2016.11.10(木) 世界一、手間のかからないスープ
朝焼けの様子を飽かず眺めている。その空から紅い色が徐々に引き、薄い青に満たされたところでテレビのスイッチを入れる。晴天の続いていた列島には西から徐々に、雨雲が押し寄せてくるらしい。
カレー文化圏の、ホテルではなく民宿まがいのところに泊まったり、あるいは路上で煮炊きをするかたわらを歩けばすぐに、調理に従う女たちの、食事の何時間も前から香辛料を石臼で擂りつぶす姿を見ることができる。その、何十年も前に見た風景が網膜によみがえるたび「味噌汁は世界一、手間のかからないスープ」という事実を再認識する。その「世界一、手間のかからないスープ」でさえ、これを作ることを面倒がったり、更には作れない人のいることが、僕にはどうにも信じられない。
「ウチの味噌汁は毎朝、僕が作っているんですよ」と言うと「ホントですか」と目を丸くする人がいる。「味噌汁は数分でできます」と言うと「いやー、ウチは女房でさえ、味噌汁は作ったこと、ないですね」と、驚くべき事実を、しかしその人にとっては日常のことだから、こともなげに言ってのける人もいる。
自営業に定年は無いけれど、もしも第二の職業に就くとしたら、僕は定食屋の味噌汁係になりたい。
朝飯 細切り人参の炒め煮、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、茄子の「辛ひしお」炒め、スクランブルドエッグ、納豆、大根のぬか漬け、メシ、豆腐と揚げ湯波と三つ葉の味噌汁
昼飯 「大貫屋」のタンメン
晩飯 「ばんどう太郎」の牡蛎フライ、貫太郎セイロ、「釜屋」の「坂東太郎吟醸」(冷や)
2016.11.9(水) バグつぶし
「巨大なゴミ溜め」と生前、オヤジの言った3階は今夏、オヤジとオフクロの遺したモノの、体積にして97パーセントを処分して綺麗さっぱり空になった。そこには来春から長男の家族が住むべく、現在はふたつの業者が入ってリフォームの最中にある。また屋上および2階のスラブの、工期1ヶ月と伝えられた防水工事は来週には完了すると、今朝、そちらの業者に伝えられた。
一方、店舗棟と工場棟を繋ぐ通路は、今年の積雪期に雨漏りが無視できない範囲に広がり、またまた別の業者に修理を依頼した経緯があった。そしてその工事は本日ようやく、当該の屋根に置かれていた冷暖房の室外機を他の場所に移すことから始まった。
現在の店舗および工場は、僕が20歳から21歳のときに建造をされた。以降40年間の経験からすると、手抜き工事、また特に水回りに安易な設計が目立つ。そしてそれによる不具合が出るたび、まるでバグを潰すように修理、修復を繰り返してきた。それら数え切れないほどの工事は間に合わせや「やっつけ」ではなく、可能な限り手を尽くしてきたからには、これからしばらくは各部分とも保って欲しいと考える今日この頃である。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、細切り人参の炒め煮、ウィンナーソーセージとブロッコリーのソテー、納豆、大根のぬか漬け、メシ、揚げ湯波とトマトとピーマンの味噌汁
昼飯 「お魚ごはん」の焼き鯖定食
晩飯 「ステーキ宮」のレタスとツナのサラダ、ひとくちステーキ、カラフの赤ワイン
2016.11.8(火) 書けないことも多々ある
朝、テレビのニュースを見ていると、その天気予報が今朝は日光から中継をされていた。「ヘー」などと感心しながらしばらくすると「あ、ヨコタさん」と家内が言う。「カメラ」と長男がうながす。それは山で熊に遭遇したときの注意を解説する場面だったらしいけれど、僕はとにかく受像器に映し出された年長の友人ヨコタジュードーの顔写真を撮ることに忙しく、放送の内容は耳に入らなかった。
1980年代のはじめ、東京から地元に帰ったころにはヨコタさんに隨分と世話になった。夜ごと家におしかけ深夜までお茶を飲み、また季節の折々には山や川に連れて行ってもらい、あるいは雪の中で寝ることを何年も続けた。
ヨコタさんは若いころから興味と執念の上手く噛み合った人で、やがて動物写真の大きな賞を獲得した。市井のアマチュアがプロを超えてしまう、ひとつの例である。
ヨコタさんは藪の中にいて、遠くの斜面にいる、まるで胡麻粒のような鹿をたちまち何頭も見つける。あるいは川底の、苔の生えた玉石を踏みつつ、まるで河童のように素早く歩く。そういう敏捷さの反面、森の中に何時間も潜んで鳥を待つ忍耐にも優れている。そしていわゆる「権威」については、これを痛烈に嘲罵するのだ。
ヨコタさんのことは到底、ここに書ききれるものではない。あるいはとてもではないけれど、書けないことも多々あるのだ。
朝飯 揚げ湯波と蕪の葉の炒め煮、長葱の卵とじ、大根おろしを添えた納豆、じゃこ、胡瓜と蕪のぬか漬け、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁、柿
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 生ハムのムースとトースト、3種の葉物のサラダ、2種のキノコのスパゲティ、“Chablis Billaud Simon 2014”
2016.11.7(月) ハツマゴ
生来のアレルギー体質にて、子供のころはアトピー性皮膚炎に悩まされた。「何とかならないかねぇ」とか「大人になれば治るでしょう」とは、そのころかかった医師の言葉である。皮膚の病はなるほど、20歳にちかづくころから徐々に収まり、気にならなくなった。
ところが齢を重ねるにつれ、昨年あたりからまたぞろ、からだのあちらこちらに皮膚の不具合が出始めた。先ずは、6月から8月までの僅々3ヶ月ではあるけれど、かかとからアカギレの消えていた時期にもそれが絶えなくなった。湿疹が頻発し始めた。冬の朝にはかならず口角が切れるようになった。
この秋にタイから帰ると、しばらく消えていた湿疹がぶり返してきた。病院へ行こうにも、忙しくてその時間を割くことができない。そして本日ようやく、かかりつけのアライジンクリニックを訪ねる。アライ先生には昨年の診察時に「この皮膚病は治らない」と太鼓判を押された。すこし良くなってはまた悪くなることを繰り返すのだという。
そうして待合室で名を呼ばれるのを待っているところに家内から電話が入り、長男の嫁に子供の生まれたことを知る。いわゆる初孫である。
終業後、三菱デリカの助手席に家内を乗せ、宇都宮の病院に嫁を見舞う。そして新生児室のガラス越しに赤ん坊を見る。「無事ならそれでいいじゃねぇか」と、僕は一瞥したのみで充分のところ、家内はその赤ん坊の、栗の実に円空が目鼻を入れたような顔を3、40分も飽かずに眺めている。そのあいだ僕はずっと、ニコンの重いカメラを首に提げたまま突っ立っているのだから容易ではない。
家内は明日も赤ん坊を見に行くのだろうか。ただただ、世界の子供たちの上にマガゴトの降りかからないことを祈るばかりである。
朝飯 生のトマト、じゃこ、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、胡瓜と蕪のぬか漬け、生玉子、揚げ湯波と蕪の葉の炒め煮、納豆、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 弁当
晩飯 “FLYING GARDEN”のグリーンサラダ、アンガス牛のステーキ、カラフの赤ワイン
2016.11.6(日) 蕎麦の味
どんなに忙しくても、商品の作り置きはしない。特に「らっきょうのたまり漬」は、毎朝、蔵出しをする。その、仕込み桶から引き上げられたばかりの「らっきょうのたまり漬」を道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に納品するのは早くて9時前。しかし今のような繁忙期には、自店の仕事を優先し、他は遅らせることもある。
本日の「日光街道ニコニコ本陣」への納品は10時30分までずれ込んだ。その際、ウチの売り場のある商業施設と船村徹記念館とのあいだの広場にテントの立てられているのが見えた。「何だろう」と近づいていくと、湯気の盛大に立ちのぼる大鍋のかたわらで「やぶ定」のワガツマカズヨシさんが忙しそうに立ち働いていた。訊けば今月18日から始まる「日光そばまつり」の前哨戦ともいえる「日光新そばまつり」だという。
全国から紅葉狩りのお客様が日光に詰めかけるまで、僕は13時30分から昼食を摂っていた。それが人のやり繰りの都合上、今は11時30分からになっている。その11時30分に、今度は配達用のホンダフィットではなく自転車で「日光街道ニコニコ本陣」に裏を返す。そうして天盛り蕎麦の大盛りを注文する。
今でこそ「蕎麦の街・日光」と有名になったけれど、むかしは蕎麦嫌いが多かった。それは多分、蕎麦とは元々、仕方なしに食べる救荒食だったからだ。しかし今の蕎麦は、その生まれながらの野趣に後天的な洗練が加わり、ちょうど良いところで均衡している。その均衡の具合が多くの需要を生んでいるのだ。
ところで僕にとっての蕎麦は、幽玄の彼方にたゆたう薄墨のようなもので、その美味さがよく分からない。「不味くない蕎麦がすなわち美味い蕎麦」と長男は言う。次に僕が蕎麦を食べるのは、大晦日になるかも知れない。
朝飯 ほうれん草のソテー、揚げ湯波と蕪の葉の炒め煮、ベーコンエッグ、納豆、鰯の土佐煮、メシ、揚げ湯波と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 「日光新そばまつり」の天盛り蕎麦(大盛り)
晩飯 レタスのサラダ、パン、ジャガイモのオムレツ、白隠元豆のドロドロ、“Chez Akabane”の葡萄のケーキ、“Chablis Billaud Simon 2014”
2016.11.5(土) 往復の2、30分
10月の下旬から繁忙が続き、このところはほぼ毎朝、暗いうちから製造現場に入って仕事をしていた。それが今日からはしばらく途絶える。再開は今月の下旬になるだろう。
出張で7時台の上り特急スペーシアに乗るなどしない限り、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の、ウチの売り場には毎朝、掃除と検品のため自転車で行く。それがなぜ僕の仕事かといえば、その時間にもっとも自由の利くのが僕だからだ。「漫然と」では話にならないけれど、物作りや商売においては、毎日おなじことを飽きずに続けていくことが結構、大切だったりする。
「東京の人は東京タワーには行かない」と、むかしからよく耳にする。今ならさしずめ「東京の人は東京スカイツリーには行かない」だろうか。日光や鬼怒川の紅葉については、配達をしていた1990年代の前半ころまでは、道やクルマさえ紅く染まりそうな錦秋の道を行き来することもあったけれど、今はとんとご無沙汰である。
テレビのニュースによれば、東照宮や神橋や金谷ホテルのある日光旧市街の紅葉は、今週末が見ごろとのことだ。僕もホンダフィットを10分ほど走らせればそれを確かめることができる。しかし早朝はこの日記などを書いて、そして日中は仕事に忙殺をされて、その往復の2、30分が捻出できないのだ。
日光方面の紅葉は窓から眺めようとして、しかし日光街道の杉並木に阻まれ、望遠することはできない。
朝飯 ほうれん草のソテー、春雨炒め、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、メシ、シジミと万能葱の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」のラーメン
晩飯 柿なます、豚ハツと支那竹のクミン炒め、たきたきうどん、米焼酎「白水」(お湯割り)
2016.11.4(金) 安物買い
「金が無い、時間が無いは言い訳」という言葉がある。順風満帆な人は、胸を張ってそれが言えるだろう。その逆の境遇に置かれていても、みずからを鼓舞するように、食いしばった歯と歯のあいだからそれを絞り出す人はいるかも知れない。
今の僕には床屋へ行くヒマも無い。しかし出張に出た日などは、すこしの時間であれば、仕事と仕事の合間に捻出できる。先月26日はそんな時間を見つけて生まれて初めて千円床屋に入った。
池袋のその店に待ち客はいなかったからすぐに案内をされた。「どうしますか」と訊かれて「5ミリのバリカンで丸刈りにしてください」と答えると「5ミリはありません、4ミリか6ミリです」というので「だったら6ミリでお願いします。それと髭は4ミリで刈ってください」と頼むと「髭はやってません」とのことだった。
髪の毛より髭が気になって入った床屋で「髭はやってません」と言われれば、その床屋に入った意味は無い。しかし当方は既にして席に着き、上半身には白い布を巻かれている。「分かりました」と了承すると、マスクの内側でモグモグとガムを噛みつつオニーチャンは僕の髪をなかなか上手に刈ってくれた。
大昔に巣鴨でやはり安い床屋にかかった。そしてその仕事に満足がいかず、地元に帰ってカトー床屋にかかり直したことがある。今回もまた、結局はカトー床屋の世話にならなければならないところ、その時間が無いのだ。
今朝は9時から銀行まわりをするうち2時間が過ぎた。2時間あれば床屋にもかかれそうなものだけれど、銀行には行けて、しかしなぜか床屋には行けない。難しい問題である。
朝飯 春雨炒め、昆布の沖縄風炒め、ベーコンのソテー、スクランブルドエッグ、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、鰯の土佐煮、メシ、蕪と蕪の葉の味噌汁、メロン
昼飯 柿の葉鮨
晩飯 カレー南蛮鍋、うどん、米焼酎「白水」(お湯割り)
2016.11.3(木) 15分間の退屈
朝、ふと気づくと店舗入口の犬走りに、誰かが置いたらしい温度計が目に付いた。拾い上げて見てみると、気温は10℃ちょうどだった。真冬の氷点下にくらべればどうということもないけれど、今のこの気温は充分に寒い。手荒れとアカギレの季節である。
日に数え切れないほどの手洗いを繰り返し、またその手をアルコールで消毒することを好む僕の手は当然、秋が深まれば指先にアカギレを生じ、また爪と肉のあいだは剥がれ加減になる。そうなってもクリームは塗らない。そのベタつきを嫌って、塗ってもすぐに石鹸で洗い落としてしまうのだ。
おととしのことだったか、優れた焼き菓子を作る工房のあるじに「自分はこれを愛用している」と、「日本ケミファ」の「モイスポリアホワイト」というクリームを教わった。すぐに取り寄せ使ってみると、なるほどこれなら大丈夫と確信をした。塗ったときこそ普通のクリームながら、左右の手をこすり合わせるうち、まるで水に溶いた石膏が固まったような感触と共に、油のベタつきが消えるのだ。
難点は、そのベタつきが消えるまでの手のこすり合わせに15分ほどを要することだ。そのあいだはスマートフォンにもコンピュータにも触りたくない。テレビのリモートコントロールにも手を伸ばす気にはならない。15分間の退屈を紛らわすには、新聞を開くことが最上である。新聞紙なら、すこしばかり汚してもどうということはないからだ。
今年はこのクリームを塗ることを怠り、現在、僕の左手の親指、人差し指、中指、右手は人差し指と中指の先にバンドエイドが巻いてある。バンドエイドは「キズパワーパッド」で格段の進歩を遂げたけれど、やはり何かと不便だ。
指先のアカギレが消えたら即、「モイスポリアホワイト」を使い始めなければならない。そうすれば次の春が来るまでバンドエイドとは無縁になれるのだ。15分間の退屈から逃げてはいけない。
朝飯 しいたけのたまりだき、昆布の沖縄風炒め、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、納豆、ベーコンのソテー、スクランブルドエッグ、鰯の土佐煮、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 「魚登久」のお通しのおでん風煮物、鰻の胆焼き、鰻重、肝吸い、「片山酒造」のカストリ焼酎「粕華」(生)
2016.11.2(水) 13℃
目を覚まし、数分が過ぎたと思われるころ、枕頭のiPhoneを取り上げ見ると、時刻は5時25分だったから「寝過ごした」と、いささかの落胆を覚える。起床してから朝食の準備の始まる6時までは静かな、貴重な時間である。それが今朝は、着替えや洗面の時間を引き算すれば僅々20数分しか確保できない勘定になる。より一層、早寝をしなければならない。
出勤してくる社員のために事務室のシャッターを上げる。その足で倉庫へ行き、来年のカレンダーが、既にしてビニールの筒に丸めて整理されていることを確認する。しかしそれはB3のそれについてのみで、B4の小さな方はいまだ届いたときの荷姿のままだった。こちらの方も、準備を急がなければならない。
僕が普段から口にして「それにしても美味いよなぁ」と感心しているあれこれを集め、限定40セットを大晦日必着でお届けする「日光の美味七選」については、毎年、各々のお店に挨拶に出向く。それを昨年からは長男が務めてくれるようになって、僕はとても楽になった。そして本日、長男はその仕事を完了したという。
閉店時の気温は13℃。いまだ晩秋の感じはしない。
朝飯 納豆、昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、目玉焼き、しいたけのたまりだき、ひじきと人参と揚げ湯波の甘辛煮、里芋とハムと胡瓜のサラダ、メシ、揚げ湯波と若布と万能葱の味噌汁
昼飯 朝飯の残りを流用した弁当
晩飯 トマトのサラダ、ポテトグラタン、ポトフ、”Chablis Billaud Simon 2014″
2016.11.1(火) ころもがへ
2013年秋のリフォーム以来、生活の拠点は4階の北西側から南東側に移った。その結果、日光の山々を眺める機会は減り、夜明けの空と日の出を愛でる日がほとんどになった。
事務室に降り、facebookを開くと、知らない誰かの、日光の山々に冠雪のあったことを報せるコメントをシェアする人がいた。よっていま降りてきたばかりの4階にふたたび上がり、以前の、北西に面した洗面所の窓を開けるとなるほど、男体、大真名子、女峰、赤薙の、登山用語ならルンゼだろうか、夏は落石、大雪が降れば雪崩の頻発しそうな部分にうっすらと降雪が認められた。
10月の下旬からすれば、隨分と寒くなった。にもかかわらず、半袖のポロシャツに長袖の木綿のTシャツを重ねるという、秋以来の恰好を続けてきた。しかし山には雪、である。
昼休みに寝室に入り、チェストのポロシャツすべてを押し入れの、夏の服のための箱に仕舞う。そしておなじ押し入れの、今度は冬の服のための箱から”UNIQLO”のヒートテックの長袖シャツを取り出し、それをチェストの、これまではポロシャツが入っていた引き出しに収める。
夜は本日出勤をしたうちの、都合のつく社員に4階に集まってもらい、食事会を催す。それに併せて遅ればせながら、秋の日光MGの、社内的表彰を行う。
第5期の自己資本322A++、決算順位が52名中の4位だったヤマダカオリさんには技能賞が与えられた。自己資本357A++、決算順位52名中の12位、売上金額累計2位のハセガワタツヤ君は敢闘賞ながら頸椎ねんざで長期療養中、また自己資本398A++、卓の履歴DDBCで殊勲賞のサイトーエリコさんは本日、急な発熱で早退ということで、これら2枚の表彰状は、新年会での授与となるやも知れない。
朝飯 昆布と牛蒡と蓮根の佃煮、炒り卵、しいたけのたまりだき、じゃこ、雑炊
昼飯 「味彩たむら」の鶏飯、若布と万能葱の味噌汁
晩飯 里芋とハムと胡瓜のサラダ、「らっきょうのたまり漬」とツナのサンドイッチ、ポテトグラタン、グリーンサラダ、秋刀魚のコンフィ、ポトフ、トマトと蟹とクリームのソースのペンネ、フルーツポンチ、ジンジャーケーキ、”TIO PEPE”