2016.9.30 (金) チェンライ日記(2日目)
目を覚ましても、すぐに起きるわけではない。布団の中で寝返りを打ったり、あるいは手足を伸ばしたりしつつ徐々に、睡眠というなかば死んだ状態から蘇生をするように、からだを馴らしていく。そうして枕元の、部屋の灯りやエアコンディショナーの操作盤を兼ねた時計に目を遣ると、時刻はいまだ2時44分だった。
部屋の、机の灯りのみを点けてきのうの日記を書くも、長すぎて、いつまでも書き終えない。「こんなに長い文章を誰が読むか」と考えないでもないけれど、自分のための覚え書きという側面もあるから、つい細かいところまで筆を及ばせてしまうのだ。
疲れてベッドに横になり、またコンピュータに向かい、またベッドに腹ばいになって、しかし今度は本を読んだりする。そんなことを繰り返すうち、夜が明けてくる。
8時を過ぎようという頃合いを見計らって、6階の部屋からコック川に面した朝食会場へと降りる。オムレツは、皿に大盛りにした野菜に「全部」と中身を指定したそれを添えるのが好きだ。お粥は、これを調理するブースに併設されたスープ係に、本来はスープの具にする豚の内臓を入れてもらう、いわゆる「及第粥」が好みだ。コーヒーは、ポットを手にした給仕がテーブルに注いでまわるものではなく、やはり戸外の専用ブースまで行き、カップの底にコンデンスミルクを沈ませた、ネルドリップによる濃いものを淹れてもらう。この朝食を、このホテルに泊まっているあいだ、だれに邪魔をされることもなく、ずっと続けられるのは嬉しい。
夜はきのうに引き続き、ホテルのシャトルバスでナイトバザールまで行く。ここでふと、興味に駆られて目の前の、今にも走り出しそうなシーローの客になってみる。どこへ行くとも知れないシーローはパフォンヨーティン通りを南へ進む。そのあたりは僕には未知の地域にて、このチェンライが、実はかなり大きな街だったことにようやく気づく。
もうすこし進めば旧飛行場ではないかと思われるあたりでシーローは左に折れた。あたりがとたんに暗くなる。不安な気持ちが増していく。シーローは間もなく、ひとりの客を降ろすために停まった。屋根だけの、壁のないバーがちらほらと見えている。よって僕も運転手に50バーツを手渡し荷台から降りる。
すぐそばに見えた薄暗い店に、飛び石を踏んで入っていく。案内をされるまま、小さな池のほとりの席に着く。ビールの銘柄をデザインした、からだに張りつくようなワンピースを着たチアビアが来る。手にはラオカーオの入った袋を提げていたけれど、つき合いで生ビールを頼む。店の名前は「バーンビヤソル」だという。訳せば「生ビールの家」だろうか。そうしてそこで小一時間ほども過ごす。
ホテルまでは流しのトゥクトゥクを拾った。冒険をしたつもりでも、部屋に帰って時計を見ると、時刻はいまだ20時37分だった。服は下着も含めて3枚しか身につけていないから脱ぐのは簡単だ。シャワーを浴びて即、就寝する。
朝飯 “Dusit Island Resort”の朝のブッフェのサラダとオムレツ、トースト、中華粥、コーヒー
昼飯 名前を知らない麺屋のカオソーイガイ
晩飯 「バーンビヤソル」のパックブンファイデーン、プラームックヤーン、生ビール、ラオカーオ”YEOWNGERN”(オンザロックス)