2025.3.3 (月) タイ日記(7日目)
目を覚ましたのは1時30分のころ。いつも通りである。しかし今日ばかりはそのまま寝転がってTikTokを眺めたりしているわけにはいかない。早々と荷作りを始める。
ラオカーオはいまだ3本が残っている。その体積と重さを減ずるための空のペットボトルは家から500ccのもの1本、別途、往路のタイ航空機の中で支給されたミネラルウォーターの350ccのもの2本を、後生大事にクローゼットの上の、天井にちかい棚に置いておいた。それがなんと、きのう、部屋掃除のメイドに捨てられてしまった。
そういう次第にて、3本のラオカーオのうち2本は、きのうの夜から頑張って飲んだ部屋のミネラルウォーターの空きボトルに移した。しかし1本は、瓶のままスーツケースに収める。
04:38 IKEAのトートバッグにこの2日間の洗濯物を入れて部屋を出る。
04:45 ホテルから徒歩2分の”Neko wash & dry”で洗濯機の設定を完了。冷水による30分間の洗濯は、深夜料金にて30バーツ。きのうおとといより気温は明らかに高い。
05:14 ふたたびコインランドリーへ行く。洗濯機には「あと1分30秒」の表示が出ていた。それが止まるのを待って、洗濯物を備えつけのカゴで乾燥機まで運ぶ。乾燥機の料金は昼とおなじ50バーツ。
05:52 みたびコインランドリーへ行き、既にして止まっている乾燥機から洗濯物を取り出して、ホテルに戻る。
06:25 とりあえずの荷作りを完了する。洗い上がったばかりのTシャツ2枚は生乾きながら、仕方がない。
07:30 朝食会場に降りる。プールサイドの景色を楽しむため、ロビーや食堂のある1階と部屋のある2階との行き来は、エレベータではなしに、かならず階段を使う。
気温の上がる10時にプールサイドに降りて「続百体の過客」の上巻を読む。時代は江戸の最後期から明治の初期に入り、きのうまでとは異なって、ページの捗ること疾風の如くだ。理由は、ドナルド・キーンの採り上げるいにしえの人の紀行文が、国内から国外へと場所を移したことによる。
活字を追えば時を忘れるから、iPhoneのアラームを11時30分に設定しておいた。それが鳴ると同時に寝椅子から降り、バスタオルを指定のカゴに入れて、部屋に戻る。シャワーを浴びて服を着て、サンダルはスーツケースに納めたから靴下と革靴を履く。11時50分にチェックアウト。正午に予約したタクシーは11時59分に、ロビーの玄関に横付けをされた。
2009年からたびたび使っている、以前はドゥシットアイランドリゾート、現在はザリバリーバイカタタニと名を変えた川沿いのホテルには十数分後に着いた。タクシーの料金は200バーツ。運転手には40バーツのチップ。
僕がここに直近に泊まったのは、コロナ前の2019年9月。ホテルの名は既にしてザリバリーバイカタタニになっていた。その内装の近代的になったこと、またプールサイドの充実振りには特に目を見張った。しかし人はとかく変化を嫌う。「良くなくなった」という声も聞かないではないけれど、僕はその意見には与しない。
部屋までスーツケースを運んでくれるベルボーイがあれこれと説明をしてくれるので「ここには何度も泊まっています」と伝える。「いちばん最初は2009年」と続けると「それではドゥシットの時代から」と問われたので「はい」と答える。ベルボーイには50バーツのチップ。
移動用のズボンを普段のものに穿き替え、革靴をサンダルに履き替える。そうしてこの街に入って3日目に調べておいたちかくの食堂を目指す。「ちかくの」とはいえ、ホテルの敷地を出るには、広大な庭を数百メートルほども歩く必要がある。食堂から戻ったらシャワー。朝は肌寒くても、日中の暑さは日本の盛夏と変わらない。
午後はプールサイドに降りて本を読む。そのうち日除けのパラソルだけでは太陽の直射を避けられなくなって、ランナー風のあずまやに逃げ込む。木製の椅子の座り心地は悪くなかった。なにより川風が心地よい。まったく極楽ではあるものの、旅の中日はとうに過ぎているのだ。
ところでこのホテルとナイトバザールのあいだ2キロメートル強を往復しているシャトルバスの時間は、ホテル発が17:00、18:00、20:00、21:00、22:00。ナイトバザール発は、各々の15分後だった。しかしチェックインのときに求めた現在の時刻表では、合理化なのだろう、17時の便が消えていた。仕方なく18:00発のそれに乗って街へ出る。片道の料金は60バーツ。
先ずは200メートルほどを歩いてマッサージの”PAI”へ。本を持参し忘れたのは痛かった。フットマッサージを1時間。オバサンには50バーツのチップ。車道から50センチメートルほども高い、ウィアンインホテル前の歩道を歩いてナイトバザールの入口まで戻る。時刻は19時20分。
これまでより2時間30分ほども遅い到着により、黄色い椅子とテーブルのフードコートは満席に近かった。ステージにも人がいて、僕が席に着いたときには、歌手がひとりギターを弾きつつフォークソングを歌っていた。彼が去った後は、聞き慣れているいつもの曲に合わせての、民族衣装を着た5名の女の人による踊りが始まる。ちかごろこの踊りを見ていなかったのは、僕の夕方の時間が以前にくらべて早くなったから、ということにようやく気づく。
食後はナイトバザールで社員へのお土産を買う。買い物は得意でないものの、布製品を売る店のオジサンは、2割ちかく安くしてくれた。おなじ品物が、首都の空港の制限区域内では”SPECIAL PRICE”などと札を付けられて、数倍の価格で売られているのだ。
盛り場を外れたところで客待ちをしていたトゥクトゥクのオジサンに声をかける。どれだけ吹きかけてくるだろうかと身構えていたものの、オジサンの言い値は2017年の秋とおなじ100バーツだった。勿論、地元の人は、それよりずっと安く使っているだろう。
部屋へ戻ってシャワーを浴び、以降のことはよく覚えていない。
朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「カオソーイタオゲーエック」のパッガパオムーカイダーオ
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)