2017.3.31(金) 取り急ぎ買う
包装係のサイトーヨシコさんに頼まれて、今朝は普段より1時間はやく製造現場に降りる。服は作業用の白衣も含めて4枚を着ている。寒さは感じない。
今日と明日の2日にわたって自転車のレース「第1回ツール・ド・とちぎ」が催される。総走行距離は320km。スタートはウチからほどちかい日光だいや川公園で、10時から交通規制が敷かれる。その規制に阻まれて会社に帰って来られなくならないよう、クルマを使う用事は早めに済ませておく。
事務室にいると、日光街道と会津西街道との交差点、つまり目と鼻の先から怒号が聞こえる。物見高い性格ではないから席を立つことはしない。事務係のカワタユキさんによれば、規制を突破しようとしたトラックの運転手と警察官とのあいだで悶着があったらしい。それから数分後、日光街道の上から下へ、この上とは東照宮の側、下とは日本橋の側であるけれど、想像を絶する高い速度で大量の、色とりどりの自転車が飛び去っていった。
終業後にメーラーを回すと「ポイント有効期限が迫っております」という表題のメールが楽天市場から届いている。ポイント、クーポン、マイレージのたぐいにはそれほどの興味は持たない。しかし楽天のポイントについては、過去に1万円ほどを流したことがある。調べてみると、今日中に失効するものも含めて4,888円分のポイントが貯まっていた。よってそのすべて使い、グレゴリーのパデッドショルダーポーチのSサイズを、5,540円の値付けをしている店で買う。
おなじグレゴリーのクイックポケットのMサイズは、旅先で持ち歩くサイフ、カメラ、iPhone6s Plus、手帳、ボールペンを入れると容量が限界に達して中身が取り出しづらくなることへの対策である。
朝飯 ほぐし塩鮭、茎若布の炒め煮、生のトマト、ほうれん草とウィンナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、納豆、メシ、トマトと揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 厚揚げ豆腐と豚肉の鍋、「紅乙女酒造」の胡麻焼酎「紅乙女」(お湯割り)、“Chez Akabane”のコルネ、”Hennessy XO”(生)
2017.3.30(木) 備蓄
オフクロの亡くなったのが2014年10月15日。以降、2年5ヶ月のあいだ使い続けてきた、生前オフクロが買い溜めたティッシュペーパーが遂に底をついた。
ウチでは食堂のテーブルを拭くにあたって布巾を使わない。先ずはテーブルにアルコールを噴霧し、それをティッシュペーパーで拭き取っている。テーブルは塗り物ではなく無垢だから、それで表面が痛むこともない。しごく衛生的である。
ティッシュペーパーは他に、納豆を食べたあとの口の周りのネバネバや、あるいはスパゲティミートソースを食べたあとの、これまた口の周りのトマトソースを拭うことにも使う。そのときには、アルコールは口の周りに噴霧をするのではなく、ティッシュペーパーの方に吹きかける。
とにかくティッシュペーパーを欠いてはどうにもならない。ただし、赤ん坊のヨダレを拭いたり女の人が化粧に用いたり、という用向きではないから、高級さは求めない。
そうしてシバタ荒物屋から届いた、ティッシュペーパー60箱の入った段ボール箱を倉庫に収め、ひと安心をする。
朝飯 フワフワ玉子、納豆、茄子の炒りつけ、生のトマト、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、茎若布の炒め煮、たまり漬「刻みザクザクしょうが」、メシ、レタスと油揚げの味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「魚登久」の胆焼き、鰻重、肝吸いと漬物、「片山酒造」の酒粕焼酎「粕華」(生)
2017.3.29(水) おとといの雪
目を覚ますと部屋の中は、既にして隨分と明るかった。時刻は5時15分。カーテンを透かして、空の明るみが部屋の中にまで及んでいる。
おとといの雪を受けて、山々の景色は幾分、冬へと逆戻りをした。しかしその戻りようは、それほど大したこともない。晴れの日が何日か続けば、特に里山では、針葉樹に降り積もった雪は呆気なく融けてしまうだろう。
お客様には常に新しい商品をご提供したい。よって新鮮さが持ち味の「らっきょうのたまり漬」においては特に、その日のうちに売り切れるほどの数しかお作りはしない。このところ道の駅「日光街道ニコニコ本陣」から毎日のように「らっきょうの残りが少なくなった」とか「売り切れた」という電話がかかるのは、春休みも佳境に入って客足が増してきたためだろうか。
今日もそのような連絡が午後のなかばに入ったから、補充の、しかし閉店までには売り切れるほどの数を納入する。一方、ウチの方でも夕刻には「らっきょうのたまり漬」の在庫が心許なくなってきた。これから週末にかけては幾分、製造量を上げていくことを、包装係のサイトーヨシコさんと確認をする。
朝飯 納豆、茄子の炒りつけ、ハムエッグ、ごぼうのたまり漬(試作品)、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、メシ、シジミと三つ葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 巻湯波の淡味炊き、ほうれん草と海苔のおひたし、銀鱈の西京焼き、茎若布の炒め煮、「朝日酒造」の「洗心」(冷や)
2017.3.28(火) じいの一人言
長男、嫁、孫との4人で実家の父を見舞いに出かけた家内は「早めに帰る」と言って出かけたものの「いま横浜から高速道路に乗った」と電話があったのは、18時の閉店間際のことだった。「そうであれば」と帰宅する社員を見送り、自宅に戻って仏壇のお茶や水や花を片付け、風呂に湯を満たしておもむろに、廊下の片面に作り付けた本棚の前に立つ。僕は活字を欠いては一人で飲食のできないタチなのだ。
2月に日本橋の髙島屋で出張販売をした折、訪ねてくれた勉強仲間のオガワタイエンさんが、僕へと長男に言づけてくれた「中央公論」の2017年3月号をたずさえ、階下に降りる。そうして自転車で日光街道を下る。
「中央公論」の目当ては「2017年新書大賞」である。その肝心の部分はしかし、今夜の飲み場所「食堂ニジコ」のカウンターで未知の先客と話が弾んだため、それほど読み進むことはできなかった。目に愉しい活字は美味い飴玉と等しく、味わう余地がいつまでも残ることを脳が望む。よって今夜に読めなくても、どうということはない。
一方、先日ここで昼にお粥を食べているとき、文章を書くらしい人が自著をひと包み、置いていくところを目にした。それにつき店主に訊ねると、その「おくのほそ道奥州古道-日光から今市への直道をゆく」と題された本を出してくれた。著者は丹羽佳岐とある。即「オレ、これ、買うよ」と1冊を確保する。
僕のある種の性癖を読み取ったか店主は「こんな本もあるんですよ」と、すぐ裏に住む人が自費出版をした「じいの一人言」という自伝も本棚から引き抜いて見せてくれた。それを開けばこれまた興味深い内容にて、というか、とてもではないけれど、インターネット上には載せられないような実話の集積である。こちらについては、この店に来るたび、すこしずつ読ませてもらおうと思う。
朝飯 たまり漬を使ったおむすび、日光味噌梅太郎赤味噌と日光のHIMITSU豚によるフリーズドライ豚汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「食堂ニジコ」のお通しのスパゲティサラダ、胡瓜の辛子和え、おつまみチャーシュー、ラーメン、麦焼酎「二階堂」(お湯割り)
2017.3.27(月) 4月になれば
5時30分、洗面所の遮光カーテンを指先でずらして外の様子を窺う。店舗の瓦屋根が、薄く雪に覆われている。駐車場は、地面が見えている。「積もってなくて助かった」と胸をなで下ろしつつ食堂へ行き、湯沸かしポットのスイッチを入れる。
間もなく止むだろうと思われた雪は、しかし朝食を摂るうち勢いを増してきた。そして事務室のシャッターを上げる7時20分のころには、大きな牡丹雪が、空から絶え間なく落ち続けるほどになった。
長男と社員は店の駐車場と歩道の雪を8時30分までかき続け、また融雪剤を撒いた。雪はやがて雨に変わり、その雨も午後には上がった。
「日本は、春」とは、今月19日の日記の題名である。「早々にクリーニングに出そうと思う」と書いたベストは、その直後から冬の寒さが戻ったため、今もまだ着ている。スタッドレスタイヤのノーマルタイヤへの交換も含めて、4月になれば、それらは可能だろうか。
桜の花に雪の積もるようなことは、確率からして、そうはないように思う。
朝飯 玉子焼き、ほうれん草のおひたし、納豆、鰯の梅煮、筍とぜんまいと油揚げの炊き合わせ、梅干し、牛蒡のたまり漬(試作品)、生のトマト、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「やぶ定」の酒肴あれこれ、盛り蕎麦、4種の日本酒(冷や)
2017.3.26(日) 天気予報で知っていた
長袖のヒートテックのシャツに、分厚い木綿による、これは何と説明すべきだろう、シャツというかセーターというか、とにかく襟の高い服を重ね、薄手のコートを羽織っている。汗はかきたくないから、僕の服装は常に、周囲にくらべて薄着である。
今日の東京の気温が低いことは、きのうテレビで観た天気予報で知っていた。それにしても寒い。きのう家を出たときの服装では防ぎようのない寒さである。
北千住から乗った始発の特急スペーシアが、新鹿沼を出て下今市を目指して北上している最中に家内から電話が入る。雪がちらついているから駅まで迎えに行くべきか否か、というのがその内容だった。僕はコートも帽子も持っていることを理由に、ひとりで帰ることを告げた。
東京から100キロとすこし北の下今市で列車を降りると、しかし寒さは東京のそれと変わらなかった。降っているのは雪というよりは疎らな小雨にちかく、大したことはない。
午後、防寒ジャンパーのポケットに入れたiPhoneが、店の駐車場で前かがみになった途端に地面に落ちる。画面を下にしてではあったけれど、革製のカバーに覆われたそれは平らに着地をしたため、小さなキズさえ付いてはいないだろうと感じた。そうしてそれを拾い上げてクルリと裏返して画面を見ると、案に相違してヒビが走っていた。
それでもディスプレイには保護フィルムが貼ってあるため、スワイプをするたびそのヒビに指が引っかかる、ということはない。しばらくは、このまま使い続けようと思う。
朝飯 「小諸蕎麦」のたぬき蕎麦、ライス
昼飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、ホットミルク
晩飯 ビスクドオマール、パン、トマトとレタスのサラダ、生ハム、3種のチーズ、”Petit Chablis Billaud Simon 2015″、クレームカラメル
2017.3.25(土) 居酒屋にて
思いに任せず焦燥をつのらせる、そのような気分の状態を、ウチのあたりでは「いじをやく」という。漢字で「意地を焼く」と書くかどうかについては知らない。
きのうセキネ耳鼻科では、抗生物質と消炎剤による2種の薬を朝昼晩の各食後に飲むよう言われた。また高熱や強い痛みに見舞われたときのための頓服も処方をされた。
早朝に目覚めると、喉の痛みはきのうセキネ耳鼻科へ行く前と変わっていなかった。抗生物質と消炎剤による2種の薬をきのうの昼と夜に飲んだにもかかわらず、である。ここで僕は前述の「いじをやく」状態になり、平熱で、かつ喉の痛みも耐えがたいほどではなかったにもかかわらず、食堂に置いた薬袋から頓服を取り出し飲んだ。時刻は4時20分だった。
8時30分を過ぎると、明け方に飲んだ、セキネ先生の説明からすれば僕には不要不急の頓服が効いたらしい、喉の痛みは隨分と弱くなっていた。自分を実験台にしたこのことは、どこかに記録をして覚えておくことにしよう。
所用にて午後、巣鴨へ行く。そこから池袋に移動をし、本を読むため2軒の喫茶店をはしごする。途中で店を変えたのは、1軒目が喫煙者の巣窟だったからだ。
17時、自由学園男子部35回生の幹事役であるノリマツヒサト君が手配をしてくれた、北口ちかくにある居酒屋の階段を降りていく。指定された時刻よりすこし早かったものの、今夜の世話役であるアケミツシ君は既にして、座敷のもっとも入口に近いところに控えていた。
昨月25日は、大病からの緩解中に急逝した同級生サカイマサキ君の初めての祥月命日にて、サカイ君の自宅に同級生はじめ上下級生が集まった。今日はそれから1ヶ月を経ての、同級生だけの「偲ぶ会」である。そうして静かに、しかしときには少し賑やかな、しみじみとした時間を過ごす。
朝飯 筍とぜんまいと油揚げの炊き合わせ、独活のきんぴら、五目白和え、キャベツのおひたし、鰯の梅煮、メシ、大根とサニーレタスの味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の「笹巻おむすび3個入り」
晩飯 「鞍」のあれや、これや、それや。麦焼酎「吉四六」(お湯割り)
2017.3.24(金) 過信と反省
「花粉症で喉はイガイガ、目は痒い」と、朝のテレビで誰かが言っていた。僕の喉も今朝からいがらっぽい。「これも多分、花粉のせいだろう」と、テレビで聞いたこともあって思い込んでいた。しかしその喉の違和感は次第に強くなり、昼すぎには「これは花粉のせいではなく、風邪の症状なのではないか」と感じ始めた。
14時にセキネ耳鼻科へ行く。案の定、喉が少し赤いと先生は言う。「うがいをすれば治る」などとそのまま帰されては堪らないから「できるだけ強い薬をください」と頼む。風呂上がりに、腰にタオルを巻いただけの姿で、食堂でうたた寝を繰り返したことが悪かったのだ、多分。
インフルエンザで寝込む人が周囲に増えるたび「オレは頑健だ」と、根拠の無い自信にひたってきた。しかし過信をすると、今回のようなことになる。旅先で、いきなり具合の悪くなる可能性も、加齢と共に高くなるだろう。
浮き石に気をつけながら、山のガレ場を一歩、また一歩と登っていく。実際には、そのような気持ちと態度で生活をしなければいけないのだ。それを分かっていながらいつの間にか忘れてしまうのは、人間の持つかなしみのひとつである。
朝飯 納豆、ウインナーソーセージとキャベツのソテー、目玉焼き、焼きトマト、独活のきんぴら、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、玉葱と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 若布とチョレギのサラダ、もやしナムル、キムチ鍋、黒糖焼酎「浜千鳥乃歌」(お湯割り)
2017.3.23(木) 残ったお金
イギリスがEUを脱退するか否かの是非を問う国民投票が行われ、離脱を支持する人が僅差で多数と判明した昨年6月24日、僕はたまたまバンコクにいた。為替の乱高下は週が明けても続いた。27日の月曜日、有事に備えて持参した10万円を街の両替屋でバーツに換えた。レートは1万円が3,430バーツだった。
その日の夕方から夜にかけて、BTSの駅などで電光掲示板を見ると、円高とバーツ安は更に進んだ。日本に帰る28日、スワンナプーム空港の、街の両替屋よりよほどレートの悪いサイアム商業銀行の両替所には、1万円あたり3,601バーツの表示があった。
今月9日にタイへ行く直前の、手持ちのバーツは58,824バーツだった。ここから僕は20,824バーツのみを封筒に収めた。16日に帰ると、封筒には3,704バーツが残っていた。つまり今回タイで使ったお金は17,120バーツ、ということになる。
その17,120バーツは、昼はゴルフ、夜はクラブ活動やバーホッピング、という人なら一昼夜で蕩尽してしまう金額である。それで僕は7日間を楽しく過ごした。現在の手持ちは41,704バーツ。今後もおなじ17,000バーツを使えば3度は保たない。
それを何とか保たせるべく、6月のタイ行きでは、使うお金は6日間で10,000バーツに絞ろうと考えている。バックパッカー気質のいまだ残る僕であれば、それほど難しいことではないだろう。
朝飯 トマトのスクランブルドエッグ、チャプチェ、しもつかり、厚揚げ豆腐と小松菜の炊き物、納豆、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、揚げ玉と長葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の海老のお粥
晩飯 茄子の牡蠣油炒め、揚げ春巻き、春雨サラダ、玉子炒飯、バインミー、豚ハツと支那竹のクミン炒め、”TIO PEPE”
2017.3.22(水) 理由
地平線まで見渡せる広大な平原に、直径100メートル、高さもやはり100メートルほどの柱状の台地が、ポツリとひとつだけ垂直に盛り上がっている。台地は、細くて長い、芝生のような草で覆われている。吹きわたる風が、その草を、まるで動物の毛のように波打たせている。
台地の端にはラマ教のゴンパが建っている。そこでは複数の僧が修業をしているに違いない。しかし耳に届くのは風の音のみだ。
2012年6月に亡くなったはずのおばあちゃんが、そのゴンパに向かって歩いて行く。台地の端は直角に切れて、その先は100メートル下まで遮るものはない。スタスタと、その端に向かっていくおばあちゃんが草に足を取られれば命は無い。
早足でおばあちゃんに近づくと、おばあちゃんはクルリときびすを返した。草に足を取られたのは僕の方である。
両手で草を掴み、断崖からなんとか這い上がろうとする。しかし草は滑り、あるいは1本ずつ千切れていく。その脇の草をつかみ直しても、やはり草は滑り、プチプチと切れていく。
恐怖にかられてうなり声を上げる。その声ははじめ夢の中のものだったけれど、そのうち現実のものとして耳に認識をされ始める。やがて自分が夢を見ていることに気づく。一方、不思議なことに、このまま眠っていたい気持ちもある。
それでもやがて目を覚ます。枕の下からiPhoneを取り出し見ると、時刻は2時50分。外には強風が吹き荒れている。
高いところから落ちそうになる夢は怖い。落ちそうになるどころか落ちてしまう夢もある。地面に墜ちた瞬間は実際に、からだに衝撃を感じる。しかしその衝撃は「コツリ」というほどの軽いもので、半覚半醒の中で案外、気持ちが良かったりする。
高いところから落ちそうになる夢、高いところから落ちてしまう夢。このふたつの夢とは、子供のころからの長い付き合いだ。それを見る理由は分からない。
8時30分より会社の健康診断が始まる。体重は昨年と変わらない59.5Kgだった。
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 干し納豆、“TIO PEPE”、春雨サラダ、キャベツと豚肉の酒蒸し、「奄美大島酒造」の黒糖焼酎「浜千鳥乃歌」(お湯割り)、胡麻汁粉