2024.11.13 (水) 伊豆治療紀行(30回目の1日目)
1987年、池波正太郎は初夏にフランス、秋はドイツ、フランス、イタリアと旅した。フランスはあちらこちらを歩いたものの、イタリアはヴェニスアのみ。この地に惹かれるようになったのは三岸節子の画集によると、本人の著作「ル・パスタン」にはある。
ヴェニスに着いた夜、池波は吉行淳之介の夢を見る。多分、吉行の紀行文「ヴェニス光と影」を読んだことによるものだろう。「船着場からゴンドラに乗って、運河にすべり出した吉行さんを大声でよびかけたが、吉行さんは振り向きもせず、ゴンドラの中で憮然としていた」というその夢の「憮然としていた」には苦笑を禁じ得ない。
「私は、今年の異常な夏の気候で、体調をくずしていたので」と池波は独白をする。そのとき池波は64歳。文章から気息奄々の雰囲気は伝わってこないものの「ヴェニスへは、もう一度、行きたいとおもうけれど、おそらくは行けまい」と、弱気である。
「ヴェニスに来て、何もしなかったおかげで、悪い思いもせず、よいホテルへ泊まった思いだけを胸にしまって帰ってきた。こういう旅行の方法というのもあるのだ」と、池波は帰国後に振り返る。僕などは元気にもかかわらず、旅先では何もしないから「楽」以外の何ものも無い。
「私は六白の星で、衰運のどん底が三年後にやってくる。この衰極にそなえ、いまから、種々の方法を考え、実行に移しつつあるところだ」とも池波は書いている。しかしその「三年後」である1990年の初夏に、池波は逝った。
青い海を眺めつつ、また「ル・パスタン」を読みつつ着いた伊豆高原からは、専用のバスでホテルまで運ばれた。そこから徒歩で行ける「伊豆高原痛みの専門整体医院」での治療には幸い、痛みは伴わなかった。この整体院の治療は、からだ、あるいはその一部の具合が良ければ痛くなく、反対に、悪ければ悪いほど、痛いのだ。
ホテルでの夕食は19時30分から。そして21時すぎに寝に就く。
朝飯 蓮根のきんぴら、里芋の味噌和え、菠薐草の胡麻和え、揚げ湯波の甘辛煮、なめこのたまり炊、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、キャベツとベーコンと万能葱の味噌汁
昼飯 「笹八」の爆弾おむすび、JAVA TEA
晩飯 「亀の井ホテル伊豆高原」の其の一、其の二、其の三、其の四、其の五、其の六、其の七、「澤乃井」の特別純米(冷や)、「三和酒造」の「臥龍梅」(燗)