2024.10.25 (金) 首の限界
午前、配達のついでにコンビニエンスストアに寄ろうとして事務机の引き出しを開けるも、いつもはそこにあるはずの財布が見あたらない。携帯電話は日に何度も探す。しかし財布を見失ったことはこれまで無かった。
きのうの夜は僕が書記と酒の取り寄せ係を務める日本酒に特化した飲み会「本酒会」の例会にて外へ出た。毎月のように変わる会場は、きのうは近所だったため、複数の四合瓶は会長による運搬に頼らず、僕が大きなトートバッグで運ぶこととした。酒瓶以外の持ち物は財布、携帯電話、投票用紙、ボールペンの4点。これらは、いわゆるバッグインバッグに収めた方が安全と思いつつ、面倒さが先に立って、そのままトートバッグに投げ込んだ。
会場では会費を支払ったから、財布はそのときまでは確かにあった。とすれば店の中に落としたか。しかし財布にはクレジットカードも入れていたから、お店の人が気づけば僕に電話をしてくるはずだ。それがないにもかかわらず「どこかに落ちていませんでしたか」などと問い合わせて、もしも無かった場合には店側も気まずさを感じるだろう。それより先ずは家の中を探そう。否、それより優先すべきは配達である。
配達から戻って、きのうの夜から今朝までの自分の行動を思い出し、その動線を辿って探すも財布は見つからない。よってもう一度、きのうの夜のことを思い出してみる。
携帯電話は料理の写真を撮るためテーブルに置いた。財布は…と考えて、これは酒瓶を取りだした後の大きなトートバッグに収めるよりは身近に置くべしと、壁を背負って座った僕の、頭より高いところに突き出した棚に載せたことを思い出した。その高さにより、テーブルの上を片づけただろうお店の人も、財布には気づかなかった可能性が高い。
いよいよ店のオカミに電話を入れる。ややあって「ありました」とオカミは声を弾ませた。「やれやれ」である。
携帯電話を探すたび「首から提げておくべし」と家内には言われる。しかし僕が日々、探すものは携帯得電話に留まらない。すべてを首から提げれば、その重さにより首は折れるだろう。すべてにエアタグを付けるのも現実的ではない。なかなか悩ましい問題である。
朝飯 茄子とパプリカとピーマンの味噌炒り、炒り豆腐、菠薐草のおひたし、炒り昆布、大根のぬか漬け、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」、ごぼうのたまり漬、メシ、若布と大根の味噌汁
昼飯 にゅうめん
晩飯 ミートローフとチキンカツの盛り合わせ、Chablis Billaud Simon 2018、焼きおむすび、たまり漬「七種きざみあわせ・だんらん」、らっきょうのたまり漬「小つぶちゃん」