2018.1.31(水) 一気の投入
昨年の6月26日、店舗の裏側に接する木造アパートが全焼した。当方の被害の状況については即、専門の業者が入れ代わり立ち替わり調査をし、修理修復が必要な範囲と経費を特定した。しかしそのときには焼け跡に阻まれて足場が組めなかったため、漏電の認められた電線が交換されたのみだった。
火事の直後こそ「盆明けくらいから」と予想された復旧工事だったが、焼け焦げて炭のようになった2階建てのアパートは、住民が解体業者に頼らず、みずからの手で片付けることを決めたため、それが更地になったのは、クリスマスも近くなるころだった。
年が明けて今月の15日より、ようよう現場に足場が組まれた。以降、高熱に曝されて一部が剥落した壁が塗り替えられ、割れた窓ガラスが入れ替えられ、換気扇の溶けた雨よけが交換され、電線を支える鉄の柱が新しくされと、これまでの遅れを取り戻すよう、作業が効率よく進んできた。
本日、4階の北の窓から何気なく外に目を遣ると、店舗の屋根の、火事場に面した側の瓦が取り外されているところだった。この部分の瓦は炎に炙られ、2間ほど内側までもろくなっている。修理は屋根の上からも下からも、徹底的に為されるだろう。
今日はまた、熱により熔けたパイプと電線を交換するため冷蔵庫の業者が来ている。午後は、やはり熔けた電話線を交換するため”NTT”の技術者が下調べに来て、彼らを屋内外の現場に案内した。6ヶ月の遅れを取り戻すための、一気の投入である。
朝飯 肉じゃが、塩鮭、切り昆布の炒り煮、油揚げと小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬(試作品)、明太子、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「しその実のたまり漬」を薬味にした納豆、ポテトサラダ、「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を垂らした半熟玉子、ごぼうのたまり漬(試作品)、塩豆、「軸屋酒造」の芋焼酎”Rin precious”(お湯割り)
2018.1.30(火) 積雪のおそれ
列島にふたたび雪の降ることは、テレビやインターネットのニュースで知っていた。しかしそれがどれほどの量になるかは分からない。「山沿いは50センチ、平野部は20センチ」などと言われても、ウチはちょうど、その山沿いと平野部のあいだにあるからだ。
販売係のハセガワタツヤ君は、きのうの夕方、店の駐車場に融雪剤を撒いた。これを踏んだ足で歩きまわると店の犬走りや床に、油でも染ませたような跡が付いて汚らしい。しかし背に腹は替えられない。
夜はいつまでも起きていない。夕食を済ませれば即、入浴をする。入浴を済ませれば即、就寝をする。夜よりも朝の方が好きなのだ。というか、早くに寝れば、いまだ夜が終わる前に目が覚める。そして着替えて食堂へ行く。
食堂は東と南に窓を持つ角部屋だ。夏の暑さを避けるため、3枚の窓には遮熱の効果もあるカーテンが降ろされている。そのカーテンをひとつ巻き上げると、街灯に照らされた歩道にはすこしの雪、そして車道の雪はクルマに踏みつぶされて跡形もなかったから胸をなで下ろす。
朝飯 薩摩揚げの淡味炊き、納豆、油揚げと小松菜の炊き合わせ、切り昆布の炒り煮、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、明太子、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 チーズと生ハムとレタスのサラダ、フォカッチャ、鶏肉とトマトのオーブン焼き、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”
2018.1.29(月) つぎあて
「自分の子供のときの写真などは、とてもではないけれど、人に見せられるものではない、まるで難民みたいで」と、むかしある作家が書いていた。その作家の年齢は多分、僕よりひとつふたつ上だろう。とすれば、その子供時代は僕とおなじく昭和三十年代に重なる。
子供のころ、僕の服には、オフクロによるつぎ当てが目立っていた。実は今でも、つぎの当たった服が好きである。「すり減らない道具が好き」とか「道具がすり減れば、修理を施して更に使うことが好き」という僕の好みにも、それは合致をしている。
2016年の4月にユニクロで手に入れた、木綿のズボン3本の裾が隨分とすり切れてきた。このまま放置をすれば、またたく間にみすぼらしくなるだろう。そう考えて先日はイオン今市店へ出かけ、2階の手芸屋で帆布を50センチほど買った。そしてその帆布とズボン3本を持って1階のリフォーム屋「マジックミシン」を訪ね、帆布をズボンの裾にぐるりと縫い付けてもらった。
小遣い帳によれば、ユニクロのズボンは3,225円だった。今回の修理にかかった経費は、1本あたり1,254円だった。
新品を買った方が安上がりに感じられないでもないけれど、僕の経験からすれば、ズボンは裾まわりを修理して更に使った方が、圧倒的に経済的である。それよりも何よりも「つぎの当たった服が好き」という好みがある以上、次のズボンにも、やはりつぎは当てるに違いない。
朝飯 ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、納豆、スペイン風目玉焼き、油揚げと小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、明太子、メシ、揚げ湯波と玉葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 ほうれん草の胡麻和え、肉じゃが、田作り、鮭と昆布の重ね煮、おでん、千枚漬け、「軸屋酒造」の芋焼酎”Rin precious”(お湯割り)、ロールケーキ、”Old Parr”(生)
2018.1.28(日) 依存症
日本ではこの1週間に、インフルエンザの患者が一気に100万人も増えたと、ウェブニュースが伝えている。インフルエンザは、どこでそれほど流行っているのだろう。
この日記を直近の10年ほどで検索してみると、僕がインフルエンザの予防接種を受けたのは、2007年、2008年、2010年、すこし間を置いて2014年、そして2015年を最後として、以降は無沙汰を続けている。「インフルエンザの予防接種は効かない」という見出しや記事を、あちらこちらで見たり読んだりしたせいかも知れない。
ところで僕にはインフルエンザに罹患した記憶が一切、無い。そこにはアルコールへの依存が関係しているような気がする。アルコールへの依存とはいえ、飲む方ではない。それを手指に噴霧することにおいての依存である。
僕は何かをするたび、手指をアルコールで消毒しなければ気が済まない。ということは、その習慣を持つ酒屋、麹屋、味噌屋、醬油屋も、あるいはインフルエンザには、ほとんど罹らないのではないか。誰か調べてくれれ有り難い。
朝飯 エノキダケの酢の物、塩鮭、納豆、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、切り昆布の炒め煮、油揚げと小松菜の炊き合わせ、しその実のたまり漬、メシ、揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 鱈と牡蠣と牛肉の鍋、「軸屋酒造」の芋焼酎”Rin precious”(お湯割り)、2種のチョコレート、”Old Parr”(生)
2018.1.27(土) 大記録
この日記を遡ると、2013年12月9日の朝食は、和室の朱塗りのテーブルで食べている。しかしその日の夕食は、食堂に置かれた無垢のテーブルで食べている。つまり、今の住まいのリフォームがおおかた完了したのは、その2013年12月9日ということになる。以来、もっとも高い頻度で使われてきた冷暖房機は、食堂の天井に埋め込まれたそれだ。
その冷暖房機の「フィルター」の警告灯が点くたび、僕は2枚のフィルターを水洗いしてきた。その際に覗くことのできる内側が、このところは隨分と汚れてきた。よって今日は午前から、その冷暖房機の掃除が専門の業者により行われた。
その業者の仕事に立ち会ううち、応接間の館内電話が鳴る。それは、ウチのコンピュータや、それに関するあれこれの仕事を頼んでいる、シバタサトシさんの来訪を伝えるものだった。
1995年からの16年間に、僕は9台の”Thinkpad”を使ってきた。そして最後の”X61″を、2011年8月4日からは”Let’s note CF-N10″に乗り換えた。
それから2年数ヶ月の後、この”Let’s note”の東芝製のハードディスクがおかしな兆候を見せ始めたため、それをシバタさんに頼んで”SanDisk”の”Solid State Drive”に換装してもらった。その2013年12月21日以来5年のあいだ、その”SSD”には何の問題も発生はしなかったけれど、シバタさんによれば、そろそろ新しくした方が無難だという。
冷暖房機の掃除の現場から離れるわけにはいかないため、シバタさんには4階に上がってもらい、応接間にて、その交換作業に当たってもらうこととした。
冷暖房機の掃除は昼前に完了した。”SSD”の換装は午後に完了した。
現在の”SSD”の寿命は5年より長いと聞く。それを心臓部とする現在の”Let’s note CF-N10″は、果たして5年後の2023年まで保ってくれるだろうか。もしも保てば12年間にコンピュータは1台のみという、大した記録の樹立である。
朝飯 雑炊、塩鮭、油揚げと小松菜の炊き合わせ、みょうがのたまり漬、なめこのたまりだき、明太子
昼飯 ラーメン
晩飯 「一葉亭」の刺身の盛り合わせ、マカロニグラタン、キムチ鍋、他あれこれ、「霧島酒造」の芋焼酎「黒霧島」(お湯割り)
2018.1.26(金) たまり漬を使った料理の撮影
下今市07:03発の上り特急スペーシアに長男と乗る。北千住を経由して、表参道には9時20分ころに着いた。長男は、本日、たまり漬を使った料理を作ってくれるフジムラさんと待ち合わせのため、A3出口へと向かった。僕はA4出口から外へ出てスタジオを目指す。
南青山の家々の屋根には、月曜日から火曜日にかけて降った雪が、いまだ残っている。今朝は毛糸の手袋を持参した。東京で手袋を身につけるなどは、校庭で雪合戦をした高校生以来のことではなかったか。
今月12日に打ち合わせた内容の料理が、壁に貼られた紙の順序に従って作られていく。その料理ひとつにつき、何点もの写真が撮られていく。数秒の間を置いてモニターにあらわれる画像を検分しつつ、ディレクターはカメラマンに、様々な注文を付けていく。
一時は予定から1時間以上も遅れた撮影が、夕刻に近づくに連れて徐々に追いついていく。すべての料理を撮り終えたとき、時刻は予定より5分を遅れたのみだった。
撮影のために作られた料理は最後に、大きな板の上に並べられた。それを肴にして、本日の撮影に関わった6名で酒盛りをする。
朝飯 雑炊、明太子、ごぼうのたまり漬、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、塩鮭
昼飯 「料理倶楽部」の日替わり弁当
晩飯 たまり漬を使った料理あれこれ、スタジオに保管されていた3種の日本酒(燗)
2018.1.25(木) タイマーとポストイット
オヤジはタイマーが好きだった。あちらこちらのコンセントにタイマーを仕掛け、様々な電気器具が自動的に動き始めたり、あるいは止まったりするようにしていた。
僕もタイマーは好んで使う。しかしそれはキッチンタイマーに限られる。「この仕事は、5分間の長さで2度くりかえすべし」とか「社外に出ても、来客に備えて55分後には事務室に戻るべし」というようなときには、しかるべき時間を設定したキッチンタイマーを、手近なところ、あるいはポケットに持つ。
僕はまた、ポストイットも好きだ。使い道はほとんどすべて”to do”である。キッチンタイマーとポストイットを手放さないのは、ひとえに、僕の物忘れの多さにある。
昨年の6月、バンコクで必要に迫られ、いつものポストイットを、海外ではいつも持ち歩くA5のノートから取り出した。そうしたところ、そばにいた人に「なんでも持ってますね」と感心をされた。しかし実のところ、人から感心をされるような人間ではないからこそ、僕はポストイットを持ち歩くのだ。
現在、事務机の上の電子計算機には、クリーム色の細長いポストイット2枚が貼ってある。事務机左手のカレンダーには、おなじポストイット2枚が、やはり貼ってある。用を足すためクルマで出かけるときには、そのメーターパネルの平滑な場所に、やはり”to do”を記したポストイットを貼る。
明日は、たまり漬を使った料理の撮影が社外である。それを持たずに出発したら取り返しのつかなくなる「らっきょうのたまり漬」についてはもちろん、そのことをポストイットに書いてエレベータの操作盤に貼る。
朝飯 雑炊、ごぼうのたまり漬、なめこのたまりだき
昼飯 ラーメン
晩飯 人参と白菜とベーコンのスープ、トマトとレタスのサラダ、鶏肉のドリア、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、いちご
2018.1.24(水) 西川口の中華料理
闇の中で目を覚ます。「このまま起きてしまおうか」と考え、しかし枕の下のiPhoneを確かめると、時刻はいまだ2時35分だった。今日は夜に集まりが控えている。そこで寝落ちなどしては同席者に失礼だ。よって二度寝を試みるも眠気は訪れず、3時45分に起床する。
昼食は意図して軽くしておく。そして下今市14:35発の特急リバティに長男と乗り、西川口には16時32分に着いた。駅前のロータリーから裏道まで、至るところに雪が残っている。日暮れどきの風は強く、日光よりも寒い。
先ずはザ・プライス西川口店の中華フードコートで、何点かの買い物をする。そして、そこからほどちかい滕記熟食坊の戸を引く。このところ西川口には、中国人を主な客層とする中華料理屋が増えている。滕記熟食坊もそのひとつで、酒類を除けばメニュはすべて中国語だ。
本日の食事会は、お得意様に昨年末から誘われていたもので、三々五々、6名が集まった。そのうちの3名ないし4名は、アジアの食べ物にとても詳しい。
それはさておき、店の看板にもある「東北鉄鍋炖」というものを、僕ははじめて経験した。誰からともなく発せられた注文は鯉だった。自分からは決して食指を伸ばさないだろうものを口にできるとは、人と食事をするときの醍醐味のひとつである。
中国北部のあれこれが、生の白酒をはかどらせる。風発する、主にアジアの人と食べものについての談論に時を忘れるうち、周囲の、すべて鉄鍋の埋め込まれたテーブルは、いつの間にか大勢の中国人、そして少しの日本人で埋め尽くされていた。
駅に向かう道すがら、中国食材の店に立ち寄る。鹹魚の匂いが鼻腔を刺激し、ここでもまた僕は、アジアのあちらこちらを思い出す。
お得意様、またお得意様のお仲間とは西川口の駅で別れた。次の食事会の場所は、おなじ西川口だろうか、あるいは十条、赤羽あたりだろうか。季節が夏であれば、服はタイパンツとゴム草履で決まりだ。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ほうれん草のソテー、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまりだきのフワトロ玉子、ごぼうのたまり漬、白菜漬け、メシ、浅蜊と万能葱の味噌汁
昼飯 サンドイッチ、ホットミルク
晩飯 「滕記熟食坊」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、鯉の鍋、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2018.1.23(火) 雪かき
きのうは早くに就寝をしたにもかかわらず、目を覚ますと時刻は5時34分だった。いわゆる「朝飯前」の仕事をするためエレベータの前まで来ると、かご室が1階に降りている。長男が雪かきの準備をしているのだろう。
長男が外に出した道具にて、7時30分より雪かきを始める。雪の深さは店の北側で23センチ、南側で18センチだから、日光地方のそれとしては、大して深いわけではない。また、今回の雪は水分を多く含まない粉雪で、作業はそれほど苦しくない。
幼い子供を保育園にあずけて出社する複数の社員には「無理をして来ることはない」と、きのうのうちに家内が電話で連絡をしておいた。また、シフトにより休みの社員もいる。よって本日、出勤をした社員は7名に留まった。そのうち、今朝の蔵出し分を包装するヤマダカオリさんひとりを残し、他の全員は、開店の時間よりも早くから雪かきに当たる。
店舗の駐車場、横断歩道から店舗に至る2個所の歩道、また店舗から製造現場に至る歩道の雪かきに目鼻が付くと、時刻は9時40分になっていた。雪による商売への後遺症は、数日は続くだろう。
夜は僕が書記を務める、日本酒に特化した飲み会「本酒会」の月に1度の例会にて、日光街道の凍りついた歩道を踏みしめ、小倉町の「食堂ニジコ」へと向かう。
朝飯 納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛蒡と人参のきんぴら、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、ごぼうのたまり漬、田作り、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」の其の一、其の二、其の三、其の四、伊府麺による酸辛湯麺、4種の日本酒(冷や)
2018.1.22(月) 大雪の予報
本日、首都圏を含む広い範囲に大雪の降る予報は、きのうから出ていた。よって例年であれば9時ごろまではゆっくりするところ、ロビーには8時30分に集合をした。そして宇都宮を経由し、10時40分に帰社する。
途中の日光宇都宮道路から見た限りでは、日光の山々に雲はほとんど無かった。空も、むしろいつもより明るかった。つまり、雪の降る気配は皆無だった。しかし16時を過ぎると「やはり」と誰もが思うように、水色と灰色の混じった空から雪がちらついてきた。その様子にうながされたかのようにして、販売係のサイトーミホコさんとオバタタキコさんが駐車場に融雪剤を撒く。
雪が急に強くなる。埋もれると面倒なため、営業車のホンダフィットはいつもの事務室前から店の庇の下へと移した。日光宇都宮道路が閉鎖された旨の案内が、国道121号線を隔ててはす向かいの電光掲示板に出る。
夕食は、冷蔵庫や寒い部屋から集めた野菜やハムにて済ませた。そして明日の朝に備えて早々に就寝する。
朝飯 「いこいの村涸沼」の朝のブッフェ
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 野菜スープ、あれこれの野菜によるサラダ、イベリコ豚の前脚のハム、2種のパン、らっきょうのたまり漬とツナ、林檎ジャム、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、“Old Parr”(生)