2024.1.26(金) 当方の頭がボヤけるまでは
和倉温泉のジェラート屋「能登ミルク」からクッキーが届く。大きな箱には小さな箱が28個つまっていた。これに社員ひとりひとりが受け取った印を書き込める名簿を添えて、タイムカードの前に置く。浜の真砂のひと粒ほどの助けにしかならないだろうけれど、まぁ、僕の被災地への気持ちである。
ところで先日の日光MGでは、ポケットコンピュータの液晶が極端に薄くなり、しまいには見えなくなった。近所の三栄無線で店主のミウラさんに電池を交換してもらったのは、それほど前のことでもない。よって今回は故障を疑って、シャープマーケティングジャパンの、墨田区立川にある首都圏テクニカルセンターに電話を入れた。そうしたところ、僕の持つPC-1262は発売年が1984年の商品であり、対応はとうの昔に終えているとのことだった。
僕は手先が不器用、且つ仕上がりが綺麗でなくては気の済まない性格から、時には壁に釘を1本打つだけのことに職人を頼んだりする。そして今回はシャープの技術者を頼ったものの、断られた。
PC-1262は、今でもオークションで高値を呼ぶ名器である。このまま身捨てるわけにはいかない。そういう次第にて裏蓋を恐る恐る外し、電池の覆いも外し、使われている電池を特定した。そしてきのう郊外に出たついでにコジマ電気で当該の電池を買った。
その電池を今日はふたたび裏蓋を外した内側に納めてみた。裏蓋を固定するための2本のネジのうち1本はいつの間にか紛失をして、前述のミウラさんに代わりのものを取り付けてもらった経緯があった。液晶は果たして電池の交換だけで甦った。
通常の卓上電子計算機は、計算の履歴を辿れない。経過をロール紙に印字できる計算機は大きくて持ち運びに適さない。いわゆるポケットコンピュータの中でもPC-1262は最小の部類に属する。当方の頭がボヤけるまでは、保たせる必要があるのだ。
朝飯 生のトマトと茹でたブロッコリー、「なめこのたまり炊」のフワトロ玉子、納豆、白菜漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布とブロッコリーの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 蓮根のきんぴら、南瓜の甘煮、菠薐草の胡麻和え、蒲鉾、昆布の佃煮、なめこのたまり炊、大根おろしを添えたハンバーグステーキ、「渡邊佐平商店」の「自然醸清開純米」(燗)
2024.1.25(木) 明朝のおかず
「これほど暖かいなら、この冬は雪は降らないのではないか」と言う人が、昨年の末にいた。しかし年が明けてしばらくすると、何だか寒くなった。人の五感は情報を科学的、数学的には関知しない。錯覚と言っては言葉が過ぎるかも知れないけれど、すべては「そんな感じがする」くらいのところではないか。だから今の寒さが例年にくらべて本当に寒いのかどうかは、僕は分からない。
分からないけれども何だか寒い。それに加えて今月20日の日記に書いたように、着ぶくれを嫌う気持ちが昨年より増した。よってきのうは「分厚くなくて動きやすくて保温性もあり」というU.L.サーマラップジャケットを京橋のモンベルで買った。ウェブ上や店頭でためつすがめつしながら結局は買わない、ということが僕にはままある。そういう僕がこれは数十秒の検分で買うことを決めた。自分としては上出来の行動である。
今日は朝からこの上着を身につけて社内を回る。蔵では「なめこのたまり炊」の仕上げを行っていた。上澤梅太郎商店の人気ナンバーワンは「らっきょうのたまり漬」で動かない。しかし僕が子供のころから今に至るまで最も好きなのは「なめこのたまり炊」である。
夕刻のミーティングの最後に、その「なめこのたまり炊」の、最後のひと瓶には足りなかった半端を製造係のタカハシアキヒコ君が手渡してくれた。明朝のおかずはこれで決まり、である。
朝飯 きのう「四季旬菜日本料理虹-kou」から持ち帰った炊き込みごはん、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、白菜漬け、若布と大根の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「魚登久」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、6種の日本酒(冷や)
2024.1.24(水) 伊豆治療紀行(22回目の2日目)
夜は怖いほど風が強かったものの、朝はおだやかに晴れた。もっとも日本海側には大雪の警報が出ている他、太平洋側でも名古屋では雪のちらついている様子を朝のテレビは伝えていた。
整体は今日も激痛に次ぐ激痛。9,000ボルトを発する電子ペンによる治療は、患部の具合が良ければ痛みはまったく感じず、ごく短い時間で終わる。具合が悪いときには、その逆。本日もっとも激烈な痛みは左膝の内側に横から打ち込まれた一撃。否、激痛は数分間も続いたから一撃とはいえない、とにかく参った。
ところで今回は、おととい長男が店の本棚に差し込んだばかりの開高健著「魚の水は美味しい」を携えた。「魚の水」とはベトナムの魚醤のことで、僕も2011年3月にはフーコック島にそれを醸す蔵”HUNG THANH”を訪ねた。通訳を兼ねてくれたセオムの運転手には通じたのだから僕は「ニョクマム」とか「ヌオックマム」とか口にしたのだろう。ただしその正確な発音は知らない。
ベトナムにはその後、2018年6月に栃木県味噌工業協同組合の旅行でハノイへ行った。彼の地でもっとも観たかったのはホーチミンの家だったが、旅程には含まれていなかった。
個人で旅に出る時間があれば、それらはすべてタイ行きに使いたい。ただし2011年3月に訪ねたサイゴンに裏を返すことがあれば、宿はサイゴン川に面したマジェスティック。屋上の食堂で朝食を摂り、午前中は中庭のプールで本を読む。昼食は食堂兼総菜屋のニューランで汁麺を食べ、午後はまたプールに戻って本読み。日が西に傾いてきたら現地の人は「ウォツカ」と呼ぶ焼酎を提げてベンタイン市場西裏の貝焼き屋台へ行き、茹でた有精卵や目移りがするほど種類の多い貝を肴にする。日によってはマジェスティックの屋上で夜のブッフェをつまみにワインを飲む。そういう風に過ごせるなら10日ほどは割いても良いと思う。
正面に大島を望む明るい洋室での昼食は3時間に及んだ。
伊豆高原15:31発の上りで熱海に来てみれば、名古屋と新大阪のあいだの雪により新幹線は30分の遅れと、ホワイトボードに手書きの文字が伝えていた。それを計算に入れつつプラットホームに上がる。16:02発のこだま728号は、実際には40分以上遅れて入線をしてきた。
家内とは神田で別れてそれぞれの用を足し、日本橋で合流する。贅沢な昼食を遅くまで愉しんでいたため、夕食への欲求は湧かない。そして浅草19:59発の下り特急リバティに乗り、22時前に帰宅する。
朝飯 「セブンイレブン」のサンドイッチ、牛乳
昼飯 「四季旬菜日本料理虹-kou」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、其の九、其の十、其の十一、其の十二、其の十三、其の十四、新潟のそれほど高くない日本酒(燗)
2024.1.23(火) 伊豆治療紀行(22回目の1日目)
ユニクロのヒートテックウルトラウォームタートルネックTの上に、これまたユニクロのフリースのセーターを重ねようとして、思いとどまる。明日は、普段は行かないところで昼食を摂る。とすればせめてセーターくらいはよそ行きにすべきではないか。そう考えて押入の、冬物を納めたプラスティックの箱を開ける。
よそ行きのセーターは、この10年ほどのあいだに「いいね」とウェブ上で目にするたび買って、いまは4着がある。4着とはいささか持ちすぎである。そのうちクリーニング屋の袋に入っていない、昨年の元旦にいちど着たきりのものを選んで身につける。靴も、足を入れる縁のところにほころびのあるジャングルモックではなく、磨きのかかったトリッペンのそれを下駄箱から出す。
昼前に東京駅の、常磐線のプラットフォームからコンコースに降りると「大宮での架線事故により東北、北陸、上越の新幹線が運行を停止していて、復旧の目処は立たない」旨のアナウンスが頻繁に流れていた。そのせいかどうか、いつも往復を買う、人が応対をしてくれる切符売場には長蛇を3匹も繋げたような列ができている。よって奥へと進んで自動券売機を見つけ、ここで伊豆高原までの片道切符を買う。
僕の乗った東京駅11:57発のこだま723号に、きのう東京に用事のあった家内は品川から乗ってきた。熱海を経由して伊豆高原には13時57分着。
昨年11月16日に「この調子ならひと月半や2ヶ月を置いても大丈夫」と太鼓判を押してくれた「伊豆高原痛みの専門整体院」のワタナベ先生は、しかし今日は僕のふくらはぎや首に触れて「硬ったい」とつぶやいた。確かに今月は、首が「きのうは右」、「今日は左」と、回りづらい数日があった。先週の金曜日には、あわやギックリ腰という一瞬もあった。からだの状態の良くないことには、うすうす気がついていた。そのため9,000ボルトを発する電子ペンによる膝の治療は激痛を伴いながら小一時間ほども続いた。
電子ペンから解放さえすれば、後は気楽な時間が待っている。温泉に浸かり、街の小さな焼肉屋へ行き、20時に就寝する。
朝飯 にゅうめん
昼飯 「笹八」の爆弾おむすび
晩飯 「福ちゃん」のあれや、これや、それや、麦焼酎「二階堂」(オンザロックス)
2024.1.22(月) 上澤梅太郎商店書籍部
温泉旅館の部屋のコンセントは床の間にあることが多い。そこからiPhoneに充電をすべく、きのうは4組の布団の中から枕が床の間にもっとも近い場所を選んだ。
ふと気づくと床の間の天井部分には灯りがあって、それが常夜灯のように点けられている。眩しくても、他の人の不便になってはいけないから消すわけにはいかない。その灯りにより、夜明けまでに何度も目を覚ます。
きのうの新年会では、新型コロナウイルスの蔓延により中断を余儀なくされた旅行の再開が諮られた。この親睦旅行に僕が最初に参加をしたのは2007年6月。行き先は西安と敦煌。日経平均株価はその旅の最中に、1万5千円台から1万6千円台に載せたように記憶をしている。
「9時前には帰れます」と、家族のラインには打ち込んだ。帰社する途中で道の駅「日光街道ニコニコ本陣」に寄ると、ちょうど長男が追加の品を運んできた。それを受け取って、裏手の冷蔵庫に収める。明日あさっては、また会社を留守にする。在庫はできるだけ厚くしておかなくてはならない。
9時すぎに銀行へ行き、小口現金のための幾ばくかを払い戻す。10時に来社した社会保険労務士のオカザワ先生には、通常業務以外の頼みごとをする。
上澤梅太郎商店書籍部と称すれば随分と立派に聞こえるけれど、実際は小さな本棚ひとつのその場所では、年末に随分とお買い上げを戴いた。そのためにできた隙間に夕刻、長男が新たに届いた本を収めていく。昨年は僕もここから2冊を買った。今回の背表紙も、本好きを魅了して止まないものが少なくないように思う。
朝飯 「鬼怒川温泉ホテル」の朝のブッフェ
昼飯 にゅうめん
晩飯 切り昆布の炒り煮、オイルサーディンのオーブン焼き、チーズ、白菜漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、「渡邊佐平商店」の「自然醸清開純米」(燗)
2024.1.21(日) 夢うつつ
おとといは疲れのためか、目を覚ましてもすぐに起きる気が起きなかった。きのうは前夜、早く横になったにもかかわらず、6時20分まで寝てしまった。今朝は首尾良く3時48分に目覚め、着替えて3時54分に食堂に来られた。
仏壇と自分のためにお茶を淹れたら、次は日記に取りかかりたい。その気持ちを抑えて1,000円札の釣銭を作る。これを先にしておかないと、いつまでもコンピュータにかじりついて、他のことに割く時間を失うのだ。
既に書き上げてあったおとといの日記を公開し、ほぼ書けていたきのうの日記を完成させて保存する。ここで時刻は5時40分。外からはクルマの、路面の雨を切って走る音が聞こえてくる。
食堂のテレビは一部が壊れていて、衛星放送は映らない。そこでコンピュータにTVerを開いて「カーグラフィクTV」を検索する。そして数日前に放映された、40周年の記念番組を観る。
朝から普段の仕事に従い、15時30分を過ぎたところで外へ出てホンダフィットのドアを開く。栃木県味噌工業協同組合の新年会が開かれる鬼怒川温泉には、20数分後に着いた。数日前の雪は、山にも渓谷にもほとんど残っていない。
フロントで指定された部屋には早くも人が集まり始めていた。宴会まではいまだ余裕があったため、先ずは大浴場へと向かう。脱衣所の体重計の数字は昨年6月に受けた人間ドックの値より更に減って、52.4キログラムを示した。
宴会は18時30分から。二次会は20時30分から。その二次会では、ほとんど夢うつつの状態にあった。部屋に戻ったのは多分、22時すぎ。以降は多分、すぐに寝入ったものと思われる。
朝飯 揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、ハムとブロッコリーのソテー、ゼンマイの淡味炊き、納豆、白菜漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「鬼怒川温泉ホテル」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、其の八、梅酒、ビール、日本酒(燗)
2024.1.20(土) 山越え
夏物と冬物のシャツは、それぞれ別の箱に保管をしている。きのうはこれまで着ていた冬物と、これから着るべき冬物を入れ替えた。これまで着ていたのは、あちらこちらの寄せ集めだった。これから着るべきとはユニクロのヒートテックウルトラウォームタートルネックTで、その数は4着である。あちらこちらの寄せ集めは、春までは取り置くものの、その後は処分をしてしまうかも知れない。
きのうまでの晴天はどこへ行ってしまったか、今朝の空はるで雪でも降ってきそうな暗鬱さである。気になるのは元旦に墓参りをしたときの花のこと。いまだ片づけには行けていない。暖冬とはいえ、お墓で水を使うことをためらわせるほどの寒さは感じている。
着ぶくれを嫌う気持ちが昨年より増している。屋内では2枚。それで寒ければウインドブレーカーを羽織る。しかしウインドブレーカーには裏地はあっても中綿は入っていない。来週に機会があれば、京橋のモンベルであれこれ訊いてみることにしよう。
15時を過ぎるころに雪が降ってくる。それに気づいた隠居係のタカハシリツコさんが、駐車場に融雪剤を撒いてくれた。雪は幸い、すぐに上がった。
閉店もちかいころ、駐車場に引かれた線に平行してフェラーリが律儀に駐められた。那須での夕食を予約されているというそのお客様に、鬼怒川から塩原を経由する経路につき質問を受ける。雪が舞った日の日没後に296GTBで山越えとは、いかにも非現実的だ。お客様には日光宇都宮道路の今市I.C.から東北自動車道の那須I.C.まで、すべて高速道路をお使いになるよう、お勧めをした。
スマートフォンで明日の天気予報を見る。これまであった雪だるまは雨雲に変わっていた。ひと安心、である。
朝飯 生のトマトと茹でたブロッコリーを添えたオムレツ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、ゼンマイの淡味炊き、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、揚げ湯波と若布とトマトの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 穴子の佃煮、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、鶏豆腐、「渡邊佐平商店」の「自然醸清開純米」(燗)
2024.1.19(金) 塗装と溶接
風邪による発熱、ワクチンの副反応による発熱、また直近では10年前のことになるけれど、食欲ならぬ酒欲を数十日間も失う不思議な体調、そのようなものに見舞われない限り、飲酒は欠かさない。そして今週は月曜日からきのうの木曜日まで、とにかく飲み過ぎた。その疲れのせいか、今朝は目覚めてもすぐに起きる気がしなかった。
それとは別に、11日の日記に書いたリステリンの大瓶10本が届いたため、それを2階の倉庫へ運びつつ「あわやギックリ腰」という感覚に見舞われた。ちょうど1年前の1月17日にも、僕は腰の調子をおかしくしている。くわばらくわばら、である。
10時に顧問税理士を訪ねる。確かめたかった3つのことがらについては、すぐに回答が得られた。そこからの帰りにスーパーマーケット「かましん」に寄って、腰に貼るためのカイロ30枚を買う。日曜日には業界の新年総会で、ふたたび鬼怒川温泉のホテルに泊まる。面倒でも、自前の枕を持参した方が良さそうだ。
それはさておき今朝は、日曜日に漬けた白菜を初めて食べた。昨年は塩気を強目に感じたため、そのときの4パーセントから今年は3パーセントに塩分濃度を下げた。すると今度はすこし薄い。もっとも家内と次男はちょうど良いと言う。だったらここは僕が我慢をしてみようか。
社員研修で留守にしている2日間で、外の重油タンクは塗り直されて、見違えるようになっていた。腐食により水の漏れていたボイラーは、その穴を溶接で塞がれて、ふたたび元の場所に置かれた。来週は火災報知器の電線の引き直しがある。店は静かでも、中や奥は結構、忙しい。
朝飯 ゼンマイの淡味炊き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、牛肉と舞茸のすき焼き風、白菜漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、トマトとレタスと揚げ湯波の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ハムと野菜のスープ、レタスとベビーリーフのサラダ、じゃがいものグラタン、パン、茹でたブロッコリーを添えた鶏のトマト煮、チーズ、CLOS DU MAROUIS 1986
2024.1.18(木) 第43回日光MG(2日目)
第4期の経営計画では、上げるべき経常利益を50円としていた。しかし実際には32円に留まった。計画を下まわったのは、材料を仕入れ、工場で作り、それを売る、その材料倉庫、工場、営業所の3個所でしばしば欠品を起こしたからだ。「ゲームに弱い者は、せめて在庫にだけは注意を払え」という教えがある。しかし僕のように下手な人間は、それすらできないのだ。
勉強のできない人は、勉強のできる人が、なぜできるかが不思議でならない。運動神経に恵まれない人は、運動の得意な人が、なぜ得意なのかが不思議でならない。不器用な人は、たとえ定規を使っても直線を引くことができない。マネジメントゲームもまた、おなじことである。
とにかく第4期に僕は32円の経常利益を上げた。しかし得意先倒産の特別損失を引いていたため、税引き前の当期利益は僅々2円に留まった。第5期にもそれなりの利益を上げることはできた。しかし第1期から第3期までの累積損を取り戻すまでには至らなかった。この日記を書き始めたのは2002年9月。その23日と24日に藤沢で行われた湘南MGと、22年後の今回も、おなじ経過を辿ることとなった。
さてマネジメントゲームでは、第6期への備えを水準以上に保ちつつ第5期末の自己資本の高い順に表彰をされる。今回の最優秀経営者賞は東京のオノリョータさんで、自己資本404円。優秀経営者賞は地元のハラダトモミさんで、自己資本は402円。もうひとりの優秀経営者賞は山形のタカダショーヘーさんで、自己資本は390円だった。
さて今回の参加者は社内から17名、社外から16名の、計33名に上った。そのうち東北新幹線や東海道新幹線でお帰りになる4名様は、僕がJR今市駅までお送りすることになった。目指すは17時26分発の宇都宮行き。しかし駅から2キロメートルほど手前の大谷橋に差しかかったときの時刻はいまだ16時。ということは、道の駅で買い物をしていただいても1本前の16時26分発に間に合う。お土産を手にされた4名様は、プラットフォームまでお送りした。
会社に戻ると、日光MGに参加をしながら明日の準備も担ってくれた製造係イトーカズナリ君、タカハシアキヒコ君、タカクコータロー君の3名が家路に着くところだった。僕はちょうど会場から引き上げてきた長男と共に、地元の人の待つ打ち上げ会場へと向かう。
朝飯 「湯けむり真ごころの宿・一心舘」の朝のお膳、鴨鍋、鮭のバター焼き
昼飯 「湯けむり真ごころの宿・一心舘」のカレーライス、らっきょうのたまり漬
晩飯 ”COCO’S”のピッツァトリプルフォルマッジ、カラフの赤ワイン、「山泉楼」の皮蛋、五目あんかけ焼きそば、豚バラ肉のやわらか角煮、他あれこれ、 「浙江大越紹興酒有限公司」の「紹興貴酒」(生)
2024.1.17(水) 第43回日光MG(1日目)
マネジメントゲームとは、参加者の一人一人が自分の会社を持ち、2日間をかけて、盤上に5期分の経営を展開するものだ。西研究所のニチジュンイチロー先生がソニーにお勤めの時代に開発をされた、教育方法である。僕はそれに、1991年6月に初めて触れた。
これを会社に広め、いずれは全社的に行いたいと、僕は考えた。それが曲がりなりにも実現した日を知るには、コンピュータの「MG」というファイルを開く必要がある。第1回目は2001年1月17日からの2日間だったことを、今回はあらためて知った。そのときの参加者は27名。社員は23名で、社外からは4名の方が加わって下さっていた。
ニシジュンイチロー先生による講義は10時に始まった。ゲームは第1期、昼を挟んで第2期、第3期と進む。
33年間もマネジメントゲームを続けながら、僕はゲームは大変に下手である。下手の理由は、こうと決めた方針を堅持しない、潮目が変わっても手法を変えない、周囲を観察する力に優れない、危機感に欠けるなど、枚挙にいとまが無い。それが分かっているなら、その逆を行けば良さそうなものだが、分かってはいるものの、できないことはできないのだ。
第1期初に与えられた自己資本300円は、第3期末には188円まで減っていた。僕に救いがあるとすれば、マネジメントゲームの2日のあいだに幾度も語られるデータベースソフト「マイツール」については、1992年の6月から使い始め、以来30数年のあいだ、これにより現実の会社では利益を出し続けている、ということだろうか。
夜に至って第4期の経営計画を立てる。そして夕食と交流会を経て0時すぎに就寝する。
朝飯 「湯けむり真ごころの宿・一心舘」の朝のお膳
昼飯 「湯けむり真ごころの宿・一心舘」の昼のお膳
晩飯 「湯けむり真ごころの宿・一心舘」の夜のお膳、交流会のレッドアイ、白ワイン