2025.2.6(木) 初午
本日は初午にて、家内はおとといからしもつかり、きのうの夜からは赤飯を仕込んだ。しもつかりは鮭の頭、鬼おろしでおろした大根と人参、節分の日に残しておいた豆をひたすら煮て、酒粕で味を調える関東北部の郷土食である。ウチでは「しもつかり」だが、一般には「しもつかれ」と呼ばれることが圧倒的に多い。
「しもつかり」は、僕個人の見解としては、海を持たない地方の食生活の貧しさを凝縮したような食べもので、見た目も悪い。その、まるで猫の吐瀉物のような見た目から、僕は27歳のときまで食わず嫌いを通していた。それを開眼させてくれたのは「並木蕎麦」の、今は亡きアオキウイチさんだった。
「こういうものを食わないから身体が弱いんだ」と、ふた月に1度は高熱を発して寝込んでいた僕に、アオキさんはこの気味の悪い食べものを強要した。こんなものが滋養強壮の役に立つわけはないとは思いつつ、しかし父親と同じ歳の人にそこまで言われれば断れない。恐る恐る口に運んだそれは意外や美味かった。以降、冬という季節はまったく有り難くないものの、これが食べられる初午のころだけは、何やら待ち遠しくなった。
しもつかりは家の中で最も寒いところに置いて、冷やして食べると美味い。朝はごはんのおかずになり、夜は酒の肴になる。
今朝はこれを、家内と孫のリコが稲荷社に供えてくれた。僕はセブンイレブンへ行き、カップ酒を売る棚の前に立った。ワンカップ大関にミニサイズのあることは、今回はじめて知った。形ばかりのものであれば100ミリリットルの「ミニ」でも良いのではないかという考えが一瞬、浮かんだものの、これまた瞬時にそれを否定して普通の1合瓶を買う。そして会社に戻り、栓を開けて稲荷社の、しもつかりと赤飯に並べて置く。
夜はようよう、人のためのしもつかりが小鉢に盛られた。それを肴にして冷えた日本酒をゆっくりと飲む。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、菠薐草のソテーを添えたベーコンエッグ、里芋の淡味炊き、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 しもつかり、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、なめこのたまり炊、刻みキャベツと生のトマトを添えたコロッケ、赤飯、「鈴木酒造」の「龍蟠純米吟醸」(冷や)
2025.2.5(水) できるだけ長く
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の朝ごはんを紹介する本を、店のお茶飲み場に開いて置いている。先般、これをご覧になったお客様が「味噌汁、漬物、こんなに食べて大丈夫ですか? 私の叔父はこんなものが好きで、早くに亡くなったものですから」とおっしゃるので「食べなければ良いと思います」と、お答えをした。そうしたところ、日光味噌の粒みそを1キログラム、らっきょうのたまり漬を1袋、それに土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」を買ってくださった。商売は、いつになっても苦手である。
商売は苦手でも、会社は維持していかなくてはならない。そのすべは子供のころからの経験により、自然と身についたものだろう。
5月17日と18日の2日間にバンコクMGが開催されることを、先月の日光MGに広島から参加してくださったタナカタカシさんから教えられた。ゴールデンウイークと夏の贈答の季節の狭間であれば、時間は割ける。そして本日はそれに参加することを正式に、現場では講師となるタナカさんに伝えた。
僕の考えた日程は、5月11日の夜に羽田空港へ行き、12日発の深夜便に乗る。月曜日から金曜日までの滞在先を田舎にするか、あるいは首都にするかは、いまだ決めていない。バンコクMGの会場は以前のトンローからアソークに移ったという。アソークは地下鉄MRTと高架鉄道BTSの交差する便利な場所で活気がある。ただし頭上に高架鉄道が走るから空は狭い。だったらホテルはどこに選ぶべきか。こういう迷っている時間が楽しいのだ。
ところで冒頭に戻れば、僕のおばあちゃんは「こんなもの」を食べて102歳まで生きた。僕もできるだけ健康寿命を保ち、できるだけ長く遊べることを望んでいる。
朝飯 菠薐草のおひたし、スクランブルドエッグ、納豆、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と万能葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン、焼いたブロッコリーを添えた鶏もも肉のトマト煮、Chablis Billaud Simon 2018、Old Parr(生)
2025.2.4(火) 立春をすぎても
文章が書けていても最上部に置く画像が無くては日記を更新できない。雪や曇りの日が数日続いて、しかし今朝は晴れた。その明け方の空を撮るべく屋上へ上がる。階段室のいちばん上の踊り場にはおばあちゃんの草履が置いてある。それを履いてドアを開け、屋上に一歩を踏み出そうとして、降りた霜の凍っていることに気づく。うっかり転んで骨でも折ってはシャレにならない。以降は慎重に歩を進めて南東の空をiPhoneに納める。
きのうは立春だった。しかし旧暦では1月7日だから、いまだ温かくなるはずもない。家の中は、人のいる部屋こそ暖かいものの、それ以外のところは寒い。つまり快適ではない。
そういう冬にも良いところはあって、空気が澄んでいることによるのか、空が綺麗だ。もうひとつは、空にくらべれば極めて細かいことだが、仏壇の花が長く保つ。夏の花はせいぜい4日ほどしか保たない。しかし現在の白菊は昨年末に、正月のための花と共に買ったものだという。とすれば既にしてひと月以上も命脈を保っているわけで、驚く他はない。
とはいえまぁ、春にはできるだけ早く来てもらいたいと思う。
朝飯 生のトマト、ベーコンエッグ、揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 かまぼこ、薩摩芋の蜜煮、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(冷や)、キムチ鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、ロールケーキ、Old Parr(生)
2025.2.3(月) まるで踊るようにして
活字中毒にも関わらず、どうにも読めないものはある。先ずはビジネス書。僕にとって本を読むとは遊びである。ビジネス書を読むという行為は仕事に他ならないからできない。
地中海地方を舞台にした小説も、なぜか読めない。ロバート・ゴダードの「蒼穹のかなたへ」は文庫の上下を買って、しかし上巻の数ページから先へは進めなかった。ジョン・ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」は分厚いハードカバーを買って、読めたのは数ページ。ちなみに池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」も挫折。どうも地中海地方とは相性が悪い。
もうひとつは幻想小説。稲垣足穂はただの1ページも読めない。しかし内田百閒のその手のもの、たとえば「サラサーテの盤」などは読める。と、ここからは記憶違いかも知れないけれど、僕の頭の中にある情景について書いてみる。
……
サラサーテのレコードをかけながら、ふと長いあいだフタをしたままの古い酒瓶に目が留まった。よく見ると中に蜘蛛がいる。「まさか」と思いつつフタを開けると、その蜘蛛はチゴイネルワイゼンに誘われたかのように、まるで踊るようにして瓶の外に出てきた。
……
さてこの不思議な光景は、百鬼園の「サラサーテの盤」に出てきたものだろうか、それともその小説を原案とした鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」の一場面だったのだろうか。あるいはそれらとはまったく関係のないどこかで僕の脳に擦り込まれた映像なのかも知れない。
夕食後、甘いものを肴にウイスキーを飲もうとしたらそれが枯渇していたため、次の1本を取りに行くべく席を立った。そのときにふと思い出したことが上記である。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、人参とピーマンと玉葱とウインナーソーセージと溶き卵の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “THE FLYING-GARDEN”のマッシュルームサラダ、コンビ「笑顔の名人」、カラフの赤ワイン、家に帰ってからの「クドウ」の「フロレンツァーミレー」、Old Parr(生)
2025.2.2(日) 山を降りていく
勢いはそれほどではないものの、雪が降っている。その、いまだ暗い国道121号線沿いの歩道を伝って家内を隠居へ送る。
冬の早朝の「汁飯香の店 隠居うわさわ」は冷え切っていて、畳の上でさえ歩けば足の指先が凍える。開店の8時30分までに部屋を暖めるため、6時過ぎから暖房絨毯の電源を入れ、石油ストーブにも火を入れる。不凍栓は地中にあるから、その開閉には地面に膝と手をつくことになる。家内の脚が良くなるまでは、この手伝いを続けることになるだろう。
朝礼を済ませて後はふたたび隠居へ行き、庭の状態を見る。雪景色をお楽しみになれる点において、今日のお客様は幸運だと思う。以前、やはり雪の日に、その雪に四合瓶を埋めて冷やし、お召し上がりになったお客様がいらっしゃった。池田弥三郎も書いたように、朝のおかずは妙に、日本酒に合うのだ。
ところで今日は節分。数年前までは、僕が二宮神社まで豆を受け取りに行っていた。しかし今は嫁のモモ君と孫たちがその役を担ってくれる。夕刻には彼らが家中、会社中に豆を撒いてくれた。
齢を重ねるに連れて、自分のすることが徐々に減っていく。とても楽だ。「禅とは山を降りること」と言った禅僧がいた。寺務所の脇にはチェロキーXJが駐められていたから、いまだ物欲からは解放されていなかったようではあるけれど、なかなか良い言葉だと思う。
朝飯 なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、人参とズッキーニとウインナーソーセージと玉子の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 カビ付きのソーセージ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、”SMIRNOFF VODKA”(お湯割り)、スパゲティナポリタン、Chablis Billaud Simon 2018、「クドウ」の「レーズンクッキー」、Old Parr(生)
2025.2.1(土) ぱーふぇくとまっち
目を覚ましていつもの場所を手探りしても、iPhoneは無い。多分、きのうの入浴後はそれを卓上に置いた食堂に寄らないまま寝室に入って寝てしまったのだろう。現在の時刻は不明ながら、起きて服を着て洗面所へ行く。低い棚に置いた電波時計には”02:08″の数字があった。SNSなら「カッコ苦笑」である。きのうの夜の、ダブルのウイスキーをお湯で割って3杯、が効いたことは間違いない。
払暁に家内を「汁飯香の店 隠居うわさわ」へ送り、不凍栓を開く。明日は九州から四国、東海から首都圏へ帯状に雪が降ると、テレビの気象予報士は列島の地図上に指示棒を走らせた。週明けからは寒さがぶり返すとも伝えている。不凍栓は今しばらくは、開け閉めを繰り返す必要があるだろう。
9時に植木のカシワギさんが来て、長男と共に隠居の庭を見てまわる。冷蔵庫、とはいえ家庭用のそれではない、人が住めるほどの棟のちかくに育った松の大木を伐ることを、長男にも納得させる。伐るべき木は他にもあって、それが無くなれば寂しくなる。追加で植える木につきカシワギさんに問えば「それは追々」と言うので「そうですね」と答える。
夕刻「なめこのたまり炊」の食べ方を、お客様に訊かれる。ご説明をすると即、それと「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を買い物カゴに入れてくださった。お顔は勿論のこと服装や持ち物からも日本人とばかり思っていたが、海外の方だった。
「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」には、その使い方を記した紙を添えている。そこに「バツグンです」の文字を見つけて、閉店の間際に店に来た長男に「バツグンじゃぁ、文字の画像翻訳はしてくれねぇんじゃねぇか」と疑問を呈する。長男はその場でiPhoneを取りだし、説明書を撮った。ややあって、日本語の活字はすべて英語に訳された。AIは前後の日本語を勘案したらしく「バツグンです」の部分には”Perfect match”の文字が現れたから「あー、大丈夫だ」と、ふたりして笑う。
朝飯 切り昆布の炒り煮、白菜漬け、生玉子、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とズッキーニの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 蒲鉾、赤魚の粕漬け、薩摩芋の甘煮、沢庵、白菜漬け、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)
2025.1.31(金) 菜の花
「一月往ぬる二月逃げる三月去る」という言葉がある。正月から三月にかけてはなにかと行事が多く、それにかまけるうち、アッという間に過ぎてしまうことを言う慣用句だという。
「アッという間」といえば、子供のころの時の移り変わりはゆっくりだった。学生になっても、たとえば「25歳までは好きなことをしろ」と親に言われた先輩のことを同級生から聞き及び「ほとんど無限の遊び時間じゃねぇか」と驚いた記憶がある。しかしそのとき22歳だった先輩が25歳までなら持ち時間は3年間で、今ならそれほど長くも感じない。
とはいえ僕がこの齢から「3年間は好きなことをしろ」と言われれば、それは嬉しいに違いない。そして「その先は仕事に戻らなくて構わない」と言われれば、嬉しさも2倍、3倍になるだろう。
午前、ホンダフィットに給油を施す。きのうおとといにこなした距離に照らしてみると、1リットルあたり20.9キロメートルも走っていた。普段の半分の燃費とは、恐れ入るばかりだ。
昼は隠居に赴いて床の間の、河合寛次郎の「喜者開扉」を野村素軒の「筑後途上五絶」に掛けかえる。
行尽連山険
如看平野長
天鵯聲不絶
十里菜花黄
2月に菜の花は早すぎるだろうか。しかし3月では遅いような気がするのだ。
朝飯 納豆、切り昆布の炒り煮、ウインナーソーセージのソテーを添えた目玉焼き、白菜漬け、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、水菜の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、カツレツ、サントリー「角」(お湯割り)
2025.1.30(木) 伊豆治療紀行(32回目の2日目)
目を覚ましたのは1時台。ぞれでもスマートフォンさえあれば、何とか凌げる。朝までに眠れたのか眠れなかったのかは、よく分からない。やがて海から朝日が昇る。
宇都宮から伊豆に移った「伊豆高原痛みの専門整体院」で治療を受ける際には、はじめは伊豆高原駅前でレンタカーを借り、多くは赤沢温泉の宿に泊まっていた。この宿の夕食と朝食は僕と家内の感覚からすればいささか高価だったため、2回目以降は素泊まりとし、夕食はやがて馴染みとなった焼鳥屋「和居」、朝食は「ガスト」で摂ることが常態となった。
ところが昨年、その「和居」が都合により長い休みに入った。一方、整体院のちかくにあって、外から見た限りではかなり高級そうな「亀の井ホテル伊豆高原」が、調べてみればそれほど高くないことが分かった。伊豆高原の駅前からは送迎バスが出ている。整体院までは歩いて行ける。つまりレンタカーの必要も無い。夕食およびブッフェの朝食は宿泊料に含まれている。それらを勘定に入れれば赤沢温泉のホテルを使うより対費用効果はよほど高い。その「亀の井ホテル伊豆高原」から8時50分にホンダフィットを発進させる。
2日間の荒療治の甲斐があって、人の肩を借りなければ歩けなかった家内は、杖さえ使えば歩けるところまで回復をした。僕の治療はきのうに引き続いて、電子ペンの先端は、小さなお灸ほどの熱さしか感じさせなかった。症状の重い家内は2週間後、2月末にタイ行きの迫っている僕は3週間後の予約を入れて治療院を去る。
11:09 「伊豆高原痛みの専門整体院」を出発。
12:40 「鈴廣かまぼこの里」に着。
13:54 昼食を摂り、自宅と社員へのお土産を買って「鈴廣かまぼこの里」を出発。
13:55 西湘バイパスから小田原厚木道路に入る。
14:23 圏央道に入る。
圏央道は、首都を経由することなく関東の東西や南北を行き来することができ、移動時間を短縮させるには非常に有り難い。しかし断続するトンネルの中を、密集するトラックに挟まれて走らなければならず、そのあいだの緊張感や重圧にはただならないものがある。たった一人の運転手が居眠りをしただけで、重大な事故が起きるだろう。できれば二度と走りたくない道である。
15:06 きのう昼食を摂った狭山S.A.で小休止。
15:17 狭山S.A.を出発。
ふたたび圏央道に戻り、自動販売機で買ったコーヒーを飲みつつ「たった11分間の休憩が人間にこれほどの開放感をもたらすとは」と大いに驚きつつ、以降は楽な気持ちで北上を続ける。
15:43 久喜白岡JCT.から東北道に入る。トンネルは二度と現れず、頭上には青い空が広がっている。「ここまで来くればオレのもの」という気分になる。
16:31 宇都宮I.C.から日光宇都宮道路に入る。
16:48 上澤梅太郎商店に帰着。距離計の数字は576.6km。
排気量の大きなクルマがあれば、今回の往復も、それほど苦にはならなかっただろう。しかし僕はそのようなクルマは好まず、更に個人のクルマは一生、持つつもりはない。
夜は、買ってきたばかりの蒲鉾にて燗酒を飲む。
朝飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「美蔵」の玉子焼き、「かまぼこかき揚げの温そば」
晩飯 「鈴廣」の蒲鉾「古今」、豆腐と水菜と豚薄切り肉の鍋、「松瀬酒造」の「松の司特別純米」(燗)
2025.1.29(水) 伊豆治療紀行(32回目の1日目)
今月の21日より家内は左の膝痛を訴えていた。しばらくは湿布と、何かの折に処方された鎮痛剤で痛みを抑えていた。しかし1週間後の27日に「汁飯香の店 隠居うわさわ」の後片付けを終えたところでいきなり患部に激痛が走り、以降は人の肩に掴まらなければ歩けなくなった。
翌28日、街の整形外科に出かけて診察を受けるも、レントゲンでは物理的な故障が見つからず、膝に鎮痛剤を打たれ、別途、鎮痛の錠剤を処方されて帰宅した。折良く29日と30日は、月に一度の、伊豆での治療が予約済みだった。しかしいつもの公共交通機関は利用できない。
そういう次第にて家内は助手席、僕は運転席に着いて、ホンダフィットを発信させる。行程は以下。
10:00 会社を出発。距離計の数字は2.1km。
10:18 日光宇都宮道路を終点の徳次郎で降りて宇都宮I.C.から東北道に入る。
11:06 昼食は蓮田S.A.で「翁の郷」の肉汁うどんを食べる予定にしていたものの、その手前の久喜白岡JCT.から圏央道鶴ヶ島方面へ進むようGoogleマップに指示される。
11:35 狭山S.A.で昼食。
12:01 狭山S.A.を出る。
12:50 厚木I.C.を出て小田原厚木道路に入る。
13:16 西湘バイパスに入る。西湘バイパスと真鶴道路の関係は不明。
13:20 西湘バイパスから一般道へ降りる。
13:43 熱海ビーチラインに入る。
13:50 熱海ビーチラインから国道135号に降りる。
14:46 「亀の井ホテル伊豆高原」に到着。距離計の数字は288.9km。
「伊豆高原痛みの専門整体院」に入れておいた予約は16時30分。家内はホテルが貸してくれた四つ足の杖を使って館内の温泉へ行く。僕は部屋にコンピュータを開き、きのうの日記のあらかたを書く。
「伊豆高原痛みの専門整体院」の治療には9,000ボルトを発する電子ペンが使われる。患部の状態が悪いほど、ペン先を突き立てられたときの痛みは強くなる。膝のように肉の薄いところでは、その痛みは更に増す。
家内の治療には1時間ほども要した。僕の状態は悪くなく、膝に押し当てられた電子ペンは、痛みをまったく感じさせなかった。治療時間も20分ほどのものではなかったか。
ホテルでの夕食は19時30分から。僕の就寝時間は多分、21時より前だったと思う。
朝飯 里芋の淡味炊き、切り昆布の炒り煮、スペイン風玉子焼き、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参と牛蒡と椎茸と油揚げの味噌汁
昼飯 圏央道狭山S.A.の「粗挽きポーク & エッグサンドおにぎり」、「新井園本店」のペットボトルの狭山茶
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、「澤乃井」の特別純米(冷や)、其の九、其の十
2025.1.28(火) 第369回にて
上澤梅太郎商店や「汁飯香の店 隠居うわさわ」の植木の面倒を見てくれているカシワギさんが8時30分に来る。先ずは店舗駐車場の北側の、生け垣と呼ぶにはいささか大きなエレガンテシマによる壁を、2月19日の店休日に剪定するよう頼む。次は隠居に移動をして、枯れた木の伐採と撤去について相談をする。
カシワギさんによれば芝崎歩道橋ちかくの松、および蔵の冷蔵庫にちかい松の2本は経費をかけるまでもない駄木にて、こちらも伐ってしまってはどうかと言う。歩道橋にちかい松は塀の外まで枯れ葉を散らして、その掃除に手がかかっていた。冷蔵庫にちかい松の落ち葉は雨樋に溜まり、また室外機のプロペラにも容赦なく落ちる。大きな松ではあるものの、僕は前々から伐りたいと考えていた。この木を残すべしとしていた長男には、カシワギさんの意見を伝えることにしよう。
カシワギさんはまた、庭木の世話について年間計画を立てることを提案してきた。それは長男の意向とも一致することにて、今週の土曜日にまた話し合うことを決める。
昼食を摂り終えて休んでいた午後に館内電話が入る。事務室に降りると、来客は今月22日の日記に書いた、新たなハンドリフターの注文契約書を持ったトヨタフォークリフトの営業担当だった。即、指定をされるまま会社の横判と丸判を3枚綴りの用紙に捺していく。納期は3ヶ月から4ヶ月とのことにて、早くに買うことを決めて良かった。
こちらは今月13日の日記に書いた「本酒会」に臨むため、19時15分に会社の通用口を出る。この、日本酒に特化した飲み会の設立は1992年。会長のイチモトケンイチさんに誘われて僕が加わったのは1995年。以降に飲んだ日本酒はすべて僕のコンピュータにデータベース化されている。ちなみに1995年4月24日から本日までに出されたお酒をあらためて数えてみると、実に2,472本に達していた。
その本酒会も諸般の事情から、本日の第369回例会を以て解散をされる。ヤマコシシンヤ会計係からは、今日までの残金が会員の頭割りで返された。広報と酒の取り寄せ係を兼任していた僕も、しばらくはのんびり、である。
朝飯 揚げ湯波の甘辛煮、切り昆布の炒り煮、里芋の淡味炊き、菠薐草のおひたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、大根と人参と牛蒡と椎茸と油揚げの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「魚登久」の酒肴あれこれ、茶碗蒸し、鰻丼、お新香、味噌汁、7種の日本酒(冷や)