2025.4.18 (金) 伊豆治療紀行(35回目の2日目)
今いるホテルは、伊豆高原の駅にシャトルバスを走らせている。整体院へは徒歩5分の距離にあるため、タクシーやレンタカーの必要は無い。食事は特に朝食が美味く、価格は繁忙期を除いては、僕の経済観念に照らして法外でもない。よってこれまでに9回ほどは使っただろうか。
しかし「伊豆高原痛みの専門整体院」は今月末から診療を休み、来月末に、おなじ伊東市内の別の場所に移る。理由は、1957年生まれの先生ができるだけ長く仕事を続けることを目指し、生活に便利な場所に職住を一致をさせるためという。
引っ越し先の最寄り駅は川奈とのことにて、とすればここしばらくは重宝をしていたホテルにも、今後は足が遠のくだろう。そう考えて、今朝は溜まったポイントすべてを請求金額から差し引いてもらった。
診察台にうつぶせになった僕の背中に触れつつ「きのうより固くなってるよ」と先生が言う。理由は不明。患部の状態が悪いほど痛みを感じさせる電子ペンの先端は、しかし僕にそれほどの苦痛は与えなかった。実のところ、身体の具合が悪くなることよりも、電子ペンによる痛みの方が怖いのだ。
城ヶ崎海岸の駅までは1,100メートルの急坂を徒歩で下る。熱海での、新幹線への乗り換え時間は「乗り換え案内」では短すぎて案内をしてくれない僅々4分。品川から山手線で原宿。「GR Anthology -16の視点-」の開かれている”GR SPACE TOKYO”に一歩を踏み入れた瞬間「いかにもGRっぽい写真」と感じてその4枚に近づけば、それは藤原新也の作品だった。「印度放浪」から半世紀以上も経ながらいまだ健在とは、驚くばかりだ。
それにしても、原宿は表通りも裏通りも外国人だらけだ。その数は日本人より多いのではないか。未知のうどん屋には昼どきをかなり過ぎているにもかかわらず、外国人を含む長い行列があった。
表参道から地下鉄の構内への階段を降りようとしながら「JRの駅は、ここか」と、僕の先を行く中国人の数名がいたため「JRはあっちだよ」と、明治神宮の方を指して教える。JRの「アール」の発音は、僕より中国人の方がよほど優れている。
明治神宮前から乗った千代田線を新御茶ノ水で降りる。そして聖橋を渡り、湯島側のたもとから石の階段を降りる。電車から降りるは、英語では”GET OUT”。階段を降りるは、英語では”GET DOWN”。日本語では、どちらも「降りる」。ひとつの単語が複数の意味を持つ言語は、覚えるには易しくても、耳で聞いて理解をするには難しい、という気がする。
今月2日の日記に書いた漢詩の勉強について、湯島聖堂内の斯文会館にて今年のカリキュラムを受け取る。今年度の授業は既にして4月のそれが終わってしまっているため、受講は来春からと決める。さてそれまで「漢詩の勉強をしたい」という僕の気持ちは変わらないだろうか。
ふたたび聖橋を渡って聖坂を下る。坂下からは靖国通りを東へ辿り、あれこれを肴にして冷や酒を徳利で3本ほども飲む。
それから2時間の後、北千住の東武線プラットフォームに降りながら、18:13発の下り特急の入ってくるのが見える。しかし特急券は確保していず、プラットフォームに設けられた改札口も抜けていないから、この「きぬ141号」には間に合わない。券売機に近づけば、幸い20分後に18:33発の「リバティけごん43号」があって、その特急券を買う。
そうして改札を受け、プラットフォームの待合室で待つうち眠りに落ち、目を覚まして時計を見れば18時40分。つまり18:33発には乗り遅れで特急料金の1,650円はパー。先月14日に引き続いての失態である。その場でスマートフォンを取り出し「トブチケ!」にて19:33発の「リバティけごん47号」の席を確保する。
栃木駅からは眠らないことに力を注いで下今市には21時04分の着。徒歩にて帰宅を果たす。
朝飯 「ホテル亀の井伊豆高原」の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 「まつや」のかまぼこ、葉わさび、鰹の酒盗、焼き鳥(塩)、盛り蕎麦、日本酒(冷や)