2025.3.4 (火) タイ日記(8日目)
「夜が明けると共に鳥の啼き始めるのは、日本でもタイでも変わらない」と、先週土曜日の日記に書いた。しかし今朝は4時30分に「ホーイッ、ホーイッ」という例の声を聞いた。いつか地元の人と一緒にいるときにこの声に気づいたら、鳥の名を訊いてみることにしよう。
それにしても今朝は疲れていて、これまでのように起きて日記を書く気がしない。空が明るくなり始めるころにようやくベッドを降りて、先ずは水、次は持参したインスタントのコンソメスープを飲む。
このホテルの庭で朝食を摂るのは2019年以来、6年ぶりのことだ。コック川の下流側には朝日が見え、鳥は啼き、8時から集中する客の数に対して人員が不足している以外は、言うことはない。部屋に戻ってしばしベッドで休憩。以降は部屋からの眺望を楽しみつつきのうの日記を書く。
プールサイドには11時すぎに降りた。そして寝椅子で本を読む。その上に広がるパラソルで太陽の直射を防げなくなってからは木造のあずまやに移動をして、ふたたび15時まで本を読む。対岸の一部が荒れ、倒木が水に浸かっているのは、昨秋の洪水によるものだろうか。
2017年までは街までの2キロメートル弱を苦にしなかった。それ以前は、往復の4キロメートル以上を平気でこなした。しかしこれが加齢というものだろうか、炎天下の歩行は、いまやまったくしたくない。しかし18時のシャトルバスを待つつもりもない。
意を決して帽子をかぶり、首には麻のタオルをマフラーのようにして外へ出る。ホテルの敷地から出て崖下の道を歩いているときに、向かい側からタクシーが来た。手を斜め下に差し出す合図をすると、窓を開けた運転手はUターンをしてくる旨を腕で示す。この街に流しのタクシーやトゥクトゥクはほとんど見ない。上手い具合に拾えたものだ。
この街にメータータクシーはいない。いや、いないかどうかは不明ながら、僕は遭遇したことがない。1980年代のバンコクのタクシーと同じく、料金はすべて相場、あるいは交渉によって決まる。マッサージ屋”PAI”までの料金は100バーツ。ふと思いついて、あさっての朝8時30分にホテルへ迎えに来るよう頼む。ちなみに運転手の名前はエー。電話番号も受け取った。
さてその”PAI”は今日は満員。よって2日目に訪ねた”CHAMONPOND”の扉を押す。足マッサージ1時間200バーツの料金は”PAI”と同じながら、タライのぬるま湯で足を洗ってくれる古風さ、また客質の点からも、できれば”PAI”を使いたい。今日、僕の右で足マッサージを受けていた男は終始、スマートフォンから中国語の音声を消さずに動画を見ていた。
“CHAMONPOND”からワンカムホテルの手前まで来て賑やかな声に空を見上げると、そこには大変な数のツバメが飛び交っていた。正に夏、そのものである。
サナムビーン通りでの飲酒喫飯を終えて、ふたたび盛り場に戻る。そしてきのうとおなじく、そこからすこし外れたところで客待ちをしていたトゥトゥクに声をかける。料金は100バーツ。
ホテルに戻ったのは19時ごろ。ロビーのエレベータ前にはドゥシット時代からのオジサンがいた。このオジサンは、お土産屋で売っているような少数民族の服を着て、ただエレベータの「開」スイッチを押すだけのためにここにいる。しかし僕はこのオジサンの姿を認めるとなぜか嬉しくなって、日に一度はチップとして20バーツを手渡す。AI時代に淘汰されないのは正に、このオジサンのような人ではないか。
部屋に戻ってシャワーを浴び、19時台に就寝する。
朝飯 “THE RIVERIE BY KATATHANI”の朝のブッフェ其の一、其の二、其の三
晩飯 「ジャルーンチャイ」のパッマクーワ、ムーグローブ、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)