2019.7.31(水) ふと気がついて
朝、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への納品を済ませて会社へ戻りつつ、店の正面右手の季節の書が「萬緑」であることにあらためて気づく。「萬緑」は稲畑汀子編の「ホトトギス季寄せ」によれば夏6月の季語ではあるけれど、いつまで梅雨が上がらないため、そのままにしておいた経緯があった。
ホンダフィットを降りて即、2階の倉庫へと向かう。そして保管してある中から「氷水」の書を取り出し、事務室に降りる。「氷水」は夏7月の季語だから、暦に照らせば今から出すには遅すぎる。しかし昨年よりひと月も梅雨明けが遅れたことを考えれば、それも許されようというものだ。
さて書をかけ替えたなら、次は風鈴だ。ひとつでは風向きにより鳴らないこともあるので、ウチは犬走りを支える6本の小屋梁のうちの5本にそれぞれひとつずつ、計5つの風鈴を提げる。それらは折からの微風を受けて、いきなり賑やかに鳴り始めた。
今月の上旬までは、焼酎はお湯で割っていた。しかしこのところはソーダで割ることが多い。夜は夏の野菜などを肴にして、その焼酎のソーダ割りを飲む。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、鮭の焼き漬け、切り昆布の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波と甘唐辛子の味噌汁
昼飯 冷やし和え麺
晩飯 モロヘイヤのたたき、胡瓜と青大豆とうずら豆の浅漬け、天ぷらの盛り合わせ其の一、天ぷらの盛り合わせ其の二、鯛飯、みょうがのたまり漬、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)
2019.7.30(火) ことしのお盆
むかしは「風邪」とひとくくりにされていたものが、実は様々な病気の総称だったことを、このところは知るようになった。ここ数日、社員の子供たちが相次いで罹っているのはヘルパンギーナという、幼児に特有の夏風邪だという。高熱を発している子供たちには、1日もはやく元気になって欲しい。
看病にともなう欠勤により人手の足りなくなった部署は、残った者が補い合って、どうにかやり繰りをする日々が続いている。夏のギフトは最盛期を過ぎたものの、今日はなぜか注文の電話が多い。製造現場には、包装用の大型機械が納品設置をされた。各々の現場は次の山をお盆と見定めて、あれこれの準備に余念がない。
今年のお盆休みは、長いところでは8月10日から18日までの9連休になるだろう。ほぼ2ヶ月におよぶ長梅雨にじれた人たちは、これまでの欲求不満を一気に解消すべく、海山に繰り出すことが予想をされる。夏の好きな僕はせいぜい張りきって、その繁忙に向き合っていきたい。
朝飯 胡瓜と青大豆とうずら豆の浅漬け、牛蒡と人参のきんぴら、切り昆布の炒り煮、鮭の焼き漬け、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、大根の味噌汁
昼飯 茗荷と「みょうがのたまり漬」と甘唐辛子の冷やし和え麺
晩飯 冷やしトマ、枝豆、蓮根のきんぴら、厚焼き玉子、冷や奴、ズッキーニの味噌汁、豚の冷やししゃぶしゃぶ、芋焼酎「赤利右衛門」(ソーダ割り)
2019.7.29(月) これで梅雨明け
「時刻は17時50分。閉店の準備にかかるべく席を立とうとしているところに、いきなり大きな雷鳴が轟く。それと同時に雨の音も聞こえてきた。」とは、先月5日の日記に書いたことだ。思い返せば、この瞬間こそ、長い梅雨の始まりだった。
昼を過ぎたころから激しく雨が降ってくる。その雨は、強くなったり、あるいは止みかけたりしながら、しかしいつまでも収まらない。17時にいたるころ、事務机に座る僕の視界に、天から地に向けて、太く、ほぼ一直線に雷光が走った。直後に鼓膜を圧するような雷鳴が響き渡る。雷が落ちたのは、そう遠くないところに違いない。その掉尾の一閃を以て、昼すぎから断続した雨はきれいに上がった。
きのうは東海地方に梅雨上げ宣言が出された。今朝は関東地方に梅雨明け宣言が出された。関東地方の梅雨明けは今朝だったかもしれないけれど、栃木県日光市の梅雨明けは、正に、先ほどの落雷の瞬間だったと思う。
これでようやく、日光の畑のらっきょうも収穫できるだろう。塩と酢だけで漬けたらっきょう「夏太郎」の蔵出しは、今年は8月の下旬、遅ければ9月にずれ込むかも知れない。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、胡瓜と青大豆とうずら豆の浅漬け、切り昆布の炒り煮、人参と牛蒡のきんぴら、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 マカロニサラダ、トマトとキウィのサラダ、蛤の茶碗蒸し、春巻き、SMIRNOFF VODKA(ソーダ割り)
2019.7.28(日) 下手な理由
窓のシェードの角度を変えて、外の様子を覗って、拍子抜けをした。道は濡れているものの、停めたクルマに荷物を積もうとしている人は、傘を差していない。台風は一体全体、どのあたりにいるのだろう。
9時すこし過ぎに外苑東通りに面した「薬樹」の青山オフィスに入る。そして9時30分よりMGの2日目が、ニシジュンイチロー先生の講義により始まる。参加者の各自が自分の会社を持ち、2日間で盤上に5期分の経営を展開するMGの、きのうの第3期には、僕は墜ちるところまで墜ちた。
この期に僕が費消した固定費367円は、42名中もっとも高い売上げを記録したヤマモトジョージさんの372円に次いで2番目の高さだ。それに比して計上した利益はマイナス145円と、42名中の最低だった。第1期初に300円あった自己資本は、第3期末には109円にまで急落をした。
スキップのできない人を「なぜこれほど簡単なことができないのか」と叱りつけても、できないものはできない。吃音の人を「なぜ他の人とおなじように話せないのか」と責め立てても、できないものはできない。四半世紀以上の経験を重ねつつ、いまだ初心者にさえ劣る僕のMG下手も、あるいはそのたぐいなのかも知れない。
さて迎えた第4期。6名で囲んだ卓の、正面に位置するゴトーテッペイさんは強敵に思われたが、性格が優しいのか、あるいは今朝4時まで飲んでいたという酒の後遺症なのか、当方の入札に対して鋭く切り込んでくることはしない。おなじ市場を形成する他の人たちにも、僕の会社と競合するところは少ない。僕はこの期でようやく55円の経常利益を上げた。
第5期には手痛い誤りを入札時に犯して75円の荒利をドブに捨てる。その代わり最後の最後で35円の荒利を取り戻す。期末には更に利益を伸ばし、必ずしもその必要はないものの、長期借入金もすべて返済した。しかしようよう到達した自己資本は206円。振り出しに戻すには、ここから更に2期の経営が必要だろう。
ところで本日の決算はみなおしなべて早く、表彰式から最後の講義を経て感想文の提出を済ませても、時刻はいまだ16時になりかかろうとするところだった。乃木坂から北千住までは千代田線で1本。ここで軽く飲酒活動をし、21時前に帰宅をする。
朝飯 「なか卯」の朝そば温たまセット、つけもの
昼飯 「崎陽軒」の幕の内弁当
晩飯 「つみき」のあれや、これや、それや、チューハイ、それを濃くするためのナカ
2019.7.27(土) 乃木坂あたり
三分坂を右手に見ながら赤坂通りを南西に下る。「下る」とはいえ道は徐々に上っている。やがて乃木坂に至る。このあたりは根岸の寛永寺陸橋の周辺と並んで、東京では僕のもっとも好きな場所だ。坂や橋は、まるでプリズムのように、こちら側とあちら側の空間を一変させる、その不思議さが面白い。
乃木神社の脇の階段から普段は夜にしか歩くことのない外苑東通りに上がって北を目指す。乃木希典の居宅に差しかかると、これまでは閉じていることの常だった門が開いている。庭も含めてその一角は、元勲や貴顕の家にくらべていかにも質素だ。門から玄関先にいたるごく狭い庭の砂利をきれいにならしている園丁のおじさんに挨拶をして、更に奥へと進む。
崖地の高低差を活かして建てられた和仏折衷のその建物に沿って、見学者用の廊下が渡されている。乃木と婦人の自刃した部屋は、南西に面した八畳間だった。そのとき乃木の着ていた軍服は、今はどこに仕舞われているのだろう。
調剤薬局を中心として、健康に関しての様々な分野に業務を広げている「薬樹」の青山オフィスにて、この会社の第10回目のMGに参加をする。42名の参加者中21名は社員の方々で、その中に混じって僕も勉強をさせていただく。
初更、乃木坂陸橋から、朝に昇った階段を下ってゆるい坂を東へ向かって歩く。台風はとうに、列島に上陸しているものと思われる。傘は持参しているものの、雨はいまだ落ちてこない。
朝飯 「上島珈琲店」のAセット
昼飯 「日本橋とよだ」の弁当
晩飯 薬樹MGに博多から参加のカワイキブンさん手作りによる焼き餃子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、他あれこれ、Tussock Jumper Cabernet Sauvignon 2017(ソーダ割り)
2019.7.26(金) 食卓の情景
朝日こそ拝めなかったものの、気温は徐々に上がり、店を開けるころには日が差しはじめた。太平洋上から台風が近づきつつあるとはいえ、週明け以降は照る日が続くだろう。午前の早い時間に如来寺のお墓へ自転車を乗り入れる。そして妹の祥月命日である今月13日に供えた花を片づけ、花立てや線香立ての周辺を水とたわしで洗う。
さて今日の午後から週末は東京で過ごす。台風はどれほどの雨を降らせるだろう。トリッペンの革靴には充分に油を効かせてあるものの、今年の5月21日には品川区で強雨に遭遇し、すこし湿り気を帯びることになった。「オレにも雨靴が必要なのではないか」と考え、しかし喉元を過ぎれば熱さも忘れる、雨靴はいまだ手に入れていない。
明日あさっての東京では、また雨靴が欲しくなるだろうか。iPhoneで東京中心部の天気を調べると、土曜日の降雨量は僅々1ミリ、そして日曜日は曇りと出ている。であれば、雨靴は要らない。モノはできるだけ持ちたくないのだ。
夕刻に次男と待ち合わせて、ガラスの銚子で3本ほども冷や酒を飲む。
朝飯 山芋のすり下ろし、なめこのたまり炊、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、明太子、メシ、舞茸とオクラの味噌汁
昼飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛肉のしぐれ煮、明太子、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」によるお茶漬け
晩飯 「鮨よしき」のあれや、これや、それや、「白瀑酒造」の純米吟醸Yamamoto Midnight Blue(冷や)
2019.7.25(木) 持ち運びできるのはいつまで
2011年8月4日から使い続けた旧Let’s noteと、先月29日に乗り換えた新Let’s noteとのすり合わせは、きのうのベクトルエイチ行きにより完了した。この日記のための画像加工ソフトは、使い慣れたOLYMPUSのそれからgimpに変わった。以前にくらべて機能の上がったところもあるものの、頭より手の方が先に動く、というところまではいまだ至っていない。まぁ、当たり前のことだ。
あるとき、僕より4つほど年配と思われる人が「人生最後のクルマとしてポルシェを買うことにしました」と語った。人生最後のクルマがポルシェなら、モデルは911が順当との僕の常識に反して、その人が注文したのはカイエンとのことだった。まぁ、カイエンなら鍋釜から布団まで積めるから、便利といえば便利だ。
さて、2019年6月29日に使い始めたLet’s note CF-SVは、一体全体、これからどれほど保つだろう。不慮の事故に遭ったり、あるいは思いもかけない難病、奇病に罹らないかぎり、これが僕にとって人生最後のコンピュータになることはないだろう。そして次のコンピュータも、僕は持ち運びのできる型を選ぶことができるだろうか。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、トマトのスクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のオムライス(ケチャップかけないでね特注)
晩飯 トマトとレタスとモッツァレラチーズのサラダ、茄子とズッキーニと合い挽き肉のスパゲティ、Petit Chablis Billaud Simon 2016、西瓜
2019.7.24(水) 新旧の摺り合わせ
下今市10:05発の上り特急スペーシアの車内で本を読んでいるところに家内から電話が入る。新宿でひとつ仕事をしてきて欲しいという。本日の僕の行き先を知っていて「恵比寿から新宿は遠くないでしょ」とのことだが、僕はあれこれの時間の配分を、可能な限り稠密に組む癖がある。「今日が無理だったら金曜日に行くよ」と答えて通話を終える。
恵比寿のベクトルエイチでは、コンピュータを新しくしたことによる、メールの送受信ソフトの動作環境の復旧、また先月まで使っていた画像加工ソフトに替わるアプリケーションのダウンロードおよびその使用説明を受ける。他にも細々としたすり合わせはあったものの、それらは予想したよりかなり早くに完了し、お陰で新宿まで出向く時間も捻出できた。
仕事が済んだら床屋にかかろうと考えていたものの、今日は無理だ。22時前に着いた下今市駅前には、霧雨よりも弱い雨が街灯を霞ませていた。パタゴニアの、丸めればメロンパンより小さくなるウインドブレーカーは、この時期の必需品である。帰宅して家内に聞いたところによれば、雨はつい先ほどまでは、かなり強く降っていたらしい。
朝飯 納豆、鶏のそぼろをのせた煮奴、ほうれん草のおひたしを添えた鮭の焼き漬け、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「維心」の2種のおむすび
晩飯 「天七分店」のセロリの浅漬け、塩らっきょう、串カツあれや、これや、チューハイ、トマトハイ、それらを濃くするための「ナカ」
2019.7.23(火) 梅雨はいまだ明けず
「あなたはガンです」と、スマートフォンに告知される夢を見て目を覚ます。ちかい将来には「あなたの余命は3ヶ月です」というようなことまでスマートフォンが教えてくれる世の中になるのではないか。「無機質金属的な声でそんなことを知らされるのはイヤだから、スマートフォンの音声はすべて大原麗子のそれに変えよう」などということなら、今の今にもできそうな気がする。闇の中に手探りしたiPhoneに触れると、時刻は2時56分だった。
今日は珍しく早朝の仕事が無い。よって仏壇に花と水とお茶を供えて以降はコンピュータを開き、きのう整えておいたおとといの日記をサーバーに上げる。しかして後にきのうの日記を書き、更に今日の日記のここまでを書く。
「深夜1時30分から2時30分くらいまでの時間が大好きだ」と言った人がいる。僕はその2時30分から5時くらいまでの時間が大好きだ。その2時間30分には、空の高いところを飛ぶ飛行機に閉じ込められて、誰にも邪魔されずにいる時とおなじ安らかさがあるからだ。
日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会から21時ちかくに戻る。先ほどまでの雨がいきなり強くなる。雷は弱く唸ってる。梅雨が明けるには、一段と威勢の良い雷鳴が必要と思う。
朝飯 塩鮭、納豆、大根おろしを添えた油揚げの網焼き、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、豆腐と舞茸と万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華(1.5玉)
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、盛り蕎麦、5種の日本酒(冷や)
2019.7.22(月) 簡便な行い
14歳か15歳のころ、宇都宮の豪農を訪ねた。先ずはその、堀に囲まれた屋敷の豪壮さに驚いた。座敷に上がってお茶を出されたときには、そのお茶の温度の低さに驚かされた。年端が行かなくても「なるほど本当の煎茶ってのは熱くないものなんだな」と得心をした。
煎茶には摂氏60度のお湯を用い、茶葉とそのお湯を急須の中に留める時間は90秒と、どこかで教えられた気がする。そしてこれを実行してみると、沸騰したお湯を60度まで冷ますには結構な手間と時間のかかることが分かる。
先日までは夜の仕事が多かった。しかしこのところはその仕事が夜から早朝に移った。起きてティファールの電気ポットでお湯を沸かし、それを仏壇用と僕用の、2客の湯飲みに満たす。その湯飲みが湯の温度を奪って手に持てないほど熱くなったところを見計らって、別の2客の器にお湯を移す。そしてそれをそのままにして製造現場へ降り、作業の準備のみして4階の食堂に戻る。器の湯にタニタの温度計を差し込むと、いまだ温度は70度までしか下がっていない。事ほど左様に、お茶を淹れるとは時間のかかることなのだ。
もっとも昔の人は、お茶を淹れようとすれば先ずは井戸の水を汲み、炭を熾すところから始めたわけで、それを考えれば、僕のしていることなどはそれこそとんでもなく簡便な行いに違いない。
朝飯 獅子唐の炒りつけ、納豆、巻湯波の淡味炊き、牛肉のしぐれ煮、胡瓜のぬか漬け、みょうがのたまり漬、メシ、若布と油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 茄子の油炒めとみょうがのたまり漬の汁で食べる黒胡麻素麺
晩飯 トマトとレタスとベビーリーフのサラダ、ジャガイモと人参のホカホカ焼きとブロッコリーのソテーと今月13日に仕込んだソースを添えたビーフステーキ、Almaviva 1997、桃、チョコレート、Old Parr(生)