2019.4.10(水) うかうかするうち
初更、鬼怒川温泉の、西側の山裾に延びた道を走りながら赤信号で停まると、ホンダフィットの屋根に積もった雪がその勢いでボンネットの上に滑り落ち、ワイパーが動かなくなった。後続のクルマがいるから早々にはクルマを歩道側に寄せられない。というか、歩道がどのあたりにあるのかも分からない。ようよう停まって外へ出て、フロントグラスの下半分ほどまで覆った雪を素手で払う。
その道から護国神社への坂道が、また難物だ。「前輪が滑って上れないのではないか」と恐れつつ、アクセルを踏む右足を微妙に動かす。家を出るときには止み加減だった雪も、そこから15キ北の鬼怒川においては、いまだ勢いを衰えさせていないようだ。ロープウェイの駅の脇の駐車場にホンダフィットを駐め、護国神社の鳥居をくぐる。昨年おじゃました「鬼怒川温泉夜桜大宴会」に、裏を返したのだ。
花札では「桜に幕」だけれど、今日は「桜に雪」で、これはこれで悪くない。しかしこの季節外れの大雪に祟られて、客の数は関係者のそれよりも少なかった。
弁当を肴に燗酒を飲んでいると「シャチョー!」といきなり芸者に呼ばれる。用意された遊びは「拳」の一種「こんぴらふねふね」である。「シャチョー!」と呼ばれるからには大島を着て床の間を背負いたいところだけれど、僕の服はユニクロの、それも毛玉の付いたフリースである。
僕が若いころは「伊勢丹のハンカチ売り場から転職してきた」などという若い子もいたけれど、現在、鬼怒川温泉の芸者は3、4人と聞いた。つまりこの3、4人に座敷をかければ鬼怒川芸者の総揚げ、ということになる。一生に一度くらい、そんなことをしてみても良いのではないか。うかうかするうち、自分も含めて皆、朽ちてしまうのだから。
朝飯 筑前煮、ほうれん草のおひたし、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」をかけた煮奴、納豆、イカナゴの釘煮、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、アオサと三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「鬼怒川温泉夜桜大宴会」の弁当、片山酒造の日本酒(燗)、清開酒造の日本酒(燗)
2019.4.9(火) 朝の納品
宇都宮の福田屋百貨店さんには、20代のころ配達に行った遠い記憶がある。それから四半世紀ほども付き合いが途絶えていたところ、ひょんなことから今年の1月に商談の機会ができて、4月からの取り引きが決まった。その最初の納品に、朝、長男とおもむく。
7時2分に会社を出て、福田屋百貨店さんのお店のひとつFKD宇都宮店には7時57分に入った。1階の食料品売り場に割り当てられた場所は、すぐに分かった。水を固く絞った布巾でその棚を入念に拭き、また用意してくださった什器も拭く。僕は商品にシール類を貼る。長男はそれを陳列する。すべてを整え、通用口にバッジを返して、納品業者用の記録用紙には「09:01」と、退店時刻を記入する。
帰社して11時30分からは、装飾の業者と店内の暖簾や照明についての話し合い。午後は、きのうの場長会議で各部署から出た意見や要望に基づき諸方に電話。また、互いに契約書に交わす商談をひとつこなす。
午後の遅い時間に「夕食は洋もの」と知らされたから、終業後は2階のワイン蔵に寄って白ワイン1本を取り出し4階に上がる。夕食の、具体的な内容を聞いていないにもかかわらず赤ではなく白いワインを選ぶのは、ウチでは鶏肉や豚肉を多く食べて、いわゆる赤肉はそれほど口にしないことによる。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ほうれん草のソテーを添えた目玉焼き、筑前煮、イカナゴの釘煮、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、トマトと揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の味噌ラーメン
晩飯 人参と干しマンゴーとレタスのサラダ、ソーセージと青梗菜のソテー、トマトとベイジルと粉チーズのスパゲティ、生ハムとキャベツのパン、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.4.8(月) すべては豆板醤のために
「らっきょうのたまり漬」についてのことを夢の中で考えつつ、ゆっくりと目を覚ます。枕の下からiPhoneを取りだし見ると、時刻は2時7分だった。東京と大阪への、ウチとしては少なくない数の「らっきょうのたまり漬」の出荷が控えている。その仕事の進捗の具合を確かめるため、白衣と帽子とマスクを身につけ、製造現場へ降りる。食堂に戻ると、食器棚に置かれた電波時計は2時55分を指していた。
きのうは昼前に4名様を蔵見学にご案内した。そのお客様が蔵から店にお戻りになると、僕は味噌蔵のある庭に引き返し、戸締まりをしたり、あるいは蔵の中で履いていただいたサンダルを片付けたりする。そうして外へ出たところで、息せき切って僕を呼びに来た家内に声をかけられる。
店には女性のお客様がいらっしゃった。お話によれば、このウェブログに「そこまで固執するか」と呆れるほどたびたび上がる百德食品公司の豆板醤と辣椒油を、この春に社会人になろうとされているご長男が就職を前に旅された香港の、中国語なら嘉咸街、英語ならGraham St.と表される細い坂道を上って右側にある九龍醤園で買ってきてくださったのだという。「恐懼」とは、このようなときのためにある言葉だと思う。僕はお客様に何度も頭を下げ、店の前に出てお見送りをさせていただいた。
「数年前に香港で購った百德食品公司の豆板醤はほとんど使い果たし、しかしその残りには惜しくて手が出せない」の一節は、この日記に検索をかけて見つけ出した、2007年6月4日のものだ。とすれば本日いただいた豆板醤と辣椒油は、およそ12年ぶりの味、ということになる。
夜は豆腐と揚げ湯波の鍋を作ってもらった。その、熱く煮えた豆腐と湯波を器に取って、貴重な豆板醤を添える。そうして口に運んでみれば、それは間違いなく「あの豆板醤」だった。本日のお客様には、厚く御礼を申し上げます。そして今度こそ、香港へは自分で行かなくてはならない。
朝飯 イカナゴの釘煮、ジャガイモとピーマンとパプリカの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、切り昆布の炒り煮、巻湯波の淡味炊き、納豆、ラタトゥイユ、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 カレーライス、塩らっきょう
晩飯 茹でたグリーンアスパラガス、長男が歌舞伎町で中国人のオバサンにもらった臭豆腐ほか、豆腐と揚げ湯波と豚肉の鍋、”ABSOLUT VODKA”(ソーダ割り)、バームクーヘン、”Old Parr”(生)
2019.4.7(日) 古典派
夫は公認会計士、という若い夫婦が遊びに来たときのこと、彼らはそれぞれのスーツケースを曳いて現れた。交通手段は自家用車とばかり考えていたため訊けば、浅草から東武日光線に乗り、下今市駅からは徒歩と聞いて、大いに驚いた。住んでいるマンションのシェアカーで用は足りるから、クルマは持っていないという。ちなみに夫の趣味はホットヨガ。時代が明らかに変わったことを、僕は認識しないわけにはいかなかった。
ひとむかし前の1990年代、高級士業や、金融機関でも特に外資系に勤める人は、仕事帰りでもスーツには皺ひとつなく、シャツの襟には糊が利いていた。人と会う、あるいは盛り場に出る夕刻には朝からのシャツを新しいそれに着替えているのではないか、そんなことを僕は考えた。
その、舶来と思われるシャツは多く襟にピンホールを持つもので、そこに差し込まれたピンは金色、眼鏡も金色、カフスも金色、おまけに腕時計も金色で、爪にはマニキュア。その姿は尾崎紅葉の描く富山唯継を思わせた。実に、100年も続く身だしなみ、である。
前世紀の酒場でよく目にしたそのような人を、しかしこのところはとんと見ない。世の中からいなくなったわけではないのだから、多分、服飾の趣味が変わったのだろう。一般に紛れて見分けがつかなくなっているのだ。
厳しい競争を勝ち抜いた自分を慰撫するように、特殊な趣味の服や宝飾品を身につけ、高価なクルマに乗る、そういういわゆる「古典派」は、今や絶滅危惧種だ。そして世の中は、急速に平板になりつつあるような気がする。一億総ファストファッション化、一億総モノ離れ、70億総GAFA傘下。それが良い世の中なのかどうかは分からない。
朝飯 細切り人参の炒り煮、納豆、ジャガイモとピーマンとパプリカの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、豆腐と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、コーヒー
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、ポークカツレツ、ドライマーティニ、”TIO PEPE”
2019.4.6(土) 桜
味噌蔵のある庭には山桜、染井吉野、枝垂れ桜の3本の桜が育っている。そのうち最も遅れて咲くのが枝垂れ桜ということは知っていた。しかし山桜と染井吉野のどちらが先に花を開くかについては覚えていなかった。
普段、暮らしている棟と庭との距離は、最短部分で100メートルほどだろうか。その100メートルより30メートルほど先にある山桜が、きのうは薄く色づき、今朝になるといきなり、明瞭に開花をした。その具合を更に確かめようと、開店後に国道121号線を南東へ歩き、柴折り戸を開けて庭に入る。そしてその真下に立って、青い空にピンク色の鞠状となった枝ぶりを見上げる。この調子でいけば、山桜はすぐに満開になり、すぐに花を散らして、新緑の葉のみになるような気がする。
総鎮守瀧尾神社の春の大祭が、来週末に迫っている。神社の1年間のお祭を仕切る当番町を、我が春日町1丁目は昨年度に完了している。よって一般の役員は、今年は町内を飾るだけが事前の仕事となる。僕はきのうウカジシンイチ自治会長から預かった出金伝票に基づき、様々な経費を入れた複数の封筒を”ISUKA”のギアバッグに入れて、15時に公民館へ行く。
国道119号線に注連縄を張り巡らす仕事は、今年から長男がしてくれるようになった。僕は自治会長が公民館に飾りつけた祭壇に上げるための、町内と個人の御神酒を注文するためサカモトヤ酒店へ行く途中で一旦、会社に戻る。そうしたところ、店にある4台の冷蔵ショーケースのうち1台がまったく冷えなくなったとの報告を受け、忙しさが一気に倍増する。
冷蔵ショーケースの会社は幸いなことに週末専用の窓口を持っていた。そこに電話をし、対策を訊き、しばらくすると、冷蔵ショーケースはふたたび冷風を吐き出すようになったから、胸をなで下ろす。
お祭に必要なものは数え切れないほどある。そのうちのひとつが晴天である。次の週末が、今日とおなじ天気になれば幸いである。
朝飯 細切り人参の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、切り昆布の炒り煮、オムレツ、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、トマトと揚げ湯波と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」の葱塩ラーメン
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一、其の二、パン、其の三、パン、其の四、小さなカレーライス、アルザスの安い白ワイン、イチゴのタルト、コーヒー
2019.4.5(金) クルマにメモ
街なかの洗濯屋では、お互いに見知った顔だから、洗濯物を出しても預かり証は寄こさない。出来上がりは1週間後と伝えられて帰り、10日くらい経って出かけるときには、受け取るべきはシャツとズボンの計2点、というような気になっている。しかし手渡されたものはシャツ1枚で「はて、だったらズボンはどうなっていたか」と、疑問が湧いたりする。そうして家に帰って箪笥を調べると、当該のズボンは既にして、洗濯屋の袋に入ってそこに収まっていたりする。
そのような不安定さを避けるには覚え書きが必要だ。よって今日はホンダフィットの、メーター類の右側の窪みにメモ用紙を入れた。同時にボールペンもそこに立て、しかし事故の際にはそれが矢のように僕の目をめがけて飛んでくるかも知れない、そう考えて、ボールペンはグローブボックスに格納した。
それはさておき、僕はできるだけ少ない持ち物で歩きたい。たとえクルマで出かけるときにも、財布はほとんど持たない。そういうときに限って行った先、立ち寄った先に欲しいものがあり、しかしサイフは持ち合わせないから、それを買うことはできない。ホンダフィットのダッシュボードには別途「サイフ」とでも書いたポストイットを貼っておこうか、とも考えている。
朝飯 塩鮭、切り昆布の炒り煮、イカナゴの釘煮、キクラゲと鱈子の佃煮、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょうを添えた雑炊
昼飯 サンドイッチ、コーヒー
晩飯 細切り人参の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ジャガイモとピーマンとパプリカの「日光味噌梅太郎白味噌」和え、胡瓜とセロリの酢の物、銀鱈の西京焼き、塩らっきょう、麦焼酎「黒麹道」(お湯割り)、マドレーヌ、”Old Parr”(生)
2019.4.4(木) 鯉のぼり
前月、インターネット上に、初夏を想わせる洒落た置物を見つけたため、その季節が来たらこれを店に飾ろうかと、長男に提案をした。すると長男は、そんな「今」のものではなく、ウチにふさわしい品が必ずどこかにあるはずだから、どうにかしてそれを見つけるべきと答えた。
本日、家内は朝から手袋をして倉庫に籠もり、その奥深いところを捜索した。1時間ほど経って、家内はいくつかの戦利品を手に事務室に戻った。古色蒼然とした複数の段ボール箱には、その数だけの鯉のぼりが入っていた。生地は木綿、絵付けは手描きである。「ヘーッ」と驚きつつ触れると、指先に染料が付いた。そのことと、丸い、文字通りの鯉口に取り付けられた紐の白さからして、旗竿に揚げられ空を泳いだことは一度としてなかったものと思われる。
所用にて外へ出てふたたび戻ると、店の客だまりの奥に、それらのうちの1尾が早くも吊り下げられていた。真鯉と緋鯉は大きすぎて収まらず、もっとも小さなものを用いたという。それでも長さは二間半。僕の記憶に無いところからすれば、多分、昭和5年産まれのオヤジに贈られたものだろう。よくもまぁ90年ちかくも眠り続けたものと、感心をするばかりである。
朝飯 生のトマト、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、巻湯波の淡味炊き、牛蒡と人参のきんぴら、イカナゴの釘煮、ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「CoCo壱番屋」のポークカレー、野菜サラダ
晩飯 レタスとベビーリーフを添えた3種のパテ、4種のパン、ラタトゥイユを添えた鶏肉の天火焼き、“Chablis Billaud Simon 2015”、“Chez Akabane”のイチゴのショートケーキ
2019.4.3(水) どこで読むか
雑誌のブルータスが1980年代に「がんばれ文学」と名付けた特集をした。その中で特に面白かったのが「これこれの人には、これこれの本を贈りたい」と、各界の人たちが、みずから適当と考えるそれぞれを挙げた一角だった。
「中学生に贈る3冊」という企画があれば、僕は迷わず以下を選ぶ。
「ボクの音楽武者修行」 小澤征爾 新潮文庫
「がむしゃら1500キロ」 浮谷東次郎 ちくま文庫、新潮文庫
「青春を山に賭けて」 植村直己 文春文庫
これらすべては、紀行文と言っても差し支えはない。正岡子規の「病床六尺」も夏目漱石の「硝子戸の中」も悪くはないけれど、遠くへ出かける、その出発までのこと、道中、出かけた先でのことを書いた文章が好きだ。
ところで学生のころに手に入れ、しかしその後に行方をくらませ、今になれば惜しく感じる2冊が以下だ。
「ミニ・ストーリー 小型車の革命」 ローレンス・ポメロイ著 小林彰太郎訳 二玄社
「世界最長ラリーに挑戦して」 三本和彦 二玄社
このうちの後者は、ロンドンを出発してフランス、イタリア、ユーゴスラビア、ブルガリア、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドと来てボンベイでクルマを船積み。オーストラリア南西端のフリーマントルに上陸し、東海岸のシドニーまでを走り抜く過酷な自動車競争に参加をした記録で、広義においては、やはり紀行文の範疇に入るだろう。見失ったこれをふたたび書架に加えようとしながら、しかしその値段の高さにいつも諦めてきた。
ところが先日、これまで何度してきたか数え切れないけれど、amazonにその書名を入れてみると、2,000円台、送料を入れても3,000円と少々の古書が出ていたので、思わず「カートに入れる」ボタンをクリックした。
本日、届いた包みを開けて、その本を確認する。47年前の出版だから「ヤケ」は小口の奥まで及んでいるものの、傷みは無い。よってこれにモツ焼きのタレやチューハイを垂らすことは避けたい。僕は活字中毒ではあるけれど、家ではほとんど本は読まない。どこで読むかが大問題、である。
朝飯 牛蒡と人参のきんぴら、納豆、玉子焼き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、塩らっきょう、ふきのとうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を注した大根おろし、それを添えただし巻き玉子、冷やしトマト、里芋と牛肉の肉じゃが風、大根と胡瓜と人参のぬか漬け、豆腐と揚げ湯波と大根の味噌汁、麦焼酎「黒麹道」(お湯割り)、西湖、”Chablis Billaud Simon 2015″
2019.4.2(火) 春雪
“EB-ENGINEERING”のタシロジュンイチさんには、4月2日の朝9時30分より、ホンダフィットのタイヤをスタッドレスから三季用のそれに換えるよう、前から頼んであった。「さすがに雪は、もう降らねぇだろう」と考えたからだ。その僕の予想を嘲笑うかのように、きのうの朝、雪の予報が出た。
夕刻になると、それを裏付けるように気温が急に下がり、冷たい雨が降り始めた。雪の予報は当たるかも知れない。
今朝、起きて廊下のカーテンを少しずらして見た国道121号線のアスファルトは、街灯の明かりを受けて黒く光っていたから、胸をなで下ろした。振り返ってみれば、雪の少ない冬だった。
きのう26年ぶりに取り引きを再開させていただいた日光の早見さんには早速に追加の注文をいただき、朝の9時すぎに納品をする。旧今市市の市街にあるウチから旧日光市の市街までは僅々5、6kmの距離ながら、こちらでは雪が降ったらしく、日光街道の脇にはところどころ、白いものが融けずにあった。
街を往く人たちの多くは、いまだダウンパーカを手放さない。これから数週のあいだに、気温はどれほど上がるだろう。半袖のシャツ1枚で過ごせる季節を、僕は待ち望んでいる。
朝飯 納豆、巻湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、塩鮭、ふきのとうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、若竹と若布と三つ葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 キャベツと人参と玉子のスープ、トマトとベビーリーフとアボカドのサラダ、鶏肉のドリア、“Chablis Billaud Simon 2015”
2019.4.1(月) 26年ぶり
東武日光線の終点である日光駅を出ると、ロータリーを隔てて真正面に、早見さんのお店は、ある。1993年の夏から取り引きの途絶えていたその早見さんから、3月のはじめに突然の電話を受けた。それからが忙しかった。もっとも僕は同じ月の7日からタイの奥地へ出かけてしまったから、忙しかったのは僕ではなく長男や嫁や社員たちだ。以降は取り引きの再開を4月1日と定め、それに向けて様々な準備を進めてきた。
早見さんへの初荷は、4月1日の朝8時30分に先方に到着と決められた。嫁のモモ君が作った仕事の一覧表には、この日の担当者として僕が指名をされていた。
そういう次第にて、商品と台車を積んだ三菱デリカの運転席に着き、8時10分に会社を出る。ウチと早見さんとの距離は5kmほどのものだろう。日光街道の杉並木を抜けて日光の市街に入り、左にウインカーを出して駐車場に入ろうとすると、それに気づいた奥さんは、そのまま店に横付けするよう僕を手招きした。
納品は早見さんの協力もあり、予想よりかなり早く完了した。今後、早見さんにはマメに顔を出させていただこうと考えている。
朝飯 巻湯と人参の炊き合わせ、春雨サラダ、目玉焼き、納豆、牛蒡と人参のきんぴら、メシ、豆腐とコゴミの味噌汁
昼飯 「ふじや」のタンメン(バターのせてね特注)
晩飯 春雨サラダ、水餃子、豆腐となめこと万能葱の味噌汁、イチゴを添えた杏仁豆腐、”Cote du Luberon Blanc”、同”Rouge”