2019.3.31(日) あとは燃え尽きないように
この日記に「味噌蔵のある庭」と書く場所を、ウチでは「隠居」と呼び習わしてきた。その庭の、多分、江戸の末期に建てられたと思われる家で月に一度、朝食の会「伝統家屋でいただく、なんでもない日の食卓」を催している。
この会は通常、家内と長男により運営をされている。しかし明日の4月1日から袋入りの商品の包装形態を50年ぶりに一新すること、あるいはその4月1日から商品を納め始める取引先のことにかかりきりの長男は、繁忙を極めている。よって今日の朝食の会に限っては家内がそのほとんどすべてを担い、僕は味噌汁の出汁を引くことと、什器の搬入と搬出のみ手伝った。
「いまから蔵見学、大丈夫でしょうか」と、販売係のタカハシカナエさんが店に立つ僕の耳元でささやいた。柱の時計に目を遣ると時刻は12時57分。蔵見学は通常、予約のお客様のみをご案内するものの、お断りするのも気の毒だ。見学を希望されたそのお客様にはしばらくお待ちいただくようお願いをし、そのまま隠居に走って先ほど閉めたばかりのカーテンをふたたび開けるなどする。お客様のご案内を終えて蔵から店に戻ると、時刻は13時30分になっていた。
今回の包装形態の一新については、昨年の夏から準備を進めてきた。そしてこの数日から明日4月1日までに社内の各部署、各自が何をすべきかは嫁のモモ君が一覧表を作り、社員に配布をしてあった。その表に従って僕は、ひとり閉店後の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ新しい商品を運び込み、商品説明の札を新しいものに換える。そして会社に戻ると、袋入りの新しい商品はすべて、残業した社員により店の冷蔵ショーケースに整えられていた。
宇都宮の百貨店との新たな取り引き、鬼怒川の旅館との新たな取り引きも、明日から4月10日のあいだに始まる。「後は燃え尽きないように注意をするだけだ」と長男が夕食の席で口を開いたので「オレはそこまで仕事はしてねぇなぁ」と僕は答えた。まぁ、世代交代、ということである。
朝飯 納豆、春雨サラダ、トマトのスクランブルドエッグ、牛蒡と人参のきんぴら、らっきょうのたまり漬、ふきのとうのたまり漬、メシ、大根と三つ葉の味噌汁
昼飯 「カルフールキッチン」のサンドイッチ、コーヒー
晩飯 刺身湯波の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、ほうれん草の胡麻和え、巻湯波と人参とうるいの炊き合わせ、エノキダケと三つ葉の酢の物、レタスとトマトを添えたメンチカツとコロッケ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、いちご
2019.3.30(土) 体力と蛮勇
東京から日光に移り住み、専門は板金だったが古典車の修復家として一時代を築いたバンノーセーイチさんを追悼する「阪納誠一メモリアル走行会」には、2006年から2016年まで11回、休むことなく参加をしてきた。多くの走行会が行楽日和の週末を選んで開催されるところ、これについては、年末も押し迫った平日に開かれるため、人が遊んでいるときにこそ忙しい僕でも顔を出すことができていた。しかし昨年と一昨年は開催日が12月30日とのことで、流石にこの日は「日光の美味七選」の出荷日に当たっているから会社は空けられない。
一方、この走行会は初夏の日曜日にも開かれ、しかし6月にタイへ行く僕は、社員に気兼ねをして、これには参加をしてこなかった。しかしきのう事務局から届いた案内を今朝、開封して読んでみると、今年の開催日は5月19日とあったから「だったら出られる」と、即、整備担当のタシロジュンイチさんにその旨をメッセンジャーで報せた。
問題は、僕の「飛ばし癖」である。「走る場所がサーキットであれば、飛ばすのは必然だろう」と問われれば、しかしそれは非常に体力を消耗する”sport”なのだ。あるいは蛮勇の求められる行為でもある。さて、5月のツインリンクもてぎは、無事に晴れ上がってくれるだろうか。
朝飯 巻湯波の淡味炊き、納豆、ほうれん草のおひたし、人参と蓮根のきんぴら、イカナゴの釘煮、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と長葱とトマトの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 人参と蓮根のきんぴら、イカナゴの釘煮、らっきょうのたまり漬、鶏肉団子と豆腐と白菜の鍋、麦焼酎「黒麹道」(お湯割り)
2019.3.29(金) それにしても頑固
昨年の10月下旬から始まった背骨と右の肩胛骨のあいだの痛みに対しては、あれこれの治療を試みたがまったく効かず、12月の下旬に至ってとうとう整形外科でブロック注射を打たれ、また鎮痛薬を処方されるに至った。そんなときに、facebookに上がったお客様の書き込みにより宇都宮の治療院を知った。
1月11日に訪ねたその治療院の先生は、僕のからだを診て「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い。それで駄目なら、そこから更に8回」と断じた。その先生が「それにしても頑固だねぇ」と呆れるほど凝り固まった筋肉や靱帯に対しての、本日は20回目の施術日である。
背中の痛みは、24日の日曜日には、ほとんど全快と言えるまで弱くなった。しかし朝から活動をして夕刻に至ると、いまだすこしの痛みが出てくる。その痛みの元を、先生は9,000ボルトの電子ペンでほぐしていく。
今日の帰り際には遂に「これからは、週にいちどの通院で良いでしょう」と言われた。現在の「ほとんど全快」の状態が、次の通院まで保てば幸いである。
夜は、僕が書記を務める日本酒に特化した飲み会「本酒会」に参加をし、21時前に帰宅をする。
朝飯 鶏卵雑炊、塩鮭、イカナゴの釘煮、キクラゲと鱈子の佃煮、らっきょうのたまり漬、ふきのとうのたまり漬
昼飯 「万世」のハンバーグランチ、サラダ、コーヒー
晩飯 「食堂ニジコ」の其の一、其の二、其の三、其の四、他あれこれ、3種の日本酒(冷や)
2019.3.28(木) タイへ行っているあいだに
午前、地元の信用金庫がここ数日間の売り上げを集金に来た際に、改元に伴う休業日についてのチラシをくれた。休みは4月27日から5月6日までの10日間。ウチの就業規則で決まっている給与日は毎月28日。しかし数十年前からの慣例により、いつもなぜか27日に支給あるいは振込をしてきた。今回の十連休に際しては、更に1日を前倒しして26日に振り込む必要があるだろう。
この十連休については巷間、あれこれのことがかまびすしく話されている。観光客の出足に限って言えば「これほど長い休みなら、海外へ出かける人が多くなり、国内旅行を楽しむ人は昨年より減るのではないか」と心配を語る、国内の観光業者もいる。しかし十連休は十連休だ。普段より忙しくなることは間違いない。
この連休に臨んで、釣り銭はどれほどを用意すれば足りるだろう。かなりの紙幣や硬貨を溜め込む必要があるように思う。
午後、別の銀行に通帳記入におもむきながら、東武日光線の下今市駅へ行く。そして昨夜の下り特急の車内から回収された文庫本を無事に受け取る。
夜は、僕がタイへ行っているあいだに取材を受けた、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場での様子を、とちぎテレビで観る。
朝飯 ウィンナーソーセージと赤ピーマンのソテー、納豆、巻湯波と小松菜の炊き合わせ、温泉玉子、らっきょうのたまり漬、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 生ハムのムースをのせたパン、トマトとベビーリーフとゴーダチーズのサラダ、日光味噌「ひしお」を使ったミートソースのスパゲティ、“Cote du Luberon Rouge”
2019.3.27(水) 片肺飛行で海峡を越える
目を覚まし、それほど時をおかず枕の下に差し込んだiPhoneを取り出し見ると、時刻は3時23分だった。即、起床して服を身につけ、洗面を済ませて食堂のテーブルに着く。
おとといの日記に書いた、袋入りの商品の包装形態、両目、価格の変更を、自社ドメインによるショップおよびYahoo!ショッピングには、今月31日に反映をさせる。加えて自社ショップでは、4月3日にも保守点検が行われる。作業中は、お客様はお買い物ができない。それをお知らせするためのメールマガジンを、4時から書く。そしてそれを、複数の社員が読むことのできるチャットワークに上げる。
4時30分からは、ほとんど書けていた24日の日記を公開し、続いて25日と26日の日記を完成させる。更には今日の日記のここまでを書く。
下今市07:05発の上り特急スペーシアに乗る。それを春日部で東武アーバンクラインに乗り換え七里で降りる。そしてオーミヤナナサト眼科まで数分を歩き、白内障の手術から5ヶ月目の診察を受ける。結果は良好。次の検査は7月から9月とのことにて、取りあえずは日を決めないまま眼科を去る。
日光に梅の花の開くころ、東京では桜が満開になっている。その、桜の森の満開の下を、椎名町、銀座、新橋と歩く。上半身に着けているのは木綿のシャツとブレザーのみ。それで汗ばむ陽気である。
家に帰る下り特急列車の中ではいつも、片肺で海峡を越える飛行機のように、僕は危なっかしい。眠りから覚め、ふと気づくと車両は下今市に着いたばかりだった。右のポケットにiPhoneを確認し、ショルダーバッグを引き掴んでプラットフォームに降りる。その瞬間、席の前の網袋に文庫本を置き忘れたことに気づく。
amazonで買った古書であり、既にして読み終えているところから、このまま無視することも頭をかすめたが、すこし惜しい気もした。側に立つ駅員が出たばかりの特急を見送るのを待って、対応のしかたを訊く。それから終点の日光駅に電話をし、明日の午後、その文庫本を下今市駅まで回送してくれるよう頼む。
朝飯 鶏卵雑炊、キクラゲと鱈子の佃煮、塩鮭、ふきのとうのたまり漬
昼飯 牛乳
晩飯 「鮨よしき」の酒肴あれや、これや、それや。鮨あれや、これや、それや。「御代桜醸造」の「四十三の春・純米大吟醸」(冷や)
2019.3.26(火) 蔵見学のご案内
朝、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」のウチの売り場を掃除するついでに如来寺のお墓に立ち寄る。そして彼岸の入りに供えた花を片付けると共に、花立てと線香立て、およびその周りを水で洗う。花は分家のお墓にも供えていたため、そちらについてもおなじく掃除を施す。
そんなことをしながら「一体全体、お墓は誰のためにあるのだろう」と考える。そして、お墓は多分、亡くなった人のためではない、生きている人の精神の安寧のためにあるのだと、なんとなく結論づける。もっとも今朝、このような思いを抱いたことは、いずれ忘れてしまうだろう。
13時より蔵見学の団体様が、大型バス2台でお見えになる。総勢57名様とは、過去に無い大人数だ。この旅行については、旅行社の方2名が今月6日に下見にいらっしゃっていた。それから段取りを始め、今回は、前半のお客様は長男が、後半のお客様は時間差を置いて、僕がご案内をすることとした。
本日のお客様は、上澤梅太郎商店の蔵見学に興味を持って臨んでいただけただろうか、喜んでいただけただろうか。ご案内の内容や技術は、これからも、更に向上をさせていきたいと考えている。
朝飯 キクラゲと鱈子の佃煮、巻湯波と小松菜の炊き合わせ、スペイン風目玉焼き、納豆、ふきのとうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、メシ、舞茸の天ぷらと三つ葉の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや、テグタンラーメン、麦焼酎「田苑シルバー」(オンザロックス)
2019.3.25(月) 時には急いで
世間一般の年度末は忙しいと聞く。「と聞く」とはいかにも浮き世離れをした物言いだが、それは、これまでウチでは特にこの時期が忙しかったことは無かったから、実感が湧かないのだ。しかし今年の3月、特に下旬に入ってからは忙しい。ひとつは、4月1日から、これまでの袋入りの商品の包装形態、両目、価格を一新することによる。
ウチの袋入りの商品は、1969年つまり昭和44年から50年、実に半世紀の長きにわたって、ポリエチレンの袋の口をアルミニウムの針金で留める形を用いてきた。これを4月1日からは、三層圧着袋の真空包装に改める。この仕様変更に伴ってもっとも負担のかかる社員は包装係にて、その負担をできるだけ和らげるため、準備は昨年の夏から進めてきた。また今月の21日には、この部署の社員をひとり増やした。4月1日へ向けては、複数の部署が協力をして、段取りを進行させている。
もうひとつは、ここ数ヶ月間の営業努力、更には降って湧いたような偶然から、複数の新しい法人様との取り引きが始まることになった。
このふたつにより、これから来月にかけての仕事は質、量ともに高い水準のものが求められている。急がず休まず、否、時には急いでこの峠を越えていきたい。
朝飯 蓮根のきんぴら、生玉子、しもつかり、冷や奴、らっきょうのたまり漬、ふきのとうのたまり漬、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「玄蕎麦河童」のかけ蕎麦(十割)、舞茸の天ぷら
晩飯 巻湯波と小松菜の炊き合わせ、キャベツのおひたし、らっきょうのたまり漬、鶏つくね団子とシメジの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」炒め、浅蜊と長葱の味噌汁、いちご
2019.3.24(日) ウォッカソーダをもう一杯
現在は3月24日、日曜日の朝である。日記はきのうの朝までに、きのうの分まで書き終えている。つまり文章における遅滞は一切、無い。しかしウェブ上で見られるのは4日前の、20日の日記までだ。それは、ときおりここに書くことだが、日記の最上部に置く画像が用意できないことによる。
いつまでも公開できないでいる21日の日記は英語に関するものだ。だったら画像もそれにふさわしいものを選ぶべきだろう。しかしそれが数日のあいだ見つけられないでいるのだ。こういうときには方向を変えた方が良い。あるいは方向を変えるしか道はない。ふと思いついて衣裳ケースからむかし買った香港製のシャツを取り出し、その写真を撮ってようやく、4日前の日記の「公開」ボタンをクリックする。
土曜日は平日の2倍いそがしく、 日曜日は平日の3倍いそがしい。特にこの週末は、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」にて、試食販売もさせていただいた。
18時に店を閉め、キャッシュレジスターも締める。1日いそがしく働いて、そのまま町内の会議へと出かけるのは味気ない。仏壇の花とお茶と水を片付けてから、ウォッカソーダを作る。これが予想外の濃さになり、また缶入りのソーダ200ccを使い切るため、お替わりもする。そうして町内役員用の書類入れを小脇に抱え、18時55分に社員用通用口を出て公民館へと急ぐ。
朝飯 蓮根のきんぴら、切り昆布の炒り煮、しもつかり、大豆の薩摩揚げの淡味炊き、ふきのとうのたまり漬、らっきょうのたまり漬、塩鮭、メシ、揚げ湯波とキャベツの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 トマトサラダ、「カルフールキッチン」のサンドイッチ、同カマンベールフライ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.3.23(土) 白内障手術の体験談
昨秋、両目に白内障の手術を受けた。術後の検査は徐々に間遠になり、その最後と思われるものが来週に予定をされている。それに臨む際には、手術を体験しての感想文を書いてくるよう、あらかじめ紙を手渡されていた。その文章を、今日の朝飯前に書いた。以下にその全文を引用する。
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2016年6月に遠近両用のメガネを紛失しました。よってメガネを新調すべく馴染みのメガネ屋に行きました。すると検眼の際に「特に右目の視力が極端に落ちている。いちど眼科で診てもらうべき」と言われました。2ヶ月後に地元の眼科で診察を受けると、白内障と診断をされました。そして「白内障の手術は、以前はよほど悪くなるまで引き延ばしたものだが、今は、早く受けた方が良いという方向に変わってきている」と、説明を受けました。
そうは言われても、人が手に握ったメスで眼球を切られるなどは、手元の狂いなどもあるでしょうし、想像しただけで恐ろしく、手術を受ける気には、到底なりませんでした。
2018年5月、何かのきっかけから、ヤマザキケンイチロー先生による「人生が変わる白内障手術」という本に出会い、即、購入しました。本は平易かつ丁寧な文章によるため、1日で読めました。そして即「コンピュータに制御されたレーザーが水晶体を真円に切るなら安心だ。この先生に手術をしてもらいたい。しかしこの先生が九州や関西の人では、ちょっと遠くて無理」と考えつつ調べると、場所は埼玉県とのことで「だったら栃木県日光市からでも通える」と、2018年7月にオーミヤナナサト眼科を訪ねました。
手術日は、自分にとっての重要な日程を避けて、10月に決めました。以降は何度か術前の検査、診察を受けましたが、多種にわたる検査も、大勢の技師が手際よく行ってくれるため、待ち時間はほとんどなく、毎回、すぐに終わりました。ところで「コンピュータに制御されたレーザーが水晶体を真円に切るなら安心」とはいえ、怖さはあります。それをヤマザキ先生に伝えると「目は誰でも怖いです。頑張りましょう」と励まされました。
手術の当日、待合室で椅子に座っていると、手術室から出てくる患者さんたちが皆さん、穏やかな笑顔を浮かべているので「気が抜けるほど楽だったんだろうな」と分かりました。そしていざ自分の手術が始まってみると、それはやはり、とても楽なものでした。手術は20分ほどで完了しました。
手術を受けている間は、患者が安心できるよう、ヤマザキ先生や看護師さんが、いろいろと声をかけてくれました。
火曜日に右目、そしておなじ週の金曜日に左目の手術を受けました。極端に言えば、手術の最中の私は「鼻歌まじり」くらいの気楽さでした。白内障の手術を鼻歌まじりに受けるための要諦は、病院と執刀医を信頼することです。逆の言い方をすれば、信頼できる病院と執刀医を見つけることです。
手術の翌日に眼帯を外すと、外の景色が鮮やかに見えました。風景全体が青みを帯びて感じられる点については、3ヶ月ほどで慣れるということでしたが、実際にはそれより遥かに早く慣れました。手術前は、特に夜の街灯や信号機が、まるで観覧車のように大きく重なって見えていましたが、術後は若いころの見え方に戻りました。そして1日も経たないうちに、白内障を患っていたときの、極端な近視や乱視風の見え方は忘れてしまいました。
白内障手術を受けた後は、暗いところでは光が「グレア」とか「ハロー」という独特の見え方をすると、先生の本には書いてありました。しかし私の場合には「グレア」はまったく感じません。また「ハロー」についても、術前のひどい見え方にくらべれば、気にもなりません。
私は子供のころから視力が高く、50歳を過ぎてからの遠近両用メガネも、読み書きをするときにしか使っていませんでした。つまり煩わしく感じるメガネは、できるだけ使いたくありません。今回の手術では三焦点レンズを入れましたので、術後はメガネがまったく必要なくなりました。
白内障と診断をされた人は、先生が書いた「人生が変わる白内障手術」をすぐに読み、できるだけ早く手術を受けるべきと思います。お年寄りは、認知症が始まると、否、認知症でなくても、先生や看護師さんの言うことが理解できずらくなります。よって更に早く手術を受けるべきと思います。
白内障の手術を受けていなかったら、私の、特に右目は早晩、視力を失っていたでしょう。正に「人生が変わる白内障手術」でした。
enquote – – – – –
朝飯 塩鮭、切り昆布の炒り煮、しもつかり、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとベビーリーフとモッツァレラチーズのサラダ、4種のパン、鶏肉と根菜類のクリームシチュー、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2019.3.22(金) シラフで書いて、この文章
目を覚ましたのは2時15分。起きて服を着て洗面を済ませてから見た食堂の電波時計は3時56分。タイムマシンに乗って未来へ行ったわけではない。目を覚ましてから活動を始めるまでに1時間41分もかかった、ということだ。1時間41分とは、特急に乗れば下今市から浅草まで行けてしまう時間にて、これを、特に何もせず費消してしまったのは大いなる無駄である。反省をしなければならない。
日記は通常、おとといのそれを朝食の前に書く。しかし今日は珍しく、夕食後にきのうの日記を書いた。酔って筆を持つ手、否、キーボードを叩く手指の動きが滑らかになったか、すらりすらりと…と、ここまで書いて「すらりすらり」はオノマトペだろうか、と考える。そうして検索エンジンに「オノマトペ」と入れてみる。
僕はこの日記には、できるだけ擬音は入れたくない。それは、この日記では文語的な文章を守りたい気持ちがあるからだ。検索エンジンの飛んだ先のページには、オノマトペは擬声語をあらわすフランス語で、擬声語とは擬音語と擬態語の総称とあった。「すらりすらり」は、上記の場合には擬態語に属するだろう。
と、またまたここまで書いて「そういえば、狂言の台詞には、この擬態語が多いな」と、以前に観た舞台を思い出す。僕の場合には、そのことを思い出しただけで、更に先へと思考を進めることはしない。
「そういえば」と、脳は更に逍遥する。そういえば井上康生は柔道に関係するオノマトペについて論文を書いたはずだ。技術の伝達にはことばで伝えづらい抽象的な部分があって、だからオノマトペが多用されるのだろう。その極めつけは長嶋茂雄による「パーッと球が来たらバーッと打て」だと思う。中畑清はそのひと言で不調から抜け出したと聞くけれど、果たしてそれは本当だろうか。
朝飯 蓮根のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、しもつかり、キクラゲと鱈子の佃煮、らっきょうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「パニフィカシオンユー」のベーコンとジェノベーゼソースのパン、同クリームパン、コーヒー
晩飯 胡桃の入ったミモザサラダ、4種のパン、2種のソーセージと根菜類のスープ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″