2025.2.25 (火) タイ日記(1日目)
00:01 「ギャレーとトイレからできるだけ離れた左列の通路側」と指定して割り当てられた51Cの席に着き、頭上の荷物入れにザックを納める。また、トイレで使い捨てカイロを腰に貼る。備えつけの枕は腰の後ろに当て、毛布で脚を覆う。
00:50 Airbus A350-900(359)を機材とするTG661は、定刻に30分おくれて羽田空港を離陸。
03:00 眠りから覚める。いかにも早すぎるため、頑張って二度寝に入る。
04:00 ふたたび目を覚ます。現在の場所をディスプレイで確かめたいものの、ちかくの席の人たちへの遠慮から、そのまままんじりともしないでいる。
04:50 トイレで歯を磨く。タイ航空の深夜便では、離陸のときには無かった歯磨きセットがいつの間にかトイレに置かれる。その数は僅少。勿論それを使わせていただき、使い捨てとは思えない容量のチューブ入りのペーストも、勿論いただく。
05:15 機内が徐々に明るくなる。
05:18 機はいまだ海南島の手前を飛行中。そのディスプレイには「バンコクまで1,430キロメートル」の表示が見える。
06:04 バンコクまでの距離が829キロメートルに縮まる。
06:10 朝食が席に運ばれる。「玉子か鶏か」と訊かれて選んだ「鶏」は正解。タイ航空のオムレツとハッシュドポテトの機内食は食べ飽きていて、このところは残すことが多かった。
06:46 「バンコクまで35分。バンコクの気温は25℃、天気は曇り」とのアナウンスがある。
07:15 バンコクの灯りが近づいてくる。
07:17 定刻に27分おくれてタイ時間05:17にスワンナプーム空港に着陸。以降の時間表記はタイ時間とする。
05:35 機外に出る。昨秋のTG661は沖のサテライトターミナルに着いたが、今朝はメインターミナルに直づけをされた。
海外からスワンナプーム空港に着き、そのままチェンマイ、チェンライ、プーケット、クラビ、サムイ、ハジャイ、タラートへ飛行機を乗り継ぐときには、慌てず騒がず先ずは”Connecting Flights”と”Transfer Desk”の看板の案内する先へ、次は”To Chiangmai,Chiangrai,Phuket,Krabi,Samui,HatYay,Trat”の看板の示す方へ進めば良い。ふたつの看板は大抵、隣りあっている。
乗り換えの時間は3時間もあるから大余裕。というより退屈することが心配だ。それにしても今回は運が良い。見慣れた”Domestic Connecting Flights”のカウンターには、機を降りてから僅々3分で辿り着いてしまった。
05:38 “Domestic Connecting Flights”の列に並び、羽田からスワンナプーム、スワンナプームからチェンライまでの、2枚のボーディングパスを係に見せてカウンターを通過。
05:46 目と鼻の先の入国審査場に進む。
TG661の機内で左手の人差し指のバンドエイドは剥がしたものの、いまだ左の親指、右の親指と人差し指と中指の、計4本はバンドエイドで覆われている。それを入国審査官に見せつつ”My fingers are Chapped.”と言ってみる。男の係官は黙って頷く。先ずは左手の親指を除く4本、次に右手の親指を除く4本の指紋をガラス板に押しつけて読み取らせる。次は両親指を押しつけるよう指示が出る。バンドエイドが巻かれたままの両親指をガラス板に押しつけると、読み込みは問題なく完了した。「バカみたい」である。
入国審査場を出ると真正面に、食べものや飲み物を売るキヨスクがある。その左手の案内板に僕の乗るTG130を探すも見あたらない。「いまだ時間が早くて搭乗ゲートが決まらないのだろうか」と、ちかくのベンチで休む。するとほどなくして「TG130の搭乗ゲートはB2B」のアナウンスが聞こえた。先ほどの案内板の前に戻ると、果たしてアナウンス通りの表示が出ていた。離陸の時間は8時10分でも、僕はボーディングパスに印刷された”BOADING TIME 07:40″を見て7時台のフライトばかりを探していたから見つからなかったのだ。粗忽、といえば粗忽である。これからは気をつけることにしよう。
05:58 保安検査場を通過。
06:02 B2Bゲートに達する。
この搭乗ゲートからは、先ずチェンマイ行きが出るらしい。周囲がイタリア人ばかりなのは、なぜだろう。とにかくとても賑やかだ。やがてチェンマイ行きの便の搭乗が始まる。その列に次のチェンライ行きの一部乗客が混じり込み、係に追い返されたりもしている。
07:11 “TG130 CHIANG RAI”の案内板が、ボーディングパスの読み取りカウンターに出される。
07:35 搭乗開始。沖駐めの機材にはバスで運ばれる。B2Bゲートは薄ら寒かった。バスの車内には更に強く冷房が効いている。そのバスから降りてようやく人心地がつく。
08:36 Airbus A320-200(320/3202)を機材とするTG130は、定刻に26分おくれてスワンナプーム空港を離陸。雲の上に出ての飛行はおしなべて穏やか。空はやはり、晴れているに限る。
09:25 地上が見えてくる。
09:30 馬の背のような山をひとつ越えると、それまでは赤茶けていた農地が一気に鮮やかな緑に変わる。
09:36 旧チェンライ空港の上空を通過。
09:37 TG130は定刻より3分はやくメイファールンチェンライ国際空港に着陸。
09:52 ボーディングブリッジを伝って空港屋内に入る。海外からの乗り継ぎ客は突き当たりを左へ進む。
09:57 回転台から荷物が出てくる。
X線による荷物の検査を終えたら空港のロビーに出て、先ずはちかくのベンチにザックを降ろす。そして貴重品入れからタイバーツ用の封筒を取り出し、昨秋に残した現金のうちの100バーツ札5枚と20バーツ札5枚を財布に移す。
目と鼻の先の出口から外へ出ると、右側にタクシーの手配所がある。ところが今日は左側から声をかけられ、そちら側にも手配所のあったことに気づく。オネーサンにホテルの名を告げると一発で通じた。料金は180バーツ。これまでは200バーツを請求されていた。これからは左側の業者ばかりを使うことにしよう。
10:08 タクシーが空港の駐車場から動き出す。タイによくある三車線の道に出ると、運転手は時速を80キロメートルに上げた。そこで安全ベルトを締める。
タイの運転手はクルマを走らせつつ携帯電話で話し続けることを好む。今日の運転手は会話ではなく、LINEに手打ちで返信を送っている。街に入ると、その返信が頻繁になる。前を行く4WDの車両が渋滞で止まる。僕の乗るタクシーは速度を落とさない。「あわや」というところで僕は大声を上げる。運転手は反射的にブレーキを踏んで、追突は免れた。”Sorry”と運転手は笑顔で僕を振り向く。笑っている場合ではない。
10:25 ホテルに着く。運転手に心付けは渡さなかった。
僕が差し出したagodaの予約表を一瞥したフロントのオネーサンは「あぁ」と何かに気づいた様子で「もう1、2時間、お待ちください」と答えてからスーツケースを奧へと運んだ。しばらくはロビーの椅子で新聞を読んでいたものの「1、2時間」はつぶせそうもない。タイバーツの残りは2,000と少々。千バーツ札は皆無。というわけでオネーサンにはザックも預け、iPhoneと貴重品入れのみを持って外へ出る。
前回はこのホテルより600メートルほどもナイトバザールに近い”Blue Lagoon Hotel”を使った。便利な場所にあり、価格は安く、プールサイドの寝椅子は最高だった。しかし部屋の椅子は背もたれの無いスツールで、日に数時間ほどもコンピュータを使う僕にはいささか辛かった。「椅子はホテルに借りればいいや」と、今回も予約はしたものの、先月、新たに良さそうなところを見つけてキャンセルした経緯があった。その「新たに見つけた良さそうなところ」が今日のホテルである。その「600メートル」を確かめつつ、ナイトバザールや旧バスターミナルに向かって目抜きのパフォンヨーティン通りを往く。
旧バスターミナルちかくの両替屋”SUPER MONEY EXCHANGE”は、僕が調べたところによれば、この街でもっとも交換率が良い。今日のレートは1万円あたり2,217タイバーツ。邦貨7万円は15,519バーツになった。僕がはじめてチェンライに来たのは2009年8月。そのときは1万円が4,000バーツを超えていた。しかし当時の日経平均株価は1万500円台だった。何が良くて何が悪いかは、いちがいには決められないのだ。
旧バスターミナル前の本屋の店先に絵はがきがあったため、6枚を選んで声をかけるも、誰も出てこない。ハガキは仕方なく、また元の場所に戻した。
ふたたびホテルのロビーで日本から持参した新聞を読む。やがてフロントの無線機に「オーケーカー」と、メイドさんのものらしい声が入る。フロントのオネーサンは部屋が整った旨を僕に告げる。今回の宿泊料は現地払い。6泊分の14759.94タイバーツはクレジットカードで支払った。予約時の「眺めの良い部屋」という頼みは忠実に守られて、窓の外にはスイミングプールとプールサイドバーが見下ろせた。
それにしても疲れている。しかし腹も空いている。よって両替屋の帰りに目をつけておいた、半屋台状の食堂に出かける。調理中の女の人にナムニャオの有無を確かめると、それは無いという。バミーナムのスープは、タイの汁麺にしてはとても熱かった。そして甘味も強かった。
疲れていても、寝てしまっては昼夜が完全に逆転する。シャワーを浴びて後はスーツケースから衣類を取りだして、セーフティボックスの隣に置く。本や文房具は机の右端にまとめる。ベッドの枕は具合の良いものをひとつ選び、残りは邪魔にならないところに移す。このような整頓は結構、楽しい。
そうして16時を過ぎたところで外へ出る。2014年から通いつけの、そして”Blue Lagoon Hotel”には至近だったマッサージ屋”PAI”までは、今日のホテルからは徒歩で8分かかった。そのガラスの扉を開けるとオバサンがひとりフットマッサージの客の相手をしながら、今日は自分ひとりしかいないようなことを言う。僕は「だったらまた明日」と告げて引き下がる。
ナイトバザールの奥にあるフードコートの飲み物屋が店を開くのは17時だろう。いまだ16時40分であれば、午前に人のいなかった本屋を訪ねる。僕が元に戻した6枚の絵はがきは、そのままあった。それを引き抜き、本屋の店先を借りて甘味屋を営んでいるオバサンに勘定を頼む。絵はがきは1枚が20バーツ。オバサンはとても愛想が良かった。
タイ北部の土鍋料理チムジュムは、チェンライのフードコートにおいては中国人観光客用に豪華化の一途を辿り、ひとり用のそれを売る店は、今や1軒だけになってしまった。昨秋にも使ったその店に注文を通してから席へ戻り、おなじ広場の飲み物屋で買ったソーダと氷で持参のラオカーオを割る。その酒がべらぼうに美味いのはなぜだろう。
いまだ明るいうちに土産物屋が軒を連ねる路地を抜け、目抜き通りに出る。以降の記憶は、無い。
朝飯 “TG661″の機内食、”TG130″の機内スナック
昼飯 パフォンヨーティン通りの名前を知らない食堂のバミーナムモー
晩飯 ナイトバザール奥のフードコートのチムジュム、ラオカーオ”BANGYIKHAN”(ソーダ割り)