2019.2.18(月) 前とおなじ
宇都宮の消化器科は日光宇都宮道路の宇都宮I.C.から、そう遠くないところにある。胃カメラの予約は11時。「10分前までには来院してください」と説明書にはあったものの、会社からは30分もかからず、10時35分に着いてしまった。
今日は患者が多く、胃カメラのための部屋に通されたのは11時30分を過ぎたころだった。それから鼻や喉に麻酔薬を噴霧されたり流し込まれたりし、胃の動きを鈍くするための注射を打たれて11時40分。看護婦さんに指示されるまま施術台に横になると、部屋の照明が落とされた。胃カメラのモニターや警告灯のみが、あたりをほの明るくしている。
先生と看護婦さんが部屋に入ってきたのは正午。腰の低い先生は時間の遅れたことをしきりに謝るが、当方は安静にしていられる時間が大好きだから、どうということもない。
胃カメラは直径1センチほどの、喉から挿入する旧式でさえ苦にしなかったが、いつの間にか鼻から入れる細いものに進化して、劇的に楽になった。また、5年前は15分ほどかかった検査が、今日は10分ほどで完了した。しばらくして呼ばれた診察室でディスプレイに映し出された僕の食道、胃、十二指腸はとても綺麗で、ピロリ菌もいないという。
土曜日に処方をされた「消化管の運動を活発化させ、胸やけ、食欲不振などを改善する」という薬がまったく効かないことを伝えると「でしたら、そのお薬、もう止めておきましょう」とのことだった。
そういう次第にて「やっぱり前回、前々回とおなじだったかぁ」と北北西にホンダフィットの鼻先を向け、13時に会社に戻る。
昼飯 “Panification U”のナッツとベリーのパン、コーヒー
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、プチトマトと二十日大根のサラダ、切り昆布の炒り煮、煮奴のすき焼きのせ、「なめこのたまり炊」によるなめこおろし、塩らっきょう、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.17(日) ことによると
目を覚ましてしばらくすると、朝食の待たれる気分になった。しかし14日に発生した5年ぶりの「腹減らない病」により、胃袋には膨満感がある。つまり、脳は食事を欲するものの、肉体は欲しないという乖離が起きているのだ。きのう宇都宮の病院で処方をされた「消化管の運動を活発化させ、胸やけ、食欲不振などを改善する」という薬はまったく効いていない。
「腹減らない病」が過去においてもかならず2月に発症していること、また消化管を対象とした薬が効かないところからすれば、この、4年から5年おきに起きる不具合は、ことによると肉体ではなく気持ちに関係するものなのかも知れない。
きのうはお粥が捗らずに苦労した。よって今日は穀物は避け、味噌汁のみを朝食とする。「味噌汁だけなんだから」と、いつもはミルクパンに250ccの水を入れるところ、今回は400ccにしてみた。すると今度は汁のみでも腹が苦しくなった。明日は胃カメラだから朝食は抜き。明後日の朝食は、普通の量の味噌汁1杯にしてみよう。
朝飯 菜花と揚げ湯波と鶏卵の味噌汁
昼飯 “Panification U”のキノコと胡桃のパン、コーヒー
晩飯 切り昆布の炒り煮、鮭の麹漬け、煮奴の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、塩らっきょう、帆立貝の淡味炊き、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.16(土) 治らないことは分かっているけれど
おととい発生した「腹減らない病」について、前回のこれは2014年2月8日から2週間以上も続いたと、おとといの日記に書いた。本日、日付を更に遡ってみると、前々回のそれは2010年2月6日から同月の19日までと記録があった。つまりこの奇病は決まって2月に起きている。
過去の経験から知る限り、この「腹減らない病」は病院に行っても治らない。2週間ほどするうち、あるとき急に腹が減って、快癒したことを知るのだ。「病院に行っても治らない」とはいえこのまま漫然と過ごすよりは医師の意見も仰いだ方が良いだろう。そう考えて今朝は、胃腸に変調を来した際には頼りにする宇都宮の消化器科を訪ねた。そうして月曜日の胃カメラを予約する。会社に戻ると時刻はいまだ10時10分。個人病院は何ごとも早くて大いに助かる。
「腹減らない病」に罹っているあいだも、食べ物は食べられる。しかし大げさに言えば猫が食うほどの量で満腹になり、そこから先は無理に詰め込んで苦しくなる。それを昨夜と今朝に痛感をしたため、昼からは食事を軽くする。
朝飯 お粥、梅干し、ふきのとうのたまり漬、トマトと揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 クロワッサン、マーマレード、ヨーグルト、コーヒー
晩飯 ふきのとうのたまり漬、塩らっきょう、鮭の麹漬け、納豆、煮奴の「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」がけ、麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.15(金) memento mori
日本橋高島屋の催し「老舗名店味紀行」は、今週の水曜日を初日として、順調に滑り出した。この間、売り場に立つため家内と長男は東京に滞在をする。嫁は実家から日光の本店に通勤をする。つまり僕は、今週の水曜日から来週の火曜日まではひとり暮らしである。このようなときには必ず、社員用通用口の鍵を、そのとき最も早く出勤しそうな社員に托す。僕が夜中に突然死でもしたら、会社を開けられなくなるからだ。
僕が15歳のとき、妹は13歳で病没をした。オヤジの末弟は大学生のときにやはり病没をした。僕の高校時代の同級生は、その1割以上が既にして鬼籍に入っている。戦場に生まれ育った人ほどではないにしても、僕の死を想う気持ちは一般のそれにくらべても、いささか強いように感じている。
そういえば、ことし経済団体の新年会で長男と親しく名刺交換をしてくださった方が、その4日後に急逝する、ということがあった。「これほど驚いたことは初めてだよ」と長男は顔を青くした。そういう経験を、僕はこれまでに幾度も重ねてきている。死は、来るときには、いきなり、来るのだ。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、すぐ生を薬味にした納豆、煮奴、ふきのとうのたまり漬、鮭の麹漬け、メシ、豆腐と菜花の味噌汁
昼飯 フランスパン、マーマレード、ヨーグルト、コーヒー
晩飯 帆立貝の淡味炊き、納豆、二十日大根とトマトのサラダ、煮奴、焼叉、鮭の麹漬け、「三和酒類」の麦焼酎「日田全麹」(お湯割り)
2019.2.14(木) 奇妙な病
数年に一度「腹減らない病」という奇病に取り憑かれる。そして本日の日中、またこの病の訪れたことを知る。ただの食欲不振でないということは、自分のからだだけに分かっている。
「腹減らない病」にかかっている最中は、文字通り腹が減らない。何日ものあいだ食事を摂らなくても腹は減らないものと思われる。しかしそれではいかにもまずかろうと、食事は普段通りにする。食べようとすれば食べられるし、美味い物はそれなりに美味く感じる。酒も飲める。まったく不思議な病である。
そして「前回、この病に襲われたのはいつのことだっただろう」とこの日記に検索をかけてみると、それは2014年2月8日から2週間以上も続いていた。このときは重症で「腹減らない病」と共に「酒飲みたくない病」および「ラーメン食べたくない病」も発症し、翌3月にはラーメン好きの僕が、こともあろうに1杯もラーメンを食べないという新記録を打ち立てている。
さて今回の「腹減らない病」は、どれほど続くだろう。前述のように、この病にかかっていても「食べようとすれば食べられるし、美味い物はそれなりに美味く感じる」から、今日の夕食もワインも、それはそれで美味かった。
朝飯 切り昆布の炒り煮、帆立貝の淡味炊き、すぐきを薬味にした納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、鮭の麹漬け、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と菜花の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 帆立貝の淡味炊き、”TIO PEPE”、パン、トマトとピーマンとソーセージのオーブン焼き、”Salitage Pemberton 1999″、“BJORK”(生)
2019.2.13(水) 二宮翁夜話
年に1度しか収穫されない農作物を、発酵という微生物の働きにより風味と姿を調え、年間を通じて可能な限り高い質を保ちつつ蔵出しを続ける、という当方の仕事には、絶え間のない調整が必要になる。本日は「日光味噌のたまり」に漬ける前のらっきょう2種の官能試験をするようフクダナオブミ製造顧問に頼まれ、それを午前のうちに行う。結果は双方ともに合格。とても嬉しい。
夜はいそいそと料理に取りかかる。きのう買ったパンを切ってオーブンに入れる。昼のうちから解凍しておいたソーセージを包丁で縦割りにし、それを鉄板で焼く。刻んだ温野菜は、数日前の残りものだ。皿にはあらかじめ熱湯を注いで温めておく。ワインは澱を完璧に落とすため、数週間前から寒い部屋に立ててあった。
そうして暖房の効いた部屋で、ひとり夕食を摂る。一度では到底やっつけられないだろうと予想したパンは、切っては焼き、切っては焼きを繰り返すうち、結局は丸ごとを食べ尽くしてしまった。
酔えば後片付けが面倒になる。「明日の朝にまわそうか」という思いが一瞬、頭に浮かんだのち、高等学校のときに読んだ「二宮翁夜話」を思い出す。「たとえ明日の糧食が無かろうと、今夜の食器は今夜のうちに洗うべし」という意味のことが、その本のどこかにはあったはずだ。
挽き肉のこびりついた鉄板を洗い、使い終えた風呂を洗い、僕としては結構おそい時間に寝室に入る。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、煮奴の「椎茸のたまり炊き」のせ、生玉子、切り昆布の炒り煮、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波とトマトと二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のサンラーメン
晩飯 牡蠣のウースターソース炒り、”TIO PEPE”、パン、温野菜を添えた焼きソーセージ、“Salitage Pemberton 1999”
2019.2.12(火) パン屋の検索
「1週間に2回の割で通院して、計8回で快方へ向かう可能性が高い。それで駄目なら、そこから更に8回」と言われたカイロプラクティックでの、本日は10回目の施術日にて、朝、ホンダフィットの鼻先を宇都宮へ向ける。家を出るときカーオーディオに突っ込んだエイミー・ワインハイスの”HIDDEN TREASURES”が12曲目の”A SONG FOR YOU”にさしかかろうとするころ目的地に着く。本日の往路に要した時間は40分。
診療を終えて、2度目の回数券を買う。この整体院の先生が「8」という数字にこだわるのは「東洋医学の深淵から浮かび上がった定理」というようなものではなく、ことによると「超~得割」と印刷された回数券が8枚綴りだからかも知れない。
ところでウチは明日から日本橋高島屋の催し「老舗名店味紀行」で、1週間の出張販売をさせていただく。売り場に立つ家内と長男は、今日から東京に8泊をする。そのあいだの僕の食事はおよそ3分の2が自炊になるだろう。朝は和食で譲れない。それに対して夜はワインが飲みたい。
そういう次第にて治療を終えた後は、整体院の駐車場でiPhoneにより宇都宮のパン屋を検索し、もっとも美味そうな画像の見えた店までgoogleマップに案内をさせる。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、もやしとニラのソテー、切り昆布の炒り煮、薩摩揚げの網焼き、ふきのとうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と二十日大根の味噌汁
昼飯 すぐき、昆布と椎茸と蓮根の佃煮、梅干し、蕗のとうのたまり漬、塩らっきょう、しいたけのたまり炊によるお茶漬け
晩飯 牡蠣のウースターソース炒り、”tio pepe”、“Panification U”のパン其の一、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、パン其の二、”Brunello di Montalcino Riserva Mastrojanni 1985″
2019.2.11(月) ある豆板醤のこと
この日記に「百徳食品公司」でサイト内検索をかけると、およそ10日分の日記が現れる。この会社の豆板醤と辣椒油を僕は哀惜して止まない。なぜ哀惜かといえば、その上出来の調味料を手に入れることが、今では能わないからだ。否、能わなくはない、これらの品物を置いている九龍醤園は、今でも香港島にあるはずだ。しかしまさか豆板醤と辣椒油を手に入れるためだけに香港へ行くわけにはいかない。それ故の哀惜である。
夜、嫁の用意した鍋を目にして「これ、百徳食品公司の豆板醤で食いてぇな、でも、もうホンコンには行けねぇからな」と口にすると「ホンコン、行こうよ」と家内が言う。
香港の啓徳空港にはじめて降りたのは1978年11月のことだ。世界の多くの国とおなじく、日本もまたアメリカの文化に濃厚に影響を受けつつ第二次世界大戦後の数十年を経てきた。その日本から香港へ飛んだ僕は、その異国情緒に強く惹きつけられた。”Love is a many splendored thing”を観たアメリカ人とおなじである。
それほど魅了された香港ではあったけれど、旅に時間を割くなら更に南のインドシナ、それもタイで、今は過ごしたい。誰かあの、香港島の狭い坂を昇って九龍醤園まで行ってくれないか。豆板醤と辣椒油を買ってきてくれれば鮨くらいおごるのだから。
朝飯 切り昆布の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、焼きトマトを添えた目玉焼き、すぐきを薬味にした納豆、大根の麹漬け、メシ、揚げ湯波ともやしの味噌汁
昼飯 朝食のおかずを流用した弁当
晩飯 厚焼き玉子、胡瓜とトマトとレタスのサラダ、チーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、豚三枚肉と厚揚げ豆腐と春雨の鍋、麦焼酎「ひゅうが晴」(お湯割り)、いちご
2019.2.10(日) 上澤梅太郎商店の蔵見学
「北海道に観測史上最強の寒気。東京23区でも最大5センチ、関東北部および山沿いでは8~10センチの積雪」と、テレビの天気予報はきのうから注意を喚起してきた。
今日の仕事は雪かきから始める必要がある、そう考えつつ早朝、洗面所のカーテンをすこしずらして店の駐車場を覗うと、そこにはスノーダンプで雪かきをしたことを示す、幾重もの筋が見えた。長男はきのうの最終特急で東京から帰宅をする予定だった。とすればそれからひとり、雪かきをしたのだろう。その労力の甲斐あって、今朝はすべての社員が始業時から本来の仕事に当たることができた。
長男はまた、昼前に隠居の飛び石の雪かきもした。13時から蔵見学の予約が入っているのだ。
12時50分に隠居の門を開けて店に戻ると、ご一行はちょうどお着きになったところだった。
上澤梅太郎商店の蔵見学は、隠居の築150年の旧宅にお上がりいただくところから始まる。ひととおりのご説明を終えると「アカデミックだな」の声が9名様の中から聞こえた。僕の解説のどこかアカデミックなのかは知らない。続いて隠居に隣接する蔵の中に皆様を招き入れ、先ほどより更に細を穿ったご案内をする。蔵から外へ出たら店まで皆様を先導して蔵見学は完了。今日は35分間の行程だった。
蔵見学のご予約は専用ページにて承っています。日曜日や祝日にお出かけのお客様は、ぜひお試しください。
朝飯 納豆、細切り人参の炒り煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、薩摩揚げ、大根の麹漬け、塩らっきょう、メシ、シジミとニラの味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 トマトとベビーリーフとモッツァレラチーズのサラダ、キャベツと玉葱とハムのスープ、たまり漬「国産にんにく」と同「鬼おろしにんにく」を添えたビーフステーキ、“Brunello di Montalcino Riserva Mastrojanni 1985”、いちご
2019.2.9(土) “facebook page”の不思議
“facebook”についてのすべてのことを、その都度、的確に教えてくれる人がどこかにいないか、いれば駆けつけて、まぁ、それほど遠くまでは駆けつけられないけれど、授業料を払って指導を受けたい。”facebook”は仕様の変更が頻繁だ。きのうできたことが今日はできず、あるいは知らないうちに旧に復したりすることが多すぎる。
またこれは多くのサイトに共通することかも知れないけれど、”facebook”もまた、コンピュータとスマートフォンでは見えるものがまったく異なることがままある。
今日は閉店後にスマートフォンで上澤梅太郎商店の”facebook page”を閲覧する最中に「らっきょうのたまり漬」を、言葉を尽くしてお褒めくださっている”facebook page”のあることに気づいた。日付は2017年7月29日とあるから、何と1年半も気づかずにいたことになる。
僕は大切なコメントをつける際にはスマートフォンは使わない。指先に粗相を生じておかしな文章を先様のタイムラインに残し、修正も削除もできないとなれば失礼になるからだ。よって前述の記事については明早朝の落ちついた時間にご返事することとする。
朝飯 ほうれん草のソテー、細切り人参の炒り煮、「しいたけのたまりだき」の玉子焼き、納豆、じゃこ、しもつかり、メシ、豆腐と若布と二十日大根の葉の味噌汁
昼飯 「丸亀製麺」のかしわ天うどん
晩飯 タイ風春雨炒め、ほうれん草のタイ風炒め、オースワン、麦焼酎「ひゅうが晴」(ソーダ割り)