2025.3.5 (水) タイ日記(9日目)
目は覚めているものの、起きて日記を書く気にはならない。そろそろ旅の疲れが出てきた、ということでもないだろう。ほとんどプールサイドで本を読むしかしていないのだ。
きのう8時ころの朝食会場は、とても混み合っていた。よって今日は8時30分にロビーからレストランへの階段を降りる。南の国で飲み食いをするとき、屋内と屋外に席があれば、僕は必ず屋外で摂る。いま自分は南の国にいる、ということをできるだけ感じたいのだ。
朝食から戻って先ずは会社の、お金の入ってくる銀行口座からお金の出ていく銀行口座に資金を移す。それからおもむろに、既にして完成しているおとといの日記を公開し、きのうの日記に取りかかる。すべてをし終えると11時が過ぎていた。
プールサイドの寝椅子に仰向けになれば、頭上からは鳥の声、脇を流れるコック川からは、上り下りのモーターボートの音が聞こえてくる。「続百代の過客」の上編を読むうち、気温はますます上がる。目映いコンクリートの上をプールサイドバーまで歩き、冷たいものを注文して寝椅子に戻る。レッドチェリーを口にするのは何年ぶりのことだろう。よほどの超弩級でない限り、名所旧跡景勝地の見物は時間がもったいなくてできない。僕にとってもっとも有効な時間の使い方は、なにもしないことに他ならない。
寝椅子のパラソルでは遮れないところまで太陽が動いてきたら、ランナー風のあずまやに移動をして、ここでまた本を読み続ける。笹森儀助による「南島探検」の石垣島の部分を良い調子で読みながら「あれっ」と感じて確かめると、現在の218ページの次のページは既にして読んだ203ページだった。「乱丁か」と忌々しく感じつつ先へとページを繰ってみれば、204ページから218ページまで進んだ次はいきなり235ページで、乱丁に加えて219ページから234ページまでが落丁している。その失われている部分は森鴎外の「航西日記」で、だから続くおなじ鴎外による「独逸日記」は、後先を考えれば、これをいま読むわけにはいかない。仕方なくその先の、夏目漱石による「漱石日記」へと進む。そして15時にあずまやを去る。
ホテルからマッサージ屋”PAI”までの道のりは、およそ2.4キロメートル。30分あればたどり着けるだろうと、15時30分に部屋を出る。例のごとくロビーから数百メートルほども庭を歩いて外へ出る。崖下の大きく曲がった道を歩きつつ、ときおり後ろを振り返る。すると遠くからトゥクトゥクの近づいてくるのが見えた。どうやら客は乗せていないらしい。
僕の脇で駐まったトゥクトゥクは、かなりの古さ、かなりの傷み具合だった。「ナイトバザールのちかくまで」と伝えて返ってきた運転手の返事は60バーツで、これは2013年ころの相場である。車体の古さを気にしての、弱気な言い値だったのだろうか。
“PAI”のガラス扉にはタイ語の張り紙があった。僕はタイ語は読めない。しかしそこに”6″の数字があるところからすれば「本日の営業は18時から」ということなのだろうか。仕方なく僕の感覚からすれば二線級の”CHAMONPOND”まで引き返し、1時間のフットマッサージを受ける。料金は200バーツ、オバサンには50バーツのチップ。
きのうに引き続いて、ツバメの群れ飛ぶ下を歩いてジェットヨット通りに出る。そして小体な洋食屋の外の席に着く。料理は英語では”Chiken Parmidiana”、中国語では「芝士炸鸡排」とメニュにあるもの、またワインは白と赤とがそれぞれ1種類ずつしか無かったから、オーストラリア産のシャルドネをボトルで注文する。
やがて届いたそれは、鶏のフライの上にトマトソースとチーズを載せ、オーブンで焼いた典型的な洋食で、僕の舌を悦ばせた。次にこの街に来るときには、この店にもかならず足を運ぶことにしよう。
ふたたび目抜きのパフォンヨーティン通りに戻り、客待ちのトゥクトゥクに声をかける。ホテルまでの料金は100バーツ。部屋に戻ってシャワーを浴び、多分、19時台に就寝する。
朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一、其の二
晩飯 “surf & turf”のチキンパルミジャーナ、JACOB’S CREEK CHARDONNEY 1984