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お買い物かご

清閑 PERSONAL DIARY

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2023.12.15(金) 26日のあいだ

人手不足により電話に出られない店が増えていると、朝のテレビのニュースが伝えている。上澤梅太郎商店の場合、電話には出られる。しかしそのことにより他の仕事にしわ寄せが行く、ということは日常的にある。

時には、ウェブショップでの注文方法について電話で説明をお求めになるお客様に、数十分から1時間も拘束されたりする。そのようなお問合せを僕が受ければ「この電話でご注文を承らせていただければ…」などとお答えをしてお客様の不興を買い、電話はすぐに切れるものの、ご注文は二度と戴けなくなる、という可能性がある。一方、事務係はお客様が納得されるまでご応対するものの、ただでさえ帰宅の遅くなる年末に、更に1時間も長く会社に居残ることになったりする。

NTTやdocomoのような電話会社も、電話による問合せはなるべく避けようと工夫をしている。意思を伝えるための道具としての電話は、今後ますます廃れていくに違いない。

されはさておき今日は、朝から冬らしい寒さだった。その曇り空の下に門松が届いた。「違和感の無い範囲で、できるだけ早く」と、その時期を指定したのは僕である。門松は今日から新春1月10日までの26日のあいだ、飾る予定にしている。


朝飯 たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、牛すじ肉とブロッコリーの味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 パン其の一パン其の二カレーシチュー、Old Parr(お湯割り)


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2023.12.14(木) 心配には及ばない

「上澤梅太郎商店書籍部」の棚は、9月13日の新設以来、3度目の注文品が先週に揃って、ふたたび賑やかになった。箸や食器を置いた台も、各々の問屋から新しい品が届いて、ふたたび充実してきた。12月なかばの現在こそ、ご来店になるお客様は、それほど多くない。それでも年末年始を見据えながら、できることは着々と積み上げている。夕方には、本の棚には触らず、しかしそれに向かって右手の工芸雑貨の陳列をすこし変えた。

陳列といえば、販売係はきのうの店休日を利用して、冷蔵ショーケースの中味、そしてケースに接するところの工芸品の置き方に、更に工夫を凝らした。その模様替えが、お客様の新たな興味を惹き、利便性を向上させるものになれば嬉しい。

ところで4日前の日曜日に、トリッパ500グラムと牛すじ肉2キログラムが市内のウェブショップ「グルメミートワールド」から届いた。それらの下処理をした家内には、これほどの量を買ってどうするつもりかと訊かれた。

僕がトマトピューレで煮て、次男が塩で味を調えたトリッパは、きのうの夜、一気に平らげた。2キログラムの牛すじ肉は、僕と家内が留守にした週初から次男が食べ始め、きのうのトリッパの煮込みにも混ぜるなどして、早くも大鍋の中程まで減ってきた。

そのすじ肉を、夜は湯豆腐の鍋に加えてみた。食べては加え、食べては加えしているうち、大鍋の牛すじ肉は更に減った。「どうするつもりか」と4日前に訊かれた2キログラムの牛すじ肉は、明日の夜には食べ尽くされるだろう、多分。


朝飯 スクランブルドエッグ、小松菜とウインナーソーセージのソテー、めかぶの酢の物、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、牛蒡と若布の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 めかぶの酢の物、牡蠣の佃煮、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、牛すじ肉を加えた湯豆腐、「齊藤酒造」の「英勲井筒屋伊兵衛純米大吟醸」(冷や)


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2023.12.13(水) 静かな環境

おとといの夜は予報を信じて、傘を手に外へ出た。しかし道を行く人たちは傘を差していなかった。歩道へ出ると、雨は感じたものの、それは木綿のシャツすら濡らさないほどの微かなものだった。モンベルの折りたたみ傘の中でももっとも軽量なそれは、ズボンの尻のポケットにしまった。

きのうの朝は予報されたほどの強さではなかったものの雨があり、傘が役に立った。その雨も、ほんの一時だけで上がった。築地川公園のベンチに置き捨てられたスポーツ紙の第一面には「大谷0.1兆円」の大きな見出しがあった。

今日は朝から晴れた。そして月に1度の店休日だ。きのうの日記に書いた通り、店は休みでも、ほとんどの社員は出社をしている。話し合いやすり合わせは午前のうちに終わった。以降は各々が各々の部署にて各々の仕事に当たる。

店のシャッターと同じく事務室のシャッターも降ろしてある。だから社内には誰も入ってこない。電話は留守番電話に切り替えてある。だから電話応対の必要も無い。その環境の中で3名の事務係は「今日こそ」とばかりに仕事の能率を上げる。

積み上げられた発送伝票は、クリスマスが過ぎるころには残り少なくなっているだろう。しかしその伝票の内容すべてをコンピュータに入れ終えるには、いまだ数十日が必要と思う。


朝飯 炒り豆腐、鮭の焼きほぐし、納豆、生玉子、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスのサラダパン其の一パン其の二トリッパの煮込み2種のワイン


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2023.12.12(火) 「私も身体は洗いません」

師走の散髪にはいつも頭を悩ませる。上澤梅太郎商店は昨年まで「ほぼ年中無休」で営業をしていた。よって閑散期はともかくとして、繁忙期には会社を抜け出しづらかった。師走には尚更のことだ。今年から月に1日の休みを設けることとした。店は休みでも、ほぼすべての社員が出てきて話し合いやすり合わせを行うため、僕もその一員として散髪は考えられない。

きのう今日はたまたま所用で東京に来ている。その機会を逃さず、岸田文夫首相の行きつけの床屋から銀座線で4駅離れた新橋の大衆床屋へ行く。朝の床屋は空いていた。

床屋にかかっている時間が勿体ないと、本田宗一郎は言ったという。その時代には無かった10分1,000円の床屋が今はあるから有り難いと語った人がいる。しかし1,000円床屋は髭の処理をしてくれないから、僕は使えない。

次はやはり銀座線で5駅を移動して神田スズキ皮膚科へ行く。太腿から足にかけての湿疹がいかようにもし難いのだ。今初夏に検索エンジンで見つけたこの皮膚科はこぢんまりとして清潔で、しかも効く。先生は診察をし、薬を処方し、風呂ではあまりからだを擦らないよう勧めた。もとより僕はからだを洗わない。それを伝えると「私も身体は洗いません」と先生は答えた。

昼すぎから夕刻にかけては築地にいる。以降は日比谷線で北千住まで移動し、小酌の後、下りの特急リバティに乗る。


朝飯 「丸豊」の2種のおむすび
昼飯 「まい泉」の「ごちそう海苔弁当」
晩飯 「加賀屋北千住店」のあれやこれやそれや他あれこれ、チューハイ、それを濃くするためのナカ


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2023.12.11(月) 寒いというよりは

真夏は最高気温28℃の日光でも、最高気温36℃の東京でも、上半身は半袖のシャツ1枚だから、悩むことはない。問題は冬、である。12月もなかばに差しかかろうというのに、最高気温が16℃などと聞くと「冬の格好では行けないな」と思う。しかしその16℃に合わせると、駅から自宅までの帰り道に凍えることになる。

「夕方からは、いよいよ冬のコートが必要になるでしょう」などと気象予報士が東京の天気を伝えても、信じるわけにはいかない。東京の人の冬の服装は、僕からすれば、異様なほどの厚着である。

結局のところ素肌にイタリア製の木綿の下着、これは下着に見えないから重宝するわけだけれど、これを着て、それにNERDYのトラックトップを重ねた。つまり上半身は2枚。下半身は仕事着のズボンである。靴も気軽さに負けて普段のジャングルモックを履く。そして下今市駅まで歩き、7時45分発の上り特急に乗る。

上半身は2枚、とはいえIKEAのトートバッグにはモンベルの薄いダウンベストを納めていた。夜はトラックジャケットの下にこれを着て築地の場外へ行く。外気は適度な湿気を帯びて、寒いというよりは涼しかった。


朝飯 4種のおむすび、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、若布と長葱の味噌汁
昼飯 “ESPERANCE RESTAURANT”のサンドイッチ、スープ
晩飯 「多け乃」の小鰭の酢締め生牡蠣胡瓜と蕪のぬか漬けメバルの煮付け「北川本家」の「富翁上撰赤牡丹」(燗)


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2023.12.10(日) 南天

「いつまで紅葉もいかがなものか」と考えつつも、秋のあいだ店に飾り続けたその造花を、僕は師走に入ってもそのままにしていた。それをきのう遂に、家内が片づけた。事務室の裏手に下げられたそれは、僕が今朝、2階の倉庫へ運んだ。2階の倉庫は日にひとりかふたりくらいしか人の出入りの無いところだから、埃をかぶる心配はない。

それにしても暖かい。午前、ホンダフィットの車載の外気温計は20℃を示した。誤差はあるにしても、12月の気温とは思われない。夏ならともかく冬に汗をかくことはとても苦手なことだから、Patagoniaのフリースのセーターを脱ぎ、しばらくは長袖のシャツ1枚で仕事に当たる。

9月なかばから店に置かれ始めた益子の大壺は、70年ほど前の「たまり漬」の黎明期に、おじいちゃんが漬け込みに使っていたものだ。ありふれたものではあるけれど、胴に垂れる白い釉の淡い感じは、今ではなかなか見られないように思う。

その大壺には、先日オダニ建具店のおかあさんからいただいた南天が投げ入れられている。「南天は難を転ずる」とは、オフクロがよく口にしていたことだ。南天は年末を越えて、新しい年まで保つだろう。


朝飯 ホウレンソウのソテー、ベーコンエッグ、炒り豆腐、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と長葱の味噌汁、いちご
昼飯 にゅうめん
晩飯 トマトとブロッコリーのサラダ人参とじゃがいもとエリンギのソテーを添えたビーフステーキCROS DU MARQUIS 1986エクレア「久埜」のどら焼き、Old Parr(生)


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2023.12.9(土) 2回で終了

このところ暁を覚えることができないと、4日前の日記に書いた。今朝は、目を覚ましてしばらくしてから充電中のiPhoneを床から拾い上げ、ディスプレイを見ると3時34分。即、起床する。

食堂の灯りを点けると時刻は3時39分。仏壇のお供えを済ませて後にコンピュータを起動する。iPhoneの画像をコンピュータに吸い上げ、そのiPhoneでコンピュータをインターネットに繋ぎ、更にはそのiPhoneをふたたび壁のコンセントで充電状態にする。

ライトニングケーブルは寝室の長いものものも食堂の短いもののANKERの製品である。長い方は昨年「ふじのくに旅行割引き&地域クーポン」を利用して、伊東駅前のセブンイレブンで手に入れた。僕が全国旅行支援の特典を使ったのは計4回。最後のそれは今年のはじめ、所属する団体の鬼怒川での一泊に利用したと記憶をしている。

紅葉狩りの観光客が去って以降、昨年より静かな日々が続いている。それは、旅行支援をいまだに続けている都道府県がめっきり減ったことが影響しているのかも知れない。

閉店後は3台のキャッシュレジスターを手早く締める。そして終業の10分前に、町内役員の忘年会場へと向かう。僕が関わる忘年会は、今週月曜日のそれと今日のこれの2回にて終了の予定である。


朝飯 炒り豆腐、スクランブルドエッグ、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、根菜類と鶏肉の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 「やまだ宴楽」のあれやこれやそれや、他あれこれ、麦焼酎「一番札特撰」(お湯割り)


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2023.12.8(金) 慣性

9月13日に改装した店舗の、書籍はこれまで2度の追加発注をしたものの、その在庫も随分と減ってきた。3度目の注文は昨月にした。しかしその数十冊はいまだ届いていない。本は注文をしてから届くまでに結構な時間がかかるということを、僕ははじめて知った。

在庫といえば、これまた新たに置くようになった生活工芸というか雑貨のそれも減ってきて、いくつかの販売台は寂しくなっている。こちらの方は、数日以内にはまた賑やかになる予定である。

慣性とは物理の上にのみ存在することではない。人にも慣性はある。過去から現在までの状態を、以降も維持させようとする癖がそれだ。慣れ親しんだものごとが変わると人は違和感を覚え、時には拒否しようとする。今般の改装においても、その拒否感がお客様にあらわれることを心配した。しかしそれはどうやら杞憂に終わったようだ。ただしそれが良いことなのか、そうでもないことなのかは分からない。

夕刻、閉店の前に、書籍の棚の模様替えをすこしする。


朝飯 菠薐草のおひたし、トマトのスクランブルドエッグ、納豆、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 “Finbec Naoto”の其の一其の二其の三其の四其の五其の六其の七其の八其の九ブルゴーニュの高くない赤ワイン其の十其の十一


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2023.12.7(木) 絵を観ている時間

所用により宇都宮地方合同庁舎へ行く。およそ30kmの移動には余裕を含めて60分をみた。Googleマップは僕の予想に反して環状線を使う遠回りの経路を示したものの、実際には35分で着いた。現地での諸々には2時間が予定されていた。しかしこれまた実際にはその半分で完了した。帰りはGoogleマップは使わず、滝谷町の交差点から桜通りに入った。

その桜通りの十文字を過ぎると「北斎と文晁」という文字が左手に見えた。栃木県立美術館の催しだろう。思わずブレーキペダルを踏み、左にハンドルを切ろうとして、それを思いとどまる。今日の僕に、絵を観ている時間のあろうはずもない。

15時がちかくなるころ荷作り場へ行くと、本来の仕事から駆り出されたらしい研究開発係のマキシマアキコさんがいた。作業台の上は片付きつつあったから、出荷すべき荷物が少ないのかと心配になった。訊けば今日の荷作りは、朝から取りかかって午後の早い時間にほぼすべてを終えたとのことだった。

事務係の残業は、きのうより早い19時に切り上げられた。師走の繁忙は今が胸突き八丁だろう。南アルプスの八丁坂とおなじく、登っている最中には、足元しか見えない坂である。


朝飯 オムレツ、菠薐草のソテー、納豆、壬生菜の塩漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 春雨サラダ焼き餃子「紅星」の「二鍋頭酒」(生)大学芋「與兵衛桃林堂」の薯蕷饅頭、Old Parr(生)


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2023.12.6(水) 意味は不明ながら

会社の通帳のうちの1冊が最終行まで印字されたため、新しい通帳に繰り越した。使い終えた方は会社に戻るなり専用の箱に納めた。その際、輪ゴムで留めた古い通帳を整頓すると、底の方から僕個人の古い通帳が出てきた。

今はなき富士銀行本郷支店のそれを開くと昭和57年、と書いても僕は元号では時代を思い出せないから西暦に直せば1982年1月8日に52万2千円の定期預金をしていた。年利は今昔の感のある5.50パーセントだった。

当時のパスポートを開いてみればその翌日、つまり1982年1月9日に僕は成田空港からバンコクのドンムアン空港へ飛んでいた。定期預金は、しばらく日本を留守にする故のものだったのだろう。

おなじ通帳の普通預金のページには、半年後の1982年7月8日に14,355円の利息が記されている。それは当然のことながら、522,000×0.055÷2に符合する。僕はその定期預金を継続した。年利は5.00パーセントに落ちていた。1983年1月8日に入った利息は13,050円。その数字はもちろん522,000×0.050÷2と一致する。

ところでその通帳を遡ると、1981年12月21日に「ガイタメ」として335,465円が引き落とされている。ちなみにその日、その金額でどれほどの米ドルが買えたのかの記録は残っていない。

1982年1月9日に手にしていた航空券は、成田からバンコクまでの片道のみだった。バンコクから先のことは、バンコクで決めることとしていた。33万5千円とは今でも少なくない金額だが、当時の航空券は安くなかったのだ。バンコクからは更に南を目指した。

19時35分まで事務室にいて4階へ戻ると、皆は夕食をほぼ終えていた。そのテーブルをひとり離れて孫のリコが近づいてくる。そして両手で僕の両手を取るや、その直後には両脚で僕の身体を蟹ばさみし、猿のように昇り始めた。そして僕の上半身まで達すると、今度は自分の胸を僕の胸にピッタリと貼りつけて止まった。意味は不明ながら、悪い気はしない。


朝飯 たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、けんちん汁とポトフの具による味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 レタスとベビーリーフのサラダビーフシチュー、Alpaca PREMIUM CABERNET SAUVIGNON 2022、自由学園のクッキーChablis Billaud Simon 2018


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上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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