2022.3.24(木) 安全余裕
日記は原則として一昨日のものを、早朝に公開することにしている。今朝は目を覚ますなり文章を思いつき、1、2分のうちに頭の中でまとめた。それを起きてから、きのうつまり3月23日の日記として書いて保存した。それからおもむろに、きのうのうちに書けていた一昨日の日記を公開した。この時点で日記の在庫は5日分。多少の増減はあるものの、在庫がゼロになることは珍しい。
在庫は、それが不良在庫になる前に使うことが肝要なことは言うまでもない。5日分のうち特に特定の1日分は、今月のうちに公開しようと考えている。
仕事中は仕事用の帽子をかぶる。いまだ寒いうちは、外出時にも私用の帽子をかぶる。つまり現在は、自宅にいるとき以外は頭を露出をしていない。更にマスクもしているから、人に見られるのは目と耳くらいのものである。いきおい床屋へ行く回数は減る。しかしいつまで伸び放題、というわけにもいかない。そういう次第にて、きのうの夕刻、昨年の正月から通うようになった「スティング」へ電話をして、今朝の9時30分に予約を入れた。
数十年も行きつけだったカトー床屋のオヤジさんが引退して以降、あるいは引退をする前から、タイでは「2番」のバリカンで髪も髭も丸刈りにしてもらい、東京の大衆床屋では、4ミリのバリカンでおなじく丸刈りにしてもらっていた。しかし昨年からはその4ミリを3ミリにした。1ミリ分だけでも長く保たせようという魂胆である。
と、ここまで書いたのが3月24日の朝食前。というわけで、日記の在庫は限りなく6日分に近づいた。この場合の在庫は”buffer”あるいは「安全余裕」と言い換えても良いかも知れない。
朝飯 独活のきんぴら、納豆、豆腐干絲と青葱の油和え、菠薐草のおひたし、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、沢庵、メシ、豆腐と若布と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 チーズ、ブロッコリーのニンニク焼き、鶏とコンニャクの炊き合わせ、いぶりがっこ、クリームコーンスープ、ポテトとレタスとゆで玉子のサラダ、「ポポラマーマ」の生スパゲティラタトゥイユソース、TIO PEPE、「御門屋」の揚げまんじゅう、Old Parr(生)
2022.3.23(水) サーランギ
毎年5月になると、かならず南方へ出かける人がいた。特に苦手とする花粉が5月に飛ぶ、それを避けるための旅とのことだった。
僕は、子どものころは湿疹と運動性喘息に悩まされた。走ると気管支の狭まった感じがして苦しくなる。そのことを僕は親にも言わなかった。誰でもそうなると思い込んでいたからだ。湿疹について、当時かかっていた医者は「やくざな肌だね」とか「何とかならんもんかね」とか「大人になったら治る」と言うばかりで、大して頼りにならなかった。
そういうアレルギー体質の僕ではあるけれど、花粉症にだけはならなくて、それが自慢だった。しかし2000年4月のことと記憶するけれど、ある風の強い日に杉林の中にいて、一瞬で花粉症になった。生まれてこのかた風邪ひとつひいたことのなかった人が、ある極寒の日に薄着で外に立っていたら肺炎になった、というようなことなのだろうか。
僕の花粉症は幸いなことに、日に幾度か目薬を差せば済むほどの軽いものだ。ただ、目を覚ませばただちに今日の天気を当てられる、くらいの敏感さはある。違和感が強ければ晴れ、それほどでもなければ雨で、大抵は外れない。
サーランギという、バイオリンの原型のような楽器がネパールにある。これを弾くのは、若いころの髙橋竹山や瞽女のような門付けの芸人である。カトマンドゥの郊外で農道を歩いていると、このサーランギの音が向こうの土手から聞こえてきたものだ。
ネパールで谷を渡るのはサーランギの音色でも、いまの日本で山や谷を越えるのは花粉の黄色い雲である。早く夏にならねぇかな、と思う。
朝飯 菠薐草のおひたし、蒲鉾の網焼き、独活のきんぴら、スペイン風目玉焼き、ひじきと人参と揚げ湯波の炒り煮、沢庵、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、シメジと椎茸と白菜の味噌汁
晩飯 豆腐干絲と青葱の油和え、チーズ、いぶりがっこ、TIO PEPE、4種の野菜を添えたコロッケ、Chablis Billaud Simon 2015、「御門屋」の揚げまんじゅう、Old Parr(生)
2022.3.22(火) 或る童話
朝礼は、最初は7時55分から始められたように記憶をしている。しかし徐々に早くなって、現在は、その2分ほど前には、みな指定の場所に集まっている。朝礼を終えると僕はすぐに水拭き用のタオルを手提げに入れて道の駅「日光街道ニコニコ本陣」へ向かう。今朝はいつもの掃除に加えて納品もある。
道の駅の開店は9時だから、掃除と納品はそれまでに済ませればよい。時間を見計らって出かければ、そこから直に、開店直後の銀行に回れる。しかしせっかちな性格が、その合理的な行動を阻む。道の駅へは8時すぎに出かけ、銀行へは9時を過ぎてから、今度は徒歩で出かけた。早朝からの雪は一時、雨に変わった。しかしまた雪になり、今は積もりつつある。五輪真弓の「冬ざれた街」の聞こえてきそうな風景である。
14時30分、雪の一つ一つが大きく、まばらになり始める。15時過ぎよりNTTの営業係サトーさんと、ビジネスフォンの主装置について商談をする。サトーさんを見送るため外へ出ると、雪はいつの間にか上がっていた。
いまだ降っているとばかり思っていたものが知らないうちに止んでいる、それに気づいたときの気分には、名状しがたい感興がある。ある童話を読み終えたときの気持ちに、それは似ているような気もする。何という題名の童話だったかは思い出せない。
朝飯 茄子とピーマンとパプリカの味噌炒り、グリーンアスパラガスのソテーを添えた目玉焼き、納豆、独活のきんぴら、胡瓜と蕪のぬか漬け、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 「やぶ定」の海老天ぷら蕎麦
晩飯 鶏とコンニャクの甘辛煮、めかぶの酢の物、蒲鉾の網焼き、刺身湯波、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、豚肉と白菜と厚揚げ豆腐の鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)、「翠園」の杏仁豆腐、Old Parr(生)
2022.3.21(月) 不思議なことも
「汁飯香の店 隠居うわさわ」の朝一番、8時30分に予約をいただいていた7名様が、時間どおりに来店をされた。お車をお停めになったのは上澤梅太郎商店の駐車場だったため、そこから隠居までは僕がご案内をした。
片手でノレンを持ち上げ、開いた三角形の隙間を、お客様にくぐっていただく。皆様が石の橋をお渡りになったあたりで僕が先頭に出る。飛び石を踏んで右へ左へ。そして玄関の戸を引く。すると正面の個室には、おなじ時間にご予約くださった別のおふたり様が、既にしておくつろぎになっていた。
玄関を上がってすぐの6畳間は帳場で、庭に面した座敷にくらべると「陰影礼賛」のような薄暗さだ。この部屋の長押には、営業許可証と食品衛生責任者の札が掲げてある。営業許可証は長押と壁の溝に嵌まっている。しかし食品衛生責任者のプレートは、長押の幅1センチほどの上縁に「触れなば落ちん」という風情で立てかけられただけだ。
先週水曜日の夜の地震により、鉄筋コンクリート造りの製造現場ではLEDの照明1本が天井から垂れ下がり、4階では花瓶が倒れ、仏壇の位牌と高台が落ちた。しかし築推定150年の隠居では、長押に立てかけられたプレートが微動だにしていない。
「不思議なこともあるものだ」と、思う。
朝飯 ひじきと人参と揚げ湯波の炒り煮、はんぺんの網焼き、焼き鮭、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、沢庵、メシ、トマトと若布と長葱の味噌汁
昼飯 「ふじや」の雷ラーメン
晩飯 “FLYING GARDEN”のマッシュルームのサラダ、ハンバーグドリア、カラフの赤ワイン
2022.3.20(日) 啓蟄から15日
1年のあいだには、いくつかの区切りがある。大晦日から元日にかけては、もっとも大きな区切りだろうか。役所や学校においては、3月31日から4月1日にかけてが、年末年始より大きな区切りになるかも知れない。個人としては、春の彼岸は無視できない区切りである。年明け以降の雌伏から、諸事がむくりと首をもたげる、その節目、という意識が強い。
土曜日からの3日間は、社員が企画した「花のおたよりべんとう」を店にお出ししている。ご予約の他、当日ご来店のお客様にもお買い上げをいただき、きのうは完売をした。そして今日もまた完売の評価をいただいた。さて明日は、どうなるだろう。
きのうの夕刻には「汁飯香の店 隠居うわさわ」への、本日のご予約が相次いだ。そのころ席は既にして全時間において埋まっていたから、それらのお客様は残念ながら、すべてお断りせざるを得なかった。啓蟄から15日が経っている。隠居の座敷から間近に望まれる白梅は、月末には見ごろになるだろう。
朝飯 ハムとキャベツとポテトのサラダ、ひじきと人参と揚げ湯波の炒り煮、納豆、めかぶの酢の物、沢庵、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、若布と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 蒲鉾、いぶりがっこ、TIO PEPE、胡瓜とトマトのサラダ、大根の味噌汁、焼売、肉まん、花豆、春子漬け、らっきょうのたまり漬、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2022.3.19(土) リブレット
「女房が後ろを向いているあいだが勝負。その一瞬の隙を突いて、コレで仕事をするわけです」と、むかし電子会議室に書いた人がいる。「コレ」とは東芝が1996年に発表した極小コンピュータ”Libretto 20″だった。そのころ”ThinkPad 530″を使っていた僕は「それは流石に無理でしょ」と感じた。”Libretto 20″は画期的なWindows機ではあったものの、いかにも小さすぎて操作性が悪かった。その人の発言も、9割方は冗談だったように思う。
活字中毒でありながら、僕は本は、ほとんど家の外でしか読まない。読む機会が少ないにもかかわらず、本は次から次へと買う。それでは糞詰まりである。今朝は2日分以上の日記を書いて、いまだ時間は5時台だった。前述の人が「女房が後ろを向いているあいだが勝負」なら、僕は「家内が起きてくるまでが勝負」だ。
2月2日から読み始めていまだ読み終えない「三島由紀夫紀行文集」を、本棚から食堂に持ち来て開く。後々調べ直したいページを折りながら読み進むうち、残りのページは呆気なく尽きて「解説」に至った。しかしてこの佐藤秀明による解説が29ページもある。「ウンザリか」と問われれば、とんでもない、大いに得をした気分である。
今朝のうちに読み終えることのできなかった解説は、明日の朝から、また読もうと思う。
朝飯 ハムとキャベツとポテトのサラダ、焼き鮭、納豆、ひじきと人参と揚げ湯波の炒り煮、沢庵、ごぼうのたまり漬、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、メシ、きのうのキムチ鍋の残りを具にした味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 いぶりがっこ、TIO PEPE、キウイと苺とベビーリーフのサラダ、浅蜊と蛍烏賊と菜花のスパゲティ、Chablis Billaud Simon 2015、チーズパン、TIO PEPE
2022.3.18(金) 春彼岸
朝食前に家内と如来寺のお墓へ行く。氷雨とばかり思っていたが、降っているのはミゾレだった。
「寒さは必ずぶりかえす。隠居の暖房絨毯は、梅雨が明けるまで片付けるべきでない」と、数日前に長男が言っていた。僕はダウンベストから毛糸の帽子にいたるまで、すべて洗濯屋に出してしまった。考えてみれば、おととしは桜の花に雪が積もったのだ。
妹が病没した1972年に新しくしたお墓、また昨年に亡くなった叔父のお墓に線香と花を供える。いずれミゾレであれば、墓石を布で拭くまではしなかった。
9時を過ぎたところで花も売るテーラーシマダヤへ行く。そして叔母が頼んであった9対の花を受け取る。それを持ってふたたび如来寺のお墓へ行く。先ずは1972年以前のお墓のうち花立てを持つ7基にそれぞれ1対ずつ花を供える。今朝、お参りしたばかりのふたつのお墓にも1対ずつ花を供える。ミゾレは有り難いことに、こぬか雨に変わっていた。
お彼岸の連休に遊べる人は、どんどん日光へ来てください。僕のお彼岸は、墓参りと仕事である。
朝飯 目玉焼き、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、納豆、ひじきと人参と揚げ湯波の炒り煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツと若布の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 めかぶの酢の物、ステーキソースで食べる鰹の刺身、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、キムチ鍋、麦焼酎「こいむぎやわらか」(お湯割り)
2022.3.17(木) ガーベラ
きのうの夜の地震は強くて長かった。目を覚まして布団の中で収束を待つものの、揺れはいつまでも止まない。寝室から廊下に出る引き戸は揺れの最中だから、いつものように軽くは開かない。応接間では、飾り戸棚の一輪挿しが倒れたため、横にしたまま床に落ちない場所に置き直した。仏壇の中で、気になる音がする。ようよう揺れの落ち着いたところで扉を開けば、菓子を載せた高台1客と位牌1基が落ちていた。
2月24日に引き続いて、今日は隠居で2度目の撮影がある。写真は5月の設定だから床の間の「筑後途上五絶」は朝のうちに外して今井アレクサンドルの「ガーベラ」に掛けかえる。この、50号のキャンバスに描かれた絵は2011年3月、東日本大震災の見舞いとして今井が僕にくれたものだ。
きのうの地震により製造現場では、天井から照明が1台、外れて垂れ下がった。その照明を取り付けた業者に連絡をすると、30キロの道のりを数十分で駆けつけてくれた。隠居での撮影は、僕が見に行く前に首尾良く終わった。
銀行まわりなどが一段落した16時に隠居へ行く。そして「ガーベラ」を外して「筑後途上五絶」をふたたび掛ける。木造の古い家は、地震に強いところがある。隠居の食器や調度は何ひとつ落ちず、ずれてもいなかった。
朝飯 温泉玉子、ひじきと人参と揚げ湯波の炒り煮、納豆、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と菠薐草の味噌汁
昼飯 うどん
晩飯 胡瓜とセロリとレタスとルッコラのサラダ、2種のトースト、鶏とリガトーニのグラタン、Chablis Billaud Simon 2015
2022.3.16(水) 無味の味
数ヶ月先の、ある日の日記を書きつつ「無味の味」と検索エンジンに入れてみた。すると昭和6年の日付のある、魯山人の文章が出てきた。それによれば「無味の味」の海における究極はふぐであり、山におけるそれはわらびであると、あった。
僕は魯山人の言う「徳島、下関、出雲あたり」の人ではないから、ふぐを常に食べる習慣は持たない。わらびは、これを好むうちマメな人は自ら山で採り、茹で、灰汁を抜く。僕はそれを予期せずいただいて賞味する。今年、その機会は訪れるだろうか。ちなみに魯山人は、わらびは酢醤油で食べるという。僕なら酢と「日光味噌のたまり浅漬けの素・朝露」を合わせて使うだろう。「朝露」は浅漬けの素ではあるけれど、味の淡いものに差しても、また佳、なのだ。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」という言葉がある。ところが僕にはパンのみにて生きているようなところがある。「今夜あたり、鮪を朝露で漬けたやつが食いてぇな」と思う。
朝飯 鶏とコンニャクの炊き合わせ、揚げ湯波と小松菜の炊き合わせ、蓮根のきんぴら、納豆、切り昆布の炒り煮、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、豆腐と長葱の味噌汁
昼飯 ラーメン
晩飯 揚げ湯波とひじきと人参の炒り煮、鮪の「朝露」漬け、うずら豆、雲呑、「栗林酒造店」の「春霞純米吟醸」(冷や)
2022.3.15(火) 健康診断
歯医者では口の中で道路工事まがいのことをされても平気だ。伊豆の治療院での、拷問のような治療にも絶えられる。鼻から入れる細いスコープが開発される以前の、喉から入れる胃カメラも苦にしなかった。ただ、血管注射だけが怖い。その怖さは、不気味さと言い換えるべきかも知れない。皮膚を透かして青黒く見えている血管に針を刺される、その不気味さは、たとえば蛙の活き作りがあったとして、そのいまだピクピクと動いている内臓を生で食えと無理強いされる気持ちに近い。
会社の健康診断は、総勢10名の医療関係者を社内に迎え、8時より始まった。視力、聴力、心電図。身長、体重、レントゲン。自分の問診票を手に、あちらこちらを巡る。そして最後に回したのが採血である。
血管注射を恐れる気持ちのあることを伝えると「でしたら細い針にしますね」と係の女の人は言ってくれたけ。その心遣いは有り難いものの、血管に針を刺される事実は変わらない。しかし今日の人は上手かった。文章が長くなるから細かくは書かないが、日進月歩する採血用の器具も、不気味さの軽減には大いに役立っている。
ところで9年ほど前より漸減を続けている体重は、昨年からまた2キロ減った。2キロも減れば漸減でもないと、この日記を検索してみた。どうやら昨年はすこし太ったらしく、そこからまた元に戻っただけのようだ。BMIは19.58で、適正体重より7キロ少ない。加齢と共に太る人もいるけれど、僕のような例も、またあるのだ。
午後、琴平山の手前の空を、雲のようにかたまった花粉が風に運ばれていくところを目撃する。視線を南に転ずれば、例幣使街道の杉並木が大量の花粉を吹きだしている。花粉の季節は、5月のなかばごろまでは続くらしい。
昼飯 「ふじや」の広東麺
晩飯 人参と夏みかんのサラダ、トマトと玉葱のサラダ、TIO PEPE、エリンギと菠薐草のソテーと自家製のソースを添えた2種のビーフステーキ、チーズ、そのチーズを塗ったトースト、Nuits Saint Georges Les Hauts Poirets Machard de Gramont 1983