2017.10.11(水) この季節になると
出勤してくる社員を迎え入れるため、事務室のシャッターを上げる。事務室の前にノレンを提げるため外に出ると、目の前にワゴン車が駐まっている。この季節、つまり木の葉の紅く色づくころになると、開店前からいらっしゃるお客様が多くなる。道が混む前に山へ上がり、紅葉を楽しもうとする気持ちが働くからだろう。
オヤジは営業時間外の商売を極端に嫌った。それは「準備が整っていない状態での接客は避けるべし」とか「時間は厳守すべし」というような考えによるものではなく、オヤジの生理や感情に基づいていることのように、僕には感じられた。
僕は逆に、営業時間外の商売は厭わない。というよりも、むしろ好きかも知れない。今朝のお客様にも喜んで、商品を販売させていただいた。
朝の薄日の差す天気は午後から一変し、空は、まるでタヒチに渡る前のゴーギャンの、ヨーロッパの雪の街を描いた絵のように暗くなった。それでもキャッシュレジスターを締めてみれば、売上金額は昨年のおなじ曜日のそれより隨分と高かった。
今日から家には誰もいない。よって終業後は食事を摂るため、オレンジ色のウインドブレーカーを身につけて、弱い霧雨の中に自転車を乗り出す。
朝飯 ハムエッグ、胡瓜のぬか漬け、鮭の親子漬け、なめこのたまりだき、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と青葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン
晩飯 「ユタの店」のピータン、焼き餃子、キムチ豆腐、焼酎「鏡月」(お湯割り)
2017.10.10(火) バッグの中身
身のまわりのそこここに時計がある。よって普段は腕時計はしない。しかし今朝ばかりはそれを左腕に着ける。決められた時間に従って、ひとつひとつこなさなければならない仕事が、大きな木造建築の梁や柱のように入り組んでいたからだ。そうして7時30分からあちらこちらであれこれをし、気づくと時刻は11時55分になっていた。
どこかで買い物をしたとき紙袋の代わりに付いてきたような、不織布による小さなトートバッグに新聞と文庫本、財布と携帯電話、それに細々としたものを入れ、それを提げて家内と下今市15:05発の上り特急スペーシアに乗る。2時間後に京橋の南天子画廊に着く。そして「堂本尚郎回顧展」を観る。そこから歩いても良かったけれど、新橋までは銀座線で移動をする。
鮨屋のカウンターには秋の色が濃かった。気分は楽な一方で、時間を気にしたりもする。そうして浅草21:00発の下り最終スペーシアに今度はひとりで乗り、23時前に帰宅する。トートバッグの文庫本は、遂に読まなかった。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、2種の唐辛子の網焼き、牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、大根とズッキーニのぬか漬け、ごぼうのたまり漬、メシ、揚げ湯波と長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 「鮨よしき」のあれや、これや、それや。「山本合名」の「白瀑備前雄町純米吟醸」(冷や)、「八戸酒造」の”mutsu 8000 pale ale”、「アリサワ酒造」の「生しぼり新しょうがリキュール」
2017.10.9(月) 観察
たかだか11泊では、海外にいても日本の食事が恋しくなることはない。国内、国外を問わず、その土地に行けば、その土地のものを食べ、その土地の酒を飲んで過ごしたい。タイの食事の特徴は甘い、辛い、酸っぱいが顕著ということになっている。しかし僕が驚くのは、それよりも野菜の力の強さである。玉葱やセロリなど、日本で食べられる野菜であっても、タイに行けば、それらの香りは数等倍に感じられる。
そういう強烈な風味のものを飽かず食べて日本に帰ると、昼食や夕食は何でも構わないものの、とにかく朝食だけは米と味噌汁が欲しい。きのうの夜も忘れずに、翌朝の味噌汁のため、鍋の水に数尾の煮干しを忘れず入れて台所に置いた。
「吉田類の酒場放浪記」は隨分と以前から、毎週かならず録画されるよう、自分でビデオを設定したらしい。たまたま月曜日の21時にテレビのスイッチが入っていると、それまで観ていた番組が突然「酒場放浪記」の導入部の画像に変わり、知る人は知る、例の主題曲が流れ始めて、忘れていた、つまり録画のことを思い出す。
それはさておき、そのようなとき、この番組を好まない家内は「やだー」と、ただちにチャンネルを他に変えるよう言う。しかし僕はそれを聞き入れず、結局は最後まで観る。仕方なくつき合う家内の観察によれば、吉田は焼酎よりも日本酒に酔いやすいという。僕はただ、吉田のシャツやスカーフ、酒や肴に傾けるうんちく、あるいはろれつの回らないしゃべりを面白がって観ているだけだから、そのようなことには気づかない。
朝飯 牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、「なめこのたまりだき」のフワトロ玉子、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ごぼうのたまり漬、大根のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 「とりや」のタンメン
晩飯 生ハムのムースを載せたパン、ブロッコリーのサラダ、スパゲティミートソース、“Cuvée des Jeux Côtes du Rhône Jean Claude Boisset 1986”、栗のソースのロールケーキ、”Ord Parr”(生)
2017.10.8(日) 庭の小径
タイから戻ると即、ホテル予約サイト”agoda”のページには「おかえりなさい 次の旅行を計画しませんか?」という文字が現れた。次の旅行は来年の3月になるだろうか。しかしいまだ計画をする段階ではない。
それはさておき、チェンコンで泊まったホテルを去るとき「agodaのレビュー、よろしくお願いします」と、フロントの太った愛想の良い係に頼まれた。勿論、僕は快諾をした。”agoda”のレビューはもともと、いつも書いている。
今回の旅では3軒のホテルに泊まった。そのうちチェンコンとバンコクのホテルのレビューは日本語で書いた。チェンライで泊まったホテルのレビューのみ、ホテルの人も直に読めるよう、英語で書いた。その、日本語による内容は以下だ。
「プールサイドと庭は、喫煙の可能な場所か、否か?」
「プールサイドと庭は、痰を吐くことの可能な場所か、否か?」
「プールサイドの茂みや庭に、煙草の吸い殻を捨てる客が存在する」
「自分はホテルの全面禁煙を望み、また行儀の良い客を望む」
すぐには改善をされなくても、ホテルに僕の意見が伝われば幸いである。朝食のテーブルとは目と鼻の先の、庭師が手入れを欠かさない小径で「カーッ、ペッ」と痰を吐かれては、折角のオムレツも台無しではないか。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、牛肉と車麩と牛蒡の炊き物、スペイン風目玉焼き、納豆、ズッキーニのぬか漬け、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 鰯の梅煮、若布と玉葱の味噌汁、大豆と人参と昆布の淡味炊き、トマトと「らっきょうのたまり漬」を刻み込んだポテトサラダ、麦焼酎「高千穂零」(お湯割り)
2017.10.7(土) 帰国
02:35 周囲の物音で目を覚ます。朝食の配膳が始まっている。
03:17 機は沖縄と九州の間を飛行中。
04:07 トイレで歯を磨く。ノックをされて外に出ると、客室乗務員さえ着陸に備えて席に着いていた。
04:22 ”TG0682″は定刻より33分も早く羽田空港に着陸。以降の時間表記は日本時間とする。
06:43 パスポートコントロールを抜ける。
06:56 バゲージクレームの回転台に荷物が出てくる。
06:57 税関検査を抜ける。
07:00 京浜急行空港線の羽田空港国際線ターミナル駅のプラットフォームに出る。
07:06 泉岳寺行きの車両が発車をする。
泉岳寺で乗り換えた都営浅草線の車両の中で、浅草08:00発の下り特急スペーシアの特急券を調べると満席だった。よってその次の、08:30発のそれを買う。下今市駅には家内に迎えに来てもらった。
家を出てから13日が経っている。そのわずかな間にも、「らっきょうのたまり漬」は今年の新物になっていた。新商品「ごぼうのたまり漬」が蔵出しされていた。ヤマトの送料が上がって、お客様からの地方発送のご注文には、暗算での応答ができなくなった。そして昨年11月7日に産まれた孫は、何かに掴まらなくても立てるようになっていた。
晩飯はチムジュムでも良かったけれど、用意をされたのは日本の食事だった。不覚にも日本酒に酔い、食堂の固い椅子でうたた寝をする。
朝飯 “TG0682″の機内食
昼飯 10月4日にチェンライのセブンイレブンで買い、麺だけチムジュムの鍋で煮たタイのインスタントラーメン「ママー」の残りのスープによるうどん
晩飯 チーズの「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」漬け、鮭の親子漬け、胡瓜の若布の酢の物、ほうれん草の胡麻和え、銀鱈の西京焼き、大根とズッキーニのぬか漬け、薩摩芋の飴煮、「丸山酒造場」の「雪中梅純米原酒」(燗)
2017.10.6(金) タイ日記(12日目)
バンコクの朝はいまだ暗い。枕元の明かりを点け、起きて部屋を一巡する。洗面所の歯ブラシがシャワーブースの石鹸置きに寝かせてあるということは、覚えてはいないものの、昨夜はシャワーを浴び、歯も磨いたということだ。ふとデスクの引き出しを開けると、見覚えのあるシールが貼ってある。そのことから、今回の2015室が、6月に泊まったと同じ部屋であることを知る。
きのうの午後、つまり酒を飲む前に「明日にすべきこと」としてメモしてデスクのスタンドに貼りつけたポストイットに目を遣る。そしてコンピュータを立ち上げ、日本時間で9時になったら連絡すべき電話番号の、頭に+81を付けてiPhoneに再登録する。
朝食は、チャルンクルン通りを北へ向かって左側の歩道を歩き、すこし行った左側の馴染みの店でバミーナムを注文する。タイの食べ物屋では、客は帳場まで歩いて金を払うことはしない。店の人を席に呼んで金のやり取りをする。この店も、今年の6月に来たときはそうだった。しかし今回まわりを見まわしてみれば、タイ語と英語と中国語による写真付きのメニュがある。ステンレス製の箸入れにも英語の表記がある。そして今日はじめて見る息子らしい人の座るボックスには”Cashier”のシールが貼ってある。若い人が店に帰ってくると、それだけで、色々なことが変わってくるのだ。僕もこれまで通りではなく、その”Cashier”で50バーツを支払う。
きのうフロントで交渉をした結果、ホテル側はチェックアウトの時間を通常の正午から14時に延ばしてくれた。よって午前中はずっとプールサイドで本を読む。隣の寝椅子のファランは”JOE BURNER – MY STORY”を読んでいた。
昼食はやはりチャルンクルン通りの老舗「新記」の扉を押す。ローストダックを商って数十年のこの店もまた、朝のクイティオ屋と同様、昨年2月に来たときより諸々が進化していた。
13時45分にロビーに降りてチェックアウトをする。きのうチェンライからバンコクへ飛ぶ機内で書いた絵はがき8通を投函するため郵便局の場所を訊くと、ホテルから出して上げるとフロントのオネーサンは請け合い、1通あたり20バーツの価格を提示した。切手代は15バーツで間違いはないものの、細かいことは言わずに160バーツを手渡す。
以降はそれほど暑くない今日の天気を幸いとして街歩きをしたり、喫茶店で本を読んだり、あるいはマッサージを受けたりする。そして17時を前にホテルに戻り、ベルに預けた荷物からラオカーオを取り出し、セブンイレブンでソーダを買う。
バンラック市場ちかくの屋台街は、高速道路に激しい渋滞の発生する金曜日に空港へ向かうときには、特に使いやすい夕食の場だ。ここに席を得て、先ずはヤムウンセンと氷を注文する。コモトリ君はサトーンの桟橋で舟を下り、17時45分ころに合流をした。
「せっかく旅行に来てんだ、もっとマシなところでメシ、
コモトリ君は空港に向かう僕と共に、サパーンタクシンから”BTS”に乗った。そして口直しのため、サラデーンで降りていった。サイアムで乗り換えパヤタイに移動をすると、空港までの”ARL”はプラットフォームに人が溢れることを防ぐため、改札規制をしていた。時刻は19時38分。やがて僕もプラットフォームに上がる。空港行きの車両は19時45分に発車をした。
20:17 スワンナプーム空港着。
20:30 チェックインを完了。
20:44 手荷物の保安検査場を抜ける。
20:59 パスポートコントロールを抜ける。
21:24 自動販売機で、35バーツの高い、しかし売店の90バーツよりは安い水を買う。
21:26 C4ゲートに達する。
22:22 搭乗が開始をされる。
22:27 背もたれを最大に倒しても、誰にも迷惑をかけない最後尾の席に着く。
22:52 ”BOEING 777-300E”を機材とする”TG0682″は定刻に7分を遅れて離陸。
23:10 ベルト着用のサインが消えたところでデパスとハルシオン各1錠ずつを飲み、座席の背もたれを最大に倒す。
朝飯 チャルンクルン通りの馴染みのクイティオ屋のバミーナム
昼飯 「新記」のバミーヘンペッ
晩飯 バンラック市場ちかくの屋台街のヤムウンセンプラームック、ソムタム、チムジュム、パッタイ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.5(木) タイ日記(11日目)
今朝は8時に迎えのクルマが来る。よって食堂には、いつもよりずっと早い 6時30分に降りた。そのお陰で、朝食会場は、この時間にはとても空いていて快適なことを知る。
07:45 ホテルをチェックアウトする。
07:55 迎えのクルマに乗る。
08:13 メイファールアン空港着。
08:15 空港内の郵便局から13通の絵葉書を投函する。切手代は1通あたり15バーツ。
08:55 チェックインを済ませ、出発のための待合室に入る。
タイスマイル航空のボーディングパスに印刷されている搭乗口は3番ゲート。それが直前で2番ゲートに変わる。珍しいことではない。
10:18 “AIRBUS A320-200″を機材とする”WE131″は定刻に18分遅れて離陸。
10:45 年賀状の返信8枚を機内で書く。
11:27 ”WE131″は定刻に7分遅れてスワンナプーム空港に着陸。
12:04 バゲージクレームの回転台からスーツケースが出てくる。
12:09 空港ビル1階からタクシーに乗る。
「ホテルはセンターポイントシーロム。バンラック市場の近く」と、運転手にタイ語で告げる。運転手は脱力感満点の静かな男だった。ワイパーを最高速で動かしても充分な視界の得られない豪雨がいきなり降り始め、タクシーはそれまでの時速90キロを70キロに落として西へと走る。その土砂降りはいくらも経たずに上がった。ホテルに着いた時刻は記録していない。
社員への土産はチェンライで半数は確保しておいた。なぜすべてを一度に買わなかったかといえば、数が揃わず買えなかったのだ。残りは他ものになっても仕方がない。各々にも好みがあれば、同じものである必要はないだろう。ジャルンクルン通りを南へ歩き、消防署となりの店でカオマンガイを食べる。その帰り道でようやく、土産の残り半数を買い足す。
業界の旅行で海外へ行った折などに見ていると、社員に土産を買う社長は皆無だ。しかしウチにはむかしから、経営者が社員に土産を買って帰る習慣がある。僕は買い物をそれほど好む方ではないけれど、社員にも旅の土産をもらうことはあるから、まぁ、お互い様である。
チェンライに引き続き、夕方まではプールサイドで本を読む。チェンライのプールサイドには、鳩の声が届いていた。それがバンコクでは、バスやクルマやオートバイ、トゥクトゥクなどの排気音に変わる。
17時にサパーンタクシンの船着場へ行く。舟に乗るための浮き桟橋が、待合所の椅子に腰かけ待つ人の胸の高さまでせり上がっている。大変な水の多さである。同級生コモトリケー君の住むコンドミニアムの専用船に乗り、チャオプラヤ川を遡上する。巨大な商業施設アイコンサイアムが、徐々にできあがりつつある。
取りあえずはコモトリ君の家に上がり、そこから川沿いにある料理屋に降りる。雨期であり、十五夜の次の日であり、上げ潮ということも関係しているのだろうか、大型船が行き交うたび木の床には波が押し寄せ、時によっては我々の足元を濡らした。
帰りは料理屋の専用船でサパーンタクシンまで送ってもらう。客は僕ひとりにて、船頭には駄賃をはずんでおいた。
ホテルまでの道すがら、スーパーマーケットのトップスに寄る。その酒売り場には”the End of Buddhist Lent Day”のため木曜日の0時から金曜日の0時までは酒を売れない旨の張り紙があった。先ほどの料理屋でコモトリ君がビールを頼むと「カオパンサーだから酒は出せない」とウェイトレスに教えられた。なるほど今日は、タイではどこもかしこも酒を売れない入安居だったのだ。もっともいつものようにラオカーオを持参した当方には、特段の不便は無かった。
部屋に戻り、出る前に回しておいた洗濯機から洗い上がったシャツや靴下を出す。それを外のベランダに干して以降の記憶は無い。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 “Meng Pochana”のカオマンガイ(トムトーパッソム)
晩飯 “YOK YO MARINA & RESTAURANT”のサイクロークイサーン、プラームックパッポンカリー、トードマンクン、パックンガティアム、プラーガッポンヌンマナオ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.4(水) タイ日記(10日目)
早朝に窓を開け、壁から30cmほど突き出した、これは掃除用の足場なのだろうか、そこに片足を付き、東の方角を眺める。コック川の面はいまだ暗い。しかし空は明けつつあって、朝の光が二条、三条、四条と、北に向けて伸びている。変わりやすい雨期の天気だが、今日はどうなるだろう。
僕は、年賀状を書く習慣を持たない。しかし届いたものには返事を書かないと、心の居心地が悪い。返信は旅先で書く。しかし今回はどうにも気分が乗らなかった。本日は遂に意を決し、いただいた年賀状、そしてタイに来るたび買い溜めた絵はがきをショルダーバッグに納めて散歩に出る。
先日、サナムビーン通りに足を延ばした際に、大きな窓を持つカフェが目に留まった。何しろそのような店には慣れていないから恐る恐る戸を引き、席に着く。そしてアイスアメリカーノを注文する。ハガキは90分で11枚が書けた。ボールペンを握り続けた右手の指は棒のように引きつってしまったものの、気持ちは軽くなった。
その11枚を持ち、きのう見つけた抜け道を通ってワンカムホテルの裏に出る。そのそばの、何とも言えない紫色に塗られたエジソンデパートに入り、郵便局の出張所を目指すと、空しいかな、そこはジュース売り場に変わっていた。店内を一巡するも、出張所の姿は見えない。そのまま外に出て、例の酒屋ちかくの土産物屋で絵はがき10枚を補充する。そして3日前にも来た、店名の最後に”2″の付くクイティオ屋で、今度はバミーナムムゥを昼食とする。
床屋には、日本を出る4日前にかかっていた。しかし早くも今朝は髪に寝癖が付いていた。というわけで昼食の後は、ふたたび目抜きのパフォンヨーティン通りに戻り、一昨年、昨年と続けて世話になった床屋の扉を押す。
昨年の、店主らしい男とのやりとりから、僕の髪を刈るバリカンには2番のアタッチメントがちょうど良いことを知っていた。よって今日の係にもそれを伝えた。しかしその「2番」を使い始めた店員は「これではいくらも刈れませんよ」というようなことを言う。よって髪には更に短い1番を使ってもらい、しかし髭には昨年とおなじ2番を使ってもらう。
散髪代は260バーツだった。その内訳は、丸刈り、髭、シャンプー、耳掃除がそれぞれ80バーツ、50バーツ、80バーツ、50バーツだと思う。
いつもの道を辿り、ホテルに戻る。ボーイの開く扉から、薄暗く、涼しく、タイの古い音楽の流れるロビーに入るといつも、ホッとする。ロビーにはプミポン前国王の、今月25日から5日間にわたり行われる葬儀のために、今朝は祭壇が設けられた。
空はおおむね晴れている。14時30分にプールサイドに降りて、17時まで本を読む。プールでは一時、おととい街へ向かうシャトルバスに乗り合わせた、日本人に似た容姿の静かな女の人が泳いでいた。キャップとゴーグルを身につけ、とても整った平泳ぎである。多分、真面目な人柄なのだろう。
ホテル18:00発のシャトルバスに乗ると、またまたその女の人も乗り込んできた。「ずっと黙っているのも…」と考え、後ろを振り向き声をかけてみる。癌でこちらの病院に入院している親戚を見舞いに来て金曜日に戻ると、女の人は堰を切ったように話し出した。静かではあるけれど、それはひとり旅によるものだったのだ。先方にも好みや都合があるだろうから、フードコートでの夕食に誘うことはしなかった。
いつものように、チムジュムを肴にラオカーオを飲む。チェンコンに入った晩には弓張り月の弦をすこし膨らませたほどだった月が、すっかり丸くなっている。鍋の中身を食べ尽くすころ、舞台ではいつもの曲に合わせて踊りが始まる。その1曲目が終わると同時に席を立ち、トゥクトゥクを拾ってホテルに戻る。
ここ数年のトゥクトゥクの相場は、昼が80バーツ、夜が100バーツだが、今夜のオジサンの言い値は80バーツだった。値切れば今でも、それくらいで乗れるのかも知れない。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 店名の最後に”2″の付くクイティオ屋のバミーナムムゥ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、その鍋で煮たママー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.3(火) タイ日記(9日目)
早朝は日記を書き、日が昇ったらコック川の水面を間近に臨む食堂で豊かな朝食を摂る。昼は街の散歩、水泳、プールサイドでの本読み、夜は地元の人に交じっての飲酒喫飯。毎日これを繰り返して一向に飽きない。
今日はサナムビーン通りからジェットヨット通りへの抜け道を見つけた。個人の屋敷の庭に、なぜこのような古い、しかしランナー様式でもなさそうな建物を作ったのだろう、と感じる不思議な家が、その抜け道にはある。ひとけのまったく感じられないところが不気味だ。
ジェットヨット通りには新しいタイ語の学校ができていた。チェンライに長く滞在し、タイ語の会話を学びたい気持ちが僕にはある。そのジェットヨット通りからパフォンヨーティン通りに抜ける道に長期滞在型のゲストハウスがある。生意気ながら、僕にはプールサイドでの本読みが欠かせないから、この手のところには泊まる気がしない。
ロンリープラネットでは隨分と褒められている料理屋「ムアントーン」とおなじ交差点にある、先日も来たマッサージ屋”PAI”で、2時間のマッサージを受ける。左肩を叩きながら「ここが痛い」と言うと、ジェップさんはそこにオイルを入念に擦り込みながら、強い力で押し、揉んでくれた。
正午から2時間ほども回っていたため、おかずメシ屋「シートラン」では従業員が遅い昼食を摂っていた。そのすぐ脇で2種のおかずのぶっかけメシと厚揚げ豆腐とキャベツのスープ煮を食べる。
チェンライの中心部ではもっとも交通量が激しいと思われる交差点の角から消えた「ドイチャンコーヒー」が諦めきれず、ホテルにいるときgoogleマップで調べたところ、タナライ通りにも同じ名の喫茶店のあることが分かった。よって遠回りをしながら向かうと、先ずは改装中らしい建物に”DOI CHAANG COFFEE”の名を大書したシートが垂らされていた。そこから東にすこし行くと、そこにもまた「ドイチャンコーヒー」があった。ベランダの席に着き、昼食より高い価格に逡巡しつつエスプレッソを注文する。やはり消えた「角の店」のそれの方がよほど美味い。「角の店」が、いま改装中の建物に移ってくるなら嬉しい。
市場の場外を巻き、田舎のデパートというおもむきのスーパーマーケットの中を通り抜けて、崖下の道へと向かう。雨が降り始めている。一般道からドゥシット島に架けられた橋を渡ると、警備小屋の庇の下で待つよう警備員に言われる。間もなくホテルから電動自動車が迎えに来てくれる。
今日もまた、ホテル18:00発のシャトルバスでナイトバザールへと向かう。そのゲート前から来た道をすこし戻り、いつもの酒屋でラオカーオ”BANGYIKHAN”1本を補充する。チェンコンの”TESCO Lotus”では156バーツだったこれが、この店では165バーツで売られていた。日本から持参した分も含めれば4本目のラオカーオである。
チェンライでは、庶民が集まるオープンエアのフードコートでさえ全面禁煙だ。よって食事の最中に喫煙者の吐き出す煙が当方の鼻孔に届き「ちょっと、勘弁してくれよ」という不愉快な思いはせずに済む。チムジュム美味し。ラオカーオ美味し。
舞台の踊りの1曲目が終わり、踊り子が裏に引っ込んだところで席を立つ。そしてトゥクトゥクに乗ってホテルに帰る。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、中華粥
昼飯 「シートラン」の2種のおかずのぶっかけメシ、厚揚げ豆腐とキャベツのスープ煮
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのチムジュム、ヤムママー、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)
2017.10.2(月) タイ日記(8日目)
日本の常識とは異なり、南の国では太陽の光の直に差し込まないことが、居心地の良い部屋の条件である。ほぼ北に面した窓の外が、徐々に明けてくる。雲間にうっすらと橙色が差しているのは、東の空の朝日を映しているのだろうか。
タイでこれまで足を運んだ街は、バンコク、南端のナラティワート、東端のウボンラチャタニー、北はチェンマイ、プレー、チェンコン、そしてチェンライだ。このチェンライ以外の街を巡って、またチェンライに戻ってくると、この街の良さを改めて、つくづく感じる。田舎の落ち着きと、街の賑やかさの双方が、高い次元で均衡しているのだ。そして特筆すべきは食べ物が美味い。
昼はバンパプラカン通りからジェットヨット通りに折れて南に歩き、ワンカムホテル裏の麺屋「カオソイポーチャイ」へ行く。この店ではこれまで店名にもあるカオソイやバミーナムを食べてきたが、今日は初めてバミーナムニャオを注文する。そしてその美味さに驚く。これからは、この店に来るたび、僕はこればかりを注文するかも知れない。
空は曇っているものの、部屋にいては勿体ないため、本を持ってプールサイドに降りる。きのうの夕方プールに群れていた白人たちは、ホテルの中から綺麗さっぱり消えている。白人とはいえ、日本人と同じような慌ただしい旅をする人たちも存在するのだ。
夜はきのうに引き続き、ホテル18:00発のシャトルバスに乗る。日本人と見まがう容姿の、しかしそうでもなさそうな、とても静かな女の人も乗る。ひとりで旅しているところからして、大陸の中国人ではなさそうだ。
目抜き通りでバスを降りる。白地に”CHIANG RAI NIGHT BAZZAR”と紺色で大書した門をくぐり、ナイトバザールに入って行く。そしてそのいちばん奥の、黄色く塗った鉄製の椅子とテーブルのフードコートに席を占める。32番ブースのオバチャンのチムジュムは、先ずはすべての野菜を鍋に入れ、それが煮えたところで豚肉を加える。鶏卵は溶き卵にすると雲のように散ってしまうため、炭の火が弱まってからポーチトエッグにする。
セブンイレブンでは9バーツのシンハソーダが、このフードコートの酒売り場では10バーツだから、とても良心的だ。ウェイター役のオニーチャンたちの制服は、昨年の赤いポロシャツから、今年は黒いTシャツに変わっている。今日は月曜日のため、舞台の踊りはなく、客の数もきのうほどではない。
そうしてふたたび目抜き通りに出てトゥクトゥクを拾い、ホテルに帰って20時台に就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、コンデンスミルクを底に沈ませたコーヒー、ガオラオ
昼飯 「カオソイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザールのフードコート32番ブースのソムタム、チムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)