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清閑 PERSONAL DIARY

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2024.9.27(金) タイ日記(2日目)

目を覚ましたのは2時台。起きたのも2時台。

数学の好きな人は、解答にいたるまでの過程に感心があるだろう。プログラミングに興味のある人は当然、コマンドラインを読みたくなるだろう。「東京を深夜に発ち、チェンライへはおなじ日の午前に着いた」という移動の経過を欠いた紀行文を僕は好まない。だから僕の、旅の初日の日記はどうしても長くなるのだ。そしてこれを書くうち空が明るんでくる。

朝食の後はプールサイドに降りる。僕の海外でのホテル選びは、第一は日除けと寝椅子を備えたプールがあること、第二は便利な場所にあること、あるいはその場所への便利な交通手段が確保されていること。第三は価格、ということになる。このホテルの部屋は大したこともないけれど、プールサイドの寝椅子の本の読みやすさは天下一品だった。

持参した本は2冊。その1冊目は6月にタイに来たときからのもので、ドナルド・キーン編「昨日の戦地から」。いまだ20代だったドナルド・キーンやオーティス・ケーリたち日本語将校が第二次世界大戦直後のアジアに来て、観たこと、聞いたこと、また、したことを手紙で知らせあった書簡集である。今朝は、294ページまで読み進んだ6月の最終ページから、その28章「東京のオーティス・ケーリから青島のドナルド・キーンへ」の冒頭に戻って読み始める。

この本の醍醐味は、中国、朝鮮、日本をはじめとする東アジアの第二次世界大戦直後の姿、また日本のいわゆる”Big Name”から無名の人々に到るまでの戦中戦後の様子、それらが生の形で知れるところにある。また、いまだ感受性豊かな若い将校たちの、習得した言語が実際に使われている地域へ来ての個人的な感想も興味深い。

インターネットが身近になって以降は、本を読みながら調べごとができる。スマートフォンが発明されて以降は、その調べごとがプールサイドに寝転んだままでできる。まこと便利な世の中になったものだ。

朝食を充分に摂っていたこともあって、昼に到っても腹は空かない。権利落ち日にもかかわらず、日経平均は謎の大上昇。そのうち「自由民主党の次期総裁は石破茂に決定」のニュースが飛び込んでくる。とすれば株価は一旦は下げ。以降は神のみぞ知る、だ。

15時を過ぎたところできのうとおなじ”PAI”に出かけ、2時間のオイルマッサージを受ける。ナイトバザール周辺のマッサージ屋とは異なって、ここに観光客はほとんど来ない。よってマッサージのオバサンは英語を話さない。今日のオバサンは終わりがちかくなるころに到って「ごはんはどこで食べるか」と訊いてきた。「まさかメシをおごれと言っているわけでもないだろうな」と考えつつ「このちかくで」と答える。オバサンには100バーツのチップ。

夕刻の行動としては、マッサージにかかり、その足でメシを食べに行く、という順序が好きだ。そこには気分の楽さ、気分の自由さがある。

“PAI”のある目抜きのパホンヨーティン通りからジェットヨット通りへ。そこから夜の一人歩きはいかにも危なそうなカンクルントンホテル通りを経て、広いサナムビーン通りに出る。サナムビーンとは空港の意で、ここを南下すればむかしの空港に行き当たる。その通りを渡って、いまだ混み合う前の食堂のオニーチャンに声をかける。席は指された奥ではなく、道に面したところにした。

2013年の秋、暮らしている4階に、タンスは中味ごと捨てるような断捨離をほどこし、ほぼ全面を改装した。住んでいる環境が簡素化されると「自分の本当に好きなことは何だろう」という疑問が浮かんだ。結果はすぐに出た。「美味いメシと酒」、「本読み」、「日本語の通じないところへの旅」が、すなわちそれだった。タイの田舎へ来れば、その3つが同時に達成される。特にチェンライとは、なぜか相性が良い。

月がとても青かったから、というわけでもないけれど、帰りは遠回りをする。第一、今夜のチェンライには月も星も出ていない。

ホテルへ戻り、フロントで部屋の鍵を受け取って廊下へ向かおうとすると、その入口のガラスのドアに「静粛に」という意味の、タイ語、英語、中国語、ミャンマー語による張り紙があった。そういえば今日の午後、ロビーで男3人による大声のやり取りがあった。そのような行いへの、この張り紙は牽制なのだろうか。そしてその注意書きの中の「喧嘩」の2文字に特に関心を持ちつつ部屋への階段を上がる


朝飯 “Blue Lagoon Hotel”の朝のブッフェ其の一其の二其の三
晩飯 「ジャルンチャーイ」のガイサップルートロットマラパットカイヤムウンセンムーサップラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2024.9.26(木) タイ日記(1日目)

00:26 Airbus A350-900(35D)を機材とするTG661は、定刻に6分おくれて羽田空港を離陸。

前日の起床は2時台。よって今回はいつもとは異なって、睡眠薬は飲まなかった。アイマスクを着けたもののなかなか寝付けず、しかしいつの間にか眠りに入る。

02:25 目を覚まして目の前のディスプレイで現在位置を確かめる。何といまだ那覇の上空で、ゲンナリする。90分ほどしか眠れていないのではないか。しかたなく洗面所へ行くと歯磨きのセットが用意してあったため「ラッキー」とばかりに歯を磨き、使い捨てでない大きさのペーストはいただくことにする。そして席に戻ってまたまたアイマスクを着け、ヒマに耐えかねているうち幸い、ふたたび眠りに落ちる。

04:20 目を覚ますと機内は明るくなっていた。通路では朝食のワゴンが動き始めている。しかし機はいまだ、海南島の沖にも達していない。
04:25 朝食。腹八分目に留めて、すべては食べない。
05:02 ダナンの上空を通過。ここを過ぎさえすれば「こちらのもの」という気分になる。
05:40 「スワンナプーム空港まで30分」のアナウンスが流れる。

05:49 機が降下を始める。
05:59 バンコクの灯りがちかくなってくる。
06:00 車輪が降ろされる。
06:04 定刻より46分も早いタイ時間04:04にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。

機を降りたら皆の歩いて行く方へ自分も歩いて行く。途中、多くの飛行機の行き先と搭乗口を示す大きな表示板が現れるものの、ここでそれを見る必要はない。サテライトターミナルからメインターミナルへのシャトルトレインの乗り場までは、何も考えなくてもたどり着ける

04:22 シャトルトレインがサテライトターミナルを発車
04:25 その車両がメインターミナルに着。

これまた皆の歩いて行く方へと進んでいくも、集団はあるところで二手三手に別れた。バンコクで降りる人のための入国審査場の他に”Connecting Flights”と”Transfer Desk”の表示が複数の方向に出ているのだ。さて、自分はどちらへ進むべきか。するとちかくの頭上看板に”To Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,HatYay,Tret”の文字が見えた。「デスク」までの距離は380メートル。動く歩道は調製中だった。

04:35 見慣れた入国審査場に、しかしいつもとは異なった方向から辿り着く。2014年、ここでかたわらの空港職員に「いつになったら開きますか」と問うたところ、彼は自分の腕時計の5の数字を指して「ファイブ」と教えてくれた。タイ航空の今朝のオバチャンは、4時55分にカウンターに着いた。上出来の仕事ぶりである。

5時を過ぎたところで順番に柵の中に入る。そしてオバチャンの助手のような女の子にパスポートと、ここからチェンライまでの搭乗券を差し出す。すると女の子は「ここまでの搭乗券も」と言う。羽田からの搭乗券は用無しと考えて、ザックの中に納めてしまっていた。それを取り出し見せて、そのカウンターを抜ける。僕には移動中の荷物は紙1枚まで減らす癖がある。「捨てなくて良かった」である。

05:05 タイ航空のカウンターから10メートルも離れていない入国審査場を通過。
05:15 保安検査場を通過。6月のときは羽田からの機内でもらった手つかずの水のボトルをここで捨てる羽目になった。 だから今回は、ミネラルウォーターは羽田での搭乗直後と朝食のときと、2回とも断っていた。飲み物は羽田で買ったソーダ水だけで充分だった。保安検査場を抜けたところでは、忘れ物、落とし物は無いか、入念に振り返った。TG130の搭乗口がA7であることは、途中の売店脇の表示板で知った

05:20 A7ゲートに達する
07:32 2時間以上を待ってようよう搭乗開始。外へ出てバスへ向いつつ「いやー、気持ちいいねー、いよいよだ」と、思わす独り言が口を突いて出る。

07:42 すぐそばに横付けされたバスからタラップを上がる。即、係のオネーサンに許可を得て、すぐ脇の洗面所に入る。席は窓際55Aのため、飛行中は動きたくないのだ。

08:44 Airbus A320-200(32S/3203)を機材とするTG130は、定刻に34分も遅れてスワンナプーム空港を離陸。

活字中毒でも機内に本は持ち込まない。活字は日本経済新聞の直近の書評と数日以内に興味を惹かれた紙面のみ。それを抜き出し四つ折りにし、クリアファイルに挟んでザックに入れている。9月21日の「リーダーの本棚」は小池百合子。彼女の座右であるというアルビン・トフラーによる「第三の波」の監訳者が徳岡孝夫と知って「へー」と意外の念に打たれる。

機はほぼ安定して飛び続け、やがてチェンライの郊外が見えてくる。今月12日には、チェンライ県を襲った洪水により、空港も閉鎖をされたという。その洪水の跡を見つけようと、窓に顔を近づける

09:42 TG130は定刻より13分はやくメイファールンチェンライ国際空港に着陸。
09:59 回転台から荷物が出てくる。
10:01 スーツケースのX線による検査を受けてロビーに出る。

チェンライの空港では、国際線乗り継ぎ客の荷物の出てくる回転台にもっとも近い口を出ると、右手にタクシーの手配所がある。そのブースのオネーサンにホテルの名を告げる。オネーサンは即、ちかくにいたオジサンに声をかける。オジサンはオネーサンに、金額は分からなかったが紙幣を渡した。オネーサンは僕に「料金は200バーツ」と告げる。この価格はコロナ前と変わっていない。タクシーの運転手がオネーサンに手渡したのは、公定の紹介料だと思う。

10:08 タクシーが走り始める。車内のカーステレオからはタイの演歌が盛大に流れている。 道はまるで黄砂が積もったように茶色い。多分、洪水によって泥がアスファルト上に満ちたのだろう。その乾いた泥が風に舞って、外はとても埃っぽい。路傍のそこここには、洪水により使い物にならなくなった諸々が積み上げてある。しかしこの被害も、更に北の国境地帯にくらべれば、随分と軽かったのだ。

10:25 市中心部のホテルに着く。代金の200バーツは運転手に直に支払ったこともあって、チップは手渡さなかった。

チェックインは書類への記入もなく簡単に終わった。スーツケースを3階の部屋まで運んでくれたベルボーイには40バーツのチップ。ベルボーイは開いているカーテンを閉め、クーラーのスイッチを入れた。南の国では温帯以北とは異なって、日当たりの良さはむしろ忌避される傾向にある。

僕は旅に豪華さは求めない。むしろその逆と言っても良い。しかし今回のホテルにはクローゼットが無かった。セキュリティボックスも無い。その点だけは、ちと困る。貴重品は、スーツケースに入れて鍵を掛けるしかないだろう

シャワーを浴び、腰にバスタオルを巻いて、既にして完成しているおとといの日記を公開する。それからきのうの日記に取りかかる。朝食は2食を食べているものの、そのうち空腹を覚えて堪らなくなる。時刻は11時45分。Tシャツを着てタイパンツを穿き、”KEEN”のゴム草履に足を入れる。

ホテルから目抜き通りに出て左へ歩く。すぐの交差点を左折してジェットヨット通りを右折。時計台を目指して北上すれば、右手にワンカムホテル、左手にはいつもの汁麺屋が営業中だった。僕の注文はバミーナムニャオ。カオソイと並んで北の名物であるこの麺の名店はチェンライにはいくつもあり、ある年には食べ歩きもした。その結果、僕には便利な場所にあるこの店のそれで充分と判断するに到った。辛さについてはどうなのだろう。「容赦ない」とも感じるし「それほどでもない」とも感じる。しかしからだは正直で、たちまち頭と顔から汗が噴き出てくる。価格は40バーツだった。

帰りは別の道を回って3軒ある両替所のレートを見ていく。気温は25℃くらいだろうか。バスターミナルの日陰に入り、ふたたび道へ出る。自転車が欲しいけれど、目に付いたレンタル屋はジェットヨット通りの1軒のみで、貸しているのはスポーツタイプのものばかりだった。それはさておきレートは3軒のうちバスターミナルの先の”Superrich Exchange Chiang Rai Night Bazaar”が1万円あたり2,237バーツでもっとも良かった。とはいえ民主党政権の時代はとんでもない円高で、1万円が4,000バーツ以上になったのだから、隔世の感は否めない。

部屋に戻ってシャワーを浴び、先ほどの薬味に使われていた生の玉葱の匂いをリステリンで洗う。ふたたび外へ出て、目と鼻の先の、2014年から行きつけのマッサージ屋”PAI”で2時間のオイルマッサージを受ける。料金は600バーツ。オバサンには100バーツのチップ。

またまた部屋に戻り、きのうの日記に引き続いて今日の日記のここまでを、18時12分までかかって書く。右手の窓の外は、気づけば随分と暗くなってきた。6月に残して持ち帰り、今回の荷物に含めたラオカーオを冷蔵庫から出す。そして今朝の、チェンライまでの機内で配られた水のペットボトルに小分けする。それと専用のステンレス製のコップをセブンイレブンのトートバッグに入れて外へ出る

ナイトバザールの入口左側で甘味を売るオバチャンは、10年以上も前からまったく老けない。道の両側の、土産物を売る屋台は準備中のところもあり、夜はこれからなのだろう。

目抜き通りからナイトバザールに入ると、先ずは最初の野外レストランが左手に現れる。ここは雰囲気は最高ながら、僕はよほどのことがないかぎり使わない。無意識に避けている理由をつらつら考えてみれば、地元の庶民が客としていないから、ということになるだろう。その先を左に折れ、やがて右手に見えてくる黄色い椅子とテーブルを置いた広場へ向かう。僕が頻繁に使うのはこちらで、2009年から通っている。

中国の団体様々なのは、いずこもおなじ。香り野菜や肉を土鍋で煮るチムジュムは金属製の大きな鍋に変わり、シャム湾からは800キロメートルも離れているにもかかわらず、具には巨大なロブスターなど派手なものが目立つ。そんな店の中に、以前と変わらない土鍋でこれを売る店を1軒だけ見つける。価格は15年前の80バーツから100バーツを経て現在は120バーツになっていた。注文をすると、刺青だらけのオニーチャンは「スパイシー? ノースパイシー?」と問う。当方の答えは「スパイシー、ナ」に決まっている。この鍋を肴にして、別の店で買ったソーダと氷で持参のラオカーオを割る。気持ちがみるみるほどけていく。この街にいられるのは、いつまでだっただろう。

徒歩で数分のホテルに戻り、フロントで部屋の鍵を受け取る。以降のことは、よく覚えていない。


朝飯 TG661の機内食TG130の機内スナック
昼飯 「ラーン・ポージャイ・カオソーイガイ」のバミーナムニャオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのチムジュムラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


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2024.9.25(水) あって良かった搭乗券

3日続いての2時台の起床。諸事好調の証拠である。

旅に出る日は常に忙しい。新宿高島屋での1週間の出張販売をこなした長男がトヨタハイエースで帰社した15時以降は特に、目の回るような慌ただしさだった。17時30分に閉店。店の掃除を隠居係のタカハシリツコさんと、先般、事務係として入社し、現在は商品を覚えるため販売係に配置転換をされているヒロタイクコさんに任せて4階へ戻る。そしてシャワーを浴び、着替えて事務室に降りる。

18時35分に予約をしておいたタクシーは、18時33分に事務室のシャッターを上げると、既にして店に横付けをされていた。

18:39 東武日光線下今市駅着
18:44 座席指定券を兼ねた特急券を持っていなかったことに気づいて、プラットフォームに立ったままiPhoneでそれを購入する。
18:49 けごん52号が下今市を発車。

5号車の予約した席へ行くと、パーカのフードをかぶったアジア系のオネーチャンがガムを噛んでいる。連れのオニーチャンに僕のiPhoneを見せて、彼女が占めているのは僕の席だと伝える。オネーチャンは「なにドジ踏んでんだよ」という一瞥をオニーチャンにくれ、僕には”Sorry”のひとこともなく気だるそうに立った。こんな礼儀知らずでも経済的な余裕さえあれば、海外旅行ができるのだ。オニーチャンは「スミマセン」と日本語で僕に告げて4号車へ去った。

20:20 けごん52号が北千住に着く。
20:22 ふたつ上の階から日比谷線の車両が発車。
20:38 その車両が人形町に着。
20:56 都営浅草線の急行羽田空港第1・第2ターミナル行が発車。
21:34 その車両が羽田空港第3ターミナルに着。

PASMOの残額が少なかったため、券売機で5,000円のみチャージしてエレベータに乗る。3階の出発ロビーには、全体的に人が少なかった。タイ航空のカウンターにいた旅客は3人ほどではなかったか。

21:45 そのタイ航空のカウンターでチェックインを完了。
21:50 保安検査場を通過。

X線を通過した自分の荷物を箱形のトレイから拾い集めつつ、数十秒前までは手にしていたはずの搭乗券が見あたらないことに気づく。あちらこちらを探すうち、僕の後に検査を受けたカップルの、森泉に似た白人の女の人が当該の紙片を僕に示す。僕は「有り難うございます」と日本語でお礼を言って、胸をなでおろす。ふたつ使ったトレイのひとつに残してしまっていたらしい。このような粗忽さは、時には命取りになるから要注意だ。

21:53 出国審査場を通過。

6月のタイ行きの際、これまで羽田空港には無かった、プライオリティパスで入れるラウンジを見つけた。プライオリティパスは、楽天のゴールドカードの持ち主なら誰でも手にすることができるカードだ。そのときは夕食を済ませていたものの「だったら次はここを使おう」と決めた経緯があった。

22:20 今日は迷わずその”SKY LOUNGE SOUTH”に足を踏み入れる。受付のオニーサンは僕の搭乗券を調べて「142番ゲートまでは、ここから10分から15分かかります」と教えてくれた。

プライオリティパスの持ち主が対象だからそれほど豪華というわけではないけれど、文句は言えない。そしておむすびはなかなか美味かった。酒類は飲み放題でも、僕は海外へ出る直前には飲酒はしない。食事をしたテーブルではまた、財布から日本円を出して貴重品入れの封筒にしまい、おなじ貴重品入れの別の封筒から1,000バーツ札1枚、100バーツ札5枚、50バーツ札1枚、20バーツ札5枚を出して財布に納める。

22:43 そのラウンジを出る。
23:00 途中の”BOOKS & DRUGS”でソーダ水を買う。
23:05 142番ゲートに達する
23:38 搭乗開始
23:43 60Hの席に荷物を置いて洗面所へ行き、腰に使い捨てカイロを貼る。前回、腰の調子が悪かったため、腰にカイロを貼ったら長く眠れた。今回も、そうなってくれれば有り難い


朝飯 赤飯のおむすび、玉子焼き、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、なめこのたまり炊、トマトと若布と菠薐草の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “SKY LOUNGE SOUTH”の2種のおむすびカレーライス


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2024.9.24(火) 千灯供養

きのうに引き続いて2時台の起床。2時30分より食堂でお湯を湧かす。おとといまでとは異なって、とてもではないけれど、寒くて窓は開けられない。4時前に到って遂に、足温器の電源を入れる。5時より、先週末からきのうにかけての「汁飯香の店 隠居うわさわ」のお客様の情報をコンピュータにデータベース化する。5時30分からは、何もすることがない。この「何もすることがない」という時間こそ貴重だから、僕は早寝早起きを励行するのだ。

いよいよ日の昇りそうな気配を感じて屋上に上がる。上半身は半袖のポロシャツ1枚、素足に草履では寒さに耐えかねるのではないかと懸念をしたものの、気温は耐えられる範囲の内だった。時刻は5時33分。天気が好転しつつあるのは有り難いけれど、寒いのは困る。否、寒さはさほど苦にしない。服に服を重ねることが嫌いなのだ。

日中は近隣の農家からの茗荷の納品が相次いで、事務室と蔵のあいだを忙しく往復する時間があった。茗荷は即、水洗いをされて塩をまぶされる。茗荷の買い入れは今月30日まで。できるだけ多くが届くことを、僕は願っている

18時をすぎて、すべての社員が家路について後に外へ出る。そして自転車で日光街道を下る。追分地蔵尊の千灯供養は毎年申し込んでいるものの、昨年は何かの事情により来ることができなかった。このお祭は先祖供養のためと聞いている。僕は線香を供えつつ、それに加えて世界中の子供を守ってくれるよう祈る。「祈りって、通じるものですかね」と問われれば「それを言っちゃぁ、おしまいでしょう」としか答えようはない。

帰りにセブンイレブンへ寄り、昼に道の駅「日光街道ニコニコ本陣」の壁の宣伝で知った地元誌”monmiya”の10月号「隠れすぎ遺産 地元の人が教えてくれた! こんな日光知ってる?」を買う。


朝飯 「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、納豆、菠薐草のおひたし、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと揚げ湯波と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、夏太郎らっきょう、なめこのたまり炊、薩摩芋の蜜煮、牛肉と舞茸と糸コンニャクのすき焼き風、蓮根のきんぴら、秋刀魚の塩焼き、麦焼酎「こいむぎやわらか」(生)、


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2024.9.23(月) いまだお彼岸の最中ではあるものの

2時台の起床。おとといときのうの日記を片づけたところで、おとといから始めた旅の荷作りを再開する。先ずはきのうの早朝に整えた薬品類を、もういちど点検する。バックパッカーをしていた1980年代と同様に、薬は多くの種類を多めに持つ。海外、それも地方で怪我や体調不良に見舞われれば、薬だけが頼り、ということにもなりかねないからだ。

持ち物の一覧表を手元に置き、ひとつひとつを専用のバッグやケースに入れるたび、一覧表にあるそれらを青いフェルトペンで消していく。現地で手に入らないものには、特に神経質になる。コンピュータの電源コードは、通電試験までした。そしてようよう、出発の直前まで使うもの以外をスーツケースとザックに納め終える

9時を過ぎて、道の駅「日光街道ニコニコ本陣」への、本日2度目の納品をしつつ、目と鼻の先の如来寺へ寄る。そして大きなプラスティック袋とタライを手にお墓を目指す。駐車場にちかい古い方のお墓の黄菊や白菊は、19日に供えたときと変わらない瑞々しさを保っていたから一瞬、きびすを返そうになる。しかし「自分がしないで誰がする」と考え直して、7対の花立てから次々と菊を引き抜き袋に入れていく。花立ては水を捨て、水場で洗うため計14本をタライに入れる。新しいお墓、叔父と叔母のお墓の花と花立て、また線香立ても水場で洗い、元に戻す。

今月18日から出店をさせていただいている、新宿高島屋での販売が好調だという。現場に詰める長男からは日々、追加の商品の出荷個数を知らせる連絡が入り続けている。「勝ちに不思議の勝ちあり」と野村克也は言った。今回の売れ行きについては、多分、複合する理由があるのだろう。


朝飯 トマトとピーマンのソテー、スクランブルドエッグ、納豆、茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 長葱と胡麻のつゆの素麺
晩飯 トマトとマッシュルームとパンチェッタのスパゲティパンChablis Billaud Simon 2018


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2024.9.22(日) 宇都宮餃子

3時台の起床。食堂にある3枚の窓のうち2枚を開けて日記を書く。また、インターネットを使ってあれやこれやする。5時を前にして素足に寒さを感じ、窓を閉める。食堂の隅には冬のあいだ使っていた足温器が片づけずにある。それを足元に引き寄せようとして、さすがにそれは止める。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。いまだ鳴いている虫を健気に思う。

店を開けていくらも経たない8時35分ころ、隠居の家内から電話がかかる。1週間前から満席の「汁飯香の店 隠居うわさわ」に「きのう確かに予約を入れた」とおっしゃるおふたりが見え、玄関で押し問答もできないからどうにか席を作ってお上がりいただいたけれど、どういうことかという。

電話を切って調べてみると、そのご予約の日付けは来週の29日になっていた。週を間違えての予約は頻繁に起きることではないものの、皆無でもない。

開店の直後こそ傘を必要としないほどだった雨は、午前の中ほどに激しくなった。傘があっても外へは出たくないほどの、それは勢いだった。しかしいつの間にか止んで、午後には日さえ差してきた。どうにも妙な天気である。

「宇都宮の餃子は、どこで食べても美味しいんですか」と、夕刻にお相手をさせていただいたお客様に訊かれる。長嶋茂雄ではないけれど「うーん、どうでしょう」と、僕は言葉を濁さざるを得なかった。「このちかくにも美味しい餃子はございます」というのは模範解答ではない。お客様は「宇都宮」で餃子をお召し上がりになりたいのだ。

僕が二十代のころは、現在の有名店でも小さな駐車場には難なくクルマが駐められ、すぐに食べることができた。連休中の待ち時間は多分、1時間を超えるだろう。


朝飯 茄子とパプリカとピー麺の味噌炒り、ほっけの塩焼き、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りと胡麻のつゆの素麺
晩飯 トマトとベビーリーフのサラダブロッコリーのソテーとたまり漬によるソースを添えたビーフステーキBodega Contador PREDICADOR 2015


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2024.9.21(土) 続きの仕事

夜明け前にふと思い立って、旅行の準備をはじめる。旅に持参するものはコンピュータにデータベース化してある。12の項目からなるその総数は現在141。とはいえそこには傘など決して持たないものもあり、あるいはシャツのように日数に従って数の変わるものもあるから、実際の数字は141、というわけではない。

今朝はそのうちの、衣類を整えることにする。シャツは、出発の日は襟付きでも現地ではTシャツで過ごすこととして、クローゼットから白いものばかり5着を取り出す。現地ではほとんど裸足にサンダルだから、靴下の予備は1足で済む。

タイパンツ、といっても盛り場で100バーツで売られている象柄の、モンペ状のものではない、本格的なもの6本を持っている。最初のそれは、マンダリンオリエンタルホテルちかくのクラフトセンターで家内が買ってくれたもの。これは本当に良い形だが、今や日に焼けて、とてもではないけれど、穿けない。チェンマイの”Pa Ker Yaw”で手に入れた2本のうちの1本は手縫いで、傷のつくことを恐れてほどんど穿かない。もう1本は藍染めで有名なプレー産で、もっとも気に入っているものの、先日、ふとももの裏部分にタバコ穴を見つけて、今は修理に出している。

実際にプレーを訪ね、ホテルの女将が勧める店で買った1本は、特産品には違いないけれど、太くて短くて格好が悪い。残る2本はイオン今市店の2階で生地を求め、最初の1本を見本としてバンコクで仕立てた。タイパンツとしては分厚く重すぎるものの、頑丈さは一番だ。

そのうちのどれを今回は使おうかと迷い、格好の悪さには目をつぶってプレーで手に入れたものを圧縮袋に納めた。しかし考えを改めて、頑丈一点張りの方に入れ替える。これにて衣類の準備は完了。明朝は薬品類の点検にかかろうと思う。

きのうし残したコンピュータによる仕事は午前のうちに終えた。以降は夕刻まで事務室と店に詰める。お彼岸の連休は、雨に終始するかも知れない。


朝飯 なめこのたまり炊の玉子とじ丼、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、キャベツとトマトの味噌汁
昼飯 揚げ湯波の甘辛煮と胡麻のつゆの素麺
晩飯 「コスモス」のトマトとモッツァレラチーズのサラダチーズオムレツのカレーライスTIO PEPEとドライマーティニ


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2024.9.20(金) 素麺か、にゅうめんか

釣銭のための種銭は、いまだ最高のところまで積み上がっていない。しかし連休中の5,000円札と1,000円札の枯渇を恐れて9時すぎに銀行へ行く。来週の木曜日から10日ほど留守にすることを考えれば、両替はその前日に、もう一度しておくべきだろう。

ところで上澤梅太郎商店は、10月30日より日本橋高島屋S.C.にて出張販売をさせていただく。そのご案内のお送り先の抽出を午前から始める。しかし前述の銀行での仕事があったため、開始はすこし遅れた。作業は円滑に進んだものの、販売係を助ける必要があって、昼前に一旦、中断をした。「続きは午後に」と考えたものの、販売係のひとりが15時に上がることを知り、以降は店に出た。そういう次第にて、仕上げは明日の午前に行うこととする。

「お盆は暑いのでお墓参りはお彼岸にしましたけれど、来てみればお盆と同じ暑さで参りました」とおっしゃるお客様のお相手を夕刻にさせていただく。「そうですね」と相槌は打ったものの、実感としては随分と涼しくなって、僕としては寂しい限りだ。きのうは昼食を、夏のあいだの素麺にするか、それとも熱いにゅうめんにするか迷った挙げ句、素麺にした。積乱雲の高く立ちのぼった先月が、懐かしくてならない。


朝飯 ウインナーソーセージとキャベツのソテー、目玉焼き、納豆、蓮根のきんぴら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 蓮根のきんぴらと胡麻のつゆの素麺
晩飯 トマトのサラダ夏太郎らっきょう茸とベーコンのスパゲティChablis Billaud Simon 2018


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2024.9.19(木) 秋彼岸

2時台の起床。洗面所を経由して食堂には2時57分に入る。食堂は角部屋にて、異なる方角に向いた2枚の窓を開ける。夜来の雨に濡れた地面は乾きつつあるものの、湿度は高い。開け放った窓はそのままにして、足元にサーキュレーターを回す。

東の遠い山の端と、その直上の雲とのあいだに、横に細長く赤い線があらわれる。時刻は4時55分。その赤い線が、徐々に上下の幅を増やしていく。雲は幾重にも重なって、厚いようにも見えれば、それほどでもないようにも見える。

「次の墓参りは、オフクロの祥月命日である10月15日になるだろう」と先月25日の日記に書いた。とんでもない勘違いだった。その前に秋の彼岸があったではないか。そういう次第にて5時45分に家内と通用口を出る。先ほどまでは朝日の気配があったものの、雨が降り始めている。雨滴は大きいけれど、疎らである。よって事務室に戻り、常備してあるウインドブレーカー着て、しかし傘は差さない。

新しいお墓、古いお墓、叔父と叔母のお墓に計9対の花を供え、また線香も供える。妹が亡くなった1972年だったか、その翌年だったかに建てた新しいお墓には流儀があって、墓石は水で洗わず、水を固く絞った布で拭く。しかし今朝は雨のため、乾いた布で水を拭き取るようにして綺麗にする。

雨が止んだのは9時のころだっただろうか。オフクロの祥月命日には出かける用事があるから、墓参りはやはり、早朝にすることになるだろう。


朝飯 茄子の味噌炒り、揚げ湯波の甘辛煮、菠薐草の胡麻和え、蓮根のきんぴら、納豆、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、モヤシと若布の味噌汁
昼飯 茄子の味噌炒りのつゆの素麺
晩飯 「食堂ニジコ」のきゅうりの辛子和えピータンえびと春雨の炒めあんかけチャーハン麦焼酎「二階堂」(お湯割り)


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2024.9.18(水) ただただ

5時すぎの起床は明らかに遅すぎる。朝の美味しい時間を味わうことができないのだ。それでもきのうの日記は書き上げることができた。そして最後に「明月」と表題を打ちつつ「明るい月と書けば月をあらわす言葉になるけれど、明るい日と書くとそれは太陽のことではなく『あした』になってしまうんだな」と気づく。気づいたとしても、何の役にも立たないことではある。

朝食の味噌汁が赤ければ、味噌は日光味噌梅太郎赤味噌、白ければ日光味噌梅太郎白味噌、ということになる。今朝は後者を用いた。来月11日に蔵出しをするこれは、いまだ塩が若い。よってだしに溶く量は正確に見定める必要がある。今朝は成功。朝食は、日本にいる限り、あるは家にいる限り、和のそれでなくては気が済まない。

不思議なことに海外へ出ると、和食への欲求は綺麗サッパリ消える。その土地へ行けば、その土地のものを食べたくなるのだ。それはまた、とても自然なことのように思う。

夕刻、晴れた空を眺めようとして、店から駐車場に出る。その途端、大粒の雨を顔に感じる。日は差しているのに雨が降っている、という短い時間には風情がある。もっとも当然のこととして上から水が落ちてくるわけだから、カメラを真上に向けることはできない。庇のもっとも外寄りのところに立って、ただただ空を見上げるばかりである。


朝飯 茄子の味噌炒り、蓮根のきんぴら、菠薐草の胡麻和え、小海老と野菜の天ぷら、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、トマトと若布と玉葱の味噌汁
昼飯 天ぷらのつゆの素麺
晩飯 ブロッコリーのソテーを添えた鶏のクリーム煮2種のパン無花果のジャム夏みかんのママレードChablis Billaud Simon 2018


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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