2024.9.18(水) ただただ
5時すぎの起床は明らかに遅すぎる。朝の美味しい時間を味わうことができないのだ。それでもきのうの日記は書き上げることができた。そして最後に「明月」と表題を打ちつつ「明るい月と書けば月をあらわす言葉になるけれど、明るい日と書くとそれは太陽のことではなく『あした』になってしまうんだな」と気づく。気づいたとしても、何の役にも立たないことではある。
朝食の味噌汁が赤ければ、味噌は日光味噌梅太郎赤味噌、白ければ日光味噌梅太郎白味噌、ということになる。今朝は後者を用いた。来月11日に蔵出しをするこれは、いまだ塩が若い。よってだしに溶く量は正確に見定める必要がある。今朝は成功。朝食は、日本にいる限り、あるは家にいる限り、和のそれでなくては気が済まない。
不思議なことに海外へ出ると、和食への欲求は綺麗サッパリ消える。その土地へ行けば、その土地のものを食べたくなるのだ。それはまた、とても自然なことのように思う。
夕刻、晴れた空を眺めようとして、店から駐車場に出る。その途端、大粒の雨を顔に感じる。日は差しているのに雨が降っている、という短い時間には風情がある。もっとも当然のこととして上から水が落ちてくるわけだから、カメラを真上に向けることはできない。庇のもっとも外寄りのところに立って、ただただ空を見上げるばかりである。
朝飯 茄子の味噌炒り、蓮根のきんぴら、菠薐草の胡麻和え、小海老と野菜の天ぷら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 天ぷらのつゆの素麺
晩飯 ブロッコリーのソテーを添えた鶏のクリーム煮、2種のパン、無花果のジャム、夏みかんのママレード、Chablis Billaud Simon 2018、梨
2024.9.17(火) 明月
今宵の月は仲秋の明月と、朝の天気予報が伝えている。しかし、否、しかしという接続詞はこの場合、天文に詳しい人からすれば「ここに用いることはふさわしくない」と言うだろうけれど、洗面所のカレンダーは、10月17日の月は満月でないことを示している。「仲秋の明月なのに、なぜ満月ではないんですか」などと天文に詳しい人に訊けば、多分、嬉々として微に入り細を穿って半時間ほどはしゃべり続けてくれるかも知れない。「フンフン」と相槌は打つだろうけれど、当方は説明をされればされるほど分からなくなること必定だから、そういう行いはハナからしない。
ところで「今宵」といえば先日、起き抜けの寝台の上に開いたTikTokで、トニー・ベネットと知らない女性歌手が”The Way You Look Tonight”をデュエットしていた。この、日本での曲名は「今宵の君は」のことをもうすこし知りたくて、アプリケーションをGoogleに切り替え、すこし調べた。そしてTikTokに戻ると、フランク・シナトラがこれを歌う動画がいきなり現れたから一驚を喫した。現在のインターネットの、このあたりの「連携」について不気味なものを感じるのは、僕だけではないだろう。
夜は隠居にて、月に1度の日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会を行う。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と玉葱の味噌汁
昼飯 胡麻のつゆの素麺
晩飯 「汁飯香の店 隠居うわさわ」の酒肴あれこれ、かやくごはん、揚げ湯波とオクラの味噌汁、漬物もりあわせ、7種の日本酒(冷や)
2024.9.16(月) 10Kg
「秋雨前線だ。涼しくなる」と家内がテレビの天気予報に喜ぶ。家内の目を遣る方には一瞥もくれないまま「やだなぁ」と僕は答える。「秋、いやじゃないですか」と、多くの人に、声を大きくして訊きたい。虫は死んでいく。木々の葉は乾いて枯れていく。秋には凋落の気配が濃厚にあるではないか。上昇志向などはまるでないけれど、滑り落ちていくのはイヤだ。
昼に素麺をたぐりつつ、今朝の日本経済新聞第2面の、小さな記事に目が留まる。「金融所得課税、強化反対45%」の見出しの後を追っていくと、金融所得課税の強化に反対する人の支持政党別の割合は、自民党支持層の4割に対して、立憲民主党支持層のそれは5割に達するとある。右の人より左の人の方が金融所得が多い、ということなのだろうか。デイビッド・ハルバースタムの「覇者の驕り」は記憶に残る2冊組で、読んで損は無い。
さて今日は9月16日。タイへ向けて経つまで10日を切った。19日の木曜日はお彼岸の入り。22日の日曜日は特に、繁忙が予想される。きのうは120項目に及ぶ、旅の持ち物の一覧表を印刷した。それだけ持っても総重量は、TikTokやYouTubeで見るミニマリストのそれより多分、軽い。彼らは撮影用の機材を持つ。女性であれば化粧や髪のための道具を持つ。だから10Kgはなかなか切れないのだ。
朝飯 キャベツと胡瓜と人参のサラダ、きのうのカレー南蛮鍋の残り、ハムと大根のサラダ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 胡麻のつゆの素麺
晩飯 蛸とトマトとブラックオリーブのサラダ、目玉焼きとマッシュルームのソテーを添えたハンバーグステーキ、TIO PEPE、飲みさしの2種の赤ワイン、メシ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、“Chez Akabane”のロールケーキ、Old Parr(生)
2024.9.15(日) 夜の雷雨
朝食のための食器をお盆に並べながら、きのう下準備をした麺つゆ作りを再開する。途中、薄々と感じていたことだが、最後にかえしと味醂を加える段になって、水の量の少なかったことを確信する。昨夜は酒に酔った状態で鍋に水を張った。多分、1.5リットルを満たすところ、1リットルのみで先へ進んでしまったのだ。昆布、どんこ椎茸、2種の鰹節は、定められたとおりに計量した。ということは、今回の麺つゆは、いわば濃縮だしになっているはずだ。よって一か八かで、この段階から水を足す。さてその出来映えは、どのようなものになるだろう。
日中はお陰様にて多くのお客様に恵まれる。昨年の記録を見てみれば、敬老の日の絡む連休は、1週間後のお彼岸の連休より売上金額は高かった。今年もそうなるかどうかは、そのときになってみなければ分からない。
しその実の買い入れは本日で終了。集まった量は、最後の最後で目標を達成できた。
社員が帰路に着くころ降り始めた雨は、それから数十分のあいだに雷を伴う豪雨となった。そういえば「雨が多くて田んぼから水が引かないから稲刈りができない」と、きのうしその実を持って来てくれた農家さんのひとりは言っていた。昼に晴れて夜に降るのは有り難いけれど、雨にもしばらくは休んでいただきたい気分である。
朝飯 キャベツと胡瓜と人参のサラダ、茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、ハムと大根のサラダ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布の味噌汁
昼飯 胡麻のつゆの素麺
晩飯 カレー南蛮鍋、夏太郎らっきょう、ごぼうのたまり漬、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)
2024.9.14(土) ひと息
先日は、風呂の脱衣所のタンスの上に「右のくつ下、捨てる」とメモを置いた。日中、右足に履いた靴下に穴の開いていることに気づき、しかし忘備のためのものを残さないと、いつものように脱衣カゴに入れ、洗濯をされ、ふたたび履くことになってしまうからだ。物忘れの激しい僕の周囲には、この手の紙が多い。
昼に素麺を食べようとして、先月25日に作ったつゆの残りが少ないことを思い出した。よって昼食は外で摂ることにした。行きつけの店は、夏の冷たいラーメンを終えていた。気温は30℃を超えているものと思われるけれど、暦からすれば、確かに今は、秋には違いない。
世の中のあれこれは、勤め人に合わせているところが多々ある。上澤梅太郎商店は、土曜日は平日の倍、日曜日は平日の3倍、忙しい。しかし町内の役員会は大抵、週末に開かれる。閉店のための作業をそそくさと終え、すべての社員を通用口から送り出すと即、4階の自宅へ上がる。そして手と顔を洗ったら食堂へ行き、ウイスキーのソーダ割りを作る。忙しかった日にひと息をつくことなく会議へ向かうなど、悲しいではないか。
会議では冒頭、今月10日の日記に書いた、敬老の日のための祝儀を東、西、中央の各地区委員長に渡す。以降は来月19日に開かれる日光屋台祭のことに議題は変わる。僕の町内役員会のためのノートは最後のページまで使い尽くされていたから、お祭のことについては裏表紙の見返しに箇条書きした。
会議から戻ると、昼に残したと思われる「めんつゆ作る」のメモが食堂のテーブルにあった。それに従って、簡単な夕食の後は大鍋に水を張り、昆布とどんこ椎茸を沈める。
朝飯 ハムと大根のサラダ、キャベツと胡瓜と人参のサラダ、肉団子のケチャップ煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「プレミアム」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 「フジヤ」のタンメン
晩飯 夏太郎らっきょう、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、Old Parr(ソーダ割り)、豚肉と長葱としめじのうどん、チョコジャンボもなか、Old Parr(生)
2024.9.13(金) しその実
8時からの朝礼を終え、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ売り場の掃除と納品に赴くべく外へ出る。そしてホンダフィットに商品を積み、運転席へ回ろうとしながら、キリギリスの亡骸をアスファルトの上に見つける。鮮やかな黄緑色のそれは頭から胸までがあって、そこから下は失われていた。蟻は、腹の部分を好むらしい。
ある朝、テレビで旅の番組を見ていた。季節は冬で、タレントは東北地方の海岸にいた。砂浜にはストーブが置かれ、大きな鍋からは湯気が盛大に上がっていた。鱈鍋だった。地元の人がいよいよそれをお椀に盛りつけようとすると「あの、内臓は避けて」とタレントは遠慮気味に言った。プロデューサーやディレクターの段取り不足がもろに、電波を通じて家庭に流れてしまった。今年の鱈鍋は、いつごろから食べることができるだろう。
それはさておき、今月の2日から始めたしその実の買い入れが、いよいよ佳境に入ってきた。15時を回ったところで伝票を集計してみれば、今日はこの秋で最高の量が届けられていた。これで今年の目標の91パーセントを達成。残りの2日間で100パーセントが超えられれば嬉しい。
夕刻に驟雨。10分ほどで止む。
朝飯 ハムと大根のサラダ、キャベツと胡瓜と人参のサラダ、納豆、セロリの葉の炒りつけ、目玉焼き、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「プレミアム」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 納豆のつゆの素麺、桃
晩飯 キャベツとモヤシとシメジのソテーを添えた豚肉のたまり漬「刻みザクザクしょうが」と同「鬼おろしにんにく」炒め、らっきょうのたまり漬「プレミアム」、メシ、麦焼酎「こいむぎやわらか」、梨、エクレア、Old Parr(生)
2024.9.12(木) 洪水
起きて洗面所を経由して食堂に来る。東南東に面した窓からは、空の高いところにも低いところにも星が見える。「よし」と思わず声が出る。晴れれば朝食の画像や動画の色も良くなるからだ。時刻は2時51分だった。
4時50分、空が最高に綺麗な時間までもうすこし、というところで屋上に上がる。朝の空はひとときもじっとしていない。「まだ」と考えているうち絶妙の一瞬を逃してしまうのは、スクランブルドエッグを作ることに似ている。なぜ朝に空の写真を撮るかといえば、日中は忙しく、しかし最上部に置く画像が無ければ、文章は書けていても日記の更新ができなくなるからだ。
6時30分、閲覧数が極端に上がることを期待して、素麺による朝食の準備にかかる。今月6日の日記に書いたように、以前とは異なって、現在のTikTokでは、バズらせるための条件、定石がよく分からない。今朝の動画も手探り、である。
ところで今月末から出かけようとしているタイの最北部に洪水が発生している。メーサイでは、人が腹まで水に浸かって逃げる様子がインターネット上にあった。チェンライには「コック川には何があっても近づかないでください」という注意報が出ている。
チェンライの空港から市内へ向かう道路に豪雨の跡を見たのは、いつのことだっただろう。2011年8月にはチェンライの目抜き通りが冠水し、横断できない夜があった。南の国の歩道は日本のそれよりよほど高い。その上まで水が上がったのだから、かなりの降雨量である。
今回、チェンライではふたつのホテルを泊まり歩く。後半のそれはコック川のほとりにある。庭のプールが濁流に呑み込まれていれば、そこで朝から夕方まで本を読む、という楽しみは消える。多分、大丈夫だろう。多分。
朝飯 生玉子と納豆と梅干と胡麻のつゆの素麺
昼飯 「やぶ定」の冷やしたぬき蕎麦
晩飯 “JOHNNEY’S CAFE 638″のお通しのフォカッチャのベルデソース、グリーンプラムとリコッタチーズと生ハムのマリネ、トマトと茄子のスパゲティ、カラフの白ワイン、謎の白ワイン、謎のロゼワイン、チョコレートとミントのケーキ、銘柄は失念したウイスキー(水割り)
2024.9.11(水) 24時間すべて
本日は店休日だが、社員はほぼ全員が出勤ををしたし、僕は道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ、いつものように配達をした。午前は隠居に集まった社員と意見交換。昼食を挟んで午後はデザイナーと話し合いを持つ。夕刻に風が吹き、しばらくすると雨が降ってきた。しかし雨は幸い、夕立のような激しさになることはなく、間もなく止んだ。
気温の低くない季節、あるいは気温の高い地域にいるときには、身につけているものが少なくなるほどメシや酒は美味くなる。夕刻、すべての社員を送り出して戻った4階ではすぐに靴下を脱ぐ。すこし考えて、シャワーも浴びる。
「オマエ、そんなの着てるとケーサツに捕まるぞ」とバンコク在住の同級生コモトリケー君にサパーンタクシンの船着場で注意をされた、麻の葉の柄、というよりもマリファナの柄のシャツは見あたらなかった。よって手に入れて以来、何年ものあいだタンスの肥やしになっていた水兵用のシャツに袖を通す。
清少納言によれば、夏は夜が良いらしい。僕からすれば、夏は24時間、すべて良い。そして夕食を摂るため、外へ出て日光街道を下る。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、ハムと大根のサラダ、キャベツと胡瓜と人参のサラダ、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、茄子とトマトと若布の味噌汁
昼飯 梅干と胡麻のつゆの素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダ、チーズオムレツのカレーライス、ドライマーティニ、TIO PEPE
2024.9.10(火) 目標
町内の会計係を17年のあいだ続けていると、8月31日の日記に書いた。「もう、そんなになるのか」とも思うし、また「オレが突然死したら、町内の会計はどうなるのだろう」とも思う。コンピュータにはパスワードが設定してあるから、金銭の出し入れは僕にしか見ることはできないのだ。ひと月に1回ほどの頻度で、金銭出納帳と領収書の綴り、そして現金残高を副会計に確認してもらえば、万一のことが起きても、立て直しにはそれほどの時間はかからないだろう。そんなことを考えても実行には移していない。なるようにしかならないのが世の常である。
それはさておき敬老の日を6日後に控えた今日は、町内に住む70歳以上の人に配る祝儀を作った。数十年前に町内の育成会長を務めたときには、町内に住む子供と親の名簿を整えた。会計係になってからは、おなじく70歳以上の人の名簿を整えて今に至っている。今年の祝儀の数は71。用いるお札はすべて北里柴三郎の新紙幣とした。その新券が揃ったのは幸運だった。
祝儀袋の上方には赤で「寿」、下方には黒で「春日町一丁目自治会」の判を捺す。年齢によって入れる額は異なるから、お札は湿らせた指で慎重に数え、慎重に袋に納めていく。すべて入れ終えたら東、西、中央の地域ごとにまとめて輪ゴムで留めて一件落着。
僕がこれをもらえる歳になったら、祝儀袋のままポケットに入れて、蕎麦屋でコップ酒を飲んでみたい。目標を持つとは、良いことに違いない。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、納豆、生玉子、めかぶの酢の物、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と万能葱の味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆの素麺
晩飯 「和光」のお通し三点盛り、鰹の刺身のたたき風、秋刀魚の塩焼き、もつ煮、「二階堂酒造」の麦焼酎「吉四六」(オンザロックス)
2024.9.9(月) すこし前までは
きのうはひとり夕食を摂りながら、高野秀行の「イスラム飲酒紀行」の最後のところを読んだ。酒が歓迎されない地域を旅したことは僕にもある。1982年に滞在したインドのバラナシでは、大麻樹脂の黒い玉は屋台にピラミッド状に積まれて堂々と売られていたにもかかわらず、酒は手に入りづらかった。タイではラオカーオを提げて夕食の場所へ向かう楽しみがある。しかし2016年に訪ねたナラティワートの食堂にはヒジャブを着けた女の人が目立ち、流石の僕も酒は遠慮した。
「イスラム飲酒紀行」に話を戻せば、高野はイスラマバードの茶屋で大学生と知り合い、彼の自宅まで行く。そこでジョイントを勧められると首を横に振って「マリファナなんて子供のやるものだ。酒はマリファナとは比べものにならないほどいい」と断定する。
「腑に落ちないのは酒を売る人々のこと。 このよきものを売って何に替えようとか」と、オマル・ハイヤームは詠った。詩人はペルシャ、つまりイランの人である。高野はその禁酒国でようやくチョウザメのフライと発酵食品アシュバルを肴にビールを飲むことに成功する。金を出したのは高野でも、シャイロックに似た案内人は遠慮なく料理とビールに手を伸ばし「昔はよかったよ。お祈りも酒も両方あった。今(ホメイニ以降)はお祈りしかない」と嘆く。
ホメイニ以前のイランはパーレビ朝の独裁が国を覆っていたわけだから、その時代はその時代で民衆のあいだには不満が満ちていたに違いない。しかし酒は自由に飲めた。つまり大昔からすこし前までは、酒は自由に飲めた。「今」は難儀なことである。
朝飯 鮭の粕漬け、菠薐草のおひたし、大根と胡瓜のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、メシ、若布と揚げ湯波とオクラの味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆの素麺
晩飯 「食堂ニジコ」のキュウリの辛子和え、ピータン、あんかけ焼きそば、「二階堂酒造」の麦焼酎「二階堂」(ソーダ割り)