2017.5.21(日) 健康と食事の関係
目を覚ましても、からだが疲れていて、すぐに起きられない。この疲れは家内の父の通夜や葬儀によるものではない。多分、きのうの肉食と酒量によるものと考えつつ起床する。
健啖が健康をつくる。健康ゆえの健啖ということも、またあるだろう。「長生きをしたければ肉は食べるな」というような本が何年か前に売れた。僕のオフクロを見ていた限りでは「長生きをしたければ肉を食べろ」こそが正解のように思われる。あるいは元気だからこそ肉が食べられるのかも知れない。
僕も、肉食と、普段より少しばかり多い酒に疲れるようでは、いけないのだ。
それにしても今朝のメシの、豆腐の量は半端ではなかった。しかし苦しくなる程の量を食べないと、昼まで腹が保たないのだ。案の定、今日も正午になりかかるころには腹が減ってたまらず、昼飯が待ち遠しかった。これが僕の毎日の、午前の腹の状況である。
夜の集まりは、定時に食事が摂れない、という点において腰が重くなる。しかし町内の集まりとなれば仕方が無い。ウィスキーのソーダ割りのみを飲んで、19時前に公民館へと向かう。
朝飯 納豆、揚げ茄子、冷や奴、生のトマト、カキ菜のおひたし、メシ、豆腐と白菜キムチと揚げ玉と万能葱の味噌汁
昼飯 ざるラーメン
晩飯 トマトと水菜のサラダ、豚の冷やししゃぶしゃぶ、素麺、黒糖焼酎「里の曙」(お湯割り)
2017.5.20(土) われに五月を
バンコクの、南国の豊穣そのものの香草、路上の汁麺屋の鍋の湯気、オート三輪の排気ガスの3種の混じり合った匂いが好きだった。「好きだった」と過去形なのは、2009年8月に、およそ27年ぶりにタイを訪れてみると、それらが綺麗さっぱり失せていたからだ。それでも日本からの飛行機を降りてスワンナプーム空港に一歩を踏み入れたときには「あー、確かにタイだ」と、街のそれとは異なるものの、特有の匂いに一瞬、酔いしれた。
その、タイに一歩を記した際に聞いた匂いも、翌年からは特に気づかなくなった。鼻が慣れてしまったのだろうか、寂しいことだ。
日本では、街の匂いに特に敏感になることはない。ただし空気の質感が季節によって異なることには、僕は割と敏感である。
今は半袖のポロシャツに長袖のTシャツを着て生活をしている。その長袖のTシャツに、今日は袖を通さなかった。熱く乾いた空気を肌が欲したのだ。夏の湿熱も好きではあるけれど、5月の空気も大いに悪くない。梅雨はいつ来るのだろう。
朝飯 ほうれん草のソテー、トマトのサラダ、ハムエッグ、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 トマトとサラダ菜のサラダ、ジャガイモのガレット、細切り人参のソテーとクレソンを添えたビーフステーキ、“Petit Chablis Billaud Simon 2015”、“MAZIS CHAMBERTIN Hospices de Beaune 1985”、“Old Parr”(ソーダ割り)
2017.5.19(金) まるで5月のような
巻き上げ式の遮光カーテンの、窓の下まで降りきらなかった隙間から朝日が差している。その光の様子から、時刻は5時ころと推し量る。起きてテレビのスイッチを入れる。今日の東京の気温は30℃ちかくまで上がることを、天気予報が伝えている。きのうの雷雨が嘘のような快晴である。
同志社大学ボート部の、義父の棺に納めたオールは、当たり前のことながら、先端部分の金属を除いて跡形もなく消えていた。
骨壺をクルマの後席に載せてシートベルトで固定する。第三京浜道路を時速100キロで西へと向かう。多摩川の景色が、まるでコンピュータで加工した画像のように鮮やかに見える。空はいつまでも晴れている。
東海道線に乗って、今度は東へと戻る。新橋駅の銀座口から外へ出て「まるで5月のような空気だ」と、嬉しくなる。ややあって「いや、今はその5月じゃねぇか」と、あらためて気づく。
8丁目でカウンター活動の後、東武日光線の下り最終で帰宅する。納骨は6月の末になるだろう。
朝飯 「ニューオータニイン」の朝のブッフェ
昼飯 「秀」の弁当
晩飯 「鮨よしき」のあれこれ、「仁井田本家」の「夏のおだやか純米吟醸」(冷や)
2017.5.18(木) お通夜
僕のオヤジとオフクロ、家内の父母のうち、唯一この世に生きながらえていた、家内の父が14日の日曜日に亡くなった。即、連絡を入れた葬祭業者には15日の通夜、16日の告別式も可能と伝えられたものの、それではいかにも急すぎる。次に示されたのが、今日からの日程である。
家内と大崎まで来て駅の外へ出ると、にわかに風が強くなり、頭上に雷鳴が轟いた。地を打つ雨の中を、屋根のある連絡通路から30メートルほど走ってホテルに駆け込む。
時間の余裕をもって、桐ヶ谷斎場へとタクシーでおもむく。祭壇は家内の兄嫁により、白と青の花で綺麗に飾られていた。右手には同志社大学、そして後に移った慶應義塾大学で、共にボート部に属した義父に手向けるべく、それぞれの部誌が置かれてあった。そのすぐ手前に立てられたタバコの箱の横に、長男が持ち来た”Old Parr”のボトルを置き、これまたウチの食器棚から選んだグラスに充分に、ボトルの中身を注ぐ。
義父の顔は最晩年のそれよりふっくらとして立派だった。麻布天真寺の住職と副住職による読経は40分にも及んだ。そうして食事も含めれば20時10分に、通夜式を無事に完了する。
朝飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、納豆、水茄子のぬか漬け、鰯の梅煮、ほうれん草のソテー、五目白和え、スクランブルドエッグ、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 「美華園」の五目そば
晩飯 「仁平」から仕出しのちらし鮨、ほかあれこれ、”OLD PARR”(生)
2017.5.17(水) フリーズドライ味噌汁の効用
朝、味噌汁を作ろうとして冷蔵庫を開く。揚げ湯波は今朝の分のみが辛うじて残っていた。豆腐は充分にある。野菜庫にはズッキーニがあった。ズッキーニは好物である。
きのう整えておいただしから煮干しを取り出し捨てる。揚げ湯波を投入して弱火で充分に煮る。豆腐が温まったと思われるところで、だしに味噌を溶く。味噌は日光市塩野室地区で収穫された大豆「里のほほえみ」と、おなじくコシヒカリの麹による「日光味噌梅太郎白味噌」である。ズッキーニは1ミリ以下の厚さに小口切りして最後に加え、ほとんど煮ない。味噌汁は、自分で作ったものがいちばん美味く感じる。
今日は次男の同級生、それから僕の勉強仲間の双方から注文をいただいて、前述の「日光味噌梅太郎白味噌」によるフリーズドライ味噌汁をお送りした。
盆暮れのお贈り物に、いつもウチのフリーズドライ味噌汁をお使いくださっているお客様へのギフトのご案内は、おととしからは僕ではなく長男が書いている。いまだ5月とはいえ、自分の感覚からすれば、夏は間近に近づいているのだ。
朝飯 五目白和え、納豆、鰯の梅煮、筍と蕗の炊き合わせ、水茄子のぬか漬け、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波と豆腐とズッキーニの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 冷やしトマト、肉団子鍋、「町田酒造」の黒糖焼酎「里の曙」(お湯割り)
2017.5.16(火) じみち
山手線を先ずは駒込で降りて朝食を摂る。ふたたび山手線に乗り、次の巣鴨で降りる。「なぜそんな面倒なことをするのか」と問われれば、駒込にある24時間営業の、朝から地元のオヤヂたちがチューハイを飲んでいる食堂が好きだからだ。
巣鴨での用事は昼前に完了した。今日はできるだけ早く帰りたい。西日暮里を経由して北千住まで来ると、時刻は12時20分だった。即、12:41発の特急券を買う。
「ボンヤリさせたら日本一」と自分では思っている。しかしバス、鉄道、船、飛行機など公共交通機関を使うときには、定められた出発時間の直前まで何かしていないと気が済まない。何もせず手持ち無沙汰にしてることは苦手である。今日も12時36分まではプラットフォーム直下の本屋にいて、めぼしい本を探していた。
夜はきのうに引き続き牛肉を摂取して、早々に就寝する。
朝飯 「じみち」のベーコン目玉焼き定食
昼飯 「小諸蕎麦」の盛り蕎麦
晩飯 サラダの盛り合わせ、パン、茹でたブロッコリーと焼いたジャガイモを添えたビーフシチュー、“MAZIS CHAMBERTIN Hospices de Beaune 1985”
2017.5.15(月) あちらこちら
この春から東武スカイツリーラインに導入された新車両
この秋に改版されるパンフレットについて話し合うため、南青山のデザイン事務所で長男と落ち合う。夕刻は銀座に出て”GINZA SIX”の「蔦屋」を覗く。僕には、特に写真集のコーナーでは、いくら時間があっても足りない。夜になって、戻るようにして赤坂へ移動をし、小さな勉強会に参加をする。
長男とは銀座線の新橋駅で別れた。そうして飲酒活動の場所へと向かう。
朝飯 納豆、野沢菜、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、独活のきんぴら、スペイン風目玉焼き、ズッキーニのソテー、メシ、揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 「とりや食堂」のワンタン麺
晩飯 “Food/Days”の3種のハーブと季節の野菜のサラダ、ビーフステーキ、カリフォルニアのシャルドネ、カリフォルニアのカベルネソービニョン、グラッパ
2017.5.14(日) 正体不明の酒
日本にいるかぎり、特に家にいるかぎり、朝食は和食でないと気が済まない。ところが夜になると、どういうわけか洋食が食べたくなる。もっとも好きな酒はワイン、ということが関係しているのかも知れない。
今夜はひとりだから、夕食は自炊の他、外へ出る選択肢もある。何軒かの行きつけの中から選んだのは洋食屋の「コスモス」である。体内のアルコール濃度を早く上げろとからだが要求するのだろうか、「コスモス」では大抵、はじめにドライマーティニを飲む。
今夜はこれを2杯、飲んだ。ドライマーティニの後はティオペペと決まっていて、これも2杯、飲んだ。そうして家に帰る途中のセブンイレブンでロールケーキを買い、帰って後はこれを肴にオフクロの遺した正体不明の強い酒を飲んだ。
正体不明とはいえ、怪しいものではない。外国土産として持ち帰ったまま長く放置をしたからコルクが使い物にならず、仕方なしにデキャンタなどに移して元のビンは捨てた、そういうことによる正体不明である。
同様の古い酒は、隨分と人に進呈をしたものの、いまだひとかかえ以上もある。どうにかしなければいけない。
朝飯 たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」を薬味にした納豆、独活のきんぴら、ほうれん草の厚焼き玉子、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、野沢菜、メシ、シジミと浅蜊と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「コスモス」のトマトとモツァレラチーズのサラダ、マカロニグラタン、ドライマーティニ、”TIO PEPE”
2017.5.13(土) 休眠
事務仕事のうちもっともバカバカしい、できればしたくないことのひとつに「転記」がある。とはいえ自分の癖に照らして、しなくてはならないときもある。その随一は、コンピュータに記録した”to do”を紙のカレンダーに書き写すことだ。”to do”を、いちいちコンピュータを開いて見に行くのは面倒だ。電話で当方の日程を訊ねられたときなどは特に、である。
事務机の左の壁に提げたカレンダーの、様々な色のボールペンやサインペンで書き込まれ、蛍光ペンで線を引かれたあれこれには、大切なことも、そうでないことも含まれている。「靴をクリーニングに出す」などは、それほど大切なことではないけれど、忘れるわけにもいかない。
メレルのジャングルモック2足を普段履きとして買ったのは昨年10月のことだ。そのうちの1足はミンクオイルをたっぷり塗り込んで即、使い始めた。そして6ヶ月を経た先日、すぐちかくの「もみじや」にクリーニングに出した。その日から使い始めた2足目には、あらかじめ防水クリームを充分に染み込ませておいた。革靴には、履く前に先ずクリームを塗るのが僕の流儀である。
たかだか数千円の靴をクリーニングに出すのは、そのことにより、クリーニング代を補ってあまりある長持ちが保証されるからだ。クリーニングから上がってきた1足目のジャングルモックは、カレンダーによれば、2足目がクリーニングに出される10月27日まで、下駄箱で休眠をすることになっている。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、塩鮭、野沢菜、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、鶏卵雑炊
昼飯 ラーメン
晩飯 空豆としらすの天ぷら、ほうれん草と海苔のおひたし、刺身の盛り合わせ、空豆の甘煮、芋焼酎「茜霧島」(お湯割り)
2017.5.12(金) 反省会
本州では西から東まであまねく、今夜から明日にかけて強い雨が降ると、午後の天気予報は伝えていた。そしてその雨を予感させるような風が、夕刻から吹き始めた。
18時50分に通用口から外へ出ると、風は更に強くなっていた。小さな雨粒が、ふたつみっつ顔に落ちたような気もする。これからの外出であれば、傘を持った方が無難だろう。そう考えつつ、しかし屋内の傘置き場に戻ることを面倒に感じ、そのまま駐車場、そして歩道へと足を踏み出してしまう。後のことより今に流されてしまう、良くない癖である。
大堀に沿った細い道を辿って居酒屋「甚平」の戸を引く。先月の下旬に行われた春日町1丁目役員による親睦旅行の、今日は反省会である。会計係である僕は、この旅行における金銭出納帳と預金通帳のコピー10部をたずさえてきた。
反省会は、町内役員で、今月8日に亡くなったカミムラヒロシさんへの献杯で始まった。カミムラさんは様々な役を長く務め、瀧尾神社の祭典にも毎年かならず労力を提供してくれた。また、町内の役員会には自分の後継者を据えて晩年を迎えた。立派なことだと思う。
21時すぎに外へ出ると、風は止み、雨も降ってはいなかった。そうして数分を歩いて帰宅する。
朝飯 独活のきんぴら、ほうれん草のソテー、納豆、鯵の干物、野沢菜、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波とほうれん草の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のスーラーメン
晩飯 「甚平」のあれや、これや、芋焼酎あれこれ(お湯割り)