2016.9.10(土) 来年のカレンダー
もう、来年のカレンダーを注文する時期になった。何十年もの付き合いの業者から「あした伺いたい」という電話をもらったのはきのうのことだ。「何時ごろ…」と訊かれたので「できるだけ早い方が、具合が良いんですよねぇ」と答えると「それでは8時半から9時のころに」と相手は時間を決め、僕はそれに了承をした。
道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の売り場には、どこかに出張でもしない限り毎朝、僕がショーケースの拭き掃除および在庫しらべに行く。その帰り、自転車で日光街道を遡上している最中に事務係のカワタユキさんから電話が入って「お客様がいらっしゃっています」と言う。時刻は8時05分。相手は「8時半から9時のころ」に来るはずだったカレンダーの業者である。
「さば読み」とか「バッファー」という行いあるいは考え方がある。世の中のすべては計算どおりにいくものではない、だから予定には余裕を持たせておけ、ということだ。しかし「8時半から9時のころ」に来るはずの人が8時05分に来る、これは「バッファー」の範囲には収まらない大迷惑と僕には感じられる。
しかし僕はその、何十年もの付き合いの業者が嫌いではないから「あー、お待たせして申し訳ありません」と、謝りのことばに自分の気持ちを包み隠しつつ事務室に入っていくのだ。
朝飯 ピーマンの炒りつけ、大根と人参のなます、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、明太子、しその実と胡瓜と茄子の塩漬け、メシ、揚げ湯波と玉葱と茗荷の味噌汁、トマトの甘露煮
昼飯 かき揚げ、たまり漬「ホロホロふりかけ」、明太子、塩鮭、梅干し、巻湯波の炊き物によるお茶漬け
晩飯 “Parrot”のグリーンサラダ、リブロースのステーキ、“evodia 2015”
2016.9.9(金) 雲水は無理としても
オヤジは2005年に亡くなった。オフクロは2014年に亡くなった。ふたりは日本の高度成長と共に壮年になり、50代でバブルを迎えた。多くの日本人がそうであったように、彼らも金銭をモノに換え続けた。有り体に言えばモノを買い漁った。あるいは義理がらみや泣き落としにより無理やり押し付けられたものも少なくなかった。その集積が、彼らの居住空間である。
特にオフクロは、モノを買うこと、貰うことが大好きで、且つ、モノを処分すること、捨てることは大層、嫌った。もうひとつ、オフクロは空間を好まず、それをモノで埋めた。テーブルや机の上もモノで満たした。モノで満たされたテーブルや机は本来の意味を失う。オフクロは最後は、これまたモノだらけで足の踏み場もない床に数十センチ四方を確保し、そこに正座をしてメシを食べていた。
「3階は巨大なゴミ溜めだからね」とはオヤジが生前、僕に言ったことだ。
オフクロが亡くなって「それっ」とばかりにその3階の整理整頓を始めたかといえば、そのようなことはない。あまりのモノの多さに気力が湧かなかったのだ。しかしいつまで座しているわけにはいかない。今年の春から人を介して寄付をしたり、あるいは思いついた人を呼び、欲しいものがあれば持っていってもらった。ただし、そんなことでは「巨大なゴミ溜め」はビクともしない。
不要品の引取業者を8月末に呼び、2トントラック4台分のモノを捨てた。それでも足りずに今日もおなじ業者の2トントラック1台が来て、先日、積みきれなかったタンスや下駄箱を引き渡した。「これが最後の機会」と、下駄箱を撤去した裏玄関の、更に奥にまで僕は潜り込んだ。そしてそこに積み上げられたままのガラクタすべても業者のオニーサンに手渡し、それらはリレー式にトラックに積み込まれた。
オヤジとオフクロの遺したモノの、体積にして97パーセントは本日を以て綺麗さっぱり無くなった。
裏玄関の更に奥のガラクタの中からは、何十年前、あるいは100年以上も前に使われていたと思われる看板が出てきた。もちろんこれらは捨てない。また階段に積み重ねられた靴箱の下からは、僕が何十年も見つけられずにいた、懐かしいヘルメットも出てきた。
モノを持つことにより精神の充足を得る人もいるだろう。しかし「モノは空しい」という結論に、僕は2年前、58歳のときに達している。雲水は無理としても、できるだけ少ないモノで暮らしていきたい。
朝飯 たまり漬「ホロホロふりかけ」を薬味にした納豆、スペイン風目玉焼き、冷や奴、しその実と胡瓜と茄子の塩漬け、牛蒡と人参のきんぴら、メシ、若布と揚げ湯波と万能葱の味噌汁
昼飯 カレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 酒肴ひととおり、野菜の天ぷら、たまり漬「刻みザクザク生姜」と同「鬼おろしにんにく」を薬味にした鰹のたたき、牛肉のたまり漬け焼き、乳茸うどん、5種の日本酒(冷や)
2016.9.8(木) しその実
8時30分から、しその実の買い入れを始める。ことし還暦を迎えた僕の生まれるずっと以前から連綿と続けられてきた、秋の大切な仕事である。この時期には蔵から事務室から店までがしその実の香りで満たされ、香味野菜の好きな僕はうっとりとした気分になる。
来週の東京行きに備えて午後、下今市駅に特急券を買いに行く。僕の前にはカップルがいた。その男の方が窓口の駅員に「カナガワ」と告げた。駅員と僕はひとしくギョッとしてその、つい先ほどまでは日本人とばかり思っていたカップルを見た。しかし駅員は、その男の風変わりな発音にいち早く気づいて「キヌガワ?」と問い返した。彼らの行き先は「神奈川」ではなく「鬼怒川温泉」だったのだ。
先ほどより日本語にちかい発音で「キヌガワ」と肯定した男に駅員は「250」と走り書きした紙を素早く手渡した。カップルはそれを見て、今度はスマートフォンで何やら調べ、自動券売機で250円の切符2枚を買った。
構内の電光掲示板には、上段に15:51発の日光行きが、下段には15:50発の会津田島行きが示されていた。日本人に見えても日本人でないらしいふたりはその掲示板を見上げて立ち尽くしている。
「鬼怒川温泉に行くんだよね」
「そう」
「だったら15時50分発だね」
「15時51分発じゃないの」
「違う。15時50分発。プラットフォームは2番線」
と会話を交わすと彼らは胸をなで下ろしたような顔つきで僕に礼を言い、自動改札機に切符を差し入れた。
ことしの2月、僕は”LONELY PLANET”の2003年版からコピーした地図のみを持ってスンガイコーロクの駅に降り立ち、そこからナラティワートに移動するバスの停留所を探して街を歩き回っていた。その僕に声をかけてくれたのは、裏道で猫に餌をやるオバサンだった。
そのオバサンに恩を返すことはできない。しかし他の誰かを助けることはできる。外国人に道を教えるくらいのことであれば、僕も日本の国益に与することができるのだ。今後も機会があれば、おなじことを続けて行きたい。
朝飯 タラバガニの三杯酢ジュレ、茄子の炒め煮びたし胡麻和え、牛蒡と人参のきんぴら、塩鮭、明太子、大根と人参のなます、たまり漬「ホロホロふりかけ」、胡瓜のたまり浅漬け、メシ、豆腐と万能葱の味噌汁
昼飯 「幸楽苑」のあっさり中華そばと半チャーハンのセット
晩飯 しその実と胡瓜と茄子の塩漬け、生のトマト、揚げ湯波と小松菜の淡味炊き、ピーマンのソテーを添えた牛肉のたまり漬け焼き、お菓子その1、お菓子その2、「田苑酒造」の玄米焼酎「つかだ」(ソーダ割り)
2016.9.7(水) 日光MG(2日目)
きのうは、というか午前0時を過ぎてなお、2時、3時まで飲酒活動をしていた人たちが少なくなかったらしい。「そういう方々にホストがお付き合いしなくてどうする」と家内は言うけれど、僕は早寝早起きの体質にて、温泉街の深夜食堂で餃子やラーメン、はたまた鶏の唐揚げを肴にビールなどは、とてもではないけれど無理だ。
今朝は4時55分に目を覚ました。枕元のザックを背負ってロビーに降りると幸い、コンピュータの使える空間があった。よってそこで仕事関係のメール3通を書いて送る。
MGの2日目は大抵、ニシジュンイチロー先生による、利益感度分析の講義で始まる。ここは平易かつ強烈なところだから、地元から参加をしてくださった初心者の方々には更に理解を深めていただくべく、後日、補講を開きたい。
第4期の中間決算時において、僕の会社盤には青チップ4枚があった。「青チップ4枚」にはいろいろな意味があるけれど、僕に限っては進退窮まって悪戦苦闘中、ということだ。そうして第5期のゲームが終わる。
「皆さんにご迷惑をおかけして」とは、MGの初心者がよく発する言葉だ。しかし初心者を迷惑に思う参加者などはひとりもいない。そしてその初心者が不明のことにつき手を挙げれば即、参加者うちの誰かれが懇切に、その不明を解きほぐしてくれるのだ。
戦い済んで日が暮れて、否、日はいまだ暮れてはいないけれど、表彰の時間になる。MGは勝ち負けのゲームではなく、勝った者が偉いわけではない。あれこれ試して倒産への道を検証する智者もいる。しかし表彰のあった方が競争は激烈になり、市場も活性化して面白かろう、ということで、これが設けられているのだと思う。
今回の最優秀経営者賞は練馬区から参加の、そしてきのうから優勝宣言をしていたニヘーナオトさんが第4期分社の第5期到達自己資本646円で、優秀経営者賞は港区から参加のヨシダケーゴさんが第5期到達自己資本680円で、またもうひとつの優秀経営者賞は、修善寺から参加のタケシトーセーさんが同604円で、それぞれ獲得をした。
また上澤梅太郎商店からは、表彰状はいただけないものの、第5期の決算速度4位で、包装係ヤマダカオリさんの名が正面に張り出された。名人上手鬼巨匠の全国から集う中で、この順位はなかなか獲れるものではない。
2日目最後の講義を聴き、原稿用紙に2枚分ほどの感想文を仕上げつつ、帰りを急ぐ方々を研修室の外まで、あるいはロビーまでお送りする。そんなことをしているうち、前回までは欠かさず続けてきた、締めの挨拶をし忘れる。
とにかく9月の大きな仕事のひとつ「日光MG」が無事に完了して、肩の荷はその分だけ軽くなった。そうして夜は福岡市から参加をしてくれた、そして今日は市内の旅館に後泊をするカワイカズキさんと家内と長男との4人で自宅食堂のテーブルに着き、歓談のひとときを持つ。
朝飯 「一心舘」の朝のお膳
昼飯 「一心舘」のカレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 「一心舘」の鍋焼きうどん、家に戻っての酒肴あれこれ、「田苑酒造」の玄米焼酎「つかだ」(ソーダ割り)
2016.9.6(火) 日光MG(1日目)
ニューギニアインパチェンスは、その名前からしても、熱帯雨林の花だろう。それだけに、日に2度の水遣りが欠かせない。しかし今日から明日の夕方までは、家族の介護など特別な理由により来られない者を除く社員20名、そこに外部からの参加者32名を加えた52名による研修「日光MG」を鬼怒川の旅館「一心舘」にて開催し、会社には戻れない。よって今朝は特に入念に、店の犬走りに並べられた6つの鉢に如雨露で水を撒く。
9時30分、第32回日光MGは無事に開会をされた。儀式めいたことは好まない性格の僕だから「開会宣言」というような大仰なことは行わない。しかし挨拶くらいのことはする。
ひとりひとりが自分の会社を持ち、盤上に5期分の経営を展開するマネジメントゲームの第1期は常に、全員で基本をなぞる。なまじ知識、経験のある者が講師の説明の先へ先へと筆を決算書に走らせ注意を受ける場面もある。第1期から第5期までの、特に第1期における学習はいわゆる「楷書」に徹し、一点一画をも、ないがしろにしてはいけないのだ。
第2期の期首処理、そのゲーム、その決算。第3期の期首処理、そのゲーム、その決算。マネジメントゲームは期ごとの売上高によって、市場つまり通常は6名で構成される卓、今回はA卓からI卓のあいだを上に上がったり、あるいは下に下がったりする。
52名中の初心者は9名、それに準ずる者は4名。つまり全体の4分の1を初心者が占める今回は、特に決算において予定の時間を大きく超えつつあるけれど、どうということもない。僕はMGにおいてはいつも「次も来たい」と初心者に感じてもらえるような行動をしようと心がけている。
そうしてその初心者にとっては特に”spartan”な1日目が完了して20時30分、交流会にてようやくひと息をつく。
朝飯 こんにゃくとイチジクの白和え、牛蒡と人参のきんぴら、揚げ湯波と小松菜の炊き物、大根と人参のなます、南瓜の煮物、胡瓜のたまり浅漬け、メシ、シジミと万能葱の味噌汁、トマトの甘露煮
昼飯 「一心舘」の昼のお膳
晩飯 「一心舘」の夜のお膳
2016.9.5(月) 日光MG(前夜祭)
自動車運転免許証の更新期間は、誕生日をはさんだ前後1ヶ月の計2ヶ月間と知ったのは、報せのハガキを受け取った7月はじめのことだ。前回つまり5年前も、それほど余裕のある日程だっただろうか。すくなくとも前々回までは、誕生日までに手続きをしないと面倒なことになったように記憶をしている。
更新期間が2ヶ月もあるという便利さに甘やかされて先に延ばすうち、その期限がいよいよ近づいてきた。他の月にくらべて9月の仕事は少ないと、以前は社員ともども認識をしていた。しかしこの2、3年のあいだに状況は変わった。近郊農家からのしその実の買い入れに加え、新たに茗荷の買い入れ、また新宿高島屋での1週間の出張販売と、今はいくつもの仕事が重なり合って忙しい。
よって今朝は遂に意を決して9時前に今市警察署へ出かける。この数ヶ月のあいだに、特に右目の視力が極端に落ちたから心配をしたけれど、その検査は辛うじて通過をした。そして20分間のビデオ講習を経て無事、1ヶ月後には新しい免許証の発行される手はずが整った。
9月の重要な仕事のひとつに、全社員が参加をする研修「日光MG」がある。今回32回目となるそれに前乗りをされる方々が、ニシジュンイチロー先生ご夫妻をはじめとして、夕刻より続々と到着をされる。そして閉店後より自宅の応接間にて、その前夜祭を始める。
社員を除く、外部からの参加者は1名のみ、という静かなときもかつてはあったけれど、今回、社外から来てくださる方は32名。遠くは九州から、また、これは日光MGにとっては新しい時代の到来になるだろう、街うちからの参加者が16名にも上った。とても楽しみなことだ。
そしてそのような方々に、前夜祭の最後にニシジュンイチロー先生が、みずからの引き出しの中から今夜のために特に選んだ話をしてくださる、それは僕にとって、とてもコクのある時間だった。
明日からの2日間の日光MGでは、特に初心者に対して目を配りたい。
朝飯 納豆、たまり漬「ホロホロふりかけ」、揚げだし茄子、塩鮭、胡瓜のぬか漬け、ゴーヤの炊き物、メシ、若布と揚げ湯波と茗荷の味噌汁
昼飯 「美彩たむら」の日替わり弁当
晩飯 酒肴あれこれ、芋焼酎「甕仙人」(ソーダ割り)
2016.9.4(日) 捲土重来
ウェブショップが新装された結果、ご注文をいただいた際、お客様にお送りするメールのテンプレートに修正の必要が生じていると、朝、事務係のカワタユキさんに指摘を受ける。
そう言われてみれば、僕は受注システムからお客様に自動送信されるメールばかりを気にして、受注係が、その一部を手動で書き直してお送りするメールには、思いが至っていなかった。テンプレートの入っているコンピュータはどれかと問えば、事務係全員と受注用のそれだという。
お客様がウェブショップにコンピュータでアクセスをされてくださったご注文、同スマートフォンを用いてのご注文、メールに平文でくださったご注文、そのメールにエクセルなどのファイルを添付してお送りくださったご注文、お支払方法が代引き着払いの場合、カード決済の場合、銀行振込の場合などによってもテンプレートは異なってくる。それら複数のテンプレートが収められたコンピュータを逐一、修正して回る手間を考えると、とても気の進む作業とは言えない。
よって事務係ひとりひとりがみずからテンプレートを修正する、そのマニュアルを作ろうとするも、それはそれで楽でない。日中、仕事はこればかりをしていれば良いということでもなく、結局のところ、カワタさんに求められたことは、夕方までに終わらせることができなかった。
捲土重来を期さなければならない。
朝飯 ゴーヤの炊き物、冷や奴、たまり漬「ホロホロふりかけ」を薬味にした納豆、鰯の梅煮、獅子唐の炒め煮びたし、塩鮭、冬瓜と鶏笹身肉の酢の物、メシ、豆腐と若布とベーコンと万能葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の冷やし味噌ラーメン
晩飯 「玄蕎麦河童」の揚げ出し茄子、だし巻き玉子、山芋の磯辺揚げ、せいろ(田舎)、せいろ(丸抜き)、蕎麦焼酎「峠」(蕎麦湯割り)
2016.9.3(土) 禁忌
大人がもっともらしい顔つき、口ぶりで忌むこと、禁ずることを鼻で嗤い、それをわざと破ってみる癖が子供のころの僕にはあった。そのうちの、もっとも罪のなさそうなものを思い出してみれば、それはたとえば「鰻と梅干しを同時に食べてはいけない」というようなことだ。
あるとき鰻丼を食べ、そのあと台所の甕から梅干し一粒をつまみ出して食べたけれど、体には特段の不調は現れなかった。
先ほど「子供のころの僕にはあった」と書いた墨の跡も乾かないうちに何ではあるけれど、よくよく考えてみれば、その癖は還暦を過ぎた今も収まってはいない。
だしを引くために煮干しを使うときには、その頭とはらわたは取り除けと、一般には言われている。しかし毎朝の味噌汁のだしに煮干しを用いる僕は、その教えを守っていない。そして今朝は煮干しの袋の底に溜まった、頭だけでダシを引いてみた。できあがった味噌汁を飲んでみれば、普段と変わらず美味い。
「煮干しは頭とはらわたを取り除いて使え」とは、鰯の種類や製品の等級にもよるのではないか、というのが僕の推測である。
そういえば「西瓜の種を食べると盲腸になる」などと言う大人がむかしはいたけれど、その昔から今に至るまで、僕は西瓜は一貫して、種は噛み砕いて果肉と共に嚥み下し、どうということもない。
試していないのは「ドリアンと酒を同時に摂ると死ぬ」という、いつかチェンライからチェンマイまでホンダ車の助手席に乗せていってくれたオネーサンに教えられたことだ。日本の禁忌は破って平気な僕ではあるけれど、この「ドリアンと酒」については何やら薄気味が悪く、いまだ避けて通っている。
朝飯 糸瓜と鶏笹身肉の酢の物、獅子唐の炒め煮、茄子とピーマンの炒りつけ、鰯の梅煮、生のトマト、たまり漬「ホロホロふりかけ」、メシ、揚げ湯波と茗荷と万能葱の味噌汁
昼飯 冷やしラーメン
晩飯 トマトとキャベツとポテトサラダを添えたメンチカツ、芋焼酎「甕仙人」(お湯割り)
2016.9.2(金) 別途「ナカ」を取る
朝5時すぎに遠くでサイレンが鳴る。しばらくして、今度は消防車のサイレンが近づいてくる。どこかで火事だろうかと階段を上がり屋上に出ると、雲は完璧に、秋のそれだった。
ウチのインターネットショップは1996年11月、今では想像もできない形の、パソコン通信による店”tamari”として開かれた。1998年10月に暫定的なウェブショップをnifty上に作り、1999年3月に自社ドメインtamarizuke.co.jpによるそれを立ち上げた。2002年6月、そのウェブショップに買い物カゴを装備すると、大した金額ではないけれど、ごく短いあいだに売上げは3倍になった。
最初の全面リニューアルは2007年7月、次は2013年9月、そして3回目のそれはきのう、行われた。
お客様の利便性と安全性の向上のためとはいえ、2013年からのウェブショップに登録をしてくださったお客様には、今回、再度の登録ということになり、ご面倒をおかけして心苦しい。
その再登録が上手に運ばないとの電話を、きのうはいくつかいただいた。都度、facebook上に設けられた会議室を介して関係者とやり取りを続け、登録のための場所には急遽、youtube上に作成した、ログイン手順を説明する動画へのリンクを設けたりした。
そのようなことをしながらあるいはまた、新しいウェブショップのあちらこちらを見て歩き、リンクのおかしなところや文言の重複といった、いわゆるバグを見つけてはデザイナーやコーディング担当に連絡することを繰り返した。
そして今日は、新しいウェブショップでは大きなコンテンツとなるこの日記の旧版と新版とのあいだの調整のため、日本橋で用を足して後、南青山のデザイン会社に出かける。その仕事の内容は今朝4時29分の同報メールにて、関係者には送達をしておいた。
いわゆるバグは、これからも見つかるだろう。きのうの公開に間に合わず、いまだ整備中のページもある。お客様の安全性は向上するとして、その利便性は、これからも休まず追い求めていかなければならない。
表参道から新橋に移動をして、少々の買い物をする。iPhoneの乗り換え案内を調べると、新橋から北千住までは、上野東京ラインを使うと早くて安いことが分かった。よって2番線のプラットフォームに上がり、来た列車に乗る。運良く座れて岩下尚史の浮き世離れした文章など読むうち時を忘れ、ふと気づくと次の駅は尾久とアナウンスがあった。行き先を確かめず、とにかく来た列車に乗る悪い癖が僕にはある。
その尾久で下車をして上野まで戻る。そこから常磐線に乗り換えて無事、北千住に至る。
「ナカ」と「ソト」を自分で調合することのできない、つまり店側が作るチューハイは多く、僕には薄い。「天七分店」の店主は「言ってくれればサービスで濃くしますよー」と気さくに笑ってはくれたけれど「いえ、それでは申し訳がありません」と、別途「ナカ」を取る。
そうしてその、息抜きのためのカウンター活動を経て、20:13発の下り特急スペーシアに乗る。
朝飯 獅子唐の炒め煮、たまり漬「ホロホロふりかけ」、糸瓜と鶏笹身肉の酢の物、鰯の梅煮、明太子、胡瓜のぬか漬け、メシ、揚げ湯波と茄子の味噌汁
昼飯 「食事倶楽部」のマグロ山かけ弁当
晩飯 「天七分店」のあれや、これや、チューハイ
2016.9.1(木) 第1日目のそれ
いわゆるウェブログというものが世に出て、それが一般に広まって以降もウェブページの形のまま続けて来たこの日記が、今日からはワードプレスによるそれに変わる。ウェブショップの大幅な改装に合わせてのことと説明をすれば分かりやすい。しかし更に言えば、日記を土台から新しくすることは、ウェブショップの改装を手がける集団のうちの何名かの意見による。本職からの要請には従うたちだから、僕はそれを受け入れた。
そうしてその初日の、つまり2016年9月1日の日記を書きながら、この「清閑日記」のうちの最も好きな文章はどれかと振り返れば、それは過去からずっと変わらず、2000年9月1日、つまり16年前の今日に書かれた第1日目のそれが頭には浮かぶ。
山にひぐらしが鳴き始めて何日が経つだろう。そして今は秋の虫がかまびすしい。夏を追いかけタイの最北部へ飛ぶ今月末の、待ち遠しい今日この頃である。
朝飯 たまり漬を使った2種のおむすび、夏太郎らっきょう、揚げ湯波とトマトとピーマンと茗荷の味噌汁
昼飯 「食堂ニジコ」の冷やし中華
晩飯 牛肉のしゃぶしゃぶ、胡瓜のぬか漬け、茄子の塩水漬け、芋焼酎「甕仙人」(ソーダ割り)、スイカ