2016.12.31(土) 朝飯ダブル
ここ何年か、大晦日の朝は霧降高原にある優れたステーキ屋「グルマンズ和牛」に、予約済みのすき焼き肉を受け取りに行く。ここではまた、人数を問わず、客には軽食が振る舞われる。つまり僕と次男にとっては、今朝は「朝飯ダブル」ということになる。そして9時過ぎに山を駈け降りて会社に戻り、仕事に復帰する。
社員は持ち場、持ち場で力を発揮してくれている。僕は事務室、店、製造現場を行ったり来たりして、あれこれの連絡に勉めたりする。4階の部屋は家内により整った。仏壇には新年にふさわしい花が供えられいる。
夕刻、製造現場へ行くと、初売りのための福袋が整然と並べられていた。普段は季節の書を掲げる店舗正面右側には、僕も手伝って「賀正」の文字を取り付ける。定時の18時に店のシャッターを降ろす。社員たちと年末の挨拶を交わす。
大晦日の夕食の席は最高だ。この1年の肩の荷を降ろす感じがする。風呂に浸かりながらすこしのあいだ眠ったらしい。そして21時すぎに就寝する。
朝飯 ほうれん草のおひたし、たまり漬「おばあちゃんのホロホロふりかけ」、納豆、冷や奴、ベーコンエッグ、白菜漬け、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁、「グルマンズ和牛」のメンチカツのホットドッグ、胡瓜のピクルス、ベーコンと玉葱とキャベツのスープ
昼飯 ロールキャベツライス、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮
晩飯 鰤の照り焼き、鴨鍋、蕎麦、「松瀬酒造」の「松の司生酛純米」(冷や)
2016.12.30(金) 日光の美味七選
「知り合いだから」とか「取引先だから」というような義理は一切関係なく、僕が普段から気に入って食べたり飲んだりしている地元のあれこれを、各々のお店にお願いし、たまり漬と共にお届けする、送料税込み10,800円、限定40セットの「日光の美味七選」は、12月1日の朝9時に販売をおしらせするメールマガジンンを配信し、3時間後の11時59分に売り切れた。
2013年までは僕が段取りをし、製造部長のフクダナオブミさんとふたりで荷造りをしていた。2014年からはその準備を長男に引継ぎ、荷造りにおいては、僕は長男の助手に回った。荷造りの時間がいきなりこれまでの半分に短縮をされたのは、長男が同級生オーキトシヒコ君の考えた”logistics”を採り入れたことによる。
荷造りは13時30分から始めて15時30分に完了した。製造現場の、ヤマトがトラックを横付けする扉の外へ出てみれば、正月を迎えるための松が一対、涼やかに飾られていた。ひとつひとつの仕事を粛々とこなすばかりである。
朝飯 納豆、白菜漬け、ほうれん草とソーセージのソテー、目玉焼き、鰯の梅煮、メシ、揚げ湯波と玉葱とピーマンの味噌汁
昼飯 「大貫屋」のチャーハン(大盛り)
晩飯 “Glenfiddich”(ソーダ割り)、刺身湯波、うずら豆、白菜漬け、豚しゃぶ、「旭酒造」の「獺祭磨き二割三分純米大吟醸」(冷や)
2016.12.29(木) 阪納誠一メモリアル走行会
クルマの催しは多く、暑くもなく寒くもない季節の週末、連休などあれば特にそのときを選んで開かれる。それはすなわちウチの店の繁忙日に重なるから、出て行くことは憚られる。クリスマスと大晦日のあいだのエアポケットのような日に開催される「阪納誠一メモリアル走行会」が、今のところは参加できる唯一である。
正確な年は覚えていない、おそらく1995年ころを最後として乗らなくなった”BUGATTI 35T”のエンジンにふたたび火を入れたのは、2006年のこのイベントに臨んでのことだった。以降、休みなく参加を続けたのは勿論、自分の愉しみのためではあるけれど、もうひとつは、1926年製の遺産を動体保存する意味もある。
クルマをサーキットで走らせるときには、クルマと自分、その双方の限界に限りなく近づこうとすることこそが僕の愉しみである。その行いは「愉しみ」ということばとは相反して恐怖と肉体の苦痛を伴う。「今年で引退か」とも考えつつ出走を申し込んだ経緯が今回はあった。
そうして1926年当時とおなじパターンの、しかし新品のタイヤを履いた青いレーシングカーのギヤをローに入れ、朝9時のツインリンクもてぎ西コースへと出て行く。
ウチのクルマに与えられた時間は午前と午後で計130分。そのうちの110分を目一杯、走る。エンジンの調子はこの11年間で最も良く、4速4,500回転を超えてなお回ろうとする。昨年あった振動は新品のタイヤによって消えた。そのタイヤも、シケイン直後の左コーナーを除けば他はすべて右コーナーという西コースの設計により、左の肩の部分のみが極端に減っていく。
最後の20分間は、2006年以来、これを修復、整備し続けているタシロジュンイチさんに操縦席を預け、現在の状態を確認してもらう。後輪のブレーキは、シューを交換する必要があるかも知れない。
観客席の向こうに冬の日が沈むころ、いつも来てくれるモモイシンタローさんの淹れてくれたお茶をいただき、パドックを去る。「今年で引退」は止めた。左右のタイヤを入れ替えて、来年もここへ来ようと思う。
朝飯 「ホテルツインリンク」の朝のブッフェ
昼飯 “Paddock Cafe”のカレーライス、ミニサラダ
晩飯 4種の野菜のサラダ、ロールキャベツ、“Qué bonito cacareaba2013”、アップルパイ、”Glenfiddich”(生)
2016.12.28(水) 黒いジャケット
“BELSTAFF”の、1年に1度だけ着るジャケットがクローゼットに見あたらない。「ことによると」と階段室の、4階から屋上へ行く踊り場まで階段を上がる。そこに置いたタンスの戸を開ける前から油が匂う。「やはりここだったか」とその、分厚い木綿に防水用の油を染みこませた重い上着を取り出す。
3時になったところで”EB-Engineering”のタシロジュンイチさんから電話が入る。「3時に出るんですか」と訊かれて「そうです」と答えると「4時でも5時でも間に合いますよ」とタシロさんは言う。「だったら4時にしましょう」と決めて電話を切る。
トラックの助手席に収まって16時9分に会社を出る。「ツインリンクもてぎ」に併設されたホテルの駐車場に17時33分に着く。タシロさんは荷台に上がり、夜露を避けるためブガッティをシートで包んだ。
ホテルの各部屋には本田宗一郎の伝記が備えてある。それを読みつつ、30分ごとに区切られた食事時間のうち、我々の選んだ18時30分が来るのを待つ。
夕食の後は風呂に浸かり、21時よりも前に就寝する。
朝飯 結び昆布、白菜漬け、生のトマトを添えた目玉焼き、納豆、メシ、大根と長葱の味噌汁
昼飯 「麺屋ききょう」のネギ塩ラーメン
晩飯 「ホテルツインリンク」の夜のブッフェの其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、“Angeaile Brut”、”Suntory ROYAL”(生)
2016.12.27(火) 風は強い
マイナンバーに関係したことで近所に出かける。近所とはいえ徒歩ではすこし遠く感じるところにて、帽子をかぶり、ジャンパーを着て、手袋をはめて自転車に乗る。日光の山々は隨分と冬らしい姿になってきた。しかし気温は相変わらず低くない。
目的の家の玄関におじゃまし、事務的な話だけでは何だから「それにしても暖かいですよねー」と時候の挨拶というか何というか、そんなことを口にしたら「だけど風は強いよ」と、僕より20数歳は先輩と思われる女の人は言葉を返してくれた。
そう言われてはじめて、店のノレンが今日は風に煽られ片側に寄ってしまい、いくら直しても、すぐにまた片側へ寄ってしまっていたことを思い出した。
普段は閉店の直前に仕舞うノレンだが、今日はその1時間ほど前に事務室の中に引き込んだ。「よもや元旦に雪が降るなどはあるまいな」と、すこし心配になる。
朝飯 エリンギと小松菜の胡麻和え、五目白和え、鰯の梅煮、昆布締め、納豆、「たまり漬おばあちゃんのホロホロふりかけ」、メシ、トマトと昆布と玉葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の野菜麺
晩飯 春雨サラダ、葱焼叉、「正嗣」の餃子による水餃子、「紅星」の「二鍋頭酒」(生)
2016.12.26(月) 所用にて宇都宮
仲間内のSNSに続々と、流通の乱れが報告されていく。関東地方から九州までは通常、2日で届くはずの荷物が4日から5日を要しているという。さすがのヤマトも今日は、50年ぶりの大雪に見舞われた北海道へは、いつもは2日のところ、現在は3日から4日かかることもあると、ファクシミリと電話で伝えてきた。
社会のあれこれがほとんど綻びることなく運営される日本においては、人々は普段から、それを当たり前のこととして享受している。その、とどまるところを知らず拡大する「便利さ」は、しかししばしば、あるいは突然、破綻する。そのことを僕も頭に入れて行動しなくてはならない。
「あしたの午前中に欲しい」とご注文をくださるお客様には逐一、ご希望の時間帯には商品の届かない可能性もあることをご説明し、了承をいただいている。「12月30日」と前々から着日を指定されていた北海道への品物は、お客様に事情をお伝えした上で、先週のうちに出荷した。マサチューセッツ工科大学の模型鉄道クラブの信号機のようには、現実はなかなか動かないのだ。
所用にて終業後、長男と宇都宮へ行く。21時、日光宇都宮道路の今市インターが近くなったあたりで席を確保するため、焼肉の「大昌園」に電話を入れる。そうして夕食を摂りつつ会社の新年会の予約を入れる。
朝飯 たまり漬による4種のおむすび、焼きおむすび、千枚漬け、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライス、たまり漬「浅太郎」らっきょう
晩飯 「大昌園」のあれや、これや、それや。麦焼酎「田苑」(オンザロックス)
2016.12.25(日) 鉄道ヲタクではないけれど
来年の春の旅行については、ラオスへ行くことは諦めた。理由はふたつ。
目指すのは田舎である。ところがラオスのどこに自分ごのみの田舎があるかが分からない。あるいは僕を惹きつける田舎がラオスには今のところ存在しない。これがひとつ目の理由。
もしも訪ねたい田舎があれば、そこまではできれば鉄道で行きたい。しかしラオスには、メコン川で隔てられたタイとラオスを繋ぐ友好橋の真ん中つまり国境からター・ナレーンまでの、ほんの数キロメートルしか鉄路は存在しない。これがふたつ目の理由である。
僕の目的地はタイ北部のプレーに傾きつつある。防塁、防壁、一部は環濠により守られた旧市街は、地図を見ただけでそそるものがある。いにしえにはチークの集散したその旧市街にはまた、チークによる古建築が多く残されているという。
おととしの秋にチェンマイで手に入れた藍染めのタイパンツは、それがプレー産であることを白いスタンプで高らかに謳っている。このところ持ち物は増やさないようにしているから買い漁ることはしないだろうけれど、藍染めを施された粗い木綿が風に揺れる田舎の街など、僕にとってはいかにも魅力的である。
羽田を深夜00:20に発つタイ航空機は、タイ時間で朝の4時台にはスワンナプーム空港に降りる。夜明けの入国検査場は混み合っていない。5時すぎにタクシーに乗れば6時ごろにはクルンテープ駅、通称ファランポーンに着くはずだ。
北線の快速は07:00発。プレー最寄りのデンチャイには17:20着。ほとんどが単線のタイの鉄道は、どれだけ遅れるか予想がつかない。夜間、そこから20数キロ離れたプレーまで行くバスが無ければ山中の駅に取り残される。一方、08:30発の特急ならデンチャイに15:53着。しかし3等車を欠く特急にはどうも食指が延びない。
ことし2月のタイ深南部とおなじく、旅先で進退の窮まることを面白がるところが僕にはある。乗るならやはり、07:00発の快速だろう。そろそろ日程を決めなければいけない。
朝飯 ほうれん草のおひたし、千枚漬け、納豆、白菜とベーコンのソテー、豆腐の卵とじ、メシ、油揚げと万能葱の味噌汁
昼飯 「大貫屋」の味噌ラーメン
晩飯 トマトとベビーリーフと玉葱のサラダ、「進々堂」のシュトーレンと田舎風パン、自由学園男子部35回生のイシキモトオ君からいただいたリンゴによる焼きリンゴ、“neu frank”のコンビーフによるジャーマンポテト、同ソーセージのソテー、“Qué bonito cacareaba2013”
2016.12.24(土) 満を持して
1980年代から90年代にかけて、僕が蔵、つまり製造現場に入っているときには、特に年末においては会社の敷地から一歩も出ることなく一週間が過ぎる、という日々が続いた。そういうときの一番の楽しみは、製造現場から内線電話で家内に夕食の内容を訊き、それに合わせる酒を決めることだった。
冷蔵庫のチルド室にはきのうから牛肉が納められている。ワインは酒は暖房の訊いていない応接間に今朝から立てて、澱を沈めている。今夜のステーキは、玉葱をたっぷり含んだソースで食べたいと、昼のうちから考えていた。
夜、洗濯場の一角から玉葱1個を食堂に持ち来て、おろし金ですり下ろす。それをステンレスのボウルに満たし、たまり漬の「鬼おろしにんにく」をたっぷり、おなじくたまり漬の「刻みザクザクしょうが」をすこし加え、醤油をかけまわす。そこにレモンまるごと1個の果汁を搾り入れる。最後にそのボウルを電磁調理器に載せ、ほんの短いあいだ熱を加える。
この、満を持して作ったソースを焼き上がったばかりのステーキに添えて食べる。いと、美味し。
朝飯 納豆、生のトマト、ベーコンエッグ、油揚げの網焼き、穴子の佃煮、昆布の沖縄風炒め、メシ、白菜とベーコンの味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 トマトとレタスと玉葱のサラダ、ビーフステーキ、“Bourgogne LEROY 2000”、アップルパイ
2016.12.23(金) 続く理由
会員でいるあいだはどうにも居心地が悪く、退会して以降はOB会の連絡もしてくれるなと事務局に頼んだ団体。子供のころから違和感を感じていたから、大人になって誘われても、とてもではないけれど気が進まず、遂に入らなかった団体。そういう団体をあるとき、僕にしては珍しく、しげしげと観察をしてみた。するとそれらはおしなべて、高い理念を掲げる集団だった。つまり僕は、そういうところには近づけない生理の持ち主らしい。
長く日記を書き続けることのできる理由を訊かれるたび「牽強付会と針小棒大です」と答えている。きのうの日記などは正に、この牽強付会と針小棒大によるものだ。いわば「どうでも良いことの文章化」である。というか僕は、どうでも良いことしか続けることのできない性分なのだ、多分。
夜の雨が上がって日が昇る。その気持ちの良い朝に門松が届く。
吉田類ではないけれど、門松の、届くあしたや、あたたかし、だ。今朝はまるで、春3月のような暖かさである。
朝飯 納豆、昆布の沖縄風炒め、厚揚げ豆腐の炊き物、ほうれん草のソテー、目玉焼き、千枚漬け、メシ、ほうれん草と三つ葉の味噌汁
昼飯 朝飯のおかずを流用した弁当
晩飯 トマトとチーズとベビーリーフのサラダ、ほうれん草のソテーと”neu frank”のコンビーフ、「自由学園パン工房」のシュトーレンと「進々堂」の田舎風パン、鶏のレバーペースト、“Chateauneuf du Pape LEROY 2000”
2016.12.22(木) 冬至プラス1
「オレもひとつ、ミステリーというものを読んでみるか」とあるとき思い立った。選んだのはギャビン・ライアルによる、ミステリー小説の金字塔「深夜プラス1」だ。結論から言えば、どこが面白いのか分からなかった。しかし最後の段落の「真夜中を一分すぎていた」は印象に残った。
昭和20年生まれの叔母が高校生のときに使っていた勉強部屋を、昭和31年生まれの僕が引き継いだ。東京オリンピックの頃のことだ。その勉強部屋は押し入れを改造したもので、畳一畳ほどの空間に作り付けの机と本棚、そして外へ向かって真四角の窓があった。閉所好みは生来のものか、僕はこの勉強部屋をとても気に入っていた。
その小さな部屋の本棚に古い本が残されていた。僕はその背表紙のカタカナを「パロレット」と読んでいた。後から考えればそれは「ハムレット」だったのだが、デザインのためか「ム」が「△」になっていて、これを僕は「ム」とは判読できないゆえの「パロレット」だった。
その旧仮名遣いによる「パロレット」を小学校2年か3年の僕が開いて読もうとするが「そこもとは何者ぢゃ」の「そこもと」が理解できず、先へ進むことを諦めた。以降、現在にいたるまで「ハムレット」は読んでいない。
ところで「真夏の夜の夢」について、これは実は「夏至の夜の夢だ」という人がいるらしい。まぁ、どうでもよい。
きのう事務室の丸テーブルにふたつの柚のあることに気づいた。どなたかにいただいたものだろう。夜はその柚を風呂に浮かべた。この柚を潰してできるだけ多くのエキスを湯に溶かし込もうとする悪癖が僕にはある。やってみれば分かることだが、それは肌に耐えがたい刺激を与える。それを思い出して、きのうの夜は、柚を潰すことはしなかった。
「これから徐々に日が短くなる。6月とはいえ、秋は手の届くところまでやってきているのだ」と考えてしまう夏至は、夏の好きな僕にとってはイヤな日である。「これから徐々に日が長くなって、やがて夏が来る」と考えられる冬至は1年のうちでもっとも好きな日かも知れない。その冬至の朝の写真を迂闊にもきのうは撮り忘れた。よって今朝は”NIKON D610″の50ミリのレンズを「ニーヨンハチゴー」のズームレンズに交換して「冬至プラス1」の空を摂る。
朝飯 ほうれん草のソテー、納豆、厚揚げ豆腐の炊き物、昆布の沖縄風炒め、すぐき、メシ、豆腐と三つ葉の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 マカロニサラダ、「自由学園パン工房」のシュトーレン、焼きリンゴ、鶏のレバーペースト、鶏肉の南蛮漬け、数日前の肉団子、“Qué bonito cacareaba2013”