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清閑 PERSONAL DIARY

2025.2.26 (水) タイ日記(2日目)

目を覚ましたのは0時37分。昼寝をしなくても、結局は昼夜逆転になってしまった。

その必要はないから冷房は働かせていない。それでも喉がすこし痛い。しかしその痛みはうがい薬を使うほどでもないと判断をして、水でうがいをする。次いで冷蔵庫のミネラルウォーターを電気ポットで湧かし、日本から持参した粉末のコンソメスープを飲む。

コンピュータを起動して部屋のwifiに繋ぐ。そしてきのうは疲れて書く気力の起きなかった、きのうの日記に取りかかる。「羽田空港から深夜便に乗り、チェンライには翌日の午前に着きました」というような、途中経過を欠いた旅日記は好きでない。僕にとって移動は、旅の楽しさうちのかなりの部分を占める。だから初日の日記はどうしても長くなるのだ。

コンソメスープの後は、部屋のミニバーにあったティーバッグで、ウーロン茶を何杯もお代わりする。そうしてミネラルウォーターの600ccのボトル2本を空にする。キーボードを打ちながら疲れればベッドに横になる。それを繰り返しつつ8時30分に日記を書き終える。エディタに示された文字数は4,757。実に原稿用紙11枚分である。

きのうのバンコクの早朝の気温は25℃だった。タイの最北部に位置するチェンライの朝は、それよりも涼しい。9時を過ぎてから入った朝食の会場には冷房が効いていて、いささか寒い。南の国に来ながら寒いとは、どうにも辻褄の合わないことだ。窓の外は緑の庭で、複数の白人がタバコを吸っている。「南の国に来たら、やっぱり外が気持ちいいよな」と思う。

部屋に戻って雑用をするうち、昼がちかくなってくる。いつまでのんびりしているわけにはいかない。タイは酒にもタバコにも、日本よりはよほど厳しい決まりを設けている。8時から11時、14時から17時までの時間帯には酒類の販売が止められる。そういう次第にてロビーに降り、フロントのオネーサンに自転車を借りたい旨を申し出る。オネーサンは引き出しから鍵を取り出し、僕に手渡してくれた。料金のことは、特に言われなかった。

パフォンヨーティン通りのナイトバザール近くにあった酒屋はオジイサンとオバアサンが引退をして、金色の時計塔からむかしの時計塔のあいだの道に移った。ホテルからは歩く気のしない距離にて、自転車で街を東へ進む。

きのうチェンライから乗ったTG130の機内で配られたミネラルウォーターは250ccだった。日本から持参した昨秋のラオカーオの残りをその空きボトルに詰めて、昨夜はそのほとんどを飲んでしまった。「1日あたり250cc。今日から帰国するまでの日数は10日。とすれば必要な量は…」とペダルを漕ぎつつ計算し、酒屋では”BANGYIKHAN”を4本まとめて買った。これだけあれば、次にタイに来るときのための次期繰越も残せるだろう

帰りはサナムビーンロードを西に走り、ナムニャオが美味いとネット上にあった店を確かめる。更にサナムビーンロードを進み、適当と思われる道を左に折れる。その曲がり具合から「もしや」と感じたが、それは上手いことに、ホテルのある通りだった。途中、賑わっているフードコートを右手に見たものの、腹も限界までは減っていず、また4本の酒を部屋まで無事に持ち帰ることに専念をして、途中でどこかに寄ることはしなかった。

ホテルから徒歩で戻ったフードコートでは、ちかくのチェンライ病院の看護婦さんが大勢で昼食を摂っていた。注文したカオカームーはご飯の量が多かった。よってその一部はスープに沈めててカオトム状にして平らげた。

南の国に来て一番したいことは、プールサイドでの本読みである。その寝椅子に着いたのは13時7分。ドナルド・キーン著「百代の過客」の下巻を15時30分まで読む。

16時から1時間のフットマッサージ、17時から飲酒喫飯、そして早々に就寝、というのが、僕の決めたチェンライでの夕方の過ごし方だ。パフォンヨーティン通りを東へ歩き、きのうは仕事中のオバサンが一人しかいなかったマッサージ屋”PAI”の扉を押す。するときのうとは異なってたくさんのオバサンがいたものの、今日は臨時で早じまいだという。「またあした」とちかくにいたオバサンに言われて外へ出る。

入口に装飾を施し、マッサージ師はみな民族衣装風の制服を着ている、そういうマッサージ屋は高い。そうでないマッサージ屋の外の料金表を確かめ、中に入る。今日のマッサージ屋”CHAMONPOND”のフットマッサージ1時間の料金は”PAI”とおなじ200バーツだった。オバサンには50バーツのチップ。

ナイトバザール奥の、鉄製の黄色いテーブルと椅子を置いたフードコートで食べるものは、特に美味くもない。しかし僕は、この場所がなぜか好きなのだ。飲み物屋で買うソーダとバケツの氷は締めて35バーツ。そこからすこし離れた注文料理屋、これは材料さえあれば何でも作ってくれる店だが、そこで幅広麺の炒めを注文する。料金は予想より安い50バーツだった。

僕の席にその炒麺を運んできた女の人は、小学校低学年くらいの男の子を同伴しながら「お客様には『有り難うございます』と言うんだよ」と教育をしてる。この家の未来は明るいと思う。すこし食べたりなかったため、おなじ広場の何年も前から知っている店のモツ焼きも取り寄せる。

ホテルに帰る道すがらの空は、いまだ夕刻の色を留めていた。そうして部屋へ戻ってシャワーを浴び、20時よりかなり前に寝に就く。


朝飯 “NAI YA HOTEL”の朝のブッフェ其の一其の二
昼飯 Ruamchittawai Road南側のフードコートのカオカームー
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのセンヤイパッキーマオモツ焼き、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)


美味しいおうちごはんのウェブログ集はこちら。

  

上澤卓哉

上澤梅太郎商店・上澤卓哉

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