、南瓜のポタージュ
晩飯 “Parrot”のパロットサラダ、牛たたきステーキ、Henry Fessy Beaujolais 2016
2019.12.24(火) 幸運の札
今月10日の日記に書いた次第にて、今日はふたつのテレビ番組でウチが紹介される。ひとつは関西テレビの「よ〜いドン!」で、関西地方のみ9時50分からの放送。もうひとつは日本テレビの「ヒルナンデス!」で、こちらは全国放送で11時55分からの放送。事務室には事務係の3名に、僕と家内の計5名が待機した。
最初の電話は10時35分に鳴った。以降は、受話器を置いてはまた鳴り、ということが13時30分まで続いたところで遂に席を立ち、製造現場に様子を報せに行く。
午後、ウェブショップの状況を見るため、メーラーを巡回させる。すると、まるでタクシーのメーターが高速で回るように、サーバーから注文が流れ落ちてきた。本日のウェブショップ担当は事務係のツブクユキさん。ツブクさんは、配達日を指定されたお客様から順に、受注確認書をお送りすると決めた。そして残業しても確認書をお送りできなかったお客様には、明朝一番にてご返事をするとのことだった。
本日はクリスマスイブ。お客様には、大きなプレゼントを戴いてしまった。年末の超繁忙期に突如として現れた幸運の札には、着実に対応をしていきたい。
朝飯 広島菜漬け、秋刀魚の山椒煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、煮卵、ごぼうのたまり漬、生のトマト、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 菠薐草のソテーと”neu franc”のコーンビーフ、「進々堂」の」2種のパン、「鳥秀」の鶏の丸揚げ、3種の茸とマカロニのグラタン、TIO PEPE(ソーダ割り)、Petit Chablis Billaud Simon 2016、「松之助」のハミングバードケーキ、Old Parr(生)
2019.12.23(月) すずしかりけり
きのうの夜「和光」へおもむくときには、傘が無くても差し支えないほどの雨が降っていた。宴会を終え、家に戻るまでは、町内神社世話人のアイザワヒロシさんが、僕の頭上に傘を差しかけてくれた。そのときの雨もまた、とても柔らかいものだった。
栃木県の山沿いには雪の予報が出ていた。しかし今朝は、カーテンを巻き上げ、外の様子をうかがうことはしなかった。国道121号線を行くクルマは、路上の水を切る音を立てている。雪の積もっていないことは、見なくても耳で分かるのだ。
東の空には平たく積み重なった雲がある。そのもっとも上、幾重もの帯の薄くなったあたりから、遂に朝日が光を放つ。その、南東へ向けた目を、立って南西に転じてみる。そこではじめて、里山が、白く雪に包まれていることを知る。初雪である。
10時30分、来社した下野新聞政経部のイトーカツユキ記者を、隠居に案内する。そして来春3月下旬に開店予定の「汁飯香の店 隠居うわさわ」についての取材を、長男と共に受ける。
朝飯 秋刀魚の山椒煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、生のトマトを添えたハムエッグ、納豆、広島菜漬け、切り昆布と豚三枚肉の炒りつけ、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝のおかずを流用した弁当、洋梨
晩飯 レタスと林檎のサラダ、「進々堂」のパンあれこれ、パンに載せるあれこれ、豚軟骨と野菜のポトフ、TIO PEPE、Petit Chablis Billaud Simon 2016
2019.12.22(日) 屋根裏の探索
来年3月下旬の開店を目指す「汁飯香の店 隠居うわさわ」は、明日、新聞の取材を受ける。それまでに、昔からある食器を広く並べたままの座敷を片付けなくてはならない。よって朝の9時より長男と隠居に入る。
これまでの台所は、倍以上に広げて厨房にすべく、現在は工事中だ。隣の茶の間の床板はオタニ建具店のオタニさんにより、既に外されていた。台所の天井板も外されていた。そこから屋根裏にもぐり込み、先日オタニさんが発見したという、まるで流鏑馬の的のような板を、懐中電灯の明かりに捉える。
「こんな巨大な杉の一枚板、今となっちゃ、とてもじゃないけど手に入りませんよ」と賛嘆したのは、今月20日の日記にも名の出たコバヤシハルオさんだった。コバヤシさんの仕事は製材業である。その天井板を踏み抜かないよう梁を伝って、正体不明の何ものかに近づいていく。
板の幅は2尺半、棒の部分も入れれば長さ1間半ほどのものは、果たして破魔矢だった。兜のように切り抜かれた先端は北東、つまり鬼門に向けられている。どこかに上棟の日付があるのではないか、そう考えて明かりを近づけても、描かれているのは模様のみで、墨書は残念ながら認められなかった。
さて、ここまで判明したところで屋根裏から降り、座敷を片づけ、即、店に戻る。
午後は16時より瀧尾神社の責任役員として、各町内の自治会長、神社総代の連なる「お祭を考える会」に出席をするため、今月は小倉町5丁目の公民館へおもむく。18時からは町内役員の忘年会にて、会計係として居酒屋「和光」の戸を引く。
朝飯 「なめこのたまり炊」による「なめ玉丼」、らっきょうのたまり漬、南瓜と若布の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 「和光」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)