2025.3.2 (日) タイ日記(6日目)
鳥の声に気づく。時刻は6時21分。「うかうかしている場合ではない」という気持ちになる。目を覚ましてから何杯目かの、しかし淹れたばかりの紅茶を慌ただしく飲む。半袖のTシャツ1枚では寒かろうと、木綿のセーターを首に巻く。そうして2階の廊下からプールサイドに続く階段を降りて外へ出る。
道のあちらこちらでは、人々の朝食のための屋台や露店が開店の準備に取りかかり、あるいは既にして商売を始めている。チェンライ病院をはじめとする病院群をひとまわりして戻ると30分が経っていた。
10時を過ぎたところでプールサイドに降りる。「百代の過客」が昨秋ほど捗らないのは、上巻にくらべて下巻が面白くない、ということではない。20時に寝れば夜中のうちに目を覚ます。以降はこの日記を書いたりして朝まで起きている。だからプールサイドでは本を腹の上に伏せたまま眠ってしまうことが度々あるのだ。
今日もそうして小一時間ほども眠る。子供の声が聞こえてくる。目を開けると隣の寝椅子には8歳と3歳ほどの白人の姉弟がいた。母親は「静かに話せ」といういうようなことを子供たちに言い続けている。僕は「気にすることはありません」と、その母親に顔と身振りで示す。
室町期から江戸後期までの日記や紀行文を集めた「百代の過客」の下巻は13時1分に読み終えた。それをしおにプールサイドから上がり、部屋に戻って外出の用意をととのえる。
自転車を借りて、先ずはきのうのフードコートへ行ってみる。南の国らしくその場所は開け放たれていたものの、日曜日だからだろう、すべての店は閉まっていた。そこできびすを返してパフォンヨーティン通りを北へ進み、途中で左に折れてジェットヨット通りに入る。そして行きつけの汁麺屋の脇に自転車を駐める。
タイ北部の麺料理「ナムニャオ」について、チェンライを幾度も訪ねている人たちのウェブ上の情報に「カオソーイポーチャイ」の名は無い。それは、この店のそれに丸い板状の納豆トナオヘンやニャオの花の芯が入っていない、つまり本格派ではないからではないか。それでも僕は、この店のナムニャオが好きだ。辛さに汗が噴き出す。価格は40バーツ。田舎の物価はまだまだ低い。
部屋を出る前に、チェンライに入ってからきのうまでに使ったお金を合計し、それを日数で割ったら700バーツ強だった。初日の両替で得た15,519バーツは、最終日まで保つだろう。そう考えたものの、汁麺屋の帰りに初日とおなじ両替屋”SUPER MONEY EXCHANGE”に寄る。換金率は初日より良い1万円あたり2,252バーツになっていた。部屋に戻ってバンコクの換金率を調べると、もっとも条件の良い店で1万円あたり2,265バーツだった。これくらいの差であれば「取りあえず使う分はチェンライで。首都で使う分はバンコクで」と、両替を二度に分ける必要は無いだろう。
午後は部屋で「百代の過客」の下巻に続く「続百代の過客」の上編を読み始め、16時がちかくなったところでロビーに降りる。そして自転車を借りてパフォンヨーティン通りを東へ進む。マッサージ屋の”PAI”ではいつものように足マッサージを1時間。オバサンには50バーツのチップ。
さてサナムビーン通りの食堂も、今日で3日連続となった。ウェブ上に見つけたメニュに「パッシーユー」つまり焼きそばがあったため、それを注文すると「ペッシーユー」とオニーチャンは訊き返した。「タイ人の発音だと、そうなるのか」と、首を縦に振った。ところが席に届いたそれは、アヒルの醤油煮をオーブンで炙ったものだった。「なるほどペッとはアヒルのことだったか」と得心をする。
それを平らげて次は烏賊の塩玉子炒め「プラムックパッカイケム」を注文する。烏賊はカタカナでは「プラームック」と表記をされるけれど、これを棒読みしても絶対に通じない。「プラ」の後は長音にせず「プラムック」。「ム」は上の前歯で下唇を噛みながら素早く発声する。タイ語の発音は容易ではないのだ。
帰りはきのうとおなじくナイトバザールの中を、自転車を押して通る。ホテルに帰り着いても、空はいまだ夕刻の色を残している。その空には旧暦2月3日の月があった。そして今日も20時より前に寝に就く。
朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一、其の二
昼飯 「カオソーイポーチャイ」のバミーナムニャオ
晩飯 「ジャルーンチャイ」のペッシーユー、プラムックパッカイケム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)